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検索対象: キリンの首 ダーウィンはどこで間違ったか
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1. キリンの首 ダーウィンはどこで間違ったか

現在はアフリカの低木林の中を走 判格。りまわっているまったくウマでは 批骨る がのれない、キツネ大のおくびようなハ 、示そわ 展。言 イラックスという名の動物かもし の物と 館動るれない。 博うて何千もの中間的種類の中には、 るよ似 すびど総鰭目の魚と同じ説明的価値しか 3 〕をにおくもたない ほとんど説明的価値 鞦一化る驚 進れに のない 生物も数多く含まれて のさス もマ出プいる。それらは単に、進化の階梯 ヒ中の想像上の候補、すなわち、仮 スあオ クき工想的な連鎖の中での中間生物にす ッ引る 物ラばい ぎないのである。有名な例と呼ば イして ( ばれれるものはどれもみな、ああでは石 むしさ 4 す , とよ、、 オカこうではない力といろいろた ににル究 . 力い祖言われたあげくに、信用を失なつわ リさの フるマてしまっている。フロリダのいわ アれウ ゆる「歩くナマズ」は、魚類から芻 ミ、朝物や かいてし

2. キリンの首 ダーウィンはどこで間違ったか

る説を支持する証拠は、六千五百万年前の出来事を記録している岩石中のイリジウム含有量を調べることによっ て得られる。ィリジウムはまれにしか存在しない重金属で、地球の岩石よりも隕石や小惑星の岩石中にはるかに 多く含まれている。この元素が、恐竜が死に絶えたその六千五百万年前の堆積物中に例外的に多く含まれている のである。そして、アイスランドのある北大西洋に近づくほど、イリジウム含有量は高くなる。 この説は、カリフォルニア大学のルイス・アルヴァレスによって一九八〇年一月のアメリカ科学振興協会 Q<tn) の年次総会で初めて発表されたのだが、その内容は、それまでに提出されてきた考えの中でももっとも 信頼のおけるものである。そしてそれはまた、パネルで紹介した「地球逆立ち説」と驚くほど一致するもので ある。アメリカの海底掘削船グローマー・チャレンジャー号が深海底から採取した海底堆積岩は、「白亜紀と第 三紀の間に起きた大絶滅と一致する地球磁場の逆転を示す、これまでで最上の記録」だと、その調査団の団長は 語っている。 S 。ヒーター ・ワーローの計算によれば、予想される規模の隕石の衝撃ならば、地球をひっくりかえすのには十分 だったろうという。その時起こった天変地異は、地質学者の予想をはるかに上まわる惨劇をまねいたかもしれな 7 天変地異と絶滅

3. キリンの首 ダーウィンはどこで間違ったか

ここでダーウインの理論にとって重要なことは、生殖細胞中の遣伝子が世代から世代へと受けつがれ るということである。生殖のさい、ある個体の遺伝情報は同種の他個体の遺伝情報と混ざり、それそれ の半分ずつが子供に伝えられることになる。したがって、一遺伝子と一表現型という一対一の対応関係 を想定した点でメンデルは問題を単純化しすぎてしまってはいたが、基本的な点では正しかったのであ る。遣伝子や遣伝子複合体は、そのまま親から子へと受けつがれる。これが、子供がその両親に似てい る理由である。 一九〇〇年にメンデルの研究が再発見されるにおよんで、ダーウインの理論は突如として再びその根 拠を得たかに見えた。しかもその後、遣伝子はまったく偶発的に何回かに一回は複製ミスをおかすこと が発見された ( 今では、約一千万回の細胞分裂に一回の割であることがわかっている ) 。このミスは突 然変異という名で知られており、そのほとんどは有害である。病弱だ 0 たり奇形の動物や植物ができて しまうのだ。そういった個体は、自然淘汰によって除去されてしまうため、その種の中で生きのびるこ とはない。だが突然変異の中には、ごくまれだが有利なものもある。 ダーウインの追随者は、進化に関与するのはそうしたごくまれに生じる有利な突然変異である、と信 ずるにいたった。かれらに言わせると、そのような有益な突然変異と有性生殖による遣伝子の混合 ( 。 ( 制 ネル 5 参照 ) とで、地球上に現存するおそろしく多様な生物のすべてがいかにして共通の遣伝源から生 じてきたかを説明することができるという。偶然生じた有利な突然変異が、自然淘汰によって選択され然 ることによって集団中に徐々に広がり、地質学的な時間の経過の中で新種が形成される、というのがそ の理論の大要である。ダ 1 ウインが考えたことを支持するしくみを、遣伝学が提供したのである。

4. キリンの首 ダーウィンはどこで間違ったか

一八八二年四月、チャ↓ルズ・ダーウインは、英国ケントの自宅で心臟発作により安らか な眠りについた。現代生物学のあらゆる教えの基礎となったかれの偉大な理論は、そのとき には崇拝とさえ言えるほどの受け人れられ方をされていた。科学の歴史の中でダーウインの 名は、コペルニクス、ガリレオ、ニュートン、アインシュタインといった人たちと同等の位 置を占めるようになった。 だが、かれの没後百年にあたる一九八二年が近づくにつれ、いささか風向きが変わってき た。進化の理論をめぐる争いが、堅実、穏健であるはずの科学雑誌の中に激しく噴き出して きた。賛成、反対を唱える陣営がそれぞれ高い場所にとりでを築き、まるで迫撃砲の砲弾で ファンダメンタリスト も撃ち込むかのように激しい攻撃を加え合った。一方、はるか以前に根本主義者のもとに送 り返してしまったと多くの科学者たちが信じ込んでいた創造説が、アメリカの学校の教室の 中に激しい勢いで戻ってきた。 はじめに

5. キリンの首 ダーウィンはどこで間違ったか

起源』の中で次のように書いている。 かって起こったとされている出来事なり変化のうちで、そういうことが実際にあったという直接 の証明または証拠があるものは一つもない。その議論が強力なものとなれるか否かは、ひとえにい かに多くのこまごまとした状況証拠を集めることができたかにかかっていると言える。ある意味で は、空想科学小説と何ら変わりがない。しかし、これは私自身感じていることだが、わたしがこう して存在していることにもつながるカンブリア紀と先カンプリア紀に起こった出来事に推理をめぐ らすことは、おもしろくて楽しい知的挑戦なのだ。⑥ ざせつ 一方、中には、探究の挫折を隠そうとしない人もいる。たとえば・・オマニーは『魚類』の中で こう書いている。 せきさく いかにしてこれら初期の脊索動物の一団が進化したのか、どのような発達の過程を経て最終的に 真の魚類のような生物が生じたのか、われわれにはわからない。それら初期の脊索動物が生じたと 考えられるカン・フリア紀と、実際に魚類的形質を備えた動物化石が初めて登場するオルドビス紀と の間には、おそらくわれわれには埋めることのできない一億年あまりの溝がある。 げつしるい また・・ローマーは、『古脊椎動物学』の中で齧歯類について、「齧歯類は、今日の地球上でもっ とも繁栄している哺乳類のグルー。フで ( その他の全哺乳類よりも種数が多い ) 、あらゆる条件下で生活 している。だが、かれらの起源については、ほとんど何もわかっていない」、と書いている。 ぎようしんせい パラミス属として暁新世後期に初めて登場した時にはすでに、かれらは原始的ではあるにしても、 齧歯目としてのはっきりとした特徴を十分に備えたまぎれもない典型的な齧歯類だった。かれらが

6. キリンの首 ダーウィンはどこで間違ったか

ば、より長いあし、よりすぐれた視力といった好ましい新特性は、その動物の子孫に次々に受けつがれ ターウインもその著書の中で暗黙のうちに受け人れていた当時の考え ていかなければならない。だが、・ によれば、両親の特徴は、子供の中で「混ぜ合わされてしまう」はずだった。 ジ = ンキンは、ダーウインが考えるようなことは起こりえないのではないか、また、あっても問題に ならない程度のものだろう、と指摘した。つまり、両親のうちの片方しか長いあしを持っていないとし たら、かれらの間に生まれる子供は両親のあしの長さをたして二で割った長さのあししか持たず、その また子供にしても同じである。そして、わずか数世代のうちにもとの変異は混ぜ合わさり、無意味なも のになってしまうだろう。 老いるにしたがってダ 1 ウインは、自然淘汰だけが進化の答ではないのではないかという疑いを次第 に強めていった。好ましい形質の「固定」にかかわるこの問題は、実は一応すでに解決されていたので あるが、かれはそれを知らないまま一八八二年にこの世を去った。その問題の答は、チェコスロパキャ ( 当時はオーストリア ) は・フリ = インの名もない自然科学者協会の会報の中に眠っていた。ダーウイン は、生前にそれを読んで精神的苦痛からみずからを救うことができたはずであった。当時その町の高等 学校で科学と数学を教えていた司祭、グレゴール・メンデルがその決定的な論文を発表したのは、一八 六六年だったのである。 その論文の中でメンデルは、エンドウのいろいろな品種を交配した実験の結果について述べている。 この実験は第一に、マメの色など個々の形質はある決まった遣伝的単位によって受けつがれること、第 二に、その単位は世代を経ても薄まらないことを示していた。かれはその単位を「因子」と呼んだ。

7. キリンの首 ダーウィンはどこで間違ったか

対する暴言の中に、かれらが言わんとしていることが出ているのだ。かれらは、漸進主義の概念と 現在の観察事実を過去に当てはめれば化石記録中の変化も十分に説明できるという考えに、マイヤ ーらが固執しているのが気に入らないのだ。シン。フソンがその含蓄にあふれた二著作「進化の速度 と様式』と『進化の主特徴』の中で試みた集団遺伝学と古生物学との統合を、分岐分類学者たちは なんとしても認めたくないのだ。」⑩ いったいだれによって「検証済みーで、だれによって「古 だがこの意見も。ハターソンに言わせると、 典的な例とみなされ」、だれにとって「深刻な疑問などいっさい存在しないーのか、ということになる。 このパターソンの反論は、その後の『ネイチャー』誌への他の多くの寄稿者によっても支持された。 「ホールステッドのような″権威者〃がそう言うからというだけの理由で、なぜ漸進的進化が事実として 扱われなければならないのか。また前記の「暴言」ということについても、それはまったく一方的な ス ネ ものではなかったことを付け加えておいた方がよいだろう。 ジ ホールステッド自身、大英自然史博物館に対して実に筋違いな攻撃・ーー科学的というより政治的なも のーーを加えているのである。すなわち、突然の変化という考え方が含まれている分岐学説 ( 実際には そうではなく進化の速度というものを問題にしないのだ ) はスターリン哲学の思想そのものであるとの 理由で、大英自然史博物館はマルクス主義に染まってしまったと決めつけたのである。「もし分岐分類 学が一般に受け入れられた学問として定着すると、マルクス主義の基本的な生物史観が英国の主要な教 育大系の中に組み入れられてしまうことになる。」 g

8. キリンの首 ダーウィンはどこで間違ったか

ヒ , 「輩よ、、 。力にしてジャングルから出現したかという問題について、ダーウインは『種の起源』の中で は慎重な態度をとった。出版の二年ほど前に書いたある手紙の中でかれは、「これは博物学者にとって もっとも興味深い問題ではあるが、偏見がまつわりついているので全面的に避けるつもりだ」と語って いる。結局、『種の起源」の中ではただ一言その謎にふれるにとどまった。自然淘汰についての自説の帰 結として「人間の起源とその歴史に光が投げかけられるであろう」とだけ、かれは書いたのである ( の ちの改訂版では「 : : : 多くの光が投げかけられるであろう」と書きかえた ) 。 こうしたダーウインの慎重な配慮にもかかわらず、かれの説がヒトの起源について音に語「ているこ幻 8 章ーー、・偽物作り ( モンキー・ビジネス ) 現生人類と絶滅したその祖先をつなぐ化石があれば、ヒトは進化してきたのだという確固とした 証明になる、という考えがダーウインの著作によって吹き込まれて以来、化石人類の研究では先 人観によって証拠がどうにでもゆがめられてきた。 ジョン・リ 1 ダー『失われた環』より

9. キリンの首 ダーウィンはどこで間違ったか

ヾネレ 1 先カンプリア紀の化石はどこに 先カンプリア紀の地層中には、その上部からいくらか複雑な化石がわずかに見つかっている以外、事実上、 石らしい化石はまったく存在しない 。これは地質学者が認める確かな現象である。この現象に対する解釈の多く は、先カンプリア紀の環境は化石の形成と保存にとって好都合ではなかったという考えに基づいている。 一、化石は地層中で溶解や圧縮といった変化を受けて破壊された。 地層内の環境変化によって、岩石の組成がいろいろに変化したことは疑いない。大理石は、ものすごい圧力の せいで石灰石が結品化することによって形成された先カン・フリア紀の岩石である。したがって、化石は含んでい ない。しかし、先カイフリア紀の岩石の少なくとも一〇 % は堆積岩であり、その多くはたいした変化も受けずに カンプリア紀へと引き継がれた。 一「先カンプリア紀の海水には、カルシウムがほとんど、あるいはまったく含まれていなかった。そのため生 物の外殻は軟らかで、化石としては残らなかった。 この説には多くの異論がある。まずこれは、地球上には岩石がたいした変化も受けずに残されている地域があ ることを無視している。そうした地域の岩石中には、必ずカルシウムが含まれている。それに殻は、カルンウム 以外の化学成分ーー - ・・・特にシリコンやチタンーーの働きによっても、堅くてがんじようになる。したがってこの説 がなりたっためには、これら三つの成分のすべてが先カンプリア紀の海水中には存在せず、その後カンプリア紀 になって偶然同時に投人されたと仮定せねばならない。 これはちょっと無理な注文である。 三、先カン・フリア紀の生物は、化石の保存には不向きな不安定な環境である海岸に生息していた。 海岸にすんでいたというのが、たとえ本当だったとしても ( 何の証拠もないので、これはまったくの仮説であ

10. キリンの首 ダーウィンはどこで間違ったか

パネレ自然淘汰は無意味か 大部分の生物学者は、自然淘汰という概念が持っ同語反復的性格を認める一方で、それでもなおそれには科学 的価値が確かにあると考えている。ダーヴィンは、アメリカの植物学者アーサ・グレイとかわした手紙の中で、 その問題について論じている。その中でかれは、「自然淘汰」ということばはいろいろとこみいった考えを一一一一一口 で述べるにはたいへん便利である、と書いている。 今日の遺伝学の知識を用いてダーウインが言おうとしたことを言い表わすと、次のようなことになるのではな かろうか。今から一〇〇〇年後に生きているキリンは、今生きているキリンの子孫である。言いかえれば、今生 きているキリンは、将来の世代の一〇〇 % 祖先であるはずである。だがキリンと一言で言ってもその遣伝的な内 容はさまざまであり、その中の「適者」のキリンだけが将来の集団の祖先としてひときわ大きな貢献をすること になる。それは、かれらの方が生き残って繁殖しより多くの子孫を残す可能性が高いからである。淘汰上有利な 遣伝的タイ。フつまり適者は、自分と同じタイ。フのものをその両親の年齢まで生き残らせる確率が高いのである。 『ダーウイン以後』の中でスティーヴン・ジェイ・グールドは、。 ターウイン自身が自然淘汰の真の意味を明ら かにしたとは考えられない、と述べている。グールドは、自然淘汰説は一九四〇年代まではすっきりと説明され ていなかったが、今日のネオ・ダーウイニズムではうまく定義されていると考えている。その要点は以下のとお りである。 形態、生理、および行動上のある特性が、新環境で生きるためのデザインとして、ともかくすぐれている ということはあるはずである。そのような特性は、個体の生存とか繁殖という経験的事実によってではなく、 技術者の言うよいデザインという意味で個体の適応度を高める。気候が寒くなっていくにつれて、マンモス 128