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検索対象: キリンの首 ダーウィンはどこで間違ったか
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1. キリンの首 ダーウィンはどこで間違ったか

盟 ( 「神のおことばとキリスト教信仰に対する忠誠心を共有する男女科学者」に会員を限定している団 体 ) に属する一〇人の福音主義者が、同盟の特殊創造に対する取り組み方が中途半ばであるとの不満を 表明し、カリフォル = ア州オレンジに創造研究協会 (oæn) を設立したのである。かれらはみずから を「科学的創造論者、と称し、選出される会員は、自然科学の分野で修士または博士の学位を得た者で、 聖書の教えを字甸どおりに信じる者に限るとした。これは時宜にかなった動きだ「た。というのも、そ の同じ年に最高裁判所が、無信仰の児童に学校でむりやりお祈りを読ませることは違憲だとの判決を下 したからである。 この判決を逆手にとれば自分たちの側に都合がよくなることを、協会の会員たちはすぐに見ぬいた。 たたちに協会の創始者の一人が二人の婦人に手を貸して、地区の教育当局に「キリスト教徒の子弟のた めの公正を求める」請願書を提出させた。かれらの主張によると、キリスト教徒の子弟も無神論的教え を読まされることから同等に守られるべきで、ダーウイン進化論は、創世記の物語を否定するのだから 当然それにあたるというのだ。 創造論者の正当性を認めさせるこの第一段階の成功 ( 正統派の生物学者にしてみれば迷惑 ) は、それ が引き起こした教科書論争にたたちに現われた。その間にも創造研究協会は急速にその勢力を増し、ミ シガンに本部を移した。一九八〇年には、発行部数二千部の雑誌を年四回発行するまでになり、会員資 格を持っ六百人あまりの科学者がそれに論説をのせている。 主導権争いの末に、一九七〇年にその協会の分派が設立され、みずからを創造科学研究センタ 1 (o (-OXO) と称し、カリフォル = ア州南部のサンディ = ゴにある建物の一画に居を構えた。会長はケリ 136

2. キリンの首 ダーウィンはどこで間違ったか

問を選んできて、地質学の知識全体に疑いの目を抱かせるようなことをしているのである。こうした悪 がしこいやり方は、などから出されている本や論文でよく使われている。たとえば古代人類につ いての問題を創造論者に理解させようとする場合、われわれ進化論者ならば、世界中のあちこちから届 いた研究用の化石をいっしよくたにして話を進めたりはしない。個々の発見物がたとえいかに疑わしく いっしょにしてしまうと、過去六〇〇万年のある時点でサ いかがわしいものであっても ( 8 章参照 ) 、 ル様の祖先からヒトが進化した様相らしきものができあがってしまうものである。 ところが創造論者は、そうした明らかにおかしなことを平気でやってのける。かれらは、数千万年か 数億年前のものと思われる地層に、一九世紀後半のころむき出しになっていた異常な頭骨やその他の骨 の三つか四つを混ぜ合わせてしまうのである。確かに個々の骨は人類学者に多少の問題を提供しはする が、すぐに違った時代のものであることがわかってしまう。 「創世洪水』全体について一一一口えることだが、創造論者たちは科学的見地からも常識的にももっともあ りそうもない解答をわれわれに認めさせようとしている。つまり、ばくだいな量の事実があるのに、そ のうちのごくごく一部だけを取りあげて説明しようとしているのである。もし創造説にとって有利な証 拠がない場合には、あて推量が行われる。『創世洪水』の二八〇ページの脚注では、ノアの保護のもと に箱舟に乗り込んだ恐竜のどれもがその後生き残れなかったのはなぜかについての説明がなされている。 もし恐竜のあるもの ( おそらくは若い個体 ) が箱舟に乗り込んでいたのなら、かれらが死に絶え てしまった原因は洪水後の気候の大変化に求めることができよう。しかし、なかには長く生き延び たものもいたかもしれない。そうであったなら、いろいろな地方の古代神話の中に「童」が登場す 148

3. キリンの首 ダーウィンはどこで間違ったか

を創造したという考えにたとえ共鳴できたとしても、また科学的創造説がいかに悪気のないものであろ うとも、創世記の 1 章からⅡ章までの記述内容がきわめて拘束的であることは明らかである。あらゆる 進化の事実をそのわく内に押し込めてしまおうとするそのやり方は、科学の方法とはまったく相いれな いものである。 ギッシ = やかれと立場を同じくする人たちもそのことは十分に承知している。しかしかれらの信仰心 が結局はそれを無視させている。わたしはかれに、創造論者の科学にとって最大の難点は何かとたずね てみた これはわたしとの対話の中でかれがもっとも答えにくかったことのようだ。それに対してか れは、少し考えたあとで次の二点をあげた。一つは、放射性同位元素を使った年代測定法の進歩によっ て、地球がきわめて古い歴史を持っことが明らかになったこと。もう一つは、化石の記録から無脊椎動 物の時代、魚類の時代、爬虫類の時代といった生態学的に完結した時代があったことが認められること だという。聖書の教えでは、化石はノアの洪水というたった一回の出来事で埋められてできたものとい うことになっている。その難点は聖書の教えに対する信念に疑いを抱かせるほどのものなのか、とわた しはたずねてみた。それに対するギッシュの答はこうだった。「いやそんなことはない。ただそれらの 科学に取り組んで、なぜそれらがもっとよく聖書の教えに一致しないのかという理由を見つけ出さなけ れば、というだけのことだ。」 こうした質問に対して公式に答える場合、ギッンユは創造論者の通常の論理に従う。すなわち、聖書 の教えはあくまで正しく、それゆえそれと食い違う発見はすべて誤りであるとするのだ。一九七三年に ・ティーチャー』誌の中でこう述べている。「神が世界をお造りに かれは、『アメリカン・ ハイオロジー 144

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として認めることを。わたしはこの信念を、胸の内におさめるだけでなく、ロに出して告白もした。 その時わたしは、主に次のことをお願いした。進化に関する科学的論議のどこが誤りなのかを、ま た創造と初期の地球の歴史に関する創世記の記述を支持する科学的証拠は何なのかをわたしにお示 と。⑤ し下さい 創世洪水 ホワイトが言うには、それに続く二年間にわたって、神はかれの祈りに答えて下さったという。二年 目の一九七一年にかれは『創世洪水』を一冊受けとった。この五〇〇ページを越える大著は、 o の ・モリスと神学者のジョン・ O ・ウィッカムによって書かれたもので、科学的創造論者の最高 の知的産物である。本文中で引用されたものには、一つ一つすべて出典が明示されている。この本の中 には、「聖書における地質学上の問題点」と題された長い章があり、そこで著者たちは、地質学によっ て提起されるいくつかの難問と対決している。たとえば放射性同位元素による年代測定の問題とか、イ ェロ 1 スト 1 ンのスペシメンリッジで一五の地層となって現われる森林の変移に見られるような地球の 古さの問題などである。またそれと同時に、一般的な説明では無視されている地質学上の奇妙な例や謎 を何十となくあけている。たとえば化石の墓場とか、順序のおかしい地層とか、化石化した木々によっ 対 て形成された途方もなく巨大な石炭層などの例である。 だが客観的に検討してみると、この本の弱点もたちどころに明らかとなる。地質学で慎重に語られて いる疑問ばかりを選んで引用しているのである。すなわち、地質学上未解決とされているいくつかの難

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前提から出発している「神が与えたもうた疑問の余地なき」ものである。創造論者は事実と理論と の間の相互作用を無視し、自分たちの考えをささえてくれる事実だけをしやにむに探し求める。創 造説はその当否を検証することもできないし、どういう条件でどういうことが起きるかも予見でき ない。なにしろそれは、信仰によってしか受け人れられない信念体系だからである。 箱舟とアダム 創造論者の教育は早くから開始される。。フー。フフォッシル ( 「化石ばか」の意 ) 教授の冒険 ( パネル 1 ) のような漫画に対しては、。 とんなに信じやすい子供でもいずれは不信感を抱くにちがいないと思わ れるが、それは子供向けに書かれた創造説の本の極端な一例にすぎない。創造科学研究センターのケリ ・セグレイヴズーーかれの一三歳の息子ケイシーは、一九八一年のカリフォルニア州サクラメントの 法廷で、かれの教師はかれにかれの祖先はサルであるといううそを教えたと証言したーーーの書いた『大 恐竜をめぐる誤解』の中では、重さ六〇トンの二頭のプロントサウルスをノアはどうやって箱舟に乗せ たか、という疑問に解答が与えられている。その答とは、「神はおそらく恐童の赤ん坊を二頭おっかわ しになったのです。それだと場所もとらないうえに扱うのも楽だし、天変地異のあとも長く生きながら える可能性があるからです」⑩というものである。 箱舟そのものについても、もっともらしい詳細な解析がなされている ( 。ハネル幻 ) 。地球創世最初の慥 六日間についても同じである。カリフォルニア州エル・カホンのクリスチャンカレッジで根本主義神学 を教えているリチャード・ニーセンは、『インパクト』誌上でその問題を論じた ( おそらくは大人向け 153

6. キリンの首 ダーウィンはどこで間違ったか

なったのだが、ノアの洪水のような天変地異によってそれが変えられてしまったのだとしたら、放射性 同位元素を使った年代測定による証拠など無意味である。」 創造論者 まさに、何人の天使が針の頭の上にとまれるかを延々と論じた中世の神学者たちのように、 は地質学によって提起された難問に互いの頭を悩ませ合っている。一九七八年のある月の月報は、 ンカゴ郊外にある聖書研究を目的としている学芸大学ホイートンカレッジで五〇〇人の聴衆を前にして 開かれた「重要な公開討論会」について報じている。そこでは創世記 1 章および 2 章の意味と解釈をめ ぐって討論がかわされ、特に創造が行われた時間の問題をどう解釈すべきかが話の中心となった。「聖 書の信びよう性とかその権威とかについては問題にならなかった。なぜなら、ホイートンカレッジの立 場同様、出席した講師の全員が、それらについては一般教義を絶対的に支持すると発言したからである。 ・ : 科学的なデータは、聖書の解釈に関係のあるもの以外は議論の中に登場しなかった。」 ぐうわ この時の討論の一方の側には福音主義者がいた。かれらは、創世記はある程度寓話的なものであり創 造の行われた六日間というのは日数というよりは時代なり年代の数と考えることができる、と主張した。 ギッシ、は強くこれに反対した。の報告記事によると、かれの反論は次のようなものだった。 創世記と地質学を一致させようとすることはたとえ進化を否定しても多くの矛盾を導くことにな る、とギッシ = は語った。ギッシ = によれば、もしそうした場合答えねばならない疑問には次のよ蜒 うなものがあるという。地層の中に何億年にもわたる記録が閉じ込められているのなら、聖書にあ慥 るノアの洪水の記録はそのどこにあたるのか。人類の歴史が数百万年にもおよぶのなら、洪水後の 人類が農耕と牧畜を発達させたのがわずか数千年前というのはどうしてなのか。創世記によれば、 145

7. キリンの首 ダーウィンはどこで間違ったか

それらの技術はほとんど最初から知られていたはずである。またある研究によれば、現在の人口増 加率の四分の一でも現在の人口を達成するにはわずか五千年しかかからないというのに、今日の人 ロ爆発を招くのになぜ数百万年もの時間がかかったのか。 このようなあべこべな考え方 ( 大多数の科学者はそう見るだろう ) は、すべての創造論者の中にきわ めて根強くしみ込んでいる。・・モンティ・ホワイトという人がいる。この人物は、アベリストウ イスにあるウェールズ・ユニ・ ーシティカレッジから気体分子運動論の研究で博士号を得た化学者であ る。かれは一九六四年に宗教的な転向を行ったのだが、いかにしてついに真の光明を発見するにいたっ たかを次のように説明している。 わたしは一九六九年一月に結婚した。その時になってわたしは、創世記の 1 章からⅡ章に対する わたしの解釈の仕方が聖書のほかの部分に対する仕方と同じではないことに気づいた。それはわた よう・こ しの妻が創造論者だったせいである。彼女は自分の信念を擁護するための科学的議論など持ち合わ せていなかった。聖書がすべてだった。だがそれで十分だったのである。彼女はわたしの有神論的 進化観についてわたしと論じ合い、それが聖書に基づいていないことを示そうとした。わたしは自 分が進化から出発して聖書をそれに合わせようとしていたことに気がついた。次第にわたしは、創 造 ( 進化ではない ) の教義が創世記に限らず、聖書全体に現われていることがわかってきた。そし てやがて、新約聖書の教えの多くが創世記の 1 章からⅡ章の忠実な解釈にのっとっていることがわ しゅ かった。数か月のうちに、わたしは聖書の教えに屈服した。そしてわたしは主に誓った。自分の信 念を擁護する科学的論議は何ら持ち合わせていないが、創世記の 1 章からⅡ章は正確な歴史的事実 146

8. キリンの首 ダーウィンはどこで間違ったか

カル が七〇〇人以上もいるのだ。そして『ネイチャー』への投稿者の一人が指摘したように、数多くの人が あえて沈黙を守ることを選んだのである。「発言すればひやかしを招くことにもなろうし、本人の経歴 をだめにしてしまうことにもなりかねない。それでも、沈黙を守ることをせめたりできますか。『ネイチ ャー』の一年間無料購読と引き換えに、自分の正体を公にする気になれるなどと本当に思いますか。」② 創造説の支持者 キリスト教の世界でダーウイン進化論の代わりにもっとも広く受け入れられてきたのは、創世記の中 に出ている物語だった。『クリスチャニティ・トウデイ』誌の依頼で行われたギャラツ。フ世論調査によ ると、一九七九年終わりの時点で、一八歳以上のアメリカ人約一億五千五百万人のうち半分ほどが、「人 ィーヴァンジェリ 類を世に送り出すために神がアダムとイヴをお造りになったと信じている」。またみずからを福音主義 者とみなしている三千万人の中では、およそ九割の人がそう信じていることがわかった。 科学界にとって衝撃だったのは、自分たちの仲間の中にもそう信じている人たちがたくさんいるとい うことだった。・ ターウインの「種の起源』発刊一〇〇年にあたる一九五九年に、テレビ番組に出演した ターウイニズムによってまっとう ジュリアン・ ノクスリ 1 が、「神が生物を創造したという考えは、・ な議論の場から一掃された」と明言した時にも多くの反論が寄せられはしたが、見識ある人々のほとん どは別だん動揺することもなかった。ところがそれから一〇年ほどしかたたないうちに、カリフォルニ ア州教育委員会が、創造説の見解も考慮に人れて教科書を書きかえるようにとの決定を下したのだっ た。そして一九七〇年代のうちに、その他多くの州でも、学校での進化の教え方が大きく変更されてし

9. キリンの首 ダーウィンはどこで間違ったか

すべてがそろっていた。⑦ すでに述べたように、この『創世洪水』は創造論者の手になるもののうち最高の部類に人るものであ る。だが、うまく説明がっかない場合には奇跡に頼ってしまうのであるから、その内容をうんぬんして もしよせん仕方がない。サンディエゴでギッシ = に会ってしばらくして、わたしはイングランドの南海 岸にある・フライトンで再びかれと会った。かれはその町で、剛勇なネオ・ダーウイニストとして知られ るサセックス大学のジョン・メイナード・スミスと論争を行うことになっていた。 だがそれは、論争というよりは相いれがたい二つの見解の立場表明にすぎなかった。会場は超満員に ふくれあがっていた。メイナード・スミスは、一五ラウンドのタイトルマッチにのそむ。フロボクサーの ように頭上で手をたたきながら、芝居じみた入場をした。それに対してかれのファン、いや学生たちは、 大歓声を送った。ギッンユは、化石の記録中に移行的種類が欠落していることについて、自信に満ちた 知識あふれる演説を行った。メイナード・スミスは、同様にきつばりとした調子で、自分の知る限り移 行的種類は何百も存在しており、カモノハシなどがその一例だと語った。投票は行われなかったが、大 ・スミスの側についていたことは疑いない。ただし、全般的にイングランドの学生は、 多数がメイナー もはやキリスト教徒とは名ばかりである。「悲劇ですね」と、ギッシュは悲しそうにあとでわたしに語 法廷での戦い 一九七〇年代に合衆国の創造論者の間に高まった自信が、長く尾を引くことは、ほとんど間違いない 150

10. キリンの首 ダーウィンはどこで間違ったか

ところが地球上の生物とその頂点に立つよう定められた人類とにかかわることについては、それらと 0 はまったく異質の判断基準が適用されていたのだった。そこでは神学者が支配権を握っており、『創世 記』の中で語られている神による創造は、その一字一句が真実であるとされていた。そして神学者の多 くは、創造が行われたのは紀元前四〇〇四年一〇月二三日の午前九時だということを依然として信じて いた。この日付は、アイルランド、アーマーの大主教だったジェームズ・アッシャーが一七世紀に割り 出したものである。 「生物学だけが、その姉妹とも言うべき自然の諸科学から仲間はずれになっているのか」と、トマス・ ハックスリーは嘆いた。まさに一九世紀はダーウインを必要としていたのだ。しかし、かれに先だって 道を切り開いた科学者たちがいなかったとしたら、一九世紀が必要としたダーウインは現われていなか ったであろう。 なかでも地質学者の貢献は特に重要だった。ダーウインが英国軍艦ビーグル号で発見の航海に出よう としていたちょうどそのころ、地質学はそれ自体まさに変わらんとしていた。その当時までの地質学の 主流は、キュヴィエなどが唱えていた激変説だった。地質学会会員六〇〇人のほとんどが、地球はでき てからまだ比較的新しく、幾度かの大激変を経たのち、そこに神によって造られた新しい種類の生物が 出現してきた、と考えていた。しかし、一八三〇年にそういう考えに挑戦する著書が出版されたのだっ た。それがチャールズ・ライエルの『地質学原理』である。 ライエルは地質学者の間ではそれほど名を知られてはいなかった。だが三三歳という年ながら、すで に王立学会の会員だった。弁護士として経験をつんでいたライエルは、多くの化石採集家によってそれ