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検索対象: キリンの首 ダーウィンはどこで間違ったか
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1. キリンの首 ダーウィンはどこで間違ったか

細胞の複雑さ だがわれわれは、その情報が最初にどのようにしてそこに組み込まれたのかについてはまったく無知 である。また、次の一〇億年のうちのある時期に最初の単細胞生物 ( すなわち、核を持ち膜におおわれ た細胞 ) がどのようにして生じたのかについても、同じくらいに無知である。それらは細菌から「生 長」したのであって宇宙空間からやってきたのではないとすると、その構造の複雑さの飛躍は、最初の 有機物が出現したのと同じくらい統計的にありそうもないことなのである。ケイフリッジ大学動物学科 のウィリアム・ソー。フ教授は、同僚の科学者にこう語った。 ここ一〇年か一五年間に発表された生命の起源に関するもっともらしい憶測や議論は、あまりにも 単純すぎ、ほとんど何の意味も持たないことがわかってきた、と言っても差し支えないとわたしは思 う。それ以前と変わらず、問題の解決にはほど遠いというのが現実だろう。もっとも単純な細胞の起 源でさえ、きわめて困難な問題をかかえている。もっとも基本的なタイプの細胞でさえ、かって考案 され、人の手によって作られたどんな機械よりも想像もっかないほど複雑な「機構ーを持っているで このような無知の影響は広範囲におよんでいる。創造論者は、自己複製ロポットに設計者が必要なら ば、生物には偉大なる設計者、すなわち神が絶対に存在してきたはずだと確信している。かれらに言わ せると、それ以外に確率の壁を打ち破る道はないのだという ( パネル 8 ) 。 超自然な力など持ち出さない説明を求める生物学者の多くは、困ったあげく、この問題を核心部分か らはずし、隅に追いやってしまった。遺伝暗号はいかにして生じたかという不可解なことを調べるかわ 81 形勢不利

2. キリンの首 ダーウィンはどこで間違ったか

スの、も 0 とも有名な本と同じ題名なのである。その本は、同じころに公表されたおびただしい数の散 文詩と韻文詩の一部からなるもので、その中でラズ「スは、進化についてのかれの考えを提出している。 かれはまた当時随一の開業医であり ( 非常に成功していたので、国王ジ , ージ三世の宮廷医になるよ うにとの誘いもあ 0 たがことわ 0 た ) 、同時に詩人でもあり、哲学者でもあ 0 た。そして、生物はすべ て共通の祖先に由来するという考えを、信頼できる証拠と共に提出したのもかれが最初だ「た。ライ = ハットンと同じく、エラズマスも イえ ルの先駟者ジェームズ・ ウ考 地球の年齢はきわめて古いのではないかと推察し、「数百 万年」はたっているだろうとした。『ズーノミア』は出版後 の て まもなくフランスドイツ踝ロシアイタリア語に マ も翻訳され、かれの名はヨーロッパ中に知れわたった。ま エレ凵こ こほば同時に、ニ = ーヨークでも海賊版が出まわった。 討 : 且たて 振り返「てみて初めてわかることだが、ラズマス・ダ 物。帳ノさり ーウインのこの一見とっぴな著作は ( なにしろ詩で科学を産 イ出ど の ウ提先語「ているのである ) のちの時代に提出された進化につい ン ダ代べ ての重要な考えをほとんどすべて先どりしていたようだ。 ウ ・時す ズのど かれは、植物に見られるように動物も互いに竸合しており、ダ ルちん 一のとそれによ「て変化が引き起こされる、と考えていた。また、 ャ 親の病気は子供に伝わり、そのために変化が生じることも チンを

3. キリンの首 ダーウィンはどこで間違ったか

飛躍はそんなふうには起こってこなかった、とスティールは言いたいようだ。かれが唱えるネオ・ラマ ルキズム流の変化は、環境ががらっと変わった時に働き出す。つまり、環境変化によって生物個体に加 えられる刺激が、かれの実験の場合のように「強力で持続する」時に働き出すのである。 ターウイニズムにとっては死んだも同然の説に命を吹き込んでしまってい それとなくスティーレよ、・ る。その説とは、とうの昔に研究の場から追放されたはずの「激変説」である。ダーウイニズムは、土 地の浸食や大陸移動といった、きわめてゆっくりと進行する過程を重視する ( 斉一説 ) が、激変説は地 いんせき 球が過去に経験してきた大変動ーー洪水、疫病、地震、宇宙からの隕石の落下などーーを重視する。で は、その正当性はどうなのだろうか。 激変説と斉一説 激変説は、一九世紀に創造説が信用を失ったのとほば同じ時期に、しかもほとんど同じ理由から信用 を失った。教会と科学界との間でかわされた論争で、激変説は創造説と同一視されてしまったのである。 当時の一般大衆にとって激変説と言えば、単にノアの洪水という、地上の様相を一変させた一回きりの 大天変地異を信じることにほかならなかったのだ。だが、当時の科学的創造論者、キュヴィエ、ルイ・ アガシーらが唱えていた激変説とは、そのようなものではなかった。しゅう曲と隆起によってねじ曲げ られた地層や、過去に絶滅が起こった証拠を調べることによって、かれらは、天変地異は何度も地球を 襲ったと考えていた。 それらの研究者の中で、ノアの洪水をまじめに信じていた者は誰一人いなかったし、超自然的なカ 188

4. キリンの首 ダーウィンはどこで間違ったか

この革命的な考え ( それは少なくともダーウインが教会側にしかけた挑戦と同じくらい痛烈なもので ある ) の概説にとりかかる前に、あらかじめ一言ことわ「ておいた方がよいだろう。この進化像なる考 えは、おもにイリヤ・。フリゴジーヌとかれの学派の仕事から出てきたものである。。フリゴジーヌはブリ 二一口 ッセル自由大学の化学と理論物理学の教授で、一九七七年にはノーベル賞を受賞している。トムの諭 文と同じくかれの論文も専門家をも悩ませるような難解な数式で埋めつくされていて、しろうとにはま 0 たく理解のおよばないものである。したが 0 てそれを数式を使わずに説明しようとすると、単純化し 過ぎることは避けがたいうえに、かれが下した結論が同僚たち全員に与えた驚きと満足感を十分に伝え られないおそれがある。 そのうえまだ時機尚早であるために、この進化像は思弁的なものである。たとえば量子力学などと違 ってその道の権威がいるわけでもなく、果てしない論争を巻き起こしているさ中なのである。少なくと も現段階では通常の科学的方法では検証可能であるとは一『〕えないかもしれない。わたしは友人の = ドワ ( ラノフスキーに、『フィジクス・トウデイ』誌にの「た。フリゴジーヌの代表的な論文は、科学 ラノフスキーは、ロンドン 哲学者。 ( 1 が言う意味での反証可能性を有するかどうかたずねてみた。 ' ( 性 大学イイ〈リアル・カレッジから固体物理学の研究で博士号を得た、何事にもき然たる態度を崩さない 物理学者である。 の ( ラノフスキーは何年にもわた 0 て。フリゴジーヌの仕事に目を通してきているのだが、わたしの質問物 にはノーと答えた。かれがあげたその第一の理由は、一連の論文は決して証明できない一群の前提に基 づいているということである。第二の理由は、あまりにも多くの変数が数式に組み込まれているために

5. キリンの首 ダーウィンはどこで間違ったか

までの四〇年間になされていた野外調査の成果に、法律家の明せきな論理を持ち込んだ。最終的に全部 で三巻になったその著書にそえられた副題が、その本のテーマをはっきりと表明している。それは「地 球上にかって起きた変化を現在も進行している変化の原因をもとに説明するための一つの試み」という ものであった。 とライエルは固く信じていた。物 過去に起こった出来事に対して神の力などを持ち出す必要はない、 理学者、化学者、数学者らがそれぞれの分野で、自然界を支配している自然の法則を明らかにしている のと同様に、自分たち地質学者も地球の形成に対して同じことができるはずだ、とかれは考えた。そし て十分な時間さえあれば、浸食という漸次的な過程と時折の火山活動によ 0 て、現在の地球環境の形状 を十分に説明することができるのではないか、という考えにいきついた。 こうして斉一説が誕生した。ようするにこの説の意味するところは、自然の力は今も昔も同じであり、 したがってその影響力を測定することは可能だということである。「現在は過去を知る鍵」とライエル は書いている。ライエルの見解が勝ちをおさめ、新たなる正統として受け入れられるようになった劇的 瞬間というものが、特にあったとは思われない。むしろライエルの著作が次々に出版される中で、ライ産 エルの見解の方が理にかなっているという議論が当時の地質学者の間に次第に浸透していった、という 'G ことなのである。 ウ とにかく『地質学原理』出版から一〇年もたたないうちに、ノアの洪水の日付は科学論争の場から姿 を消してしまった。こうした動きの中で若きダーウインは、ライエルからきわめて重要な贈り物をもら 0 たことになる。それは、地球そのものの変化と同じく地球上の生物がごくわずかずつ徐々に進化して

6. キリンの首 ダーウィンはどこで間違ったか

もできる。ダーウインの理論は、このような小規模な変化を説明するのには非常に都合がよい。 しかし、もっと大規模な、進化らしい進化にその理論が当てはまるかどうかは明らかではない。確か なことはわからないのだが、われわれは、ダーウインの考えをそのまま当てはめて、数百万年にもわた ってそうした小さな変異が徐々に積み重なってクラゲやキリンのような生物が進化してきたに違いない と推論しているのである。 化石の記録 しかし、この推論ははたして正しいのだろうか。 ちょっと考えてみた限りでは、何が正しいかを立証することはそれほど難しいことではないように思 われる。単に化石の記録を調べ、おそろしく長い期間の中で生物がどのように進化したかを示す証拠を 探せばよいのである。これによって、まさに考古学と同じように、太古の歴史の足跡を調べることがで 1 パズルを完成させていくことがで き、現代にまで続く、長らく忘れ去られてきた奇妙な時代のジグソ きるのだ。 ダーウインは、かれ以前および以後のあらゆる進化論者と同じく、何度も化石の記録に立ち戻って、 自説を支持する証拠を探し求めた。当然のことながらかれは、今日見られるキリンやクラゲなどへと向 かう数多くの中間段階の生物を含む「きわめて徐々に移り変わる生物の連鎖」を見つけることを期待し ていた。 化石化した貝穀がどうして山の頂上にあったり、ドー ー地方のホワイトクリフ ( 白崖 ) のように高

7. キリンの首 ダーウィンはどこで間違ったか

方式で適当な数に分裂しないのか。 また、ネオ・ダーウイニズムにとってやっかいではあるがふれないわけこよ、、 。。し力ない別の問題がある。 「相同器官」についての問題である。相同器官とは、何百万世代もの間突然変異の影響を受けてきたに もかかわらず、問題となるグルー。フ全体にわたって基本構造が変化していない器官のことである。その 中には、爬虫類のあごや哺乳類の内耳のように専門の形態学者でなければそれとわからないものもある が、昆虫の体節構造や脊椎動物の四肢のようにだれにでもすぐにわかるものもある。 最後にあげた脊椎動物の四肢の例は、同じ構造が動物の種類によって異なる機能をはたす例として、 昔から教科書によく取りあげられてきた。ウマのあし、鳥のつばさ、人間の腕、クジラのひれなどは、 その働きと外見はまったく異なっているのに、なぜ基本構造は同じなのだろうか。もし突然変異が徐々 に蓄積し、それによってもっとも適応したものが選びぬかれてきたのであれば、飛翔のための器官と走 るための器官とでは、構造がまったく異なっていてもよさそうなものである。それらがどれも同じよう な遺伝子構成のもとにあるためにそうなっているとは思えない。遺伝子は異なるのだが形態形成にかか わる共通の基本法則に従っているために、同じ基本構造が実現しているのではなかろうか ( 。ハネル ) 。 やっかいな問題がもう一つある。それは、異なる地域にすむ異なる動物グルー。フの間で見られる進化 の平行現象、すなわち「平行進化」という問題である。この現象のもっとも顕著な例は、有袋類 ( 子供 たいばん を育てるための袋を持っ哺乳類 ) と胎盤類 ( われわれ人間も含む大部分の哺乳類 ) との間で見られる。 これらの共通の祖先は、恐竜が地球を支配していた白亜紀の時代に生息していたトガリネズミに似た 小さな動物だった。この動物は、大陸移動によってその一部が約一億五千万年前に、現在のオーストラ ゅうたい 216

8. キリンの首 ダーウィンはどこで間違ったか

リアとその周辺地域に隔離されてしまった。そしてそこで進化のきまぐれにより、新生児を母親のお腹 にある袋の中で育てるという育児法をとる動物、有袋類に進化した。 奇妙なのは、その育児法は別にして、オーストラリアで進化したこの有袋類とそれ以外の地域で進化 ミ、不コリ ス、アリクイ、モグラ、ネズミ した胎盤類とが驚くほどよく似ていることである。オオカ など、いろいろな胎盤類にそっくりな有袋類がそれぞれ存在するのである。何百万年にもわたって何の 交流もなく、それそれまったくべつべ カ つの環境の中で生きてきたにもかかわ オ オる らずである。ダーウイニストは、たと アあ でえばシベリアのオオカミとオーストラ シ同 リア南岸沖タスマニアのフクロオオカ ミとの間のうすきみ悪いほどの類似の たと しほ 一部は、共通の祖先に由来するものだ カ・イ。 オ進骨 と語ることで片付けようとする。また オに ~ ロ 々の ク 残りの部分は、両者が同じような環境性 フロ刀ミ でカ に適応し、同じ生態的地位を占めるこ規 側オ 対オ とになった結果のせいだと説明する。物 反ロ のク 球フ「フクロオオカミもふつうのオオカミ 地と も、同じような大きさと習性を持っ獲 シベリアオオカミ、

9. キリンの首 ダーウィンはどこで間違ったか

って生き続けているのである。その伝達方法もみな同じで、から伝令を経て、生物の化学 的基礎をなすタン。ハク質へと、とどまることなく一方通行で流れている。 そのほかにも、生物には多くの生化学的な共通性がある。すべてのタンパク質は、割合は異なるが同 じ二〇種類のアミノ酸でつくりあげられている。全生物の体を構成しているのは、ほば同じ大きさの細 胞である。細包は、・ とれもほば同じ方法で分裂し、自身を再生させている。四種類のスクレオチド ( 塩 基と糖とリン酸が結合したもの ) が連鎖してできているのらせん構造もまた、すべての生物に共 通である。 これらの共有された特性は、結局すべての生物は共通の祖先に由来するということを、事実上すべて の生物学者に確認させる。「十中八九、生命の発生は一回きりだった」とセオドシウス・ドブジャンス キーは一九六三年にそう語った。①もしそうだったとすると、生命はいかにして生じたかという謎は、 決して解けないものであるかもしれない。ただ一回きりの出来事は、科学的に納得のいくかたちで調べ ることができない。もし仮に、あることが一回しか起こらなかったとしたら、それが起きた状況をわれ われが忠実に再現しているということなど、われわれにはとうてい確かめようがない。 しかしながら、遣伝子の働きは、現代の進化論のかなめとなっている。また、生命のしくみの中で遺 伝子が果たす役割は、ともかく重大なものである。したがって、ここでしばらく、かって起こったと思 われることがらに考えをめぐらしておくことは、今後話を進めるうえでもためになるに違いない。

10. キリンの首 ダーウィンはどこで間違ったか

の、また同じ地層から見つかった別の骨片は二〇万年よりも以前のものであることが確かめられた。こうして、 ジャワ原人の化石は学界に受け入れられるようになり人類の祖先の一つであると認められるにいたったのである。 けれども、ジャワ原人、直立人類どちらについても、なお多くの問題がある。化石が見つかったジャワの地層 は、正確な年代を決定したり、他の地層と同じ時期のものかどうかを判断したりするのがきわめて難しい地層で ある。それは多年にわたる火山活動のせいなのだ。つい最近も一九〇九年に大変動が起きている。噴火に引き続 いて大雨が降り、大洪水が島を襲ったのである。そのため村はすべておし流され、灰と泥の下に埋まり、五〇〇 人以上の人が命を落とした。こうした地域的大異変がしばしば起きてきたため、デュボアが発掘したトリニルの 地層とそこから六五キロほど離れたフォン・ケーニッヒスヴァルトの発掘地点の地層とが、同じ地質年代に属す るものかどうかを判断するのは容易なことではないのである。フォン・ケーニッヒスヴァルトの頭蓋骨片の多く は、二〇〇万年前の地層といっていいほどの深さから出たものなのである。 ジョン・スコーフ。スの裁判で披露 された北京原人「ネリー」が完成 するまでの 3 段階。まず最初に 選り分けられた骨片をつなぎ合わ せて頭蓋を組み立てる ( 上 ) 。次に それ以外の化石を全然使わずに , 頭骨全体をつくりあげる ( 中 ) 。最 後に , 北京在住の女流彫刻家が , 人間に近い顔に見えるように , 頭 骨に肉付けした。 260