クリエイショニスト 起こったという証拠はなく ( 移行的な化石がない ) 、この問題も創造論者たちの攻撃のかっこうの的に なっている ( 。ハネルⅡ ) 。 現在のわれわれ人間、およびそのほかの哺乳類の耳の構造は、想像以上に複雑である。多くの生物学 書には、その機構、特に音の高低を聞きとるしくみについてはほとんどわかっていないと書いてある。 複雑すぎて理解できないのである。内耳の中にある直径三ミリメートルの渦状をしたコルチ器官は、音 の高低と方向を聞きとるうえで決定的な役割を果たしているとみられているが、このコルチ器官だけで も、約二万本の桿状体と三万本以上の神経終末を含んでいるのだ。しかもこの複雑さの中に、やはり奇 妙な。ハラドックスがひそんでいる ( パネル ) 。生存しているものも絶滅したものも含めて、爬虫類に はわれわれ以上に複雑な耳を持つものはいないのだが、だからといって、われわれの方が爬虫類よりも 耳がいいかどうか定かではないのである。であれば、この複雑な哺乳類の耳が自然選択されてきた特別 な利点とよ、、 ( しったい何だったのだろうか。 ヘビがあしのある爬虫類から進化したことを疑う動物学者はいない。四つあしからあしなしの爬虫類 への移行は、異なる種類で何度か独立に起きたと言われている。一部のヘビ ニシキヘビやボア ようたい では、今でも体の中に腰帯のなごりがあり、かってはあしが生えていたとおばしきあたりに、いば状ま たは爪状の突起が残っている。ここで問題となるのは、偶然生じる突然変異を積み重ねることで、ヘビ はどのようにしてその明らかに非爬虫類的な独特の移動方法を発達させることができたのか、というこ 110
バネル 3 始祖鳥は中間生物か ダーウインとかかれの理論にとって幸連なことに、『種の起源』を出版して二年もたたない一八六〇年に、ド ィッの・ハヴァリア地方の石灰岩中から始祖鳥 ( アルケオ。フテリクス ) の化石が発見された。このとき発見された のは一枚の羽毛の化石だけで、始祖鳥という名は、この羽毛の化石だけに基づいてつけられた。一年後には、近 くの石切場からほば完全な骨格化石が発見された。この化石には、広げた前肢の間に羽毛の跡がはっきりと印さ れていた。 当時も今も変わらず重要なのは、始祖鳥が恐竜の化石と同じ地層に現われたことと、一見したところ爬虫類に も鳥類にも見えることである。これは、当時提案されたばかりの「ある動物グルー。フは中間的な種類を経て他の 動物グルー。フに発展する」というダーウインの主張にまさに時を合わせた確認であった。生物学者は一般に、始 祖鳥はダーウイン流の進化論の確固たる証拠であるとみなしている。爬虫類と鳥類両方の特徴を備えた動物が現 に存在していたことを「いかなる疑問の余地もなく証明する」とも言われ、「今日でもこれにまさる中間生物の 例はない」とも言われている。けれども、この始祖鳥の例は、これらの主張どおりに明々白々なものなのだろう か。そうでもないようだ。爬虫類の特徴とされるものはどれもみな、さまざまな種類の真の鳥で見ることができ る。 一、始祖鳥の尾には羽が生えていたが、そこには、爬虫類のように長い骨がとおっていた。 爬虫類には骨のある尾があり、鳥類にはなさそうだというのは一般的には正しいのだが、詳しく調べると話は それほど単純ではない。発生初期には、現生の鳥の中にも始祖鳥よりも多くの尾椎をもつものがいる。だがそれ らの骨は、その後ゅ合して尾端骨と呼ばれる直立した骨になってしまうのである。また、現生のハクチョウ類の
上あご クジラひげ 下あご , 州舌 ヒゲクジラのロの断面図。クジラは , 恐竜が死滅したのち急速に進化した。 爬虫類 爬虫類から鳥類への移行では解剖 学上大きな変化が起こっているが , 移行段階にある化石はまったくな 鳥類 不思議な器官や生物 119
パネレあごと耳に関する難間 徐々に変化が起こ「て哺乳類の耳ができあがるまでに起こ「たと予想される過程は、人間の眼の場合と同じよ うに、進化そのものを否定しようとする者たちのか 0 こうの標的である。以下にかかげる一文は、ロンドン動物 こ手を貸したダ 学会の会員で、ダーウイン理論の魔法から解かれ、イギリスの進化論排斥運動の創設。 グラス・デーオの手になるものである。かれは一九五七年にこの世を去るまでの一〇年間、その運動体の会長 を務めた。この一文でかれは、爬虫類から哺乳類〈のあごの移行に関する一見も 0 ともらしい科学的説明を平易 なことばに「翻訳」している。その科学的説明のもとの方を書いたのは、南アフリカの哺乳類様爬虫類の化石の 権威である・プルームである。デ、ーオによるこの考査は、一九六五年にの小冊子の一部として発行さ れた。 一部の爬虫類は、もとからあ「た下顎骨のちょうつがいを捨て去り、頭蓋骨のほかの部分に新たなものを取 り付けた。その後、下顎骨の左右のそれそれ五つの小骨が大きな骨からはずれた。ちょうつがいがもともとっ いていた部分の骨は、開放された後に耳の中央部へと押し込まれ、そのさい三つの小顎骨を引きず 0 てい「た。 こうしてそれらは、方形骨と爬虫類の中耳骨といっしょになって完全に新しい器官一式を形成した。これらす べてのことが進行する一方で、哺乳類に特有でその聴覚器のかなめであるコルチ器官が中耳の中に発達した。 ・フルームは、この器官がいかにして生じたかについて何もふれていないばかりか、それが徐々に発達したとい う様子についても述べていない。またこうした段階にある初期の哺乳類が、あごのちょうつがいがつけなおさ れるまでの間いかにして食べていたかについても、中耳と内耳が再構成されるまでの間いかにして音を聞いて もたかについても、何も語っていない。⑩ 108
四、陸上生活もする両生類 五、爬虫類 ( 恐竜を含む ) 六、鳥類と哺乳類 化石の記録は、このような生物の系列をただちに示してくれる。そしてダーウインは、この化石の記 録がそれ以上のことを語ってくれるのではないかと期待したのだった。かれは、これらの進化系列はっ ながっていると信じていたし、かれ以後の学者もそう信じ続けてきた。つまり、魚類が両生類に、両生 類が爬虫類に、爬虫類が鳥類にかわったのである。 さらにダーウインは、この過程は少しずつ進行したのだと確信していた。一世代ごとのわずかな「進 歩」が、徐々に新しい種の出現を導いたのだ。ダーウインはこの見解を、友人たちの警告があったにも クスリーなどは、『種の起源』が出版されたその日に、ダーウインあ かかわらず固持した。たとえばハッ てに注意をうながす手紙を書いた。 / 、 クスリーが一一一口うには、ダーウインは、 Natura non facit saltum ( 自然は飛躍しない ) というラテン語のきまり文句に要約される、ゆっくりと休まずに進行する進化と クス いう考えに固執する危険を犯していた。「君はいらぬやっかいをしよい込んでしまった」と、 リーは警告した。 しかし、ダーウインはがんこだった。そして、 ックスリーの警告にもかかわらず、今日ほとんどの グラジュアリズム 博物館や教科書は、自然淘汰と同様に漸進主義を無批判に受け人れている。確かに、この二つは分ける 禺然生じる小さな累積的変化に自然淘汰が作用して起こる、というのがネオ・ ことができない。進化はイ . ダーウイニズムの試金石なのである。
と報じた。始祖鳥は、恐竜などの名が付せられるような動物だったわけではなく、大昔の奇妙な種類 の鳥だったのかもしれない。 確率上の問題 このように何千もあると言われる中間生物は、もっともよく知られた例やもっともよく引用される例 も含めて、われわれの理解を深めてくれるものでもなければ、化石の欠落を埋めるものでもない。われ われに残されたもう一つの考えは、もう少し巧妙な確率論議である。それは、ダーウインが考えたこと とも、われわれがかねがね教えられてきたこととも大きく違う。しかし、これが今までに提案されたも のとしてはもっとも説得力のある説明である。それは、次のように要約できる。 脊椎動物の中に中間的な種類を探して、それが見つからないからといって不平をこばすのはまちがっ ている。なぜなら、脊椎動物の化石記録というのは、そもそも非常に不完全にしか得られないからであ る。高等動物の化石が形成されたり発見されたりするのを妨げる偶然の出来事は、いくらでもあるだろ う。たとえば、かれらが化石化するのにちょうどよい量の石灰のある場所で死ぬかどうかは、まったく の偶然の問題である。地層はしゅう曲もするし、浸食もされる。その結果、化石は不規則にしか顔を出 石 さない。また多くの化石は、われわれの目の届かない世界中の海洋の底に横たわっている。しかも、動 さんじようき 物の軟らかな部分は保存されにくい。三畳紀という爬虫類から哺乳類への移行期の地層からは、爬虫類わ なのか哺乳類なのかまぎらわしいいろいろな「哺乳類型爬虫類」の化石が出る。が、これらのうちのど れが哺乳類になったものなのかを確信をもって言うことは難しい。なぜなら、毛、温血、授乳、胎生な
尾骨とそこにつく羽毛の配列は、始祖鳥に驚くほどよく似ている。ある専門家によれば、古代の鳥の尾と現代の 鳥の尾との間に本質的な違いはないという。「違いは、始祖鳥の尾椎の一つ一つが長いということだけだ。これ は始祖鳥を爬虫類的と考える材料にはならない。」 一「始祖鳥の羽毛が生えた前肢には爪があった。 だが、現代の鳥にもそういうのはいる。南アメリカのツメ・ハケイやアフリカのエボシドリ類がそうだ。ダチョ 始祖鳥の復元図。尾 ( 右下図 ) は爬虫類的な特徴を備えて いるが , 現生のハクチョウ類の尾骨とそこにつく羽毛の配 列ともよく似ている。 41 失われた化石
た。「明らかにわれわれは、始祖鳥が生息していた時代よりもはるかに早い時代に、飛べる鳥の祖先を探さねば ならないことになった。」 この発見によって、始祖鳥が中間生物であるという可能性はおおいに弱まり、かれらは単にその当時生息して リベルトニルソン教授は、語気を強め いた多くの奇妙な鳥の一種にすぎないという可能性が強まってきた。へ てこう語った。「翼をひれがわりにしている現在のペンギンが魚への移行的種類ではないのと同様に、始祖鳥も 爬虫類と鳥類の間の中間生物ではない。」 それに、たとえ始祖鳥が実際に爬虫類から鳥類へと変わる途中のものであるとしても、それによって進化の過 ターウインが望んだ漸進的な進化過程についての証拠は、それでもなお 程が一挙に明らかになるわけではない。・ かっ欠如しているのである。うろこのようなものから羽毛が徐々にできていく様相や、地上を歩く恐童から空中 を滑空できる軽い骨を持っ鳥が徐々に進化してくる様相は、化石記録の中にいまだに見いだされてないのだ。 43 失われた化石
教育委員会が認可した改訂のうちで典型的なものをいくつかあげておく。わたしにはどれも改善されて いるようにみえる。 改訂前 進化は生物科学の中心的な説明仮説である。 進化を学ばずに生物学の課程を終えた学生は、 適切あるいは公正な教育を受けたとは言えな 子孫である現代の動物は : いかにして知るか。 ゆっくりと、数百万年以上かかって恐竜は死 滅した。 飛ぶことのできる爬虫類が空中に進出したす ぐあとに、最初の鳥類が出現した。 植物が陸上に進出し、そこを征服した。 改訂後 進化は生物科学の中心的な説明仮説である。 したがって、学生はその前提と基本概念をあ る程度知っておく必要がある。 直接の子孫であると思われる現代の動物は 鳥類は、空を飛ぶ爬虫類のすぐあとの化石記 録に現われる。 植物が陸上に出現した。 いかなることをもとにそう結論されたのか。 ゆっくりと、恐竜は死滅した。 162
クジラが進化するにあたっては、次のような諸特徴が発達してくる必要があった。まず眼は、海中を 通過した光線がうまく網膜に像を結ぶように改良され、体表面は水の抵抗を少なくすることができるよ うに皮がなめらかになった。汗腺は退化しそのかわりに体温を調節するためのぶ厚い脂肪層がよく発達 し、聴覚器もすばらしくよく発達した。また、子供がおばれないようにしながら雌が水中で授乳する方 法も進化した。それに、ヒゲクジラ類には、ロ蓋から歯のかわりにカ 1 テンのように垂れ下がる板状の 列状突起が発達した。これは、かれらの食物である小さな甲殻類を濾しとるための装置としては完璧な ものである ( パネル ) 。 これらすべてのものが、せいぜい五百万年から一千万年ぐらいのうちに進化しなければならなかった のである。この年数は、最初に直立歩行したサルからわれわれ人間までの、それほどどうということも ない進化にかかった年数とほぼ同じである。 哺乳類の耳 これについては、二つの問題がある。初めはどうであったのかということと、その高度なまでの複雑物 や 化の二つである。 器 最初の章で述べたように、爬虫類と哺乳類のおもな違いの一つは、前者が一つの耳小骨 ( あぶみ骨 ) 議 と少なくとも四つの顎骨を持っているのに対し、哺乳類は耳小骨は二つよけいに持っているのに顎骨は思 一つだけということだ。そこで、その進化を説明するにあたっては、爬虫類の顎骨のうちのいくつかが 中耳に埋め込まれ、最終的につち骨ときぬた骨に変わったと仮定される。だが、実際にそういうことが こ