ソスト・ 数 ) マイヤーは、中間化石がさらに見つかりにくいことになる進 化のパターンを提案した。かれはそれを、「異所的種分化」と呼んだ。 類に ししその意味は、新しい種は文字どおり「異なった場所」で形成されると 種ンりしな な いうことである。かれの考えによれば、動物や植物の集団のごく一部 的つな多 少 一信ンガ が、新しくできた山地とかその他何らかの地質学的、気象学的出来事 により隔離されてしまうことがある。次の章で扱うさまざまな遺伝学 的理由により、そのような状況下では進化は急速に進み、自然淘汰も 種 強く働き、やがて新しくてより優勢な種が生じてくることになる。こ 種 うして誕生した新しい種は、その後分布を拡大し、以前の分布域にま で広がっていくだろう。当然のことながら、この小集団が分布の周辺 部で種分化を起こしている途中の化石を発見する確率は、きわめて小 さい。普通発見されるのは、分布を拡大したあとのすでに完成された 種 リ新種の化石だけである。こうして、化石の記録には欠落が生じること 種 になる。 分種 しかし、このわかりやすくてもっともらしい説明は、われわれの理 解をどこまで深めるのだろうか。その最大の弱点は、もともとの起源わ 種 についてはほとんど何も語らずに、単に変化や変異だけを問題にして 種 いるという点である ( これはダーウインにしても同じだった。かれの 属 属属属 綱
となると理論的には、こうした着実な前進は化石の記録にも現われるはずである。仮に十分な数の化 石が見つかり、ダ ] ウインの理論が正しいとしたら、われわれは、岩石中に含まれているはずのものを 予測することができる。すなわち、あるグループからより高次の複雑な体制をもっグルー。フまで、徐々 に移り変わる化石をすべて見ることができるはずである。世代ごとに生じる小規模な「改良」または「前 進」も、種それ自体の進化と同様保存されているに違いない。 ところが、実際はそうではない。むしろ現実はその逆なのである。「無数の移行的な生物が存在して いたはずであり、ものすごい数が地殼中に埋もれているはすなのに、それらはなぜ見つからないのか」 と、ダ 1 ウイン自身も嘆いている。 化石の欠落 この疑問に対する当時のダーウインの答は、化石の記録が「きわめて不完全」だからというものだっ た。今後、地質学の調査が進展していけば、種と種の間を埋める移行的な化石が多数見つかり、自分の 理論も確証され疑いも解けるだろうと、ダ ] ウインはみずからを慰めた。 かれは、化石が不完全であることに関しては正しかった。世界中の博物館に保管されている動植物の 化石は、二十五万種である。これに対して、今日、地球上に存在している種の数は、わかっているだけ でもおよそ百五十万種である。絶滅と新種形成によって種が人れかわる速度をもとにして計算すると、 すでに発見された種数の少なくとも百倍の化石種がかっては存在していたと推定される。①明らかに地 球は、われわれの知らない数多くの生物を目にしてきたわけである。その中には、移行的な生物も含ま 19 失われた化石
から新しい原人が次々に出てきたことを示すやり方である。分岐分類学者たちは、そんなことはわかろ うはずがないと考えている。「われわれが問題にしている種の中で、どれかほかの種の祖先にあたるよ 、というのが当博物館の前提です。これはかなり無難な前提です。なぜなら、生 うなものは一つもない 物の歴史が始まって以来非常に多くの生物の種が生まれそして死んでいったため、どの種をとってもそ の祖先種を見つけ出すことなどまずできないからです。」 これはもう論争というよりはむしろ挑戦である。ダーウィ = ストの前提はこれとは逆だからである。 つまり、偶然に生じる突然変異が徐々に累積して現代の人類が誕生したのであり、したがってわれわれ 人類は、これまでに発見された中間段階の原人のどれか一つから由来しているはずだ、と考えるのであ る。このような博物館の姿勢に対して、イギリスのレディング大学で動物学と地質学を教えているビヴ ・ホールステッドは、伝統主義者を代表して『ネイチャー』誌に次のような異論を発表した。 恐童と化石人類の両者に対する分岐分類学の適用がまったく妥当性を欠くことは明らかである。 祖先集団が連続している代表例である人類化石の、十分に検証済みの系統系列は、最近の大英自殊 史博物館の扱い以前には、単一の遺伝子給源内での漸進的進化の古典的な例とみなされてきた。 ホモ・エレクトウスがホモ・サ。ヒエンスの直接の祖先であることには、深刻な疑問などいっさい存 在しない。 だれの心にもわき起こるはずの疑問は、では分岐分類学者はいったい何を考え、どうしようとし ているのか、ということである。その答は、分岐分類学者が書いた本や論文を読めば知ることがで きる。そこに書かれてある・マイヤー、・・シン。フソン、はてはチャールズ・ダーウインに
と一人で事実を集積して理論を組み立てる以上の幸福感がある」ことを早く自分に教えて欲しい、とい うものだった。 ターウインはエンマに対してもほかのだれに対しても、生物学が必要としてい ここまでの段階では、・ る突破口を開けそうだなどとは言っていない。おそらくかれ自身もまだ、そのことに気づいていなかっ たのだろう。 ところで、イギリスに帰国してから家族のもとにほんのしばらく滞在した後に、ダーウインが最初に 行った仕事は、かれが採集してきた岩石標本の整理と『ビーグル号航海記』出版の準備だった。その年 の冬はケン・フリッジでその仕事をして過ごし、その後一八三七年春にロンドンの中心部のグレート・マ ールポロー街にある下宿屋に移りすんだ。結婚するまでの二年間、かれはそこでかれの一生のうちでも っとも実り豊かな年月を過ごした。 最初のころは、航海の途中に立ち寄った先で目にした動植物の種類の豊富さに、頭を悩まし続けた。 当時かれはまだ、それらはみな神によって創造されたというキリスト教の教えを信じていた。だが『ビ ーグル号航海記』を執筆しているうちに、そのような信念とはそぐわないやっかいな疑問がかれの心を産 とらえて放さないようになった。種間の境目がどうにも不明瞭な種がいるのはなぜなのか。無用の長物 'G としか思えない器官を持ったまま創造された生物がいるのはなぜなのか。ある種が絶滅したのに、それ ウ に近い別の種が生き残っているのはなぜなのか。
ケリー・ セグレイヴズは ( 空間を節約するために神は赤ん坊の恐竜をおっかわしになったというかれの案につ いては本文を参照 ) 、違った角度からこの問題を検討し、わずか一万七千五百種だけでよかったと語っている。 かれは自信たつぶりに計算を進めている。 一万七千五百という数字には少々問題があります。生物学を何年か勉強したことがおありならあなたにも おわかりのことと思うが、子孫を残すためには雄と雌が一匹ずつ必要です。しかもそれは同じ種に属するも のでなければなりません。したがって一万七千五百匹の雄とそれそれそれと同じ種の雌が一万七千五百匹、 合計三万五千匹の動物を箱舟にのせる必要があるわけです。それらの動物の大きさの平均は、だいたいヒッ ジぐらいです。ちょっと待ってくれ、とあなたはおっしやるかもしれません。自分は動物園でゾウやキリン にサイ、カ・ハといった動物を見たことがあるが、それらはどれもヒッジよりずっと大きかった、と。確かに ハッカネズミ、プレーリードッグといった動物もいる それはそうです。しかし幸いなことに、ドブネズミ、 のです。それらはどれも、ヒッジよりはるかに小さい動物です。三万五千頭のヒッジならば、それ用に特別 に設計された有蓋貨車一四六両にのせることができます。 昆虫も数のうちに入れなければなりません。ここで再びマイヤーの数字を見ると昆虫は八五万種です。そ / 工の雄と雌を一匹 れそれの種ごとに雄と雌が一匹ずつ必要です。ただしここでも幸いなことに、ツェッ工く ずつ積んだかどうかなど、いちいちノアが確かめる必要はありませんでした。なぜなら神は、あらゆる動物 を間違いなくノアにおっかわしになったからです。さて、各昆虫ごとに五センチメートルほど飛べるくらい の空間を与えることにし、特にシロアリは中央に積むよう注意すると、八五万つがい、つまり一七〇万匹の対 昆虫は、二一両の貨車にのせることができます。獣などのために一四六両が必要で、昆虫のためには二一両、創 全部で一六七両の貨車が必要ということになります。 一キュビット尺を最低でも四五センチメートルと見積もると、箱舟には五二二両の貨車をのせるだけの大
なギャップを埋めるべく増殖したものにすぎないのである。 結局オオシモフリエダンヤクは、その種、ビストン・べチ = ラリアの域を少しも出てはいない。今で はマンチ = スター周辺で煤煙規制が行なわれ、大気がきれいになってきており、それに伴ってもとの明 色のガが再び増えつつある。すなわち、明色型と暗色型の割合以外、このガは何も変わっていないので ある。 人為的進化 では次に、第二の事例、選抜育種についてはどうか。ダーウインは、これを数多く扱った。『種の起 源』の鋭い洞察の一つは、育種家がより優良でより大形のブタ、ウマ、ウシなどを作り出すのと同じ方 法で、自然界も「改良」を行うのではないかと認めた点であった。ダ 1 ウインは、その最初の章全体を この問題についやし、そのあとの章でも何度もそれにふれている。 ダーウインの時代以後も、育種ではたいへん大きな成果があげられてきた。穀類、野菜、果物など、 ここ一世紀ほどの間に改良されなかった栽培植物や家畜というのはまずないだろう。しかしながら進化 に関する限り、達成されることにはっきりとした限界があることは、今や明々白々である。種のわく内 約 制 や小麦類といった近縁種のグルー。フ内では、交配と選抜によってかなりの品種改良を行うことができ の る。しかし、そうした場合でも、小麦はあくまでも小麦のままであって、グレ 1 。フフルーツなどにはな然 らなし 、。一八〇〇年から一八七八年までの間に、ビート ( てんさい ) の糖含有量は六 % から十七 % にま で上がった。しかしその後は、約半世紀にわたる品種改良の努力もむなしく、それ以上の向上はなかっ
ということである。これは単純明解ではあるが、無意味な言明である。これでは単なる同語反復であり、 ダーウインの支持者たちも認めているように、種がいかにして起源するかについては何も語っていない。 マイヤーはこう書いている。「ダーウインは、自分の著書の題名が指摘した問題を解くことができなか 門題について った。時間が経過する中で種が変化することについては説明したが、種の数が増えていく〕 は、ほとんどまともに取り組もうとしなかった。シン。フソンは一九六〇年に、「「種の起源』という本 は、実は題名どおりの本ではない」 g と書いている。 ネオ・ダーウイニストの言う「適合」 では、ネオ・ダーウイニズムによる理論の再定義は、何らかの改善をもたらしたのだろうか。現代の ィッノヤ ーが一九三〇年に著した 進化総合説は、イギリスの遺伝学者で数学者でもあったロナルド・フ 名著『自然淘汰の遺伝学的理論』でその幕をあけた。かれは、変化する環境の中で個体を生存させ適合 させるものは何かを問題にするにあたって、その個体が属する集団全体を考慮に入れた。適合している かどうかを決める適応度についての唯一の基準は、個々の個体がその集団内で残す子孫の数である、と これで同語反復が解消したかどうかは、 かれは書いた。そのさい、個体の暮らし方は問題とされない。 ・メダワーとグールドはこれでいいと考えている ( 。ハネル いまだに議論のあるところである。ビ 1 ター ・シンポジウムで次のよ ) 。だが、エディン・ハラ大学のコンラッド・ウオデイソトンは、ウイスタ 1 うにっている。 とのくらい多くの子孫を残すかということを基準にして集団が ネオ・ダ 1 ウイニズムの理論は、・
されやすく、不利な変異個体は滅びやすいことにすぐ気がっしオ 、こ。新しい種はそうしたことが続い た結果生じてくるのだろう。 だが、この一文を含めてダーウインの自伝に書かれてあることは、困ったことに嘘ばかりである。晩 年になってから書かれたということと、一般向けというより孫たちへの教訓話として書かれたというこ うよ ともあって、『種の起源』が活字になるまでの精神的な紆余曲折は大幅に単純化されている。なかには ( たとえば「たまたまわたしは、種の不変性に疑問を抱いていそうな博物学者に出会ったことは一度も なかった」という個所など ) 、ほとんど信じがたい部分もある。ダーウインの強い味方であるはずのジョ ージ・シン。フソンも、さすがに次のように述べている。「完全にそれらが真実であるというわけではな いが、だからと言 0 てダーウインがわざと嘘をついたということでもない。それと知らずに間違ったか、 そういうことには無頓着だ 0 たか、忘れてしま「ていたか、あるいはその全部かだ 0 たのだろう。」 ダーウインが書きつけていたノートの一八三八年一〇月 ( というおそらくは架空の年月のころに相当 する ) のページを調べても、突破口が開けた劇的な瞬間などなか「たことがわかる。ノートには、驚く べき証拠に出会 0 た時にかれがいつも使「ていた「 / 」、「″】」、「」などの記号は見当たらず、そのか産 わりに「ルサス理論のありきたりな要約が書かれてあるだけである。このことからも、ダーウインがそ ン の時にはすでに、その考えをよく知っていたことは明らかである。そして次の日のページでは、その門 ウ 題には何もふれず、サルの奇妙な性的特徴について書いているのだ。 g 個人的な考えはロにしないという用心深さはビーグル号上で身につけたものだが、よほど根深いもの だ 0 たようだ。その証拠に、『種の起源』が出版されるまでには驚くほど長い年月がかか 0 ている。結
問題解決のテクニック ダーウインはまた、かれの説に向けられるあらゆる異議に敢然と立ち向かい、それらをはねつけてい るかのように読者を思い込ませるやり方も心得ていた。『種の起源』の第六章では、飛翔の起源など、自 説が直面する「難問」を扱っている。そこでかれはます、現生のリス類にも、ほんの少ししかジャン。フ できないものから「枝から枝へ驚くほどの距離」を滑空できる種類まで、いろいろな段階のものがいる ことを説得力豊かに示している。そうしておいて次には、空を滑空できるヒョケザルの例を出す。ヒョ ケザルとまったく滑空できないキツネザル類との間には、中間段階の種は知られていないにもかかわら ず、かってはその間をつなぐ種が実在していたのであり、リス類の場合と同じような段階を経てヒョケ ザルが登場したと考えてもなんの無理もない 、と述べている。 そしてその次には ( ヒョケザルとコウモリとはまったく種類の異なる生物であることを隠したまま で ) 、自然淘汰の働きによってヒョケザルの前肢と指がさらに伸びて膜でつながり、コウモリの翼に変 わるような過程があってもおかしくはない、と述べている。そしてついには、鳥や哺乳類や昆虫に、あ るいは爬虫類にまで飛ぶものがいる、またはいたことを考えれば、ひれをはばたかせて海面すれすれを かなり遠くまで滑空するトビウオから、完全な翼を持っ魚が生じたということもありうる、とまで決め つけている ( もちろんそんなことは起こらなかったのだが、少々筆が走り過ぎたというところか ) 。 哲学者のガートルード・ヒンメルファープに言わせると、一貫してダーウインが用いている論法は、 可能性をいかにもありそうなことに、借金を財産に変えてしまうやり方だと言う。 ( 『種の起源』の 6 章では特に ) 一つ前の困難をーー、、・単に処理しているだけでなく 征服してし 314
れている。 3 ヴィクトリア朝の読者たちは、こうした論理によって何倍にもよけいに安心したのだった。すべて自 然淘汰が解決してくれるからである。イヌやヒッジやハト、あるいはランの形質が変わりうることの説 明も、それでつく。『種の起源』には、そういった例が何百となく紹介されている。しかも、さらに多く の例が必要とあれば、、 しつでもそれを提供できる用意がダーウインにはあったし、「摘要」にすぎないこ の『種の起源』の拡張版には、それらをのせるつもりでいた。かくして進化は証明されたのだった。か れの説がかかえる難点にも、幸いにして何ら根本的な問題はないことがわかった。時がたてば、求める 移行種の化石も見つかるであろうことは疑いなかった。なにしろ、今や地質学者たちは何を探したらよ いかを知ったのである。 ところが現在われわれは、地質学者がいまだに中間種の化石を見つけていないこと、自然淘汰だけで は種の起源を説明できそうにないことを知っている。おそらく、ダーウインは間違っていたのだ。それ でもなおダーウインは、科学史の中の一巨人として尊敬され続けるのだろうか。これから先も、大英自 然史博物館の台座の上にとどまり続けられるのだろうか。 答はあくまでもイエスである。そう答える理由はいくらでもある。まずかれには純然たる学識の重み がある。ケンブリッジでの学生時代以来ずっと、ダーウインは観察し、記録し、比較し、疑問を抱くこ とにずばぬけて秀でた博物学者だった。「観察者としては超一流 / そのうえ、なんたる情熱 / 」と、 エルンスト・マイヤーは『ビーグル号航海記』の中のダーウインについて書いている。「かれは観察者と して超一流だっただけでなく、絶えずあれこれが起きるのはなぜなのかといった疑問を発し続けた。そ 316