説 - みる会図書館


検索対象: キリンの首 ダーウィンはどこで間違ったか
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1. キリンの首 ダーウィンはどこで間違ったか

飛躍はそんなふうには起こってこなかった、とスティールは言いたいようだ。かれが唱えるネオ・ラマ ルキズム流の変化は、環境ががらっと変わった時に働き出す。つまり、環境変化によって生物個体に加 えられる刺激が、かれの実験の場合のように「強力で持続する」時に働き出すのである。 ターウイニズムにとっては死んだも同然の説に命を吹き込んでしまってい それとなくスティーレよ、・ る。その説とは、とうの昔に研究の場から追放されたはずの「激変説」である。ダーウイニズムは、土 地の浸食や大陸移動といった、きわめてゆっくりと進行する過程を重視する ( 斉一説 ) が、激変説は地 いんせき 球が過去に経験してきた大変動ーー洪水、疫病、地震、宇宙からの隕石の落下などーーを重視する。で は、その正当性はどうなのだろうか。 激変説と斉一説 激変説は、一九世紀に創造説が信用を失ったのとほば同じ時期に、しかもほとんど同じ理由から信用 を失った。教会と科学界との間でかわされた論争で、激変説は創造説と同一視されてしまったのである。 当時の一般大衆にとって激変説と言えば、単にノアの洪水という、地上の様相を一変させた一回きりの 大天変地異を信じることにほかならなかったのだ。だが、当時の科学的創造論者、キュヴィエ、ルイ・ アガシーらが唱えていた激変説とは、そのようなものではなかった。しゅう曲と隆起によってねじ曲げ られた地層や、過去に絶滅が起こった証拠を調べることによって、かれらは、天変地異は何度も地球を 襲ったと考えていた。 それらの研究者の中で、ノアの洪水をまじめに信じていた者は誰一人いなかったし、超自然的なカ 188

2. キリンの首 ダーウィンはどこで間違ったか

し さ れ ま い に ま れ は う て て 移 る つ る 行 の た 段 と 説 め に 階 に 明 は が な を ほ そ 存 る 受 れ と 在 ん け に 入続 ど ま し の ず た れ く 証 段 る 困 拠階 部 と な カ ; の そ の ど欠 移 の 解 ま ダーウインはヒョケザルを見た時 , 地上の動物が ( たと け 行次決 て 段 の な っ えば恐竜が ) どのようにして空を飛べるようになったか い 階 説 ど た の手がかりが得られるのではないかと考えた。 く だ 明 る な 場 け も 説 广っ な 想 っ し、 た て そ う が い む 明 く 像 し 場 な た だ 無 れ 可 に 欠 く ま け ウ な カ が 能 の け 知 て 0 よ い も け る と で イ 見 さ 性 の か る そ め を 韭 の に そ て れ い 当 で 理 と 枯 も の ら は ら た に よ つ れ い ね に が 、解 、渇 の も い を い れ る ば に と ⅱ間 し、 つ そ ほ し の 確 認場 で ら を と か る よ オよ の き か が 進 眼 め 合 か の う い か も ら て に な 事 な 難 る う な も だ 理 に な め る は い 実 ら 問 地 ほ さ あ て 問 由 め い な よ 、を ど ぬ を 位 き 題 さ る と り は う ん と 自 そ 言色 へ に た を せ 求 へ そ な て と で ダ 説 う 明 は と 識 か 考 と う ら い も い め 力、 と 自 す 格 い ら 察れ な 力、 ら れ う な 回 ウ 然 う る 上 ら め に す る れ と ィ 致 の 仮 げ ダ る 説務 か ら と は る と 説 さ つ と が を は せ れ と そ 受 絶 者 て る ウ ら ろ に と る を な 思 て 追 0 に な し け ぇ に い よ よ し 放 い ン 先 入 ず め て は る し 逃 く う つ ま さ れ 負 う ら し て がな 知 進 か う れ そ ま し れ て わ み ダーウインの遺産 315

3. キリンの首 ダーウィンはどこで間違ったか

などという説を大まじめに提案してきた。この説など、斉一説にのっとった解答を得るために、どれだけのつく り話がこしらえあげられてきたかをよく示すものである。 三、「何らかの生態的変化が起こったために、恐童は生存上不利となり、飢えや病気によって急速に死に絶え た。」これもまた、証拠に基づかない想像だけによる架空の説明である。何らかの生態的変化とはいったい何な のか。種子植物の登場と時を同じくして有害なカビが現われ、恐童に取り付いて殺してしまったのではないか、 という説がある。また、種子植物自身が、食べられないように毒性の強いアルカロイドを発達させ、恐竜の間に 一大恐慌を巻き起こしたのではないか、という考えもある。あるいは、種子植物の出現によって空気中の酸素濃 度が高められ、恐竜がそれに対処できなくなったのだろう、とも言われている。さらには、ひょっとしたら恐竜 、という意見もある。しかし、こんな説明では一連の生物の絶 は何かの病気によって一掃されたのかもしれない 滅を完全に説明できはしない。 ところが、天変地異があったという可能性を認めると、説明はがぜん真実味をおびてくる。一時、カナダ国立 自然史博物館のディル・ラッセルの説が受け入れられそうになったことがあった。かれは超新星にその答を求 めたのだった。太陽よりも大きな星がエネルギー源を使い果たして突然崩壊し、致命的な放射線を大量に放射し たのではないかと言うのだ。たとえ一億光年離れていてもそのような放射線にさらされれば、保護の役割を果た すはずの大気圏はこわれてしまい、地球はまともに放射線をあび、気温が著しくしかも長期にわたって低下する減 ことになる。大形の動植物は、そのような寒さに対処することはできない。小形のものや、それほど進化してい呂 地 ない海の生物だけが生きのびて適応することができたのだろう、と言うのである。 最近もてはやされた説で、さらに激変説色の濃いものがある。重さにして数千トンの隕石が地球に衝突し、天 ze 火薬一千億トンに相当する衝撃を与えた、という説がそれである。爆風によって隕石のちりが衝突口から巻 き上がり、そのために地球はぶ厚い雲でおおわれ、太陽熱がしゃ断されて気温が著しく低下したというのである。 2

4. キリンの首 ダーウィンはどこで間違ったか

( すなわち神のカ ) によ「て激変が起こると考えている者もいなか 0 た。またかれらは、創造の年とし て当時たいていの聖書の欄外に記されていた紀元前四千四年という年代は、あまりに新しすぎてばかば かしいと感じていた ( 今でもホテルのべッドわきに置いてある新約聖書の多くには、この年数がわざわ ざ注釈として書かれてある ) 。かれらは、化石の記録を調べた結果として、地球はも 0 とず「と古い歴 史を持っことを知 0 ていた。それに、時代ごとにその様相がかなり変わ「てきたことも知「ていた。 二つの異なる激変説・ - ーー一つはキリスト教信仰に見られるもの、もう一つは実際にあ 0 たと現在のわ れわれが信じていることをきわめて正確に読みと 0 ていたもの , ・ーーが同一のものとして混同されたこと は、キ = ヴィ = やアガシーたちにと 0 て、また地質学のその後の発展にと「ても不幸なことであ「た。 その激変説に対抗して提出されたのが斉一説であ「た。この説は、より科学的な学説と受けとられ、当 はけん 時の覇権を握り、それ以来地質学における暗黙の大前提としての地位を占めてきた。 斉一説は、一八三〇年に出版されたチャールズ・ライ = ルの『地質学原理』によ「てその誕生をみた。 ライ = ルは弁護士だ 0 たのだが、創造論者であ 0 たオ , クスフォード大学の地質学者ウィリアム・ クランドのもとでしばらく地質学を学んだことがあった。、、 ( ックランドという人はのちにウ = ストミン スター寺院の司祭長にまでな 0 た人物で、「地質学はキリスト教を効果的に補助するものであり、小間色 使いなのだ」と教え、「創造主が直接介在した」ことを示すいろいろな証拠を見つけようとした。それ異 に対してライ = ルは、奇跡にたよらなくてもすむ説を探し求め、地球の歴史は現在でも進行している過変 程を観察することによ「て十分に理解できる、と論じた。そのような過程とは、雨のしずくや風が吹き つける砂粒、氷河の浸食作用などのことである。「現在は過去を知るための鍵」というのが地質学者た

5. キリンの首 ダーウィンはどこで間違ったか

らおびやかされることはない。なぜなら、それがあてはまらない部分は遺伝的浮動で説明できると、いつでも 6 言えるからである。また、遣伝的浮動によるとされていた例のいかに多くのものが、結局は自然淘汰によるも のだということになっても、中立説は何らおびやかされはしない。なぜならば、中立説によってすべての進化 を説明しようなどとは、誰も考えてはいないからである。

6. キリンの首 ダーウィンはどこで間違ったか

めぐるあたりからである。わたしの考えでは、それはきわめて巧妙な戦略である。かれらの運動は、以 0 下のような論理に基づいて行われてきたーーー・・・・進化が起こったか、あるいは神による創造が行われたか のどちらかだ。あなたがたは、前者は証明不能でそれに対する説明はあやしいことを認めている。われ われも聖書に記されている創造の話を信ずるか否かはその人次第であること、また多くの人々はその話 の一部がおかしいと考えるかもしれないことを認める。それでは二つの説明を並べ、どちらの方が観察 事実によりよく合致するかを見てみよう。もしその二つが互いに対立する説であるならば、科学的な予 測を立ててどちらの説がそれを実証するかを調べることもできよう。 きわめて単純化してはあるが、この二つの説を。ハネルのように対置させてみた。見てのとおり創造 論者の楽勝である。ギッシュたち創造論者は、合衆国のいろいろな大学で進化にかかわるあらゆる分野 の科学者を相手にして活発な論争を展開してきた。そうした中でかれらは、「生物の進化や人間の由来 についての説明として、進化の理論と並んで創造説を公立学校で教えることは科学的証拠からみて正当 なことである」という単純明解な提案に対する圧倒的な支持を得てきた。 では、創造論者の論理のどこが巧妙なのだろうか。もっともらしくはあっても信じられないのはなぜ なのだろうか。 地球の古さ まず第一に、あたかもコインの裏表のように、ー 和造と進化を生物の起源を説明するたった二つの方法 として対峙させることは、まったくの誤りである。進化についての現在の説明は、科学的に不満足であ

7. キリンの首 ダーウィンはどこで間違ったか

ーが展示の作り変えを指示したのだった。「種の起源」をめぐる新展示の内容は、一見何の問題もなさ そうなものである。分岐学説やヒトの祖先探しの放棄などといった、たちどころに騒動を巻き起こすよ うな内容は、盛り込まれてはいない。それどころか、ダーウインの時代から現代にいたるまでのダーウ イ = ズムの変遷が、それとなくざっとたどられており、すべては解明され自然淘汰説がいまだに勝利を 手にしているような印象を、見る者に与えている。 しかし、その展示内容についての一般向けの。 ( ンフレットを読めば、疑惑の根は深いことがよくわか る。そのパソフレットからの以下の引用文中に見られる「らしい」とか「ほとんど即座に」とか「そう いった説の多くは」といった表現に注意していただきたい。 新しい種が進化してくる過程は、自然淘汰の作用を含むゅ 0 くりとしたものであるらしいことが わかっています。そういった過程のいろいろな段階は、現生種の間でも見られます。また、倍数性 と呼ばれる染色体数の変化によ 0 て、新種がほとんど即座に形成されるしくみもわかっています。 染色体の倍数化は植物の新種形成のさいに特に重要です。新種が形成される方法については、その 産 ほかにもいくつかの説がありますが、そういった説の多くは、どこかしらで自然淘汰が働いている ことを認めています。けれども進化をめぐる考えは、新しい証拠が付け加わるごとに絶えず変わっ、の ていっています。 ウ ターウインやネオ・ダーウイニズムが強調する漸進主義の内容とはかなりの隔たりがあ この一文は : る。そうした傾向は、結論を述べている個所ではより鮮明になる。すなわち、ド・ビアや ( ックスリー が表明していた、進化上の変化を引き起こすのは自然淘汰であり、それだけである、という見解からの 321

8. キリンの首 ダーウィンはどこで間違ったか

現代のダーウイニズム このような進化の説明の仕方が、ここ五〇年間にわたって生物学界を完全に支配してきたと言っても よいだろう ( この理論は、伝統的なダーウィ = ズムにメンデル遺伝学と集団の変化に関する数学理論を 組み合わせたものなので、総合説とかネオ・ダ 1 ウィ = ズムと呼ばれる ) 。欧米の事実上すべての大学 では、進化を教えるということは、すなわち集団遺伝学を教えることなのである。大部分の年配の教授 ド大学のエルンス 連は、生物の新しい種類の起源についてはもうこれで十分だと考えている。 ト・マイヤーいわく、「総合説の支持者は、すべての進化は小さな遺伝的変化が自然淘汰に導かれ累積 することによ「て起こる、と考えている。」①サセックス大学のジョン・メイナ 1 ド・スミスは、ネオ・ ダーウイニズムの理論的根拠は「この惑星上における今日までの生物の進化を説明するのに必要かっ十 分である」②と断言した。このように教科書や授業ではこそって見解が一致しているため、集団遺伝学 者以外のたいていの人は、総合説が化石の記録と同じくらい穴だらけであることを知ると、少なからず 驚くことになる。 ド大学の教授だが、マイヤーよりも こうした背景の中で、スティ 1 ヴン・グールド ( やはりハ ずっと若く、生物学に加えて地質学と科学史の方向からこの問題に迫っている ) は、一九八〇年に次の ような告白をした。 一九六〇年代の中ごろ、まだ大学院生だったころ、わたしは総合説がもっその統合力によ 0 て見 事にあざむかれていた。その後わたしは、進化を何でも説明してしまうその統合力が次第にほぐれ 59 自然の制約

9. キリンの首 ダーウィンはどこで間違ったか

ちの合いことばとなり、研究法に関するこのどうということのない言明が、創造説を脱却した後の科学 の中で、次第に尊重されるようになっていった。 しかしライエルは、さらにずっと疑問の多いことにまで推論を進めてしまった。かって地球上で展開 されてきた地質学的変化の過程は、。 との時代も現在とほば同じで、その進行速度は時間的に一様 ( 斉 一 ) であると述べたのである。これがまさに、ダーウインが自説の中に強力にとり入れた概念だった。 自然淘汰がきわめて徐々に働くためには、ゆっくりとした着実な環境変化が必要だったのである。ダー ウインの著書が勝利をおさめたのにともない、斉一説のそうした側面もまた受け入れられることになっ それ以来、斉一説の概念は、有害とさえ思えるほどまでに地質学の研究にかせをはめてきた。「激変 説は冗談のたねにされ、失笑をかうのをおそれて、『天変地異』の名を冠せられるようなものをあえて 提示するような地質学者は一人もいない」と、スワンシー大学の地質学教授ディ 1 レク・エイガーは書 いている。⑩一流と言われる学術雑誌にのっているほとんどどの論文を見ても、かれの主張が正しいこ とがわかる。以下にかかげる一文は、スワンシー大学でエイガーの前任者だったネヴィル・ジョージが 「サイエンス・。フログレス』誌に書いたものである。 知ってのとおり進化とは、生物に対する環境からの刺激が五億年から三〇億年にわたってほば一 様だったことを反映した、幸運な偶然であると言えるのではないか。この間動植物が暮らす環境は、 少なくとも世界的な規模では、かれらの大部分が耐えきれないほど激しく変動することはなかった。 ただし氷期の間だけは、動物にとっても植物にとっても、環境条件はきわめて広大な地域にわたっ こ 0 190

10. キリンの首 ダーウィンはどこで間違ったか

て悲惨なものとなっていた。しかし、氷期は地球の歴史上たった六回しかなかったし、またその間 と言えども、世界中全部が氷に閉じ込められていたわけではないのである。 ヴェリコフスキーの説 地質学会の権威筋が激変説に対して抱いている嫌悪は、多くの学をおさめた異端の学者イマヌエル・ ヴ = リコフスキーの著書によって、一九五〇年代にさらに高まった。このロンア人移民は、世界中の古 代史を調べまわって証拠を集め、大胆な説を軸にして宇宙と聖書の世界の歴史を書きかえたのである。 かれの説によると、金星はつい最近太陽系に仲間人りしたもので、木星から追い出されたのち現在の軌 道に落ち着くまでの間に、何度も地球のまわりを回っていたことがあるという。特に二回の大接近につ いては旧約聖書に正確に述べられており、また洪水伝説、宇宙から降りそそいだ破片、太陽が昇らなか った日などの話としても、世界中のあちこちに残っているという。 かれはマヤの伝説をもとに、かれの言う宇宙的規模の天変地異の様子を次のように描いている。それ によると、「海は陸に襲いかかり、恐るべき暴風雨が地上を一掃した。暴風雨はあらゆる町、あらゆる森 を破壊し、運び去 0 た。火山は爆発し、山をものみこむような津波が押しよせ、猛烈な風が吹きまくり、 人類は絶滅の危機にさらされた。事実、多くの種類の動物が絶滅した。地上の様相は一変し、山は崩れ異 落ち、大洋から打ちよせる波間に新たに山が盛りあが 0 た。数知れないほど多くの川が河床を失い、童変 巻がさまざまなものを空に巻き上げながら動きまわった。」⑩ 一九七九年にヴ = リコフスキーはこの世を去「たが、そんな話は気違いじみていると考える圧倒的多