ーやその音楽を、ラテン・アメリカへ持ちこみました。 た。スペインの植民方法は、北アメリカにおけるアング それから、あの愛すべきスペイン気質をも・ : ロ・サクソンとは全く違っていました。当時ニュー・イ セルバンテスの書いた小説「ドン・キホーテ」をご存ングランド ( 現在のアメリカ合衆国 ) に渡ったイギリス じでしよう ? 理想の恋人に終始変らぬ愛を捧げ、夢と人の清教徒 (t ヒューリタン ) が求めていたのは、自分た 冒険を求めて山野をかけめぐる彼の中には、伝統的なスちの安住の地であり、原住民のインディアンなどは、無 。ヘインの血が脈打っています。それは、他のラテン諸国用の長物どころか、彼らにとっては害虫のような存在で と同じく、情熱的でロマンティックな赤い血です。と同した。おまけに、昨今の人種差別問題を見てもわかる通 時に、その憂愁の面影は、東洋の神秘を感じさせ、他のり、アングロ・サクソン民族は世界で最も人種的偏見の ラテン諸国とは異なった要素をも含んでいます。それ激しい種族ですからたまりません。西部劇でごらんにな は、八世紀このかた、数百年の長きにわたって、スペイるようなシーンが至るところに展開し、インディアンは ンの大部分が、モーロ人 ( 英語ではムーア ) の侵入を受次々と殺りくされました。 けたせいかも知れません。アフリカ北西部から南スペイ これに対して、スペイン人はーーそして一般にラテン ンへ入ったこのアラビア系の種族は、東西文化の交流が系の民族は、割り合いに人種的偏見が少ないのです。彼 生んだエキゾティックなサラセン文明を、スペインの地らの渡航の目的は、エル・ドラード ( 黄金郷 ) の発見で に開花させたのです。さらに一五世紀の中ごろアングル あり、一かく千金の夢を追い、財宝を手に入れて、故郷 シア地方に到着し、この地方に定住して、やがてあのフ へ錦を飾ることでした。ですから、彼らはインディオを ラメンコ芸術を発展させたジ。フシー ( スペイン語ではヒ手なずけてこれを利用し、進んでインディオと混血しま ターノ ) の影響も見のがせません。彼らもまた、紀元前 した。こうして、スペインとインディオの異種の文化 ン 後にインドの北西部を発した、東洋民族の末えいであり は、出合い、衝突した末に、少しずつまざり合って行っ テ ラました。 たわけです。その代表的な戦場は、メキシコでありまし このような各種の要素より成る、魅力的な音楽とともた。 ところで、第三勢力ともいうべき黒人 Negro がラテ 幻に、スペイン人はラテン・アメリカへ向って出発しまし
服されたアメリカ」ということで、これはアメリカ大陸した。彼らは、他の諸民族と混血して、現在のスペイン をその文化史の上から分けた名称です。その反対の言葉人の中心となったのですが、のちにはイベリア半島全体〔 がアングロ・アメリカー・ーっまり、アングロ・サクソン の住民を指して、この名で呼ぶようになりました。です 民族 ( 主にイギリス人 ) によって開拓されたアメリカでから、イベロ・アメリカはイベリア半島にあるスペイン す。国の名で言えば、アメリカ合衆国やカナがアング及びポルトガルの血をひくアメリカのこと。このよう - ロ・アメリカ、メキシコ以南の国々がラテン・アメリカに、ラテン・アメリカ、中南米、イベロ・アメリカは、 というわけですね。ですから、ラテン音楽とは、このラそれそれ違った見方による分け方で、その意味するはん テン・アメリカの地域にある音楽ぜんぶをひっくるめて いも少しずつ異なる筈なのですが、今ではみな一様に、 指す言葉です。 メキシコ以南を指すのが慣習となりました。ですから、 中南米音楽という呼び名もあります。中米とは、北アここでもそれに従って、むずかしくせんさくしないこと メリカ大陸の南部が細くなって、南アメリカ大陸へとっ にしましよう。 づく部分ーーーいわゆる地峡部の国々を指しますから、厳では、このラテン・アメリカに住んでいるのは、どの 密に言えばメキシコや西インドの島々は入らないのですような人たちなのでしようか。 が、便宜上中南米という言葉も、ラテン・アメリカ音楽 ラテン・アメリカの住民には、大まかに分けて、三つ と同じ意味に使われています。 の異なる人種ーーインディオ、白人 ( 主にスペイン人 ) 、 スペイン語では、「ラテン・アメリカ音楽」 ( ムシカそして黒人の三種の血が流れこんでいます。 ・ラティノアメリカーナ ) よりも、むしろ「イベロ・ア インディオ lndio は、英語でいうインディアンのこ」 音メリカ音楽」 ( ムシカ・イベロアメリカーナ ) という言と。昔からこの地に住んでいた原住民です。コロン。フス テい方のほうが一般的です。これは、イベリア系のアメリ がはじめてラテン・アメリカを発見した時、彼はてつき 力の音楽ということで、昔スペインのバレンシア地方かりインドについたものと思いこんでしまい、インド人と らカタロニアの南部や南フランスにかけて、イベリア人 いう意味で、彼らをインディオと呼んだのでした。コロ 9 ( イベルス川の名にもとづく ) という種族が住んでいまンブスのカン違いによる呼び名を、私たちは今日もなお、
228 ポ カ チ マ 方にごくわずか住んでいますが、ポビュラーな音楽はス ペイン系で、コロンビア起源のパシージョやキューバ起 源のグンサのほか特色のあるフォーク・グンスのカジェ 4 キュ ヘーラなどが踊られています。なお、国名のコスタ・リ 力はスペイン語で「富める海岸」の意。 ニカラグアとパナマの間にあるコスタ・リカは、わが ハナマ Panamå 国の九州と四国を合わせたより少しせまく、人口は約八 五万。そのほとんどがスペイン人の子孫 ( このような原 パナマはあのパナマ帽子とパナマ運河によって、世界 地生まれのスペイン人をクリオージョ CrioIIo といし に名高い国ですが、この帽子は実はパナマの産物ではな ます ) で、教育も普及しています。インディオは海岸地く、南米のコロンビア及びェクアドルが主な生産地で、 とくにエクアドルのものが良質とされています。又パナ マ運河とその両岸の地帯はアメリカ合衆国の永久租借地 となっており、その使用料をめぐって時々トラブルが起 ることはご承知の通りです。といっても、パナマの経済 は、ほとんどこの運河地帯に依存しているのです。音楽 の面でも、ここからジャズなどが入って来る一方、奥地 のジャングルには、原始的なインディオ音楽が保存さ れ、実に多種多様です。面積は北海道より少し小さく、 人口は約八五万、インディオ、黒人、アメリカ人等より 成っており、音楽はタンポリート、メホラナ、タンポレ ーラその他がポ。ヒュラーです。 0 ハの音楽 一四九二年、カリブの海に映えるキュー バの島を発見
ラテン音ら終 229 したコロンブスは、「これこそかって人間の目が見た、 宝庫であり、典型的なムラート音楽の国なのです。わが 最も美しい土地」と叫んだということです。西インド諸国の三分の一くらいの面積を持ち、人口は約六〇〇万、 島の中でも最大の島キュ ー。、は、そのほかにも「アンテ うち二〇パーセントが黒人で、残りの大半がムラートと ィールの真珠」「無精者の城」 ( これは余りにも住み心地 いうお国がら。数百年の歴史を経て、この地にはスペイ がよいので、つい無精になることを意味しています ) ン音楽と黒人音楽を両極とした各種の音楽が発展しまし 「砂糖と放蕩の国」「スペインの失った宝石」「快楽の た。一九世紀を通じて全島に流行したハバネラ ( スペイ 庭」など、さまざまな形容で呼ばれています。いや、呼ン語ではアバネラと発音し、ハく ノナーーースペイン読みは ばれていた : : : といった方がよろしいでしよう。 一九五ア。ハナ , ーーの舞曲という意味 ) をはじめ、クリオージ 九年にフィデル・カストロが革命に成功して以来、あらヤ、プント、グアヒーラなどはスペイン系の音楽で、こ ゆる分野に改革が行われ、人々は必死になって国造りをのクリオージャからポレ口が生まれたと言われます。 しているのですから : ・ 。もちろん、かっての歓楽の巷黒人系の音楽は、長い間世に認められることなく、彼 もなくなり、カジノも健全な娯楽場として更生した筈でらの閉ざされた社会の中でのみ、うたい踊られて来まし す。 たが、次第にスペイン系音楽と結びついて、そのリズム このキュー こ スペイン読みではクーバといし に黒人の色彩をつけ加えてゆきました。今世紀のはじめ れはもともと原に流行したズンソンや、その後身と言われるチャチャチ 【ラ住民インディオヤなどは、こういったムラート音楽の一例と申せましょ の言葉なのです は、マン レカ そして、一九三〇年代になって黒人の舞曲であるルン ボ、チャチャチ ハやコンガが社交グンスの中にとり入れられるに及ん 王ヤ、ポレロなど、で、黒人系音楽は一躍クローズ・アップされたわけで ン多彩なラテン・す。それには、第一次大戦中の黒人兵の活躍が、黒人の リズムを生んだ地位を向上させ、又戦争を契機として、世界的な民族意 ト、
五パーセントの黒 ハとともに重要な地のほか、二五パーセントのムラート、 はスペインの植民地として、キュー 2 位を占めていました。その後米西戦争の結果、一八九八人がいます。この人口組成からもわかるように、音楽に 年にアメリカ合衆国の属領となり、今日では独自の憲法はスペイン系の農夫の歌カンシオン・ヒバラやセイスと いう舞曲、クリスマス・キャロルのアギナルドなどのほ を持っことは許されましたが、住民の約七〇パーセント を占めるスペイン系のクリオージョたちは、完全独立へかにムラート系のグンサや、さらに黒人色の強い舞曲プ の夢を断ちきれず、反米運動をくりひろげています。故レナ等があり、アメリカ合衆国の影響はごく少なく、む しろキュ ーバに近いものを感じさせます。キューバ起源・ 郷の島を捨ててニュー のポレロやグアラーチャなども、盛んにうたい踊られて ・ヨークへ移住したプ います。 エルト・リコ人も、あ の「ウエスト・サイド トリオ・ロス ・パンチョスのトップ・テナー、ジョ一一 物語」にえがかれてい ・アルビノはこの。フェルト・リコの出身です。このト ス ョたように、町の一画に リオは初代のエルナンド・アビレスをはじめ、三代目の ン貧民街を形作り、ことフリート・ロドゲスリもプエルト・リコ人でした。「哀 ごとにアメリカ人と対愁のプエルト・リコ」 n- 五〇、五一 ) と題するト ス立しているのです。こ リオ・ロス ・パンチョスのアルバムよ、。フェルト・リコ ういったプエルト・リ の偉大な作曲家ラファエル・エルナンデスとペドロ・フ コ間題は、黒人間題と ローレスの作品集です。 ともに、アメリカの頭 トリニタード Trinidad 痛のタネと申せましょ キリスト教の「三位一体」を意味する「トリニダ プエルト・リコに ド」という地名は、キューパそのほかにありますが、こ は、スペイン系の白人こでいうトリニダードは小アンティール諸島の南のはし
2 ア つう木の筒を使います。インディオの原始楽器にもグイ と、肉のついたままの下顎骨を地面に埋めて、半年ばか 口があり、人間の骨を使ったりしているそうです。桑原り放 0 ておくと、自然に腐「てキ ( ーグが出来ているそ 々々。 うです。ただし、物すごく臭いので、実験なさる方はご 用心とのこと。 パンデイロ Pandeiro ハ Caja タンバリンのことをブラジルではポルトガル語でパン この デイロといいます ( スペイン語ではパンデーロ ) 。 カーハというのは、箱型のものを指すスペイン語です 楽器も、ブラジルのサイハなどには欠かせません。 が、南米のアンデス地方やアルゼンチンで使われる太鼓 の一種がカーハと呼ばれています。平たい太鼓を左手に トリアングロ Triångulo 吊るし、右手のマレットで叩きます。 私たちがトライアングルと呼んでいる、あの三角形の ポンポ Bombo 金属棒の振動器です。これがブラジルのサンバやバイヨ ンなどで効果的に使われます。 同じく、アンデス地方のインディオが使う大太鼓。そ のほか、コロンビア、ブラジル等にも、同じ名の太鼓が キハ 1 グ Quijada あります。 その名は「顎骨」を意味しますが、正しく口バの下あ テリア Bateria ごの骨を、歯がついたままで乾燥させたもの。この先を 音左手で持って、骨の広い部分をゲンコツで叩くーーとい ジャズのドラムと同じ、セットになった打楽器のこ テ うよりもなぐるわけですが、すると歯がガタガタゆれと。モンなラテン・バンドではしばしば使われます。 て、一種異様な音がします。キ = ー ' ( 音楽に使われる、 クイーカ Cuica 最もユニークな打楽器でしよう。牛や馬の骨で代用する こともできますが、これを日本で作った人の話による ブラジルの楽団のサイ ( などの演奏には、よく動物の
ラテン音 少し大型のギターで、その名の通り、リズムを刻むため弦になっており、この型のものをウアパンゲーラ Hua- のもの。メキシコのマリアッチに使われるので、ギタラ・ panguera ともいいます。 マリアチェーラ Guitarra Mariachera ともいいます。 メホラネーラ Mejoranera ギタロン Guitarr6n パナマの国の五弦ギター。メホラナという舞曲を演奏 五本又は六本の弦を持つ大型のギター。メキシコのマするところから、このように呼ばれるようになりまし リアッチでは、べースの代りをする重要な楽器です。又た。 南米のチリには、同じ名前の二五弦のギターがあるそう トレス Tres ハの小型ギター。この国 三対の複弦より成る、キュー ハラナ Jarana のトリオや小編成グルー。フでは、非常に重要な楽器で メキシコのソン・、 ) ローチョなどに使われる、複弦四す。その名は、スペイン語の「三」の意。 対の小型ギターで、ウクレレに似ています。 クアトロ Cuatro ハラナ・ウアステカ Jarana Huasteca この名は、スペイン語で「四」ということ。複弦四対 メキシコのウアステカ地方で田舎スタイルのウアパンより成る小型ギターです。時には五対のものも、又ヴァ ゴなどに使われる小型ギターの一種で、ふつうは五弦。イオリンのような胴をしたのもあります。このクアトロ は、とくに。フェルト・リコでポピュラーな楽器です。 ギタラ・キンタ Guitarra Quinta テイプレ TipIe 同じく田舎スタイルのウアパンゴに使われる大型ギタ ーの一種。マリアチのギタロンと同様、べースの役目を コロンビアで盛んに使われている複弦五対のギターで します。弦はふつう五弦ですが、そのうち最低三本が複す。独特のせん細な音色を持ち、メロディ楽器として重
びせ、両者の融合によるかず多くのトロ。ヒカル・リズム重要なポイントになり、同じパターンのリズムを打 0 て を形作「ていったのです。その主な舞台は、キーバでも、奏者によ 0 て異なる個性が現われることに注意して いただきたいと思います。そこが、生ぎているリズムの ありました。 もっとも、中には「黒人のリズム感がすぐれていると面白さでもあるのです。 いささか余談にわたりましたが、要するにラテン音楽 リズム感覚などというものは、 うのは迷信にすぎない。 は、大体においてインディオ、スペイン人、黒人の三つの 生まれた後の環境によって形成されてゆくものである」 との説をなす人もあります。そしてその実証として、ア要素から成り立っていることがお分り頂けたでしよう。 この三つは色の世界の三原色にたとえられます。青、赤 フリカの黒人を連れて来てジャズをやらせても、正しい リズムが打てなか 0 たという実例を挙げますが、これは黄の三種の絵の具をいろいろな割り合いにまぜ合わせる ことによって、ほとんどすべての色を作り出すことがで 一種の詭弁で、アフリカの黒人が、アングロ・サクソン きるように、以上の三つの要素の配合から、ラテン音楽 の要素を含むジャズのリズムを生まれつき身につけてい るわけがありません。リズム感というものが環境によ「のかずかずが生まれました。そして、インディオは主に て左右されることは当然ですが、それと同時に、他の肉そのムードを、スペイン人はメロディを、黒人はリズム 体的な特質と同様、音楽上の素質も遺伝によって後世にを、ラテン音楽に与えたといえるでしよう。 ところで、これら三つの要素の配合の度合いは、国や 伝えられることは、否定できない事実です。 又、リズムの説明には、ふつう何分の何拍子といった地方によ 0 て異なり、その土地における人種の分布や混 表現や、あるいは音符による図式が用いられますが、こ血の程度に大体平行しています。インディオと白人 ( 主 よあくまで便宜上のもので、リズムは単に音の長さやにスペイン人 ) との混血をメスティーソ。。 ( ヾ。、黒 音れ。 テその強弱ではないのです。リズムにもフィーリングがあ人と白人の混血をムラート Mulato 、インディオと黒人 り、メロディの乗り方いかんによって、千差万別の変化の混血をサン求 zambo といいますが、インディオが優 が現われます。これを言葉で説明することはなずかしい勢なのはベルーをはじめとするアンデス諸国、白人の国 はチリ、アルゼンチン南部、ウルグアイなど、黒人国家 のですが、とくにラテン音楽では、このリズムの表が
262 ーニョが女性形に変化してムシカ・ポルテーニヤとなり ますし、タンゴは男性名詞なので、港のタンゴと呼ぶ場 合は、そのままにタンゴ・ポルテーニョとなるのです。 1 タンゴの魅力 以上はポルテーニョという言葉が音楽なり、タンゴなり の形容詞として使われた場合のお話でしたが、ここでも これはもう、すべての方がよくご存知のことと思いまうひとっ付け加えますと、単にポルテーニヤといった場 すし、ここで今さらのように申し上げると叱られそうで合、これはク港の人みク港町の人なという意味の他に、 フェノス・アイレスに生まれた生粋の女性という意 すが、タンゴは南米アルゼンチン共和国の首都、ブエノ ス・アイレスに生まれ育った、・フェノス・アイレスの音味があり、同じくボルテ 1 ニョといえば、 ? フェノス・ 楽であり、ダンスであります。ブエノス・アイレスは港アイレス生まれの生粋の男性なを指す言葉となります。 フランスでいうならば、パリジャン、パリジェンヌと同 町であり、そのためタンゴは、ムシカ・ポルテーニヤ (Musica portefia) つまりク港町の音楽みとかタンゴじく、ちょいとしゃれた、そして誇りをこめた言葉です し、日本ですと、江戸っ子とか、浪花女というところを ・ポルテーニョ (Tango Portefi0) ク港町のタンゴー 考えあわせていただけばよろしいでしよう。 と呼ばれております。 ムシカ・ポルテーニヤには、実をいうとタンゴの他 この呼称についてもう少し申し上げましよう。語源は 港を意味するポルト ( p 。 rt 。 ) やプエルト ( puer ( 0 ) でこに、ヴァルス ( ワルツ ) とか、ミロンガ、カンドンべと いった音楽が含まれているのですが、この中で最もイン れから、ク港のとか港の人なという形容詞を意味す る、ポルテーニョが生まれたのです。スペイン語に限らターナショナルな関心を惹き、また広く愛好され、プエ ノスの人々も誇りにしているのはタンゴでありますし、 ず、外国語はご存知のように男性形とか、女性形という 具合に変化されて使われる、大変に厄介な場合がありま何と言ってもタンゴこそムシカ・ポルテーニヤを代表す すが、スペイン語の音楽 (Musica) という言葉は女性る音楽に違いないでしよう。またタンゴは前述の通り、 名詞であり、そのためク港の音楽々という場合はポルテブエノス・アイレスの音楽であって、アルゼンチン全体
大体において感傷的であり、暗く悲しい美しさを持ってことにならないのです。もっとも、こちらでは歌の入っ います。これが私たち日本人の一般的趣向に合うのかも たタンゴ・レコードの発売は割合少いので、余計にその 知れません。だがタンゴのセンチメントは、暗いには違必要が認められないのかもしれません。しかし、それに いないが、決して弱々しいものではありません。むしろしても歌詞のあるタンゴ、特に初めから歌のタンゴとし 時として力強い印象さえ受けるほどです。これは根本的て作られたものは、歌詞の大意だけでも知っていると、 にタンゴが男性の心を音楽で表現したものだから、と、 しさらに大変に面白く聞けるわけです。 えそうです。 タンゴの歌には、さまざまな人生の姿、生活感情が描 タンゴのメロディは、大体において、第一主題と第二 かれており、悲しみ、苦しみといったものが多いのです 主題から出来ていますが、その他に、このメロディを歌 が、その中にも明るい気持が必ずといってよいほど、た ったり、演奏しているとき、伴奏者がオブリガート ( 助くみに挿入されていて、それが暗さと面白いコントラス 奏 ) のメロディをバックで演奏します。このオブリガー トを作ったり、暗さをさらに際立たせる効果を生んでい トはタンゴの魅力のひとつであり、どのようにきれいなます。悲恋に泣く歌であっても、中間は楽しかった日々 オブリガードが作られ演奏されるか、というのがタンゴ の回想を入れてあるなど、こうした例はたくさん見出さ ・ファンの大きな興味にもなるのです。オブリガートはれます。またタンゴは、大いにユーモラスで粋な歌もあ タンゴの第二のメロディといってよいでしよう。それか りますし、愛の美しさ、楽しさをすなおに讃えた歌もあ ら、ほとんどの曲の後半に現われる。ハリエーション ( Va ー ります。「タンゴは人生の歌」だといわれますが、その riacion) 、つまり変奏もタンゴの聞きどころです。 通り、タンゴには人生のすべてが、卒直に、しかも格調 さて、次にこのメロディと関連して、タンゴの歌詞の高い詩として盛り込まれています。詩の語調とメロディ 蛛力があります。こちらではスペイン語が英語ほど一般とリズムが緊密な連脈を保ち、人々の心に訴えかけるの 的でないため、そのスペイン語によるタンゴの歌詞内容がタンゴであり、他国語で歌うことが困難であるといわ があまり深く注意されぬようですが、この歌詞内容が理れているのも、つまるところこのタンゴの魅力の大きさ 解されぬと、タンゴの特殊性とその完全な魅力を楽しむを示す証拠でありましよう。