戦後はじめての大きな「西欧美術展」が読売新聞社の主催によって東京都美術館で催されたの は、昭和二十三年か二十四年かのどちらかである。その年月日は調べればすぐ判ることである。 それをしないのは、一つにはわたしの物ぐさのためである。もう一つには、その前後のわたしの 生活の荒涼をまだ思い出したくないためである。 戦争は終った。しかし、わたしにおいて戦後はなかなか始まらなかったのである : わたしは一つの観念に取りつかれていた。逃げようはない。逆に取りひしぐよりほかに手はな い。だが、取りひしぐとは、わたしにあっては、言葉を使って追究しぬくことである。ところが、 それができにくかった。一口にいえば、生活が ( お金のことも含めて ) 貧しかったのである。足 が地につかなかった。たとえば、当時のわたしの暮していた現場を、ありありとわたしは記憶し ている。しかし、自然の風景となると、ひどく曖味となってくる。そのころだって、タ焼けが幾 ア 日もあったに違いない。だが、奇妙なことに、今でもわたしのなかで燃えているタ焼けは、昭和 ジ二十年以前と昭和三十年以後のもの、なのである。 そういう貧しさのなかでのわたしが、さきほど書いた「西欧美術展」に足を運んた。これまた モジリアーニ なぜ青い瞳か modig 0 157
いてこじつければ、崖崩れで抉られた凹みの線、または樹木の根の投影、というところである。 この縦の分割の線の複雑に対応して、横の色層の形状も色彩もまた当然複雑となる。いい直せ ば多彩な色光が多方向にきらめく裁断面をさらして、くるめき出ることとなる。 それでは、この作品はまぶしいであろうか。 いかにも、まぶしさがなくはない。しかし、まぶしくないまぶしさなのである。きらめいてい てきらめかないのである。しかも、これは語義矛盾でもなく錯覚でもない。まぶしさもきらめき油 も、この作品にあっては、現実のわたしたちの外光とは何の関係もないのだから。 心象風景という言葉がある。しかし、この場合の心象となっている風景は、心の外の風景の解カ 体再編成したものであって、つまるところ外界を手袋みたいに裏返したものにほかならない。外 界と内界心象 ) は対応物なのである。 この『本通りとわき道』は、そういう内界と ははっきり異る。 術それでは、何なのか。何でもいいではないか、 とわたしは思う。こういう世界があろうなどと ヒは、まして、こういう世界がわたしを戦慄させ るなどとは、まるで予想もしなかった。それだ 何であるか、などと問うことは必 ラけで、しし わ要ではない。わたしには思い煩らうべきことが、 みほかにたくさんあって、そちらのほうがはるか 『ケに緊急なのだから : わたしは珍しくも片山さんから贈られてきた 171
昭和十四年四月旧制高校にはいってすぐ、一年上級の理科の生徒峰岸啓三とわたしは親しくな った。峰岸は文武百般 ( ? ) に通じていたが、絵もよくした。あるとき、多彩な色斑が並んでい こういった。 る明るい水彩画を描いて、照れ臭そうに、 「どうも鈴木信太郎の影響が濃いね、これ。もっと遠近法のないのが、おれ、本当は好きなんだ。 しねえ」。 っそマチス張りにやりたいんだけど、うまくいかない。でも、マチスって、い、 わたしも、もうマチスの作品は日本の美術雑誌のカラー版で見て、知っていた。だが、「はは あ、これが評判の高いフランスの画家なのか」と思ったにすぎない。わたしの感受性はまだ居眠 りをしていたのに違いない。 峰岸の言葉を聞いて、びつくりした。こんなにまで外国人の作品を自分の絵にひきよせて、し かもどうやら技法にまで注目して、学んでいる人間がいるなんて : 考えてみれば、まことに愚かであった。わたしはフランス人やロシャ人の詩とか小説に読みふ けっていた。感動していた。しかし、それだけに止まっていた。自分もまた詩や小説を書こうと していたに違いないのに、外国人の作品を自分のこれからうまれるかもしれない作品はむろんの マチスー二つの遠近法 ma 骭 55e 130
開けられた書物だということになるであろう。 確かに女性の姿態も顔付きも、さらには ( どうでも 、ことだが ) 『黒を背景に読書する女』という題名 ぎ、、 : も、四角い色面が書物であることを示している。 だが、この書物にはどんな言葉が書き記されている のであろうか。たぶん、活字など一行もありはしない。 あるのは、この部屋の雰囲気にすぎない。それが、こ 《の書物に映っている、というより移っている、まるで 匂いででもあるかのように。そして、その雰囲気とは、 おもに黒がかもしだす愉悦なのである。読書とは、そ れを吸いこむことにほかならない。だからこそ、読書する女性の全身には静かな快楽が火照りで ているのである。 その女性の後姿が、すぐうしろに描かれている。してみれば、画面の上方の左側に熟したオレ ンヂの色で四角く縁どりされているものは、鏡なのであろうか。たぶん、そうであるに違いな、。 だが、つくづく眺めているうちに、すぐ納得することがある。この鏡は、さきほどの書物とまっ 。いい直すと、さきほどの書物こそが、鏡なのであった。た たく同じ働きをする存在なのである だし、そこには、室内の事物が匂いのようなものと化して、映るのではなくて、移るのである。 そうと知れば、引続いてもう一つの発見がある。この画面のなかにあるものだけを、かりに室 内とする。そうすれば、画面のそとにあるのは室外のものとなる。そう規定しておいてから、こ ス の女性の後姿のある鏡を眺めてみる。そこに姿を見せている花瓶とか。ヒンクの壁とか黒の色面と か、これはむろん室外のものとなる。しかも、それが室内にある : 140
一九六五年七月十日、わたしはジェット機の窓から北氷洋を真下に見つめて息をのんでいた。 菱形の氷が幾つも幾つも相互に隣りあわせて視界いつばいに並んでいて尽きることがない。わ ずかにところどころに、同じ菱形だがしかしプルーの氷が象嵌されている。 この氷の畳の大平原がどこまでもいつまでも、光るでもなく瞬くでもなく、ただひややかな艶 だけを見せて連続しぬいて、絶えることがない。 わたしは思った。これは飛行機が発明されるまで人類から見つめられたことのない自然なのだ、 そして人類を見つめかえしたことのない自然なのだ、人類の原体験とはこんなものなのだなあと。 このとき、もう一つの恐怖がわたしを貫いて光った。ああ、この北氷洋の光景、これはクレー の『本通りとわき道』にそっくりじゃよ、 オしか。クレーは人類の見つめる以前の自然、そしてすで に人類を見つめている自然、すなわちこういう意味での人類の原体験、これを作品化しようとし ているのだな : ・ クレーについて、現在のわたしの書こうと思うことは、もうわずかに次のことだけである。 人類の見つめる以前の自然、そしてすでに人類を見つめている自然、これをもう一つわたしの 言葉に直して、非人称存在という。この非人称存在を現出せしめた数少い作家の一人がクレーに ほかならないのである。 182
あとがき 巨匠とよばれる美術家の展覧会が年に幾度も日本の美術館やデパートで催される。会場を一巡 すると、必ずほほえましい情景に出あう。高校生や中学生が掲示された解説文や持参した解説書 を熱心に読みふけり、実際の作品のほうは不熱心に眺めやり、そしてなぜか嬉しそうに ( ? ) 深 刻な面持ちをしているのである。 これは、教養主義の戯画なのであろうか、それとも逆に活字離れというものの戯画なのであろ そのいずれであるかを、わたしは知らない。わたしの知るのは、このほほえましい情景のなか に『私の西欧美術ガイド』一冊を差し出すということである、しかも、高校生や中学生にもこの 一冊を読んでいただけたらと願いながら 本書もまた美術の解説書の一種である。世間に知られた西欧の美術家の古典から前衛までの作 品の実際を語っているのだから。しかし、読んでいただければお判りのように、「解説書など邪 魔なのではなかろうか」という思念に貫かれているのが、本書なのである。 ここには、作者の現実と芸術の上での経歴は語られていない。また、作者の言葉による芸術観 と人生観は引用されていない。書かれているのはただ、作品の魅惑の凄まじさだけである。 果して、これで西欧美術ガイドになりうるのだろうか。わたしはたいへん心もとない。だが、 「いや、なりますとも」と、励まして下さったのが、版元の新潮社出版部のかたがたである。た 264
言葉をかえて沈黙がある。 もう一つ言い直しておけば、こうなる。ここには、理念 (= 詩日音楽 ) と概念 (= 故文 ) と実 存 7 沈黙 ) がある。そして、その三者が一体化したものがある。 だからこそ、わたしは劇甚な衝撃をうけたのである。もしもここにあるのが、この三者のなか の一つ ( に要約されうるもの ) だけであるのなら、それは日本や西欧の他のどこかでお目にかか れるものである。それに、その三者のどれか一つなら、たとえば詩や散文から受けている感動と どれほども異っていないもの、感動の代替物、これを与えられるにとどまることであろう。 しかし、ここにはその三者の一体化したものが、しかも爬虫類のように生きて、存在するので ある。 むろん、これを爬虫類と感じとらない人がいる。それは、それでよい 。映画風の超現代の 新式兵器と受けとるかもしれない。それは、それでよい。さらには、巻貝またはトウモロコシの お化けと見るかもしれない。それもまた、それでよい。 というのも、そういうように多様な事物を想起させるところにこそ、この構造物の性格の一つ があるからである。つまり、具象の喚起カおよび描写が、ここにはあるのである ( それは散文の もつものである。詩のもつものとなるためには、たとえ多様にしろ、鋭い光を発する強い志向性 がなくてはならない ) 。 そして、ここまできて、やっとこの塔のもつ重大な問題がはっきりしてくるのである。 この構造物を前にして、人はさまざまの具象を思い描かせられる。だが、その脳裏に、一つと して在来の教会の映像は浮びあがってこないのである。つまり、この構造物は教会建築として、 まったく独自でありュニークなのである。 だが、これは、どこに原因があるのであろうか。 248
蔵だが、わたしはアクション・ペインティングの美術の 方法と目的をつらぬく原理と志向のどこかに書かれてい る文章を要約して、ここに紹介しているわけではない。 じつはポロックの作品『絵画』から受けた印象をわたし 一イの勝手な言葉に直して語ったにすぎないのである。ポロ = クックの作品ほどに作者を十二分に語ってくれるものは、 ほかにない。だが、それにしても、なぜポロックのアク ション・ペインティングは、具象を描こうとしないので あろうか。 それまでのポロックの作品を思い出すならば、答えは簡単である。具象を追い払うために止む をえず取った道がアクション・ペインティングだったのである。 そして、この画家にとって、具象とは悪夢にほかならなかった。つまり、アクション・ペイン ティングとは悪夢ばらいの、もう少し強くいえば悪魔ばらいの、作業たったのである。 しかし、描く具象が悪夢とは、二十世紀のただなかの画家にとって、なみなみならぬつらさな のである。 もともと画家にとって、ことに中世以降の西欧美術家にとって、どんな具象作品もたぶんに悪 夢ばらいの性格をもっていた。少くとも十九世紀半ばまで、画家は権力のおかかえ絵師であった。 御用命を受けて描く作品しか生活を保障しはしない。題材の選択と表現の自由はおそろしい制限 を受けている。たとえば、レオナルド・ダ・ヴィンチは『受胎告知』の注文に応じて、翼のはえ た人体を止むをえず描かねばならない。科学者であるダ・ヴィンチは、天使の存在は信じること 2 ( 神秘 ) のないオカルトでなければならない : 232
撃」という。人間業を超えているという驚きと嘆きがこもっているのではなかろうか : 改めて考えるまでもなく、人間とは不思議な生きものである。そして、その人間の不思議の一 つが、「好きになる」という感情の動きである。 たとえば、電車のなかで見知らぬ女性とむかい合わせになる。はつ、とする。瞬間のうちに、 いぶか 慄きが走る。なぜなのだろうか。しかし、訝しがる余裕はない。目は相手に見入っている。色が 白い。額が広い。目が大きい。鼻が高い。唇が小さい。それだけのことである。どうということ はない、はずである。それなのに、感動する。身がすくんでしまう。うっとりする。そして、震 えがくる : 当今の若者の言葉にすれば、「シビレちゃう」。明治の若者の表現に移せば、「天のなせる麗質 に心を奪われる」。 しかし、シビレは電流が与えるものである。電気を発する物体は、人間ではない。また、天の なせる麗質は、文字通り人間から生れたものではないということであろう。とすれば、目の前の 女性は一口にいって人間離れをしている存在なのであろうか。 そうかもしれない。だからこそ、「震えがくる」のであろう。だが、相手を「好き」になるの は、そのためだけではない。もう一つ、強い理由がある。それは、相手が生きているということ である。人間離れをしている存在が、わたしと同じ人間の肉をもって、そこに夢幻ではなくて現 実として生きている。その相手は、時によって目に涙をいつばいにためている。また場合によっ てロもとをにつこりほころばせる。すると、こちらは切なくなってくる。切なくなるとは、相手 とこちらがはっきり離れているのに、それなのに切っても切れない間柄になってしまうというこ とである : このときの感動、これは思いにあまり、考えの外に出る、すなわち不思議である。 おのの わざ せつ
ッホ体験は戦時中ですんでしまっているという思いが強 術しほかのゴッホのどの作品を見たところで、わたしの 一なかにゴッホのうみ出してくれた世界がどう豊かになる 、ものでもないのではなかろうか。 日本人はゴッホ好きである、そしてゴッホ好きは本当 ラ 一には絵のわからない素人衆である。もっともらしい理由 いクの付いたこういう意見が、ある。おもに玄人筋からのも を , ~ のである。わたしは賛成もしないかわりに反対もしない。 カ他人の疝気を気に病むな、と中しあけるにとどめる。こ オとはゴッホに限らない。ある芸術を批判する意見が、そ の芸術の与える感動そのものより強烈な感動をわたしに 跳及・ほさない限り、その意見はわたしにとって何の意味も もちはしない。 わたしの場合、好き嫌いという言葉はゴッホにむけて 発したことがない。基本的にやりきれない存在、これがわたしにとってのゴッホなのである。 作 たとえば『アルルの跳ね橋』。これは、見るなり、立ち去れなくなった。 年 色どりが柔らかくて鮮やかで諧和にとんでいる。画面の大部分が、つまり上方の空と中央の川 が白をふくんだ青であって、気持がいい 。岸の草の緑と土の黄土いろも、それそれ穏やかであっ て、煮え立っている趣きなどない。画面中央少し下方に半分だけ水につかっている小舟のそばの ス 九人の洗濯している農婦たちの群像も処理の仕方がうまくて、まとまりがよく位置も結構であっ て、びたりと収まっている。 第当ー巖第ー