ルーアン大聖堂 - みる会図書館


検索対象: 私の西欧美術ガイド
225件見つかりました。

1. 私の西欧美術ガイド

したがって、十七世紀の思索の人デカルトは、やななくクリスチナ女王におおよそこんな答え かたをする。 「大人になってからのわたしが好きになった女性たちのことを、思い返してみました。すると、 そこに共通した一つの特徴のあることに気づきました。そこで、改めて幼年の記憶をさぐってみ ました。ひどく慕わしく思った幼友達がいました。その女の子は、ほんの心持、すが目でした。 そして、じつにまた、ふりかえってみれば、大人になってからのわたしが好きになった女性たち もまた、ほんの心持、すが目なのでした。 初対面なのに好きになることがあるのはなぜか、この女王さまのお訊ねに、以上のわたしの経 験がいくぶんでもお答えすることになれば、と念じる次第でございます : : : 」 デカルトは若いとき詩を書いた ( 詩稿は現存していない ) 。また生涯独身であったが、小間使 に隠し子を生ませている。理性だけの人物ではない。だが、女王へのこの返事、どうも煮え切ら ないこの回答を読な限り、恋に身を焼いた経験があるとは思いにくい。 ところで、さかのぼって紀元前五世紀から四世紀のアテネに西洋哲学の祖父と呼ばれる。フラト ンがいる。その理想とする国家から、詩人の作品は人民を惑わすという理由で詩人を追放した過 激 ( ? ) な人物である。だが、花について、あらましこんなことをいっている。 「一本の花とむかいあったとき、人は感動する。これは、なぜなのか。前世で人が美の原型を見 たからである。無意識のうちに、目の前にある一本の花によって、その美の原型を思い出させら れること、それが感動ということである。つまり、感動とは美の原型をイデアする ( 見る、直観 あ する ) ことにほかならない : 雷 なるほど、自分の理想とする国家から詩人を追放するだけあって、プラトンは自分で自分を扱 避 いかねるほどの詩人であったのだなあと、このくだりを読むと溜息が出る :

2. 私の西欧美術ガイド

しかし、それはともかく、一目惚れの解明には、デカルトと。フラトンの意見のどちらが説得力 に富んでいるであろうか。 むろん、相手が人間である場合と花である場合とでは、おのずから訳あいの違いがある。人間 の外側 ( みめかたち ) は内側 ( こころ ) に関係がある。花の外側は内側 ( 何であろうか ) に関係 があるかどうか、不明である : だが、そうであるにしろなお、プラトンの意見のほうが、はるかにわたしを魅きつけてくれる。 つまり、ここではない遠くへわたしを連れていってくれる。 ここではない遠くへ ? それなら、それは、どこへ ? わたしにとって、それはまず美術へ、 なのである。 やっと、『私の西欧美術ガイド』の入り口に近づいてきた : 一幅の絵画とむかいあったとき、人は感動する。これは、なぜなのか。前世で人が美の原型を 見たからである。無意識のうちに、目の前にある一点の絵画によって、その美の原型を思い出さ せられること、それが感動ということである。つまり、絵画から受ける感動とは、美の原型をイ デアする ( 見る、直観する ) ことにほかならない : プラトンにならって、果してこういうことがいえるか、どうか。 わたしは強いためらいを覚える。 魂が肉体に閉じこめられている生きもの、それがプラトンの考える人間である。その魂がこの 肉体に閉じこめられないで活動していた場所と時間、それがプラトンのいう前世である。 ここまでは、共感できなくはない。「わたしの魂」とは、長い時間と広い空間のなかの数多く の ( わたしの敬愛したり憎悪したりする ) 人間の魂によって作られた複合体なのだから。 わけ

3. 私の西欧美術ガイド

だが、美の原型、となるとどうであろうか。 美の原型とは、別の言葉に移せば、美の本質であり、美の理念である。これまた、長い時間と ンンク 広い空間のなかの数多くの ( わたしの敬愛したり憎悪したりする ) 人間の、恰好よくいえば共時 ディアクロニ 態と通時態の数多くの魂の追いもとめてきたもの、と思い直せば理解できないわけではない。 しかし、その美の本質または理念は、言葉や図式で示されうるものとしてあるかというと ( あ る、と。フラトンもいっているわけではないのだが ) 、あるとはわたしに思えない。 それならば、どうすればよいのであろうか。 一幅の絵画の前に立ちどまって、ああこの作品は素晴らしいと、ひたすら感嘆しぬいて、言葉 を失って立ち続けていればいいのか。 つまり、「美は人を沈黙させる」と観じて、「花の美しさなどはない。美しい花があるだけだ」 ( 小林秀雄 ) と、苦りきって自己充足に堪えて ( ? ) いればいいのか。 いずれも、わたしのなしうるところではない。 理由の第一は、絵画から受ける衝撃はいつもわたしを強く傷つけたからである。この傷はわた 冫をしかない、時には傷口をさ しの内部のどこにまで達しているのか、それを見とどけないわけこよ、 らに大きく開いてまでも : 理由の第二は、わたしを強く傷つけた絵画は一点だけにとどまらず、また一人の画家のものだ けに限らず、しかもそれらは古典から前衛までの多岐な多数に及んだからである。つまり、わた え しの前に出現するじつに多方向な志向と表現をもっ作品のそれそれに、まことに他愛なくわたし あ は魅きつけられてしまったのである。浮気か、一夫多妻か、無節操か、それともアナーキーか。 な 雷できれば、そのいずれだとも思いたくない。そのためには、わたしの受けた傷のそのさまざまを 避 検証し直してみなければならない。 にが ポリガ

4. 私の西欧美術ガイド

理由の第三は、わたしを強く傷つけた作品のほとんどすべてが西欧の美術家のものだからであ る。美術の ( ひいては世界受容の ) 伝承と歴史をまったく異にする東洋の ( そして日本の ) 人間 であるわたしが、なぜ、西欧の作品に ? 悩ましい問題である。 「美しい花があるだけだ」と呟いていることができなくなる。同じく「美しい花」であるに違い ないにしろ、わたしは西洋のバラよりも東洋の牡丹にはるかに濃密に吸いよせられる。それなの に、美術に関する限り、宗達よりもはるかにレオナルド・ダ・ヴィンチに、円空よりもはるかに ミケランジェロに、吸いよせられるのである。これは、どうしてなのであろうか。 わたしに傷を与えた加害者 ( 作品 ) の顔の一つ一つを、改めてわたしは眺め直さなければなら ない。な・せ、その加害者 ( 作品 ) に慕いよっていかざるをえなかったのか、そのわたしの疼きに 似た希求の運動を辿り直さなければならない。 理由の第四は、わたしが傷を与えられ続けてきた短くない年月のうちに、次第にわたしのなか に苛立ちと敵意が育ってきてしまったからである。 作品に吸いよせられる。切ない恍惚を味わう。やがて、われに返る。だが、そのとき、わたし の発見するのは、わたしの傷であり、その痛みであるにすぎない。一度だけならまだしもである。 だが、作品の数は一点に止まらないとするならば : : : 。痛みはつもってゆく。そして、痛みをつ もらせてゆくにまかせているわたし自身に対して、苛立ち、ひいては敵意が生れてふくらんでき ているのを知る。苦いことである。 では、どうすればよいのか。味わった切ない恍惚を呼びもどして、その恍惚を言葉によって、 逃げないものとして定着するよりほかはない、苛立ちと敵意を、言葉の行列を押し進める運動工 ネルギーに転化しようと祈りながら : 以上の四つの理由が、本書『私の西欧美術ガイド』の生れる理由、というよりむしろ契機

5. 私の西欧美術ガイド

つまり、わたしは美の原型そのものを、追うことを断念しようと覚悟するところから、本書を 書き始めた。したがって、これは美学の述作などではない。 むろん、美術史とも無縁である。美術の色彩や形体を様式として把握する関心が、わたしには 薄い。まして、その様式の継承と発展を時代と社会のなかで辿る熱意が、わたしには淡い。 それなら、本書は美術評論か。ひょっとしたら、それに近いかもしれない。だが、そうである としても、わたしの方法はひどく勝手なのである。 ーの意見にわたしはまったく同感である。 「作者は作品の結果である」。このポール・ヴァレリ わたしにとっても、目の前の作品がすべてである。わたしにむかい合わせとなっている存在たけ が大切である。色が白い。額が広い。目が大きい。唇が小さい。そういう存在に感動することだ けが、のつびきならない切なさをうむ。その切なさだけが重要である。 この存在を、生きている女性とする。そのとき、作者とは何ものであろうか。親 ? いかにも、 そうかもしれない。だが、その親とは、この存在を世のなかに送り出す手伝いをしたにすぎない。 たとえば、この親の努力のために、この女性 ( 娘 ) の鼻が高くなったわけではない : 美術の作品の作者などは、せいぜいのところ、この親であるにすぎないとわたしは思いたし カン・ハスの上に出現した存在があまりにも自分の血を受けた娘でないことに驚愕している人物、 よそれこそが美術家だとわたしは信じたい。 え それでもなお、ある特徴をもっ作品がいくつか世のなかに送り出されることは事実である。そ あ の場合、符号をつけなければ、世のなかとしては整理に不便である。そのとき与えられるものが、 雷誰それという名前 ( 作者 ) であるにすぎない。名前にすぎないものを重んじてはならない。。ヒカ ソという署名のあるなしに、作品の凄さは関係ない : ( モチーフ ) である。

6. 私の西欧美術ガイド

、。はっきりし 『モナ・リザ』のカラー版写真をはじめてわたしが見たのは、いつであったろうカ た記憶はない。たぶん、少し早熟な小学五年生の手にした「キング、か「婦人倶楽部」のロ絵と して載っていたものだったような気がする。おそらく、たいした感動はうけなかったはずである。 中学の下級生のころ、なにかの書物か雑誌で二度か三度、また出あっている。しかし、このとき も、どんな受けとめかたをしたのか、きわめて曖昧である。それなのに『モナ・リザ』は、いっ のまにかわたしも気付かぬわたしの深いところに侵入していた。そのことを知ったのは、中学の 三年生になってからである。 北九州の小さな町のわたしの住まいの近くに親しい同級生がいて、その妹にわたしは強く惹か ヴれた。初恋と似ていて、しかし違っている。会えば胸がドキドキした。だが、慕わしいのではな い。その少女を思って切なくなる、ことはない。涙ぐんだり、はかなくなったり、などはしない。 〔二週間も三週間も忘れていることができた。少年を感傷と惑乱にひきこまない情念は、初恋と呼 オばれえないものではなかろうか。それなのに、その少女と路上ですれちがえば、それだけで異様 な吸引を感じた。いまどきの言葉を使えば、シビレた。 レオナルド。ダ・ヴィンチ 凄い、恥かしいという思いから 2 VinCI

7. 私の西欧美術ガイド

この少女の顔立ちが、『モナ・リザ』にそ つくり、なのであった。はじめて会った瞬間、 館おや、どこかで見たことのある女性だと思い 術 美十分後に、ああレオナルド・ダ・ヴィンチの →描いたのとまったく同じだと気付いた。しか ル し、『モナ・リザ』に似ていたから、この少 ナ 女に魅かれたのであろうか。それは、わから / . し / / ノ、ん粗じ / ナ・リザ』を見ていなかったら、この少女に 魅かれはしなかったであろう。そのことは確かなような気がしてしかたがない。 これが、わたしの最初のレオナルド・ダ・ヴィンチ体験である。 それから三十数年たった一九六五年、一九六六年、とんで一九七一年、この三年の間に五度、 わたしはパリのルーヴル美術館の『モナ・リザ』の前に立った。その度に、「妻いなあ」という 強い感動と、「なにか恥かしいなあ」という弱い想念の、その二つながらが同時にわたしのなか に湧きたった。 「なにか恥かしいなあ」という想念は、あとからさぐってみると、二つの根をもっている。 その一つは、あまりにも複製が原画にそっくりだなあ、という驚きである。これは、ほかの画 家の作品においては、おこりえない。写真技術の発明の当初からの百三十年ほどの間に、じつに 無数といっていいほどの複製が、世界中で作成されてきている。優れたのもあろうし、劣ったの もあることだろう。だが、劣ったのを見たものにはそれで満足できない何かが残る。そこで次第 に優れたのを追いかけてゆくことになる。その結果優劣はやがて消えていって、見るものの心の

8. 私の西欧美術ガイド

そしてこの際の「実地の知見と洞察」というのは、作者個人だけのものではないように思われ る。複数の人間の「実地の知見と洞察」を作者がとりいれておのれのものとしたのではなかろう か。個人の嗜好とか偏向とか愛憎のかげりとかが、ここにはあまりにも無さすぎるのである。 『モナ・リザ』モンタージュ論は、名言と讃嘆するほかはない。 モンタージュされた肖像を構成する要素のおおむねは、万人の既知のものである。各自の馴染 みの深さに応じて、見るものは随意の『モナ・リザ』像を再構成することができる。そして、問 題は、そのさきにある。その各自の勝手な『モナ・リザ』像が原画にそっくりということが、ど うしてありうるであろうか。 もちろん、「そっくり」というのは、厳密にいえば錯覚であるにすぎない。ただ、その錯覚は 醒めにくい。そしてこれは、『モナ・リザ』像を再構成する要素が普遍性をもっため、つまりほ とんどの人のよく知っているものであるためと、もう一つ、その再構成する作業におのずから誰 にも共通する一定の法則があるため、つまりここにも普遍性があるため、なのである。 、その作品を傑作と呼ぶ 二重の普遍性。うむをいわせぬ普遍性。これをもっ画家を天才といし のであろう。だが、『モナ・リザ』の複製があまりにも原画にそっくりであるのを改めて知ると、 なんとなくうまく術にはめられてしまったという気がし、同時にそれを作者からというよりは描 かれてそこにあるモナ・リザ自身から眺められているという思いがしてくる。「なにか恥かしい なあ」という想念がそこから生じるのである : : : しかし、もちろんこれはルーヴル美術館の『モ ナ・リザ』の前にたってしばらくの間のことである。やがて、別の感動が身内の奥のほうから湧 いてくる。それは複製では味わえなかった性質のものである。 『モナ・リザ』は、ひどくくつきりしている。いわば、この作品の世界は完結している。どんな カラー版の写真をみても、否応なくそう思わせられてしまう。そのくせ、作品自体は謎である。

9. 私の西欧美術ガイド

たとえば、例のモナ・リザの徴笑の謎。ほほえんでいるのか、いないのか。さそいかけているの か、いないのか。つき離しているのか、いないのか。皮肉つぼいのか、ぼくないのか。大昔から 幾通りもの解釈が行われてきていて、しかも一つに確定することがない。 だが、謎は顔にだけあるのではない。背景のひどく北欧的な自然。喪服に似た黒っぽい服装。 きつく締めつけられすぎていると思える胸元。それに比べてひどくやわらかい手と指。改めて眺 め直してみれば、いたるところに謎はある。そして、いずれにおいても解釈を拒絶している。 もちろんこういう事柄は、ほかの作家の作品においても、ごく普通にありうることである。た とえば、誰が描いたのでもいいのだが、ある婦人の肖像画。そこにも解釈に苦しむところはたく さんあるに違いな、。 もともと目であろうとロであろうと、絵具を用いて行われた形象は言葉へ の翻訳が不可能なものである。言葉に移しかえて表現できないものだからこそ、絵具で形象を描 き出したものなのだから。したがって、これは悲しみの目だ、というのはせいぜい形象という実 体の一面だけを伝えるにすぎず、不正確であるばかりか嘘に近い。モナ・リザの微笑という場合 のその「徴笑」もまた、じつは「悲しみの目」という場合とほとんど異らない。 ただし、この『モナ・リザ』にあっての特徴は、あらゆる解釈を拒絶すること自体が制作の目 的となっているところにある。その点こそが、類を絶している。そして、解釈の拒絶とは、言葉 ( ひいては既成の思想 ) への不信と物質 ( ひいては自然科学 ) への信頼にほかならない。 だが、このことを語るものは、『モナ・リザ』という作品においてのどこの何なのか、そうな ダると、もはや複製では間にあわない。じかに原画にむかいあうよりほかはない。 額、眉毛のない眉、目、鼻、唇、頬、顎、胸、衣服、手、これらのすべてが大小の球体からで きあがっている。平面の円から、なのではない。奥行のある三次元の球体から、なのである。し かも、これらの球体の相互は関聯しあって、一定の運動系を構成しているのである。

10. 私の西欧美術ガイド

このことを言葉で説明して、それだけで納得してもらうのは難し い。むしろ、この作家が群像を描いたあれこれの作品、またはさま ざまなデッサンを見ていただきたい。たとえば、『岩窟の聖母』。こ の画面には四人の人物がいて、したがって当然四つの頭という名の ふ焦点球体が描かれている。この四つの球体の位置、傾斜、方向を眺めて いただきたい。同じ平面同じ角度をもつものは一つもない。 ないように、じつに精密に工夫がこらされている。一つの例として、 キリスト 視線をとりあげてみる。画面左下で祈っている幼児キリストは、画 面右下の幼児聖ヨハネのほうを、逆に幼児聖ヨハネは幼児キリストのほうを、そしてまた画面中 央の聖母マリアはその二人の幼児のほうを、見ているように思われる。しかし、それらの視線の ゆくえ、焦点はひどく曖昧である。それぞれの相手に決してとどいてはいない。二人の幼児につ いていえば、双方の目を底辺として画面の手前のほうにむけて描かれた二等辺三角形の頂点にお いて、双方の視線は出あっている。そして、その頂点において、落ちてきた聖母マリアの視線は 受けとめられている。図で示せば右図の通りである。 そして、ほぼこの焦点のあたりを指さしているのが、画面右下の天使の水平にのびた親指の尖 端なのである。また、改めて図示するまでもなく、聖母の頭とキリストの頭を結ぶ線、聖母の頭 と天使の頭を結ぶ線、この二つの線をそれぞれ延長してゆけば、聖ヨハネの左手の掌をよぎって 左右に水平に伸びる直線と、画面の外の左と右で交わって、そこに聖母の頭を頂点とする正三角 形を構成するのである。 しかし、これらは見やすい少数の例であるにすぎない。 このほかにも『岩窟の聖母』の画面の いたるところに球体と三角形 ( したがってまた円、および三角形を組みあわせた正方形その他の 聖母