いわばポロックの絵は、目を閉じ、耳をふさぎ、鼻をおおい、ロをむすび、感覚のすべてに外 界との交流を断って、暗闇のなかで描いたものである。おのれを一本の絵筆と化してカイハスに ぶちつけたものである。視界ゼロである。展望などありはしない。画家としての自殺飛行に近い。 だが、そこから、思いもよらない異変が生じる。 たとえば、。、 / リのゆきずりの画廊で出あった二つめの作品『木馬』。これは、茶褐色の絵具を ぬられた地肌のあちらこちらに、木の板の一部や紙が貼りつけられたうえに、白や赤や茶や黄の 線条が多方向に気ままに走り流れている。それだけのことである。 木の板の一部が木馬の頭部だと、見て見えないことはない。だが、だからといってこの作品が 題名の『木馬』などを描いているなどとは、誰も思わないに違いない。なぜなら、この作品が連 想させるものは、無数の星の運動する天体でしかないのだからである。そして、そばに並んでい る『絵画』、さらには作者のアクション・ペインティングの作品のほとんどが、まず例外なしに 星の光芒のゆきかう天体を喚起するのである。五里霧中のやみくもなアクション・ペインティン グの作品が、いわば直ちに天体となる。これは、逆転劇である。そして奇蹟である。 なぜ、こうなのか。それは、わからない。ただ、わたしにわかるのは、これが地球上から眺め あげられた天体ではないということである。作者は天体に突入している。突入の運動体となった 作者が感じとった天体が、そこにある。 ッポロックの作品は多種類の多様な色彩の重層である。だが、少しも濁ったり停滞したり鈍重と ポなっていない。おのずからな諧和がある。そのため、奇妙なことに、ポロックの作品からわたし は色彩を感じない。光の運動を感じるのである。そして、その光の運動は音楽に異らない。視覚 ヤの音楽、目で見る音楽、などというものではない。音楽そのものである。ただし、音楽はただち にわたしの背後に突きぬけて、誰もいない空間に鳴りでる。わたしは音楽をはっきり感じとりな 235
と、それ以外に悪夢ばらいの可能な道はありえないのではなかろ 根本に絶体絶命がある。恐ろしい危機感のうむ衝迫がある。日 本の非具象作家になくてポロックにある悲劇性とは、第一にこれ である。 この絶体絶命と衝迫とのエネルギーがそれ以外の何ものからの 制約をも規制をもうけずに、そのままに噴流しなければならぬ。 そして、作品とは噴流した結果であるよりも噴流そのものでなけ テ ればならぬ。たとえ、それが不可能であるとしても、作品とは噴 流の。フロセス、というより噴流の一瞬一瞬の即時の印画紙の上へ の感光でなければならぬ。このアクション・ペインティングにあ って大切なのは、あくまでアクションにある。ペインティングと いう「作画」は結果であるにすぎない。そして、それが結果とし てどういうものになろうと、それは作家の知ったことではない。 むしろ、まるで予期しもしないものであったほうが望ましい。そ年 こにこそ、「見えない敵ーの人間支配の思いもかけない怪物性が 感じとられることになるだろうから・ : ・ : 。 ポロックのアクション・ペインティングには瞬間性しかない。 即自であって対自ではないのである。外側が存在しない。同時に 内側も意識にのぼらない。したがって、むろん形式もなければパターンもありえない。当然、一油 切の未来はな、。 日本の非具象作家になくてポロックにある悲劇性とは、第二にこれである。 、 0 234
蔵だが、わたしはアクション・ペインティングの美術の 方法と目的をつらぬく原理と志向のどこかに書かれてい る文章を要約して、ここに紹介しているわけではない。 じつはポロックの作品『絵画』から受けた印象をわたし 一イの勝手な言葉に直して語ったにすぎないのである。ポロ = クックの作品ほどに作者を十二分に語ってくれるものは、 ほかにない。だが、それにしても、なぜポロックのアク ション・ペインティングは、具象を描こうとしないので あろうか。 それまでのポロックの作品を思い出すならば、答えは簡単である。具象を追い払うために止む をえず取った道がアクション・ペインティングだったのである。 そして、この画家にとって、具象とは悪夢にほかならなかった。つまり、アクション・ペイン ティングとは悪夢ばらいの、もう少し強くいえば悪魔ばらいの、作業たったのである。 しかし、描く具象が悪夢とは、二十世紀のただなかの画家にとって、なみなみならぬつらさな のである。 もともと画家にとって、ことに中世以降の西欧美術家にとって、どんな具象作品もたぶんに悪 夢ばらいの性格をもっていた。少くとも十九世紀半ばまで、画家は権力のおかかえ絵師であった。 御用命を受けて描く作品しか生活を保障しはしない。題材の選択と表現の自由はおそろしい制限 を受けている。たとえば、レオナルド・ダ・ヴィンチは『受胎告知』の注文に応じて、翼のはえ た人体を止むをえず描かねばならない。科学者であるダ・ヴィンチは、天使の存在は信じること 2 ( 神秘 ) のないオカルトでなければならない : 232
8 ジャクソン・ポロック ( 2 19 20 264 ガウ一アイ クリスト 210 2 5 7 2 5 0 奇術のアートとアートの奇術 アクション・ペインティングの未来 ー・建築か芸術か ー極限の芸術 : : : 芸術とは何か
がら、聞くことができない。つまり、わたし自身もまた、気付かぬうちに天体に突入する運動体 となってしまっているのである。 ポロックの作品が与える解放感が、同時に求心的な痛苦をうむ切迫感に異らないのは、このた めである。作者はいたずらに天体を見上げたのではない。行動した。同じようにわたしもまた、 作者の作品の天体を見上げているわけにいかない。作者の突入の行動に吸引されて、いっかわた しも突入しているのである : ポロックはオカルトを信じないオカルティスト ( 神秘家 ) である。ロマンを抱かないロマンチ ストである。ただ、絵画の外に突入せざるをえなかった。突入しようとする衝動以外のものを突 入のエネルギーと化せしめないのだと念じながら。アクションだけがアクションの原動力であり 目的であるようにと祈りながら。したがって、その死そのものも、アクション・ペインティング の作品であったように見える。ポロックはクルマにのっていて衝突して、天体へ去った。 236
ジャクソン・ポロック 美術書で読んで知っていたのだが、画面作成の方法は「ドロッビング」である。どろどろに溶 かした絵具を、罐やチュープにいれて、または絵筆にたつぶりつけて、むろん下描きも下絵もっ くらずに、そのままいきなりカンバスや紙の上に、、 ふちまけたり、流したり、走らせたりするの である。いわゆるアクション・ペインティングである。 準備も計算も構想もテーマも不要である。というより、邪魔である。そもそも、準備と計算と 構想、つまり画家自身の理性と作家意識を否定し乗り超えることこそが目的なのだから。大切な のは、ひたすらな行動である。瞬間瞬間の、ほとんど意識と理性の介入するいとまもない判断、 本能に近い衝動的な激発と停止と反転と飛躍、それがそのまま画面となることこそが、狙いなの だから。 シュールレアリスムの「自動書記」 ( ェクリチュール・オートマティク ) の方法と類縁がある。 だが、その「自動書記」は薬物そのほかを使って意識と理性を眠らせたうえでの自動的行為の就 跡を描き出すところに眼目があったのに対して、このアクション・ペインティングは、その名前 が示すように、あくまでも、意識と理性を眠らせないでおいて、ひたすらな行動によって、もう 少しいえばたえず行動を先行させることによって、意識と理性をおきざりにするのではなくて、 意識と理性ぐるみ作者自身を乗りこえようとする表現なのである。音楽にたとえていえば、画家 のすべて ( 精神と肉体 ) が楽器そのものであり同時に演奏家そのものとなる表現なのである。し たがって、意識が意識自身を、理性が理性自身を、乗りこえるだけではたりない。画家が画家自 身を乗りこえなければならない : つまり、画家はみずからを憑依の状態に立ち至らせなければならない。しかも、多くの場合、 憑りついてくれる超越者 ( 神や悪魔など ) を持たないままで。その作品形成の行動はオカルト る。 0 231
生きものは、鏡の奥から鏡のおもてまで運動してくると、そこでびたりと停止させられる。やむ なく、引ぎ返す。ふたたび運動してくる。そしてまたびたりと停止。これの停止。この姿を、べ ラスケスは見つめ、分析し、抽象する。つまり、普遍性において把握する。自分もまた、視線以 外の一切のものを運動させない。すなわち、運動性以外のあらゆるものが抽出されて表わされる。 アクション・ペインティングに一番遠いところにあるのが、べラスケスの作品なのである。 ここであらたに、『ラス・メニーナス』の前におかれた鏡に戻る。わたしはのぞきこんだ。い きなり、そこに吸いこまれた。なぜなら、そこにはまさしく一つの、ありありと生きている部屋 が、現実の部屋よりももっと現実的な部屋が息づいていたのだから。絵というものは、しよせん 三次元の二次元への転写であろう。したがって、一人の画家がどんなに実物の部屋そっくりに描 いても、歪みと偏りがうまれる。鏡に映すと、その欠点が歴然とあらわれでるものである。だが、 『ラス・メニーナス』においては、それが逆なのであった。鏡に映ったもののほうこそが、実物 の『ラス・メニーナス』よりはるかに完全な現実なのである。ここに閉じこめられている生きも のたちが、自分たちのいるのが鏡のなかだと悟らないのは、まことに当然至極だったのである。
ただいまは、昭和五十四年六月である。敗戦以後、たっぷり三十三年がたっている。この期間 をふりかえることが、当然ゆるされている。 しかし、ここで「戦後美術とは何であったか」などという大議論を展開しようとは思わない。 ただ、戦後美術の重大な事件 ( ひいては、特質 ) は、昭和三十一年からほぼ十年間の「非具象絵 画の氾濫」であった、ということだけはいっておかなければならない。 明治の中期から現在まで、日本の洋画は、洋画という名前そのものがすでに示しているように、 西欧の絵画と美術思考に学ぶことによって成長してきた。事情は戦後においてもっと悩ましくな る。西欧の前衛の導入を行うものが ( 美術家が、そして美術評論家が ) 、そのまま日本の前衛と なるのである。 これは、一面では奇妙な事態である。たとえ外国からであろうと、できあいの美術の思考と技 術を借りうけるのは、前衛ではなくて、もはや後衛である。しかし、他面では当然な事態である。 戦後の日本の文明、ひいては文化は、全世界のなかで開かれていて、全世界と相関関係にある。 否応なく、そうであらざるをえない。すなわち、美術もまた、国際性と同時代性をもたざるをえ ジャクソン・ポロック アクション・ペインティングの未来 pollock 224