ルーアン大聖堂 - みる会図書館


検索対象: 私の西欧美術ガイド
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1. 私の西欧美術ガイド

れの与える感動に身内をゆすぶられるとき、わたしという一個人のなかから抜け出てゆく思念に 似たもののあるのを知る。抜け出て、それはどこへ行こうとするのか。禅の言葉を使えば、父母 未生以前へ、である。先年巷にはやった横文字を拝借しておけば、オカルトの世界へ、である。 ど ; 、ルーアン大聖堂のシリーズが与える感動にあっては、事情がまるで異ってくる。ここに あるのは、風景というより構造物の景観である。それだけである。そして、そのそれだけがわた しに感動を与えている。これは、奇妙といえば実に奇妙なことがらなのである。それだからこそ、 わたしは自分の興奢ぶりに当惑を覚えるのである。 構造物の景観は、それだけにとどまっている。それを創っている壮大な力を排除している。大 聖堂らしさを強調しない。建物の垂直性にも天上志向性にも力点はおかれていない。むしろ量塊 として捉えられているにすぎない。だが、この大聖堂を描くに当って、特別な抑制力が働いてい るわけではない。ただ、それだけの裸の事物がそこにあるにすぎない。しかも、同じ裸の事物と いっても、シュールレアリスムの美学や実存主義の哲学によることさらな思い入れは少しもない。 それなら、ただそれだけのものがそこにあることがわたしに感動を与えているのではなかろうか。 それだけではない。それだけのものが眼球の網膜の上に写っているだけの存在として、そこに あるということ、そのことがわたしに感動をもたらしているのではなかろうか。 しい直すと、事物が人間のこころのなかに不当に侵入するのを、眼球の網膜の上で押しとどめ ていること、そのことにひどくわたしは衝撃を受けているのではなかろうか。眼球の網膜そのも ーズなのだと、わたしは思い のが、拡大されて再現されているのが、モネのルーアン大聖堂シリ こむことにしている。 網膜の拡大と再現。そのためには、しかしモネは精妙な工夫をこらしている。大聖堂の石自体 をもう一枚の網膜と化している。すなわち、陽射しが届いてしみいる媒体、しかもすぐに侵入し

2. 私の西欧美術ガイド

おくということである。 だ : 、ルーアン大聖堂のシリーズにあっては、その鑑賞距離がたいへん長い。あとずさりを続 けて、やっとある位置まできて、そこで大聖堂の形態がようやく浮びあがってくる。浮びあがっ てくるのだが、しかし画面全体がなお徴かに波立ってゆれているのである、焦点が定まろうとし てなおまだ定まらないでいるかのように : 色の濃淡の起伏が静まらないでいるのではない。また、形態の関係がびたりと決まらないでい るのでもない。それらの内部に遍在してきらめきをもつもの、ほかに言葉を見出せないため止む をえず呼んで「光」、これが動いてゆらめいているのである。 これま、、 をしったいどうしたことなのであろうか。眼球の網膜そのものが、拡大されてここに再 ーズとの二度目の対面以来、わたしはこう受け 現されているのである。このルーアン大聖堂シリ とることにしている。こう受けとる以外に、わたしの気持の落ちつきようがないのである。 眼球の網膜は、ある光景を感受するとき、必ずや徴妙にふるえ、精緻に波立つに違いない。そ の瞬間の網膜それ自体を描くことが、モネの仕事となったのではなかろうか。そう考える以外に、 わたしの感情のおさまりようがないのである。 つまり、作品を見るなり、のつけからわたしのなかに感動がこみあげてきているのであって、 これの処置にこまっているところがある。どんな感動にも、実体らしいものが存在し、その導い てゆく彼方というものを閃き出させるものである。たとえば、山頂に立ってはじめて展ける風景 にむかいあうとする。山脈の稜線のさらに向うにもう一つ低い山脈の稜線があり、そのすぐ背後 に大きな海が左右にひろがっている。凄いなあと、息をのむ。ある激烈なものに額を割られる思 しし直せば、 いがする。このときの感動の実体らしいものは何か。風景のもっ非日常性である。、、 風景を創っている壮大な力である。あるいはまた、自然を自然たらしめている超自然である。こ かなた

3. 私の西欧美術ガイド

このさんと同じ目を、モネはもつ。しかし、 < さんと異る志向をモネは抱く。モネはおのれ の見たものを、そっくりそのままカン・ハスに再現しなければならない。逆にいえば、再現できな ければ見たといえない。見たものが真実であることの証しが芸術なのである。 だが、再現するためには、どうしなければならないか。ここでもまた、自己撞着に近いことが 生じる。再現するためには、再現などしないことである。再現には必ず意識による選択と統御が 媒介を行う。それを排除しなければならない。そのためには、意識を無化することである。つま り、カイハスを文字通り感光板に変身せしめなければならない。 しかし、そんなことが可能であるのだろうか。不可能であると考えざるをえない。 ーズがある。そして、いかにもこ にもかかわらず、げんにここにモネのルーアン大聖堂のシリ れはモネの見たものの、再現などしないことによって生じた再現である、という思いをわたしは 禁じえない。ほとんどカン・ハスは感光板である。 だが、モネの作品は単に感光板であるにとどまらない。同時にもう一つ別の存在なのである。 そこに、ほかのどの画家とも類を絶する独自がある。 ルーアン大聖堂のシリーズのどの一点の前に立っても、一瞬の間、淡い当惑におそわれないわ けにいかない。わたしの目の見ているものの姿がさだかでない。焦点がさだまらず、描かれてい るはずのものが態をなさない : ここまでは、しかしおおむねの画家の作品にむかいあったときによく起ることである。どんな に明確に事物の形が刻まれている絵であっても、カイ ( スのすぐそばに目を近づければ、そこに あるのは単なる絵具の堆積であるにすぎない。ある距離をおいて眺めなければ、すべての絵が絵 ではなくなるにきまっている。世間で名付けるこの鑑賞距離は、同時にまた画家がカン・ハスとの 間に設けた距離でもあって、したがって観客が作品を見るとは、画家の目の位置におのれの目を

4. 私の西欧美術ガイド

せるガラス板だと感じられてしかたがなくなってくる。しかも、これはたえずゆらめいて精妙に 波立っているガラス板なのである : : : 。すなわち、透明光板。 ーズとは異って、もはやこの透明光板は画家 だが、『睡蓮』にあってはルーアン大聖堂のシリ の対象と画家の眼球の網膜との距離を埋めるものではない。そうではなくて、この透明光板こそ が、いまや画家の対象そのものなのであって、それは見事に絵具によって写し出されている。 それでは、画家の対象と画家の網膜との間にあった透明光板は不要になってどこへいったのか。 どこへいきもしない。むしろ、具体性をもっ現実となっている。つまり、『睡蓮』の作品がと 、つばいに膨らんで透明光板ではなくて透明光球となっているのである。 りまいている部屋のなかし なぜなら、一部屋に四つの画面は、おのずから連なりあって円環となっていて、お互いに反射し あう光によって、そこに光の球体を醸し出しているのだから。 しい直すなら、透明光板をへだてて対象となかいあう画家の網膜の底の目の位置は、したがっ て存在は、ルーアン大聖堂シリーズにおいては見る人に感じられ、見る人はその画家の目を自分 のものとしようと努めることもできた。だが、『睡蓮』の連作の一点一点においてならいざしら ず、その集合の形成する円環空間においては、画家の網膜の底の目の位置は失われてしまってい るといっていいのである。それならば、その目の存在自体は ? これまた、まことにたくみに空 無化されてしまっているのではなかろうか。大変な魔術である。 それでは、この魔術にかかった観客は、いやわたし自身は、この『睡蓮』の部屋のなかで何を 感じとることになるのであろうか。 一口にいえば、溶けている天空のなかにわたしが漂っているという浮遊感を、わたしは感じと ることになる。溶けている天空。これは何に溶けているのか、それはどうでもよろしい。水に溶 けている、または水という名の色彩に溶けている。ひょっとすると、天空に水がとけているのか

5. 私の西欧美術ガイド

たとえば『青と金の調和』。この作品において、時刻は真昼である。大空は紺いろである。分 厚い。陽の光はほとんど垂直に落ちてきている。当然、影は構築物の各所において鮮明に刻まれ るはずである。また、影は濃密な暗さを帯びるはずである。そういう影の確固 ( ? ) とした姿が フランスの各地の大聖堂のさまざまな部分に出現するのを、げんにわたしは幾度となく見てきて いる。それに、描かれている季節は、大空から落ちる光線がどんよりとした冬ではなくて、たぶ ん春か、ひょっとして秋という見当である。それなのに、影は鈍い。そして深くない。それだけ ではなくて、構築物の素材そのものが、ふと乾きかけた粘土ででもあるかのように、もろくて柔 らかそうである。こういう現実が果してありうるであろうか。 しかし、じつをいうと、わたしはこういう設問を抱いて『青と金の調和』の前に立っているの ちはやく、ほのかに嬉しく酔っている。作品の前に足を運ぶとたちまち、画のなか ではない。い にわたしのすべてが吸いよせられてしまっている。美術品という意識はない。画のなかとわたし を隔てるものはない。画のなかにわたしはいてひろやかにわたしは呼吸している。そのことが、 たいへん楽しい。設問などが湧いてくるのは、作品の前を去ってずっとのち、改めて複製で眺め 直しているときのことである。だが、順序を逆にして、設問に答えることから語っていったほう が、話として便利である。 『青と金の調和』の示してくれている現実、ありそうにもないと思われる現実、これのほうこそ が自然の、つまりあるがままの姿だ、と今のわたしには思えてならない。 しくぶん奇妙であって、自己撞着だと受けとられるおそれもある。モネの大聖堂のシ 理由は、、 ーズに感嘆したからである。したがって、以後モネの目に近い目で、さまざまの大聖堂にむか いあった。モネの大聖堂そっくりに見えたわけではない。ずいぶん違いがあった。ただ、ある時、 ふいに気付いたことがあった。ルーアン大聖堂以外の大聖堂もまた、時によって、・ほやけるおり

6. 私の西欧美術ガイド

二十歳のころまでのわたしは、マネとモネをよく取り違えた。写真版で、しかも多くはモノク ロ版で、見ていたせいである。そして、どちらがどうであろうと、たいした問題ではなかった。 どちらの写真版もわたしに衝撃を与えることはなかったのだから。 戦後になってからは、もちろんこうではない。混同は決しておこらない。第一には、作品の伝 えるものの明白な性格のためである。第二には、名前の独特な音色のためである。 マネ。マのなかにあるアはくつきりしている。モネ。モのなかにあるオはおおどかである。明 この音色の独自はまた作品の性格のなかにもある。マネについては、 と漠。混同のしようがない。 あまり語りたいと思わない。モネについてなら、語りたりるということがなさそうである。 一九六五年九月、一九七一年五月、一九七四年四月、という具合に時間をへだてて、それそれ 事あたらしい思いでパリの印象派美術館のモネの『ルーアン大聖堂』のシリ ーズのなかの四点 ( 『白の調和』、『青の調和』、『青と金の調和』、『褐色の調和』。いずれも一八九四年制作 ) の前に たち、そのたびごとに深くなる溜息をわたしは吐かないわけにいかなカった 四点とも、同一の石造の大聖堂の正面玄関を、ほとんど同一の視点から捉えて描いている。た モ 、不ー・画家の網膜を見ること ファッサ 7 monet

7. 私の西欧美術ガイド

だありはしないのである。 わば裸の陽射しと裸の石をも、こ だが、それでは話が運びにくい。名札も符号ももたない、い こではかりに陽射しおよび石という名前で呼んでおくことにする。 もしも、ある時刻のルーアン大聖堂の前に、一万年前の人類の一人が偶然立ったとするならば、 この一 どうであろうか。こういう空想を描いてみるのは、ときによって必ずしも無駄ではない。 しくぶんの 人を、有史以前の人間、原始人、人類の先祖などと呼ぶのがわたしは好きではない。、 差別の語調があって、うとましい。そこで、単にさんと名付けておく。 陽射しと石とのそれそれを、そして陽射しと石との関係を、さんは知っている。だが、いま 目の前にある存在は、さんの知っているところとずいぶん相異している。そして、その相異の 基本は形態から、もう少しおしすすめていけば、目の前の存在の構造から、うまれてきているの ではなかろうか。そのことを < さんは了解する。だが、この相異の基本の了解は相異から与えら れる驚愕を消すことはできない。 構造の ( さんにとっての思いがけない ) 新しさは、石と陽射しとの関係に激しい変化をもた らしている。石の形態を統御しているのは幾何学と力学の原理であり、そこにこめられている理 念である。そして、その原理と理念が石を材質として一つの空間を形成している。自然石と陽射 しとの間にあった関係は、もはやそこにありえない。それなら、そこには何が、どういう関係が、 ありえているのか。そこまでは、さんには ( もちろんわたしにも ) 突きとめられない。突きと める気持がおこるには、 < さんの驚愕が激しすぎる。そして、激しすぎる驚愕は眩暈に似た疑惑 をともなっている。わたしのいま見ているもの、こういう現実が果してありうるであろうか。 つまり、石は石であり、したがってまた陽射しが陽射しである、そういう保証が曖昧になって くる。なぜなら、石は柔らかく、陽射しはきらめきをもたない、のだから :

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だ、描かれた時刻が異る。『白の調和』は、早朝。『青の調和』は、陽があがってしまってからの 朝。『青と金の調和』は、真昼。『褐色の調和』は、夕暮れ。どの作品もほとんど同じ大きさ ( ほ ぼ一〇七 x 七三センチが三点。『青の調和』だけが少し小さくて、九一 x 六三センチ ) 。 いずれも、ある一瞬 ( と思わざるをえないほど短い時間 ) における大聖堂の姿である。しかし、 日光をあびて浮き出ている、という感じのものではない。陽射しが石の構築物にしみいっている、 あるいは陽射しのなかに・ほんやりと石の構築物があらわれでている、そういう趣きである。そこ にたいへんわたしは興奮を、静かな興奮を、覚えるのである。 陽射しのなかに石の大聖堂があるのであってみれば、・ほんやりとあらわれでる、とは矛盾して いると思われかねない。だが、モネの作品について見る限り、決して矛盾ではなくて、まったく の現実なのである。 ここまで通念にしたがって、石の構築物と書いてきた。事物としても、フランスの大聖堂はま ず石で造られている。しかし、モネのこの シリ ーズを前にすると、描かれている構築 、、はっきりとしな 和物が石造であるかどうカ くなってくる。木造と見えはしない。むろ 金 、〔、、よ ~ を蔵ん = ンクリートでできているとは思われな 堂美い。ただ、構築物の材質がたいへん曖昧に ア 陽射しがしみ透ってきて、そのためにお ・ほろになる、そういう石がこの世にあるで あろうか。

9. 私の西欧美術ガイド

モジリアー墨 この新しい「受胎告知」において、二十世紀絵画の奇蹟ともいうべき「受胎告知」において、 モジリアーニの果した真の役割は、ステンドグラス職人のものなのであった。 ある伝記作家は次のように記している。 「一九二〇年一月二十四日午後八時五〇分、ふたたび愛する故国イタリヤに帰る夢を果さず、モ の六階の窓から身を ジリアーニ、死去。翌二十五日早朝、みごもっていたジャンヌは、アパート 投げて後を追う」。 しかし、芸術の事実からいえば、逆である。ステンドグラスを嵌めおわったモジリアーニは、 疲労の極、聖堂の高みの足場から転落して、死去。ジャンヌ・エビュテルヌ聖堂、そびえ続けて 倒れることなし : ただし、せつかくの伝記作家の努力に対して、一つだけ応えておくことにする。そのステンド グラスの色は、「愛する故国イタリヤ」の空の色にほかならなかった。 169

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があるのだ、ということを。 ・ほやけるおりを説明することは、やさしくない。おおむね、肉体の疲労と心理の空白による陥 没の生じた瞬間、卒倒する直前に似た瞬間、意識が無意識に侵犯された瞬間、そうとでもいって おくよりほかはない。 事物にむかいあっている。そのとき行われる作業は、二つある。その一つは、相手の事物をこ ちらの記憶の、ひいては知識の、分類のゆきとどいた整理箱の引出しのどれかにしまいこむこと である。ああ、これは大聖堂の壁か、光だな、おや黒いのは影か、などなど。作業のもう一つは、 相手の事物とこちらとの関係付けであり価値付けである。ほほう、これがわたしの見物しようと している大聖堂か、なあんだ、こんな彫刻はちっとも面白くないや、ううん、ここは五分間でい いや、などなど。こういう二つの作業を統括するのが意識である。むろん、この二つの作業の基 礎にはまず相手の事物を受けとめる感覚がある。だが、ほとんどの成人の場合、この感覚は意識 の強い訓導をうけた生徒である。叛乱は許されない。しかし、たまに逆襲の行われることがある。 それが、ぼやけるおり、なのである。そしてそれはたいへん短い時間、せいぜい数瞬のことであ るにすぎない。だが、いわば野性に戻った感覚のすざまじいエネルギーの放出がある、そのきら めきのために意識の目がくらんでしまうほどの : この感覚の叛乱の現場にカイハスを立てるのが、芸術家である。観るものをこの叛乱の現場に 引きずりこむのが、芸術作品である。だが、とくにおのれの絵をその現場そのもののいわば感光 板たらしめようと試み、その前にも後にも例のない冒険にいどんだのが、モネなのである。 陽射しがしみ透ってきて、そのためにおぼろになる、そういう石。こういう捉えかたはじつは、 これまた意識の支配がうむものにほかならない。陽射しも石も、意識の整理箱の名札、分類のた めの符号、であるにすぎない。わたしたちが感じている数瞬の現場にあっては、名札も符号もま