人類が地球上に出現して以来、たぶん二百万年の時間が流れている。そして人類が文字を発明 して以来、およそ五千年の歴史が生れている。このことを考えるたびごとに、わたしは異様な戦 慄が体内を走りぬけるのを覚える。 現在のわたしたちは言葉人間である。言葉がなくては生きてゆけない。言葉はまるで主食の役 目を果している。だが、人類はいっから言葉を使いはじめたのであろうか。そもそものはじめは、 犬の鳴き声や小鳥のさえずりと似たものであったろう。いわばそういう自然音を人間の意識と記 憶と理性によって人工音 ( ? ) へと変革するのにどれほどの時間の経過が必要であったのだろう か。わたしには想像もできない。だから、かりに百万年とする。とすると、その人工音を組織し て文字にするまでに、さらに九十九万五千年の歳月が流れなければならなかった : わたし自身、まぎれようもなく言葉人間、もっと限定していって文字人間、である。いつの頃 からか、わたしの一番好きなものは文字であった。学校では文字の給食を受けた。自宅では文字 を盗み食いした。しかし、果してわたしは健康な人間に成長したのであろうか。 文字に疑問を抱きはじめたのは、もっとも文字をむさぼり食っていた旧制高校のときである。 ジャコメッ一アイー・彫刻の鑑賞距離 giacometti 196
性と独立性がある。となりのオレンジとはもとよりリンゴとも、それが乗っている白い布とも、 リンゴを見ているわたしとも、たち切れて自足している。リンゴはリンゴ自体の秩序をもって、 そこにある。リンゴにナイフを突きさして二つに割ることができるし、そうすべきだが、しかし そうなったからといって、リンゴの秩序そのものは決して破壊されることがない。奇矯な表現を 用いざるをえないのだが、セザンヌの描いたリンゴは描かれたモデルの現実のリンゴ以上にリン ゴ、なのである。 セザンヌのリンゴは、わたしが見てそこにある、というにとどまらない。きみが眺めても、か れが目をそそいでも、そこにある。さらに、そこにあるだけではなくて、いつまでもそこにあり 続けるに違いない、という感じがしてならない存在なのである。 言葉でもってうまく納得してもらうのは、易しくない。、 しわば彫刻のリンゴみたいなものだ、 といいたくなって、やはり躊躇の気持が強く働いてくる。一切の言葉は浅はかである。すべての 比喩もまた空しいのである : だが、このことを誰よりも痛切に知っていたのがセザンヌであったに違いない。 リンゴはそこ にある。それだけのことにすぎない。裸の存在にほかならない。なにかの象徴ではない。知恵の このみ 果実などというのは文学に汚された受けとりかたである。言葉の世界に引きよせることも、言葉 の網で捕えることも、できはしない。ただ、リンゴをしてリンゴたらしめよ。 おそらくセザンヌは、こう考えた。そしてリンゴをしてリンゴたらしめる手段こそが、文学で も音楽でもなくて美術なのだと信じた。 人間の生活の場のなかにあるとき、これもおかしないいかたと思われるかもしれないが、リン ゴはリンゴとして存在しているのではない。人間の食欲の対象となる水菓子 ( わざとこの言葉を 使う ) として存在しているにすぎない。つまり、人間のためのものとしての関係付けのなかで、
ッパになっていたとしても、 詩人アルチュール・ランポーの言葉がある。「銅が一朝目覚めてラ それは銅のせいではないのであります」。このいいまわしを援用すれば、銅がひょっとしたらラ ッパになる装置をしつらえるのが、芸術家なのである。ラッパは結果の一つであるにすぎない。 ラッパは作者と断絶している。 ランポーの言葉をポップ・アートの世界におき直せば、どうなるであろうか。「石膏が一朝目 覚めて寝室と人間になっていたとしても、それは石膏のせいではないのであります」、こうなる であろうか。それとも、「寝室と人間が一朝目覚めて石膏になっていたとしても、それは寝室と 人間のせいではないのであります」、こうなるであろうか。 そのどちらにもなりうるであろうと、ローマの現代美術館のの三点から受けた衝撃のな かで、わたしは感じた。そして、わたしは戦慄を覚えた・ : これは、明らかに在来の芸術と違う。その性格をはっきりするために便利な言葉を使うとすれ ば、ここにあるポップ・アートの作品の O は、一種のオカルト芸術なのである。 これらの作品は、何ものをも喚起しない。喚起する必然を、故意に奪い去られている。ここに ある寝室と人間からは色彩と表情と、さらにいえば感情が欠如させられている。どこまでも白い 石膏の凸凹があるだけなのだから。つまり、この寝室は死物なのであり、この人間は死者なので ある。双方とも現実の一部分であり、したがって生きていながら、しかも死んでいるのである。 その生と死の二重性。これはそのまま、わたしたちにそっくりなのではなかろうか。しかもまた、 仮にある日強大な寒波のようなものがわたしたちを犯して一瞬のうちにわたしたちを冷凍してし まったとして、やがて一千年後の人類が廃墟の底から掘り出すであろうそのわたしたちの姿は、 ここにある作品の < O にそっくりなのではなかろうか。すなわち、この三点の作品は、どんな 意味での鑑賞距離をも所有しないのである。これは、戦慄に値しないであろうか。 258
あとがぎ だし、さすがに目が鋭い。『私の西欧美術ガイド』と、私ののついた題名をすすめて下さった 私のというのは、断るまでもなく一個人特殊のという趣きを示す。事実、このガイドはずいぶ ん勝手なのである。 たとえば、美という名詞 ( ひいては美しいという形容詞 ) の扱いかたである。美術を語って美 という言葉を使わないのは難しい。にもかかわらず、わたしはこれを避けた ( それでも本書中二、 三の個所に散見するのは、世間のいうところの美、という気持である。いわばカッコのなかに入 っているものとご了解願いたい ) 。わたしが避けたのは、美は苦手で悩ましいからである : 美は避けたが、魅惑とか呪縛とか衝撃とか惑乱とかの言葉は多くつかった。そういう言葉によ って、作品からわたしが傷を受けた現場に戻り、傷を与えるものの運動のありかた、およびその ゆくえを報告しようと努めた。作品から受ける感動を、あくまでわたしの生身という舞台の上で のドラマとして記述することを願った : その意味で、『私の西欧美術ガイド』は、西欧の美術作品を女主人公とする変則私小説なのか もしれない。したがって、作者であるわたしの祈りうることは、その女主人公 ( 西欧の美術作品 ) の魅惑の凄まじさに読者のかたがたが、たとえ瞬間にしろ感応して下さることである。この祈り がごく僅かでも叶えられたときに、はじめて本書はその題名『私の西欧美術ガイド』に近づくこ とができることであろう。 ただし、正確さを重んじるならば、本書はアメリカの美術家をも扱っているのだから、題名の なかも「西洋美術」としなければならないかもしれない。だが、「西洋美術」といえば、本書の 性格が漠然とするきらいなしとしない。よって上記の書名とした : なまみ 265
だが、美の原型、となるとどうであろうか。 美の原型とは、別の言葉に移せば、美の本質であり、美の理念である。これまた、長い時間と ンンク 広い空間のなかの数多くの ( わたしの敬愛したり憎悪したりする ) 人間の、恰好よくいえば共時 ディアクロニ 態と通時態の数多くの魂の追いもとめてきたもの、と思い直せば理解できないわけではない。 しかし、その美の本質または理念は、言葉や図式で示されうるものとしてあるかというと ( あ る、と。フラトンもいっているわけではないのだが ) 、あるとはわたしに思えない。 それならば、どうすればよいのであろうか。 一幅の絵画の前に立ちどまって、ああこの作品は素晴らしいと、ひたすら感嘆しぬいて、言葉 を失って立ち続けていればいいのか。 つまり、「美は人を沈黙させる」と観じて、「花の美しさなどはない。美しい花があるだけだ」 ( 小林秀雄 ) と、苦りきって自己充足に堪えて ( ? ) いればいいのか。 いずれも、わたしのなしうるところではない。 理由の第一は、絵画から受ける衝撃はいつもわたしを強く傷つけたからである。この傷はわた 冫をしかない、時には傷口をさ しの内部のどこにまで達しているのか、それを見とどけないわけこよ、 らに大きく開いてまでも : 理由の第二は、わたしを強く傷つけた絵画は一点だけにとどまらず、また一人の画家のものだ けに限らず、しかもそれらは古典から前衛までの多岐な多数に及んだからである。つまり、わた え しの前に出現するじつに多方向な志向と表現をもっ作品のそれそれに、まことに他愛なくわたし あ は魅きつけられてしまったのである。浮気か、一夫多妻か、無節操か、それともアナーキーか。 な 雷できれば、そのいずれだとも思いたくない。そのためには、わたしの受けた傷のそのさまざまを 避 検証し直してみなければならない。 にが ポリガ
たとえば、例のモナ・リザの徴笑の謎。ほほえんでいるのか、いないのか。さそいかけているの か、いないのか。つき離しているのか、いないのか。皮肉つぼいのか、ぼくないのか。大昔から 幾通りもの解釈が行われてきていて、しかも一つに確定することがない。 だが、謎は顔にだけあるのではない。背景のひどく北欧的な自然。喪服に似た黒っぽい服装。 きつく締めつけられすぎていると思える胸元。それに比べてひどくやわらかい手と指。改めて眺 め直してみれば、いたるところに謎はある。そして、いずれにおいても解釈を拒絶している。 もちろんこういう事柄は、ほかの作家の作品においても、ごく普通にありうることである。た とえば、誰が描いたのでもいいのだが、ある婦人の肖像画。そこにも解釈に苦しむところはたく さんあるに違いな、。 もともと目であろうとロであろうと、絵具を用いて行われた形象は言葉へ の翻訳が不可能なものである。言葉に移しかえて表現できないものだからこそ、絵具で形象を描 き出したものなのだから。したがって、これは悲しみの目だ、というのはせいぜい形象という実 体の一面だけを伝えるにすぎず、不正確であるばかりか嘘に近い。モナ・リザの微笑という場合 のその「徴笑」もまた、じつは「悲しみの目」という場合とほとんど異らない。 ただし、この『モナ・リザ』にあっての特徴は、あらゆる解釈を拒絶すること自体が制作の目 的となっているところにある。その点こそが、類を絶している。そして、解釈の拒絶とは、言葉 ( ひいては既成の思想 ) への不信と物質 ( ひいては自然科学 ) への信頼にほかならない。 だが、このことを語るものは、『モナ・リザ』という作品においてのどこの何なのか、そうな ダると、もはや複製では間にあわない。じかに原画にむかいあうよりほかはない。 額、眉毛のない眉、目、鼻、唇、頬、顎、胸、衣服、手、これらのすべてが大小の球体からで きあがっている。平面の円から、なのではない。奥行のある三次元の球体から、なのである。し かも、これらの球体の相互は関聯しあって、一定の運動系を構成しているのである。
切ない、 という形容詞が必すしもわたしは嫌でない。便利な場合もある。したがって、ときお り文章のなかで使うことがある。だが、そのたびに一瞬のためらいを味わう。情念をそのまま伝 える言葉は、ときによって相手の共感を呼びやすい。「つらいんだ」と、のつけからいわれれば、 「ほう、どうしたんだ」と身をのり出してこざるをえない。それは、相手の親近を招きよせる。 そんな甘えが、いったい許されるものであろうか。狎れることによって失われるものがあっては いけない。とくに、生きているものへの畏れが : しかし、ゴッホの作品に対してだけは、切ないという言葉をどうしても使わないわけにいかな その所以を書くことが、わたしのゴッホ論になりそうである。 昭和十六年の六月、旧制高校生であったわたしは渋谷大盛堂書店の本棚から、新刊の『原色版 ゴッホ画集』 ( というような題名であった ) を取り出して、幾度もページのあちらこちらをめく っては閉じ、閉じてはめくった。凄いなあと、しんから感嘆した。ほとんど震えがきた : 当時、絵のカラーの複製は高価であった。美術雑誌にも数点でるのがやっとであった。そうい うもののなかで、それまでにわたしは何枚かのゴッホの作品に接していた。だが、こんなにまと 、 0 コ ッホー複製は真実を伝えない ? 0 3 an gogh 0
二十歳のころ、これを読んでわたしはひどく感動した。それまでは、建築などは単なる実用品 であると思っていたのである。 それ以来、わたしは日本と西欧の建築の数多くを見つめたり眺めたり感じたりしてきた。ヴァ ーの言葉を「なるほど、もっともです」と思ってきた。だが、感動はしなくなってきた。い かにも、明快な種類分けである。だが、明快であるにとどまっているのではなかろうか。 たとえば、このサグラダ・ファミリアの塔は、その三種類のうちのどれになるのであろう。 いいたいところである。だが、見つめていると、そんなふうに なろん、「歌っている建築」と 単純化できない苛立ちが次第につのってくる。一筋縄ではいかない相手を前にした悶えがうまれ てくる。そこでわたしは、四日間のバルセローナの滞在日のもう一日をさいて、あたらしくこの 塔の下に立って仰ぎ見た。そして、納得した。 この塔は、「歌っている建築」である。そして、「語りかけている建築」である。同時に「黙っ ている建築」である : つまり、詩と散文と沈黙の ( 建築とい う言葉をわざと避けて ) 構造物なのであ る。 いかに , も、ここには秩 ~ 序と砒一和と一流動、 塔 尖 会 教詩 ( ほとんど歌、音楽 ) がある。だが、 にもかかわらず、具象の喚起カおよび描 写、つまり散文がある。そしてさらに、 物その具象をものみこんだ存在そのもの、 247
が真実だと思うよりほかないではないか、と考えた。そう考えると、たいへん嬉しくなった : この証明という件では、じつは後年になって面白い体験をわたしはした。だが、それはこの文章 のもっと先のほうで語るべきことであろう。 この『本通りとわき道』は、ずいぶんとわたしを魅きつけて離さなかった。そのためにわたし が不安になったほどである。 ある日わたしは決心した。「別れなければならぬ」。そこで、言葉を一つ贈 0 て、さよならを告 げることにした。言葉はたちどころに湧き出てきた。しかしそれは、わたしがそれまでこの作品油 に感じとっていたものを必ずしも端的に集約しているとも彩 思えなかった。たが、ともかくここに書き記しておくこと にする。「正確な線の不正確なふるえよ、じゃあ、また会 * う日まで」。 別れはしたものの、すぐまたわたしに取りついたものが 場 ~ あった。同じ書物『クレエ』のなかの別の原色版『幻想喜 1 歌劇《船乗り》の死闘場面』である。 ル暗い画面の中心に明るい場景が浮びあがっている。中央 佃左手にビンクの小舟があり、騎士風な人物が立って水平に 劇「槍らしいものを構えている。その右手には、槍らしいもの 想ゼの穂先に突きさされて身悶えしている魚、そのうしろに 目をむいている魚、魚 < との手前にアザラシに似た ( 魚といってはいけないのかもしれないが、かりに ) 魚 がいて、ぬうっと首をもちあげて小舟の人物のほうに身を 175
け加えられた言葉であるにすぎない。言葉であるからには、作者当人のものであろうと、信用し ないほうが無事である。作品は作者から独立する。相手にしなければならないのは、いつも作品 だけである。 たとえば、日の丸の旗。これから与えられる感銘は、戦中派と戦無派とではまるで異る。まし て、ベルギー人であれば、ひどく違ってくる。そして、ベルギー人の先祖とでもいうべきポッシ ュの作品を見ているわたしは、数百年後の日本人なのである。 つまり、ポッシュの作品のなかの人間という主役をも、事物そのほかの脇役をも、当時になわ されていた意味が剥脱された対象、すなわち裸のオブジェとして受けとらなければならない。そ れでいてなおわたしに衝撃を与えるものこそ、芸術なのである。 ポッシュは自分の見た人間世界を、自分の感じたこの世を、見たままに感じたままに描いたの ではなかろうか。わたしがこの画家の作品、とくに「地獄」と「地上」とから与えられる衝撃を、 なん度となく受けとり直したすえに抱く感懐は、そこに帰着する。 見たままに感じたままに、というところまでは、おそら くすべての美術家にあてはまる。だが、ポッシュの独自な ヤところは、それからあとにある。まず第一には、ポッシュ ギ から見られたもの感じられたものが、そのままではいない ナ で直ちにポッシュを逆に見つめ感じる、つまり呪縛したと いうことである。つまり見いることが魅いられることであ カンっこ 0 荊次に第二に、ポッシュの見たもの感じたものは、あれや これやの個別のものではなくて、人間世界の総体、すなわ