同一性 - みる会図書館


検索対象: 音を視る、時を聴く 哲学講義
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1. 音を視る、時を聴く 哲学講義

しかに違うとも言えるわけですね。しかし数学の中では、イコールでつないでいい。計算の中で それを置き代えてよろしいという意味では同一なんですね。ですから数学者は非常に神経質に、 イコールということを定義しているわけですね。物理学者になると、たとえば陽電子と電子がぶ つかってガンマ線になる。そうすると陽子と電子のペアとでき上がったガンマ線は同じか、と言 ったら物理学者は、その二つから出てきたガンマ線だから同じだと言う人もいましようし、片っ 方は電磁波たし、片っ方は素粒子だから違うとも言いますね。しかしそこでなにもゴタゴタは起 きないわけです、物理学者には。はっきりしているわけです。どういう意味で同じだと言ってい るのかわかっていますから。人間の場合もそうで、私が酔っ払ってる時と素面の時と人が違うと 言われますね。これはだれも疑間を持ちません。と同時に、同じ大森であるということにも疑問 持たないわけです。そのように同一性ということの使い分けをわれわれは自由に、日常生活の中 でやってます。ですからその日常生活の中での使い分けがおたがいに諒解されてれば危険はない んです。ところが哲学屋がそこへ人ってきて理屈を言い出す。同一性とは一体どういう条件を充 たした場合をいうのか、といい出したら混乱が起きてくるわけです。たとえばヒュームは、人間 は刻々違うんだから人格の同一性は妄だと言う。これは私はヒュームの大間違いだと思います。 というのは、ヒュームには同一性の意味はたった一つしかないものという先人観がある。だから 間違えるわけです。そうすると、では同一性という概念は、どれだけフレキシプルなのかという ことですね。それは一つの文化の中で大体おのすと合意されていくと言う以外ないと思いますね。 万く今〉とはどういう時間か

2. 音を視る、時を聴く 哲学講義

することは、もうすでに過ぎ去っていますからできませんね。できるのはテープにとってゆっく り回すか : しかし同じハンカチの三種類の見方にしても、同時に三種類見ることはできないので、その時 間は過ぎ去っている時間 : なるほどおっしやるとおりですね。同じということをきつくとりましてね。同時刻のハンカチは ただ一つになる。だからそれと同じものはありえない。 しかしもう一段ゆるめた同一性ですね、 時間を通じての同一性をとりますと、異なる時刻のハンカチの間に同一性がなりたつ。一方、時 間の場合に、まず、きつい意味で二つの時間が同じだということはもちろんありません。更にそ の上、ハンカチの場合ではあり得た、一段ゆるめた意味の同一の時間の断片、これもないんじゃ ないでしようか。 それがないことが時間ですね。時間の性質 : ・ そ、つだと思いますね。そしてある生活の断片を映画に撮ってゆっくり回すとか、早回しをすると か、という時は、時間的な拡大じゃない。空間的拡大に対応する時間的拡大でないように思うん 未来が立ち現われるウ 8

3. 音を視る、時を聴く 哲学講義

再生音の同一性 いますでに再生音とお 0 しゃ 0 たわけでしよう。その中に含まれる感じは、たとえば録音なす 0 た時の音がもう一度生き返 0 たような感じですね。しかし、おそらく坂本さんご存じのように、 それは同じものではない。そう感じられている。 そうですね。だから正確には再生じゃないはずですね。再生音じゃない。 そうですね。じゃ、何かと言えば、非常に簡単なことですが、似た音である。そして ( イファイ だというのは似方が ( イファイなわけでしようね。これはレコードだけじゃなしに、写真もそう じゃないでしようか。それは結局、同一性の問題ということですね。同一性の問題というのは、 たとえば、よく昔からいわれるのは、きのうの私ときようの私は同じか。酒飲んだ時の私と素面 の時の私は同じか。それは私は言葉の使いようだと思います。同一性という言葉はじつにフレキ シプルな言葉です。たとえば三分の二と六分の四は同じであるか。小学校三年生は同じだといい ますね。しかしあるツムジ曲りがいて、三分の二の分子は二なのに六分の四の分子は四じゃない か。そこが違うじゃないかと言われたら、小学校の先生どう言うか。その質問は正しいので、た く今〉とはどういう時間か 76

4. 音を視る、時を聴く 哲学講義

なるはど。この間、精神医学者に聞いた、精神分裂病が悪化してくる感じを思いだします。始め は比較的軽度の精神分裂病で、数年かかって人格が荒廃していくわけですね。始めの方は家族が きた時に、非常に愛情があって、たとえば自分の妻が病んでいる、ということで実際に悩む。そ の頃は奥さんにとって、彼は昔の夫と同一人物です。だんだん、だんだん荒廃していくと人間関 係はずれる。奥さんは、彼は人が変ったと感じだす。それは非常に感情的なものを含んだ同一の 人という同一性だろうと思いますね。今の音の場合は機械的でおもしろいですね。両方の場合と も、同じだとも違うとも言えますね。たとえ人格は荒廃しようと、前と同じ人間だと言えば言え ますし、しかしもう全く人格が変れば人間のいちばん大切なところが変ったんだから違うとも言 える。 同じものと違うもの もう一つの例は、、 しま思いついたんですけど。二つの音源から音出しますね。で、同じ波形で、 同じビッチで、同じ強さで出します。ビーツと。聴こえるとしますね。だから聴くと一つの音 が鳴っています。たとえば片方だけを少しビッチを上げていきます。だからどっかからすれて いく。どのへんから二つの音として聴こえるか : これは感覚的にほとんどの民族が楽器に く今 > とはどういう時間か

5. 音を視る、時を聴く 哲学講義

知覚的世界に真偽はない そうです。ただ同一性とちょっと違って、同類性の問題ということになります。人間とロポット は同類か、これは時の文化とそれを判断する人間の生き方が決める。つまり科学的問題ではなし に道徳的問題だと思いますね。ですからロポットも、ある人は人種差別的で、これは人真似はう まいが、腹を開けてみればへんなものが入っていると言って人扱いしませんが、しかしそれに長 く付き合った人間は、ふつうの人間だったら、愛情を感じてロポットのことを人間だと思うでし ようね。あるいは死者ですね。死者は生きている人間と同類か。つまり体がなくなって魂だけに なった。つまり裸の魂と、体を着ている魂とは同類か、同類でないか。古代では今よりはるかに 同類性を意識したものじゃないですか。ご存じでしようが、日本の縄文の頃のお墓の発掘がたく さんありますが、その時に大体、骨は屈葬、折り曲げてあるわけです。これはおそらく手足を縛 ったんだろう。あるいは胸やお腹のところへ石を載せてある。あるいは頭のところにかめを被せ てある。これは明かに死人がもう一度出てこないように、そうしたのだろう。死人はこわいです から。人類学者の書物によると、おそらくそうである。ですから死者と生きた人間との同類性はい まよりはるかに強かったんじゃないでしようかね。それを、たとえばある教養のある科学者がき て、昔のやつは迷信で間違っていたんだと言ったとしたらその人は実は教養がないと思いますね。 く今〉とはどういう時間か 82

6. 音を視る、時を聴く 哲学講義

一つの音をテープにとりのちほどこれを再生した場合も、同じものがもう一度出てきたのか、あ るいはただ似た音にすぎないのかという初めの問題です。それはやはりその時その時の同一性の、 フレキシプルな範囲中に人るんじゃないでしようか。実際的には全く同じ音だと言って特に問題 はないんじゃないでしようか そうですね。錯誤というか、そういう問題に入ってくるかもしれないけれども、その太鼓の音 がスビーカーから聴こえてきます。実際には、たとえば二つのスビーカーの中間から聴こえて くるんですね。そこには音源がありません。しかも再生音だということわかっているんだけど も、たしかにドラムの音以外には聴こえない ドラムじゃなくてビアノには聴こえない。だけ どもここでだれもドラム叩いているわけじゃない。つまり、わけじゃないというのは見えない し、それがレコードなりテープなり、スビーカーから出ている再生音である、ということを知 らない人をつれてきて聴かした時に、それ、やつばりドラムの音なんですね、その場合。どう なんでしようか それは私、実際いまも経験しているんですね。いま、私の家の隣りにマンションが建ちかけてい る。左前方に七階建がもう建っている。工事の音がうるさくて閉ロです。ところが、ある部屋で は、どうしてもガンガンいう音が既に建ってるマンションから聴こえてくるんです。おそらく反 83 く今〉とはどういう時間か

7. 音を視る、時を聴く 哲学講義

おっしやるとおりです。坂本さんは音の専門だけど、素人だったら、たとえばある町へいく時に、 どんな町だろうと想像する。ところがいってみてがっかりしたり、あるいは隸ったよりよかった りします。その時はもちろん現実の知覚というのは非常に強力ですね。そして町に着くまでにい ろいろ思い浮かべた町の姿ははとんど消えてしまいますね。ですから坂本さんがおっしやってい る知覚様式、思い出し様式、見込み様式、つもり様式、これらのうちで、最も強力なのは知覚様 式です。理由は簡単なんで、われわれは一生、知覚様式の中で命を養っているわけですからね。 その点はそのとおりだと思います。しかしそれでも知覚様式だけがびゆっととび出しているわけ じゃなしに、いわばかなり広大な裾野を持ってきますね。しかし、日常の場合はそうですが、異 常なケースが出てきますね。たとえば妄想患者の体験はその一つでしようし、それからいわば自 分の掌を読むような有能なセクレタリーなど、ポスの一日の生活をまるで現実のように、手で、 あたかもさわれるようにいいますね。ポスがそれと違ったら、そっちがいけないんだということ 真っ最中 的にばくが聴いていた大森先生の声と、実際会ってしまってこういうふうに同一性も非常にた しからしい先生の、実際の知覚的な聴こえ方の様式の声と、これはものすごい差があるわけな んですね。 1 乃未来が立ち現われる

8. 音を視る、時を聴く 哲学講義

はばくはびつくりしたんですがね。 それは私はいい例だと思います。よくボグシングの試合でお客は自分がポグサーになったように ンチだと言う、ところがひいきのポグサーがやりそ 手足カみましよう ? その時に、そこだ、パ こねた、そういう場合がそれでしようね。 そうでしようね。ばくはその時、ずいぶん前なんですけれども、覚えているのは、要するに木 来的な立ち現われのばくの和音ですね。この強さというのかな。これにばくはびつくりしたん ですね。 そうでしようね。大いにあり得ることだと思います。 ところがこれはほんとは反対のことも言いたいわけで、たとえば大森先生にこうやって会う以 前に大森先生のご本読んでいますね。そうするとなぜか想像的に、と言いますか。大森先生の 声をばく自身が創作して想像的に聴いているわけですね。聴きながら読んでいるわけです。こ んど実際にお会いします。そうすると聴こえますね。で、初めに会った時の声と、 いま聴いて いる先生の声というのはばくにとってはほとんど同一のわけですけれども、その会う前に想像 未来が立ち現われるウ 4

9. 音を視る、時を聴く 哲学講義

みんなが知ってるわけですね。 そうです。音の場合もそれと同じです。録音した時と再生音ーーー再生音という言葉使えば 同じかといえば、ある意味で同じだと言えるわけです。再生ということがまずいわけじゃない。 ちっとも間違いじゃない。 しかし片っ方の音はすでに消えてしまっている。いま聴いている音は いま生きている。だから違う音だという言い方をすれば、みんなも、その意味じゃそうだと言う でしようね。ですからそれは使い分けだと思うんです。 同一音の連続的変様 その時に坂本さんに伺いたいことが一つある。またヴィジュアルな視覚のほうから言いますとね。 カナダのほうで作られた映画を昔見たことがありますが、色の斑点が出てくる。これがさまざま にスグリーン上を動いていくわけです。ある場合にはこれが二つに分れる。また結んで開いて一 つになる。ある場合にはスグリーンから出ていくような感じがする。またこっちから人ってくる。 さア、この動きまわる斑占 ~ はみんな同じか、違うか。この事例は同じであるか違うかということ が如何にフレキシプルであるということを見せるいちばんいい事例じゃないかと思うんです。同 く今〉とはどういう時間か 78

10. 音を視る、時を聴く 哲学講義

観思想で、人間は没落に向かっているというのは時間の間題ではない、人間の運命の問題ですね。 それからプラトン的に言えば世界はもう一度もとへ戻る。これは第一、論理的におかしいです。 しかし人間のすることは、何をやっても四百万年たてばもう一度もとへ戻ってくる、そして人間 は永遠にこの輪廻をくり返すというような考えで生活すれば、それは他の考え方とは違った生活 態度になると思います。それにもかかわらず、それは時間についての見解の相違ではないと思い ます。ですから結論的にいうならば、前と後、それから同時というものがあって、過去は過ぎ去 ったほうへ流れていって未来がだんだん現在になってくる。これは万古不易というのはちょっと 言い過ぎかもしれませんが、カント的な意味で、人間が人間である限り動かないところじゃない かと思、フんです。あとは私がさっき申し上げましたよ、つに直線上という大まかなことからもう少 し細かいことですね、あるいはアインシュタインが一言いましたように同時というのも座標系が違 えば必ずしも安定しないとか、その技葉は動いてますね。しかしその基本線は私は動いてないと 思います。それに対応するのは、たとえばわれわれの住んでいる空間が縦、横、深さという三次 元である。これはどんな部族もそう思ってます。これも動かないでしようね。その意味で空間が 三次元をなし、それと直線状の時間が人間の直観の基本的形式だというカントの言い方は、まず 動かないんじゃないかと思います。これは相対論が出てもそうですね。それからまたカントが言 った、いわゆる基本的な概念、カテゴリ ーの中でも原因と結果たとか、それから私たちがきのう から少し体重が減ったりふえたりしてますが、それでも同じ人間だというふうな同一性ですね、 く私〉はいない 218