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検索対象: 音を視る、時を聴く 哲学講義
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1. 音を視る、時を聴く 哲学講義

言語学のほうでも声音のオッシログラフでいって、最初の十分の一とればまずまず音韻を判別で きると言っています。それであとの九割は冗長だと言う人がいますね。だからそこの冗長部分を 空白にしてもよろしい : : : 最小限度のコミュニケーションには、ですが。それとその話でつなが っていくのは分解能だと思うんです。たとえば顕微鏡の分解能を超えて接近している二本の細い 糸を見ると一本に見えてくる。そうすると、物理学者や心理学者は、いかにもそれが人間の目の 限界で、ほんとは二本なんだ。一本しか見えないのはこれは人間の目のほうが悪いんだと言って いるんですが、私はそうは思わない。物理的には二本であるが、ある距離からそれが一本に見え る、それが真実じゃないか。 まったく同じことを音で言いますとね。ばくが誰か耳の鋭いひとをつれてきて聴かせますね。 この音ちょっと聴いてくれ。いくっ音聴こえた ? 一つ聴こえた。ほんとに一つか ? ほんとに 一つだ。ちょっと待ってくれ。いまテープを倍速にする。回転を遅くする。二分の一の回転速 度にする。そうするとタタッと聴こえる。音は一オグタープ下がりますが、タ、タ、と聴こえ る。これいくつだ。二つだ。ほんとはね、このテープはちゃんと二つこういうふうに音が吹き 込まれている。二つ聴こえたでしよう。ほんとは二つ音があるんだ。だけどこれを元に戻すと、 これは人間の耳には一つこ恵 冫こえちゃう。ほんとは二つあります、って、そういう世界で仕事 してるし、そういうことになっていますけど、これを本当に、じゃ、音が二つあるとはばくは 刃く今〉とはどういう時間か

2. 音を視る、時を聴く 哲学講義

射してるんでしようね。しかしその時、私は毎日続けて自分の家に住んでいるから、なるほど、 音がはね返ってるんだなあと思いますね。ところがなにも知らない人がきたらば、もちろんそこ から音が出ているんだろうと誤解しますね。それを誤りというなら完全に誤りですね。したがっ て音源がどこにあるかということについての判断は、われわれ、しよっちゅう誤ると田 5 うんです。 しかし音がそちらから聴こえること、それは全くの真実です。それと同じで、なにもないところ からドラムの音が聴こえてくるという体験自身、それ自体はなんらの誤りではないですね。ただ 本当にそう聴こえてくるのですから。 そうですね。聴こえていることを聴こえてないとは言えませんね。 そうなんです。私もたびたび引きますが、デカルトもそれを言っているんで、たとえばへんな怪 物が見えた。その体験だけとるならば、真でも偽でもない。そのほかのことと関連してみた時に はじめてそれが妄想であるということになるので、それ自体としては真も偽もない。ですからい まのドラムはそれ自体、体験として明かに左右のスビーカーの真ん中から聴こえてくる。真ん中 から聴こえてきているということは真でも偽でもない。もっと深い、そのものですね。ただその 時に、なにも知らない人が、真ん中にドラマーがいるんだと思って見にいったらそれは間違いに なるわけですね。それは予測の間違いじゃないでしようか。予測の間違いであると同時に、もう く今 > とはどういう時間か

3. 音を視る、時を聴く 哲学講義

ともあります。だから周波数が同じだということもわりと条件になってきます。 ああ、なるほど。それと関連してなんですが、光の場合は鏡像反転がありますね。音の場合もそ ういう鏡像反転に当るものはあるんでしようか。たとえばオーケストラの編成、各楽器の位置を 鏡像的に変えてやるわけです。そうすると聴こえる音は : オーケストラの場合、起こりにくいんですが、ばく達がふだん使っているレコーディングの機 械、それから再生スビーカーを使うとします。音に位相という性質がありますね。自分の目の 前に二つのスビーカーがある。それでレコードかけると、たしかに音はスビーカーから聴こえ てくるはずであるとなってますが、ある操作を加えてやると、自分の後方から音が鳴って聴こ える。前から聴こえるんじゃなくて。ある音は後ろから聴こえる。その聴こえたところにはも ちろんスビーカーはないはず、ということがありますね。 それは音の虚像現象ということになりますか。昔、中学校で習ったんですが、音のレンズという のがありますね。炭酸ガスをレンズの様に用いる。音は屈折するんじゃないですか。 ばくはそれは経験がないですね。ただ、あるガスの中でしゃべると周波数は違って聴こえたり く今 > とはどういう時間か 44

4. 音を視る、時を聴く 哲学講義

そうですね。それは、ただ未来的に聴こえたというか、その音はばくにしか聴こえませんね、 つまり先生には聴こえない。それで、つまり自分の中とか内面とか : そうだと思います。しかし私がライターをこう上げたら、ライターの後、裏を見てるのは私だけ ですね。今。坂本さんにそれは見えない。あるいは私の目が異常に鋭いとすれば、坂本さんに見 えない、このたばこの構造が見えます。坂本さんの耳が非常に鋭いことは疑いない。だから私に は聴こえない音の微妙な差、響き、それはしよっちゅう聴いてられるわけですね。ですから、あ る人にのみ聴こえる、他の人には見たり聴こえたりできないというものは、別に珍しいことでは ないわけですね。それから何か考え事をする、あるいは念頭に浮かぶというときは、何か心の中 にあると感じるわけでしよう。そのときに私お願いしたいのは、具体的に「何が念頭に起きたん ですか」と考えていただきたい。たとえばひょいとこの場で、他の人のことを思い浮かべたとし ます。たとえば坂本さんの奥さん。そうすると、その坂本夫人は本物の坂本夫人でしよう。その 坂本夫人がいるのは東京都内じゃないですか。ここからだいぶ離れてるんじゃないですか。 そうですね。 どんなに言っても、あなたの心の中とは言えない。「、いの中」と言いたくなるのは、その場合、 ーく私〉はいない

5. 音を視る、時を聴く 哲学講義

読経のときに、大きな木魚があり、それから小坊主が時どき小さな鐘を「カーン」と鳴らしま す、三人のお坊さんがやります。読経の声というのは分別し難い集団の声というか、それでま た一つの音じゃない。 一つのジャングションであり、周波数のかたよりの大きい倍音が突出し て聴こえて、一人のお坊さんの読経もたくさんの声になってるわけなんですよね。チベットの ブッディストのお祈りの場合もそうですけども、低い周波数のところと高い、まあ科学の言葉 で言えば倍音という、要するに二つの声を出しておりますね。二つだけじゃないけども、ばく には二つぐらいにしか聴こえない。実際にはたくさんの倍音があって、ある音色に聴こえると いうふうに言ってますけども、ばくにはあのときは二つに聴こえた。それから木魚は、要する にビートを出してるんですね。そうするとこういったものが、木魚が鳴るときに「ウー、ウー」 というふうに鳴る。しかも言葉がありますから言葉自身も、ここでいろんな抑揚があってビー トを出してる。それから鐘が鳴るとこれは一瞬全部変化します。鐘は「カーン」と鳴って広が って消えていきますね。そうすると、これ全体の音響の聴こえ方が「カーン」、一瞬サーツと 低音がなくなって、それでまただんだん低音がワーツと聴こえてくる。だから鐘は、たとえば 一回鳴らすといろんなアグセントが複雑にからんでいるわけなんですね。 その点は、今のは仏教でしようが、カソリッグのミサ音楽も全く同じねらいであり全く同じ効果 があるんじゃないでしようかね、宗教音楽。 未来が立ち現われる巧 4

6. 音を視る、時を聴く 哲学講義

一つの音をテープにとりのちほどこれを再生した場合も、同じものがもう一度出てきたのか、あ るいはただ似た音にすぎないのかという初めの問題です。それはやはりその時その時の同一性の、 フレキシプルな範囲中に人るんじゃないでしようか。実際的には全く同じ音だと言って特に問題 はないんじゃないでしようか そうですね。錯誤というか、そういう問題に入ってくるかもしれないけれども、その太鼓の音 がスビーカーから聴こえてきます。実際には、たとえば二つのスビーカーの中間から聴こえて くるんですね。そこには音源がありません。しかも再生音だということわかっているんだけど も、たしかにドラムの音以外には聴こえない ドラムじゃなくてビアノには聴こえない。だけ どもここでだれもドラム叩いているわけじゃない。つまり、わけじゃないというのは見えない し、それがレコードなりテープなり、スビーカーから出ている再生音である、ということを知 らない人をつれてきて聴かした時に、それ、やつばりドラムの音なんですね、その場合。どう なんでしようか それは私、実際いまも経験しているんですね。いま、私の家の隣りにマンションが建ちかけてい る。左前方に七階建がもう建っている。工事の音がうるさくて閉ロです。ところが、ある部屋で は、どうしてもガンガンいう音が既に建ってるマンションから聴こえてくるんです。おそらく反 83 く今〉とはどういう時間か

7. 音を視る、時を聴く 哲学講義

いよいよ最終講義になりました。前の講義を伺っているとき、誰かの演奏を聴いていてグラッ シ = したという私の経験を言いました。そのときも聴こえてて現実に誰かが弾いているのは現 実の音で、クラッシ = したんだけども、もう一つの不協和音を呼び起こしたのはばくの中にあ るというふうにどうしても思えていた。ところが今は五分五分なんですけど、だいぶ大森先生 の言い方に慣れてきましたから。 ど , つもありがと、つごギ、います。 ( 笑 ) だけど、要するに外に聴こえるものとは違うわけで、その音の場所ですね。 それが知覚的に聴こえていないにせよ、音である限り、どこかから聴こえてくる音として想像さ れている。それがたとえば鼻の付け根の後ろ 5 センチあたりで鳴っているというのは、私には想 像できません。喉の音とか腹の音とかはともかくです。 心の中とはどこか く私〉はいない一

8. 音を視る、時を聴く 哲学講義

つまりばくの経験ですと、その違いは、むしろ音色の違いとして感じられます。ずれとしては 聴こえてこない。ずれとして聴こえてくるのは、もっと粗い、たとえば千分の四十ぐらいでし ようね。それとどういう音が鳴るかによってずいぶん違う。 でしようね。そこで坂本さんに伺いたいんですが、その時、音色が、いまおっしやったように違 って聴こえます。ですがそれが一つの音であったか、二つの音であったかを、その人に訊いてみ ると、両方の場合とも一つの音だと言うんじゃないですか。 そうです。ばくはそういうふうに仕掛けるはうですから、意図を持ってそういうことができる 機械を操作して二つの音を出すことを欲している。だからいわゆる科学的な描写で言えば二つ のずれた音が鳴った。けれども、音のずれを必要としているわけではありません。ばくも知覚 の上ではずれとは聴こえてないわけです。 でしようね。おそらくそれは百分の一秒以下じゃないでしようか。音の二つに先と後があるとい うことが識別可能なのは百分の一秒あたりじゃないですか。 リ見ることと聴くこと

9. 音を視る、時を聴く 哲学講義

はい、そうです。光の場合には光の光源の性質ですね。たとえば色とか、光の強さ、そういう ものをもちろん条件として : ええ、あるんですが、それはあんまり決定的には響かない。 そうですか。決定的というその度合いがばくは数値的にはわかりませんが、音の場合では、ど 力なり重要な気がしますね。だけども、 、つい、っ立日かとい、つこと、つまりエンヴェロープとかは、、 経験的に言いますと、時間の幅ですね、二つの音が出る、これはかなり決定的だと思います。 その時、一つ一つの音を別々に聴くと非常に鋭い断続音が聴こえるとします、点状の。その二つ の音は、たとえば高さが違い、そして音源の距離が違うと仮定しましよう。たとえばポンツ、と ートに聴 , えるとい、つこ やってポンツとやりますね。それが時間間隔が狭いと、なだらかなレガ とにはなりませんか。 なりません。ビッチの違いですね。フリグエンシーの違いは、たとえば同じ時間間隔で同じよ うなアタックを持ったものが、同じ周波数を持って鳴ると、つながって聴こえる。ところがオ クタープ上の音だとそれは別々の音として聴こえる。つまり運動としては聴こえないというこ 43 く今〉とはどういう時間か

10. 音を視る、時を聴く 哲学講義

じだと言 0 てもよろしいし、違うと言 0 てもよろしいし、おのおのどういう意味で同じか、どう いう意味で違うか、ということは百も承知してますね。 そうですね。 これが、坂本さんのレコードですと、同じ太鼓の音が続いているという言い方も不可能ではあり ませんが、しかしビートは大体分れて聴こえますね。しかしその後にあるレガートのようなもの、 これは大体みな同じ音が続いている。途切れないというふうに言いますね。その中間のあぶない ところ、それができたらおもしろいんじゃないでしようか。 おもしろいですね。単純な短い言葉をず 0 と繰り返していくんです。それを、いろんなやり方 ありますが、たとえばいま、ばくの声をとりますね。で、すぐ再生します。再生したのをまた 録音します。と同時に再生します。それ何回もや 0 てて、この部屋の固有の振動数に、取斂し ていくわけですね。要するに声が変化していく。 ずっと繰り返していくと、最初の時はほとん ど人が言 0 てるように聴こえる。で、四回目ぐらいのところ聴いてもそんなに違わないけど、 ま、少し違うかなあ、音が違う。でも言葉ちゃんと聴こえる。たとえば三十分も繰り返せば、 もう言葉として聴こえないですね。こういうレコ ートがありますね。 フ 9 く今 > とはどういう時間か