人間関係 - みる会図書館


検索対象: 文学再生計画
117件見つかりました。

1. 文学再生計画

誰もが人間性Ⅱこころを豊かにする権利が保障されていますとか、そんなこころを開いてコミュ ニケートしなさいとか、積極的に議論・対話するのが望ましいですとか、お互いに理解して尊重し あいなさいとかさ。要は愛想よく、楽しそうに、仲良くしてろってわけだろ。 : 話は少しズレる けど、いじめとか流行るのは明らかに「仲良し」が強制されてつからだよな。教育関係の連中は、 他人やまたは自分にも関心を向けない怠惰さの価値がまるでわかってねーよ。 〇独りつきりで「不機嫌」でいること、誰にも気がねする必要のないあのつまらなくってパッと しないグレイの時空を確保することこそ人間の条件、そして誇りだと思うんだけど、俺らの社会で はそんなの許されていないんだ。大塚銀悦の『濁世』 ( 文藝春秋 ) は社会の最底辺で蠢く香ばしいオ ッサンや爺さん婆さんを描いた悲惨な小説でさ、でも何が悲惨かって、この人らが薄汚い小金稼ぎ やチンコマンコのことばっかり考えているのと異なり、案外「豊か」な人間味をもっているところ なんだよな。一切合切奪われているにもかかわらず「豊か」なんじゃなくって、奪われているから こそ「豊か」なんだ。 ・ : ともあれ、『段ボール』の杏は「豊か」で善意に満ちた社会の " 外 ~ 、路上とゴミの側に留ま って、不毛な「不機嫌さ」を貫く闘争を敢行しようとしている。 「そうだよ、ゴミさえあれば、 どんなふうにだって復讐できるんだ。上目遣いにではなく、真っすぐに全部を直視して。」 0 8 9 「不機嫌」と放浪

2. 文学再生計画

彼女と少年の母親が蒸発した直後のダイニン グルームへとたどり着くのだ。時間を逆行し たのだろうか ? しかし、なぜそこが「約束 の地」なのだろうか 「魅力 / 謎」の新陳代謝、とつのは簡単だ が、もちろんそれを可能にしているのは藤原 の想像力だ。批評家ケネス・ ークの有名な 概念に「本質のパラドクスーがある。それは 「本質とは本質ではないものだ」と定式化で きる。つまり、 < の本質を定義しようとすれ ば、自体の内部を掘り下げるのではなく、 どうしてもではない CQ をもってきて、「 < は CQ である」としなければならないわれわれ の言葉Ⅱ認識のパラドクスを語っている。 藤原智美の想像力とは、すなわち、「外 皮 / 謎」の内部にある真実・本質に接近しょ うとすると必然的に別の「外皮 / 謎」にずれ てしまう、この言語Ⅱ認識の性質に忠実な想 像力なのだ、と言えるだろう。本書で e-«> が 重要な小道具となるのも、ひとつの対象を 「掘り下げる」のではなく、絶えず別の新た な対象へと関心をずらしていくメディアの性 質に藤原が敏感なせいかも知れない。 みどりの月 角田光代 ・集英社 角田光代はいつも他人とのかかわりについ て考えている作家だが、それにしても彼女の 小説の登場人物たちがかたちづくって独特の ティストを醸す、あの奇妙な人間関係・共生 関係とは一体何なのだろう ? ブックレヴュー 2 1 4

3. 文学再生計画

◆ 「 : : : 夏樹はスタンドの明かりを消す。そしてよくある男と女の前戯を始めるように、ゆっ くりと背中から私を抱いた。 ( 略 ) 後ろ向きの姿勢のままで、私はふざけて夏樹の股の間に手を入れて結果のわかっている生物 実験をした。 『私、この世に " 親友 ~ なんていう人間関係がほんとうにあるとは思ってなかったのよ』と、やわ らかいままの夏樹のペニスに右手で触れながら私は言った。 『でもきっと夏樹は私の親友ね』 ( 略 ) 私は体に回された夏樹の腕を掴み、自分の頬に押しつけた。自分の体の匂いと区別がっかな いほどに馴染んだ夏樹の匂いが、 ( 略 ) この先布れるべきことは何も起こらないだろうという錯覚 を生じさせた。」 俺ここんところがスゲー好きでさ。読んでてヒーリング効果あるんだよな。 〇キレイなシーンだね。俺も色白色黒を問わず、とにかく女の子にチンコ握られたまま眠りたい よ。 うん。『世間知らず』の功績は、「セックス」ではなく、それに先行させてあくまでただの「肉 体的接触」の意義を回復したところにある。 あのさ、世界はセックス中心にまわってるじゃん。あたかもセックスが人間の根源的な欲望みた 0 1 7 股間ヒーリングの癒しのテクニック

4. 文学再生計画

あふれる平和な空気」は、「すべて昔姉が何かで見、憧れていたもの」で、「私たちが暮らしてきた 家には、しゃれた絵も家族の写真も暖かい空気もなかった。」ーーサトコは姉を少し距離をとって 眺めている。 原貝白ー ( 、冫 サトコの関心は家族に限りなく近づいていて、確かにダブる瞬間すらあるのだが、 定的な地点でズレている。三人の共同生活に対する彼女の次の感想、「 ( それは ) 習慣を形成するだ けでなく、性別もこだわりも踏み付けてどこかに置いて」いく、とか、三人の宴会に満ちた日常、 あるいは、何かの目的に向けて一致して努力するわけでもなくバラバラで、しかもふらふら、ダラ ダラしてる暮らしぶりとかから判断すれば、サトコⅡ角田が愛するのは、性別はもちろん、友人、 恋人、家族、同僚などの「こだわりⅡ役割」を超えてくつろげる「共同体」、権威的なアタマのい ない自由で喜びに満ちた「共同体」、無目的で無為な「共同体」に他ならない。 一言でいって、それは「楽しさ」だ。何によって根拠づけられる必要もない、それ自体で楽しい 。これに比べれば他のすべての価値、 無責任な「楽しさ」。もしくは純粋な「幸福」と呼んでもいい 例、んば生かい・ 1 、吏命感、大義、道徳、未来への展望などはただのフィクションに過ぎない。 結局、『幸福な遊戯』という小説は、何物にも代え難いはすの「楽しさ」が、目的を持った生活 とか、人間関係を恋人や友人など社会的に公認された役割に還元したがる世間の分別とか、要する そしてこ に既成のシステムによって台無しにされていくプロセスの寂しさを描いているのだ。 3 小説と共同体

5. 文学再生計画

活ぶりも手伝って、サキャは肉体的でリアル な「人間」から離れ、根無し草的で「さわや か系」に属する超自然的生き物のティストを 帯びるのだ。ストリートの風の又三郎。ハイ トで暮らすマーキュリ もしくは「美味し いものっていうのは大概、油いつばい塩いっ ばい」と持論を述べる頭の悪いスナフキン。 カズキが夢うつつで自分の彼女チカとサ キャがキスするのを「見て」しまう場面が出 てくるが、これは「風の又三郎」において、 少年嘉助がやはり夢の中でガラスのマントを 着た異常な又三郎を見るのと同様、超自然的 な「精霊」が、その意図にかかわりなく不可 避に人間に与える一抹の「恐怖 / 不安」を表 しているのだろう。 同居生活の合間に言葉を交わし合、つうち、 召 0 磋ル カズキはサキャへの感情的なこだわりを失っ ていく。サキャが変わったというより、かっ ての自分がろくに確かめもせず、勝手に否定 的なイメージを押しつけていたことを知る。 しかしそこに生まれたのは友情ではない。 「友情」とは「人間」同士が葛藤しながら育 む濃厚な関係だが、 その根底には、マフィア が典型的にそうであったように、厳しい現実 に対する利害上の結束の必要性が常に潜んで いる。だが当の一一人の関係は初めから期間が 限定され、その上、そもそもサキャは「人間」 というより「ストリートの精霊」すれすれの 存在だ。真に深刻な利害などともにしようが ないのであって、だから彼らを貫いたものは 「友情ではなく、もっと「軽」くより「純 粋」な「出会い / 交歓」の類に他ならない。 ブックレヴュー 1 9 2

6. 文学再生計画

本書の二篇は、そんな他人との関係が全開 で描かれたすごく角田つほい作品だ。表題作 は、新婚家庭というワクにはまりたがってい る女の子・南が主人公。恋人のキタガワとの 同棲が決まって彼のマンションに引っ越すが、 部屋は一度も掃除されてないくらい常軌を逸 してクソ汚く、さらに馬くことには、なかの 一室にはすでにマリコと連れのサトシという マリコは 同居人が住んでいたのである。 恐ろしく不潔で不気味で図々しいとんでもな い女で、実はキタガワの妻である。愛情はと つくに冷めているが、双方の親が金を出して くれたこのマンションが問題で一緒に住んで いるだけだ、大した事じゃない、とキタガワ は一一一口、つ。 角田の描く人物の特徴とは、、 ノタの人間か 召 0 犬れル ら見ると明らかに変な行動をしているくせに、 本人はそれをわりと常識的な普通の行動だと 思っている、とい、つことである。しかしハタ の人間もいったん相手とのべタな人間関係に 巻き込まれると、今度は一緒になって、やは り特にそんな自覚なしに変な行動を始めるの だ。・ーー南はキタガワたちのペースにはまっ て、ともにおかしな日常を送るようになる。 要するに、角田光代の登場人物たちは「リ アルな無意識をもっている」と一一一口えば正解だ。 現実の奇妙な生活は無意識のレベルで営まれ ていて、そうした現実自体は決して意識され はしない。また無意識は純粋に個人的なもの ではなく、たやすく他人に伝染するから、 タの人間といえども相手に引きすられて無意 識Ⅱ奇妙な生活を共有してしまえば、やつば 5 「みどりの月」

7. 文学再生計画

何年か昔、都庁に爆弾が送られた事件があった。結局犯人はわからなかったけれど、ちょうどオ ウムが教義にしたがって世間との対決姿勢を見せていた時期でもあり、もつばら彼らの仕業ではな いかと噂されていた。ただ爆弾は何故か同じように女優の安達佑実にも送られていて、もしオウム だったとしたらどうしてまた安達佑実なんだ、と誰もが変に田 5 ったものだった。 繰り返し報道されるそのニュースを友達のイサミのアパートでダラダラ見ていた。いくら考えて もオウムと安達佑実を結ぶ関係がわからない。イライラしながらしきりに「これは一体どういうこ とよ」とか洩らしてると、イサミに至極冷静に「アーチャリーが嫉妬したんじゃないかな」と言わ れて自分はひっくり返った。 そこまで身も蓋もないみみっちい動機はまったく考えていなかった。 いや、アーチャリーが 本当に嫉妬にかられて爆弾を送りつけたといいたいのではなく、そうした事実の詮索はこの際おい といて、イサミの発言はわりと大切な真理を含んでいるように思われる。 人間心理の「半地下」 アナザーサイド 1 0 6

8. 文学再生計画

〇選評でプロレタリア文学とか言われてたけどこの人プロレタリアートじゃねえよなあ。 ただのオヤジだよなあ。 〇さり気なくスゲーこと言ってんだ。「芸大受験失敗という ( 葬儀屋の ) 社長の過去も気になっ た。芸術家崩れは、とことん非情になるかもしれなかった」・ : ・ : どこでこんな考え拾ってきた ? 最後にきて、いかにも考え深げに「やはり、働く事は罪深い事なのだ」とかシメてるけど、実 は何にも考えてないよな ? 〇その辺の意味のない納得がまたオヤジ風味でいいわけだよ。オヤジ風味なんだけど、説教臭く なく爽やかだしさ。チアフル。 安達千夏「あなたがほしい Jeteveux 」は同性愛つほい女の男 ( 親友Ⅱセックスフレンド ) と のつきあいを描いて、新しい人間関係や家族のあり方を考えているってとこか。 〇悪りい。俺、これに関してはキレさせてもらうわ。「新しい人間関係」っつても滅茶苦茶観念 的で、身銭を切った経験なり思想なりに全然裏打ちされてないしさ。大体、これ「トレビア—ン」 じゃん ? 「トレビア—ン」なものはダメだよ。ヨーロピアンでロイヤルなものは全部ダメだ。貴 族つほくて華麗なものもダメだ。それと主人公の甘やかされつぶりがイヤた。ダ ミチの四十男も、恋 の相手の女子大生も、主人公におもねるような発言しかしていない : 何か、どう考えても脈の ◆ ◆ ◆ ◆ 「作家」としての鬱陶しい自意識がまったくなくて、その分モロ自分が出ちゃってる。 3 1998 年・秋の新人賞 0

9. 文学再生計画

大鋸一正の造形する人間は、みんな昨日いきなり命を吹き込まれ、それで初めて動き出したゴー レムみたいだ。、 しつもどこか「うわの空」で、人間関係はぎこちなく、反応だって何となく鈍い。 そしてたとえ昼間であろうとも、彼らが活動するとき、あたりには常に「薄暗さ」が漂っていて、 こんな不健全なリアリズムは実にワン・アンド・オンリ 、鳥肌が立つほど素晴らしい。 デビュー作「フレア」で失恋を引きずる女の子を描き、すでにゴーレム路線を確立した大鋸は、 次作「ヒコ . ではそれをさらに押し進め、幼なじみ同士の叙情的な交流を扱って、ホラーすれすれ の「恐怖」を醸し出して見せた。叙情性と「恐怖」の無責任な響きあい、親和性を、ここまで鮮や かに示す作品はちょっとないだろう。 そして大鋸作品の登場人物たちは、まさに土くれから生 まれたゴーレムのように最後はあっけなく土に還るのであって、後には乾いた哀しさが残る。 大鋸一正 ライターズファイル 1 6 0

10. 文学再生計画

鈴木清剛は日常の中に「ユートピア」を創ってみせる。つまり、彼は人間同士の風通しのいい、 ホントに奇跡的な交流を描いてみせるのだ。 登場人物は、少し気弱で自信に欠けるヤツ、頭と性格がともにバカで人間ばなれしてさわやかな ャツ、軽くてしつかり者の女の子などで、彼らのキャラクター、そして言葉に裏表がなくライバル 意識も希薄で、また濃密な利害なしの純粋な「友愛」やふれあいに満ちたその関係は、まったく夢 のように美しい 普通、ト説は、ストーリ ーや主張されてる意見、またその作家独特の文体に接したくて読むだ ろ ? 鈴木の場合は違ってて、読者は、『ラジオディズ』のサキャやチカやカズキ、『ロックンロ ールミシン』の凌一やカツオなど、彼ら登場人物たちに文字どおり「会い」たくなって本を開くの である。 鈴木の小説は、「小説」、というより正確には「マプダチ」だ。 鈴木清剛 1 6 3 鈴木清剛 / 角田光代