86 るが、 第 3 章ことばの諸相 このような例はきわめて少なく、研究者によっては、 dark と呼んで満足していたのだろうと述べている 7 ) 。だが、んル e れに は「紫の」、「空色の」、「灰色の」など、語義の多様化が示されてい るので、色彩の分化が今日のように進んでいなかったのは明らか である。 単一の色彩で、最もよく用いられた色は green で、以下 red 、 yellow と続くが菫色、藍色、オレンジ色を表す形容詞はないと言 われている。古英詩、とくに宗教詩では green がしばしば見られ るが、叙事詩『べーオウルフ』にはその用例がない。前述の角〃「黄 赤色の」、Ⅷ「茶色の」は用いられているが、前者は現代英語の fallow 「淡黄色の」となる。だが、上記の語義以外にリには「黄 色の」、「黄褐色の」、「暗褐色の」、「灰色の」、「薄黒い」、「黒ずん だ」などの語義が与えられ、色相の範囲は薄い黄色から黒に近い dark まで包括し、やはり色彩の未分化の諸相を示している。Ⅷ (>brown) 「茶色い」は dark 、 dusky のような暗い感じをおもに表す ために使われているが、グレンデルの母親が引き抜いた短剣を形 容する房Ⅷ ecg は「刃が輝く」の意味であり、また房Ⅷ g のレⅧ も色彩ではなくへルメットの光沢を表していると考えられ、「黒 光りのする」の意味に近いだろう。無彩色の「白い」と「黒い」につ いては後述する。 red は何よりも血を連想させる語だが、上記『べーオウルフ』に は用例がない。グレンデルやその母親、火竜との対決、各エピソー ドでの格闘や戦闘で、当然流血の場面が語られるが、色彩語の red の代わりに詩的効果を意図した「血のように赤い」 ( 現代英語 bloody) 、「血に染まった」 ( 現代英語 blood-stained) などが選択されて
88 第 3 章ことばの諸相 crimson) 、 har(hoary 、 grey) を指摘している。上述のように基本的 色彩語として green と ye Ⅱ ow を除くと、ほとんどが色相 ( hue ) の重 なりを示している。色相という観点から見ればん田れは blue と purple を含み、 basu は、 purple 、 scarlet などの色彩を表すことがで きた。 red が gold を修飾する場合はむしろ黄色に近い色相を示し ている。 ( 中世医学でしばしば言及される体液 ( humour ) の一つ「胆汁液」 は、 colra と呼ばれているが、この尾イには「黄色い」に近いニュアン スがあり、「黒胆汁液」 (melancholy) と対比される ) 。視覚的効果を狙っ たん田〃 g 尾には「空色の」の意味が与えられているが、字義通 りは blue-green であるから、これが意図する真の色相はかなり微 妙なニュアンスを表していると言えるだろう。あるいはまた、 わ 4 ん田ル e れ「青紫の」、 g ゞ尾〃 e (glass-green) 、尾イわ「赤紫の」、 ge 。ん旃″「淡黄色の」などの複合語の使用は微妙な色合いを表現し ているように思われる。 色彩学では、人間にとって「赤い」、「黄色い」、「緑の」、「青い」 を心理四原色と呼んでいるが、アングロ・サクソン時代、詩人や 文章家、翻訳者は色彩を表す場合、色彩語が少ないために表現し たいと思う色彩に、最も近い既知の色彩語を心理的に選択せざる を得なかったと思われる。上記の四原色のうちんが時と場合 によって、さまざまな色相を表したのも心理的要因に基づいてい ると言えるだろう。このような色彩語の使用が色彩の未分化を助 長し、同一語に多義が生じる結果となったと思われる。色彩に関 する考察は一つの文化のなかに深く位置付けられる問題を含んで いる。「色彩視覚の研究には、物理学、心理学、生理学を含めて 多くの研究分野が含まれる」 8 ) と指摘されているように、 この問題
82 だが、 第 3 章ことばの諸相 もともとは g - 「偶像用のテープル」の意味だから、 Easter の場合と同様、この語の使用には大胆な転用が見られるの である。 weo- と g はすでに「偶像」との連想を失なっていたと考 えられる。関連してひとこと補足すると、バークシャー州の weedon という地名に残るル - も本来は「偶像」の意味で、面〃 ( 現 代英語 down ) は「丘」を指し、「偶像の社のある丘」を表していた。〃 はケルト語起源で今日の名詞 down はこの語に由来する形だが、 イングランド南東部の白亜質の丘陵地帯は theDowns と呼ばれて いる。 4 色彩を表すことば 色彩学的に言えば色彩 ( colour ) は色相 (hue) 、彩度 (chroma) 、明 度 (brightness) の三要素からなるが、とくに古英詩では色彩の特徴 は色相が重視されていたと言えるだろう。色彩を表すために本来 の個別的な色彩語によらずに色合いを表す語が転用される。比喩 的な言い方に従えば「古英詩は明暗と白黒の文学」であり 3 ) 、「『べー オウルフ』は光り輝く昼とこの上なく暗い夜、明るい酒宴の広間 と暗い荒地の詩」と評されている。この指摘にはアングロ・サク ソン人の色彩感覚が的確に述べられている 4 。この明暗のコント ラストこそ、この時代の色彩の実態を象徴するものであろう。文 化が発達するにつれ、色彩を表すことばが増えていくことはよく 知られているが、英語においても色彩語の数は時代の進展ととも に確実に増加した。チョーサーい 400 年没 ) の時代を経て近代英語 期にかけて色彩語の増加は「借人・複合・派生という方法によっ
84 第 3 章ことばの諸相 複合語として brunbasu(darkred) 「深紅色の」がある。Ⅷは現代 英語には残らなかった。 dun ( く OE 面 ) 「暗褐色の」という現代語 があるが、古英語では「褐色の」、「黄褐色の」 (tan) という語義が認 められている。 dungræg(dusky) は dun と grey との複合語だが、この ような造語法はすでにアングロ・サクソン時代に確立していた。 多義性は角ん「淡黄色の」 ( > fa Ⅱ ow ) にも見られ、他に「暗褐色の」、 「黄色い」の語義が示されている。この複合語には田 ppe ル ( 叩 ple yellow) 、「赤褐色の」 ( bay ) に加えて文脈によっては「オレンジ色の」 意味が与えられている。 今日では「黄色い」は yellow ( <geolo ) であるが、 この語にも ge 。んんル″、すなわち yellow と white 「淡黄色の」 (pale yellow) との複 合語がある。 以上のような通常の色彩語以外にこの時代にはいくっかの色合 い ( hue ) を表していたと思われる語として次の単語がある。 ea (black) 、ル 0 〃れ (black, dark) 、ん″ (grey, tawny) 、ん as ル 2 れ (grey) 、 go ( 現代英語と同形 ) 、 g (>fair 、 blond(e) ) 、″ん (light) 、 dox (dusky) 、ん (grey-haired) 、 I れ (golden) などが諸作品に見られる。んルん el 襯 (whitehelmet) という表現ではんルが色彩の「白い」ではなく、「輝 いている」の意味で「輝く兜」を表わしている。 病気治療の薬草に関する記述には、植物名が頻出するので、そ の色彩名の記載が期待されるが、「赤い」、「白い」、「黒い」、「黄 色の」、「緑の」、「紫の」、「茶色の」が主要な形容詞である。ある まじない詩には「毒」を形容することばが多用され、上記以外に「青 い」が用いられている。だだし現代英語の blue ではなく現在は廃 語となったル施〃で、この語義は植物の woad から「大青色の」、「青
4 色彩を表すことば 87 いる。この種の用語はたんなる頭韻の要求によるだけとは言えな い側面がある。次の頭韻形成語句わ。わあ市 g は「血塗られたロ を有する殺人鬼」の意味でグレンデルを指している。わ。はたん に「殺し屋」、わあ市 g öの逐語的意味は「血で歯が赤く染まった」 である。このように二次的表現を使って色彩を連想させる方法は 古英詩に共通して見られる技巧である。『薬草標本集と四足動物 から得られる薬剤』 ( cxxxi ) には「血のように赤い」 (bloodred<OE イ冖のという表現が見られ、つまり「真っ赤な」の意味を表して いる。 無彩色の「白い」 ()E んⅶ ) は、「明るい」、「輝く」、「きらきら光 る」、「ピカッと光る」などの語義が辞書に示されている。一方、 同じ無彩色の「黒い」 ( OE わ c ) も古英詩では最も多用されている 単語で、 dark の意味で使われる文脈もある。この二つの単語には、 それぞれいくっかの類義語があり、前者には、 beorht(>bright) 、た。ん (>light) 、 “耘 (bright) 、“加れ (>Shining) など、後者には、 0 尾 ( > dark) 、カ eo 立 0 广 (dark 、 gloomy) 、ル ea (swarthy 、 black 、 dark) 、イ″〃〃 (dingy brown 、 dark-coloured) 、ルれ〃 (dark 、 dusky) カゞある。 これらの単語はとくに宗教詩で多用され、比喩的意味も発展し ている。なぜこれらの単語が宗教詩に多いのか。この理由はキリ スト教的題材を扱う宗教的な詩では白と黒、及び光と闇のコント ラストは天国、天使、聖者、喜び、祝福と地獄、悪魔、悲哀、恐 怖などを象徴すると指摘されている。例えば、この二項対立的表 現はジュニアス写本の『創世記』などに著しいが、これは聖書の内 容に由来すると考えられる。なお N ・ F ・ Bar1ey は明暗を軸とした 場合、白と黒との中間色として græg (>grey) 、 (purple 、、
4 色彩を表すことば みを帯びた」、「紫色の」であり、空の澄んだ「青」とは異なってい る。後述のように blue は借用語であり今日の色彩を表す基本語と してこの形容詞だけはアングロ・サクソン時代には存在しなかっ た。「灰色の」はすでに他の作品で見られるが、この詩では薬草の 描写にこの色は使われていない。 いくっか微妙な色合いを表す ん ( = f 。恥、 ) 「黄赤色の」「濃い紫の」ような語も用いられている が、その数は少ない。この多義性のある形容詞についてはすでに 述べた。 ビードの『教会史巻 i 、 1 章』には、プリテン島で採れる貝類の 描写があり、そのなかのムール貝からは、赤、紫、薄紫 ( ヴァイオ レット ) 、緑色の真珠が見つかるが、たいていは白い真珠で、さ らに鳥貝からは深紅色の染料が取れるという記述があり、色彩に ついての情報を提供してくれる。ビードの上記作品の古英語訳に 見られる。あ c 尾は「紫の」という訳語が与えられているが、第 一要素は「鳥貝」、第二要素は「赤」の意味を表している。しかし、 この単語は「深紅色の」意味もあり、文脈によって語義が変わるこ とがある。 アングロ・サクソン時代の色彩について、とくに詩に見られる 色彩語に関する研究もすでにいくっかあり、興味深い事実を教え てくれる。これまですでに知られている古英語の色彩語について、 一般的に指摘されている事実を述べておく。形容詞 blue が英語に 初出するのは 1300 年頃で、「空色の」意味で古フランス語からの借 用語である。海との係わりが深い、海洋民族のアングロ・サクソ ン人が、 blue として識別される色彩をどのような言葉で表現して いたのだろうか。『出エジプト記』にはんル群肥 / 塹「青い空」とあ
4 色彩を表すことば て、その類義語あるいは近接した色名が増加していった」と指摘 されている 5 ) 。だが、古英語を読むと基本的色彩語は今日のそれ と大差ないことに気付く。さらに巧みな複合語形成によってかな り多様な用法があるのが分かる。古英語から発達した現代語の色 彩名を現代英語訳とともに ( ) に示す。アングロ・サクソン時代 から現代にまで残る英語の色彩名をまず取り上げてみよう。 bruneleode(brownpeople) 「褐色の人々」 ( 『出エジプト記』 ) : この句 は皮膚の色が褐色のエチオピア人を指すと解釈されている。 geolwelinde(yellowshield) 「黄色い盾」 ( 『べーオウルフ』 ) : 盾はシナ の木で作られていた ( 参照 linden)o fealwestræte(fallowstreet) 「薄茶色の道」 ( 『べーオウルフ』 ) : 現代英 語に残るこの形容詞の意味は「淡黄色の」、あるいは「赤黄色 の」と説明されている 6 ) g 尾れ eg 翔〃面 s (green grounds) 「緑の大地」 ( 『アンドレアス』 ) æscholtgræg(speargrey) 「 ( 先端が ) 灰色の長槍」 ( 『べーオウルフ』 ) : 「長槍」はトネリコ ( ash ) の木で作られた。 readclæfre(redclover) 「赤つめくさ」 ( 『アングロ・サクソン辞書』 ) ægeshwit(whiteofegg) 「卵の白味」 ( 『アングロ・サクソン辞書』 ) ~ わ ca ( blackraven ) 「黒いワタリガラス」 ( 『べーオウルフ』 ) pruprenhrægl(purplevestment) 「紫色の衣装」 ( 『アングロ・サクソン ぼ出そろっていると言えるだろう。 以上のように「白い、黒い」を含めてだが、基本的な色彩名はほ 辞書』 )
1 5 5 4 ) N. F. バーレイの論文「古英語色彩分類」 17 頁を参照。この論文は『アン グロ・サクソン・イングランド第 3 巻』 ( ケンプリッジ、 1974 年 ) に収録 されている。 5 ) 須賀川誠三「英語色彩語の変遷と意味変化」『獨協大学英語研究』第 41 号 ( 1994 年 ) 179 頁参照。須賀川誠三著『英語色彩語のいみと比喩歴史的 研究』 ( 成美堂、 1999 年 ) 〔 8 〕も参照。 6 ) 『コンサイス・オックスフォード辞典』 ( 第 9 版、 1995 年 ) 。 ード、前掲論文、 19 頁を参照。 8 ) バーレイ、前掲論文、 15 頁を参照。 第 4 章 1 ) D. ホワイトロック編『英国歴史文書』〔 77 〕 327 頁、「勅許状と法律」を参 2 ) R. P. 工イプルズ著『アングロ・サクソン・イングランドにおける王権 と軍事義務』 ( カリフォルニア大学出版局、 1988 年 ) ⑦ 12 頁参照。 3 ) 同上書、 37 頁矢照 ニク・、、 0 4 ) 前掲、『英国歴史文書』 358 頁、注 6 を参照。 5 ) 三好洋子著『イングランド王国の成立』 ( 吉川弘文館、 1967 年 ) 〔 12 〕第 4 章を参照。 第 5 章 I) c. R. チェネイ著『日付のハンドブック』 ( ロンドン、 1978 年 ) 10 頁唄 : イ・・い 0 2 ) 渡辺敏男著『暦』恒星社、 1937 年 ) 156 ー 58 頁を参照。 3 ) タキトウス著『アグリコラ、ゲルマーニア、対話』 ( ロエップ古典叢書 ) 17 頁唄 イ′′ぃ 0 4 ) 同上書、 149 頁。 5 ) G. ヘルッフェルド著『古英語殉教者伝』 ( EETS , os. Ⅱ 6 , クラウス。リ プリント版、 1990 年月 3 頁参照。 6 ) ポスワース & トーラー編『アングロ・サクソン辞書』 sol. を日自 ンク・、、 0 7 ) 同上書、 solmonaöを 8 ) E. S. ダケット著『アングロ・サクソンの聖人と学者』 ( コネチカット、 、、 0
1 5 7 参考文献 日本語文献 研究書・論文等 13 吉村貞司著『ゲルマン神話』読売新聞社、 1972 年 12 三好洋子『イングランド王国の成立』吉川弘文館、 1967 年 11 羽田重房著『英国民主制の起源一賢人会の研究 - 』立花書房、 1963 年 10 寺沢芳雄編『英語語源辞典』研究社、 1997 年 9 高橋博著『アルフレッド大王』朝日選書、 1993 年 8 須賀川誠三著『英語色彩語の意味と比喩歴史的研究』成美堂、 1999 年 7 島村宣男『英語叙事詩の色彩と表現』八千代出版、 1988 年 6 同『フイロロジーの愉しみ』南雲堂、 1998 年 5 小野茂著『フイロロジーへの道』研究社、 1981 年 年 4 イギリス中世史研究会編『イギリス中世社会の研究』山川出版社、 1985 3 荒正人著『ヴァイキング』中央公論社、 1971 年 2 荒木源博著『英語語彙の文化誌』研究社出版、 1983 年 1 青山吉信著『アングロ・サクソン社会の研究』山川出版社、 1974 年 翻訳書 集、 1990 ー 93 年 19 苅部恒徳対訳「べーオウルフ」『新潟大学教養部研究紀要』第 20 、 21 、 22 、 23 18 カエサル著、近山金次訳『ガリア戦記』岩波書店、 1964 年 17 忍足欣四郎訳『べーオウルフ』岩波書店、 1994 年 社、 1969 年 16 マックス・ウェーバー著、世良晃志郎訳『古ゲルマンの社会組織』創文 1987 年 15 ウィークリー著、寺澤芳雄・出渕博訳『コトバのロマンス』岩波書店、 14 アッサー著、小田卓訳『アルフレッド大王伝』中央公論社、 1995 年
第 3 章ことばの諸相 1 地位、身分などを表すことば・・ 2 技術、学問を表す用語・ 3 キリスト教用語の導人と古英語の転用 4 色彩を表すことば・ 5 失われた詩のことば・ 6 薬草のことばと効能 第 4 章法律の用語 1 工ゼルベルトの法典 ( 602 ー 03 ? 年 ) 2 ウ工スト・サクソンの法律 い ) イネ ( 688 ー 94 年 ) の法典 107 ( 2 ) アルフレッドの法典 109 第 5 章アングロ・サクソンの月名、及び 曜日と地名・ 1 月名・ 2 曜日と地名の由来・・ 第 6 章世俗の詩 1 まじない詩・ 4 っ / 0 2 9 3. ・ 102 ・ 104 ・ 107 ・ 124 ・・ 129 ・ 129