5 失われた詩のことば 89 はきわめて複雑な面を有している。明暗を主体とする興味深い表 現も他に数多く見られるが、たんに引用を繰り返すだけでは古英 語が頻出し、記述が複雑になるので省略する。 5 失われた詩のことば 散文の言葉に対し、明らかに詩では独特のことばが発達してい た。これはアングロ・サクソンのみならず北方ゲルマンについて も言える特徴である。例えば、海を表す単語の多様性には驚かさ れるがその大半は失われている。『べーオウルフ』には海を表す言 葉がおよそ 20 語、他の詩を含めるとその数は 50 語以上、失われた 文献などを考慮すると、海、水、さらに関連する概念を表す比喩 的表現を含めて、その数は 100 を越えるだろうと推測する研究者 もいる。当然、この数には散文あるいは詩のいずれにも用いられ る語が含まれるが、大半は後者で見られる語彙である。今日まで 残っている代表的な語は sea 、 flood 、 stream 、 water などで、形容 詞 deep の名詞的用法を含めることもできるが、それ以外の語は 標準英語からは姿を消してしまった。 海と言っても一概に皆同じものを指したわけではなく、海のさ まざまな面を描こうとして使われ、むしろ海を表す一般的な用語 は数が少なかったと言えるだろう。例えば、加、 hrycg は海の うねりを、 stream は海流を、 flood は潮流を、上記の hrycg はまた 波頭を表した。詩的表現について言えば、その特徴は複合語に見 られるが、主な表現について述べてみよう。 例えば、 stream と flood を含む複合語の襯 e 尾立尾襯、 g レ尾 4 襯、
90 第 3 章ことばの諸相 •ea 川、ル e 、房ア、川などは海を表すごく一般 的な表現として用いられた。発想を少し変えた表現としては海に 生息する生物名の後に、それが集う場所や住む場所、行き交う道 を表す名詞を付して海を表す詩的な表現がある。 ficesefrel 「魚の 国」、ん w / ゆ el 「鯨の国」、川田ルゆ el 「鴎の国」、 hronrad 「鯨の 道」、 ra イ「白鳥の道」、 seglrad 「海豹の道」などは典型的な例 である。以上の複合語の第一要素はそれぞれ現代英語に残る単語 であり、 rad は road と綴りが変化するが、この語はたんに道を表 すのではなく、集う場所を表すという解釈もある。このような表 現法はケニング (kenning く古北欧語〃 g 肝 ) 「代称」と呼ばれている。 以下では、『べーオウルフ』と『出エジプト記』から、それぞれ「海」 を表す一節を引用する。 かくて舳先泡立てる船は風に駆られさながら小鳥のごとく波う ねる海を越えて行った。 ( 『べーオウルフ』 217 ー 18 行 ) この文脈はデンマーク王、フロースガールの館が、怪物グレン デルの襲撃を受け、その狼藉による王の苦境を伝え聞いたべーオ ウルフとその一行がイエアタスの国から船出した場面を描いてい る。「波うねる海」と訳したのは、原文にル g ん。とあり、ル g に は「動き」、「水」、「波」、「海」の語義が与えられているが、ん。に も「波」、「海」、「太洋」の意味があるからである。詩人はたんに頭 韻構成上、同義語を重ねて「海」を表しただけでなく、文脈にふさ わしい用語の選択に配慮したと考えられる。
6 薬草のことばと効能 93 キリスト教の布教が浸透するにつれ、詩の表現もさまざまに潤 色され、とくに宗教詩にはその傾向が強く、天国、地獄、天使、 悪魔のような表現には独特の詩語が発達する。「天国」は e れ ea 「天使らの国」、ル市妙 g 「栄光の町」、 eceeard 「永遠の国」、 肝沁「天国」など多彩な表現が見られるが、キリスト教文化 の導人とともにラテン語からの表現の影響も大きい。本来の英語 である「空、天」を表す egel 、叩 ro 広。ルれが新しい含意を表 すようになった。詩語ではないが、 hell も大きな意味上の変化を 受ける語の一つで、本来はゲルマン的な「死者の赴く場所」の意味 だったが、やがて今日の「地獄」の意となった。この意味の he Ⅱが 詩のなかで grund(>ground) 「奈落」、ん砒 ag 〃イ「熱い奈落」、 加立川「闇の家」、礪ん「犯罪の家」 ( 第一要素は形容詞で「人」で はない ) 、 2 か ele 「死の館」などと表現されるが、これらはラテン 語を訳したものと思われる。『べーオウルフ』には hell が数回用い られ「地獄」の意味だが、地獄を他の表現で言い換えた代称はない。 一寺語のケニング用法をさらに検証すると、興味深い表現を数多く 指摘できる。 111 ロ 6 薬草のことばと効能 ローマのプリニウス ( AD23 ー 79 年 ) は『博物誌』 ( 22 巻、Ⅷ ) のなか で蛇に咬まれた場合に、よく効き目のある町〃 ge という植物を紹 介している。英語では俗に sea-holly と呼ばれ、和名ではセリ科の ヒゴタイサイコ属の多年草のことである。『博物誌』に記述されて いる草本の名が、ラテン語訳を通してアングロ・サクソンの社会
5 失われた詩のことば 91 海は陸地に崩れ落ち、大気は震え、 ( 海の ) 胸壁は瓦解し、波は 砕け散り、海の塔は徐々に消え失せた。 ( 『出エジプト記』 482 ー 84 行 ) 上の一節はモーゼが率いるイスラエルの民が紅海を渡り終えた後 で、二つに分けられた海が元に復する場面の描写である。「 ( 海の ) 胸壁」と「海の塔」の二つはともに、海のなかにできた道の両側に 聳え立っ海水の壁を指している。この一節を含む文脈は、この詩 のなかで最も迫力に富む表現が多用されている。 海と直接関係のある船についても比喩的表現に富んでいる。 れはまたアングロ・サクソン民族が海と密接な繋がりのあったこ とを示し、現代英語の helm 「舵」、 boat 、 mast 、 oar 、 rudder 、 ship 、 sail はすべてゲルマン語起源の単語である。古英詩『出エジプト記』で は、エジプトを脱出したイスラエル人が越えて進む砂漠は海に譬 えられ、彼らはさながら船の乗組員のように seaman 「船乗り」と 称されているが、これはかなり現実感に裏付けられた表現である。 寺のなかで船を指すためにという語が使われる時もあるが、 一般的には道、通路、旅などの意味であり、もとは ra 〃「行く」 という動詞に由来する ( この動詞は farewe Ⅱの第一要素に残る ) 。「船」 を表すこのような用法は、便宜的なものと思われる。さらに韻律 の要求を満たす目的のルレ面、面、ル g わ。という複合 語はいずれも原義は「海の木 ( 板 ) 」で比喩的に船を表すが、ぎこち なさが感じられる。 ( > sea ) を除いて第一要素は廃語、古語を含 めて「海」を表すが、第二要素はそれぞれ現代英語の wood あるい は board である。加も船の意味で用いられるが、しばしばア。 1 三ロ
88 第 3 章ことばの諸相 crimson) 、 har(hoary 、 grey) を指摘している。上述のように基本的 色彩語として green と ye Ⅱ ow を除くと、ほとんどが色相 ( hue ) の重 なりを示している。色相という観点から見ればん田れは blue と purple を含み、 basu は、 purple 、 scarlet などの色彩を表すことがで きた。 red が gold を修飾する場合はむしろ黄色に近い色相を示し ている。 ( 中世医学でしばしば言及される体液 ( humour ) の一つ「胆汁液」 は、 colra と呼ばれているが、この尾イには「黄色い」に近いニュアン スがあり、「黒胆汁液」 (melancholy) と対比される ) 。視覚的効果を狙っ たん田〃 g 尾には「空色の」の意味が与えられているが、字義通 りは blue-green であるから、これが意図する真の色相はかなり微 妙なニュアンスを表していると言えるだろう。あるいはまた、 わ 4 ん田ル e れ「青紫の」、 g ゞ尾〃 e (glass-green) 、尾イわ「赤紫の」、 ge 。ん旃″「淡黄色の」などの複合語の使用は微妙な色合いを表現し ているように思われる。 色彩学では、人間にとって「赤い」、「黄色い」、「緑の」、「青い」 を心理四原色と呼んでいるが、アングロ・サクソン時代、詩人や 文章家、翻訳者は色彩を表す場合、色彩語が少ないために表現し たいと思う色彩に、最も近い既知の色彩語を心理的に選択せざる を得なかったと思われる。上記の四原色のうちんが時と場合 によって、さまざまな色相を表したのも心理的要因に基づいてい ると言えるだろう。このような色彩語の使用が色彩の未分化を助 長し、同一語に多義が生じる結果となったと思われる。色彩に関 する考察は一つの文化のなかに深く位置付けられる問題を含んで いる。「色彩視覚の研究には、物理学、心理学、生理学を含めて 多くの研究分野が含まれる」 8 ) と指摘されているように、 この問題
92 第 3 章ことばの諸相 「海に浮かぶもの」、ル田。「波に浮かぶもの」などのように複合 語化される。『創世記』にはノアの方舟が尾ん「海の家」と呼ば れている。この襯 e 尾は詩語あるいは古語として今日の辞書にも 記載されているが、ワーズワースの故郷であるウインダミア湖 (Windermere) あるいは川 maid 「人魚」のイタリックの部分に残っ ている。「海の馬」が船を指す例としてん e れ ge 川 e んがある。 海の表現と比較すると精彩を欠くように思われる。 上記のような主として複合語を使った比喩的表現をケニング ( 〃ⅷ g ) 「代称」と呼ばれることは上で述べた。ケニングは古英語 のみならず、古ノルド語 ( アイスランド語を含む古北欧語 ) を初めと する他のゲルマン語にも見られる詩的表現で、ゲルマン共通の技 巧と見なされている。海、船以外に興味深い典型的なケニングを 紹介しておこう。 太陽、月、星などのように空に光り輝く天体を〃 c 。 el 「天 の蝋燭」と称するが、このケニングはシェイクスピアの『ロミオと ジュリエット』の night'scandles 「星」 (Ⅲ、 5. 9 ) を想起させる。『出 エジプト記』の heofoncol(col>coal) 「空の石炭」とは焼け付くような 太陽を表しているが、ル″ e ゞ g 「栄光の宝石」、 wyncondel 「喜び の蝋燭」などは文脈を離れると理解し難い例の一つである。光源 としての蝋燭は日常生活のなかでおそらくただーっの光り輝くも のであったろう。したがって、 go 施 sco れ / 「神の蝋燭」のように candle が多用される結果となったと思われる。『べーオウルフ』に のろし はんわ化〃 g 。施 s 「神の光り輝く狼煙」が見られ、キリスト教 的表現とはいえわ e “ e れ ( > becon ) は戦乱に明け暮れた当時の生活の 一面をかいま見せてくれる語と思われる。
4 色彩を表すことば 87 いる。この種の用語はたんなる頭韻の要求によるだけとは言えな い側面がある。次の頭韻形成語句わ。わあ市 g は「血塗られたロ を有する殺人鬼」の意味でグレンデルを指している。わ。はたん に「殺し屋」、わあ市 g öの逐語的意味は「血で歯が赤く染まった」 である。このように二次的表現を使って色彩を連想させる方法は 古英詩に共通して見られる技巧である。『薬草標本集と四足動物 から得られる薬剤』 ( cxxxi ) には「血のように赤い」 (bloodred<OE イ冖のという表現が見られ、つまり「真っ赤な」の意味を表して いる。 無彩色の「白い」 ()E んⅶ ) は、「明るい」、「輝く」、「きらきら光 る」、「ピカッと光る」などの語義が辞書に示されている。一方、 同じ無彩色の「黒い」 ( OE わ c ) も古英詩では最も多用されている 単語で、 dark の意味で使われる文脈もある。この二つの単語には、 それぞれいくっかの類義語があり、前者には、 beorht(>bright) 、た。ん (>light) 、 “耘 (bright) 、“加れ (>Shining) など、後者には、 0 尾 ( > dark) 、カ eo 立 0 广 (dark 、 gloomy) 、ル ea (swarthy 、 black 、 dark) 、イ″〃〃 (dingy brown 、 dark-coloured) 、ルれ〃 (dark 、 dusky) カゞある。 これらの単語はとくに宗教詩で多用され、比喩的意味も発展し ている。なぜこれらの単語が宗教詩に多いのか。この理由はキリ スト教的題材を扱う宗教的な詩では白と黒、及び光と闇のコント ラストは天国、天使、聖者、喜び、祝福と地獄、悪魔、悲哀、恐 怖などを象徴すると指摘されている。例えば、この二項対立的表 現はジュニアス写本の『創世記』などに著しいが、これは聖書の内 容に由来すると考えられる。なお N ・ F ・ Bar1ey は明暗を軸とした 場合、白と黒との中間色として græg (>grey) 、 (purple 、、
2 謎詩 139 ころで見つかり森や山の斜面から運ばれる。昼間、羽根によって 空中を運ばれ、屋根の下、雨露のしのげる場所に巧みに持ち運ば れたのである」。ここまでの内容から判断して、私なるものの正 体は蜂蜜を暗示している。「羽根によって」の意味は私を運んだ蜂 を指していることは明らかである。次に「その後私は桶のなかで 洗われた」と語られており、これは蜜蝋になった私が、洗浄され たことを表しているのだろう。だが次の記述との間には飛躍があ り、蜜蝋は蜂蜜酒に変身している。「いまや、私は ( 人を ) 縛るも の、打つもの、さらにまもなく投げ倒すものになる」と語られて いる。地に投げ倒された人は力を奪われ、大声でわめき、己が心、 手足を思うにまかすことができない。後半の記述から「蜂蜜酒」と いう答えがはっきり示されているように思われる。最後に「地上 に人を縛り付ける私は何者か探してみよ」と問うのである。前出 の「縛るもの」という表現がここに至って明らかになる。この種の 酒やビールは、当時の人たちによって愛好された飲み物であり、 これは『べーオウルフ』のなかにも同じ表現が見られることは、す でに述べた。 謎詩 21 は「鋤」が正解とされている。アングロ・サクソン社会で は多くの人たちが農耕に従事していたと考えられるが、この詩で はその一端が示されている。内容を概略示すと次のようになる。 「私の鼻は下を向いている。私は地中を這って進み、掘るのです。 私は森の灰色の敵と我が主人に導かれて進むのです」。「森の灰色 の敵」とは鋤の柄となる樅か、トネリコの堅い木を指しているの だろう。さらに続く。
4 色彩を表すことば みを帯びた」、「紫色の」であり、空の澄んだ「青」とは異なってい る。後述のように blue は借用語であり今日の色彩を表す基本語と してこの形容詞だけはアングロ・サクソン時代には存在しなかっ た。「灰色の」はすでに他の作品で見られるが、この詩では薬草の 描写にこの色は使われていない。 いくっか微妙な色合いを表す ん ( = f 。恥、 ) 「黄赤色の」「濃い紫の」ような語も用いられている が、その数は少ない。この多義性のある形容詞についてはすでに 述べた。 ビードの『教会史巻 i 、 1 章』には、プリテン島で採れる貝類の 描写があり、そのなかのムール貝からは、赤、紫、薄紫 ( ヴァイオ レット ) 、緑色の真珠が見つかるが、たいていは白い真珠で、さ らに鳥貝からは深紅色の染料が取れるという記述があり、色彩に ついての情報を提供してくれる。ビードの上記作品の古英語訳に 見られる。あ c 尾は「紫の」という訳語が与えられているが、第 一要素は「鳥貝」、第二要素は「赤」の意味を表している。しかし、 この単語は「深紅色の」意味もあり、文脈によって語義が変わるこ とがある。 アングロ・サクソン時代の色彩について、とくに詩に見られる 色彩語に関する研究もすでにいくっかあり、興味深い事実を教え てくれる。これまですでに知られている古英語の色彩語について、 一般的に指摘されている事実を述べておく。形容詞 blue が英語に 初出するのは 1300 年頃で、「空色の」意味で古フランス語からの借 用語である。海との係わりが深い、海洋民族のアングロ・サクソ ン人が、 blue として識別される色彩をどのような言葉で表現して いたのだろうか。『出エジプト記』にはんル群肥 / 塹「青い空」とあ
80 第 3 章ことばの諸相 学問に対応すべく英語を十分に駆使してさまざな表現を生み出す 方法を確立していたのである。 3 キリスト教用語の導入と古英語の転用 キリスト教の導人とともに、ラテン語が古英語にもたらされた。 すでに触れたように今日の church 、 martyr 「殉教者」、 monk 「修道 僧」、 abott 「修道院長」、 apostle 「使徒」などは皆ラテン語からの借 用語である。とくにキリスト教関連のことばはそのまま借用した ほうが手つ取り早いが、かなり重要な用語が英語によって置き換 えられている。この転用の問題だけを取り上げてもかなりのス ペースを要するので、 こではもともとキリスト教とは無縁な古 英語の単語が、転用された結果キリスト教の重要な概念を表すよ うになるごく一般的な語彙を取り上げて述べる。 Gospel 「福音」は古英語では godspel と表記された。 good と spell ( 「知らせ」の意味 ) との複合語で「良い知らせ」が文字通りの意味だ が、やがて g は「神」と誤解される場合が生じた。だが、中英語 の時代にこの語の d が発音されなくなり今日の語形となった。 の両者は古英語で形態上は同じだが「良い」は長音の g / ゴード / と 発音され God と区別されていた。ついでだが、 God は元来ゲルマ ン語で異教神を指すことばだった ( 語源は不明 ) が、キリスト教が 普及してから今日の意味で用いられるようになった。なお、「福 音書」は go ホ pel 防。 c と書かれるが (boc>book) 、実際には 0 な Boc 「キリストの書」として表されるのが一般的だった。 次に Easter 「復活祭」だが、この祭りはゲルマンの春祭りの女神