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検索対象: 太陽レクチャー・ブック 007 ミュージアムの仕事
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1. 太陽レクチャー・ブック 007 ミュージアムの仕事

、つなものでした。 さらに言えば、編集者時代も密かに続けてきたのですが、 でもそこを 4 年半くらいで辞めてしまう。 詩を書きたいという思いが強かったんです。でも雑誌の仕 建畠美術館がまだそれほどない時代で、ちょうど文化庁事をしていると、だいたい正午頃に出勤して、午後は取材 に発足した国立国際美術館の準備室を取材して「美術館がしたり、原稿取りをしたり、 6 時頃から先輩の特集の割付 できるまで」というふうなリポ 1 トを書いたんです。そ、つを手伝ったりして、夜中の 2 時頃からコラムなど記事を書 するうちに準備室長に声を掛けられて、 1976 年に移っく。朝の 4 、 5 時頃に終わると新宿に飲みにいって朝の 8 たわけです。雑誌の編集部では、怒鳴られ続けながらもど時頃になると家に帰り、シャワーを浴びて仮眠して、昼ご こか見込まれていたと自惚れていましたし、仕事も大好きろ起きてまた会社に行く : : という毎日で、幻時間労働で だったから辞めづらかったですけどね。ともかく準備室にすよ ( 笑 ) 、土日もお正月もなかった。若いから体ももっ 入って 1 年後、大阪の万博公園にいよいよ美術館が開館し、たし、気鋭の学者なんかが編集部にいたのでとても面白か 学芸員となりました。 ったんですけれど、詩を書いている時間はなかなか取れな 充実していた仕事を辞めてまで、美術館に移る決心したのはな かった。まあ時間があれば書けるわけではないんですけれ せですか ? どね。 建畠大きく 2 つあります。一つは、さまざまな美術館の それに、僕は山崎さんのように、編集者には向いてなか 取材を通じてその仕事に非常に魅力を感じていたこと。と った。人に書かせるより、自分で書きたかった。 ても創造的だと思ったんです。ジャーナリズムも創造的で はあるのですが、やはり状況に反応する仕事なわけです。 一方で美術館の仕事は、世の中に新たな価値を提言してい 草間彌生を世に出したい けると。 もう一つは、国立国際美術館にはアカデミックな要素が 美術館に移ると時間的余裕が増えたのでしようか ? あったことです。僕はもともと仏文学者になりたい気持ち建畠千里の山奥にあった頃は、お客さんは来ないし、取 もありましたから、研究的な仕事への憧れもあったでしょ 材もないし、比較的のんびりしていたんですよ。税金を使 、つね っているので今だったらつぶされるかもしれませんが、当

2. 太陽レクチャー・ブック 007 ミュージアムの仕事

こともあって、かっての半分以下でしよう。書いていけな キュレーターの仕事の醍醐味、面白さはその辺にあるのでしょ 一つか くはないのですが、画廊の原稿などは意識的に書かないよ うにしています。もちろん断筆宣言したわけじゃないです建畠キュレーターの仕事は、研究的な側面、批評的な側 面、作家との関係でいえば接客的な側面、そして初発的な 調査かできるという側面、また展示という一種の空間デザ : といった イン的側面、そしてカタログという本づくり : 美術館の仕事の 2 つの柱ーーー企画会とコレクションように、いろんな要素が集まっている非常に珍しい職業で す。「雑芸員」といわれるように、さまざまなものが集合 近年では「もの派・再考」展 ( 2005 年 952 1 月 ) が話題に状態になってはじめて成立する、そういう意味で面白い仕 なりましたね。 事ですね。展覧会ひとっとっても、他館との協力や他人と 建畠もの派の原点をとらえなおそうという企画です。トのコラボレーションなど多くの要素を同時にこなしていか リッキーなアイディア・アートを否定することによって直なくてはならなし豸窯。 . 、。孟リ、こにしくて神経も使いながら、そ 接的・思弁的な存在感を示したといわれていたもの派ですの中で一つの事業を練り上げていく。当然、修羅場になり が、そういう考え方も最近変わってきていて、トリッキー ます。研究論文はふつうなら専心して書くものですが、学 なアートによる世界観のズレがもの派を喚起したというの芸員が書くカタログのテキストは修羅場での産物です。で が今や定説となりつつある。 3 章だての展示のなかでももたとえば僕がより参考になると感じるのは、時間のかか 「高松次郎とトリックス・アンド・ヴィジョン」は、ものった研究論文よりかえってそういったカタログのテキスト 派の契機としては否定的に捉えられていたものを直線的に なんですね。あらゆる情報が集中した高揚感があって、火 つなげようとした意味では野心的な企画だったでしよう。事場で書き上げられたものだけがもっ圧倒的な迫力。展覧 このコンセプトは僕が着任する前にすでに決まっていたの会というのはあらゆる情報が集まる場であり、それらをが ですが、担当の学芸員 ( 中井康之氏 ) と話してみたらまつむしやらに取り入れていますから。そういう意味でも学芸 たく同じことを考えていたので、ああク時代の読みかえク員にはやりがいがあるでしよう。 ってこういうことなんだなと思いましたね 展覧会以外の仕事に関しては ? 0 1968570 年代前半の 日本の芸術運動。石や木、鉄板な どをほとんど加工せず、単体や組 み合わせで作品とし、ものへの還 元による芸術の再創造を目指した。 105 104 The Sun Lecture Book 007 Working at a Museum Lecture 05 : Akira Tatehata

3. 太陽レクチャー・ブック 007 ミュージアムの仕事

と思います。今のままでは美術館を擁護する声が、澎湃とではないでしよう、文学も音楽も美術もへったくれもあり してわき上がってくることはあり得ませんし。 ませんよ、と頭でそう思い、ロでも言いながら、実際に進 それが成就するためにはどうすれば ? 行しているのは ( 細分化の中での ) 囲い込みと分断化です。 建畠もはや原点に戻ることはできない今の状況を前提に どの手のものでもないものを作りながら、「あの手のもの すれば、一つは美術館を「聖域 ( サンクチュアリ ) 」としになってしまうという逆説が起こっている。事実、僕は詩 てやっていく。つまり頑迷固陋に、聖堂的に、きちんとしを書き、一方で美術に関わっていますが、両者の人脈もメ た調査研究に基づいて作品を紹介していくという方法。基ディアも全然クロスしないんですよ。昔は非常に近い距離 本の姿勢にそれがなければならない にあったのに。ダダイスムもシュルレアリスムも総合運動☆第 1 次大戦中、厭戦的気分 を反映し、スイスのチューリヒを 同時に、僕が考えるのは、美術館は「何でもあり」といでした。みルクサスも実験工房もそうです。日本だけでは 起点に始まった反芸術運動。 う姿勢。昔は総合文化センターができて、そこにギャラリ ありませんが、美術館の時代がはじまってからそういった ☆アメリカのジョージ・マチ ューナス ( 19 31 ー 78 ) を中 ーがあり、コンサートも開き、演劇も講座もやっていた。状況が一挙に崩壊したんです。もちろん文化施設だけのせ 心とした 1960 年代の前衛的芸 それが多目的だ無目的だと言われているうちに、美術館が いじゃありませんが、とにかく我々が頭で思っていること 術運動。 でき、コンサートホールができ、劇場ができ、と一つ一つとは逆の状況が、抗い難く進行している。美術館が「何で ☆田 19 5 0 年代、詩人・瀧ロ 修造を中心に、さまざまな分野の が施設として独立していったんです。それがさらに、美術もありというのは、そこに揺さぶりをかけたいんです。 芸術家が集まって活動した総合芸 術グループ。 館なら近代美術館、現代美術館、陶芸館、版画館、写真美美術館は展覧会をやる一つの聖域であると同時に、一つの 術館、果ては幻世紀美術館といったようにどんどん細分化メディアであって、「ここでできること」がたくさんある してきました。コンサートホールも劇場も同じです。文化それをやろうとしているわけです。 859 割の部分はオ 1 施設というのは非常に強力な求心力をもっています。それソドックスな軸線を守るが、一方ではコンサートも詩の朗 が細分化されることによって、文化の状況自体も細分化 読会もやりますし、方針を決めないでフレキシプルに、 1 分断化されていくんです。 5 2 割のところでいろんなことをやりたい。「グレーゾー すべてが統合化されてきているという声もありますが。 ンの科学」と呼んでいて、曖昧であることの意味を客観的 建畠多くの人はそう思っているんです。インターネット に捉えておこうと。たとえば今日も休館日ですが、夕方か カルチャーの世の中で、もうジャンルをどうこう一言う時代ら館内でクラシック・コンサートがあって、財界の大物を

4. 太陽レクチャー・ブック 007 ミュージアムの仕事

モネなどの印象派、日本の近代美術、備前焼などの陶芸に壁面がなくて、作品をどう展示したらいいのだろうと。 : とい 0 た感じでした。おそらく先代は、倉敷の大原美僕も専門的に展示の勉強をしたことはないですし、これま 術館のように、まんべんなくいろいろな作品が並ぶ美術館での経験で考えるしかない。困りましたねえ。 あの建築も、島であること、あの空間があってはじめて成立す を構想していたんじゃないでしようか。それが 1986 年、 る美術という点を意識されたんですよね。 直島開発に着手する前に先代が亡くなって現在の福武總一 郎さんがプロジ、クトを引き継いで、現代美術へどんどん秋元そうですね。今から考えれば安藤さんの建築にすい ぶん勉強させてもらいました。が、当時は不満だらけでし シフトしていったんです。 た ( 笑 ) 。ただでさえ展示スペ 1 スがないのに、床に段差 直島のかたちはどんなふうにつくられていったのですか が多くて広い面がとれない。そこで苦肉の策が、サイトス 秋元当時は福武さんも美術についていまほど詳しくはな : といえばなんとなくカッコいい でも明確なピジョンをもっていました。話し合い、勉ペシフィック・ワ 1 ク : 強させてもらいながら一緒にやっていきました。「浅く広けれど、ともかくこの場に合わせて作品をつくるしかない く」でなく「個性的」、小さくても「これは面白い」と言ということだったんです。 また、最初は企画展をやっていたのですが、アクセスが われるような美術館をつくろうという意見に賛同していま した。また福武さんも海外で有名な美術館を見ては現代美悪いこともあ 0 て人が来ない。オープン時はなんとなく賑 術の面白さを覚えてきて、フランク・ステラやデヴィッやかでしたけど、その後は年間 1 万人くらいでしたか、事 ド・ホックニーなど定番もばつばっ集めはじめていました。務所にいても待てど暮らせど電話 1 本かからないという状 ただ年オープンに向けてすでに工事が始ま 0 ていまし態で、これは展覧会やってもだめだろうなあと。リゾート たから、内部の具体的な作品展示構成は、安藤忠雄さんのとして宿泊施設も併設されているからそちらも稼動させな くちゃいけない。会社からの予算もどんどん厳しくなるな 建築を先行させてそれに合わせていかざるを得なかった。 か、なんとかして人を呼ばないと、とかなり焦りました。 あれはおそらく安藤さんが最初につくった美術館じゃない それで辿り着いたのが、一つ一つ「ここでしか見られな でしようか。そのせいもあって美術館仕様に全然なってい ないというか、とてもユニークなっくりだったんですい作品」をつくれば人が来てくれるかもしれないという考 ( 笑 ) 。はじめに図面を見てびつくりしたのは、美術館なのえでした。そこで、作家に現地に来てもらい、ああでもな ☆ 3 193 6 ー・戦後アメリカ を代表する画家、彫刻家。ストラ イプによる画面や立体を思わせる 絵画などで知られる。 イキリス生ま れ、アメリカを拠点に活躍する画 家。版画やドローイングなどさま ざまな手法を駆使する。 ☆ 3 特定の場所でつくられる作 品。直島では、招いたアーティス トが場所を選び、その場所のため にプランを立てて制作する、この 手法をとった。 045 044 The Sun Lecture BOOk 007 Working at a Museum Lecture 02 : Yuji Akimoto

5. 太陽レクチャー・ブック 007 ミュージアムの仕事

められたスケジュール表に沿って作業を進めていく。立て込みなども、前もって模型を作るなどし て完璧に準備したものが、その場で一気に組み立てられ設置される。田所さんは、いろんな業者が 錯綜する場を指揮する「現場監督」だ。時には電動ドリルでフックをはずし、壁の穴を補修したり する。一方で、借用作品の移動搬入に付き添うクーリエの作業は、持ち回りで他の学芸員が担って くれる。つきっきりで管理することを条件に、貴重な作品は貸し出してもらえるからだ。田所さん も、他の展覧会の際に従事する重要な仕事である。 ようやく実際に作品を並べてみると、壁に沿って絵のサイズが順々に大きくなっていて不格好、 と気づいて急遽配置を変えることも。今回会場で目を引くのは、作品の裏面を天地逆にして見せる 「合わせ鏡」の仕掛け。セザンヌの習作《休息する水浴の男たち》 ( 1875 ー 77 年頃 ) の裏面に は、スケッチが上下逆さまに描かれていた。これを通常の透明パネルで両面を見せても、一方は天 地逆になる。そこで考えられたのが、作品の下の壁にあけた穴から下側を覗きこめば裏面のスケッ チが反転して見える合わせ鏡。特注で用意した。会場では表と裏の画面を比べながら何度も穴を覗 く人の姿が目につく。一つ一つの工夫、丁寧な作業の積み重ねが、入館者の驚きや満足につながっ てい / レよ、つ」。 ◆入場者からの手紙が励みに : ( 、一備が終わった頃、田所さんは、並べて展示した作品の影響関係を解説するプレートがない ことを指摘された。実物を見ればわかってもらえるのでは、と思わなくもなかったが、お客さんの 立場にたてば、やはり言葉の説明があった方が親切かもしれない。業者に頼んでいては間に合わな いので、即席の手作りパネルを設置した。 そうしていよいよオープン。やはり無事に開くと、どっと安心感がやってくる。とはいえ、これ で「終わり」ではない。まもなく、お客さんから「音声ガイドがほしい」という要望が寄せられ、 新たに準備する余裕もなく館蔵品に限って用意した。 日がたつにつれ、課題も見えてくる。入場者数は順調なのに、なぜかカタログが売れないのであ る。コンパクトなっくりで 800 円と比較的安くしたが、通常入場者の 7 、・ 8 % が買うとされるの 絵画の表面と、天地逆に描かれた裏 面のスケッチがどちらも正しく見え るよう工夫を施した合わせ鑛の仕掛 け撮影Ⅱ河野利彦 ( この項全て )

6. 太陽レクチャー・ブック 007 ミュージアムの仕事

その後は社会的な関係、「信頼」しかありません。今回で 何も見えてこないと思います。 大学教育では、資格を取るために学芸員実習といった授きれば後はいいや、と強引に押し切ってしまったために、 業はありますが、実作業は何も教えられていません。つま信頼を失うこともあります。次からやりたいことができな り、資格を取ったから何ができるというわけではない。じくなるばかりか、美術館の信頼も損ねることになります。 ゃあ自分が学芸員としてやっていくために何をもっていなそういう非常に危険な作業が日常茶飯事だし、「今回は諦 めますが、次回はよろしくお願いします」ということもし くてはいけないか、ます基礎学力、その上での専門知識、 よっちゅ、つです。 これがないと帰るところがなくなります。 また実際、だれもがやりたいことをやれる機会に恵まれ国立、公立、私立と、所蔵先によってそれぞれの基準が るわけではありませんし、現実的にそういう企画が実現でありますし、個人蔵になるとますます事情が複雑になって いくら情熱があっても、作品を借りられなければ きる可能性は本当に少ないと思います。お給料をもらってきます。 勤める限り、置かれた場所、環境、条件のなかで、できる展示そのものが不可能になる。モノだけでなく、人を相手 にした仕事ですから、信頼関係をきちんと築けるか、その 範囲で最高の仕事をしようとする、それに自分がどこまで 情熱をもって取り組めるか、その積み重ねじゃないでしょ積み重ねがまた仕事に生きてくるわけです。 マルチな仕事ぶりが要求される ? 夢を見るのは構いませんが、「私はこんな企画、やりた古田展覧会への関わり方は一つ一つ違います。新聞や雑 くない 、もっとすごいことを考えているんだ」みたいなこ誌などの報道を外から見ている人は、すべて僕 1 人がやっ とを言っていても、一生何もできません。一生自分探しでているように思われるかもしれません。そのへんは誤解が あるといけないんですが、ゼロからすべて 1 人が立ち上げ 終わるかもしれません。 学芸員になってから大切なことは ? て作り上げた展覧会なんていうのはめったにない。共同作 古田いくらいい展覧会をやりたいと思っても、基本的に業でしかありえません。変にキュレーターといってその人 は相手次第というところがあります。モノが出てくるかど だけがすべてを仕切っているといったイメージは現実問題 、つ 1 刀、カイー , 、可こよって決まるのか、すごく微妙なところで仕事としてはまったく違うと思いますよ ーといった感覚は、 僕は、今よく言われるクキュレーター をすることになります。お金で解決するレベルもあれば、 093 092 The Sun Lecture Book 007 Working at a Museum Lecture 04 : 日 YO Furuta

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ーとのコラボレーション。僕が館長にな 0 てから、これま「美術館とは何か」が今また問われていると思うんです。 でアドバイザ 1 にな 0 てもら 0 たり、提携してきた海外のそもそも王族や貴族の収蔵庫だ 0 たものを、革命の時に一 美術館とも 0 とコラボレーシ「ンをしようという試みの一般の人に公開したのが美術館の発端です。以後は研究機関 だった時期も長いのですが、ドイツなどでコレクションを 環です。 ☆ 持たない美術館 ( クンストハレ ) も増えてくるなど、だん だんイベント会場化してきている。その流れは否定できな 一方でアカデミックな使命もある。収蔵庫を持ち、所 美術館もアジアの時代、個の時代 蔵品を残していくという未来に対する責任もある。世の中 年の初めに、「 4k 型美術館はどこ、向かうのか ? 」とで美術館が自らをい 0 たいどのように規定していくのか 答えは一つではないだろうと私自身は思っています。 いうシンポジウムを開催しましたね。 アジアの発展とともに、中国、韓国、マカオ、台湾、香 南條なせ美術館は拡張したがるのか。これは我々にとっ ても大変大きな問題にな 0 てきます。一つの美術館をマネ港 = = = すべてに 1 万平米以上の巨大美術館がすでに建ち、 1 ジメントするだけでたい〈んな苦労があります。お金が美術館もアジアの時代に突入しています。それが次は東南 足りない、でも人材も入れなきゃいけない。そんな中でさアジア ~ 、そしてお金を持 0 ている中近東〈と移 0 ていく らに拡張するということは、さらに難題を抱えるというこわけです。その中で我々は何をモデルにするのか、あるい は何を手掛かりに新しいモデルをつくるか、も、つヨーロッ とです。ではなぜ拡大しようとするのか ? 規模の経済と パ型の美術館を真似る時代ではないでしよう。もはや個別 い、つ一言葉かあるよ、つに、むしろ大きくしたほ、つがマ、不ージ つまりこの都市、この時代、こ 的な答えしかありえない メントが楽になるのか、それともたとえばまだ見せていな い所蔵品の有効活用が最大の課題なのか、その背後には思の場所でどのような美術館が可能なのかという考え方でな ければならない 想的な使命があるのか、つまりお金持ちのためだけではな このような考え方の生じる中で、森美術館は新しい一つ 庶民もあまねくアートを享受するべきであるというア ートの民主化を目標としているのか、何がその背景にあるのビジネスモデルだとも言えるでしよう。東京の街を見渡 せる展望台などの観光施設と一緒になっていて、近くにい のか : 0 ☆四年 2 月 9 日、森美 術館において、ニューヨーク近代 美術館、ポンピドウー・センター 国立近代美術館、ドイツ近代美術 展示館など世界の美術界をリード する美術館・博物館館長ら 8 人を 迎え、「サバイバルへの新たな戦 略」をテーマに今後の大型美術館 のありかたについて議論したシン ポジウム。 ☆ドイツ語でクンスト ( 芸 術 ) 十ハレ ( ホール ) 。コレクシ ョンをもつ「クンストムゼウム ( アートミュージアム ) 」に対し、 コレクションを持たず企画展に重 点を置く美術館のこと。ドイツや スイスでは一般的な形式として普 及、日本では水戸芸術館などがそ れにあたる。 125 124 The Sun Lecture BOOk 007 Working at a Museum Lecture 06: FumiO NanjO

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じゃないかと思、つノ、らいです。 原因の一つは、結果的に、というか途中からははっきり それが成功し、いまや集客力はたいへんなものです。 意識しはじめたんですが、瀬戸内海エリアにある他地域の 秋元 2004 年 7 月にオープンして、今はあの小さな規美術館も巻き込むかたちで 1 泊 2 日程度の美術館ツアーが 模にして年間川万人以上が来館しています。直島にやって組まれるようになって、訪れる人が増えたためです。まあ、 来た人が、 2006 年で円万人に達していますから。 20 ベネッセハウスの宿泊施設 ( シーサイドバ ーク ) は料金は 00 年頃に 4 万 5 千人程度だったのと比べると 4 、 5 倍でそこそこするのですが、それだけの満足もあります。とい すね。結局燔年かけて、島への観光客が約倍になったわっても、まだコンビニもレストランも少ない島です。サー けです。この夏 ( 2007 年 ) も、かなりマニアックなスビス産業的な要素というのは後からくつついてくるもの。 ペ 1 スにもかかわらず、若い人たちだけでなくフルムーン 今やっと食堂や民宿ができつつありますから、地域自体が 旅行者らしいカップルなども含めて、収拾がっかないほど新しい段階に入ったということでしようね。 大勢の人が来て行列をつくりました。これは迷惑をかけた んです。というのも、朝 9 時半に整理券を配ると、盆休み などすぐに 1 日分がはけてしまう。せつかく来ても見られ次の舞台は金沢 ない人が出てくるんです。また、島に渡るフェリ 1 が、車 も乗せられて 500 人程度収容できる大型なんですが、そ そして 2007 年 4 月に突如、金沢世紀美術館に館長として れでも乗り切れない。 赴任されました。 さらに町の住人にとっても生活に支障をきたすケースが 秋元直島でその前年、「スタンダード 2 」という島全体 あるようです。とくに家プロジェクトなんかは普通の集落を会場とした展覧会を実施し、同時に ( 妹島和 にあるものだから、そうでない民家まで「作品かな」と思世 + 西沢立衛 ) のフェ 1 丿ー・ターミナル ( 宮浦港 ) が完成 って観光客が覗いたりする。当初、美術好きな人のなかでし、アートをお題にしながらの再開発が全体としてとりあ さえ好き嫌いがはっきりするだろうくらい徹底的にこだわえすできたわけです。経済的にも貢献できるようになり、 って、動員についてあまり考えていなかったんです。あり町の人たちも元気になってきました。島のリニューアルが カたいことにはなったんですが : ワンクール終わったところで、私の役目はこれくらいでい

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んが。ただ当初はもたなかったコレクションを始めたこと本木クロッシング 2007 〕未来への脈動」があります。 は一つの大きな変化ですね。アジアの現代美術と言っては日本の現代美術を 3 年毎にきちんとまとめて見せていくシ いますが、今のところ半分は日本のもの、あとの半分が東 丿ーズの 2 回目です。これは海外への発信という意味もあ 南アジアや東アジア、中国の作品です。催した展覧会の中ります。美術館の役割は常に、国内に向けての啓蒙と、海 から買ったものも少なくありません。 外に対する情報発信という意味も含めて開催しています。 また今年 ( 2007 年 ) の仕事としては、生誕 120 年だから日本の人たちに、自分の国にこういう現代美術があ を迎えたル・コルビュジェの展覧会。森社長があれだけコりますよと見せるのと同時に、海外に対しても同じ内容の レクションしているのですから当然「いっかは」という話強い発信をする必要があります。 はありました。 2008 年にはコルビュジェ作品が世界遺次に「アートは心のためにある〕 ( ュニオン・ 産に登録されるという話もありましたし。館長になると、 ンク・オプ・スイス ) コレクションより」です。企業コレ キュレ 1 ションにあまり手を出すなとも言われているのでクションをもってくる初めての企画で、具体的にはジャス すが、建築に詳しいキュレーターがいない僕も専門家で ノ ジョーンズ、アンドレアス・グルスキー : など、 はありませんが、以前パプリック・アートに関して建築雑年代以降の重要な作家たちの作品。これは内容をへビー 誌に書いていたこともあって建築界とのつながりも長く、 にキュレーションするとい、つのではなく、むしろコレクシ なんとなく勘どころがわかっていましたので、僕が担当しョン紹介というものです。その際、コレクションとは何か ました。社長のコレクションを使うので成功させなきや、 企業がアートを収集するとはどういうことか、などいろん という気持ちもありましたし ( 笑 ) 。 なパプリック・プログラムを行なって、日本の企業やコレ ・コルビュジェのアトリエを実物と同じスケールで再現する クターへの啓蒙になればと考えています。 など、日本ではこのスへースでしかできない展示方法でしたね。次に、テートと組んで、「英国美術の現在史ターナー 南條それがこの美術館の一つの方向性だと思うんです。賞の歩み」として歴代の受賞者幻人の作品を展示します。 きちんとした展覧会をやるのと同時に、おもしろい展覧会 この幻年間のイギリス美術の流れを見ようという企画です。 ☆田 をやりたい。一般の人にも、面白かったという印象が残る さらにフランスの大御所、アネット・メサジェを日本向 展示をしていきたい。ル・コルビュジェの次の企画に「六けに少しアレンジした展一小。これはポンピドウー・センタ 19 4 3 ー。拾い集めたオ ブジェや動物のぬいぐるみを使っ たユニークな作品で知られるフラ ンスのアーティスト。 19 3 0 ー・。アメリカのネ オダダやポップ・アートの代表的 アーティスト。国旗、数字、標的 などを題材にした絵画で知られる。 1955 ー・。現代ドイツを 代表する写真家。べッヒャー夫妻 に師事した。画像をデジタル処理 した作品などで有名。 「ル・コルビュジェ展〕建築とアー ト、その創造の軌跡」チラシ 2 0 第第氈 え・ルし / 工第

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問題提起を含んだ展覧会では、シンポジウムを開き、いろんな は、そのこと自体を改めて問題化したかったのです。その 研究者の意見を募って記録を残していく : ためにも積極的に両者の「はざまに位置する」作品や作家 古田そうですね。特に僕が中心になった企画展は、できを紹介することを考えました。 るだけ「やりつばなし」にしたくないんです。展覧会はど 当初のアイデアは壮大で、同じテーマで江戸時代編、近 うしてもお祭的なところがあって、自己満足で終わってし代編、現代編と各時代の日本画と洋画のはざまを取り上げ まいかねない。それではいけないと思うんです。批判を含ようというものでしたが、一番中心となる第 2 部の近代編 めていろんな人の意見を聞いたほうがいい これは東博でが実現にいたったといういきさつもあります。ですからひ 個人の主張が優先されにくい立場にいた時から考えていた とつの展覧会としてはちょっと詰め込みすぎの感もありま ことですし、できるだけ実践してきました。やった後に、 す。それから予算的にも無理をしてポストン美術館から借 こちらがやりたかった、訴えたかったことと、見た人がど用しました。ポスターにも使われた小林永濯の《道真天拝 うふうに感じたかを整理することで何かが生まれる、次へ山祈疇の図》 ( 1874586 年 ) がどうしても必要だっ のきっかけがっかめるとしたら、それは大事にしたい。 たからです。永濯というマイナーな作家をこれだけがんば 近美の最後に担当されたのが「揺らぐ近代」 ( cvooc.o 年物 って紹介する機会は二度とないでしようね。近代美術のも 月、京都国立近代美術館に巡回 ) ですね。 っている知られざるエネルギーみたいなものを、とにかく 古田構想川年、自分の研究の集大成的な意味をもってい見てわかってもらいたかった。結局、展覧会の開催が事情 て、東博に入ってから、何か展覧会ができるかもしれない、 で 1 年遅れたために芸大に移ってから始まったので、ご迷 と感じた時から考えていたものです。 2005 年の初めに惑もかけたかもしれませんが、やりたいことはやらせても は、近美に企画書を出していました。「日本画と洋画のはらいました。上野と竹橋を行ったり来たりして僕は非常に ざまに , というタイトル案に加えて「相克の近代絵画」と大変でしたが ( 笑 ) 。ただ、これを芸大に移ってから無事 か「伏流・近代日本絵画史」といった言葉で内容を説明しにやりとげられたのは幸運でした。 ていました。日本画と洋画というジャンル分けに置れてし まっている僕たちは、そもそも日本画とは何か、洋画とは 何かという問いかけすらしなくなっています。この展覧会 089 088 The Sun Lecture Book 007 Working at a Museum Lecture 04: 日 yo Furuta