森美術館 川崎市市民ミュージアム 皿板橋区立美術館 東京藝術大学大学美術館 金沢幻世紀美術館 国立国際美術館 012 023 041 061 目次 幻世紀のミュージアム人とは ? 暮沢剛巳 ◇レクチャー 5 深川雅文 ( 川崎市市民ミュージアム ) 〔写真とデザインの分野を開拓する〕 「写真について考える仕事をしたい、というモチベーションが先にあった」 ◇レクチャー秋元雄史 ( 金沢世紀美術館 ) 〔美術で地域を元気にする方法〕 「直接、社会と関わりながら、美術の仕事がしたかったんです」 ◇レクチャー弘中智子 ( 板橋区立美術館 ) 〔対話型の鑑賞法を極める〕 「人と絵をつなぐ、美術館というク場。に惹かれています」
建畠晢 撮影 : 河野利彦 国立国際美術館館長 び』 ( 共著、平凡社、 1998 年 ) など著書多数。 柳書院、 1 998 年 ) 、「現代アート入門ー - ーーく今〉に出会う歓 ( 2005 年 ) 受賞。「問いなき回答ーーーオブジェと彫刻」 ( 五 詩人としても活動し、歴程新鋭賞 ( 1991 年 ) 、高見順賞 ( 2005 年 ) などアジア近現代美術の企画にも多く携わる。 ンド現代美術」展 ( 1998 年 ) 、「アジアのキュビスム」展 ニズム」展 ( 1 995 年 ) 、中国の「方カ鈞」展 ( 1996 年 ) 、「イ ティック・ディレクターなどを務めたほか、「アジアのモダ 館コミッショナー、横浜トリエンナーレ 2001 のアーティス 代美術。 1990 年、 93 年のヴェネッィア・ビエンナーレ日本 学教授を経て 2005 年より国立国際美術館館長。専門は近現 卒業。国立国際美術館研究官 ( 1976 ~ 91 年 ) 、多摩美術大 たてはたあきら。 1947 年京都府生まれ。早稲田大学文学部
The Sun Lecture Book 007 Working at a Museum Lecture 05: Akira Tatehata 建白才斤 ( 国立国際美術館 ) 美術館は " 何でもあり " 「学究肌から現場人間まで、いろんな学芸員がほしい」 美術評論家であり、詩人でもあり、草間彌生ら多くの現代作家 を世に送り出した先駆的キュレーターでもある建畠さんは、もとも と作家志望の青年。雑誌編集者を経て美術の世界に辿り着い たという。
建畠美術館には企画展とコレクションという 2 つの柱が ] を押さえるーー・この 3 本柱ですね。中心は現代のもっと あります。僕はどちらかといえば企画展本位のキュレータも重要なアーティストと最新の動向を押さえる点です。も ーで興味もそちらの方にいってしまうのですが、コレクシちろん地道な作業ですが、美術館にとっては不可欠ですし、 ョンはもちろんその美術館の存在意義であって、美術館のしかもコレクションは企画展にゆるやかに連動していきま 柱の中核にあります。それぞれの館の収集方針に沿って、 す。さらに館の存在自体を示していく意味もたいへん大き ある価値の体系を長い年月をかけてつくりあげていくもの です。今、美術品は暴騰しているので豊富とはいえません結果として、企画展とコレクションという 2 つの活動を が、国でいえば年間約 2 億円の予算が確保されています。支える調査・研究、とくに調査は非常に大切なので、スタ ただマーケットには恣意的に作品が現れるので、その都度、ツフにもなるべく外に出ていくように話しています。 即決を迫られる。だから一見ポリシーのない買い方をせざ るを得ない時もあるのですが、志のある館ならそれが川年、 年、何十年と続くうちにある体系が見えてくるわけです。実現したい 4 つの企画 東京国立近代美術館がいい例だと思います。批判もいろい ろあるでしようが。でも志のある美術館と単に衝動的に反 館長となると、やはり現場での展覧会のキュレーションはやり 応している美術館との違いは、 1 年や 2 年では見えなくて も、ある年数の蓄積の中で必す見えてくる、だからコレク建畠それが難しい問題で、キュレ 1 ターがいますのでね。 ションも重要な仕事だと思いますね。 僕が逆の立場だったら、館長はお金を集めて条件を整えて 国立国際美術館はどのような方針でコレクションをしているのくれてあとは自由にやらせてくれるのが理想なんだけど でーレよ一つ ? ・ ( 笑 ) 、ただの館長職だけではやつばり面白くない。実は今、 建畠まず、①ジャスト・コンテンボラリーの動向を国際 4 つほどの企画を、それぞれに担当者をたててここ 2 年間 的に押さえながら、同時に②メジャーな作家たちの作品をくらいで実現させていきたいと思っているんです。 押さえる、まあ予算的には非常に大変ですができる範囲で。 1 つめは、川年来考えていた「スティール / モーショ ☆ 4 さらに③ピカソなど近代美術の原点であるモダン・マスタ ン」 ( 2 0 0 8 年春 5 ) というもので、ドウルーズの『シ ☆フランスの哲学者、ジル・ に . ウルー、ス ( 1925 ーー 95 ) が 著した映画論。 「運動イメー ジ」は年、 2 「時間イメージ」 は年刊、 2 の邦訳が 2006 年 にようやく刊行された。
古田亮 撮影 : 河野利彦 東京藝術大学大学美術館准教授 ふるたりよう。 1964 年東京生まれ。東京藝術大学美術学部 芸術学科卒業、同大学博士課程中退。東京国立博物館絵画室 研究官、東京国立近代美術館企画課主任研究官を経て、 2006 年 4 月から東京藝術大学大学美術館准教授。近代日本 美術史専攻。担当した企画展は「海を渡った明治の美術再 見 ! シカゴ・コロンブス世界博覧会」 ( 1997 年 ) 、「日本美術 院創立 IOO 周年記念特別展近代日本美術の軌跡」 ( 1998 年 ) 、「横山大観展」 ( 2002 年 ) 、「琳派 RIMPA 」 ( 2004 年 ) 、 「揺らぐ近代」 ( 2006 年 ) 、「金刀比羅宮書院の美」展、「岡 倉天心」展 ( 共に 2007 年 ) など多数。また著書に「狩野芳 崖・高橋由ー 日本画も西洋画も帰する処は同一の処』 ( ミネルヴァ書房、 2006 年 ) がある。
穴菘鄧ー大宀 上野の森の一画を占める近代的な建物。国立西洋美術館や東京国立博物 館、東京都美術館などいくつかのスポットをハシゴして回る美術ファンの姿も。 撮影 = 河野利彦 > The University Art Museum, TOkyo National CJ niversity Of Fine Arts and Music 110-8714 東京都台東区上野公園 12-8 TEL. 050-5525-2200 開館 10 ℃ 0 ~ 17 : OO ( 入館は 16 : 30 まで ) 休館月曜日 ( 祝日の場合は翌日 ) 、入試期間、 年末年始、展示替え・保守点検期間 http: 〃 www.geidai.ac.jp/museum/ 「岡倉天心ーー芸術教育の歩み」展会場 2007 年 大学創立 120 周年を記念した企画展という意図に沿い、美術教育の基礎をつくった天心像をクローズアップした 写真提供 = 東京藝術大学大学美術館 005 004 The Sun Lecture B00k 007 Working at a Museum
弘中智子 板橋区立美術館学芸員 ひろなかさとこ。 1979 年山口県生まれ。一橋大学大学院言 語社会研究科後期博士課程在学 ( 休学 ) 中。 2002 年より 06 年まで東京国立近代美術館ボランティアガイドスタッフ として対話型作品ガイド、小中学生向けのワークショップを 行なう。 2006 年 1 2 月より板橋区立美術館学芸員 ( 日本近現 代美術 ) として勤務。担当した展覧会は 2007 年「池袋モン パルナスの作家たち」展、「古沢岩美」展。現在は 2008 年 度展覧会「新人画会」展 ( 仮 ) にむけ準備をすすめている。 よ し う の ら でり曇 ん らゆ ・くしわは彦 み、かさ ~ で こ」館野 ずね「術 ねお筰ま
際美術展ではあり得ないし、楽しむようにはしました。未 知のスペースで表現することの面白さはあったと一言えるか建畠激変です。入場者数は 1 ケタは増えたでしよう。も もしれません。それに海外での展示だと、空間に加えて文ちろん独立行政法人化されて美術館のサービス体制も変わ 化的風上や歴史がまったく違う環境での仕事ですからやは りましたから、とてもにしくなりました。万博にあった頃 り新鮮でしたね。 は、展覧会をしよっちゅうやっていたので、それ自体は忙 しかったですけど、自分たちが見たいものを企画にすると いった感じでしたし。 「黄金時代」に比べて、やはり拘束も多い ? ふたたび美術館へ 建畠国立のよさというのか、わりに自由なんです。勤務 その後、ふたたび館長として国立国際美術館に戻ったのは ? 時間や海外出張なども。この自由さは引き続き保障したい 建畠前館長で、僕の学芸員時代の敬愛する先輩で主任研と考えています。 究官だった宮島久雄さんが移転業務に取り組んできたんで 今は、本部が東京にあるので、大阪と頻繁に往復してい すが、彼から突然電話がかかってきて、移転を無事に終えます。美術館から自転車で川分くらいのところに住んでい て責任を果たしたので「バトンタッチしてくれない ? 」と。て、深夜、早朝、土曜日曜の出勤率が高いのが特徴です 宮島さんのようには務まりませんよと言うと、君みたいに ( 笑 ) 。最初はロードレーサーで木漏れ日の中を通勤するの しい加減なやつの方がいいんだよという ( 笑 ) 。それはと が気に入っていたのですが、最近は分くらいかけて歩い もかく、これまで手薄になっていた海外とのコネクションて通うようにしました。自転車だと央適すぎて、仕事場に ソ をフォローしてほしいと頼まれて、じゃあやりましようと。着いても原稿を書く気がしなくなるんです。その点、 2004 年暮の移転後、翌 2005 年 4 月 1 日に着任しまコン持ってよたよた歩いていると、妄想がわいてくる。書 した。ただ転職というより「戻る」といった気持ちでした けない時に敢えて外にでる、妄想がわいてくると考え切ら ね。まあ独立行政法人になり、場所も移り、スタッフもほすにいったん止める、そして着くとすぐに書き始める。歩 ば入れ替わり、浦島太郎ではありましたが。 くことは田 5 考にいいんでしよ、つね 移転先は大阪の中心街にあたる中之島。状況はどう変わりまし ただ最近は立場上、美術批評は減らしています。忙しい んカ
、つなものでした。 さらに言えば、編集者時代も密かに続けてきたのですが、 でもそこを 4 年半くらいで辞めてしまう。 詩を書きたいという思いが強かったんです。でも雑誌の仕 建畠美術館がまだそれほどない時代で、ちょうど文化庁事をしていると、だいたい正午頃に出勤して、午後は取材 に発足した国立国際美術館の準備室を取材して「美術館がしたり、原稿取りをしたり、 6 時頃から先輩の特集の割付 できるまで」というふうなリポ 1 トを書いたんです。そ、つを手伝ったりして、夜中の 2 時頃からコラムなど記事を書 するうちに準備室長に声を掛けられて、 1976 年に移っく。朝の 4 、 5 時頃に終わると新宿に飲みにいって朝の 8 たわけです。雑誌の編集部では、怒鳴られ続けながらもど時頃になると家に帰り、シャワーを浴びて仮眠して、昼ご こか見込まれていたと自惚れていましたし、仕事も大好きろ起きてまた会社に行く : : という毎日で、幻時間労働で だったから辞めづらかったですけどね。ともかく準備室にすよ ( 笑 ) 、土日もお正月もなかった。若いから体ももっ 入って 1 年後、大阪の万博公園にいよいよ美術館が開館し、たし、気鋭の学者なんかが編集部にいたのでとても面白か 学芸員となりました。 ったんですけれど、詩を書いている時間はなかなか取れな 充実していた仕事を辞めてまで、美術館に移る決心したのはな かった。まあ時間があれば書けるわけではないんですけれ せですか ? どね。 建畠大きく 2 つあります。一つは、さまざまな美術館の それに、僕は山崎さんのように、編集者には向いてなか 取材を通じてその仕事に非常に魅力を感じていたこと。と った。人に書かせるより、自分で書きたかった。 ても創造的だと思ったんです。ジャーナリズムも創造的で はあるのですが、やはり状況に反応する仕事なわけです。 一方で美術館の仕事は、世の中に新たな価値を提言してい 草間彌生を世に出したい けると。 もう一つは、国立国際美術館にはアカデミックな要素が 美術館に移ると時間的余裕が増えたのでしようか ? あったことです。僕はもともと仏文学者になりたい気持ち建畠千里の山奥にあった頃は、お客さんは来ないし、取 もありましたから、研究的な仕事への憧れもあったでしょ 材もないし、比較的のんびりしていたんですよ。税金を使 、つね っているので今だったらつぶされるかもしれませんが、当
間がわからないことです。たとえば国立国際美術館なら照 です。そういった機動力は美術館では考えられない、国際 明、天井の高さ、幅の間隔 : : : 隅から隅まで知っています。 交流基金という特殊な組織ならではの仕事でした。 美術館に腰をすえたキュレーションと、インデイベンデントとそれを全部わかったうえで作品を配列するのはとても楽し い作業です。ところがヴェネッィア・ビエンナ 1 レを最初 の違いは ? 建畠僕は基本的に展覧会は「館」だと考えているんです。にやった時、現地に行ったこともなく、図面を見て考え始 そして " 家つき。のキュレータ 1 がキュレ 1 ターだと。イめるわけです。すると微妙な空間の機微がわからない、 ンデイベンデントでやる時に一番やりにくかったのは、空らいらしましたね。でも家つきのキュレ 1 ションなんて国 横浜トリエンナーレにおける草間彌生の屋外インスタレーション 2001 年 103 102 The Sun Lecture BOOk 007 Working at a Museum Lecture 05: Akira Tatehata