建畠晢 撮影 : 河野利彦 国立国際美術館館長 び』 ( 共著、平凡社、 1998 年 ) など著書多数。 柳書院、 1 998 年 ) 、「現代アート入門ー - ーーく今〉に出会う歓 ( 2005 年 ) 受賞。「問いなき回答ーーーオブジェと彫刻」 ( 五 詩人としても活動し、歴程新鋭賞 ( 1991 年 ) 、高見順賞 ( 2005 年 ) などアジア近現代美術の企画にも多く携わる。 ンド現代美術」展 ( 1998 年 ) 、「アジアのキュビスム」展 ニズム」展 ( 1 995 年 ) 、中国の「方カ鈞」展 ( 1996 年 ) 、「イ ティック・ディレクターなどを務めたほか、「アジアのモダ 館コミッショナー、横浜トリエンナーレ 2001 のアーティス 代美術。 1990 年、 93 年のヴェネッィア・ビエンナーレ日本 学教授を経て 2005 年より国立国際美術館館長。専門は近現 卒業。国立国際美術館研究官 ( 1976 ~ 91 年 ) 、多摩美術大 たてはたあきら。 1947 年京都府生まれ。早稲田大学文学部
くと「学芸員」と説明されているし、また学芸員の名刺を裏返すと英語で「 Curator 」と書かれていること もあって、多くの人々の間では学芸員Ⅱキュレーターという認識が広まっているようです。だがここには、 多くの誤解が潜んでいることを指摘しておかないとなりません。 そもそもキュレーターとは、欧米の美術館制度に由来する職業です。欧米の美術館では、事務やマネジメ ントを担当するアドミニストレ 1 ター (Administrator) 、美術品の修復保存を担当する修復技術者 (Conse1% vator) 、美術図書や資料の司書業務を担当する司書 (Librarian) 、映像記録業務を担当する記録者 (Docu ・ mentarist) 、美術教育やワークショップなどを担当するエデュケーター (Educator) などの複数の専門職 が確立されており、調査研究を行い、展覧会企画をまとめるキュレーターもその一部門を形成しています。 まだキャリアに乏しい若手のうちは「アシスタント」や「アソシェート」という接頭辞をつけて呼ばれるの で、かなりのべテランでないと一人前のキュレーターとは見なされません。美術館に籍をおかす、フリーラ ンスの身分で展覧会企画を手がけるインデイベンデント・キュレーターという新しい業態にしても、この分 業制と豊富な経験に裏打ちされた高い専門性が確立されていて、初めて成立する職業なのです。 それに対して、日本の美術館では状況が大幅に異なります。そもそも日本の美術館は欧米のように分業制 が確立されていないので、 1 人の学芸員がいわば「何でも屋ーとして様々な仕事をこなさなければなりませ ん。展覧会企画ひとつにしても、現地での調査やアーティスト、コレクターや他館との出品交渉はいわずも 月、クーリエ、展一小造作な がな、出資企業や新聞社、テレビ局を通じての広報活動、運送、保険、印刷、日 . 日 どの様々な業務があり、その都度その都度専門の業者と協働して業務をこなさなければなりません。もちろ ん、それらの業務全てには厳しい時間と予算の制約がついてまわり、日々の仕事は残業の連続です。最近は、 一部の大規模な美術館では職務の専門化・細分化が進められていますが、それでも多くの場合はひとりでい くつもの業務をこなさないとならないことに変わりはありません。日本の学芸員が「雑芸員」とも揶揄され る所以です。専門性の強い欧米のキュレーターに比べて、日本の学芸員はよりゼネラリストに近い職業と考 ☆ 1 129 ページ参照。
ども、絶えす新展開をアピールしていかなければ他館との競争に敗れてしまうという危機意識の現れともな リゼーションの流れは否応なしに日本の美術館をも巻き込むので、海外の っているようです。このグロー 大美術館の日本進出も早晩現実味を帯びてくるでしよう。実際、名古屋ボストン美術館のように既に進出を 果たしている例もあり、またニューヨーク近代美術館 (>cä<) も日本で本格的にオンラインショップ事 業を展開しています。これは、考えようによっては外国の美術館で学芸員のポストを得るチャンスなのです が、裏を返せば、日本国内の美術館であっても外国人相手にポストを竸わなければならなくなることも意味 ・エリオット氏を初代館長に迎えたことが しています。森美術館が開館に際して、イギリス人のデヴィッド 大きな反響を呼びましたが、今後はそういう事例がさらに増えてくることが予想されます。現在でも海外留 学の経験を持っている学芸員は少なくありませんが、それに加えて競争が激化する今後は、海外の美術館や ギャラリーでの実務経験も要請されるようになるかもしれません。 もう一方が、巨大化とは対照的な細分化、専門化の流れです。総合美術館が巨大化する一方で、対応しき れなくなった個々の領域を専門館によってきめ細かくカバーしようとする動きが顕在化しつつあるからです。 ート (>Z<) 美術館やヴィトラ美 その典型的なものがデザイン・ミュージアムで、ヴィクトリア & アルバ 術館をはじめ、欧米では多くの美術館がデザインへと領域を特化し、産学協同的な体制の下、デザインのア ] カイヴ化や研究を推し進めているのですが、日本で同様の取り組みを行なっている美術館はほとんど存在 せす、またデザインを専門とする学芸員も少ないのが現状です。その必要性が各方面から指摘されているこ ともあり、今後は日本でもデザイン・ミュージアムの建設が進められるはずなので、そこに新たな学芸員需 要が生まれてくることが予想されます。学芸員を目指すに当たっては、細分化・専門化の流れのなかで、今 後の社会的需要が高まってくる専門領域を見極める必要が出てくるのではないでしようか 1 マンであり、その仕事 所属先の美術館から月給をもらって仕事を行なうという意味では学芸員もサラリ が職場の動向に左右されてしまうことには致し方ない面もあります。そこで最終的には、思い切って美術館 暮沢剛巳「美術館の政治学」青 2 0 0 7 生・ 弓社ライブラリー 美術館の政治学 ロ
ように田 5 われます。 最初に触れたように、学芸員は研究職であり、自らの研究成果を展覧会としてまとめるのが仕事です。時 代や作家は問わないので、多くの本を読んで、自分の専門とする領域を確立してください。勉強嫌いな人は 論外です。またそのこととも関連するのですが、実際に美術館に勤務すると、自分の専門とは違う領域の展 覧会を担当する機会も少なくありません。そのため、幅広い領域に関して積極的に興味の持てる好奇心旺盛 な性格であることが望まれます。 次に、詳しくは後で触れますが、学芸員の日々の業務は多岐にわたり、そのため様々な職種の人々と会い やりとりする必要があります。研究職といっても、象牙の塔に籠もっていられるわけではありません。ロ八 丁手八丁とは言わすとも、人並みの社交性は持っていたいものです。そして、日々のコミュニケーションの 相手には多くの外国人も含まれますので、外国語の専門書を読みこなす一方、会話や手紙など、仕事上のコ ミュニケーションに不自由しない程度の語学力を身につけておきたいところです。専門領域の如何を問わず グロ ーバル・ランゲージとしての英語は必須であるし、可能であれば、さらにもう 1 カ国語くらいはマスタ ーしたいものですね。 また学芸員の仕事は残業や出張が多く、しばしば生活が不規則になりがちですし、また現場ではカ仕事を しなければならないこともあります。日々の健康管理に気を配り、年齢相応の基礎体力を維持しておきたい ものです。そして何より、日常的に美術と接する仕事なのだから、美術が好きであることは言わすもがなの 前提でしよう。 時代とともに美術館の性格も変化していますが、これらの資質は絶えず求められるものと言えます。この ように書くと、例えば語学の苦手な人には随分と敷居が高く感じられるかもしれませんが、それですぐにめ げてしまうようでは最初から学芸員を目指す資格などありません。今は不得手でも、きっと上達してみせる という気概をもって勉強に励んでください 015 014 The Sun Lecture BcN OC)7 Working at a Museum Foreword
だからコレクションや展示の方向性もすいぶん違ってきまる。これほど若返らせた理由も、実際に引っ張っていけと い、つことですし。 すね。 着任 ( 2 0 0 7 年 4 月 1 日 ) した際、スタッフにはまず何を話 開館してまだ 3 年 ( 2004 年川月オープン ) だと、独 されましたか。 自のスタイルといえる安定したマネジメントがまだできて 秋元私はク速い仕事が好きなので、完成度が高くて遅いません。これから楽しくやれるかなと ( 笑 ) 。 いよりは、言ったことに対して完成度が 6 割でも速く出て くる方が望ましい、仕事は個人がやり遂げるものではなく キャッチボールだ、やりとりの中で仕事をしたい : ・ : とい市民かっくるミュージアム 、つよ、つなことを一「ロいました。 それにしても入館者数がすでにたいへんな数です。 ここは組織がセクションに分かれているんですね。学芸 課、交流課、総務課があって、学芸課スタッフはⅡ人です秋元年間 130 万人以上です。当初は幻 5 万人、最大 ( 2007 年川月現在 ) 。純枠に展覧会をキュレーションす万人を目標にしていたらしいです。 開館初年度、市内の小中学生全員を無料で招待したとい るキュレーター ( 学芸員 ) もいれば、エデュケーター ( 教 うのが素晴らしい。最初は全学年に来てもらっていたんで 育普及専門員 ) もいる、またレジストラー ( 収蔵管理専門 すが、 2006 年度からは小学 4 年生に絞っています。こ 員 ) 、アーカイビスト ( 学芸司書 ) などもいます。そうい う点でいえばさすがに公立美術館というか、これまでとはれは専門家の意見でもあって、川歳頃はちょうど、子ども 違いますね。ベネッセでも、最後は財団の常務理事として特有の感性と聞いたことを頭で理解できる年齢の端境期で、 施設や財団など全体のまとめをしていましたから、組織を何かを伝えるにはいい世代らしいんです。「ミュージア 掌握することに関してはある意味で共通な点もありますが、ム・クルーズ」というプログラムで、 5 、 6 人の小グルー 文化風土は別物です。公立美術館ですから、仕事の進め方、プに分かれて、エデュケーターや専門のボランティアの方 がついて、 1 時間半から 2 時間かけて館内を見てまわる。 手続きも行政的です。それに慣れるのに少し時間がかかり ました。ただ幸い、単なる名誉職でなく、人事にしろ、計何かをはじめから教えてしまわないで、何回も見る、また はキーワードだけを伝える。そうするとコミュニケーショ 数管理にしろ、けっこう実際的な権限をもたせてくれてい
大学の助手を終えた後、照明デザイン会社で働いてい た木下さんは、 1998 年に現在の職場へと移った。東 展示をデザインする 博の組織が大幅に改編され、その結果新設された展示デ 空間デザインで増す展示の魅力 ザイン室の職員に応募したのがきっかけだった。「日常 の仕事は、常設展の空間のデザインが中心です。企画展 展覧会は美術品を見せるイベントである。とはいえ、 のように新聞社やテレビ局からお金が出るわけじゃない ただ多くの美術品をひとつの会場に集めただけではどう ので、通常の予算でやりくりしないといけないから大変 にもならず、見やすい展示で作品の素晴らしさを引き出 です」。 2 0 0 4 年秋の本館リニューアルオープンに際 すためには、作品の配置や什器、照明、ヾ、、レ ノイ丿やキャプ しては、重要文化財に指定されている関係上制約の多い ションなどに様々に工夫して会場を造作しないとならな 建物で、魅力ある展示を実現すべく様々な知恵を絞った 木下史青「博物館へ行 い。このように、展覧会が開かれる空間をデザインするこう」岩波ジュニア新そうだ。 書 20 0 7 年 人を展示デサイナーという。東京国立博物館 ( 東博 ) の 着任時、木下さん 1 人しかいなかった東博の展示デサ しせい 展示デザイン室に勤務する木下史青さん ( 1965 年生 イン室は現在でも 3 人の小所帯。また他館でも、専属の まれ ) は、日本ではまだ少ない館専属の展示デザイナー 展示デザイナーを抱えているのは森美術館くらいのもの である。 で、多くの館では民間のディスプレイ業者に丸投げして 木下さんは年に『博物館へ行こう』という著 いるのが実情だ。「展示デザイナーの知名度は、日本で 書を出版したばかり。展示デザイナーになるまでの経緯 はまだまだ低いですね。専門職として認知されている欧 や仕事の詳細については、この本にまとめられている。 米に比べたら、当然水準も低いですが、最近では国際交 同書によると、東京藝術大学でデザインを専攻していた 流セミナーなどを実施して、水準の向上に努めています。 木下さんは、旅行先のドイツで訪れた博物館の美しい展 そもそも作品を理解していなければ魅力ある展示などで 示に心打たれて、モノではなく空間をデザインする仕事 きないし、学芸員との密接なコミュニケーションも必要 に強い関心を持ったとのこと。その後大学院に進み、環 なこの仕事には研究職としての側面もある。展示デザイ 境デザインや美術解剖学などを学ぶ過程で、作品展示に ンという仕事の重要性を、もっと多くの人に知ってほし は照明か決定的に重要なことを知ったという。 いですね」。 ・コラム 取材・文ⅱ暮沢剛巳
用するのかという気持ちがありますし、積極的に町に出て 行きたいと思っています。 専門スタッフがいるので、全体の方針は伝えつつキュレ ションにはあまり首を突っ込まないかも。まあ、何年か に一度くらいはやらせてよ、と言うかもしれませんが ( 笑 ) 。これまでは様子見のところもありましたが、ほちほ ち自分の方向性が実現していけたらと思っています。「こ こに骨を埋めます」と言ってますんで ( 笑 ) 。 059 058 The Sun Lecture Book 007 Working at a Museum Lecture 02: Yuji Akimoto
えて差し支えありません。 最近は日本でも、インデイベンデント・キュレーターを名乗る人が散見されるようになりました。とはい え、既に述べたように、日本ではそもそも専門職としてのキュレーターが確立されておらず、また最近は旧 来の博物館学とは別にア 1 ト・マネジメント講座なども開講されるようになりましたが、本格的なキュレー ター教育も実施されていません。要するに、キュレ 1 ターの活躍の場となる土壌が十分に形成されていない のです。加えて、本来キュレータ 1 とはかなりのべテランであるはずなのに、その肩書を自称している人の 多くはまだ十分なキャリアを積んでいない若手であり、そのため一部の例外を除けば、顔見知りのアーティ ストに声をかけた程度の展覧会など、彼らの仕事は趣味や余技の域を出ていないものが多いように思われま す。もちろん、フリーの仕事には独特の可能性や魅力がありますが、日本の美術界の現状に照らせば、イン デイベンデント・キュレ 1 ターを美術館の学芸員と同等の職業と考えることにはまだムリがあるのではない でしよ、つか これからのミュージアム 巨大化と専門化 美術全般に関する研究能力と好奇心、語学力やコミュニケーション能力、学芸員にとって必要とされる基 礎的な素養は恐らく今後も変わることはありません。ただ美術館が大きな変革期に差しかかっている現在、 美術館で働く学芸員にも今後は意識の変化が求められることになるでしよう。 幻世紀の美術館を特徴づける方向性は、大きく 2 つに分かれるように思われます。一方が巨大化です。こ の傾向はグッゲンハイム美術館のビルバオ ( スペイン ) 進出を機に顕在化し、今や欧米の大美術館はこぞっ て新館や分館の建設、あるいは地方都市や他国に進出してのフランチャイズ展開に乗り出しました。これは、 膨張する一方のコレクションのためにスペ 1 スが不足していることに加え、世界的に著名な大美術館といえ 019 018 The Sun Lecture Book 007 WorkIng at a Museum Foreword
若手の日本人作家だけでやりました ( ゅめおおおかアート プロジェクト ) 。横浜の住宅街に新しくできた駅で、大規 模なオフィスビルの再開発とはそもそも違うわけですが、 裾野を拡げたアート・マネジメント講座 参加したのは村上隆や奈良美智、小沢剛など、今では皆大 物です。作品はすべて外せるようにつくられていて、オー キュレーションにとどまらず、その後はアート関連のさまざま なイベントを手がけられています。 クションにかければそれぞれ結構な価格になるでしよう。 横 3 メートル、高さ 2 メートルくらいある村上隆の黄色の南條バブル崩壊直後、青山のスパイラルが「もっと元気 ペインティング、奈良美智の彫刻は地上幻メートルのとこ になろう」というメッセージを発したい、 と 1 年間展開し ろにぶらんこが下がっていて、メインの女の子は大きいのたのが「アート・アンド・ライフ」で、目玉はオノ・ヨー ですが、端に小さい彫刻がすらっとならんでいる。奈良のコでした。「美術の未来」というシンポジウムもやりまし 人気がまだ出る前で、「人形の目が怖いから外せ」と関係 た。そして 1991 年に立ち上がったのが、慶應義塾大学 者から要望が出たので、現場でアンケート調査をしたらのアート・マネジメント講座です。僕は外部から講師とし 「怖いけどカワイイ」、まさに「キモカワイイ」という声がて参加したのですが、従来の資格取得を目指した学芸員養 聞かれました。そういったポジティヴなアンケートを積み成講座とはまったく異質な、美術をめぐる仕事がどのよう 上げて、関係者に対して継続を納得させた。 な広がりをもっているかについての入門講座でした。大日 また福岡のアジア美術館が入っている博多リバレインの本印刷からの寄付金をもとにしていたこともあって、企業 開発事業では、すべてアジアの作家でやりました。彳 皮らは人の参加者が多く、 100 人中 354 割が行政の文化担当 ハプリック・アートに慣れていなくてディレクションが難者や企業の社会貢献部の方など社会人でしたね。通常の美 しい面もありましたね。そして最後は大林組の本社。パプ術史を教えるのではなく、美術館学でもない。美術で仕事 リック・アートとはいいにくい、企業コレクションなんでをしていくための基礎知識を教えるもので、これを 1 年間 すが、建築と完全に一体化したかたちでつくりました。 学んでも専門家になれるわけではない。 一人ひとりが美術 をめぐってどのような仕事をしたいかを測るための羅針盤 といった位置づけでした。美術館やギャラリ 1 の話、オー ☆横浜市港南区の上大岡駅前 再開発計画の一環として構想され たバブリック・アート・プロジェ クト。京浜急行線と鎌倉街道に沿 って建てられた複合ビル「ゆめお おおか」の内外四カ所に、人の アーティストによる四作品が設置 された。 1 997 年完成。
です。逆に言えばそれ以外の期間をこの人数で回しているといった職人的あるいは役人的な仕事にとどまることなく、 ので大変ですが、その時期にたまった仕事ができます。僕また理論だけで何かを示すこともない、実践と理論化の両 の場合、近美での「揺らぐ近代」のあと、芸大に移ってコ刀を使えるところが大学美術館の利点かもしれません。 レクション展、金刀比羅宮展、岡倉天心展と、 2007 年 モノを見せる仕事、という意味では、展覧会へのお客さんやマ 春からすっと展覧会の仕事が詰まっていましたから、そろ スコミの反応は励みになりますか。 そろ休みたい ( 笑 ) 。 古田学生相手だけの研究者と違って、仕事への反応はか 調査に出る機会も多いですか。 なりリアルに感じますね。ただ励みにはほとんどなりませ 古田今の時代、どこに何があるかだけならここにいてもん ( 笑 ) 。というのは、反応が多いと対応に大変なだけで、 わかってしまいますから、要するに現物を見る意味でです次の仕事には影響しないんです。やりつばなしはいけない、 ね。やはり原点はモノですから。 という話を先にしましたが、作った時点で気持ちは終わっ かって、美術史が凝り固まった方法論だけで行なわれてていますから。展覧会が開いてしまったらもう次のことを いることには反発も感じていて、新しい方法論や、それま考えたい。終わったことに対していろいろ聞かれても、一一一一口 での枠組みを一度相対化してみることに興味はありました。い方はよくないかもしれませんが、適当に答えることも多 ただ、理論上は制度を解体しようと一言うことはできても、 いんです。もちろん自分の展覧会として伝えたいことはそ では次に何をするかという話になると、実際に仕事でやらの都度、一所懸命に伝えますけれど、それは数ある仕事の なきや意味がない。それも自分の思ったやりかたを実践し一つでしかありません。 ていくしかない。それには、モノかないと何もできないん です。モノから離れてやる仕事もありますし、ある程度成 果を生むことができるかもしれません。でもモノから離れますは専門知識を たところにいて、その両立はできない。あくまでモノを見 せることが基本にあって、はじめてモノから離れられると 学芸員になりたい人へのアドバイスをお願いします。 いう感じです。そういう意味では、芸大美術館は両面があ古田まず、なんでも、 しいから自分が専門だと思えるもの ってちょうどいいかもしれません。「これしかやらない」を徹底的に研究すること。一度そういう経験を積まないと、