太陽レクチャー・ブック 007 ミュージアムの仕事 2008 年 1 月 25 日初版第 1 刷発行 編者太陽レクチャー・ブック編集部 発行者下中直人 発行所株式会社平凡社 〒 112-0001 東京都文京区白山 2 ー 29 ー 4 電話 03 ー 3818 ー 0746 [ 編集 ] 03 ー 3818 ー 0874 [ 営業 ] 振替 00180 ー O ー 29639 ホームページ http://www.heibonsha. CO. jp/ ブック・テサイン groovisions 本文レイアウト石澤由美 ( 平凡社 ) 編集協力暮沢剛巳 印刷株式会社東京印書館 製本大口製本印刷株式会社 OHeibonsha 2008 Printed in Japan 旧 BN978 ー 4 ー 582 ー 63070 ー 1 NDC 分類番号 069.3 A5 判 ( 21. Ocm) 総へ - ジ 136 乱丁・落丁本のお取り替えは直接小社読者サービス係までお送りください ( 送料は小社で負担します ) 。 ・ [ 太陽レクチャー・ブック・シリーズ ] 。平凡社と デザイン、インテリア、写真、料理など、広がる好奇心に応える「新しい美的生活」へのイントロダクションに 池袋コミ、ニティ・カレッジ提携による「講座太陽」 ( 詳細は、平凡社ホームージ http://www•heibonsha.co.jp/ をご覧くだ さい ) でのレクチャーをもとに刊行される入門書のシリーズです。
古田亮 撮影 : 河野利彦 東京藝術大学大学美術館准教授 ふるたりよう。 1964 年東京生まれ。東京藝術大学美術学部 芸術学科卒業、同大学博士課程中退。東京国立博物館絵画室 研究官、東京国立近代美術館企画課主任研究官を経て、 2006 年 4 月から東京藝術大学大学美術館准教授。近代日本 美術史専攻。担当した企画展は「海を渡った明治の美術再 見 ! シカゴ・コロンブス世界博覧会」 ( 1997 年 ) 、「日本美術 院創立 IOO 周年記念特別展近代日本美術の軌跡」 ( 1998 年 ) 、「横山大観展」 ( 2002 年 ) 、「琳派 RIMPA 」 ( 2004 年 ) 、 「揺らぐ近代」 ( 2006 年 ) 、「金刀比羅宮書院の美」展、「岡 倉天心」展 ( 共に 2007 年 ) など多数。また著書に「狩野芳 崖・高橋由ー 日本画も西洋画も帰する処は同一の処』 ( ミネルヴァ書房、 2006 年 ) がある。
穴菘鄧ー大宀 上野の森の一画を占める近代的な建物。国立西洋美術館や東京国立博物 館、東京都美術館などいくつかのスポットをハシゴして回る美術ファンの姿も。 撮影 = 河野利彦 > The University Art Museum, TOkyo National CJ niversity Of Fine Arts and Music 110-8714 東京都台東区上野公園 12-8 TEL. 050-5525-2200 開館 10 ℃ 0 ~ 17 : OO ( 入館は 16 : 30 まで ) 休館月曜日 ( 祝日の場合は翌日 ) 、入試期間、 年末年始、展示替え・保守点検期間 http: 〃 www.geidai.ac.jp/museum/ 「岡倉天心ーー芸術教育の歩み」展会場 2007 年 大学創立 120 周年を記念した企画展という意図に沿い、美術教育の基礎をつくった天心像をクローズアップした 写真提供 = 東京藝術大学大学美術館 005 004 The Sun Lecture B00k 007 Working at a Museum
京 を 響 「揺らぐ近代日本画と洋画のはざまに」展 2006 年東京国立近代美術館撮影 = 大谷一郎写真提供 = 東京国立近代美術館 ( 上下 2 点とも ) 087 086 The Sun Lecture BOOk 007 Working at a Museum Lecture 04 : RYO Furuta
The Sun Lecture Book 007 Working at a Museum Lecture 04: RYO Furuta 古田元 ( 東京藝術大学大学美術館 ) 既成の概念を覆す企画展の発想 「あるモノをどう見せるか、常に切り口を探していますね」 東京藝術大学大学美術館で 2007 年夏に開かれた「金刀比羅 宮書院の美」展は、約 2 カ月で予想を遥かに上回る 16 万人 以上が入場した。尻上がりに 1 日 5 千人以上が詰め掛けた会期 終盤の一日、賑わう会場の奥にある静かな研究室に、古田さん はお香を炊いて迎えてくれた。
秋元雄史 全沢 21 世紀美術館館長 あきもとゆうじ。 1955 年東京都生まれ。東京藝術大学美術 学部絵画科油画専攻卒業。 1991 ~ 2004 年、 ( 株 ) ベネッセコ ーポレーションに勤務。ベネッセアートサイト直島のアーテ イスティックディレクター、 2004 ~ 06 年末、地中美術館館 長、 ( 財 ) 直島福武美術館財団常務理事。その間、家プロジェ クト、「スタンダード」展などを展開、サイトスへシフィッ ク・ワークを中心に直島の活性イヒに成功。 2007 年 4 月より 金沢 21 世紀美術館館長。安藤忠雄氏らとの共著『直島瀬 戸内アートの楽園」 ( 新潮社、 2006 年 ) がある。 撮影 : 河野利彦
森美術館 現代彫刻家ルイーズ・ブルジョワの巨大な蜘蛛《ママン》の向こうにそびえる 都会の象徴のような六本木ヒルズの中心、森タワー。この 53 階に美術館は ある。今や地方から訪れる人も目立つ話題のアートスポットだ。 52 階の東京 シティービューからエスカレーターを上がって展示会場へ。 > Mori Art Museum 106-6150 東京都港区六本木 6-10-1 六本木ヒルズ森タワー 53 階 TEL. 03-5777-8600 ( ハローダイヤル ) 開館 10 : OO ~ 22 : 00 ( 火曜日は 17 : OO 、入館は 閉館の 30 分前まで ) 休館企画展開催中は無休 http://www.mori.art.museum ル・コルビュジェ〈アトリエ再現模型〉「ル・コルビュジェ展 : 建築とアート、その創造の軌跡」展示風景 2007 年森美術館撮影 = 渡彊修写真提供 = 森美術館 OOI The Sun Lecture BOOk m7 Working at a Museum
反誉メ立卞 ~ 緑に囲まれた東京郊外に建つ美術館。周囲には郷土資料館や植物園、史 跡なども集まっていて、のどかな空気の中、一日のんびりくつろぐ市民も多い。 撮影 = 河野利彦 > ltabashi Art Museum 1 75-0092 東京都板橋区赤塚 5-34-27 TEL. 03-3979-3251 テレフォンサービス 03-3977- IOOO 開館 9 : 30 ~ 17 : OO ( 入館は 16 : 30 まで ) 休館月曜日 ( 祝日の場合は翌日 ) 、年末年始、 展示替え期間 毎週土曜日は小中高校生入館無料 http://www.city.itabashi.tokyo.jp/art/ 子どもたちと会話しながら作品を見るワークショップには発見が イタリア・ポローニャ国際絵本原画展を毎年開催するなど、絵本の展示や閲覧に力を入れた館内は 多い 2007 年写真提供 = 板橋区立美術館 親子連れが多く、地域に密着した美術館を感じさせる 心 ~ 第 3 ツト メや料本原画展 ロロロ ロロ ロロ日
たんですが、後になって、「深川さんの撮った写真が雑誌メラマン志望として朝日新聞社を受験したりもしたんです 、ところまで進んでも、結局は病気のことで落ちま に出ていたでしよう」と言われることがあった。「カメラよ。いし 毎日」という雑誌にアマもプロも関係なく作品を紹介してしたけど。 そうやって奨学金を頼りに東京で暮らすうち、いろんな くれる「アルバム」というコーナーがあって、たまたま初 めて送ったものを採り上げてくれたんです。学校できちん人に出会いました。原田さんの友だちで当時、毎日新聞の と学んだことなどないし、原田さんについて助手みたいな学芸部にいらした故・田中幸人さん ( 後に熊本現代美術館 初代館長 ) など。出版社もいくつか受けて落ちたりするう ことをやって身につけたのですが、写真はともかく面白い だからやってみたかった。ただそうは思っても、やはり写ち「カメラ毎日」も廃刊になり、「フォトジャポン」「ズー 真家になるというのではなく、原田さんに「写真についてム」といった写真雑誌も次々になくなっていきました。お 考える人間が少ないし、必要だから、お前はそれをやって先まっ暗でした。 その後、いよいよ転機が訪れる。 みろ」と言われたこともあって : 1985 年につくば万博が開催され、「つくば写真 美術館」ができたんです。写真の美術館、というものとの 最初の出会いでした。そこで谷口雅さん ( 写真家 ) や編集 者だとか多くの人と出会い、さらに出会った人がまた次の でも「写真について考える」ことが仕事につながるかどうか人を紹介してくれて : : : とまさにいろんな人を渡り歩きま した。大島洋さん ( 写真家 ) 、ツアイト・フォト・サロン 深川そうですね。その時、学芸員という職業はまったくの石原 ( 悦郎 ) さん : 見えてなかった。資格ももっていなかったし。ただ、自分その頃、論文選考で海外に短期派遣してくれる企画に応 なりに写真の問題を扱っていけたらという思いは芽生えて募したら通ってドイツに 2 週間ほど行くことになったんで いました。じゃあ九州にいてもだめだろうと、 1984 、す。新年、ちょうどハンプルクで日本の写真の歴史の展覧 会が開催されていた時で、その準備のために 2 、 3 年日本 5 年頃、大学院の博士課程に籍をおいたまま東京に出て、 ク放浪の旅りがはじまったんです。でもその間、じつは力を回っていた学芸員にも現地で会うことができました。日 東京へ、ク放浪時代 , 027 026 The Sun Lecture 日 00k 007 Working at a Museum Lecture OI : Masafumi Fukagawa
本では本人も表に出そうとしなかった原田さんの写真が、 それを模索しつつ、翻訳と仕事に励みました。結局、フル ドイツで評価されているのも目の当たりにしました。さら ッサーの言っていることは現在のネット環境でこそ説得力 にハンプルク工芸美術館のディレクターを通じてドイツのがある内容でしたから、当初はなかなか受け入れてくれる 写真家にもたくさん会いました。 出版社もなく、ようやく的年に勁草書房から出しました。 人との出会いのラッシュですね。ハンブルクでは。運命の本。 にも出会ったとか 深川そう、そのハンプルクのギャラリーの書店で、ヴィ 学芸員になる レム・フルッサーの『写真の哲学のために』に出会ったん です。立ち読みしてすごいな、と思い、すぐに版元の編集 そのうちいよいよ学芸員への道が開けていく。 者こ会 、こ一丁きました。それで日本で翻訳して出したいと深川コンピュータ会社に就職する前、お金に困ったりし いうような話をして帰国したんです。まさに「若気の至て一度九州に帰ったんですが、ふたたび東京に出てきた時、 り」といいます・か 展覧会の会場なんかで新年頃に出会った人たちと再会した 後につながる収穫の旅でしたね。 んですね。どうやら写真関係の人たちに「深川が東京に戻 深川で、帰国したらもう大学へはほとんど行かなくなり、 0 てきてるぞ」と言ってくれる下地ができていたみたいで 翻訳と写真論の研究に取り組んでいました。ですがいすれす。一方で、日本で初めて写真を専門に扱う美術館として、 写真のことを考える仕事をしたい、そのためにはどちらに 川崎市市民ミュージアムの構想が年頃から動きはじめて しても東京に居続けなければと思っていたので、とりあえ いたわけです。その準備室が写真に関する学芸員を探して す当時プームになっていたコンピュータのソフトウェア会 いるぞとい、つことで、いろんな人が「それなら深川という 社に就職したんです。まだマイコンと呼んでいましたかね、のがいる」と推薦してくれたんです。 僕は技術者ではないんですがもともとコンピータは好き公募による試験を受けて準備室に着任したのが年 5 月 でしたし、広報の仕事で <— ( a 「 ( 三 cia 一一 n ( 0 三 g0n00 人工で、その年のⅡ月にオ 1 プンしましたから直前でした。も 知能 ) 関係のことを任されたりして仕事は面白か 0 たです。ちろん学芸員の資格もも 0 ていませんし、取得したのも実 働きながら自分のやりたいことをどれくらいできるか は最近ですから。ある程度の実績を積めば資格がとれると ヴィレム・フルッサー『写真の哲 学のために テクノロジーとヴ イジュアルカルチャー」 ( 深川雅 文訳 ) 勁草書房 1999 年 一哲学の