選挙区 - みる会図書館


検索対象: つくられた最長政権
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1. つくられた最長政権

度改革に取り組まなければならないことを私は主張いたします。さらに今の野党各党に は、もう少し二大政党制の意義をかみしめ、国民に呼びかける前にまず自らが政権交代を 強く意識して、ささいなことには目をつぶり大きく団結するよう、強く訴えたいところで す。 「一議会ニ制度」は傍流中の傍流 「」にロシアを加えた八カ国のうち、日本を除くほかの七カ国の議会における選挙制 度はどのようなものかを、参考までに挙げてみます。まずフランスの場合、下院にあたる 「国民議会」の議員は、小選挙区単記二回投票制による直接選挙で選出されます ( なお、 上院にあたる「元老院」の議員は直接選挙ではなく、各自治体に割り振られた選挙人によ る間接選挙によって選ばれます ) 。 次にアメリカの場合、上院、下院ともに単純小選挙区制による直接選挙、イギリスの場 合も、下院にあたる「庶民院」では単純小選挙区制が採用されています ( なお、上院にあ 235 第六章「完全小選挙区制」改革案

2. つくられた最長政権

議論に議論を重ねて「ガス抜き」 中選挙区制から小選挙区制へ、選挙制度改革を実現するために、部会長である私に与え られた仕事は自民党内の意見を集約することであり、これを野党の主張をもまとめて合意 て にこぎつけようということになると、心ならずも、小選挙区制と比例代表制とを並立させ し そじよう A 」 る必要に迫られました。そのような議論の次に俎上にのったのは、では各々の制度によっ 手 旗 の て選ばれる議員の定数をどのように配分するか、でした。 革 改 中選挙区制の生んだ「自民党内の派閥同士の争い」や「万年野党が定位置に甘んじるぬ 度 るま湯政治」から脱却するための制度改革ですから、その趣旨を活かすためにも小選挙区 挙 選 ムも個人的にはせいぜい割合として九 制で選出される議員の割合が多いことが望ましく、不 章 対一、議席数にして四百五十と五十くらいが関の山だと思っていたのですが、結果的に現四 在の衆議院では、議員定数四百六十五のうち小選挙区一一百八十九、比例代表百七十六、割 合にして約三対二となっており、後述いたしますとおり、中選挙区制とは質を異にする悪

3. つくられた最長政権

が「派閥」でした。そのような派閥が複数存在したことで、当時は、政権や党の運営が派 閥を単位として行われたばかりか、国会運営においても自民党は各派閥から代表が選出さ れ、国対や議運も各派閥が顔をそろえるという具合でした。党の副幹事長も各派閥から一 人ずつ選ばれました。選挙の応援も派閥単位で行われ、閣僚人事も派閥のバランスが考慮 されることが必要不可欠とされました。 政治信条に共鳴できる領袖の派閥に入りたくても、同一選挙区の他候補がすでにその派 閥に属しているような場合、あえて別の派閥に加わって選挙戦を闘わざるを得ないことも ありました。私の所属した田中派のような大きな派閥では、同期の人数も多く、なかなか ポストにつく順番が回ってきません。私の同期では斉藤滋与史、林義郎、高鳥修、奥田敬 和や渡部恒三などが年上でしたから、年の若かった小沢一郎や羽田孜、それに私などは割 を食いました。同期当選組でいちばん得をしたのは三木派の山下徳夫でしよう。彼は田中 派のほうが似合うような「政策より政局」といったタイプの政治家でしたが、最小派閥の 三木派に所属していたために、さまざまなポストを歴任することになりました。私の敬愛 する宇都宮徳馬先生のように、個性のある大物政治家でありながら派閥に属さなかったた めに人閣を果たすことなく政界を退いた政治家も少なくありませんでした。

4. つくられた最長政権

たる「貴族院」は任命制で選挙は行われません ) 。 ドイツの場合、連邦議会では「小選挙区比例代表併用制」が採用されています。この選 挙制度は日本の小選挙区比例代表並立制とは仕組みの異なるもので、比例代表制を主とす る選挙制度です。 イタリアの場合も、 いくどかの選挙制度の変更をへて、現在では上院にあたる「共和国 元老院」、下院にあたる「代議院」ともに、ドイツと同様の小選挙区比例代表併用制が採 られています。 カナダの場合、議会は国王、上院にあたる「元老院」、下院にあたる「庶民院」の三者 から成るとされています。庶民院の選挙は単純小選挙区制によって行われます ( なお、元 老院の議員は、首相の推薦により国王がこれを任命します。また、国王は通常、カナダ総 督が代理を務めます ) 。 最後にロシアの場合、連邦議会は二院制で上院にあたる「連邦院」には任期がなく、そ の議員は選挙によらず選出されます。下院にあたる「国家院」の選挙はおおむね日本と同 じ小選挙区比例代表並立制が採られ、重複立候補も可能であると聞いています。 そのほかの世界各国も、それぞれ事情は異なりますが、下院ではおおむね小選挙区制で 236

5. つくられた最長政権

こうして、政治改革の季節はジェットコースターのような有為転変のなか、ひとまず終 わりを告げました。私にとって最大の心残りは、断固たる決意をもって成し遂げた政治改 革が、中途半端なものとなってしまったことでした。 残念ながら、少数政党、とくに公明党や共産党との最終段階での妥協の産物として「お 選挙区制と比例代表制とを並立させる」という、本来目指していた完全な小選挙区制とは 似て非なる、木に竹をついだような制度の誕生に、結果として妥協したため、私のかねて からの持論であった純粋な小選挙区制度の成立という当初の目的を完遂することはできな かったのです。 さらに、法案成立の際には立法者が意図しなかったことが、その後の総選挙の結果とし て現れ、現在の「自公なれあい政権」もその副産物として生まれました。 一般的な理解としては、このとき、中選挙区制から小選挙区制に変わったことになって いますが、それは正確には誤りで、現在行われている選挙は、厳密な意味での小選挙区制 ではありません。三対二の割合で比例代表制が並立していることで、英米などで行われて いる「政権選択」のための小選挙区制のメリットが失われてしまうからです。 218

6. つくられた最長政権

私の選挙の相手は常に砂田重民氏 私が初めて選挙に出た一九六七 ( 昭和四十一 I) 年当時、全国には百二十三の中選挙区制 の選挙区がありました。議員の定数に変わりはありませんでしたが、選挙区の数は選挙の 代 たびに各地で増減があったりなかったりで、最多で百三十ほどの選挙区になったことも 時 あったように記憶しています。選挙区の定数は三、四ないし五で、地方では定数三の選挙挙 選 中 区が多くありました。定数三の場合、そのうちの二議席は自民党、残る一議席は社会党の 「指定席」で、労働組合の代表のような候補者はなかば無風で当選するわけで、実際の選れ ま 挙戦は複数の自民党候補者同士の死闘の様相を呈します。 金 私の選挙区であった兵庫一区の場合、大正時代から戦前にかけての無産運動の流れをく 章 み、当時の日本では例外的にたいへん野党が強く、進歩的というか革新系、リべラル色の 第 強い、全国でも珍しい選挙区でした。右派社会党、日本社会党の委員長を歴任した河上丈 太郎先生と、左派の総評系で私鉄総連山陽電鉄労組の委員長などをへて政界人りした五島

7. つくられた最長政権

そもそも創価学会は、一九五六 ( 昭和三十一 ) 年六月に執行された第四回参議院議員通 常選挙に六名の学会員を無所属の候補者として擁立し、組織票をもって三名を当選させる 快挙を成し遂げています。このうちの一人、白木義一郎議員は、慶大野球部のエースだっ た一九四一年に応召し、復員後は東急フライヤーズのピッチャーとしても活躍、連続 七十四イニング無四球という当時のパシフィックリーグ記録を樹立したプロ野球選手でし た。ちなみにフライヤーズの前身、白木さんが人団した当時の球団名はセネタース、セネ タースの投手は引退後、本物のセネター ( 参議院議員 ) になりました。 当時、大学生だった私は「なんで野球選手が選挙に勝てるのだろう」と思うと同時に、 それを実現させた創価学会という宗教団体をいぶかしく思ったことを今でもよく覚えてい ますが、いずれにしても、この六年後の参院選で議席を十五に増やした創価学会が結成し た院内会派「公明会」が母体となって公明党が生まれたいきさつからして、公明党と創価 学会との間に一線が画されているとは、とうてい言えるはずがありません。 私が国会の場で、「公明党Ⅱ創価学会」の問題を取り上げてきたのは、ひとえにこうし た政教一致への危機意識からでした。

8. つくられた最長政権

大きく変容した小選挙区制 これまで述べてきたように、本来目指した「小選挙区制」は大きく変容してしまいまし た。小選挙区に落選した議員が目の前で惜敗率によって救われたり、単に名簿に掲載され るだけでバッヂをつける議員が二百名近くも比例選出として存在したりすることは大きな 矛盾であり、これほど反民主主義的な選挙制度はありません。 その結果、公認権や比例順位の決定権を握る党執行部の持っ力が増大している現況の下 で、中選挙区制の選挙を勝ち抜いた、かってのような個性豊かでダイナミックな政治家が 生まれることは少なくなり、国権の最高機関であり、国の唯一の立法機関である国会で、 議員の質は低下、劣化してしまいました。代議士はサラリーマン化して小粒になり、いわ ゆる「小泉チルドレン」や「安倍チルドレン」を生み、そして、彼らのようにぬるま湯に つかった議員の不作為が、今日の政治の貧困を生んでいると言わざるを得ません。「権力 は腐敗する」と言われます。一つの政権が長く続くことは、国民生活にとって望ましい状 224

9. つくられた最長政権

を立てず、公明党への選挙協力を行います。これに対し、残りの二百八十の小選挙区にお いて、公明党は自民党候補の支援にまわります。議席獲得は組織票を後ろだてに比例代表 で稼げる仕組みができているからこそなせるわざです。このようなことが、政権選択を可 能にする小選挙区制の理念を根本から打ち壊しているのです。もともと、自民党と公明党 とは、主張や政策の根本的に異なる政党同士です。それでも、選挙に勝っことのみを目的 とした連立政権は、「小選挙区比例代表並立制」でなければ、決して成立していませんで した。 先に述べたとおり、選挙における公明党・創価学会の力は相当のもので、各小選挙区に 二—三万前後の固定票があります。これが自民党候補者の当落に決定的な力を持っている ことは当事者たちが一番よく知っています。自民党が公明党・創価学会の協力支援を得ら れない、または反対に回れば政権与党でいることは難しくなります。したがって、自民党 の執行部も各議員も公明党に逆らえず、ご機嫌を取ることになり、政策、国会対応にも配 慮せざるを得ないのが現実です。 公明党にとって、政権与党にいるメリットは大きく、かねてから言われてきた政教一致 の批判はまったく影を潜め、少数議席でありながら大臣を出し、政権は自ら取れなくても

10. つくられた最長政権

知の世界のことのような、現実味を感じにくいものでした。 その当時の世の中はもう政治改革一辺倒で、これに反対するようなものは政治家を辞め ろというような雰囲気でした。マスコミもそのような論調で、選挙制度改革の潮流はいよ いよ加速していましたが、国会の中は、それとはまるで反対の空気が流れていました。 まったく経験のない新しい制度下で有権者の審判を仰ぐことになる議員の心中は、実際不 安に満ちていて当然だったと思います。ですから相当数の議員は、ロでは選挙制度改革を 叫びながらも、実際はとても消極的というたぐいの連中でした。 その中には、当時「」と呼ばれた山﨑拓、加藤紘一、小泉純一郎といった若手の 成長株のように、独特の理論を展開して真っ向から反対する議員などもいましたが、議論 はその後、おおむね小選挙区制を採り人れたらよいが、少数政党の合意を得るために並立 して採用する比例代表制との数の間題だ、そのバランスをどのようなものにするかという ことに論点が移っていきました。 小選挙区制は一つの選挙区につき一人しか当選できない制度ですので、候補者は二大政四 党に所属しているほうが当選の可能性が高くなります。有権者の立場からすれば、選挙の たびに支持する政権を選択することになるので、政権交代の実現可能性が高まり、政権与