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検索対象: 西洋拷問刑罰史
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1. 西洋拷問刑罰史

一本の太い角材が渡してあって、これには両端に縄のかかった滑車がついていた。だが、不幸な女囚の注 意を最もひきつけたのは、およそ一ャードばかりの間隔でとりつけられていた一対の鉄の籠手であった。 角材の下方の床には、その籠手のある部分のま下に、厚さ数インチの三本の材木が積み重ねておいてあった。 「なにをするの ? 」ヴィヴィアナは、うつろな、だが、相変わらず決然とした調子で、老婆にたずねた 「その材木の上に乗んなさい」イプグレーヴ夫人は、彼女を積木のところへ案内しながら、答えた。 ヴィヴィアナは、言われたとおりにした。彼女が積木の上に足をのせたとたんに、拷問係は彼女のそば に組立て椅子をおき、その上に乗って、彼女の右手を籠手のひとつにはめようとした。彼女は自分から手 をいれたが、 そのとたんに、拷問係が螺子をひねったので、鉄籠手はぎゅっと締まって、彼女に激しい苦 痛を与えた。それから、彼は椅子からおりて、イプグレーヴに、拷問をつづけるかどうかたずねた。ちょ っとのあいだ中体みがつづいた。が、ヴィヴィアナは苦悶に負けずに、ひとことも答えなかった。すると、 拷問係は左側に椅子をおいて、まだ自由なままになっている彼女の片手をもう一方の籠手にはめた。責苦 は恐ろしいほどだった。指先が圧力でつぶれそうに思われた。それでも、ヴィヴィアナは悲鳴ひとつあげ なかった。ふたたび、しばらく間をおいて、イプグレーヴが言った。 「ここで中止させてくれた方がいいんだ。これまでは子供だましの遊びだが、これからがたいへんだぞ」 なにも返事がないので、拷問係は小槌を手にして、ヴィヴィアナが足をのせている材木のひとつをたた き落した。その衝撃はすさまじかった。まるで手首がもぎれるようで、両手への圧力が十倍も加わったよ 124

2. 西洋拷問刑罰史

第 4 章絞首刑 るのかな ? 」 「はい、知ってます」ヴィヴィアナは、断固として答えた。「わたしをおどかしてもダメよ」 サー・ウィリアム・ワードはそのとき、イプグレーヴに合図すると、彼はすぐさま前に進み出て、彼女 の腕をつかまえた。「君はそこの奥へ人るんだ」大尉が言った。 「そこで、尋問してやる。だが、われわれはここに残っているから、君は真実を誓いたかったら、悲鳴を あげさえすればいいんだ。そうすれば、拷問は中止させる。われわれのせめての願いとして、そうあって ほしいものだよ」 ヴィヴィアナは覚悟を決めて、しつかりした足つきで、イプグレーヴといっしょに、カーテンの後ろへ 入っていった。そこには、ふたりの男とひとりの女がいた。女は看守の妻で、すぐに彼女の方へ歩みよっ て、自白するようにすすめた。 「おい、おまえはよけいなおせつかいをするな」イプグレーヴは腹立たしげに口をはさんだ。「手伝って 服をぬがすんだ」 そういって、彼はふたりの男といっしょに脇へひきさがった。なかのひとりは外科医で、もうひとりは 執行人だった。一方、イプグレーヴ夫人は手をかして、ヴィヴィアナの衣服をぬがせた。それから、彼女 の肩にスカーフを結びつけて、夫に用意ができたと告げた。 奥の間は高さが十二フィートくらいで、幅は十フィート程度であった。そして、天井に近いところに、 1 2 3

3. 西洋拷問刑罰史

わる、不明瞭な、だが、不吉な物音はなかに人がいることを物語っていた : 彼女には、この気味の悪い部屋と、その居住者たちを吟味する余裕がたつぶりあった。なぜなら糾問者 たちが彼女に言葉をかけるまでに数分間も経過していたからである。彼らは、まるで彼女の存在を意識し ていないかのように、低い声でぼそぼそ相談をつづけていた。この間に、ヴィヴィアナは、テープルに着 席している一団の男たちの顔色をうかがってみた。彼らの顔に憐憫の片鱗でも認められはしないかと思っ て しかし、どれも不可解な、仮借のない顔付きだった。壁にかかった、いまわしい道具を見るのと 同じくらい、恐ろしい顔付きだった。 ヴィヴィアナは、彼らの手からのがれられるなら、大地が裂けて自分をのみこんでしまえばいし た。そんな男たちに翻弄されるくらいなら、どうなろうとかまわなかった : いろいろ考えめぐらしていると、突然、大尉がきびしい口調で尋問を開始した : : : 。彼女は初め、どん なに努力をしても、かたがたふるえて、舌が上顎にくつついて離れなかった。だが、しばらくたってから、 勇気をふるい起こして、大尉に負けない、決然とした目つきでにらみ返した。 「これ以上なにをおっしやってもムダです」彼女はきつばり一言った。「言いたいことは、なにもかも申し あげたんですから」 「みなさん、どうですかな」サー・ウィリアム・ワードが、ほかの仲間たちに言った。「尋問をのばしてみては」 仲間たちは頭をふった。すると、彼にいちばん近い男が言った。「これからどうなるか、彼女は知って と つ 1 2 2

4. 西洋拷問刑罰史

クの火がともると、拷問にかけられる罪人が運びこまれ、相手を待ちかまえていた執行人がびつくりする ような、恐ろしい扮装をして現われる。彼は全身くまなく、足の先まで、真っ黒い衣服を着て、体にびた りと結びつけている。頭と顔もみんな、長い黒色の頭 けである。すべてこれは故意に仕組まれたもので、か わいそうな罪人は、まるで悪魔そっくりの人間の手で、町「广 これから責苦をうけると思うと、心も肉体も、それだ けよけい恐怖にうたれるわけである。 スペインの異端糾問所で用いられた拷責の等級につい て、ユリウス・グラルスはこう言っている。 したがって、拷責には五つの等級がある。すなわち 第一は、拷問にかけるといって脅かすこと。第二は、 ミす 2 まい 拷責の場所に連れていくこと。第三は、衣服をぬがせ て縛ること。第四は、拷問台の上に引き上げること。 ーイ、第を 209

5. 西洋拷問刑罰史

第 6 章しめつけの刑 いようなので、五分間してから、マーヴェルはもう百ポンドの重しを加えた。囚人は辛うじて呼吸をつづ けた。それでも、頑強な体力でもちこたえることができた。一時間もこの責苦をこらえたころ、こんどは ワイルドの合図で、もう百ポンドの重しが追加された。と、数分しないうちに、驚くべき変化が認められ た。彼ののどと額の筋がふくらんで、まっ黒くなり、両目も眼窩からとび出して、狂暴な目つきになった。 まゆ毛の部分に厚く汗がたまり、ロと鼻孔と耳から血潮がほとばしり出た。 「水を ! 」囚人はあえいだ。 執行人は首を横にふった。 「降参するか ? 」ワイルドが尋ねた プルースキンは、返事の代わりに、激しく床に頭をたたきつけた。しかし、自滅をはかろうとする彼の 試みはすぐ妨げられた。 「もう五十ポンド追加」ジョナサンが言った。 「やめろ ! 」プルースキンがうめいた。 「答弁するか ? 」ワイルドが荒々しく詰間した。 「するよ」囚人は答えた。 「はなしてやれ」ジョナサンが言った。「ねえ、ようやく奴の強情も治りましたぜ」彼はマーヴェルに向 かってつけ加えた。 153

6. 西洋拷問刑罰史

第 3 章一本のひも パーは、ジョン・ニュートン師にあてた書簡のなかで、彼が一七八三年オールニイで目撃した笞 詩人クー 刑の模様を興味深く物語っている。 その男はいささかも動じない様子でした。だが、それはすべて見せかけでした。彼を鞭打った教区吏員 は、左手に黄土をいつばい握っており、打ったびごとに、しもとをそのなかに通しました。ですから皮膚 に傷の跡らしいものが残っても、実際には、少しも相手を傷つけてはいなかったのです。ところが、官吏 が果たして義務をりつばに遂行するかどうかを確かめるために、あとからついて来た警官は、そのことに 気がつくと、容赦なく、官吏の肩に鞭をくれました。官吏はそうされても、盗人を強く打っことを承知し ませんので、警官はいきり立って前よりも激しく官吏を打ちすえました。そんなわけで、二重の鞭打ちが ・エンドのひとりの娘が、苛酷な警官に鞭打たれる、かわいそ つついたのですが、とうとう、シルヴァー うな官吏をあわれんで一同のなかへとびこむと、警官のまうしろから、その杖をつかんで、うしろざまに ぐんと引っぱり、女武者さながらの猛烈な勢いで、警官の顔に平手打ちをくわせました。事件がつぎつぎ 起こって、思わずよけいなことをいろいろ書き立てましたが、小生としては、官吏が盗人を、警官が官吏を、 婦人が警官をなぐりつけ、結局なんの責苦にもあわなかったのは当の盗人ばかりだったいきさつを、あな たにお知らせしないではいられなかったのです。

7. 西洋拷問刑罰史

第 I 章古代の拷問 アッシリア帝国時代になると、戦争もやや人道的になったが、それでも、なお被征服者たちに対しては戦慄 すべき拷間が加えられた。」 殉教史学者フォックスの書から引用したつぎの一文は、西暦紀元以前のシリアで用いられた種々の拷問様 式を如実に例証している。 暴君アンティオコスは自分のまわりに助言者たちと一団の強力な衛兵たちをはべらせて、法廷に着席す ると、多数のヘブライ人を連行させて、豚肉と、偶像に供えた食事をむりやり食べさせるよう命じた。 この命令に応じて、暴君の前にひき立てられたのは、七人の息子と、ひどく年老いた彼らの母親であっ た。そこで、アンティオコスはこんなふうに言葉をかけた。 「おまえたちは、余の特別な友情を信じて、余のいいつけにそむくではないぞ。命令に服する者に恩寵 をかけ、昇進させる権限は余の掌中にあるのじゃ。命令に背く者を処罰する権限も余の掌中にあるのとち ようど同じじゃ。だから、おまえたちが祖国の慣習を放棄して、ギリシャ風の生活に満足するならば、必 ず昇進させて、余のもとで栄誉ある、有利な地位につけてやろうぞ。だが、よいか、余の命令にそむけば、 拷問台と責苦と焔と死のほか、なにも期待できんぞ。」 暴君はこう一言うやいなや、一同の恐怖心をことさらにあおり立てるため、責め道具を運んでくるように 命じた。衛兵らが兄弟たちの前に車輪、張付台、手枷、可燃物、その他の恐るべき刑具をもってきてなら

8. 西洋拷問刑罰史

辺には、右手に鞭をにぎった人間像がのせてあった。嬰児殺しの罪を犯した者の刑罰としては、紡績所での 終身労働のほか、毎年犯罪が行なわれた日時と場所で、鞭打ちの刑をうけるならいだった。 奴隷に笞刑を加えて、しばしば死にいたらせる法は、アメリカの南部諸州できわめてさかんだった。つぎ の一文は、一八二三年にそのような刑罰がどのように行なわれたかの情況を物語っている。 オハイオ州憲法の第一条は、「すべての人間は生まれながらにして等しく自由であり、自主的である」 と宣言している。これは法律である。フィアソン氏はシンシナティで、つぎのような慣行を発見した。 彼はこう言っている。「この州の多数の人々は、自分の財産と称する有色人種を所有している。彼らが オハイオ州憲法の精神を蹂躙して、どんなふうにして奴隷制の永続化を図っているかというと、まず黒人 を買いこんで、自分たちの徒弟にしてしまうのである。なかには、見習年季の満了が近づくと、それらの シイ 黒人を河しもへ連れていって、ナッチェズで永久に売り払ってしまうほど卑劣なものもある」 ( 『パー 奇談』 ) 。 いかなる者も故意に奴隷の舌を切ったり、目 一七四〇年のアメリカ条令は、つぎのようにのべている。「 をつぶしたり、残酷に身体を焼いたり、あるいはまた、四肢を奪いとったり、もしくは鞭打ち以外の苛酷な 刑罰を加えたり、あるいは、乗馬用の鞭、牛皮、小枝、杖で殴打したり、あるいはまた、鉄枷をはめたり、

9. 西洋拷問刑罰史

しになった。ドイツの執行人のなかには、犠牲者に鞭を加える前に、これを毒液の中にひたしたものもある といわれる。 スペインの占領下にあった当時のフィリピン群島の原住民に対しても、牧師や修道士によって、数ある刑 罰のなかでも、一般に鞭打ちの刑が実行された。ホルへ・グラシア・デル・フィエルロは、合衆国委員の 尋間書面 ( 一九〇〇年九月十一日付 ) に対する回答のなかでつぎのように言っている。「小生はドミニコ会、ア ウグスチノ修道会、レコレット会、フランシスコ会などの多くの修道士を知っています。おそらくその数 は二百名に達し、そのなかの数人とは、 かなり親しく交際していますので、彼らのなかで最も優秀な者でも、 暴君であって、フィリピン人には片手でパンを、もう一方の手では籐の鞭を、与えなくてはならないといっ て悦に入っている、と断言することができます。」 本書の研究範囲には、まず入らないとはいえ、みずから進んで自分の体に鞭打ちを加える任意的な自虐に ついて、ひとこと触れておいてもさしつかえあるまし ) 。ほとんどすべての古代宗教は、犠牲または懺悔とし フラジラント て、つまり儀式の一部として、任意的な鞭打ちをとりいれた。なかでもいちばん有名なのは鞭打苦行者とい って、一二六〇年ごろベルーズで一派を興した。彼らは鞭打ちなくして罪の赦免はないと主張し、十字架を 先頭に行列を作って歩きながら裸の背中から、血潮が流れるまで、公然とみずからを鞭打った。だが、つい に弾圧されて、その指導者コンラッド・シュミットは、一四一四年に火刑に処された。 とう 106

10. 西洋拷問刑罰史

判官たちはこの評決にもとづいて、囚人の答弁を求めた。ところが、彼はなんと言われても、馬耳東風で、 涼しい顔をしていた。こうなると、法律上、圧殺刑を適用してもさしつかえなかった。けれども、裁判官た ちは不憫に思って、刑の適用を延期した。そのうちに、囚人が自分の立場についてもっと分別のある判断を くだすようになるだろう、と期待したわけである けれども、ふたたび法廷に召喚した折にも、囚人はあいかわらず頑強に答弁を拒否した。そこで、とうと う恐ろしい宣告が、圧搾して死にいたらしむべしという判決が、言い渡されたのである。そして、この死刑 は、二日後、キルケニイの市場で、公然と執行されたのである。 ひつぎ 一種変わった形態の圧殺刑はリッサでも利用されたといわれる。それは〈リッサの鉄の柩〉という名称で 知られていた。囚人をこの柩の中にとじこめると、鉄の蓋が徐々に彼の上におりて、押しつぶしてしまうわ けである。蓋の緩慢な降下のため、死ぬまでには数日間を要した。 〈掃除屋の娘〉 Scavenger's Daugh 窄「という拷責については、前にちょっとふれたが ( 第三章参照 ) 、こ の名称は発明者のサー・ウィリアム・スケフィントン Skemgton (Skevigton ともつづり、これがなまって 彼まへンリ八世の治世にロンドン塔の副官をつとめ、こ け Scavenge 「となったのであるーー訳者 ) から由来した。 , 。 っ め の器具を塔内にもちこんだのである。 し ちょうつがい それは、蝶番で開閉する、大きな鉄製の箍で、これをむりやり囚人にはめこんだ。まず囚人がこの箍の内 章 第側でひざまずくと、両脚も両腿も、とにかく全身が最小限の空間の中に圧縮され、脚は腿に、腿は腹部にび たが 157