相川 - みる会図書館


検索対象: 日本現代文學全集・講談社版1 明治初期文學集
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1. 日本現代文學全集・講談社版1 明治初期文學集

すまいかと心配を致して居ます。飯島「其方は加減がわるいと云て アない。相川の娘が手前を見染めたから養子に行て遣れ。孝「へー はな 引籠て居るそうだが、どうじやナ。手前に少し咄したい事があって成ほど、相川様〈誰君が御養子になりますのです。飯島「ナア = 手 呼んだのだ。外の事でもないが、水道端の相川におとくといふ今年前が往くのだ。孝「私はいやで御座います。飯島「べらぼうな奴 キ、りゃう あれ 十八になる娘があるナ。標致も人並に勝ぐれ殊に孝行もので、渠が だ。手前の身の出世になる事だ。是程結搆な事はあるまい。孝「私 いっ へんし 手前の忠義の志に感服したと見へて、手前を思ひ詰め、煩て居るく は何時までも殿様の側に生涯へばり附て居ります。不束ながら片時 らゐな譯で、是非手前を養子に仕たいとの賴みだから徃てやれ。と も殿様のお側を放さずお置き下さい。飯島「其様な事を云ては困る をれ 孝助の顔を見ると、額に疵があるから、飯島「孝助どう致した。額よ。我が最う調けをした。金打をしたから仕方がない。孝「金打を ふらら の疵は。孝「、イ / 、。飯島「喧嘩でもしたか。不埒な奴だ。出世なすッてもいけまぜん。飯島「それじやア我が相川に濟んから腹を からだ めんてい ゐこん 前の大事の身體、殊に面體に疵を受けて居るではないか。私の遺恨 割らんければならん。孝「腹を割ても搆ひません。飯島「主人の言 など ひとりまへ いとま で身體に疵を付ける抔とは不忠者め。是が一人前の侍なれば再び門 葉を背くならば永の暇を出すぞ。孝「お暇に成ては何にもならん。 をまたいで邸へ歸へる事は出來ぬぞ。孝「喧嘩を致したのではあり そういふ譯で御座いますならば、一寸一言ぐらゐ斯う云譯だと私に ません。お使ひ先きで宮野邊樣の長家下を通りますと、家根から瓦御話し下さっても宜しいのに。飯島「夫は我が惡るかった。此通り あた かやう が落ちて額に中り、斯様に怪我を致しました。惡い瓦で御座いま板の間〈手を着て謝るから徃て遣れ。孝「そう仰しやるなら仕方が めざは す。御目障りに成て誠に恐れ入ます。飯島「家根瓦の傷ではない様ありませんから取極めだけをして置て、身體は十年が間參りますま だ。マアどうでもい乂が、併し必ず喧嘩抔をして疵を受けてはなら い。飯島「そんな事が出來るものか。翌日結納を取替す積りだ。向 んぞ。手前は眞直な氣象だが、向ふが屈曲て來れば眞直に行く事はふでも來月初旬に婚禮を致す積りだ。との事を聞て孝助の考〈ます おれ 出來まい。それだから其處を避けて通る様にすると廣い所〈出られるに、我が養子に往けば、お國と源欽郞と兩人で殿様を殺すに違ひ るものだ。何でも堪忍をしなければいけんぞ。堪忍の忍の字は刃のないから、今夜にも兩人を鎗で突殺し、其場で我も腹掻割て死なん ぐわんしよく 下に心と書く。一ッ動けばむねを斬る如くなんでも我慢が肝心だぞ が、左すれば是が御主人様の顔の見納めと思へば顏色も靑くな おいからだ ョ。奉公するからは主君へ上げ置た身體、主人へ上げると心得て忠 、主人の顔を見て涙を流せば、飯島「解らん奴だな。相川へ參る かるはづみ そんな ゆきき 義を盡すのだ。決て輕擧の事をするナ。曲た奴には逆ふなョ。とい のは其様にいやか。相川はつい鼻の先の水道端だから毎日でも徃來 こた 籠ふ意見が一々胸に堪へて、孝助は唯ヘイ / \ 難有ございますと泣々、 の出來る所、何も氣遣ふ事はない。手前は氣強いやうでも能く泣く をとこ 丹孝「殿様來月四日に中川へ釣に入しやると承りましたが、此間御嬢ナー。男子たるべきものがそんな意氣地がない魂ではいかんぞ。 談様がお亡り遊ばして間もない事で御坐いますから、どうか釣を御止孝「殿様私は御當家様へ三月五日に御奉公に參りましたが、外に兄 め下さいます様に、若も御怪我が有てはいけませんから。飯島「釣弟も親もない奴だと仰しやって目を掛けて下さる、其御恩の程は私 が惡いければ止めやうョ。決して心配するな。今云た通り相川、徃は死んでも忘れは致しませんが、殿様は御酒を召上ると正體なく御 どちら てれョ。孝「何處〈かお使に參りますのですか。飯島「お使じゃ寐なる。又召上らなければ御寐なられません故、少し上って下さい。 をり まがっ ゃいば そむ をれ

2. 日本現代文學全集・講談社版1 明治初期文學集

しゃう。と玄關まで出て參り、相川「これは殿様大分お早く、どう に鼻藥を遣て賴み、貴樣と三人で、明日孝助が相川の屋敷から獨り なぐ ぶちころ すぐ で出て來る所を、大曲りで打殺しても搆はないから、ぽか / \ 擲りぞ直にお上りを願ひます。ヘー誠に此通り見苦しい所、孝助殿も、 かわいさう にや にして川へ投りこめ。相「殺すのは可哀想だが、打してやりてへナ御挨拶は跡でします。相川はいそ / \ と獨で喜び、コツ、リと柱に ア。だが喧嘩をした事が知れ乂ばどうなりますか。源「そうさ、喧頭を打付け、アイタ、、兎に角此方へと座敷へ通し、「扨て殘暑お をれ 嘩をした事が知れゝば、己が兄上にそう云ふと、兄上は屹度不屆な熱い事でございます。又昨日は上りまして御無理を願った所、早速 さう , ( 、 いとま いとま に御聞濟み下され有がたう存じます。飯島「昨日はお匇々を申しま 奴、相助を暇にしてしまうと仰しやってお暇に成るだらう。相「お ごイしゅ こちら 暇に成てはつまりましねへ。止しませう。源「だがノウ、此方で貴した。如何にもお急ぎなさいましたから御酒も上げませんで、大き 様に暇を出せば、隣でも義理だから孝助に暇を出すに違ひない。那にお匇々申上げました。相川「あれから歸りまして娘に申聞けまし きまッ たち 奴が暇になれば相川でも孝助は里がないから養子に貰ふ氣遣ひはなて、殿様はお承知の上孝助殿を聟にとる事に極て、明日は殿様お立 あひ こちら とりかはせ 合の上で結納取爲替に成ると云ひますと、娘は落涙をして悅びまし い。其内此方では手前を先へ呼返へして相川へ養子に潰る積りだ。 めへさま 相「誠にお前様、御親切が恐入奉ります。といふから、源玖郞は懷た。と云ふと浮氣の様ですが、そうではない。お爺様を大事に思ふ きんナいくらか 中より金子若干を取出し、源「金子をやるから龜藏たちと一杯呑んからとは云ひながら、只今まで御苦勞を掛けましたと申しますから、 でくれ。相「これははや金子まで、是れ戴いてはすみましねへ。折早く丈夫にならなければいけない。孝助殿が來るからと申して、直 ぶくたてつ に藥を三貼立付けて飲ませました。夫れから御粥を二膳半喫べまし 角の思召だから頂戴いたして置ます。是れから相助は龜藏と時藏の とっさま た。夫れから今日はナ、娘がずっと氣分が愈て、お爺様こんなに見 所へ徃き、此事を咄すと、面白半分にやっけろと、手筈の相談を 取極めました。扨て飯島平左衞門は其様な事とは知らず、孝助を供苦しいなりで居ては、孝助さまに愛想を盡かされるといけませんか につれ、御番からお歸りに成りました。國「殿様今日は相川様の所らといふので、化粧をする。婆アもお鐵漿を付けるやら大變です。 へ孝助の結納で御出に成りますそうですが、少しお居間の御用が有私も最早五十五歳ゅゑ早く養子をして樂がしたいものですから、誠 に耻入た次第でございますが、早速の御聞濟み、誠に有がたう存じ ますから御送り申たら、孝助は殿様よりお先へ御歸し下さいまし。 つかは ます。飯島「あれから孝助に噺しました所、當人も大層に悅び、私 用が濟み次第直に又お迎ひに遣しませう。といふ。飯島は「よし ごく うち めうが あら うち ふつ、かものそれと と孝助を連れて相川の宅へ參りましたが、相川は極小さい宅 の様な不束者を夫程までに思召下さるとは冥加至極と申してナ。大 たのみ とくしん 籠で、孝「お賴申します / 。相川「ドーレ、是れ善藏や玄關に取次概當人も得心をいたした様子でナ。相川「いやもう、那の人は忠義 丹が有る様だ。善藏居ないか。何所へ徃たんだ。婆「あなた、善藏はだから否やでも殿様の仰しやる事なら唯と云て云ふ事を聞きます。 をれ 談お使にお遣り遊したではありませんか。相川「己が忘れた。牛込の那の位な忠義な人はない。籏下八萬騎の多い中にも恐くは那の位な 飯島様が御出に成たのかも知れない。煙草盆へ火を入れてお茶の用者は一人もありますまい。娘が夫を見込ましたのだ。善藏は未だ歸 意をして置きな。多分孝助殿も一所に來たかも知れないから、お德らないか。是婆々。婆「なんで御座います。相川「殿様に御挨拶を あなた をれ に其事をいひな。コレ / \ お前能く支度をして置け。我が出迎ひをしないか。婆「御挨拶をしゃうと思っても、貴所がせか / 、して居 いっ どばん ふ おれで きんす かた ばゞア おぼしめし はぐろ はい なをッ し」ッみ一 -

3. 日本現代文學全集・講談社版1 明治初期文學集

/ 、と隱居して、隅の方へ引込んでしまうから、時々少々づゝ小遣 る者だから、御挨拶する間もありはしません。殿様、御機嫌様よう 6 いら % 入っしゃいました。飯島「これは婆ャア、お德様が長い間御病氣のをくれゝばいゝ。夫れから外に何もお前に讓る物はないが、藤四郎 所、早速の御全快誠にお目でたい。お前も心配したらう。婆「お蔭吉宗の脇差が有る。拵らへは野暮だが、夫れだけは私の家に付たも ちいさ のだから、お前に讓る積りだ。出世はお前の器量にある。飯島「そ 様で、私は御孃様のお幼稚い時分から御側に居て、御氣性も知って ういふと孝助が困るヨ。孝助も誠に有難い事だが、少し仔細が有っ 居りますのに何とも仰やらず、漸と此間わかったので殿様に御苦勞 をかけました。誠に有がたうございます。相川「善藏はまだ歸らなて、今年一ばい私の側で奉公したいと云ふのが當人の望だから、ど てぜま いか。長いなア、お菓子を持て來い。殿様、御案内の通り手狹で御うか當年一ばいは私手元に置て、來年の二月に婚禮をする事に致し こん 座いますから、何か一寸尾頭付で一献差上げたいが、まア御聞き下度。尤とも結納だけは今日致して置きます。相川「へヱ、來年の二 せう あひだ 月では今月が七月だから、七八九十十一十二正二と今から八ヶ月間 さい。此通り手狹ですから御座敷を別にする事も出來ませんから、 しちもっ があるが、八ヶ月では質物でも流れて仕舞から、餘り長いなア。飯 孝助殿も此處へ一所にいたし、今日は無禮講で御家來でなく、どう ・こしゅ か御同席で御酒を上げたい。孝助は私が出迎ひます。飯島「何私が島「夫は深い譯が有っての事で。相川「成程、ア、ー感服だ。飯島 しにみづ 呼びませう。相川「ナアニあれは私の大事な聟で、死水を取てもら「お分りに成ましたか。相川「夫だから孝助殿に娘の惚れるのは尢 あなた もだ。娘より私が先へ惚れた。夫れは斯うでせう。今年一ばい貴所 う大事な養子だから。と立上り、玄關まで出迎ひ、相川「孝助殿、 すこや のお側で劒術を習ひ、免許でも取る様な腕に成る積りだらう。是れ 誠に能く、いつもお健かに御奉公、今日はナ無禮講で、殿様の側で りこう ちょッと 御酒、イヤ何に酒は呑めないから御膳を鳥渡上げたい。孝「是は相はそうなくてはならない。孝助殿の思ふには、なんぼ自分が怜悧で たか 川様御機嫌様よろしう。承れば御孃様は御不快の御様子、少しはおも器量が有るにした處が、寡なくも祿のある所へ養子に來るのだか 宜しうございますか。相川「何を云ふのだ。お前の女房を御孃様だら土産がなくってはおかしいと云ふので、免許か目録の書付を握っ の、お宜しいもないものだ。飯島「そんな事を云ふと孝助が間をわて來る氣だらう。夫れに違ひない。ア、感服、自分を卑下した所が ちょッと ゑらいネー。孝「殿様、私は鳥渡御屋敷へ歸って參ります。相川 るがります。孝助折角の思召し、御免を蒙って此方へ來い。相川 さくじっ 「成ほど立派な男で、中々フウ、ヘヱ、扨て昨日は殿様に御無理を願「行くのは、御主用だから仕方がないが、何もないが一寸御膳を上け しうと すく ひ、早速御聞濟み下さいましたが、高は寡なし、娘は不束なり、舅ます。少し待てお呉れ。善藏まだか、長いのう。ダガ孝助殿、又直 そ、う は知っての通りの粗忽者、實に何と云て取る所はないだらうが、娘に歸って來るだらうが、主用だから來られないかも知れないから、 しろいつけ がお前でなければならないと煩ふ迄に思ひ詰めたといふと、浮氣な一寸奥の六疊へ往て德に逢てやッておくれ。德が今日はお白粉を粧 つけ むだ な、つ それ ゃうだが、そうではない。あれが七歳の時母が死んで夫から十八まて待て居たのだから、お前に逢はないと粧た御白粉が畫餅になって こ、ろ わし しまう。飯島「そう仰しやると孝助が間をわるがります。相川「兎 で私が育った者だから、渠も一人の親だと大事に思ひ、御前の心 け 懸の良い、優しく忠義な所を見て思ひ詰め病となった程だ。どうかに角アレサどうか一寸逢はせて。飯島「孝助あゝ仰しやるものだか うち ら一寸御孃様に御目通りして參れ。未だ此方へ來ない間は、手前は あんな奴でも見捨てずに可愛がってやってお呉れ。私は直にチョコ をかしらっき あれ ばア おきせう ふつ、か たい すけ こちら

4. 日本現代文學全集・講談社版1 明治初期文學集

をり こくき 「ではお國源次郞は宇都宮に居ますか。ツィ鼻の先に居る事も知らは不思議な事も有るものでねへ。何か兩國の川の上に黑気でも皿た ないで、越後の方から能登へかけ尋ねあぐんで歸ったとは、誠に殘のか。孝「左ゃうではございませんが、昨日良石和尚が敎へて下さ 念な事で・こざいますから、どうそお母様がお手引をして下すって、 いました人相見の所へ參りました。相川「成程往たかへ。そうか 仇を討ち、主人の家の立行くやうに致たいものでございます。りゑ へ。名人だとなア。お前の身の上判斷は旨くあたったかへど、。孝 つるぎ 「それは手引をしてあげやうともサ、そんなら私は直にこれから宇「ヘイ、良石和尚が申た通、私の身の上は劒の上を渡る様なもので、 いて いさ、 都宮へ歸るから、お前は一所にお出、だが鉉に一ッ困った事がある 進むに利あり、退くに利あらすと申まして、良石和尚のお言葉と聊 と云ふものは、那の供が居るから是を聞付け演られると、お國源次か違ひはござりません。相川「違ひませんか。成程智識と同じ事 郞を取逃すやうな事にならうも知れぬから斯う。と思案して、「私だ。それからへイ、それから何ンの事を見て貰たか。孝「それから あすのあさ は明朝供を迚て出立するから、今日のやうにお前が見へ隱れに跡を私が本意を遂げられませうかと聞くと、本意を遂るは遠からぬうち 追て來て、休む所も泊る所も一ッ所にして、互に口をきかす、知ら だが、遁れ難い劒難が有ると申しました。相川「へ、ー劒難が有と ない者の様にして置て、宇都宮の杉原町へ入ったら供を先へ遣って 云ましたか。それは極心配になる。又昨日のやうな事があると大變 しめ 置て、そうして兩人で相圖を諜し合したら宜らうね。孝「お母様有だからねへ。其劒難はどうかして遁れるやうな御祈疇でもして遣る あなた 難う存じます。それではどうかそういふ手筈に願ひとう存します。 と云ったか。孝「イヱ左ゃうな事は申しませんが、貴所も御存の通 しさい 私はこれより直に宅へ歸って、舅へ此事を聞かせたならどのやうにり、私が四歳の時別れました母に逢ませうか、逢へますまいかと聞 みやうちゃ 5 悅びませう。左ゃうなら明朝早く參って、此家の門口に立て居り くと、白翁堂は逢て居ると申しますから、幼年の時に別れたる故、 ませう。それからお母様先刻ツィ申上げ殘しましたが、私は相川新途中で逢ても知れない位だと申しても、何でも逢て居ると申し、遂 かた なかだち 五兵衛と申者の方へ主人の媒酌で養子に參り、男の子が出來ましに爭ひになりました。相川「ハアそこの所は少し下手糞だ。併し當 あなた はつけい た。貴母様には初孫の事故お見せ申したいが、此度はお取急ぎでご るも八卦あたらぬも八卦。そう身の上も何もかも當りはしまいが、 いづ ざいますから、何れ本懷を遂げた跡の事にいたしませう。りゑ「ヲ 強情を張て胡廱かさうと思ったのだらうが、其所の所は下手糞だ。 ャそうかへ、それは何にしても目出度事です。私も早く初孫の顔が なんとか云てやりましたか。下手糞とか何とか。孝「すると跡から 見たいよ。それに就ても、どうか首尾能くお國と源次郞をお前に討獨り四十三四の女が參りまして、これも尋る者に逢るか逢ないかと 籠せたいものだのう。これから宇都宮へ徃ば私がよき手引をして、屹尋ねると、白翁堂は同じく逢て居るといふものだから、其女はなに ( とば あひ きっと 丹度兩人を討せるから。と互に辭を誓へ、孝助は暇を告げて急で水道逢ませんといへば、急度逢て居ると、又爭ひになりました。相川 まこと 談端へ立歸りました。相川「オヤ孝助殿、大そう早くお歸りだ。いろ「ア、、コリヤからッペた、眞に下手だが、そう當る譯のものではな い。それには白翁堂も耻をかいたらう。お前と其女と二人で取て押 くお買物が有たらうネ。孝「イヱ何も買ひません。相川「なんの だ事だ。なにも買はずに來た。そんなら何か用でも出來たかへ。孝へて遣ったか。それからどうした。孝「サア餘り不思議な事で、私 とっさま 3 「お父様、どうも不思議な事がありました。相川「ハ、隨分世間にも心にそれと思ひ當る事もありますから、其女にはおりゑ様と仰し こ、 しやペ いそい

5. 日本現代文學全集・講談社版1 明治初期文學集

308 へ直りまするはせまいノウ。私が少し思ふ事があるから、明日晝飯を喰って、夫 はたご と、彼是れ坊主から八ッ前後に神田の旅籠町へ行きなさい。共處に白翁堂勇齋とい の四五十人も押ふ人相を見る親爺が居るが、今年は最七十だが逹者な老人でなア、 並び、最と懇ろ人相は餘ほど名人だョ。是れに賴めばお前の望みの事は分らふから なる法事供養を行て見なさい。孝「ハイ、有難う存じます。飾田の旅籠町でござい せがき 致し、施餓鬼をますか。畏りました。良「お前放へ行くなれば私が餞別を進ぜや こちら ふせ いたしまする内う。御前が折角呉れた布施は此方へ貰って置くが、又私が五兩餞別 にか に最早や日は西に進ぜゃう。夫から此線香は外から貰ってあるから一箱進ぜゃう。 山に傾く事にな佛壇へ線香や花の絶へんやうに上げて置きなさい。是れだけは私が りましたゆゑ、 志じゃ。相川「方丈様恐れ人りまする。どうも御出家様から御線香 ぼうさんたち 僧侶逹には馳走なぞ戴いては誠にあペこべな事で。良「そんな事をいわずに取て置 なぞして返へし なさい。孝「誠に有難ふ存じます。良「孝助殿、氣の毒だが、お前 てしまひ、跡ではどうも危ない身の上でナア、劒の上を渡るようなれども、夫を恐 さが 又孝助、新五兵れて跡へ逡るやうな事ではまさかの時の役には立たん。何でも進む 衞、良石和尚のよりほかはない。進むに利あり、退くに利あらずと云ふ處だから、 たとへ 三人へは別に膳何でも臆してはならん。ずっと精神を凝して、假令向ふに錻門があ がなほり、和尚 らうとも、夫を突切て通り越す心がなければなりませんぞ。孝「有 の居間で一口飮 り難う・こざりまする。良「お舅御さん、これはねへ精進物だが、一 むことになりま體内で拵らへると云ふたは嘘だが、仕出しゃへ賴んだのじゃ。旨ふ じゅう した。相川「方もあるまいが此重箱へ詰めて置たから、二重とも土産に持て歸り、 丈様には初めて御目に懸ります。私は相川新五兵衞と申す粗忽な者内の奉公人にでも喰はしてやってください。相川「これは又御土産 ごねんご さそ まで戴き、實に何とも御禮の申さうやうはございません。良「孝助 でございます。今日又御懇ろな法事供養をお成くだされ、佛も嘸か し草葉の影から滿足な事でございませう。良「ハイお前は孝助殿の殿、お前歸りがけに屹度劒難が見へるが、どうも遁れ難いから共積 しゆとご りで行きなさい。相川「誰に劒難がございますと。良「孝助どのは 舅かへ。初めまして、孝助殿は器量と云ひ、人抦と云ひ立派な正 うすで そ、つ しい人じゃ。中々正直な人間で餘程利ロじゃが、お前は粗々かしそ どうも遁れ難ひ劒難じゃ。何輕くて薄手、それで濟めば宜しいが、ど も深手じゃらう。間がわるいと斬殺されるといふ譯じゃ。どうも之 うな人じゃ。相川「方丈様は能く御存じ、氣味のわるい様な御方だ。 良「就ては、孝助殿は旅へ行かれる事を承ったが、未だ急には立ちれは遁れられん因縁じゃ。相川「私は最早や五十五歳になりまする 第 2 ま 料をいて ネ地を一 つい 9 ねんど しりそ こら

6. 日本現代文學全集・講談社版1 明治初期文學集

相川の爺さんが汗をだく / \ 流しながら、殿様に願って老助を呉れ「恐入ります。何ともはや誠にどうも恐入りますナ 1 。殿様と申し ひいき あなた ふつ、か % ろと賴むと、殿様も贔負の孝助だから上げませうと相談が出來まし貴所と申し、不束な私を夫程までに、是れははやロでは御禮が述べ ゅひなう て、相川は歸りましたのですョ。そうして、今日は相川で結納の爲きれましねへ。何ともヘイわからなく有がたうございます。夫れだ なる め取替せに成るのですとサ。源「それじやア宜しい。孝助が徃て仕が、武士に成にやア私もいろはのいの字も知んねへもんだから誠に あすこ 舞へば仔細はない。國「イへサ、水道端の相川へ養子に潰るのに、 困るんで。源「實は貴様も知て居る水道端の相川ノウ、彼處にお徳 宅の殿様がお里に成て遣るのだからいけませんョ。そうすると、彼と云ふ十八ばかりの娘が有るだらう。貴様を彼處の養子に世話をし うち いっ にんとう 奴が此家の息子の風をしませう。草履取でさへ隨分ツンケンした奴てやらうと兄上が仰やった。相「これははやモウどうも、眞成でご だから、そうなれば屹度此間の遺旨を返すに違ひはありません。何ぜへますか。早やどうも、あのくれへなお孃様は世間にはないと思 あなた あいっ でも彼奴が一件を立聞したに違ひないから、貴郎どうかして孝助厮ひます。頬片なぞはぼっとして尻抔がちまみ \ として、あのくれへ おれ を殺して下さい。源「彼奴は劒術が出來るから我には殺せないョ。 な美いお壤様はたんとはありましねへ。源「向ふは高が寡ないか 國「貴郞は何故そう劒術が御下手だらうネー。源「イ、ヤ、夫れに ら、若黨でも何でもよいから、堅い者なればといふのだから、手前 むま うちあひすけ あらま は旨い事がある。相川のお孃には宅の相助といふ若黨が大層に惚れなれば極よからうと荒增し相談が整った所が、隣の草履取の孝助め あれ だまか て居るから、渠を旨く欺し、孝助と喧嘩をさせて置き、後で喧嘩兩が胡廱をすった爲めに、縁談が破談となってしまった。孝助が相川 おいら 成敗だから、我等の方で相助を追ひ出せば、伯父さんも義理でも孝の男部屋へ往て那の相助はいけない奴で、大酒呑で、酒を呑むと前 おぢきん ばくち 助を出すに違ひがないが、就ちやア明日伯父様と一所に歸て來ては後を失ひ、主人の見さかひもなく頭をぶち、女郞は買ひ、場奕は打 ひとり ぬすッとこんぜう 困るが、孝助が獨で先へ歸る様には出來まいか。國「夫れは譯なく ち、其上盜人根性があると云ったもんだから、相川も厭氣になり、 もっ 出來ますとも、妾が殿様に用がありますから先へ歸して下さいまし 咄しが縺れて、今度はとう / \ 孝助が相川の養子になる事に極り、 といへば、屹度先へ歸して下さるに違ひはありませんから、大曲り 今日結納の取替せだとヨ。向ふでは草履取でさへ欲しがる所だか あいっ あたりで待伏せて彼奴をぼか / 、お擲りなさい。大聲を出して、國ら、手前なれば眞鍮でも双刀さす身だから、屹度よかったに違ひは 「誠におそう / 、さまで、左様なら。源次郎は屋敷に歸ると直に男ない。孝助は惡くい奴だ。相「なんですと、孝助が養子になると。 など をろかもの ぬすッと 部屋へ參ると、相助は少し愚者で、鼻歌でデロレン抔を唄て居る所憎こひ奴でごじいます。人の戀路の邪魔をすればッても、私が盜人 にや へ源欽郞が來て、源「相助、大そう精が出るノウ。相「オヤ御二男根性があって、お負けに御主人の頭を打すと、何時私が御主人の頭 をれ 様、誠に日々お熱い事でございます。當年は別してお熱い事で。源を打しました。源「我に理屈を云ってもしかたがない。相「殘念、 腹が立ちますョ。憎こい孝助だ。只置きましねへ。源「喧嘩しろ 「熱いノウ、其方は感心な奴だと常々兄上も褒めていらっしやる。 あいっきんにゆっみんきょ きんじゅっ / \ 。相「喧嘩しては叶ひましねへ。那奴は劒術が免許だから劒術 主用がなけば自用を足し、少しも身體に隙のない男だと仰しやって とて みより ちうげん いる。夫れに手前は國に別段親族もない事だから、當家が里になは迚も及びましねへ。源「それじやア田中の中間の喧嘩の龜藏とい さむらひ からだ あれ り、大した所ではないが相な士の家へ養子にやる積りだョ。相ふ奴で、身體中疵だらけの奴が居るだらう。渠と藤田の時藏と兩人 にや ごく 虐うべた しんちう それ すけ i たり

7. 日本現代文學全集・講談社版1 明治初期文學集

に成る處を夢に見ましたが、能く人が旅立の夢を見ると其人にお目 らッしゃいます。孝「あの折は大きに御世話さまであったのう。相 あた にかゝる事が出來ると申しますから、お近いうち旦那樣にお目にか 「それは兎も角も肝腎の仇の手掛りが知れましたか。孝「未だ仇 、れるかと樂しんで居りましたが、今日お歸りとは思ひませんでしには廻り會ひませんが、主人の法事をしたく、一先づ江戸表〈立歸 しったっ た。相川「おれもおなじゃうな夢を見たヨ。婆々アヤ抱てお出、最 りましたが、 ちのみご 法事をいたしまして直に又出立いたします。相川「フ うおきたらう。婆々アは奥より乳兒を抱て參る。相川「孝助殿、こ ウ成程、明日法事に行くのだね〈。孝「左ゃうでございます。お父 れを御覽、良兒だね〈。孝「どちらのお子様で。相川「ナ = サお前様と私と參りまする積りでございます。それに良石和尚の智識なる の子だアね。孝「御串談ばかり云ていらッしゃいます。私は昨年の事は兼て聞及んでは居ましたが、應驗解道究りなく、百年先の事を 八月放〈出ましたもので、子供なそはございません。相川「只た一見ぬくといふ程だと承 0 て居まするが、今日和尚の云言葉に其方は 。〈んでも子供は出來ます , 。お前は娘と一ッ寐をしたらう。だから水道端〈參るだらう。參る時は必ず待て居る者があり、且 0 慶び事 只た一度でも子は出來ます。只た一度で子供が出來るといふのは餘 があると申しましたが、私の考〈には、斯く子供の出來た事迄良石 程縁の深い譯で、娘も初めのうちはくよ / 、して居るから、私が懷和尚は知て居るに違ひ有りません。相川「 ( テね〈、そんな所迄見 姙をして居るから、夫ではいかん。身體に障るからくよ / 、せんがぬきましたか〈、智識なぞといふ者は趺跏量見智で、あの和周は谷 よろしいと云て居るうちに産落したから、私が名付け親で、お前の中の何とか云智識の徒弟と成り、禪學を打破ったと云事を承はり居 孝の字を貰って孝太郞と付て遣りましたよ。マア能く肯て居る事を るが、ゑらひ物だね〈、善蔵や、大急ぎで水道町の花屋へ行て、御 御覽 , 。孝「 ( イ誠に不思議な事で、主人平左衞門様が遺言に、其めでたひのだから、何か御頭付の魚を三品ばかりに、それから能い 方養子となりて、若し子供が出來たなら、男女に拘わらず其子を以御菓子を少し取てくるやうに、道中には餘り旨い御菓子はないか すし て家督と致し、家の再興を賴むと御遺言書にありましたが、事によ ら、夫から鮓も道中では良いのは給べられないから、鮓も少し取て ると殿様の生れがわりかも知れません。相川「ヲ、至極左樣かも知 くるやうに、夫から孝助殿は酒はあがらんから五合ばかりにして、 れん。娘も子供が出來てからね〈、嬉し紛れに親父樣、私は旦那様味淋を極良のを飮のだから一一合ばかり、夫から蕎麥も道中にはある の事はお案事申しまするが、此子が出來ましてからは誠に能く旦那が、醤汁がわるいから良い蕎麥の御膳の蒸籠を取て參れ。夫からお 様に肖て居まするから、少しは紛れて、旦那様と一ッ所に居るやう汁粉も誂ら〈て參れ。と種《な物を取寄せ、其晩はめでたく祝しま 籠に思われ舛といふたから、私が又あんまりひどく抱しめて、坊の腕して床に就きましたが、共夜は咄しも盡きやらず、長き夜も忽ち明 丹でも折るといけないなんぞと、馬鹿を云て居る位な事で、善藏ゃ。 をり ける事になり、翌日刻限を計り、孝助は新五兵衞と同道にて水道 談善「 ( イ / 、。相川「善藏ゃ。善「參って居ます。何でございます。橋を立出て、切支丹坂から小石川にか、り、 白山から團子坂を下り 相川「何だ。お前も板橋まで若旦那を送て行たツけな。善「 ( イ參 て谷中の新幡隨院〈參り、玄關〈かると、御寺には疾うより孝助 のりました。これは若旦那樣誠に御機嫌よろしう。あの折は實にお別の來るのを待て居て、良「施主が遲く 0 て誠に困なア。坊主は皆な れが惜くて、泣ながら戻 0 て參りましたが、能くアお健やかでい本堂に詰懸けて居るから、サア , , \ 早くと急き立てられ、急ぎ本堂 れ、こ それ

8. 日本現代文學全集・講談社版1 明治初期文學集

あなた から、どう成っても宜しいが、貴信孝助は大事な身の上、殊に大事 あなた を抱へて居りまする故、どうか一ッ貴信御助けくださいませんか。 まう才 . 良「御助け申と云ても、之れはどうも助けるわけにはいかんなア、 因縁じやからどうしても遁るゝ事はない。相川「左ゃうならば、ど てまい うか孝助だけを御當寺へお留め置きくだされ。手前だけ歸りませう か。良「そんな弱い事ではどうもこうもならんわへ。武士の一チ大 三遊亭圓朝演述 事な物は劒術であらう。其劒術の極意といふものには、頭上〈晃 若林坩藏筆己 いなづま めくはがねがあっても、電光の如く切込んで來た時はどうして之を りけんづめん いかん しんげんいましめてけんをさいはひにとらふをやうぞくを 受るといふ事は知て居るだらう。佛説にも利劒頭面に觸るゝ時如何 讖言警レ險幸捕 = 兇賊一 第二十 「ーゑきせん・ヘんじてまどひをさいくわいすじぼに といふ事があって、其時が大切の事じゃ。其位な心得はあるだらう。 易占辨レ惑再 = 會慈母一 假令火の中でも水の中でも突切て行きなさい。其代り是を突切れば きおく 跡は誠に樂になるから、サッ / \ と行きなさい。其ゃうな事で氣後孝助は新幡隨院にて主人の法事を仕舞、其歸り道に遁れ難き劒難あ れがするやうな事ではいかん。ズッ / 、と突切て行くやうでなけれ 、淺疵か深疵か、運わるければ斬殺される程の劒難ありと新幡隨 ばいかん。夫を恐れるやうな事ではなりまぜんぞ。火に入て燒けす院の良石和尚といふ名信智識の敎〈に相川新五兵衞も大いに驚き、 水に入て溺れず、精禪を極めて進んで行きなさい。相川「左ゃうな孝助は未だ漸く廿二年、殊にかわい乂娘の養子といひ、御主の敵を れば此お重箱は置て參りませう。良「イヤ折角だから「ア持て行き打迄は大事な身の上と、種よ心配をしながら打迚立て歸る。孝助は たとへ なさい。相川「どちら〈か遁路はございませんか。良「そんな事を假令如何なる災害があっても、夫れを恐れて一歩でも退くやうでは ちゃうちん いわずズンど、と行きなさい。相川「左ゃうならば挑灯を拜借して大事を仕遂る事は出來ぬと思ひ、刀に反を打ち、目釘を濕し、鯉ロ をりたうございます。良「挑灯を持たん方が却てよろしい。と云わを切り、用心堅固に身を固め、四方に心を配りて參り、相川は重箱 れて相川は、意地のわるい和尚だと吻やきながら、挨拶もそわ / 、 を提げて、孝助氣を付けて往けと云ひながら參りますると、向ふよ す、き ひっき 孝助と共に幡隨院の門を立出でました。 り薄だゝみを押分けて、血刀を提げ飛出して、物をも云はず孝助に しろものつき 切掛ました。此者は栗橋無宿の件蔵にて、栗橋の世帶を代物付にて たちの 丹怪談牡丹燈籠第十編終 賣拂ひ、多分のをを以て山本志丈と一一人にて江戸〈立退き、田 なにがし 佐久間町の醫師何某は志丈の懇意ですから、一一人りは爰に身を寄せ ムけ て一一三日逗留し、八月三日の夜、二人りは更るを待ちまして忍び來 9 、根津の淸水に埋めて置た金無垢の海音如來の奪像を掘出し、件 3 藏は手早く懷中へ入れましたが、件藏の思ふには、我惡事を知った たとへ のが かへつ いっ あたまのうへきら 怪談牡丹燈籠第十一編

9. 日本現代文學全集・講談社版1 明治初期文學集

誠に存外の御無沙汰を致しました。何時も相替らず御番疲れもないふ御疾病ですナ。相川「私も段々と心配を爲してどうか治してや く、日《御苦勞さまにぞんじます。嚴しい殘暑でございます。飯島りたいと心得、種醫者にも掛けましたが、知れない譯で、是ばか 「誠に熱い事で。おとくさまの御病氣は如何で御座るナ。相川「娘 りは神にも佛にも仕様がないので、何故早くいはんと甲しました。 はか、しく の病氣も種々と心配も致しましたが、何分にも捗々敷參りません飯島「どういふ譯で。相川「誠に申にくい譯で御笑ひ成さるナ。飯 で、夫に就て誠にどうもア、熱い、お國さま先逹は誠に御馳走様に島「何だかさつばりと譯が解りませんネ。相川「實は殿様が日頃御 こちら 相成まして有りがたう。未だ御禮も碌々申上ませんで、ヘ 1 、ア、 譽めなさる此方の孝助澱、あれは忠義の者で、以前は然るべき侍の 熱い、誠に熱い、どうも熱い。飯島「 1 少し落着けば風がはいっ胤で御座らう。今は零落て草履取をして居ても、志は親孝行のもの て隨分凉しくなります。相川「折入て殿様に御願ひの事が御坐いまだ。可愛やつだと殿様が御譽めなされ、あれには兄弟も親族もない して罷出ました。どうかお聞濟を願ひます。飯島「 ( テナ、どうい者だから、行々は己が里方に成て他〈養子に遣り、相應な侍にして うら ふ事で。相川「お國様ゃなにかには少々お話しが出來兼ますから、 ごきんじゅ とをざ やらうと仰ゃいますから、私も折々は宅の家來善藏などに、飯島様 どうか御近習の方々を皆遠けて戴きとう存じます。飯島「左様か宜 の孝助殿を見習〈と叱り付けますものだから、臺所のおさんまで孝 しい。皆あちら〈參り、此方、參らん様にするが宜しい。シテどう助さんは男振もよし、人抦もよい、優いと譽め、穩婆までが彼是と いふ事で。相川「偖て殿様、今日態よ出ましたは、折入て殿様にお譽めはやすものだから、娘も、殿様お笑ひ下さるな。私は汗の出る 願ひ申したいは娘の病氣の事に就て出ましたが、御存じの通り彼れほど耻人ります。實は疾くより娘があの孝助殿を見染め、戀煩ひを の病氣も永い事で、私も種々と心配致しましたけれども、病の様子して居ます。誠に面目ない。夫れをサ、婆アにもいはないで、漸く が判然と解りまぜんでしたが、漸よナ、昨當人が、私の病は實は昨夜になって申しましたから、何故早く云はん。一合取ても武士の 是々の譯だと申ましたから、何故早くいはん。希しからん奴だ。不娘といふ事が淨瑠理本にもあるではないか。侍の娘が男を見染めて 孝ものであると呵言は申しましたが、彼れは七歳の時母に別れ、今戀煩をする抔とは不孝ものめ、縱令一人の娘でも手打にする所だ 年十八まで男の手で丹精して育てましたにより、あの通りの未通な が、併し紺看板に眞鍮卷の木刀を挾た視る影もない者に惚れたとい たとへ 奴で、何も彼も知らん奴ですから、其處が親馬鹿の譬の通りですふのは、孝助殿の男振の好いのに惚れたか。又は姿の好いのに惚れ が、殿様譯をお話し申しても御笑ひ下さるな、御蔑み下さるな。飯込んだかと難じてやりました。さうすると娘が奪父、實は孝助殿の 籠島「どういふ御病氣で。相川「手前一人の娘で御坐いますから、早男振にも姿にも惚れたのでは御座いません。外に唯一ツの見所が有 丹くナ、婿でも貰ひ、樂隱居がしたいと思ひ、日頃信心氣のない私なりますからと斯ういひますから、何處に見所が有ると聞きますと、 談れども、娘の病氣を治さうと思ひ、夏とは云ひながら此老人が水をあの御忠義が見處で御座います。主〈忠義の御方は、親にも孝行で わたくし あびて禪佛え祈るくらゐな譯で、所が昨夜娘の云ふには、妾の病御座いまぜうネー。といひましたから、夫れは親に孝なるものは主 氣は實は是《といひましたが、共事は穩婆にも云はれないくらゐな〈忠義、主〈忠なるものは親〈は必ず孝なるものだといひますと、 譯ですが、共處が親馬鹿の譬の通り、御蔑みくださるナ。飯島「どう娘が私の家は御祿は僅百俵一一人扶持ですから、他寒から御養子をし

10. 日本現代文學全集・講談社版1 明治初期文學集

258 さそよろこ おとッさま とくしん て奪父が御隱居ませう。嘸悅ぶ事で、孝助が得心の上で慥と御返事を申上ませう。 うん をなさいまして相川「孝助殿は宜しい。貴君さへ諾と仰やって下さればそれで宜し わたし も、若し其御養い。飯島「私が養子に參るのではありませんから、そうはいかな きづか 子が心の良くない。相川「孝助殿はいやと云ふ氣遣ひは決してありません。唯殿様 いッ い人でも來た其から孝助往てやれと御聲掛りを願ひます。あれは忠義ものだから、 そむ 時は、此方の祿殿樣の御言葉は背きません。私しも當年五十五歳で、娘は十八にな からだ が少ないから、 りましたから早く養子をして身體を固めてやりたい。殿様どうか願 ごうろん きんてう 私の肩身が狹ひます。飯島「宜しい。差上ませう。御胡亂に思召ならば金打でも それ く、遂には夫が致さうかネ。相川「其お言葉ばかりで澤山、有難う御座います。早 さぞよろこ 爲めに私まで速娘に申し聞けましたら、嘸悅ぶ事でせう。是がネ殿様が孝助に一 とーもおとッさま たとひ が、倶に奪父を應申し聞て返事をする抔と仰やると、又娘が心配して、縱令殿様が はツま、り 不孝にする様に下さる氣でも孝助殿がどうだか抔と申しまぜうが、さう判然事が定 成ては濟みませまれば、娘は嬉しがツて飯の五六杯ぐらいも給られ、一足飛に病氣 たとへ ゅひなう とりかはせ ん。妾も只今ま も全快致しませう。善は急げの例で、明日御番歸りに結納の取爲替 おい・て で御恩を受けまを致したう存じますから、どうか孝助殿を御供に連れて御出下さ したによりどうい。娘にも一寸逢ぜたい。飯島「マ 1 一献差上げるから。と云ても か不孝を仕度な相川は大喜びで、汗をダク / 、流し、「早く娘に此事を聞せたうご いとま い。就きましてざいますから、今日はお暇を申ませうと云ながら、歸らうとして、 たとひ 「アイタ柱に頭をぶッつけた。飯島「そツかしいから誰か見てあ は縱令草履取で も家來でも志のげな。飯島平左衞門も心嬉しく、鼻高々と、飯島「孝助を呼べ。國 をり よん 正しい人を養子にして、夫婦諸共親に孝行を盡くしたいと思ひまし「孝助は不快で引いて居ます。飯島「不快でも宜しい。一寸呼で參 つひ て、孝助殿を見染め、寐ても覺めても諦められず、終に病となりまれ。國「お竹どんど、。孝助を一寸呼んでおくれ。殿様が御用があ して誠に相濟ません。と涙を流して申しますから、私も至極尤ものりますと。竹「孝助どん / 、、殿様が召ますョ。孝「ヘイ / 、只今 様にも聞へますから、兎に角お願ひに出て、殿様から孝助殿を申受上ります。と云たが、額の疵があるから出られません。けれども忠 けて來ようと謂て參りましたが、どうかあの孝助殿を手前の養子に義の人ゅゑ、殿様の御用と聞て額の疵も打忘れて出て參りました。 飯島「孝助此處へ來いど、。皆あちらへ參れ。誰も來る事はならん 下さるやうに願ひます。飯島「夫はマア有難い事、差上げたいネ。 まをしき ぞ。孝「大分お熱う御座います。殿様は毎日の御番疲れもありは致 相川「ナニ下さる。ア、有難かッた。飯島「ダガ一應當人へ申聞け 幼を東む 、れ》、月レイフ くミっ— 7 气 こちらたか きけ など しか