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検索対象: 日本現代文學全集・講談社版6 幸田露伴集
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1. 日本現代文學全集・講談社版6 幸田露伴集

ふに至る。是の如きは印度の古の論じ易からざる所以なり。 ぐなんだな」は、びゆれる氏の意見に據れば耶蘇紀元第十六世紀の ふおん、でる、らっさ氏は、初めふおるべす氏説を奉じて言を爲 ものにして、今を距る猶未だ遠からざるものなりと。 ふあん、でる、りんで氏の考證搜索の結果の意見は、將棋の耶蘇せしが、後ふあん、でる、りんで氏の説に從ひて自説を改めたり。 紀元第八世紀に於て印度に存せしことを認め、而して共濫觴の地も 以上諸説を綜合して考ふるに、將棋の他の邦國に先だって印度に 亦蓋し印度ならんといふに在り。別に確證の存するあるにはあらざ存せしことは推知すべく、且此戲の名と馬子の名とは、たま ? \ 以 れど、將棋は耶蘇紀元第三世紀より第八世紀に至る間印度に流布せ て此考察を強むるに足るものあり。ふおるべす氏の言の如く「しゃ し沸敎の信奉者中に發生せしならんと、りんで氏は想像するに至れとらんじ」といへる語は阿剌比亞波斯の人民間の外國語なること疑 り。蓋し佛敎の信奉者は、目的の如何を論ぜず戦鬪殺戮を敢てする無く、また今英語にて「びしよっぷ」と稱する馬子の阿剌比亞名は ことを罪悪とし、英雄の來世は必ず非常の苦報を受くべきものとな「あるふゐる」と稱することなるが、「あるふゐる」は印ち象の義 そくし せり。然れども人類の勝っことを好むの天性は鬱勃として熄止するなり。此等は皆將棋の印度より出で、西漸したるものなることを想 はしむるものならずや。 能はず、終に此の「血を見ざる戦闘」を案出して以て修羅の毒状に 代へ、聊か壯夫の覇心を銷せしなるべしと。此故に氏はまた、「ふ 然れども將棋の眞の起源を稽査せんとすれば、一も確證の得べき おあ、はんでつど、げーむ」を以て印度の將棋の古き戲法なりとす者ある無く、たゞ信ずべからざる古傳説あるを見るのみなり。吾人 る、ふおるべす氏の説を取らずして、「ふおあ、はんでつど、げー が最古の證據として有するは耶蘇紀元九百五十年に當って阿刺比亞 む」の戯法は波斯の戲法よりも猶近き世のものならんと云へる、じ のますちが記せし文書なるが、共言に依れば「しやとらんじ」は、 よーんす氏の説と歸を同うし、「ふおあ、はんでつど、げーむ」の如 ますち以前既に久しく行はれたりしとなり。是の如くなれば將棋の きは却って本來の印度の將棋に基づける近き世の戲法なりと爲し、 世に存すること既に千年以上なることは疑ふべからざれども、病共 濫觴より幾蔵月を經たるかは明かにし難し。 且っ如何なる戲法の將棋にせよ之に關する古典等の確證は存すべく 將棋の起源の明らかならざるが如く共傅來もまた明らかならず。 もあらずと排撃せり ゐりやむ、じよーんす氏の譯本は一の古き證據たりしも、共内容共印度より波斯に入りし年代の如きも確定し難し。波斯の詩人ふあ の明かにせらる、に及んでは實に自ら崩潰せり。如何となれば、共るづしの共史詩中に、印度の王より大使を派して將棋の局と馬子と 文中に、ゐあさ、ごうたま ( 瞿曇 ) 一一聖の事を記し、ゐあさは王子を波斯王あぬしらわんに示し、此祕手を解するか然らずんば貢租を ゅぢしちゅらに「ちゃっらんが」を敎へ、瞿曇はまた將棋の法に就入るべしと責めたり、と云ふ事見ゅ。あぬしらわんは、じやすちに 考て一條の説を示せりとの記事あれども、萬に是の如きのことは有るあんと同時の人にして、耶蘇紀元第六世紀に當りて位に在りしな り。されど、ふあるづしは王に後る又こと殆ど四百五十年なれば、 離べからず、「ちゃっらんが」は骰子を用ゐて勝負を爭ふものなるに、 共言必ずしも信憑するに足らず。但し波斯阿刺比亞の人、、の記録に 將骰子を用うるが如き博戲は「まぬ」の嚴禁するところなればなり。 氣候の酷熱は載籍を永存せしめざるを以て、印度の簡册は大抵三百據りて考ふるに、將棋は印度より波斯に入り、會要阿剌比亞人波斯 四年乃至四百年にして朽腐敗滅に就く。鉉を以て共古記舊編は斷えずを有するに至りしを以て ( 耶蘇紀元第七世紀 ) 共人民間に行はれ、次 轉寫さることなるが、共際後人の竄入を被り終に本來の面目を失で共時代は明言する能はざれども、第十一世紀若くは第十世紀に當

2. 日本現代文學全集・講談社版6 幸田露伴集

て名を後世に遺すに至らざりし輩の多、、なりしは疑ふべきにあらの俗なり。日本の今の將棋は玉將の死活を以て勝敗を決するものな 0 す。唐に至りては交通愈要滋くして、彼より我に來るもののみなられば、將棋の二字も通ずべきに似たり。されども將棋の二字は畢竟 ず、我より彼に遊べるものも玄奘、王彦策の輩ありて、唐人の印度妙ならず、唯共通用に取るのみ。 我邦の象戯は共起源明らかならず。村上帝 ( 西暦九百四十七年より に關する智識の廣大なるは、 ( 佛敎の方面を除くも ) 印度の地理書 として西域國志 ( 六十卷、今亡ぶ ) 等の著述の少からざりしにても六十七年に至る ) の時の人源順が和名類聚鈔には其卷の四、雜藝類第 かりうちゃ ごたんき つぼうちざうこうまりうらまりこゅ 知るべきなり。されば象戲の支那に起りしを唐初若くは唐以前とす四十四の部に、投壺、蔵鉤、打毬、蹴鞠より圍碁、彈棊、樗蒲、八 さすかり 道行成等に至るまでを載せたれども象戲を載せず。蓋し當時猶象戲 れば、印度と支那との交通の歴史は、實に象戲の印度より傅はれり との事實をして、有り得べき事實なり時代なりと想像せしむるのカ無かりしならん歟、疑ふべき也。象戲の二字に和訓全く無くして音 を以て今も呼ぶに照らし考ふれば、我邦の象戲もまた本土の人の創 ありといふべし。 支那象戲の印度より來れるものならんとの想像をして眞の事實と造に出でずして、支那の象戲をば支那若くは琉球、朝鮮等より傅へ しか、或は支那の象戯に本づきて邦人自ら別に新意を出し之を造り 化せしむるに足るべき古記等は、不幸にして未だ一も予の發見する 能はざるところなれども、以上縷述せるが如き研究推測の順序に因しならんも、今遽に之を知る能はず。保元の亂の主謀者にして、源 爲朝の肘を掣せしを以て有名なる悪左府頼長の自ら記せる文に、康 りて得たる予の假定の結論は左の數點に歸す。 一。今の支那象戲は今の西洋象戲と共系統上の關係必ず存すべきこ治元年九月十一一日、參レ院、於 = 御前「與ニ師仲朝臣一指 = 大將棋「余 負、 ( 台記 ) ( 康治元年は耶蘇紀元一千百四十一一年に當る ) と見えた るに據れば、之より以前大將棋といふもの行はれ居たりしと考へら 二。今の支那象戲は支那人の創案になりしものにあらざるべきこ る。又特に大將棋と記せるを以て思ふに、或は別に大將棋ならぬ將 棋も世に行はれ居りしならん歟、是亦測るべからず。康治を去る七 三。今の支那象戯は印度の「ちゃっらんが」の兒孫なるべきこと。 四。今の支那象戯と西洋象戯との關係は、直接ならず即ち父子的な十年餘にして、建暦三年四月一一十七日、中略、又云、四位仲房、此 間聊病氣、昨日自云、心已不レ辨 = 前後一太惘然、是已及 = 死期「試 らずして、間接に、兄弟的なること。 五。今の支那象戲の印度より支那に傅はれるは、佛敎の東漸の盛な差 = 將棋「印與 = 侍男一始 = 將棋→共馬行方皆忘、不レ終 = 一盤一云、已 以爲 = 覺悟 ( 是印死期也、太心細、欲レ見 = 家中懸「侍男巡 = 見家中一 りし時代ならんと思考すべき理あること。 嗚呼象戯は一小技のみ、而もまた印度より發して東西に流布せし了、安坐念佛一一百反、印終命、不幸短命太可レ悲、生滅之理、聞レ之 ものとすれば、區ぐ一小技もまた世界文化の潮流の痕を徴するに足心不レ安、彌恐怖、との記事當時の和歌の宗匠として末代に名を 留めたる藤原定家の記せる明月記 ( 卷四十第四十四葉 ) に見ゅ。今の るの一左券にあらずや。 象戯の如くならば、縱ひ死期に及ぶも恐らくは馬法を忘るには至 らざるべければ、文中に將棋と云へるは察するに亦馬子の數甚た多 三日本將棋 き大將棋を指して云へるなるべし。同じ書に、建保四年十一一月十 象戲、象棋は支那にて用うる字面なり、之を將棋と書するは日本日、宇治御幸記、共傍置 = 圍碁双六將棋等盤「とある將棋は何種の

3. 日本現代文學全集・講談社版6 幸田露伴集

274 くろき 出ると處ると固より定有り 擬古の詩、もとより直に抒情の作とす可からずと雖、此是れ緇を 語るも默するも綠無きにあらず。 披て香を焚く佛門の人の吟ならんや。共の北固山を經て賦せる懷古 そうろく 伯夷量何ぞきや、 の詩といふもの、今存するの詩集に見えずと雖、僭宗渺一讀して、 せんし 宣尼智何ぞ圓なる。 此豈釋子の語ならんやと曰ひしといふ。北固山は宋の韓世忠兵を伏 こつじゅっ 所以に古の君子、 せて、大に金の兀朮を破るの處たり。共詩また想ふ可き也。劉文貞 命に安んずるを乃ち賢と爲す。 公の墓を詠ずるの詩は、直に自己の胸臆を據ぶ。文貞は印ち秉忠に して、袁垬の評せしが如く、道衍の燕に於けるは秉忠の元に於ける しやらりく 苦節は貞くす可からずの一句、易の爻辭の節の上六に、苦節貞く が如く、共の初の信たる、其の世に立って功を成ぜる、皆相肖た すれば凶なり、とあるに本づくと雖、ロ氣おのづから是道衍の一家 り。蓋し道衍の秉忠に於けるは、岳飛が關張と比しからんとし、諸 ていくわい 言なり。況んや易の貞凶の貞は、貞固の貞にあらずして、貞の貞葛亮が管樂に擬したるが如く、思慕して而して倣模せるところあり とするの説無きにあらざるをや。伯夷量何ぞ隘きといふに至って しなるべし。詩に日く、 は、古賢の言に據ると雖、聖の淸なる者に對して忌憚無きも亦甚し ぐん といふべし。共の擬古の詩の一に日く、 良驥色羣に同じく、 あと 至人迹俗に混ず。 おも 良辰遇ひ難きを念ひて、 知己荷も遇はざれば、 筵を開き綺戸に當る。 終世怨みまず。 會す我が同門の友、 偉なる哉藏春公や、 あちはひ 言笑一に何ぞ憮ある。 簟瓢巖谷に樂む。 一朝風雲會す、 = 商を發し、 そんそ 餘響樽俎を繞る。 君臣おのづから心腹なり。 はかりどと 緩舞呉姫出で、 大業計已に成りて、 輕謳越女來る。 勳名簡憤に照る。 たゞわが へんすゐ 但欲ふ客の堺醉せんことを、 身退いてち長往し、 さか・つきのかす 絖籌何ぞ肯て數へむ。 川流れて去って復ること無し。 はやくはしる 住城百年の後、 流年ゑ馳を歎く、 カ有るも誰か得て阻めむ。 鬱くたり盧溝の北 まつひさぎ 松楸烟靄靑く、 人生須らく歡樂すべし、 いしのまもりびとかをりぐさ 長に辛苦せしむる勿れ。 翁仲蕪綠なり。 あばれもの 強梁も敢て犯さず、 とこしへ えん か - っし ひと こはこ

4. 日本現代文學全集・講談社版6 幸田露伴集

使君よ去りたまふ勿れ、 おも 我が民の父なり母なり。 念ふ子が初めて來たりし時、 才思繭絲の若し。 いとぐち 之を抽いて已に絡を見る、 克勤の民意を得る是の如くなりしかば、事を視ること三年にし 染めて就せ五色の衣。 て、戸口增倍し一郡饒足し、男女怡、、として生を樂みしといふ。克 ? ふさ 勤愚菴と號す、宋濂に故愚庵先生方公墓銘文あり、滔に數千言、備 に共の人となりを盡す。中に記す、晩年益畏愼を加へ、晝の爲す共九に日く、 所の事、夜は則ち天に白すと。愚庵はたゞに循吏たるのみならざる 須らく知るべし九仭の山も、 なり。濂又日く、古に謂はゆる體道成徳の人、先生誠に庶幾焉と。 いっき 功或は一簣に少くるを。 蓋し濂が諛墓の辭にあらず。孝孺は此の愚庵先生第一一子として生れ 學は貴ぶ日に隨って新なるを、 たり。天賦も厚く庭訓も厳なりしならむ、幼にして精敏、双眸炯く 愼んで中道にする勿れ。 として、日に書を讀むこと寸に盈ち、文を爲すに雄邁醇深なりしか ば、鄕人呼んで小韓子となせりといふ。共の聰慧なりしこと知る可 し。 共十に曰く、 時に宋濂一代の大儒として太祖の優待を受け、文章德業、天下の くんけい 仰望するところとなり、四方の學者、悉く稱して太史公となして、 羣經明訓耿たり、 白日靑天に麗 姓氏を以てせず。濂字は景濂、共先金華の潛溪の人なるを以て潛溪 苟も徒に文辭に溺れなば、 と號す。太祖濂を廷に譽めて日く、宋景濂朕に事ふること十九年、 けいしやく 未だ嘗て一言の僞あらず、一人の短を誚らず、始終二無し、たゞに 螢妍を爭はんと欲するなり。 君子のみならず、抑賢と謂ふ可しと。太祖の濂を視ること是の如 し、濂の人品想ふ可き也。孝孺洪武の九年を以て、濂に見えて弟子共十一に日く、 となる。濂時に年六十八、孝孺を得て大に之を喜ぶ。潛溪が方生の 天台に還るを送るの詩の序に自記して日く、晩に天台の方生希直を 姫も孔も亦何人そや、 つひ えいえい これ 顔面了に異ならじ。 命得たり、共の人となりや凝重にして物に遷らず、穎鋧にして以て諸 ぼんあう けん 肯て盆番の中に墮せんや、 を理に燭す、間發して文を爲す、水の湧いて山の出づるが如し、喧 これん 當に瑚璉の器となるべし。 啾たる百鳥の中、此の孤鳳皇を見る、いかんぞ喜びざらんと。凝重 しん 穎鏡の一一句、老先生眼裏の好學生を寫し出し來って有り。此の孤 鳳皇を見るといふに至っては、推重も亦至れり。詩十四章、共二に共終章に日く、 2 曰く、 ちかし ていし ごと

5. 日本現代文學全集・講談社版6 幸田露伴集

おからかひ ホ、御調戲なされずと能うおやすみなされ。イヤ違ひましたら幾重せて、妾しの眞實には露か乂らぬと酷らしうおっしやるか。知ら 3 にもお詫をしますが、お獨り住みの御様子、共處へ推て一泊を願ひん。知らんとは御卑怯な、サア此方へござれ御一所に臥みまぜう、 おんふしど ましたれば御臥床を奪ひましたかとも危みます、若し萬一左様なれ妾しもあなたの御言葉を立ますればあなたとて妾しの一言を立て下 もた ば我等こそ男の身の野宿の覺もござれば、柱にれて眠る一夜位苦さったとて、御身體の解くるでもあるまい汚るゝでもござるまい ねぬく にもならざれ、お前様そうして居られては心苦しゝ、寢温もりの殘に、何故そう堅うなって四角ばってばかり居らる又か、ヱ、野暮ら ひとみ りしは氣味あしくも思しめさんがどうかお休みなされ、と云へば顔しい、と柔らかな手に我手を取りて睛も動かさず平氣に引立んとす 少し赤め、御言葉の通り眞に夜具一揃より持ざれど、おとめ申したる る其美しさ恐ろしさ。 わたく 時より妾しは斯うして夜を明して大事ないと思ひ定めましたれば御 我も凍るばかり慄然として眼を暝ぎ唇を咬み切め心の中にて、 げつかい ちんくわん 構ひなく。それではどうも。そう仰しやらずと。我らが困ります。妾「海茫、、たり首惡色慾に如くは無く、塵寰擾にたり犯し易きは惟 おやす しが困ります。マアお前様御臥みなされ。マアノ \ あなた御寢なさ邪淫なり、拔山蓋世の雄、此に坐して身を亡ぼし國を喪ひ、繍ロ錦 それがし れ。共では際限なし、小生も男でござる、痩我慢致して是より御暇 心の士、に因りて節を敗り名を墮す、始は一念の差たり遂に畢世 まさ ともだち 申す、女性に難義さして我心よく眠らば一生の瑕瑾、母の手前朋友贖ふ莫きを致す、何ぞ乃ち淫風日に熾んにして天理淪亡するや、當 の手前恥かし、夜道まだ / 、樂な事なり。それ程までに仰せらるゝをに悲むべく當に憾むべきの行を以て反て計を得たりとなし、而して あるか あた 背き難し、あなたに夜道歩行せましては妾しの心遣ひ皆空となる事衆怒衆賤の事恬として羞るを知らず、淫詞を刊し麗色を談じ、目は なれば御言葉には從ひませうが、それではあなたに寢床暖めて頂い道左の嬌姿に注ぎ腸は簾中の窈窕に斷ゅ、或は貞節、或は淑德、 た様な者、のめど、と共にくるまってあなたを火もなき爐の傍に丸嘉すべく敬すべきを遂に計誘して完行なからしめ、若くは婢女、若 ひょく けが 寢さしては假令ば妾し夢に戀人に逢はふとも面白からず、妙も女でくは僕妾、憫むべく憐むべきに竟に勢逼して終身を珀すを致し、既 はち ござんす、妾しの一生の瑕瑾、持佛の手前はづかしゝ、どうしてもに親族をして羞を含ましめ、猶子孫をして垢を蒙らしむ、總て心昏 やす あなたを能うお臥ませ申さでは。共様に言葉を廻されてはどうしてく 氣濁り、賢遠ざかり佞親しむに由る、豈知らんや天地容し難く禪 ぜっし 良いやら譯が分らず、無骨者の我等閉ロしますに。ホ、閉ロなされ人震怒し、或は妻女酬償し或は子孫受報す、絶嗣の墳墓は好色の狂 たんくわ たら温順く妾しの云ふ事を聞てお臥みあれ。イヤ / \ 拙者の申す通徒にあらざるなく、妓女の祖宗は盡く是れ貪花の浪子なり、富むべ きんばう ちちゃう りになされ。マア頑固に剛情を張られずとも。頑固でも何でも拙者き者は玉樓に籍を削られ、貴かるべき者も金榜に名を除かる、笞杖 とても とりうたいへき の申す事聞るゝがよい。ハイ / 、到底あなたの頑固には叶ひませぬ徒流大辟、生ては五等の刑に遭ひ、地獄餓鬼畜生、沒しては三途の から、あなたの申さるゝ通りに致しましよ、ホ、ホ、、まあ怖い顔苦を受く、從前の恩愛此に至って空と成り、昔日の風流而も今安に はや をして。怖い顔は生れ付です。怒られたの。イヱ御厚意に向って何か在る、共後悔以て從ふなからんよりは蚤く思ふて犯す勿きに胡 の怒りましよ、唯少し眞面目になった計り。ホ、可愛らしい、眞面ぞ、謹で靑年の佳士、黄卷の名流に勸む、覺悟の心を發し色魘の障 こうしゃう 目に。ハイ眞面目に。妾しも眞面目に申しませう、サア露件様。何。を破らん事を、芙蓉の白面は帶肉の祐髏に過ず、美艶紅妝、乃ち是 かんばせ 殿御の仰しやる事さへ通れば女子の云ふ事は通らずともよいと思はれ殺人の利刀なり、縱ひ花の如く玉の如きの貌に對しても、常に妨 みぎゃうしゃ いぎゃうしゃ るゝか。何。御自分の御言葉だけを無理やりに心弱い妾しに承知さの如く妹の如くするの心を存して、未行者は失足を防ぐべく已行者 ねい ふさ ころ はぢ いづく い・つれ

6. 日本現代文學全集・講談社版6 幸田露伴集

4 られ外も多分此振に知らず / 、あだなる所ありて男の心を動かし外なされんとするよりまづ語氣を美しくやさしくなされんと覺悟なさ 、語氣をやさしく美しくなされんとならば先怒ること、周章 より、思はぬ迷惑をかけらるゝ事にもなりと考へられ外。凡てのるべく ねた げび 振堅く正しくいはば餘程の馬鹿の外は道ならぬ戀を仕掛まじくい。 る事、嫉む事、下鄙たる事などのはしたなき事を心の中に愼み抑へ 扨振の秘傳は意味のなき譯の分らぬ振をする事にい。是は男の勝手らるべく百の言葉を治すよりは一の語氣をなほし改むるときは はた ~ ら に任せて道理を付させいにて大抵野郎は自惚つよき故、い曳加減に千にも萬にも活用くべく、百の語氣をなほしあらたむるよりは一の あり 意味を付て腹の中に深く味はひ、悅喜する者に外。若し又あしく取心を改め直すときは千にも萬にもはたらくべくい。油屋おこんの彼 りとも元ぐ譯の分らぬ振故此方の講釋次第にてさん ) 「ロ舌の揚淨瑠璃をよく聞いへば淨瑠璃語りの聲の中におこんはおこんの語 句、ウンそうか、おれが悪かったなぞと鼻毛をのばしい。忘れても氣、まんのはまんのの語氣ありて、共語氣によりおこんの美しき く・てん 振は大事ぐぐ。第八は語氣に是は中に手紙には記し難く口傳もの 容態、まんのの愴らしき顔付まであり / \ と見ゆるやうに思はれ ゑとく にいへどあらましは、烈しき言葉遣ひ、迫りたる言葉づかひ、壓伏それにて大概御會得なさるべし。ある好色の盲人ふしぎにも美 つけ する言葉潰ひ、込上たる言葉遣ひ、輕薄なる言葉遣ひなどに氣を注人を鑑定致し外を如何様の事にて分るかと尋ね外に、第一は聲色、 かなきりごゑどうまごゑうまれつき て、なるべく長閑に優にしなやかになされて良しく、例へばお輕の第二は足音、第三は語氣と申しい。聲の色は金切聲胴嚴聲など稟賦 ことば 辭、風に吹れて居たわいなとあるにて優にやさしく聞ゆれど、風に にて致し方なく外へども足音語氣は心を用ゐさへすれば治るべく 吹れて居たんでーと烈しくては食ひ付そうなり、風に吹れてたんだ ( 箇様申し外へばつまり眞の美人は眞の善女にて眞の善女には と迫りては艷なく、風にふかれて居たのサと云へば輕薄にすげなし。優にやさしき語氣の具はりある筈なれば、色道裏の手の修行も煎じ 0 0 さんさい 又、風に吹せて居たわいなと云へばせの字とれの字だけ僅に一音の 詰て論ずれば善女となるより外の心掛なきことなり。盜賊の山寨を 差なれども、まことに人を壓し伏する強き女の樣聞ゆるなり。風に百年關はずに置ば共中間に必らず法律起り禮樂生じ敎法も出來て千 吹れて居るといへば靑にと美しき春の柳の長閑に立るごとく、いと年も經ば今日の我等のやうになるべきと同じ道理、不思議の天の定 きぬ いつは めでたき女の、なよ / 、と衣にも勝ざるありさま想ひやらるゝなり、 め、恐ろしき微妙の理にて、色道裏の手の詐り多きもとゞのつまり おいき こくうこっぜん うそ 風に吹せてといへば節くれだちたる老木の松虚空に兀然と聳えたる虚言から出る誠の天道、妄想を用ゐ盡して眞趣の現ずる譯に外。然 さぎけいりやく ゃうにて何となく女めかず、筋骨たくましき男の兜脱ぎすて長突し悟っては手練手管の詐僞計略はだめとなりい。 ) 此の語氣を能く 立たるがごとく想ひやらる又なれば、女にしても亭主を尻に敷く類使ひこなして自在になし、甘ったるき語氣に男をなでつけ、びんし かと危ぶまる者にて。風に吹れて居たのがどうしたといふほど込ゃんしたる語氣に男をぢれさせ、泣そうな語氣に男を深入りさせ、 上ては妻まじき嬶左衞門なり。箇様に色に申しても是は言葉の違ひすました語氣に男を思ひ迷はせ、すねくぬした語氣に男をどかし にて語氣と申す者にはあらず、語氣は言葉の勢にて手紙にあらはし がらせ、輕き語氣に男をおもしろがらせ浮したて、力を入れて緊乎 たましひ こなた 申し難く外へど、右等の色にの言葉を聲を出してお試しなされ怺は とせし語氣に男の魂魄を取て抑へて迯出さぬゃう此方の巾着の中に きぬみ、 ば自然と語氣の色にちがふことに御心付れべくはんと存じ疉さ推し込み、沈みたる語氣心配想な語氣にて後朝に別れ行く男の後髪 てやさしき語氣を用ゐるやう御心がけありいはば自然とやさしき言を引とらへ置く様臨機應變の鍛錬をつまれなば天晴すさまじき男殺 葉をも用ゐられゃうに相なるべく、されば言葉を美しくやさしく しなるべく第九は語形に外。美人の使ふまじき言葉を紅く小さ のどか あわて しつかり

7. 日本現代文學全集・講談社版6 幸田露伴集

51 斃魔傅 事、此條は金の中を見る事、第十三は金の終りを見る事に。何の色も此通りにて最初はまづ前に記したる眼と振にて仕かけ、男の あさ 様の男にても色を酒の肴にして遊び又は酒を糧にして色を漁る堵の持物のおもしろき所を見出して譽め、男の話しに身を入れて聞き、 懷中末の末までよろしき譯なし、いづれ身體にも脾胃損腎虐財布に扇面又は幅紗などに書畫を望み、共禮として我毛糸細工の洋燈敷縮 おく も脾胃損腎虐の苦しみを生ずるなれば、よく / 、それを見透して金緬の肘つきなどを餽り、男の譽むる役者藝人を共に譽め、男の嫌ふ にげの の終りを悟り、よき汐に吾身を迯退くやうにすること肝要にて、共迯事を共に嫌ひ顏し、男の能く知り居ることを態と尋ね問ひて誇りか 様は末に記し置外。勝氣なる男は金の無くなり際になれば心いらい に答へさせ、共答を感心し顔に聞き外など、是等は當世乳臭き束髪 らとなり、酒量平日より進み、夜更るまで心よげに騷にしく語りさの小娘供も爲る事にて共敵手となる乳臭き少年共と互に喜びあふ きれい やぎ、曉天がたに僅か目どろみ、少しも屈托の模様を露はさぬもの て、男女交際とか何とか體裁よき名を付て淸潔がり、矢張内實は淫 なり。かる容態の時は用心すべし。氣弱の男は足遠くなり、言葉心の匀ひだけを嗅せ合ふてぐびつく喉を抑へ居る事にい。然し是等 つね つき弱くなり、酒を平日より甘がらず醉こちれ、早く寢ても眠るこ にては餘り拙く鈍く外。今少し確と影を與ふるは男の立居に一方な てうづ ぬる と遲く、もし ~ 、と起しても返辭に疎く、膝のうしろ、手の付根ならず心を配り、男手水に立ば石鉢に水はありながら下女に吩咐て温 まゐ たはけをとこ つきゐ おもり し。都て妻にもあらぬ女に心通はす程の白痴男の生命は金なれば は其人に風を送り、又は附居る女 ( 前に記せし錘なり ) のロより慫 金に乏しくなるにつけ共男の容態何處やらに影の薄い様な所生じ 慂させておもはゆげの振しながら一節うたふ唱歌にほのめかし、 つい・てむかし きりゃう 處置ぶりに間拔あらはれ、追付六文の錢もなき一文なし亡者とな或は話しの序に昔時の人に比へて共男容貌自慢の氣味あらば、佐野 やつはし 、六道の辻車引く身となる前兆たしかに知る乂なり。但し此時此次郎左衞門の容色では八橋の嫌ったが無理ではなし生命とられたと まなこ えいさま 方の眼兒明らかに早く迯支度を爲し置ざれば付纏はれて悪足とならて榮様を色にしたは女と生れての本望なるべしといへば、男最早女 おち れ、共に奈落に沈む故此段は大切とおぼさるべし。然し一度男を零を八橋の如く思ひて自分は美男榮之丞の氣になるなり。又共男器量 ぶれ 落させて見れば金の終り位見易きはなし。愈強夫の條よりは手管のよからずば、何程美しきとて榮之丞に迷ふたる八橋の心愚なり、男 つけ 奧儀なり、十分氣を注て讀るべく は氣で持ち生海鼠は酢で保っとさへ云ふものを、氣性ある郎左衞 むご めうり 第十四は影を與ふる法にて、未だ男を手に入れざるうち男を聢と 門を酷くしたる心あさまし、さればこそ冥理も盡きて見苦しく終り 引よする手管なり。前にも申したる通り素より男は自惚つよきものたれ、と云へば、男腹中にて、ム、此女は人形食ではなし、面白い よろこび たはけ ふたしなみしな 故、何でもなき事に獨り悅喜する程の白痴にいへば、まして此方に根性だなぞと譽むるなり。今少し下卑れば打解たる振に一一種三種の さかづき 心ありて釣りよせんとする餌にかゝらざるは無くい。然し初めより 肴を整へ、主人顔に酒盞さしっさ又れつ、酒に亂れて居ずまゐを崩 べったりと仕掛は却ってなれ / 、し過て價値低くいなれば、先身し、言葉っき仇めかしく笑ひさゞめく内にさては忍び駒にちんとは よろこび を與へず影を與ふる事よろしくい。影を與ふると申すは、假令ば甘ぢきて、おゝさへお乂さへ喜悅ありや我此盃を外へはやらじとおも ねずみなき き者の匀ひを嗅するやうの道理にて、つまり酒好の人に酒をば飮せしろや向ふの人に思ひざし嬉し顔なると唄ってチューと鼠鳴するな ず、酒の香の芬ぐたるを嗅するごとく、喉をぐびイ、致させ、涎を どの事なり。尚下品ならば男の飲さしを取って知らする様に知らせ まこと いは 垂させ、堪えられぬと云するは實に匀ひだけ嗅するところにあり。 ざる様に甘そうに飮む類にて、大抵是ほどに仕掛れば男家に歸りて ふんぶん あたへ ど げび

8. 日本現代文學全集・講談社版6 幸田露伴集

53 艷傳 すた だいばだった ばこそ提婆逹多が我をも露憎み玉はず海の如き御胸の中に容れ玉ひし自分の我は捨り行くなるに、戀に似する裏の手の工夫にては無理 に痩我慢して我を捨る共苦しさ中ぐ出來難く、是非もなき天理言語 たるなれ、大抵の男は自分の我を尚みて人の我を憎み、人には人の たはけ 我を捨させて自分の我に同ぜしめんと圖る白痴にへば、此方我をに及ばず外。是に據りて考ふれば無我のように見ゆるお釋迦様など いっさいしゅじゃうきんしう 立外時は中ぐ此方を愛する事出來ず此方を忌むものなり。それ故愚申す大聖人は一切衆生禽獸にまで惚れて自分の我慾は自然捨り行き 人に愛されんとせば我を捨てねばならず、言葉を換て申せば我を捨たるかも知らず、大きな戀が大きな人を作ったるにて高が知れたる むかし て人に近るものは共心極めて險悪なる奴にて、昔時より奸雄と申人間のヘポ思想が聖人とならしめたりとは思はれぬなり。我を捨る いや ふん・こ すもの一生我を捨る工夫ばかりに心を苦しめ居たるに相違なく、鄙 ゞの詰りは身を捨命を惜まぬなれどそれまで踏込むには及ばず、 ・とより・ 先づ一切の所業男の性質に合ふやうに仕掛、すべて男の自惚て居る しき者の頂上は我を捨る奴なり。元來良き我ならば捨るに及ばす、 惡しき我なる故捨るならば我を捨るものは部ち惡しき人間にて、我所に同意し下らぬ事にまで我意を抑へて忍耐するなり。假令ば君故 を捨るも共人間の我なれば、つまり忍びて我を捨るは恐ろしき大惡ならば我命何の惜かるべき、ましてや君の仰せには生血を絞り片腕 , もはく 人なる事云ふまでもなし。然し猶深く考ふれば眞に能く我を捨得ら を找るゝとも露厭はじ、世間の評判親類目上の思慮我を禽獸のやう れなば大聖人なること疑ひなく、又眞に能く我を立得られなば大聖に見て爪彈きするとも一身君に任せし我少しも關はずといふやうな 人なること疑ひなし。表裏融通知れ切たる話しなれど、前にも申する意氣込にて、男酒嫌ひなれば今までは日に一升の大酒なりしとも 通り凡人は我を立得ず我をも眞には捨得ざる中間のぶら / 、に外所酒盞を石燈籠に打き付て金毘羅様に禁酒を誓ひ、男學問を好ば他所 つけ が五十年の棲處にへば、共凡人を相手にする色道の秘密は痩我慢にて内ぐ伊勢竹取徒然草の二くだり三條は聞習ひ、男法華ならば門 して我を捨るにあり。然し爰に不思議の妙ありて天道の恐ろしき事徒を發め、男猫を厭はば泣の涙を揮って鰹節添へて玉を餘所に遣る あなた くたり に身の毛立っ譯あり、第八の語氣の條にも記せし通り色道裏の手の位はまだな事、今少し奮發しては、殺すとも活すともどうせ貴郞に任 せん せた身體、身は我物にもあらじ我父母の物にもあらじと、男の懷中に あさましきも詰り煎じノ \ て見れば表の正しき所に歸らねばならぬ わかれ たましひ たら わが魂魂を投込なり。然し餘り強く我を捨ては、後にて別離の時困る ごとく、我を捨て男の心を蕩かす此條もまた餘程妙なものにて外。一 しゆったイ - たぶ 體色道裏の手は皆戀と見せて男を誑らかすなれど愈第男を誑らかさ事出來すべし、よく / 、注意ある・ヘく外。第十八は身を奪ふなり。是 んと密に深く考ふれば、其考へ出す惡事の手段數ぐの中に電光の閃は男に我身を任せたる頃身を捨る代りに確と男の身を我方に奪ひ取 ・ま - とより り置くなり。我を捨たるばかりにては此方却って損の如くなれど詰 めきて眼を射るやうに驚ろかされ外事のみござ。扨元來男にもせ たっ りは我を捨る事が種となって男の身を我所有とする方便、縱横に男 よ女にもせよ眞實に惚れたる時は強て我を立るものにあらず、自然 と男は女の我を能く立て女は又自然と男の我を立てるより、自分のを動かし自在にかきのめすは身を奪ふにあり。假設ば、そんなに大 つぎ 我を捨る譯にはあらねど我戀人の我を尚び、知らず / \ 男の我に女きな者で御飲なすってはいけまぜんよ、毒ですよ。マアいから酌 は從ひ女の我を男は愛し、何時の間にか我を捨るようになり行て人な。毒ですよ、もう御なさいと云へば。毒でもい乂からまあ一杯 むかし の我を立るを忌みし昔時の小さなる心おしひろめられ、互ひの心春酌な。何い乂事がありますものか、貴郞ひとりの身體ぢやアあるま なまよひ のどか の空のやうに和らぎ長閑に樂しくなるなり。戀は禪聖とは是等をやいし、と斯う云ば生醉の臟腑にも、あなた一人のからだぢゃあるまい 申すべき、噫。されば正眞の戀ならば悠然と滿足しながら人の我を愛しの一句キリ ~ 、と染み渡りて無上に嬉しく有り難く、自分の身體 すみどころ こー てだて や おやめ たとへ

9. 日本現代文學全集・講談社版6 幸田露伴集

て身を淸め、彼の玉手箱を取り出して二粒の舍利を中に置き、蓋打 りの印のもの送られて悲しさの餘りに作り設けて男の歌よみし由に しか も思はるれど、得しれぬ玉手箱現前こゝにありて我れを驚かし、加掩ひて兩手に捧げ幾度か搖り動かせし後、主一無適の一念凝らし眼 しやく 之父上母上とも彼の如く奇異の御卒去のなされ方なるのみならず赤を閉ぎつゝ蓋を取りて、世に禪仙といふものあらば白き方をば取ら びやく 白の舍利こ乂に在り、困った事かな、迷ったり、思へば禪仙無し、 せ玉へ、若亦無くば赤き方を取らせ玉へと祈りつ一粒を撈り得 またさぐ たま 見れば手箱あり舍利あり眼前奇瑞あり、はてさて憖じ學間の片端伺て眼を開けば白き方を取り居たり。繰り返して復撈り取るに、一一度 まこしン っただけに迷ひが決せぬ、何と思ひ定めたものであらうぞ、眞實目も白き方を得たり。今度は若しや赤きを得るかと拾へば、またも 仙のあるものならば此忌くしく詰らぬ世に居るとも、仙となったや同じく白なり。四度目も白、共も白、又共次も白にして七度め りこう 後馬鹿な顔をして居て怜悧な人の爲ることを見て居たら少しは可笑で遂に全く白き方をのみ得通しければ、次郎我折ってムーツとば たはけのぞ からう、若し仙の無いものならば石を煮て食はうの痴望み、有る かり稀有稀代なる唸り聲を洩らし、さては不思議も有ることなり、 まこと が眞實か無いが眞實か、と心二つになりし浦島次郎、七日七晩考へ先祖太郞殿の事も我が父上母上の奇瑞も爭ひ難き事なり、祺仙此世 おは けるが如何に考へても認めつかねば、ほうっと困じ果てゝ溜息ばか に御坐す上は定めし通力の見透し眼にて、我が仙道を疑がひしを可 、無益しく頭を痛めたりしに不圖氣がついて見れば、これは分別笑く御覽なされしなるべし、御先祖御兩親の思し玉はんほども恥か いざ 智に及ばぬこと、若し仙が眞實在るにしてからが世間普通の道理し、いよ 2 \ 仙人あるに極らば卒や九轉の大丹を煉って、霞を喫ひ から考へれば無いとより外は云へず、さすれば無い方なら考へ當て石を煮るの自在地に到らん、碌ぐとして何が世は好き、凡界の慾は もす・ヘけれど有る方は智慮にも思案にも及ばざる譯、所詮分別智で既捨てなん、修行なさでは叶ふまじと、那處を的にして好いやらも うたがひ は一方しか見えぬに兩方へかゝった疑問の明らめられう筈は無しと知れぬ大願を起しぬ。 悟って、ばったり詮索の手蔓を失ひぬ。 共十一 到底これは人智の及ぶところで無ければ、人間より上に靈智靈カ を具へたものありと假に定めて共に依るよりほかは無しと思ひっき 願力あっても所作無ければ寢ながら棚の餅食はうに同じく共甲斐 しようりよ しるし しが、然るにても靈智靈力あるものの有りといふ證を見ねば、其者なきは知れた事なり、仙道に志は立てたれど鍾呂は遠し、東王公西 王母も蒸汽船蒸汽車で行ける國には住み玉はず、道經も曾て少しは の示しにしてからが受けられぬ話と次郎さまえ、に思ひ疲れし末、 げんくわんらうざうしんこんこたい ちうかん 我ながらよき事を思ひ出し、彼の赤白二つの同じゃうなる舍利のあ伺ひたれど玄關牢蔵の深根固蒂のと生ぬるい詮索ばかり多く、抽坎 ばうちうさっ亡んひじゅっ ふさ てんり るこそ幸ひ、眼を瞑ぎて若し仙人のあるものならば白き方を取らせ填離の祕法、順人逆仙の密理も眞傅を得では房中焦戦の鄙術めい いんしよかくごぜん 玉へ、無きものならば赤き方を攫ませ玉へと、盆か何ぞの上に二つ て、淫書覺後禪に載せたやうな愚極痴極の醜事に過ざらんとすれ くすり の球を置て在り所知れぬほど回轉したる後盲搜りに搜り得たる方にば、これは如何にして可い事やら、本草を見れば藥劑は大抵久服すれ しるし ば仙に成るやうなものばかりなれど、草木金石はたゞ小補あるのみ 新定むべし、但し靈智靈力あるものありての冥示ならんには共證とし ぎよくくわうせんきゃう て七度撈りても七度同じものなるべく、又譯も無き事ならば或は白と眞人達も戒められ、玉皇仙經には以人補人と強く讒かれて大に ちわうぐわんこんをいぐわんしやりう き方を得或は赤き方を得て自然定まり無かるべし、是、是、是に決地黄丸金精丸者流を斥けられたる氣味見ゅ、丹とは何ぞや何者ぞ はっきり うやま うがひてう・つ えんこう 着すべしと、假定めたる靈智靈力あるものを敬ひ畏み、嗽ロ淨手しや、鉛汞昇降の理も覺束なく龍虎調和の談も謎がゝりて明瞭とせ さぐ まは なみ はや けたい

10. 日本現代文學全集・講談社版6 幸田露伴集

も、心は君を愛するに在り、といふ。徽宗已むを得ずして宮を出でるに由無く、人心下に怨めば、禍不測に起らん。さらぬたに今天下 ゃうしん 寧しとは申し難きに、何とて聖慮を些事に勞したまふや。願はくは ざること數日なりしが、師にを思ふの情止め難くして、楊絨をして みゆるし 金線巷の師にが家に至りて、約に違ひて間はざること數日に及べる慈恩を垂れて、曲げて赦宥を行はせたまへ、と面を犯して誄むれ いか あやし を恠む勿れとの旨を傅へしむ。師には天子の來らざる數日なるに嬌ば、楊戡は侫臣なり、傍より賈奕が作りし那の南鄕子の詞を天覺に ことば 示す。徽宗は語もや長激しく、卿此詞を看るも更に能く忍ばんや、 瞋を發して、醉を粧ひて應酬禮無し。楊戡ふと首を擡げて、師にの おんあやまち と道ふ。天覺少しも動ぜずして、畏多けれども此乃陛下の御過失な 卓上を見るに一小簡あり、展べて此を見るに賈奕の書にして、 ひく をさ り、陛下萬乘の奪きを以て、小巷の陋きに入り玉はずんば、如何で 奕、七夕相別るゝよりの後、又重九に逢ふ。日月梭の如く、面 を會すに由無し。今聞く、天子忠臣の諫を納れ、深く禁中に居か是の如きの侮を惹き玉はむ、所謂君君たらざるときは臣臣たらざ るもの、陛下自ら其過失を侮いたまひて然るべし、何そ必ずしも人 り、復微行私幸したまふ無しと。是嚼南人、夙世縁有るなり、 たちどころ とが 今タは佳辰なり、虚しく度る可からず、未だ開允を承けず、立を尤めたまはんや、と辭色嚴正に直言すれば、黴宗も慙ちて復爭ひ かいん 得ず。しばらく卿が直言の故に、賈奕が死を赦さん、と宣し、貶し に佳音を俟つ。 くわうなんけいしう ひそか とあり。楊絨大に怒り、既に天子の寵を受けながら、又密地に賈奕て廣南瓊州の司戸參軍となし、又一面には急に殿頭官を遣りて、李 おやこ と相會はんとするや、とて、共書を奪ひて歸りければ、師に母子は師ぐを入内せしめ、夫人の冠被を賜はり、師にをしてこれを著けて しうとん かたへ 侮めど及ばず、魂も身に著かで戦き懼れたり。楊戡は賈奕の手簡を御前に出でしめ、繃燉を賜はりて御座の側に侍らしめ、天覺に宣ひ 呈す、徽宗は憤怒す。直に賈奕を執へて金階の下に到らしめ、匹て、朕今夫人と共に同じく殿上に坐せり、卿階下に立ちて、能く章 なんちことば 夫、爾詞を造りて朕を謗ると喝す。賈奕俯伏して地に在り、微臣疏有らんかと間ふ。天覺涙を垂れて悲みて白さく、陛下禮法を視て いかで 怎か陛下を謗りたてまつらんと白す。徽宗道ふ、爾謗らずと道は何物とか爲したまふや、君臣夫婦は人間の大事なり、臣今何のあ でんべい って殿陛の間に立たむや、願はくは骸骨を乞ふて田里に歸らんと。 ば、且説け、這の鮫結を留下して宿錢に當つ、といふ詞は、是誰が たましひ なしきた 黴宗愈要怒って衣を拂って起ち、次日天覺を勝州の太守に貶す。 做來りしぞと。こに於て賈奕魂魄碎けて、言ふべき辭を知らず。 天覺京を出づるの時、南鄕子の詞を作り、又行くこと數十里にし 徽宗すなはち、賈奕流言して朕を謗る、まさに三族を夷ぐべし、と て路邊の老牛の地に臥せるに値ひ、長吁一聲、前詞に依りて又一ⅱ 宣し、甄守中を監殺官とし、これを殺さしめむとす。 の南鄕子を作る。詞に曰く、 甄守中は賈奕を領して刑場に到らんとして、途に張天覺に逢ふ。 天覺、今日殺さるゝ者は甚の罪を犯しゝものそと間ふ。守中天覺の ゆる やきもの 瓦の鉢と磁の瓶と、 耳に附きて、委細を告ぐ。天覺は守中に對ひて、爾且慢く刑を用ゐ やすむ 間に白雲に件ひ醉ひて後休。 よ、と云置き、馬を飛ばして宮に入り、急に天子に見え、陛下貴き またたのし おはい くらゐう 得も失も事の常なりも貧も也樂、 ことは天子たり、富は四海を有したまふ。祖宗萬世の丕なる祚を承 いっぴんせう 憂ふる無し、 けたまひ、華夷億兆の瞻るところと爲りたまふ。一擧動一噸笑も皆 いかん 運去って英雄も自由ならず。 輕んじたまふ可からず。然るに何ぞ小事の誤るところとなりて、ロ 惜くも正無き事を爲させたまふや。刑罰正しからざれば、民を治む けん なに わた かうべ かいゐん まみ たびら