一一を日。 朝七時二十分此の筆を執る。 十八日午後潮田よりの來从に曰く、盟壽夫人歸京したれど、病氣 の爲め、兩三日は面會相談致し難しと。余此の事を以て理と情に 於て不法となし、直ちに德富氏を訪ひ事の次第を語り、潮田を訪 ふ。不在。釘店の佐々城を訪ふ。良子嬢あり。盟壽氏に面談の事 を申込む。潮田の宅ならば會はんといふ。乃ち潮田に到り、電報 を以て豐壽夫人を呼び寄す。豐壽夫人來る。のぶ子島病院に在 ること明白となる。 歸宅す。今井君在り。信子より來从あり。日く離婚 ( 表面だけ ) 致し度し。其方余の爲になると。 直ちに浦島を訪ふ、一二時間の押間答の末、遂に面會す。信子病 床にありー 信子の曰く、かの願を叶へ給へと。余の曰く、情なきことを言ふ ものかなと。左右に醫士と後に看護婦とあり。何事も思ふこと語 り得すして歸宅す。 歸宅すれば午前三時。直ちに一通を認めて、昨朝投ず。 昨日午前德富氏を訪ふ。兎も角も潮田と相談致し度しとの事故、 余より潮田に斯く申し潰る。 午後湖處子來宅。四時頃收一一、今井氏を件ふて歸宅。七時頃まで 語りぬ。 信子より來从あり日く、逢ふはうれしけれど、亦更らに苦しと。 翌年信子の生みし浦子の名はこ、に因むといふ。 の る 欺今日に當り余の決心は是なり。 信子をして其の判斷をひるがヘさしむること。 7 信子の愛さめ、信子余にそむき去るとも、余は決して怒らす。飽 7 3 くまでも彼の女を愛すること。 且信孑の爲めよりすれば、今日の判は他日の後悔なるが故に、 信子をして他日の後悔に入らしめざる様、夫婦の義を今日に維持 すること。如何なる場合來るとも、余のロより一度、離婚の言葉 を放たざること。如何なる場合たりとも余は信子をせめざるこ 決心は決心なり。悲痛は悲痛なり。信子のロより彼の言の出でし を思へば、其の理由は兎に角、余には無限の苦痛なるなり。 男らしき精訷來れ。高壯の覺悟あれ。 二十一日。 リンコルン漸く脱稿せり。 昨日星良孃を待ちたれども來らざりき。五時より六時の間に來舍 あれと申し來りしも悲痛のため、午後より床上に橫はりて、之も 果さざりき。薄暮信子に一書を出し置きぬ。 夜、德磨氏來り、談話悲痛を拂ふ。尾間、大庭兩氏來る。圓座し て來る二十五日開會の筈なる一番町敎會男子部懇親會の相談あ 本日午前はリンコルンのために消す。 午後トルストイ「二代』 Two Generations を讀みたり。 永田進之允氏來談あり。 星良子壤來訪す。バイロン、ウォールズウォース、ウエルテルの 悲哀を貸す。信子の心をひるがヘすことを相談す。 夜今井忠治氏來談あり。九時去る。浦島醫師に書从を發す。 「ダンテ」をひもときはじむ。 宇宙、人生に關する偉大にして崇高なる感情の流れ胸間に潜入せ 信子の失踪以來の悲痛は余が精に非常なる結果を來せしが如 し。 人生は眞面目なり。死は恐ろしき聲なり。
とあるので、いた。何時ごろから來て居るのたと聞くと、娘は一 ン」と笑ったばかり。これだから二人が喧嘩を爲ないで一ヶ月以上 2 % 遞間ばかり前からと云ふ。直ぐ次の返事を書いて持たしてやった。 も旅行が出來たのだと大友は思った。 お手紙を見て驚喜仕候、兩君の室は隣室の客を驚す恐あり、小 三人とも愴快に談じ酒も相當に利いて十一時に及ぶと、朝田、 つもり 生の室は御覽の如く獨立の離島に候間、徹宵快談するもさまた 崎は自室に引上げた、大友は頭を冷す積で外に出た。月は中天に昇 げず、是非此方へ御出向き下され度待上候 って居る。恰度前年お正と共に散歩した晩と同じである。然し前年 たにかみ すると二人が、やって來た。 の場所へ行くは却って思出の種と避けて溪の上へのぼりながら、途 かなしみ 「君は何處を遍歴って此處へ來た ? 」と朝田が座に着くや着かぬに途「縁」に就て朝田が説いた處を考へた、「縁」は實に「哀」であ ると泌み / 、感じた。 「イヤ、何處も遍らない、東京から直きに來た。」 そして構造の大きな農家らしき家の前に來ると庭先で「左様な 「そこで此夏は ? 」 ら」と挨拶して此方へ來る女がある、其聲が如何にもお正に似て居 まとも 「東京に居た。」 るやうに思はれ、つい立どまって居ると、往來へ出て月の光を正面 「何をして ? 」 に受けた顔は確かにお正である。 「遊んで。」 「お正さん」と大友は思はず呼んだ。 「そいつは下らなかったな」 「大友さんでしよう、」と意外にもお正は平氣で傍へ來たので、 「全くサ、そして君等は如何だ。」 「貴女は僕が來て居るのを知って居たのですか」と驚いて間ふた。 「伊豆の温泉めぐりを爲た。」 「もう少し上の方へのぼりながらお話しませうか。」とお正は小聲 「面白ろい事が有ったか。」 にて言ふ。 「隨分有った。然し同件者が同件者だからね。」と崎の方を向く。 「貴女さへかまはなければ。」 崎はたゞ「フ、ン」と笑ったばかり、盃をあげて、ちょっと中の 「私はちっとも、かまひませんの。」 たに 模様を見て、ぐびり飮んだ。朝田もお構なく、 それではと前年の如く寄添ふて、溪をのぼる。 にんと 「現に今日も、斯うだ、供が縁とは何ぞやとの間に何と答へたもの 「眞實に妙な御縁なのですよ、私は今日、身の上に就て兄に相談が だしぬけ だらうと聞くと、先生、この圓と心得て」疊の上に指先で〇を書き、 あるので、突然に參りますと、眛が小聲で大友さんが來宿てるとい 「圓の定義を平氣な領で暗誦したものだ、君、斯ういふ先生と約一 ふのでせう、 あと ヶ月半も僕は繕を益て酒を呑だのだから堪らない。」 「それちやア貴女は僕より一汽車後で來たのだ。」 みやうにち 「それはお互サ」と崎は少しも驚かない。 「さうなの。それで今夜はごた / 、して居るから明日お目にか、る つもり 「然し相かはらず議論は激しかったらう」と大友はにこ / \ して問 積で居ましたの。」 ふた。 さて大友はお正に會ったけれど、そして忘れ得ぬ前年の夜と全然 「やったとも」と朝田、 く同じな景色に包まれて同じゃうに寄添ふて歩るきながらも、別に ・こん 「朝田の愚論は僕も少々聞き鮑きた」と崎の一言に朝田は「フ、 言ふべき事がない。却てお正は種々の事を話しかける。 くだ っ へや かまひ まる あたた かまへ かみ こちら
336 岡病院に在り。 ) 〇眉山人川上亮氏を訪間して國民之友夏期附録を依賴したる事。 煩悶又た煩悶、失望と希望と相戦ふ。 失望は「吾れ果して爲すあるの人か」の自間自疑より來り、希望 は『います』の信仰より來る。 三田四國町居住の師佐々城本支の妻。 曰佐々城の長女信子。 十九日。 少しも讀書せざるなり。 明治ニ十八年六月 信仰は依然として進まず。 十日。 社務多端なり。 ( 國民之友編輯 ) 文章を草すること少なからず。 筆ををきし以來忽ち二遞間を經たり。 其の間吾に關する重なる事は左の如し。 佐々城盟壽氏を訪間す。 ( 石崎ため氏の事を依賴す ) 〇國民之友二百五十二號及び二百五十三號を編輯したる事。 森田思軒君を訪間す。 〇德富猪一郎氏吾に非常の侮辱を加へたる事、山て退社せんと決 内村鑑三君より來从ありたり。 心し父母の同意を得たるが故に時機を待ちつよある事。 藥師寺育造氏より來从。 ( 海城より ) 内村鑑三君と書信の交を結びたる事、吾れ非常に此の剛毅なる人二十一日 物を慕ふ事。 國民之友、二百五十四號の編輯を昨夜終結したり。今日以後五日 間は多少の默思、讀書あるべし。 々城豐壽女史夫妻の招きにより國民新聞瓧及毎日新聞瓧の軍 記者と共に晩餐の饗餐を受けたる事、 ( 其の時はじめて其の令孃 夏は來りぬ。 を見たり。宴散じて既に歸らんとする時、余、携ふる處の新刊家 樂しき夏は來りぬ。自山の異名なる夏は來りぬ。 雜誌二册を令壤に與へたり。令孃曰く、又た遊びに來り給へ と、令壤年のころ十六若くは七、唱歌をよくし風姿素々可憐の少二十三日日曜日。 溿よ、吾が罪をゆるし給へ。 女なり。 ) 対よ、人の前に恐るよ事なく、 0 田村三治氏と共に山本繁子女史を訪間したる事、女史は年若き 畫工なり。 先づ溿の前にひれふす事を敎へ給へ。 人に仕ふる前にに仕ふることを教へ給へ。 〇吾が宅にて靑年會を開きたる事、吾れ「忘るよ能はざる曾」て よ、全能の神よ。愛の禪よ。 ふ題にて感話したる事。 此の苦しめる罪人に慰安を與へ給へ。 C ) 水谷眞熊氏より來从、返書を出したる事 ( 氏は病氣にて目下疆 欺かざるの記 ( 抄 ) 事實Ⅱ感情Ⅱ思想史
「さう言ひましたとも。けれど何故我家の坊様はと一言訊くことが 「行きますとも、そんなら私が行きます。」 3 % 出來ません」と白眼つけて、直ぐ奧に向いて、 「アレ奧様、私が參ります。」 「眞實に貴方心配ですから、御自分で一寸聞いて來て下さいません 「いゝえ、私が行きます。お前などに賴むと安心が出來ません。」 「い、え、私が參ります。」 タ闇薄暗き縁側に涼んで居た休職判事の父親は、又た悠然たるも 「うるさいね、兩人で行ったら可いだらう」と父の一聲。 のである。團扇を。ハタリ / ( 、、 母親とお光は申しあはしたやうに默って了った。そしてこそ / \ きっと 「まアお前のやうにワイ / 騒いだって仕様がないよ。必定寄道で兩人は外方に出掛けた。 もしたのだから、今に歸って來るよ。」 「お光や。お前は片山へ行って聞いておいで、私は此處で待って居 「貴方もそんな暢氣な事ばかりおっしやって、萬一の事があったら るから。時は平時この道から歸るから。」 如何なさいます。」 と言はれて、家から四町ばかりの淋しい辻に奧様を殘してお光は 「萬一の事とはどんな事だ。」 再び片山の家へと急いだ。 もや 「萬一のこと、は萬一の事です。」 タ月煙靄をこめて蓮池の香り高き處に母親は月に向って立って居 「我家の時が水へでも陷ったと言ふのだらう。」 た。暫時するとお光が歸って來て、 こども 「さうですとも。そんな事が無いとも限りません。連件が少年のこ 「奧様、矢張坊ちゃんは居殘りなんださうです。」 とですから第いて逃げて來て、知らん顔をして居るなんて、よく東二人でかえ。」 京でもあるぢやアありまぜんか。」 「そんな馬鹿々々しいことがあって堪るものかね。第一お前は時等「まア何といふ兒だらう。田舍道の一里上もある所へ遊びにゆきな が釣魚に行く場所の模様を知らないから、さういふことを言ふの がら、日が暮れても歸って來ないなんて : : : 」 だ。今日、寺が釣に往った處は平地で池の堤といふものがない、だ 「今にお歸りになりますよ」とお光は奥様の泣き出しさうな聲を聞 から落ちゃうがない。よしんば落ちたにしても足をのめりこます位いて慰める。奧様は無言で蓮池と屋敷との間を通ふ眞直な道を眺め のもので、決して生命に彼是ある筈がないのだ。必定寄道を爲て居て居たが、 るのだよ」といはれて、乙なことをおっしやると言ひたさうな身構「お前先へお歸り。そして風呂の下を見てお置き。私は少し此處で をして東京の奥様、 待って見るから。」 「堤があるか無いか、去年來たばかりの私にはお國の事は存じませ 「畏まりました」とお光の去った後で、母親は「若しか」といふ場 んが、もしか貴様が斷って寄道を爲たのだとおぼしめすなら、一す合を色々に想像して、胸の痛くなる程心配して待って居ると、間も 聞いて來て頂くわけに参りませんか知ら。片山の坊様でも、我家のなく蓮池の縁に小さな影が見えだした。だん / 、近づいて來るのを 時が寄道を爲たのか池に陷ったのか位は知って居なさる筈ですか見ると、時之助らしい。けれども若しか又た他家の兒かも知れぬと ゅん・てびく ら」と東京式のせきこんた調子で迫る。一方は平氣なもの、 心も空に見つめて居ると、釣竿を肩にして左手に魚籠を提げ、小聲 で唱歌を歌ひながら來るのは正しく時之助である。 「お前が心配するのだからお前が聞きにゆけば可いぢやアないか。」 うちは にらみ はま どて もしか
プ 30 人の一生は何の爲めだらう。自分は哲學者でも宗教家でもないか を、自分も半分泣きながら、ぶら / 歩るいて子供を寢かしつけや ら深い理窟は知らないが、自分の今、今といふ今感ずる所は唯だ儚 うとして居た。暫くすると急に母は大聲で 「お政さん ! お政さん ! 」と呼んだ。妻は座敷に上がると母は眼さだけである。 如何も人生は儚いものに違ひない。理屈は拔にして眞實の處は儚 に角を立て睨むやうにして、 「お前さんまで逃げないでも可いよ。人を馬鹿にしてらア。手紙ないものらしい。 はかな いらな 若し果敢いものでないならば、たとひ人は如何な境遇に墮ちると んぞは書かないから、歸ったら左う言ってお呉れ。此三圓も不用い まはり よ。」と技げだして「最早私も決して來ないし、今蔵も來ないが可て自分が今感ずるやうな深い / 悲哀は感じない筈だ。 親とか子とか、兄弟とか、朋友とか瓧會とか、人の周圍には人の い、親とも思ふな、子とも思はんからと言ってお呉れ ! 」 心を動かすものが出來て居る。まぎらす者が出來て居る。若しこれ 非常な劍幕で母は立ち去り、妻は共まゝ泣伏したのであった。 等が皆な消え去せて山上に樹って居る一本松のやうに、たゞ一人、 自分は一々聽き終はって、今の自分なら、 「宜しい ! 不用けや三圓も上げんばかりだ。泣くな、泣くな、可無人島の荒磯に住んで居たらどうだらう。風は急に雨は暗く海は怪 いじゃないか母上さんの方から母でもない子でも無いといふのなしく叫ぶ時、人の生命、此地の上に住む人の一生を樂しいもの、望 あるものと感ずるととが出來ゃうか。 ら、致方もないさ。無理も大概にして貰はんとな。」 だから人情は人の食物だ。米や肉が人に必要物なる如く親子や男 然し彼の時分はさうでなかった。不孝の子であるやうに言はれて 見ると甚どく共が氣にかる。氣にか、るといふには種々の意味が女や朋友の情は人の心の食物だ。これは比喩でなく事實である。 だから上地に肥料を施す如く、人は色々な文句を作って此等の情 含んで居るので、世間體もあるし、敎員といふ第一の資格も缺けて 居るやうだし、則ち何となく心に安んじないのである。それに三圓を肥かふのだ。 さうして見ると様は甘く人間を作って御座る。ではない人間は といふことは自分も知らなかったのだ、共點は此方が悪いやうな氣 甘く猿から進化して居る。 もするので、 ためいき オヤ ! 戸をた長く者がある、此雨に。お露だ、可愛いお露だ。 「困ったものだ」と腕組して暫く嘆息をして居たが、 さうだ。人間は甘く猿から進化して居る。 「自分で勝手に下宿屋を行って居ながら、そんなことを言はれて見 0 0 0 0 0 まる・て 五月十二日 ると全然私共が悪いやうに聞える。可いよ、私が今夜行って來や 心細いことを書いてる中にお露が來たので、昨夜は書き續きの本 う。そして三圓たけ渡して來る。」 0 0 0 0 0 文に取りからなかった。さて 五月十一日 若しお政が氣の勝て居る女ならば、自分が其夜三圓持て母を尋ね 今日は朝から雨降り風起りて、湖水のやうな海も流石に波音が高 ると言へば、 い。山は鳴って居る。 きっき 「質屋から持て來たお金なんか厭だと被仰ったのだから持て行かな 今夜はお露も來ない。先刻まで自分と飮んで居た若者も歸ってし くたって可う御座いますよ」と言ひ放って口惜し涙を流す處だが、 まった。自分は可い心持に醉うて居る。醉うては居るもの如何も お政にはそれが出來ない。母から厭味や皮肉を言はれて泣いたのは 孤獨の感に堪へない。要するに自分は孤獨である。
ノ 04 毎日酒ばかり飮んで居て、今まで御孃様にはあんなに優しかった老ぼろ / 、こぼすことがある。 斯な風で何時しか秋の半となった。細川繁は風邪を引いて居たの 先生が此二三日はちょっとしたことにも大きな聲をして怒鳴るやう にならしやったた、私も手の着けやうがないので困って居た處で御で四五日先生を訪ふことが出來なかったが熱も去ったので或夜七時 頃から出かけて行った。 座りますよ」さも情なささうに言って、 ひっそり 家内が畛らしくも寂然として居るので細川は少し不審に思ひっゝ 「あの様子では最早先が永くは有りますめえ、不吉なことを言ふや 座敷に通ると、先生の居間の次ぎの間に梅子が一人裁縫をして居 うちゃが : : : 」 しばた た。細川が入って來ても頭を上げないので、愈々訝かしく能く見る と倉藏は眼を瞬たいた。此時老先生の聲で、 わか あを 「倉藏 ! 倉藏 ! 」と呼ぶ聲が座敷の椽先でした。倉藏は言葉を早と蒼ざめた頬に涙が流れて居るのが洋燈の光にあり / 、と解る。校 びつくり 長は喫驚して、 めて、益々小さな聲で、 いくら きげん 「然し晩になると大概校長さんが來ますから共時だけは幾干か機嫌「お梅さん如何かしたのですか」と驚惶しく訊ねた。梅子は猶も頭 いくら が宜えだが校長さんも感心に如何なんと言はれても逆からはないでを垂れたま、運ばす針を凝視めて默って居る。此時次の間で、 おとなし 「誰だ ? 」と老先生が怒鳴った。 温和うして居るもんだから何時か老先生も少しは機嫌が可くなるだ 「私で御座います。細川で御座います。」 こっち 「此方へ入らんで何をして居るのか、用があるからちょっと來い ! 」 「倉藏 ! 倉藏は居らんか ! 」と又も老先生の太い聲が響いた。 「雎今」と校長が起たうとした時、梅子は急に細川の顔を見止げ 倉藏は目禮した大急ぎで庭の方へ廻はった。村長は腕を組ん ためいき た、そして涙がはらノ \ と共膝にこぼれた。ハッと思って細川は躊 て暫時考へて居たが歎息をして、自分の家へ引返した。 躇うたが、一言も發し得ない、止まることも出來ないで其儘先生の 居間に入った。何とも知れない一種の戰慄が身内に漲ぎって、坐っ まっさを た時には彼の顔は眞蒼になって居た。富岡老人は床に就いて居て其 村長は高山の依賴を言ひ出す機會の無いのに引きかへて校長細川 はなし 枕許に藥罎が置いてある。 繁は殆ど毎夜の如く富岡先生を訪うて十時過ぎ頃まで談話てゐる、 「オヤ何所かお悪う御座いますか」と細川は搾り出すやうな聲で漸 談話をすると言ふよりか寧ろ共愚痴やら惡ロやら氣焔やら自慢噺や らの的になって居る。先生は此頃になって酒を被ること益々甚だしっと言った。富岡老人一言も發しない、一間は寂として居る、細川 つま ことは く倉蔵の言った通り其言語が益々荒ら / \ しく其機嫌が愈々難かしは呼吸も塞るべく感じた。暫くすると、 おれ いったい ふるまひ おまへ 「細川 ! 貴公は乃公の所へ元來何をしに來るのだ、エ ? 」 くなって來た。殊に變ったのは梅子に對する擧動で、時によると 寢たまゝ富岡先生は人を壓しつけるやうな調聲、人を嘲るやうな 「馬鹿者 ! 死んで了へ、貴様の在るお蔭で乃公は死ぬことも出來 こわね んわ ! 」とまで怒鳴ることがある。然し梅子は能くこれに堪へて聲音で言った。細川は一語も發し得ない。 すなに 「エ、元來何をしに來るのだ ! 乃公の見舞に來るのか。娘の御機 愈々從順に介抱して居た。共處で倉藏が、 あんた 「お孃様、マア貴のやうな人は御座りませんぞ、様のやうな人嫌を取りに來るのか、エ ? 返事をせえ ! 」 校長は眼を閉り齒を喰ひしばったまゝ頭を垂れ兩の拳を膝に乘せ とは貴孃のことで御座りますぞ、感心だなア : : : 」と老の眼に涙を しばらく むづ ゃうら こん らんぶ あわたゞ てうし
わか 寂寞たる山林の生活が此後から少なからず賑ふて來て、見聞の狹 陸むことなり、共總領息子の謙輔、東京に久しく留學して居た亠円 きゃうだい 年が歸って來るといふので一週間も前から叔母を初め君子姉妹まで い叔母逹から見ると、役人生活に慣れて所々を渡り歩いて來た淺海 くらしかたすくな 一家の人の物語や生活法は少からず興味を惹き、好奇心を滿足せし が噂をして待って居て、それで今日の朝、愈々謙輔が着いたとのこ と、君子に遇て見ると嬉しさうに、そは / 、して居る。癪に觸らざめ、又た尊重の念をさへ起さしめたのである。 るを得ない。 そして二週間も經っと、婦人連に取りては更に一の興味ある間題 みうち ふうらけ それがし いったいやまのうちけ 元來山内家と自分の布浦家とは古くからの親戚で、某町からはが出來たといふのは、謙輔が遠からず歸宅するとの事實が知れたの である。 十二三町もある此山の中に小さな丘一ッ隔て代々住んで居るので、 つれあひ 君子の母は自分の叔母に當り、叔母は五年前に共良人を失ひ今では 謙輔年齡は二十三、共註文には一二年田舍に居て靜に讀書した をとこのこ すまひ 君子と盟子とといふ末の男兒と四人暮し、母屋は廣過るとて閉い、就て住宅は町を避け出來るだけ閑靜な所にして貰ひたいとのこ はなれ めて了ひ、門の傍なる離室三間を常の住居となし、又自分も早く父 と、海氏が登記所に通ふ路の遠く且っ難儀なるをも辭せないで、 を失ひ母と二人淋びしく暮し、下男下女の外は、先づ自分を男の中山内の母屋を喜んだのは此理山であったのである。 つきあひ の大將として兩家極めて親密なる交際をして來て居たのである。 謙輔が着く三日前の晩、自分が叔母の宅へ遊びにゆくと、叔母は 一月程前に町から人が來て、今度出來た登記所の所長として來ら 自分と君子に向ひ、 おくさん 「淺海の奥様が今日謙輔様の寫眞を見せたが威のある立派な方だ れた淺海氏の爲に山内の母屋を借りたいと思ふが、相談して見て呉 つきあひ あひた れまいかとのこと、この中間に立った人は年來の交際ゅゑ、自分の よ。宅でも君が男であって呉れると私も大變力になるけれど、繁じ つまり 母も早速承知して山内の叔母に此意を傅へて尚ほ色々相談した結果やアまだノ \ 先が長うて、あんな立派な息子になるのはちょっくら はんと のことじゃない。私は今日寫眞を見て眞實に羨やましかった。」 が、登記所の所長様と言へば田舍では一個の立派な紳士、それが借 「さう、そんなに立派な方 ? 」と君子は頭をかしげて、裁縫の手を りたいとあれば無下に否むもを可笑なもの、又此淋い山の中に一家 でも殖えれば、女ばかりの世界が大に心強くなるといふ利益もあ止めて問ふた。 、兎も角も貸した方が可からうといふことに定って、其旨を先方「あア」と輕く應じて叔母は「お前もこれからすこし氣をつけない と可けないよ。田舍娘で行儀も作法も知らないと思はれないやうに に答へたのである。 しなければ。」 淺海氏は喜んで町の住居から移轉ッて來たが、家族は三人であ る。主人の所長殿は年齡頃五十二三、背の高い色の淺黒い、頭髮半「さうですねえ」と君子は至極感心したらしい。 「だって田舍娘が急に東京者になれもすまいぢやアないか」と自分 ば白き立派な人物、妻は四十六七で叔母よりか少しの年長者、夫婦 つきあひ がつい口を入れると、叔母は「けれども田舍娘には田舍娘で相當の ともに見たところ氣だての優い、快活な、交際に慣れた人々らし く、十二歳の女の子を一人連れたので我々の一族は又もや二人の女敎育をして來たのだから笑れるやうなことを仕ては君ばかりじやア 子を得て、何處までも女人國の體を失はないけれど、角且っ五十以ない、私まで卑下れるからねえ。」 度んとう 「眞實にさうだわ。」と君子は頗る眞面目である。 上の堂々たる一男子を得たことは叔母逹の大に意を強ふしたところ ほんと たけさん 「何に關はん僕は暴れて見せてやるのだ。」「眞實に武様は變物だ であった。 すまひ さん ひとっ
を借りまして自炊しながら局に通って居ったのでムいます。 すまひ ない野暮天に見えますので、大工の藤吉が唐偏木で女の味も知らぬ 住居は愛宕下町の狹い路地で、兩側に長屋が立て居ます中の其の といふのは決して無理ではなかったのです。實際私は意氣で女難に おとなし 一軒でした。長屋は兩側とも六軒づっ仕切ってありましたが、私の かったといふよりか皆んな、温柔くって野暮だから却て女難にか すぐまへ 住んで居たのは一番奥で、直前には大工の夫婦者が住んで居たので かったのでムいます。 ムいます。 或夜のことに藤吉が參りまして、洗濯物があるなら嚊に洗はせる ごぞんぢ ひとへ 長屋の者は大通りに住む方とは違ひまして、御承知でもムいまし から出せと申しますから、遠なく單衣と襦袢を出しました。さう致 あくるひ ゃうが、互に親しむのが早いもので、私が十二軒の奧に移りますと しますと其翌日の夕方に大工の女房が自分で洗濯物を持って參りま 間もなく、十二軒の人は皆な私に挨拶するやうになりました。 して、これだからお紳さんを早くお持なさい、女房の難有味はこれ その中でも前に住む大工は年頃が私と同じですし、朝出かける時 でも解らうと私の膝の上に持て來たのを投げ出して歸へりました。 と、晩歸〈る時とが大概同じで御坐いますから始終顏を合せますの しまひ この女はお俊と申しまして、年は二十四五でムいます。長屋中でお どう で何時か懇意になり、終には大工の方から度々遊びに來るやうにな 俊は何時か噂にのぼり、又お俊の前でもおさんは如何見ても意氣 りました。 だなぞと、賞そやす山の神がある位ですから私の目には是は唯の女 大工は名を藤吉と申しましたが、やはり江戸の職人といふ氣風が ではない位わことは感づいて居たのでムい寸す。 何處までも附て廻はり、様子がいなせで辯舌が爽かで至極面白い男 藤吉は毎晩のやうに來るやうになりました。それは一ツは私から ルごりゃう でムいました。たゞ容貌は餘り立派ではムいません、鼻の丸い額の尺八を習はうといふ熱心てあったでムいますが、笛とか尺八とかい 狹いなどは殊に目につきました。笑ふ時は何處かに人のよい、惡くふものは性質と見えまして藤吉は器用な男でありながら如何しても 言〈ば少し找けて居るやうな處が見えて、それが亦た此人の愛嬌で進歩いたしまぜん。それでも屈せずプウ / 、吹いて居たのでムいま ムいます。 す。 きっと 私のところへ夜遊びに來ると、必然酒の香をふん / 、させて、い あぐら お俊も遊びに來るやうになりました。初は二人で押しかけて參り きなり尻をまくって趺坐をかきます。そして私が酒を呑まぬのを諭 ましたが後には日曜日など、藤吉の居ない時は晝間ても一人で遊び かしたもので御座います。 に來て、一人で饒舌って歸ってゆくやうになったのでムいます。私 そして又た、頻りと女房を持てとす乂めました。其序に如何かい も後には藤吉の家に出掛けて夜の十二時までも下らん話をして遊ぶ たしますと、「君なぞは女で苦勞したこともない唐伺木だから女のやうになりました。お俊は頻りに私の世話を燒いて、飯まで炊いて さい 難難有味を知らないのだ、」とやるのです。御本人は如何かと申しま呉れることもあり、菜が出來ると持って來て呉れる、私の役所から すと、餘り苦勞をしたらしくもないので、其女房も、親方が世話を歸らぬ中にちゃんと晩の支度をして呉れることもあり、それですか 女して持たしてくれたとかいふのでムいます。 ら藤吉が或時冷かしまして、「お前は此頃亭主が二人出來たから忙 けれども私は東京に出てから十年の間、種々な苦勞をしたに似 がしいなア」と言ったことがあります。けれども藤吉は決して私を しゃうふん 幻ず、矢張り持って生れた性質と見えまして、烈しい事も出來ず、烈疑ぐるやうなことはなく、初はたゞ隣り交際でしたのが後には、何 しい言葉すら餘り使はず、見たところ女などには近よることも出來でも身の上のことを打明けて私に相談するやうになりました。それ つい・てどう
「大變ですね。どうしたと言ふんでしよう ? 」 下宿屋は止して一所になって下さいと言って見やうじゃないか。」 むだ 「だから私が言はんことじやアない。其通りだ。安普請をすると共「言った處で無益で御座いますよ。」 通りだ。原などは餘り經費がかゝり過ぎるなんて理窟を並べたが、 「無益といふこともあるまい。熱心に説けば : : : 」 こど、も 斯いふ實例が上って見ると文句はあるまい。全體大切な兒童を幾百 「無益ですよ、却って氣を悪くなさるばかりですよ。」 よせ あたりまへ いくら 人と集るのだもの、丈夫な上にも丈夫に建るのが當然だ。今日一つ 「それは多少か氣を悪くなさるだらうけれど、言はないで置けばこ 原に會って此新聞を見せてやらなければならん。」 の後どんなことに成りゆくかも知れないよ。」 おっしやら 「無闇な事も出來ますまいが、今度の設計なら決して高い豫算じゃ 「さうですねえ : : : 然し兵隊さんと如何とかいふやうなことは被仰 御座いませんよ、何しろあの建坪ですもの、八千圓なら安い位なもんはうが可う御座いますよ。」 のです。」 「まさか共んなことまでは言はれも爲まいけれど。」 やすい 「いや共安價のが私や氣に喰はんのだが、先づ御互の議論が通って 一時間立たぬうちに升屋の老人は歸って來て、 てすり 彼の豫算で行くのだから、さう安にい直ぐ欄の倒れるやうな險呑な 「甘く行ったよ」と座に着いた。 ものは出來上らんと思ふがね」と言って氣を更へ、「共處で寄附金「どうも御苦勞様でした。」 ふたつみつ あら じゃが未だ大きな口が二三殘って居ないかね ? 」 「ハイ確かに百圓。渡しましたよ。驗ためて下さい。」と紙包を自 「未だ三ロほど殘って居ます。」 分の前に。 あなた うち 「それじやア私がこれから廻って見やう。」 「今日は日曜で銀行がだめですから貴所の宅に預かって下さいませ 「さうですか、それでは大井様を願ひます。今日渡すから人をよこ んか。私の家は用心が惡う御座いますから」と自分が言ふを老人は して呉ろと云って來ましたから。」 笑って打消し、 「百圓だったね ? 」と老人は念を推した。 「大丈夫だよ、今夜だけだもの、私宅だって金庫を備へつけて置く 「さうです。」 ほどの酒屋じやアなし、ハッハッ、、、、。取られる時になりや私 さん 共處で老人は程遠からぬ華族大井家の方へ廻るとて出行きたるに の處だって同じだ。大井様は濟んだとして、後の二軒は誰が行く筈 引きちがへてお政は外から歸って來た。老人と自分が話して居る間 になって居ます。」 ひるから に質屋に行って來たのである。 「午後私が廻る積りです。」 「金は出來たらうか」と自分は何處までも知らぬ顔で聞いた。妻 升屋の老人は去り、自分は百圓の紙包を机の抽斗に入れた。 は、 五月九日 こども 「出來ました」と言ひっゝ小兒を背から下して膝に乘せた。 自分は五年前の事を書いて居るのである。十月二十五日の事を書 酒「如何して出來たのだ」と自分は間はざるを得なくなった。 いて居るのである。厭になって了った。書きたくない。 「如何してゞも可いじやアありませんか、私が : : : 」と言ひかけて けれども書く、酒を飮みながら書く。此頃島の若いものと一しょ たまさん 淋しげな笑を洩した。 に稽古をして居る義太夫。さうだ「玉三」でも唸りながら書かう。 1 「さうさ、お前に任したのだから : : : 處で母上さんが見えたら最早面白い ! おっか いゼ 0 0 0 0
思ひ當る節が全くないでもない。けれど兄の性質としてよし深く 「え、全く御存知ないやうでした」 「龍一が外に思って居る女でもあるか、そんな話は無かったか」 想って居たにせよ決して共様子を外には表はさない。であるから兄 「おほッほ、ほゝほ曳長ゝ」 が禮ちゃんを戀して居るとロへ出して言ふことも出來ない。 「笑ひごとちやアない」 しかし想って居るのが眞實なら兄は今度の縁談を厭だと初めから 斷言し得る筈である。不審は此處に在る。 「だって共様な話は出來ませんわ」 つまり國子には父が突然起した此疑間に就いては如何しても急に 「江崎様に訊いて見れば可えのに」 おっかさん 返事が出來ないのである。 「そんなこと私から江崎様に聞かれるものですか、ね母上」 すなほ 今村の老人はフト思ひついたので決してこれまで龍一と禮子のこ 「さうね」と何事も柔順な母は微笑んで答へた。父は暫時く考へて となど毛ほども思ったことはない。然し思ひっくや共を例の癖で主 居たが、 張して居るうちに段々眞實らしく自分で感じて來て、遂に理窟まで 「乃公は龍一が江崎の禮ちゃんを想って居はせまいかと思ふが、如 附けて了ったので、理窟が附くと瓮、、國子の同意を得なければ承知 何だね」 が出來なくなった。 國子は母と顔を見合はせて默って微笑んで居る。 「如何ぢや國、理由が解って見ると乃公の鑑定は動くまい」 「國は如何思ふ ? 」 國子は唯だ眼をまじイ、さして居るばかり。 國子は尚も答へることが出來ない。 「如何ぢや」 「禮ちゃんは年頃で美人で學問も能く出來るのだから龍一が想った 「私には解りませんわ」 って無理はない」 「何故解らん、解らんちふことが有るものか、お前に解らんちふこ 「おほッほ、ほ、ほゝ、、、、」と國子は少し顔を紅らめた。 とは無い」 「お前も能く褒めるちやアないか」 「だって、そんなこと被仰ったって : : : 」 「それやア褒めますわ : : : 」 「如何あっても乃公に解ってお前に解らんちふ法はない。龍一の世 「そら見ろ」と得意になって「そこで第一龍一が禮ちゃんを想って あ、たび / 、 居ないのなら如何兄様と仲が善くっても彼様度々往くもんぢやアな話は誰がする、何から何まで龍一の事なら皆お前が爲るちやアない か。我家で龍一と眞實に話をするものはお前だけぢゃ。それでお前 い。それから何よりの證據は龍一が禮ちゃんを想って居るからこそ 江崎様に相談を仕ないのちゃ、これぢや、全くこれちゃ」と年寄はに解らんちふ法はない」と益 ~ 粘っこく攻寄せる。 「アフ私にだって兄上は別に何にも言ひませんわ。變ったことは」 風獨りで合點して了った。 れいり それなら尚のこと承知、不承知の返事は出來た筈だと怜悧な國子「言はないでも様子で解る」 「様子なんて私などに解りやアしませんわ、ね母上他のことと違ひ 暴は直ぐ思った。 ますもの」と國子は眞面目になった。母上はか、る場合に處する物 7 を常に持って居るーー何方附かずの微笑。 8 2 「他のことと異ふから猶のこと様子で解るのちゃ。傍に終始附いて 國子は兄の龍一が禮子を想って居ないとは言ふことが出來ない。