どう わけ 「マア如何したのたらう ! お梅さんは ? 」 「如何いふ理由で急に上京したのたらう ? 」 「御一緒に」 「そんな理由は、手紙に書いてなかったが、大概想像が着くちやア 、しつ ~ 、り 「マア如何したのだらう ! 」校長は喫驚すると共に、何とも言ひ難ないか、」と村長は微笑を帯びて細川の顔をじろ / 、見ながら言っ き苦惱が胸を壓して來た。心も空に、氣が氣ではない。倉藏は門を た。彼は細川が梅子に人知れず思を焦がして居ることを破いて居 開けながら たのである。 ためいきっ 「マアお入りなされの。」 「私には解せんなア」と校長は嘆息を吐いた。 校長は後について門を入り椽先に腰をかけたが、それも殆ど夢中 「解せるちやアないか、大津が黒田のお玉さんと結婚しただらう、 はづ こっち であったらしい。 富岡先生少し當が外れたのサ、其處で宜しい此方にも其積りがある 「マア先生は何にも知らないのかね ? 」 とお梅孃を蓮れて東京へ行って江藤侯や井下伯を押廻はしてオイ井 「乃公が何を知るものか、今日釣に行って居たが老先生は何にも言下、娘を賴む位なことだらうョ。」 はんからの。」 「さうか知らん ? 」 か汽つき ふたん 「さうかの ? 」と倉蔵は不審な顔色をして煙草を吸ひ始めた。 「さうとも ! それに先生は平常から高山々々と賞めちぎって居た おまへわけ 「貴公理由を知らんかね ? 」 から多分井下伯に言ってお梅孃を高山に押付ける積りだらう、可い いびつか 「私唯だ倉藏これを急いで村長の處へ持って行けと命令りしたか サ高山もお梅嬢なら兼て狙って居たのだから。」 かへつ ら其手紙を村長さん處へ持って行って歸宅て見ると最早支度が出來「さうか知らん ? 」と細川の聲は慄へて居る。 て居て、私直ぐ停車場まで送って今歸った處ぢやがの、何知るもん 「さうとも ! それで大津の鼻をあかしてやらうと言ふんだらう、 かョ。」 可いサ、先生も最早あれで餘程老衰て御坐るから早くお梅壤のこと きめ 「フーン」と校長考へて居たが「何日頃歸國ると言はれた ? 」 を決定たら肩が安まって安心して死ねるだらうから。」 わか 「老先生は十日計りしたら歸る、それも能くは解らんちうて : : : 」 村長は理の當然を平氣で語った。一つには細川に早く思ひあきら ためいき 「さうか : : : 」と校長は嘆息をして居たが、 めさしたい積りで。 「全くさうだ、先生も如彼見えても長くはあるまい ! 」と力なさゝ 「また來る。」と細川は突然富岡を出て、其足で直ぐ村長を訪うた。 いくっ 村長は四十何歳といふ分別盛りの男で村には非常に信用があり財産うに言って、校長は間もなく村長の宅を辭した。 憐れむべし細川繁 ! 彼は全く失望して了って。其失望の中には もあり、校長は何時も此人を相談相手にして居るのである。 あんた 生「貴公富岡先生が東京へ行った事を知って居るか」と校長細川は坐一の苦惱が雜って居る。彼は「我若し學士ならば」といふ一念を去 ることが出來ない。幼時は小學校に於て大津も高山も長谷川も凌い 先に着くや着かぬに問ひかけた。 さっき 富「知って居るとも、先刻倉蔵が先生の手紙を持って來たが、不在中で居た、富岡の塾でも一番出來が可かった、先生は常に自分を最も たの 愛して御坐った、然るに自分は家計の都合で中學校にも人る事が出 家の事を托むと書いてあった、」と村長は夜具から頭ばかり出して 話して居る。大津の婚禮に招ねかれたが風邪をひいて出ることが出來す、遂に官費で事が足りる師範學校に入って卒業して小學敎員と にさんし 來ず、寢て居たのである。 なった。天分に於ては決して彼等一一三子には劣らないが今では富岡 よわっ
プ 05 こども 伸一先生の柔和にして毅然たる人物は、これ等の敎訓を兒童の心 とが出來れば、ち其人は眞の幸輻な人といひ得ることた。不精 に吹き込むに適して居たのです。 不精にやった仕事に立派な仕事はない。そして一生懸命に仕事する そして、先生も亦た、一心不亂に此精前を以て兒童を導き、何時時ほど樂いものはないやうた。」 もげに見え、何時も其顏は希望に輝ゃいて居ました。 先生の此等の言葉は其實平凡な説ですけれど、僕は先生の生活を 小學校生活の詳しい事は別に申しますまい。去年の夏でした、僕見て此等の説を聞くと平凡な言葉に淸新な力の含んで居ることを感 は久ぶりで故鄕に歸って見ましたが、伸一先生は年を取ったばかり、 じました。 共精と共生活は少しも變りません。年を取ったと言った處で四十 伸一先生は給料を月十八圓しか受取りません、それで老母と妻子、 はたらキ一ざかり 二三ですもの、人間の働盛です。精意氣に變のある筈もないの 一家六人の家族を養ふて居るのです。家といふは家屋敷ばかり、 これを池上權藏の資産と比べて見ると百分一にも當らないのです。 たゞ老て益々共敎育事業を樂み、其單純な質素な生活を樂しんで けれども先生は共家を圍む幾畝かの空地を自から耕して菜園とし 居らる又のを見ては僕も今更、崇高の念に打たれたのです。 種々の野菜を植ゑて居ます。又五六羽の鷄を飼ふて、一家で用ゆる 4. り学 3 ・ヘ 昔のまゝの練壁は處々崩れ落ちて、瓦も完全なのは見當ぬ位それだけの卵を探って居ます。 ふる に募蔓が這ひ上って居ますから、一見度寺の壁を見るやうです。 くはのを一 書齋の前の小庭は奇麗に掃除がして有って、其處へは鷄も人れな 其璧を越して、桑樹の老木が繁り、壁の折り曲った角には幾百年いやうにしてあります。 かしのきわだかま 經つか、鬱として日影を遮って居る樫樹が盤居って居す。 くよばたけ 先生の生活は決して英雄豪傑の風では有ません、けれども先生は 昔風の門を人ると発園の間を野路のやうにして玄關に逹する。家眞の生活をして居のです、先生は決して村學究らしい窮屈な生活、 は僅に四間。以前の家を壞して共古材本で建たものらしく家の形を ケチ / \ した生活はして居ません、けれど先生の自分の虚榮心の犧 作て居るだけで、風致も何も無いのです。 牲になるやうな生活は爲て居ません。 先生は共一間を書齋として居られましたが、書籍は學校用の外、 僕は先生と對座して四方山の物語をして居ながら、熟々思ひまし 新刊物が二三種床のに置いてあるばかりでした。 た、世に美はしき生活があるならば、先生の生活の如きは實にそれ 椽側には豆が古ぼけた細籠に入て干てある、其橫に怪しげな盆栽一あると、先生の言論には英雄の意氣の充て居ながら先生の生活は が二鉢並べてありました。 一見平凡極るものでした。 「東京の仕事は如何です。新聞は毎々難有う。續々面白い議論が出 先生を訪ふた、を日でした。使者が手紙を持て來て今から生徒十 さそひ 出ますなア」と先生は僕の顔を見るやロを開きました。 數名を連れて遠足にゆくが君も仲間に加はらんかといふ誘引です。 の 「イヤ如何も愚論ばかりで恥かしう御座います。然しあれでも私の僕は直ぐ支度して先生の宅に駈けつけました、それが朝の六時、山 なつやすみ カ一杯なのです。」 野を歩き散らして歸って來たのがタの六時でした、先生は夏期休業 「それで十分です、カの限り書いて共で愚論なら別に仕方も無いか と雖も常に生徒に近き、生徒の爲めに時間を送って居らるゝので たのしみ らた。けれども樂はあります。私はこの頃になって益々感ずるこす。 とは、人は如何な場合に居ても常に樂しい心を持て其仕事をするこ 諸君の中、若し僂の故に旅行せられるやうなことが有ったなら
しるし わび 見あげた眼の訴ふるが如く謝るが如かりしを想起す毎に細川はうつえが、矢張り長くない證であるらしい。」 6 「さうかも知れん ! 」と細川は眉を顰めた。 プとりと夢見心地になり狂はしきまでに戀しさの情燃えたったのであ まどひ 「それに何だか我が折れて愚に還ったやうな風も見えるだ。それを る。戀、惑、そして恥辱、夢にも現にも此苦惱は彼より離れない。 こ、ろ 見ると私も氣の毒でならん、喧ましい人は矢張喧ましうして呉れる 或時は斷然倉藏に賴んで竊かに文を送り、我情のまを梅子に打 明けんかとも思ひ、夜の二時頃まで眠らないで筆を走らしたことが方が可えと思ひなされ。」 「今夜見舞に行って見ようか知らん。」 ある、然し彼は思返して共手紙を破って了った。斯ういふ風で十日 「是非來なさるが可え、關ふもんか ! 」 ばかり經った。或日細川は學校を終へて四時頃、丘の麓を例の如く しばらく 「うん : : : 」と細川は暫時、考へて居たが、「お梅さんに宜しく言 物思に沈みつ歸って來ると、倉藏に出遇った。倉藏は手に藥罎を ってお呉れ。」 持って居た。 まるきり 「かしこまりました、是非今夜來なさるが可え。」 「先生 ! 如何して此頃は全然お見えになりません ? 」倉藏はない うな・つ 細川は輕く點頭き、二人は分れた。いろ / 、と考へ、種々に悶い ない様子を知りながら素知らぬ風で間うた。 とふ て見たが、校長は遂に共夜富岡を訪間ことが出來なかった。 「老先生の御病氣は如何かね ? 」と校長も又た倉藏の間に答へない それから三日目の夕暮、倉藏が眞面目な顔をして校長の宅へ來 で富岡老人の様子を訊ねた。 「此頃はめつきりお弱りになって始終床にばかり就いて居っしやるて、梅子からの手紙を細川の手に渡した、細川が喫驚して目を圓くし が、別に此處というて惡るい風にも見えねえだ。然し最早長くは有て倉藏の顔を見て居るうちに彼は挨拶も爲ないで歸って了った。 ためいき 梅子からの手紙 ! 細川繁の手は慄るヘた。無理もない、曾て例 りますめえよ ? 」と倉藏は嘆息をした。 「ふうん、さうかな、一度見舞に行きたいのだけれど : : : 」と校長のないこと、又有り得べからざること、細川に限らず、梅子を知れ わかもの る靑年の何人も想像することの出來ないことである ! の聲も様子も沈んで了った。 封を切て讀み下すと、頗る短い文で、たゞ父に代って此手紙を書 「お出なされませ、關ふもんかね、疳癪まぎれに何言うたて : : : 」 「それも然うだが : : : お梅さんの様子は如何だね ? 」と思ひ切ってく。今夜直ぐ來て貰ひたい是非とのことである、何か父から急にお 話したいことがあるさうだとの意味。 かあい ふさい 細川は直ぐ飛んで往った。「呼びにやるまで來るな ! 」との老先 「何だか此頃は始終鬱屈でばかり御座るが、見て居ても可哀さうで なんねえ、ほんとに孃さんは可哀さうだ : : : 」と涙にもろい倉藏は生の先夜の言葉を今更のやうに怪しう思って、彼は途々この一言を わき 胸に幾度か繰返した、そして一念端なくも共夜の先生の怒罵に觸れ 傍を向いて田圃の方を眺め最早眼をしばたたいて居る。 ると急に足が縮むやうに思った。 「困ったものだナ、先生は相變らず喧ましく言ふかね ? 」 然し「呼びに來た」のである。不思議の力ありて彼を前より招き 「ナニ此頃老先生も何だか床の中で半分眠ってばかり居て餘り口を 後より推し忽ち彼を走らしめつ、彼は躊躇ふことなく門を入った。 用かねえだ。」 居間に通って見ると、村長が來て居る。先生は床に起直って布團 「妙だねえ」と細川は首をかしげた。 ゃうすふだん に倚掛って居る。梅子も座に着いて居る、一見一座の光景が平常と 「これまで煩らったことは有ても今度のやうに元氣のないことは無 とこ こ・、ろ
自分は大に胸を痛めて居る、先生は相變らす偏執て居られる。我々 の心底には常に二個の人が相戦って居る、共一人は本來自然の富岡 は勿論先輩諸氏も決して先生を遇するのではないが先生の方で勝氏、共一人は共經歴が造った富岡先生。そして富岡先生は常に岳烈 手にさう決定て怒って居られる。實に困った者で手の着けやうがな に常に富岡氏を壓服するに慣れて居る、其結果として富岡氏が望 ひわく い。實は自分は梅子孃を貰ひたいと兼ねて思って居たのであるか し承認し或は飛びつき度い程に望んで居ることても、彼の執拗れて さは ら、井下伯に賴んで梅子孃だけ滯めて置いて後で交渉して貰ふ積り 焦熬して居る富岡先生の御機嫌に少しでも觸らうものなら直ぐ一撃 で居た、然るに先生の突然の歸國で共計畫も書餅になったが殘念で のもとに破壞されて了ふ。此邊の處は御存知でもあらうが能く御注 ならぬ。自分は容貌の上のみで梅子孃を思うて居るのでない、御存意あって、十分機會を見定めて話して貰ひ度い。 知の通り實に近頃の若い女子には稀に見る處の美しい性質を以て居 といふ意味を長々と熱心に書いてある。村長は委細を呑み込ん られる、自分は隨分東京で種々の令壤方を見たが梅子ほどの癖の で、何卒機會を見て甘く此縁談を纏めたいものだと思った。 ない、すらりとした、すなほなる女を見たことはない。女子の特質 三日ばかり經って夜分村長は富岡老人を訪うた。機會を見に行っ とも言ふべき柔和な穩やかな何處までも優しい處を梅子孃は十二分たのである。然るに座に校長細川あり、酒が出て居て老先生の氣焔 に有て居られる。これには貴所も御同感と信ずる。若し梅子の缺頗る妻まじかったので長居を爲ずに歸って了った。 點を言へば剛といふ分子が少い事であらう、併し完全無缺の人間を 共後五日經って、村長は午後一一時頃富岡老人を訪ふ積りで共門ま 求めるのは求める方が愚である。女子としては梅子孃の如き寧ろ完 で來た。さうすると先生の聲で、 全に近いと言って宜しい、或は剛の分子の少い處が却て梅子壤の品 「馬鹿者 ! 貴様まで大馬鹿になったか ? 何が可笑しいのだ、大 性に一段の奥ゆかしさを加へて居るのかとも自分は思ふ。自分は決馬鹿者 ! 」 して浮きたる心でなく眞面目に此少女を敬慕して居る、何卒か貴所 と例の大聲で罵るのが手に取るやうに聞えた。村長は驚いて誰が も自分のため一臂の力を借して、老先生の方を甘く説いて貰ひた叱咜られるのかと共ま足を停めて聞耳を欹てゝ居ると、内から老 い、彼老人程舵の取り難い人はないから貴所が共處を巧にやって呉僕倉藏がそっと出て來た。 どうか れるなら此方は又井下伯に賴んで十分の手順をする、何卒宜しく御「オイ倉藏、誰だな今怒鳴られて居るのは ? 」村長は私語いた。倉 賴みします。 藏は手を以て之を止めて、村長の耳の傍に口をつけて、 但し富岡老人に話されるには餘程よき機會を見て貰ひ度い、無暗 「お孃様が叱咜られて居るのだ。」 あなた に急ぐと却て失敗する、此の邊は貴所に於て決して遺漏はないと信 「エッお梅孃が」村長は眼を開瞳った。共筈で、梅子は殆ど富岡 これま・て 生ずるが、元來老先生と雖も人並の性情を有って居るから了解ること老人に從來一言たりとも叱咜れたことはない。梅子に對しては流石 まる・て 先は能く了解る人である。たゞ共資質に一點我慢強い所のある上に、 の老先生も全然子供のやうで、共父子の間の如何にも平穩にして愛 富維新の際妙な行きがかりから脇道〈それて遂に成るべき功名をも成情こまやかなるを見る時は富岡先生實に別人のやうだと誰しも思っ し得ず、同輩は侯伯たり後進は子男たり、自分は田舍の老先生たるをて居た位。 見、且っ思ふ毎に其性情は益々荒れて來て、其が慣ひ性となり遂に 「マア如何して ? 」村長は驚ろいて訊ねた。 は煮ても燒いても食〈ぬ人物となったのである、であるから老先生「如何してか知らんが今度東京から歸って來てからといふものは、 こっち さん をり それ ひねくれ ぬかり どう ふたり
「お前さんは日の出の盛な處を見て、元氣よく働らいたのは宜し敎育のない一個の百姓です。寧ろ其心ばせの眞率で無邪氣な處を思 4 い、これからは、其美くしい處を見て、美くしい働きをも爲るが可〈ば實に美しさを感するのです、僕は。 兎も角も此決心が定まるや、彼は更に五年の間眞黒になって働き からう。美しい事を。」 そして、遂に一の小學校を創立して、これを大島仁藏の一子大島伸 權蔵は暫く考がへて居たが、 一に獻じ、大島小學校と命名して老先生の紀念となし一切のことを 「それでは先づ如何な事を爲せば可ろしう御座いましよう。」と間 若先生伸一に任して了ったのです。 ひました。老人は目を閉ちたま、・、 以上は大島小學校の山來で御座います。けれども果して池上權蔵 「それはお前さんが考がへなければならん、お前さんの心で、これ は美くしいことだと思ふこと、日の出を見てあゝ美しいと思ふと同の志は學校を建てたばかりで、成就しましたらうか。 若し大島伸一先生を得なかったなら、此小學校も亦た、世間に有 じゃうな事ならば、何でも宜しい。お前さんは日の出を拜むだら りふれた者と大差なく終ったかも知れません。 然し伸一先生は老先生の驪はしき性情を享けて、史にこれを新し 「ヘイ拜みます。」 く磨き上げた人物として此小學校を監督し我々は第二の權蔵となっ 「それなら拜まれるほどのことをなさい。」 「及びもっかん事で御座ります、勿體ないことで御座ます。」と權て敎導されたのです、權蔵の志は最も完全に成就されました。 なつね 忘れもしません、僕が病氣で學校を休んで居ると、先生が訪て來 藏は平伏しました、 て 「イヤさうでない、お前さんは日の出の元氣を忘れましたか。」 「貴様は豪い人になるのだから、決して病氣位に負けてはならん病 と言はれて權藏は、「解りました、難有う存じます、」と言ったぎ 氣を負かしてやらなければ」と言って僕を勵げしたことがありま 、感泣して暫らくは頭を得上げまぜんでした。 まもり 大島仁蔵翁の死後、權蔵は一時、守本尊を失った體で、頗る鬱々す。伸一先生は決して此意味を舊式に言ったのではありません。 「爲すある人となれ」とは先生の訓言でした。人は碌々として死ぬ で居ましたが、それも少時で、忽ち元の元氣を恢復し、のみなら べきでない、カの限を盡して、英雄豪傑の士となるを本懷とせよと ず、以前に增て働き出しました。 鬱々で居たのは考がへて居たのです、彼は老人の最後の敎訓を暫は其倫理でした。 人は人以上の者になることは出來ない、然し人は人の能力の全部 時も忘れることが出來ないので、拜まれる程の美くしい事を爲るに を盡すべき義務を持て居る。此義務を盡せば則ち英雄である、これ は何を爲たら可からうと一心に考がへたのです。々しき朝日に向 を」や、つ って祈念を凝したこともあったのです。ふと、思ひ當った時には彼が先生の英雄經です。 そして老先生が權蔵に告げた・言葉、あれが共註解です、そしてに は思はず躍り上って喜んださうです。「自分は大島先生を拜んでも 尚ほ足りない程に思ふ、それならば大島先生のやうなことを爲れば蔵其人を以て先生は實物敎育の標本としたのです。 日の出を見ろとは、大島小學校の聖なる警語で、共堂々たる冲 其處で學校を建る決心が彼の心に湧たのです。諸君は彼の決心の天の勢と、其鮑くまで氣高かい精と、これが此警語の意味です。 むきたし 一日又一日と、全力を盡くして働く、これが其實行なのです。 餘り露骨で、單純なことを笑はれるかも知れませんが、しかし元來 ふさい
8 これが僕の初戀、そして最後の戀さ。僕の大澤と名のる理由も従 僕は斯う間ひ詰められて一寸文句に困ったが直ぐと「そんなら何 故先生は孟子を讀みます」と揚足を取って見た。先生もこれには少て了解たらう。 つまり ( 明治三十三年十月 ) し行詰ったので供は疊かけて「要之孟子の言った事は皆な惡いとい ふのではないでしよう、讀で益になることが澤山あるでしよう、僕 は其益になる處だけが好きといふのです、先生だって同じことてし よう。」と小賢しくも辯じつけた。 此時孫娘は再び老人の袖を引て歸宅を促した。老先生は静に起立 がりさま「お前そんな生意氣なことは言ふ者でない、益になる處と 男には思想上の貞操あれども、感情上の貞操なし。女には感情上 ならぬ處が少年の頭で分ると思ふか、今晩宅へお出で、色々話して の貞操あれども、思想上の貞操なし。男の共主義思想を變ずるは根 聞かすから」と言ひ捨て長孫娘と共に山を下りて了った。 僕が高慢な老人を凹寸したのか、老人から自分の高慢を凹まされ本より動かざる可からず、少なくも相當の時日と準備とを要す。之 たのか分らなくなったが、兎も角、少しは凹ましてやった積で宅にれ思想に對する貞操あればなり。されど、男に於ける好悪の念は容 歸り、この事を父に語った。すると父から非常に叱かられて、早速易に豹變す。初め些ッと好きな女も、時によりて嫌ひになることも あやま 今夜謝罪りに行けと命ぜられ長者を辱めたといふので懇々説論されあるべし。初め毛嫌ひせし女も、後には好きになることもあるべ し。之れ感情上の貞操なき所以なり。女は全く之れに反す。共思想 共晩、僕は大澤先生の宅を初めて訪ねたが、別に謝罪るほどの事は根本より來るものに非ずして、到底附燒刄たるに過ぎず。故に、 あした もなく、老先生は如何にも親切に色々な話をして聞かして、僕は何或る人の言に感動し、或る人の書物に心服すれば、朝の思想は直ち だか急に此老人が好になり、自分のお祖父さんのやうな氣がするやにタに變ず、之れ思想上の貞操なきなり。然れども女は、フハスト うになった。 ・インプレッションに於て嫌ひだと思ひたる男は、何時まで經ちて 共後僕は毎日のやうに老先生の宅を訪ねた。學校から歸へると直も嫌ひなり、好きになるは容易のことに非ず。好きだと思ひたる男 ぐに先生の宅へ駈けつける、老人と孫娘の愛子は何時も氣嫌よく僕は何處までも好きなり。縱し、後に共男の缺點を見るも、決して嫌 ひになるものには非す。新らしき空氣を呼吸し、新らしき敎育を受 を迎へて呉る。そして外から見るとは大違先生の家は陰氣どころか おどけ 甚た快活で、下男の太助は能く滑稽を言ふ面白い男、愛子は小學校けたる近代女子の感情は、純なる感情に非ずして、幾分の思想を加 せい にも行かぬ爲かして少しも人ずれのしない、何とも言へぬ奧ゆかし味す。故に其戀や複雜にして豹變し易し。熱烈なること火の如き眞 個の戀は純感情のみに生ける敎育なき女に之れを見る。 さのある可愛い少女、老先生と來たら全で人の善いお祖父さんたる ( 「病牀録一より ) に過ぎない。僕は一箇月も大澤の家へ通ふうち、今までの生意氣な 小賢かしい風が次第に失せて了った。 前に話した松の根で老人が書を見て居る間に、僕と愛子は丘の頂 の岩に腰をかけてタ日を見送った事も幾度だらう。 ゅふべ わけ
ノ 04 毎日酒ばかり飮んで居て、今まで御孃様にはあんなに優しかった老ぼろ / 、こぼすことがある。 斯な風で何時しか秋の半となった。細川繁は風邪を引いて居たの 先生が此二三日はちょっとしたことにも大きな聲をして怒鳴るやう にならしやったた、私も手の着けやうがないので困って居た處で御で四五日先生を訪ふことが出來なかったが熱も去ったので或夜七時 頃から出かけて行った。 座りますよ」さも情なささうに言って、 ひっそり 家内が畛らしくも寂然として居るので細川は少し不審に思ひっゝ 「あの様子では最早先が永くは有りますめえ、不吉なことを言ふや 座敷に通ると、先生の居間の次ぎの間に梅子が一人裁縫をして居 うちゃが : : : 」 しばた た。細川が入って來ても頭を上げないので、愈々訝かしく能く見る と倉藏は眼を瞬たいた。此時老先生の聲で、 わか あを 「倉藏 ! 倉藏 ! 」と呼ぶ聲が座敷の椽先でした。倉藏は言葉を早と蒼ざめた頬に涙が流れて居るのが洋燈の光にあり / 、と解る。校 びつくり 長は喫驚して、 めて、益々小さな聲で、 いくら きげん 「然し晩になると大概校長さんが來ますから共時だけは幾干か機嫌「お梅さん如何かしたのですか」と驚惶しく訊ねた。梅子は猶も頭 いくら が宜えだが校長さんも感心に如何なんと言はれても逆からはないでを垂れたま、運ばす針を凝視めて默って居る。此時次の間で、 おとなし 「誰だ ? 」と老先生が怒鳴った。 温和うして居るもんだから何時か老先生も少しは機嫌が可くなるだ 「私で御座います。細川で御座います。」 こっち 「此方へ入らんで何をして居るのか、用があるからちょっと來い ! 」 「倉藏 ! 倉藏は居らんか ! 」と又も老先生の太い聲が響いた。 「雎今」と校長が起たうとした時、梅子は急に細川の顔を見止げ 倉藏は目禮した大急ぎで庭の方へ廻はった。村長は腕を組ん ためいき た、そして涙がはらノ \ と共膝にこぼれた。ハッと思って細川は躊 て暫時考へて居たが歎息をして、自分の家へ引返した。 躇うたが、一言も發し得ない、止まることも出來ないで其儘先生の 居間に入った。何とも知れない一種の戰慄が身内に漲ぎって、坐っ まっさを た時には彼の顔は眞蒼になって居た。富岡老人は床に就いて居て其 村長は高山の依賴を言ひ出す機會の無いのに引きかへて校長細川 はなし 枕許に藥罎が置いてある。 繁は殆ど毎夜の如く富岡先生を訪うて十時過ぎ頃まで談話てゐる、 「オヤ何所かお悪う御座いますか」と細川は搾り出すやうな聲で漸 談話をすると言ふよりか寧ろ共愚痴やら惡ロやら氣焔やら自慢噺や らの的になって居る。先生は此頃になって酒を被ること益々甚だしっと言った。富岡老人一言も發しない、一間は寂として居る、細川 つま ことは く倉蔵の言った通り其言語が益々荒ら / \ しく其機嫌が愈々難かしは呼吸も塞るべく感じた。暫くすると、 おれ いったい ふるまひ おまへ 「細川 ! 貴公は乃公の所へ元來何をしに來るのだ、エ ? 」 くなって來た。殊に變ったのは梅子に對する擧動で、時によると 寢たまゝ富岡先生は人を壓しつけるやうな調聲、人を嘲るやうな 「馬鹿者 ! 死んで了へ、貴様の在るお蔭で乃公は死ぬことも出來 こわね んわ ! 」とまで怒鳴ることがある。然し梅子は能くこれに堪へて聲音で言った。細川は一語も發し得ない。 すなに 「エ、元來何をしに來るのだ ! 乃公の見舞に來るのか。娘の御機 愈々從順に介抱して居た。共處で倉藏が、 あんた 「お孃様、マア貴のやうな人は御座りませんぞ、様のやうな人嫌を取りに來るのか、エ ? 返事をせえ ! 」 校長は眼を閉り齒を喰ひしばったまゝ頭を垂れ兩の拳を膝に乘せ とは貴孃のことで御座りますぞ、感心だなア : : : 」と老の眼に涙を しばらく むづ ゃうら こん らんぶ あわたゞ てうし
8 9 富岡先生の何々塾から出て ( 無論小學校に通ひながら漢學を學 び ) 遂に大學まで卒業した者が共頃三名ある、此三名とも梅子壤は 乃公の者と自分で決定て居たらしいことは略世間でも嗅ぎつけて居 た事實で、これには誰も異議がなく、但し三人の中何人が遂に梅子 よそ 壤を連れて東京に歸り得るかと、他所ながら指を衄〈て見物して居 わか。当の る亠円年も少くはなかった。 法學士大津定二郎が歸省した。彼は三人の一人である。何峠から 以西、何川邊での、何町、何村、字何の何といふ處々の家の、種 種の雜談に一つ新しい興味ある間題が加はった。愈々大津の息子は 何公爵 0 舊領地とばかり、詳細」事は言はれな」、侯伯子男の新お梅さんを貰ひに歸「た 0 だらう、甘く行けば後 0 高山 0 文さんと 華族を澤山出した。けに、同じく維新 0 風雲」會しながらも妙な機長谷川 0 息子が失望するだらう、何に田舍で 0 そお梅さんは美人ち から雲梯をす一り落ちて、遂には男爵どころか縣知事 0 椅子一にもやが東京に行けば彼 0 位 0 女は澤山にありますから後 0 二人だ「て 有 0 き得ず、空しく故鄕に引込んで老朽ちんとする人物も少くなお梅さんばかりを狙うても居らんよ、など厄鬼となりて討論する婦 い、斯ういふ人物に限ぎって變物である、頭固である、片意地であ人連もあった。 ひとり 或日の夕暮、一人の若い品の佳い洋服の紳士が富岡先生の家の前 る、奪大である、富岡先生も其一人たるを失なはない。 かいわい に整止って、頻りと内の様子を窺ってはもち / \ して居たが遂に門 富岡先生、と言〈ば共界隈で知らぬ者のない許りでなく、恐らく 東京に住む侯伯子男の方 ~ の中にも「ウ , 彼奴か」と直ぐ御承知を人って玄關先に突立って、 「お賴みします , といふ聲さ〈少し顫〈て居たらしい。 どな の、そしてをひそめらる、者も隨分あるらしい程の知名な老人で 「誰か來たそ ! 」と怒鳴ったのは確に先生の聲である。 ある。 懊が靜に開いて現はれたのは梅子である。紳士の顏も梅子の顏も さて然らば先生は故鄕で何を爲て居たかといふに、親族が世話す 一時にさっと紅をさした。梅子はわづかに會釋して内に入った。 るといふのも拒んで、廣い田の中の一軒屋の、五間ばかりあるを、 何 ~ 塾と名け、近鄕 0 靑年七八名を集めて、漢學 0 敎授をして居「何だ、大津 0 定さんが來た ? ずん / 、お上りんなさ」と言 〈 ! , 先生の太い聲があり / 、と聞えた。大津は梅子の案内で久し そのかみ た、一人の末子を對手に一人の老に家事を任かして。 、りゃうよ むつな、つ 司、卩ち波が其昔漢學の素讀を授った室に通っ ぶりに富岡先生の居ド皀 , びとなっ 此一人の末子は梅子といふ未だ六七の頃から珍らしい容貌佳し た。無論大學に居た時分、一夏歸省した時も訪うた事はある。 はなし で、年頃になれば非常の美人になるだらうと衆人から球されて居た 老漢學者と新法學士との談話の糢様は大概次の如くであった。 娘であるが、果して共の通りで、年の行く毎に益々美しくなる、十 ヒの春も空しく過ぎて十八の夏の末、東京ならば學校の新學期の始「ヤア大津、歸省ったか。」 「兎も角法學士に成りました。」 まるも遠くはないといふ時分のこと、法學士大津定二郞が歸省し 富岡先生
違って居る。眞面目で、沈んで、のみならず何處かに悲哀の色が動偏屈の源因であるから、忽ち、亠円筋を立て長了って、的にして居た ふるまひ 貴所の擧動すらも疳癪の種となり、遂に自分で立てた目的を自分で いて居る。 た・、きこは 打壞して歸國って了はれたものと拙者は信ずる、然るに歸國って考 校長は慇懃に一座に禮をして、さてあらためて富岡老人に向ひ、 いかゞ へて見ると梅子壤の爲めに老人の描いて居た希望は殆ど空になって 「御病氣は如何で御座いますか。」 はっきり 了った。先生何が何やら解らなくなって了った。共所で疳は益々起 「如何も今度の病氣は爽快せん、」といふ聲さへ衰へて沈んで居る。 まこと る、自暴にはなる、酒量は急に增す、氣は益々狂ふ、眞に言ふも氣 「御大事になされませんと : ・ : 」 わしま - う いとまごひ の毒な淺間しい有様となられたのである、と拙者は信ずる。 「イヤ私も最早今度はお暇乞ちゃらう。」 あなた み 現に拙者が貴所の希望に就き先生を訪うた日などは、先生の梅子 「そんなことは ! 」細川は慰める積りで微笑を含んた。しかし老人 嬢を罵る大聲が門の外まで聞えた位で、拙者は機會悪しと見、引返 は眞面目で あの まうろく 「私も自分の死期の解らぬまでには老耄せん、兎ても長くはあるまへしたが、倉藏の話に依れば共頃先生は彼祕藏子なる彼温順なる梅 おまへ いと思ふ、其處で實は少し折入って貴公と相談したいことがあるの子壤をすら頭ごなしに叱飛ばして居たとのことである、以て先生の ぢゃ。」 様子を想像し玉はゞ貴所も意外の感あること、思ふ。 拙者ばかりでなく斯ういふ風であるから無論冨岡を訪ねる者は減 斯くて其夜は十時頃まで富岡老人の居間は折々話聲が聞え折々寂 多になかった、たゞ一人、御存知の細川繁氏のみは殆ど毎晩のやう と靜まり、又折々老人の咳拂が聞えた。 其翌日村長は長文の手紙を東京なる高山法學士の許に送った、其に訪ねて怒鳴られ乍らも慰さめて居たらしい。 然るに昨夕のこと、富岡老人近頃病床にある山を聞いたから見舞 文の意味はぎの如くである、 に出かけた、若し機會が可かったら貴所の一條を持出す積りで。老 御申越し以來一度も書面を出さなかったのは、富岡老人に一條を すっかり をり 人は成程床に就いて居たが、意外なのは暫く會はぬ中に全然元氣が 話すべき機會が無かったからである。 たり 先日の御手紙には富岡先生と富岡氏との二個の人が此老人の心中袞へたことである、元氣が衰へたと云ふよりか殆ど我が折れて了っ わかっ に戰かって居るとのお言葉が有った、實に其の通りで拙者も左様思 て貴所の所謂る富岡氏、極く世間並の物の能く邇曉た老人に爲って って居た、然るに恰度御手紙を頂いた時分以來は、所謂る富岡先生了ったことである、更に意外なのは拙者の訪間をひどく喜んで實は り、一一六時中富岡氏の顔出する時は全く無かったと 招びにやらうかと思って居た處だとのことである。それから段々話 の暴力益々つの して居るうちに老人は死後のことに就き色々と拙者に依託せられ 言って宜しい位、恐らく夢の中にも富岡先生は荒れ廻って居たゞら た、其様子が死期の遠からぬを知って居らるやうで拙者も思はす うと思はれる。 先 これには理由があるので、此秋の初に富岡老人の突然上京せられ涙を呑むだ位であった、共處で貴所の一條を持出すに又とない機會 さんあなた たるのは全く梅子孃を貴所に貰はす目算であったらしい、拙者は左と思ひ既に口を切らうとすると、意外も意外、老人の方から梅子孃の う鑑定して居る、所が富岡先生には「東京」が何より禁物なので、東ことを言ひ出した。共は斯うで、娘は細川繁に配する積りである、 京に往けば是非、江藤侯井下伯其他故郷の先輩の堂々たる有様を見細川からも望まれて居る、私も初めは進まなかったが考〈て見ると とうカ 娘の爲め細川の爲め至極良縁だと思ふ、何卒貴所共媒酌者になって 聞せぬわけにはいかぬ、富岡先生に取っては是れ部ち不平、頑固、 しん さん をり あて
せがれ 前に廣って居る。北風は。ヒュ / 、吹きすさんで、波濤は轟々と鳴り 「遲く起してお氣の毒じゃが、今、磯村善助様の子息と若い者とが にしかげ さかび 響く、星光低く垂る乂水天の界は初め遠くイ、して自分を引きこむ來て、先生様に直ぐ來て呉れといふのじゃが、行ってやりますか、」 ゃうに思はれたのが、ちっと見つめて居ると去第と近き來って果は と間はれて自分は何の事とも解らず、但し磯村善助といふは此の近 しらなみは おにひやくしゃう 眼前に迫り自分を壓倒するかと思はれた。間近に直立した白濤が一 鄕で第二流位の大農家なることは既に承知して居たのである。且 端から崩れて灰色の雲を卷きっ又矢の如く渚を走る。 っ彼の娘の十一になるおが尋常四年・の生徒である事も知て居た。 かたち 倒れては流れ、流れては起ち、相せめぎ、重り、亂れ狂ふ現象が 「お繁といふ娘をお知りで御座りますか」 若し少しの音も立てずば更に物すごかるべしなど思ひながら、ちっ 「うん知って居る、私が可愛がって居る子だ」 ござい と眺めて居ると、共刹那に自分は校舍で聞いたあらゆる音を忘れて 「それが今、死にかけて居るので御座ます」 了った。そして間近の渚から次第に遠く眼を移っして、四五丁の處「それは氣の毒た、一週間ばかり學校を休んで居たが、そうか ? 」 までゆくと、今まで全然眼に人らなかった異形のものを見出した。 「それで、先生様、先生様と藝語に申して居るので、親共が嘆きま ひやみ・つ おにき ぎは 同時に全身、冷水をあびた心地がした。すかし見ると猿ほどの大さ して、せめて死際に先生様に一目遇はしてやりたいと、それで今お おは と思はるゝが、波を退ひ、波に追れ、そして折り / ( 、躍り上がる。 迎ひに來たので御座ります。可憐さうだ ! 行っておやりなされま 自分は大急ぎで學校に歸り夜具を被って縮み上って居ると、疲れた ので何時の間にか眠って了った。 風邪で体んで居る位に思って居たのが、死にかけて居るとは自分 かわい も驚いた、色白の、丸顔の、眼の。ハチリとした可愛い娘。 「それは氣の毒だ、直ぐ行かう。」 きっと 晝の中は生徒を相手の忙しい身であるから何事も打忘れて居る 「先生様は必定行くから、私が連れて行くからと言ふて使者を還し が、夜になると兎角波の音が耳についてならない。そして例の如く ました。それではこれから直ぐ參じましよう。」 種々の空想に耽る、必ず彼の異形の者を思ひ出す。不快で堪らない そこで二人は出かけた。外は寒いこと / 、。濱に下る所から直線 けれど、まさか異形の者を見たと人に言って間ふ譯にもゆかない、 に砂山の土堤の内側を通する小徑を辿って十丁以上も行くと、右に 自分の妄想の作用かも知れないと、尚ほ人に聞くわけにゆかない。 折れて間もなく磯村の家へ着いた。 かま・ヘ その内一月も經ちて頃は二月の末であった。夜の十二時過ぎ、戸 初て來て見ると成程。可なりな構造である。馬鹿丁寧に迎へら を激しく叩いて、「先生様、先生様 ! 」と呼ぶ者がある。がばと跳れ、直ぐに一室に通されると、其處にお繁が寢て居る。八字髯を生 起きて、 した若い醫師、お繁の父母、其他に十七八歳とも覺しき娘、十四五 そうりゃう わかもの 「誰だ ? 」と怒嶋った。 の の男兒、二十一二の此家の長男らしい靑年など心配顔に居並んで居 せを、まっ 波「淸兵衞で御座ります。」 る。小使の淸兵衞も席末に列した。 ひっ 「何だ、今時分」と言ひながら寢衣の上にどてらを引かけて戸を開 「お繁や ! 先生様が來ましたよ。サア先生様が來ましたよう。」 5 けると、小使の淸兵衞爺さんが其處に直立って居る。 とおろ / 、聲で呼んだ。 こども 2 「何だ ? 」 小女は眼を開けて、自分を見て、ニッこり笑って、起き上らうと カらた あが いしゃ