武島君足下 ぜんがくごかうしやく 前額の御講釋、委細承知した、けれども江間はなか / \ 思ひきり さうにもないよ。自分では未だ前額の髮を握って居る氣で居るから 困る。これを放してなるものかと、蒼くなってカんで居る。 共處で實は君の言葉通り、お鶴さんは平氣で居ることを話した處 が、可哀さうに、「それは僕も無論信じて居る、彼女の愛はとうに さめて居た、」とロでは言ったが心では米だなか / 、さう思って居 ないらしい。「しかし君、妻は僕を愛しないでも僕は妻を愛するか ら離婚は出來ない、」と言って共聲は泣きだしさうであった。 君、其處は君の力だ、何とかお鶴さんを説いて見ないか、兎も角 大井君足下 も今一度歸さして呉れ給へ、さうすれば又江間御自身のカで脈を取 君も僕も此の間題の第三者である。 りかへす工夫もあるだらう。然し、僕は離婚の方が賛成であること 第三者といふ奴は冷靜なる判斷を下し得る者である。そして結婚を一言して置く。 とか離婚とかいふ感情の間題には第三者ほど大切なものはないの だ。と先づ君も僕もあきらめて取りか乂るより致方があるまい。 そこで先づ役割は僕がお鶴の代表者、君が江間君の代表者、代表 大井君足下 者といふ言葉は隱當でないが、今の場合、僕がお鶴の義兄であり、 今一度繰り返へすがお鶴の脈はあがったよ。昨日もこんなことを 君が江間君の朋友であって見れば先づそんなものと見て可からう。 言って居た、「今度結婚するなら極く優しい人が可い、わたしのや 由來叔父さんとか義兄さんとかいふ奴は妙な役廻りにはめられる者うな我儘者は勘辨の強い人でないと到底添ひとげられないから。」 つまり江間君は鮑きられたのだ。二度目の結婚のことを口に出す たんとうちよくにふ 單刀直入申上げるが、お鶴は脈があがったよ。だめだよ。此女のやうでは、再び江間君の許に歸れと言って見た處で無瓮な話。 きのふ 血管には最早愛とか戀とかといふ熱のある汁氣はちっとも流れて居 それでも昨日の夕方、椽側に立て何か頻りと考へて居るやうであ ないぞ。平氣の平三で居るぞ。君は第一に此事實を江間君に傅へ玉 った、見ると泣いて居たツけ。思ひたして悲しくなったのだらう。 つばき 然し思ひだした愛は、蒲燒の味を思ひだして口に唾液をわかす程の せん 三女といふしろものは例の「機會」と同じことで前額に髮のあるば ことで、今度喰ふ鰻は先の鰻ではない。 第かり、後頭には無い。一度あちらを向くともうだめだ。捕へやうと 僕も離婚説であることを一言して置く。 すれば益々逃げてゆく。江間君にさう言ひ玉へ、斷然離婚しろと。 四 3 0 2 第三者 武島君足下 はな
非凡なる凡人・ 悪魔・ 馬上の友 正直者 第三者・ 女難 春の鳥 一帽「卞 岡本の手帳 戀をする人 波の音 泣き笑ひ 暴風 竹の木戸 一一老人 土寸 一三ロ
3 ! 7 詩 自由の議起り、憲法制定となり、議會開せしめき。又た其のグレーの「チャー方 設となり、共間志士苦難の从況は却って ャード」の飜譯の如きは日本に珍らしき 詩歌共者の如くなりしと雖も、而も一編淸爽高潔なる情想を以ってして幾多の少 の詩現はれて當時火の如かりし自由の理年に吹き込みたり。斯くて文界の長老等 想を詠出し、永く民心の琴線に觸れしめ が思ひもかけぬ感化を此小册子が全國の たる者あらず。「自由」は歐洲に在りて 少年に及ぼしたる事は、當時一少年なり 詩人の熱血なりき。日本に移植されては し余の如き者ならでは知り難き現象なり 唯だ劇場に於ける壯士演説となり得しの とす。夫れ斯くの如くなりしと雖も來 み。斯くて自山黨は共血を枯らし、共心文學界は新體詩なる者を決して歡迎せざ を失ひ、今や議會に在りてすら淸歌高明 りき。これは皆世人の知る處。文界今尚 なる自由の理想は見る能はざるなり。 ほ新體詩を眼中に人れざる輩少なからざ 基督敎を始め、歐洲の人心を鼓舞激勵 るを以って知るべし。 しつゝある雄大の理想、早く已に吾國に されど時は來れり、西南の亂を寢物語 入り來りて而も日本には、これが熱情を に聞きし小兒も今は堂々たる丈夫とな 享け得る程の詩歌を缺きしため我國の新 り。共の衣兜の右にミルトンあり、左に ふところさいぎゃう 文明は物質的偏長の弊に陷り、世を擧げ 杜甫あり、懷に西行を入れて、秋高き をんばくころう かみしも 余も亦歐詩を決みし者の一人なり。明 て雎物主義の淺薄固陋に走り、宗教は卑日、父が上下着て登城したる封建の城、 ったかつら 治の世に人となり、例へば・ハイロンを讀下せられ、徒らに電燈のみ輝きて國民靈 今は蔦葛繁れる發墟の間を徘徊する又た み、テニソンを讀み、シルレルを讀める性の殿は暗夜の如し。日本に詩歌の發珍しからぬ事となりぬ。而して冷評され 者にして、其情想、衷に激すれども、こ逹ぜる形式なかりしは、新日本の文明を っ長も今日まで雜誌類に現はれし新體詩 れを詠出するに自在の詩體吾國に無きを 跛足ならしめし大原因の一なりと余は信 は、何時しか世人の眼に慣れて共詩形も 憾むる者世間必す共人多かるべしと信ず。 最早奇異ならぬ者となりぬ。 ず、余も亦共一人なりき。 斯る時、井上外山兩博士等の主唱編輯 斯くて時は來れり。新體詩は兎にも角 こんりふ 新日本の建立さる長に當りて全く缺乏 にか、る「新體詩抄」出づ。嘲笑は四方にも、新日本の靑年輩が共燃ゆる如き情 せる者は詩歌なりとす。開國以來海外の より起りき。而も此覺束なき小册子は草想を洩らすに唯一の詩體として用ゐらる すなは 新思想は潮の如く侵入し來り、我國文明 間をくゞりて流るゝ水の如く、何時の司 可き時は徐ろに熟したり。乃ち「靑年 かうむ の性質著しく變化を被りしと雖も、遂に にか山村の校舍に寸で普及し「われは官 文」てふ雜誌に、新體詩の特に盛んなる 一詩歌現はれて此際の情想を詠じ以っ軍わが敵は」てふ沒趣味の軍歌すら到る は敢て不思議の事にもあらず。 て、吾人の記憶に存せしめたる者なし。 處の小學校生徒をして足並み揃へて高唱 是に於てか余は新體詩が今後我國の文 獨歩吟 詩 うち いへど こんにち ぢゃうふ
余は永久に鶴子を愛す、我が心は鏞時も鶴子を忘る能はざる ど敵同志のやうに狙ひ合って居たらしい。敵ならば却って忘却する 也。鶴子は最早戀の墓か、然らば余は共中に埋れん。 8 時もある、なまじに愛てふ魔力に捕へられて居るだけ、互に互を忘 諸君にして若し余に鶴子を思ひ切れと言ふならば、これ余に死を れることが出來ないで、二六時中、二人の間題は共一人で有ったら よといふことを勸むる也。而て余の今の苦惱は死の更に平易なる しい。この如くして夫婦の間が平和に行く道理があらうか。 ほどまでに深きを知らざる也、思ひもそめぬなり。 彼等の不幸は彼等二人の愛の如何ではなく、二人とも愛を現はす 方法を誤ったのである、そして方法を誤らしめたものは彼等の性質云々と未だ色々のことが書いてあった、然り我々は第一二者である、 くるしみ である。 なんで江間君の苦惱のそれほどまでに深いといふことを知らうぞ、 たうてい であるから君、到底此二人は一絡になった處で決して幸篇ではな否、知っては居る、しかし知るといふことゝ感するといふことは全 く別だ、醫者は病人の苦痛を知って居る、しかし感じはしない、た い。お鶴は今にして初めて之を感じて來た。だからとても再び江間 君に歸らう筈がない・江間君はお鶴の愛よりも更に深い愛を持て居だ藥を投じて共熱のさめゆくを待つばかりである。武島君足下、我 るだけ、却ってお鶴ほど冷やかに此結果を見ることが出來ないので我の病人はまだ容易に熱がさめさうにもない。 しまい ある。 彼の母及び姉妹は此病人を見てひとかたならぬ心痛をして居る、 然し母も姉妹もお鶴さんには何等の奪敬を拂って居ない、寧ろ少な 見物大賛成、しばらく君も見て居たまへ、江間君も其うちには冷 えるから。えればお鶴と同じ心持になって來るから。 からぬ惡感を持て居るといふものは、要するにお鶴さんの人格間題 に歸着するので、もつけの幸だから離婚しろといふのが我が病人の まはり 周圍の輿論らしい。第三者の中でもこのやうな第三者は少し熱のあ る奴で由來當局者の苦痛のお手傅をするばかりのもの、甚だ始末の 武島君足下 我々は見物して居る積りで居たが當局者は成程第三者よりも熱心困るしろものだ。 ずゐひっ である。江間から次のやうな手紙とも隨筆とも知れぬものを送って 七 來たから參考の爲め御覽に入れることにした。 大井君足下 鶴子今は余を愛せずなりたり然し曾ては余を愛したるなり。余は 江間君の書はなるほど戀の苦惱を目白して申分なき出來である、 曾て鶴子を愛し而て今日も愛す、 かれ 實に愛す彼女は余を捨てゝ走りぬ、されど共事の爲に余の愛は加僕もこれを讀んで至極同情に堪へなかった。しかし由來同情といふ わうら せうちん ふるとも減ぜず、激揚するとも銷沈せず。 難有さうに聞えるしろものは左程價値はないので、到底本人が感ず る百分一も感ずるものではない、實は人間の組織がさういふ風に出 余自身と雖も、余の愛着の念のかくまでに深かりしを知らざりし。 彼女の余を見捨てたる今日、寒風一陣、心頭に吹き入りて、めぐ 來て居るのだから如何とも致方がない、つまり第三者或は第二者が 到底思ひもそめぬ苦惱に沈んだのが御本人の不幸とあきらめる外は り轉じて我を惱ます、此苦惱の堪へ難きことよ。 嗚呼戀てふもの乂苦しきかな。冷めし戀の夢を逐ふ苦、何にか譬ない、そのかはり御本人は又到底他の者の感じ得ないおたのしみを 感じて、折ふし他の者にも共百分一を同感せしめたから、つまり決算 とこしへ
イ 20 表された短篇である。ともに佐々城信子との戀愛とその破局という 作者自身の體驗に根ざしている點では共通しながら、作品の出來ば えとしては、ほとんど比蛟を絶している。勝本淸一郎のいわゆる 「現實味」という點で、同一作者とも思えぬくらい「第三者」の方 がすぐれている。「鎌倉夫人」は別れた妻と鎌倉の滑川で再會する 男の話である。彼らは六年前に「所謂聖なる」戀愛結婚をした仲 平野謙 だった。しかし、半年もたっかたたぬうちに、女は男をすてさった のである。戀が醒め、男が鼻につきだしたからだ。その後、女は男 「座談會明治文學史』のなかで、勝本淸一郞は語っている、「『源叔から男へとわたりあるくようになった。そういう女と六年後に偶然 父』以下、獨歩の初期の作品はロマンチックでしよう。次にそこへ再會する話だから、設定としてはたしかに劇的といってもいいだろ やや現實味が入ってきて、もっと充實した作品の時代があると思う う。しかし、「ハイカフ毒婦」と世間で取沙汰される女のことを、 のですよ。『酒中日記』とか『運命論者』とか『正直者』とか『女男が「所謂本能滿足主義の勇者 ( チャンピオン ) 」と斷案をくだすだけ 難』あたりを私は買うのです。とくに僕は『正直者』を、むしろ諭 で話はおわってしまう。もっとも男がそう結論づけるについては、 いろ 酷に突っ離して描き得たものとして、高く買うのですが、とにかく 「戀と夫婦の愛と情」とは別々のものだという考えがある。「戀の深 いろこ 「酒中日記』でも『運命論者』でも『女難』でも『正直者』でも明くして哀しきよりも、情の艶くして樂しきを好み、そして遂に夫婦 冶三十五、六年ですね。その時代を最も買うのです。 ( 中略 ) 明治四 の愛の淡くして淸く、哀樂兼ね備」わる味わいを悟るところのない いう 十年四月の破産以後に書いた『疲勞』とか『窮死』とか『二老人』女は、情の花やかさだけを男から男へと求めるしかない、というの とか『竹の木戸』とか、だけどこれらは獨歩の作品としては、『秋 が男の結論である。一般論として、この結論が一應安當だとして の入日』という詩の『要するに悉、逝けるなり』という第一句に思 も、そういう結論を導きだすために、「鎌倉夫人」一篇が書かれた 想の切斷面がキラリとしているぐらいのもので、みな油っ氣がなく とすれば、小説としてはつまらない。事實、「鎌倉夫人」は獨歩の なってしまっています。この期の傾向は別の人がそれを受け繼いで 作としてはキラリと光るところのない凡作に屬する。だが、私が注 發展させますよ。獨歩自身の作品としては油っ氣がなくなって、解目したいと思ったのは、それが駄作か秀作かということよりも、こ 體しかけたものとして、というふうに僕は見ています」と。私はこ の作を思いたった作者のモティーフに、一種の俗念がかくされてあ るということだ。「ハイカフ毒婦」とか「本能滿足主義の勇者」と の椦本淸一郎の言葉にほぼ賛成である。今度この解説を書くため に、ひさしぶりに獨歩の全小説をよみなおしてみたが、大體の結論 かときめつけることによって、現實のモデルを傷つけたい一種の報 としては、椦本淸一郎の發言に同感した。以下の解論は、勝本の發復心みたいなものが、作者の内心にはかくされている。無論、この 言を私流に書きなおす以上を出ないだろう。 報復心は作者のたちがたい未練のなせる業だろうが、一篇の作品と 「鎌倉夫人」という作品があり、「第三者」という作品がある。前してみた場合、作柄を小さくし、つまらなくさせていることは爭え 者は明治三十五年十月に、後者は翌明治三十六年十月にそれぞれ發ない。たとえば、戀愛なり倩事なりを「淡くして淸く、哀樂兼ね備」 乍品解毳
戦を宣告したる上は、書に向っては書を征服し、人に向っては人 を征服し、事業に向っては事業を征服するまでは止む可からず。 何物、何事、何人に對しても討死の覺悟を以て戰ふ可し。死する とも勝つの覺悟あれ。 以上は吾が始めて心から決定したる立身の法なり。 信子を救ふの精訷を以て信子を愛すべし。 決して信子より受くるの念を抱かざるべし。 天地と人界、吾今にして漸く、天地の外、人界あるを知り、人界 の外、天地あるを知らむとす。われ、天地の間に介立し、われま た人界の裡に處身す。 天地と人界と吾と、共のうちに限りなき飾祕を藏す。宗敎の眞理 とは此の三者の調和なり。而してわれ未だ祁の信仰薄弱なるが故 に、此の大調和あらず。 嗚呼此の不思議なる天地に對して、われ吾が心靈を認めざるを得 ず、而かも人界に在りては常の肉の慾望に苦まんとす。 目さむるごとに共の身を天地の間に見出す者は幸なる哉。されど われは忽然睡眠よりさむる時、氷の如く響き來るものは人界の雜 響にして、身は忽ちまた紛々たる慾望、主我競爭の中に技げ込ま れ、あよ復終日鞭を聞かざるを得ざるかと感ず。 嗚呼、不思議なる天地に於ける不思議の人界。 哲人、詩聖、預言者は自己を以て天地と人界の不思議を調和せん と試みたり。自己を天地の間、人界の中央に見出したり。地の豪 傑は人界に於て勝利を誇りぬ。されど、遂に自己を此の不思議な の る る天地其の者の間に認め得ざりき。其の眼は人界の太陽を顴て遂 に天地の太陽をみざりき。哲人は稍もすれば人界に於て最小の 欺 者なりき。 礙われ人界に於て人界的願望の逹し難きを感じて、悵然として立っ 3 時、忽然頭上の月を瞻仰し、忽然吾が身體の永劫不朽なる天地に ラロ 存するを感じ來れば一種限りなき悲哀のうち、一種言ふ可らざる 自田を感ず。此の自由は飮んで盡くる事なき希望の泉を豫想せし む。 人は曰く、天地の間に在りては人間の渺乎たる一小粟の如きを感 ずと。吾に在りては然らず。われは人界に在りては殘念乍ら、い と小き米だ何等自得の偉大を感じ得ず、自然一身の孤立を覺ゆれ ども、眼を轉じて天地に對する時、實に心靈の底より聲あり。わ れは無窮の天地に實存すと。 十一月 三日天長節、日曜日、雨天。 來訪者、今井忠治、富永徳磨兩氏。 昨日來訪者、丹野直信。 一昨日來訪者、萱場三郞。 三十一日、信子嬢來宅在。此の夜よき孃來宅。 信孃の消息を見舞ふ。泣く。 丹野氏の來訪は信子に關して相談する處ありしなり。 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 西國立志編を讀みつよあり。 ①佐々城の親戚。 囘十月二十七日國木田家は麹町隼町に轉居す。 八日。 今朝德富氏を訪ひ、左の書を得たり。 一、信子等謝罪書に由り豫て御申人に相成候結婚之儀は識認致候 事。 一、同人等少なくとも一兩年間は府下を立退き候様御談被下度候 也。 一、父母弟妹間の音信並面會は拒絶致し候事。右本人等に御談被 下度候也。 佐々城豐壽
「小さくても刺されても僕は逃げた魚を望む。」 あいに 「生憎くと先方では命を拾った積りでうれしさうに游ぎ廻って居る だらう。」 大井君足下 「酷いこと言ふ、」と先生大しょげにしょげて默ってったから僕 來たよ手紙が。長々しく書いてあったが要するにお鶴に逢して呉 いくらか も氣の毒になり、君のお鶴さんの人物評を讀ませてやったら多少思 ろといふ意味。 ゅふ・ヘ ひっくだらうかと、君から來た昨夕の手紙を見せた。 逢はすことは決して雙方の爲でないから僕は何處までも第三者の ほいしまったと思ったが後のお祭、江間は熱心に讀んで、讀み終 酷 ( 江間君の所謂る ) を守って居ゃうかと思ったが、それでもお ると暫く目をふさいで居たが、 鶴はどういふかと試に間ふて見た。 「なるほど第一二者といふ者は冷酷な者だ、」と言って長嘆息を發す「兄さんは孰ちが可いと思って ? 」と聞くから、 るから、 「逢はん方が可いと思ふ、逢って見て話の様子で歸っても可いと思 をかし 「可笑なことを言ふね、」と聞くと、 ふのかね。」 「お鶴の人物は武島君の評する通りかも知れない、それはどうでも 「歸る氣は少しもないけれど、それで如何な顔をして居るかと思っ 宜しい。しかし何も強ひてお鶴をして僕を思ひ出さ、ないやうに爲て逢って見たいわ。」 なくても可いじゃないか。僕の書いたことが武島君にも氣の毒に取 「そんなことなら逢はん方が可い。」 れるならお鶴に見せて呉れたって可いじゃないか、君等はお鶴が諭 「さう、じやア逢ひますまいよ。」 えた / 、といふけれど實は君等も手傅って冷えさして居るのだ。宜 見給へ、女といふものは先、つこれだ。其處で僕は斷然、逢った處 しい最早賴寸ない、僕は直接にお鶴と話す、僕の口からお鶴に向て で無益だ、却て君の面を汚すばかりと答へてやった ) 僕の苦痛を訴へる。」 兎も角、君様子を見に行って呉れ給へな。實に氣の毒なものた。 「逢ひたいといふのかね、逃げた女房に。」 「何でも宜ろしい、僕は第一二者に一任するわけにいかない。君等が 僕の將來を慮って思ひきれといふのは感謝する、しかし必ずしも愛 武島君足下 の冷却しない僕の妻をして益々冷却せしめようとするのは實に慘酷 江間が行ったらう。僕は君の手紙を見るや、其夜出かけて見ると もう だ、僕は武島君に手紙をやってお鶴に逢はして貰はう。」 先生最早出立った後サ。驚いて母なる人に尋ねると、何でも君の手 者「それは君の隨意だ、しかし多分お鶴さんは君に逢ふまいよ、」と 紙は見たらしい。然し彼は母に、一寸逗子まで行って來ると言っ 三僕は餘り馬鹿々々しいから刔ぐってやった。 て、止めるのも聞かないで出立ったさうな。 第「そんなことは無い、僕はきっと逢ふ、」と言ひ放って先生歸って 一足違ひで江間の男を十割下げさしてしまった。然し僕もまさか しまった。多分先生からも手紙が行くだらう、このことに就いては に君が止めるのを、押切って出かけるとは思はなかった。 8 僕何とも言はない、一に君の處置にまかせる。 2 そして僕は見物の方に廻らう。 ひど どっ 九
昨日の聖餐式も余の苦しめる心には何の力もなきぞ悲しき。余は 6 人にも神にも見はなされし一個の空影子に過ぎざるか。 此の日苦し。此の生命苦し。信子信子、御身は樂しきか。樂しき 御身ぞ羨ましきの至りなる。 御身今何の苦惱もなくば余には益よ苦惱あり。御身羨ましき至 されど今日となりては御身にも多少の苦惱あるべきを信 ) するな り。或は否か。御身樂しきか。御身若し樂しく此の日を送りつ 居らんか。此の日は悪嚴の日なり。此の日は咀ふべきの日なり。 御身の樂は咀はる可きの樂なり。其の樂を享有する御身の心は毒 血の池なり。聖き高き深き戀愛の血を自から吸ひからしたる也。 御身は自から知らずして一個の最愛せし靑年を暗殺したる也。 余は彼の女に暗殺されて死す可きか。 否。彼の女暗殺せんとするも、余は自から生きざる可からず。さ れど彼の女なくして余は自から生くる能はざるを如何せん。 余は到底苦惱の兒なり。 信子、信子。來って此の苦惱するわれを救はざるか。 御身は何故に過ぎし日に於て斯くまでに余を愛したるぞ。余はま た何故に御身を斯くまでに戀ふるぞ。 吾等が戀愛は咀はれし也。 0 0 0 0 溿のみち、溿の愛。 これを求むることのみぞ余が今の最後の呼吸なれ。 余は必ず亞米利加にゆかざる可からず。 亞米利加數年の生活と修練と苦學とは必ず一個、強健にして熱 心、温良にして勤勉なる靑年者を日本に送り回へさん。 余は必ず亞米利加にゆかざる可からず。 0 0 0 禪は使徒の命をわれに下し給ふ。此の下劣なる日本を救はんが爲 めに、余の苦惱、これ攝理のみ。 余は苦惱のうちに在り。されど植村正久、内村鑑三、宮崎八百 吉、富永德磨、今井忠治君等の諸友ありて余が精禪を鼓舞し、奬 勵し、慰藉しつあり。此の點に於て余は幸輻なり。余は此の度 の經驗に依って感情を高め、智識を加へ、品性を養ふを得んとす。 されど此の際彼の女を思へば如何。 彼の女に眞の朋友ありや。絶無なり。眞の敎帥ありや。絶無な り。眞の慰藉ありや。絶無なり。彼の女の朋友たり慰藉たるべき 筈の星良子孃は却て余の朋友となり慰藉者となれり。 彼の女の母は一個の高慢にして、無學、虚榮を好み、人間を知ら ず、禪を知らざる壓制家たるのみ。彼の女の父は温和なる人なれ ども、下品なる人なり。彼の女は今や此の父母に歸りたる也。何 者か彼の女を導きて高尚なる生活に到らしむる者ぞ。何者か彼の 女を敎へて眞にヒュ 1 マニティを解せしむる者ぞ。何者か眞に彼 の女の靈魂の爲めに憂ふるぞ。彼の女は獨立して獨行すと自信し 居るべし。されどこれ彼の女の不幸なり。彼の女は野心多き割合 には德性足らざる也。 彼の女の前途、遂に如何あるべき。 彼の女だに辭せすんば、余は今にても直ちに彼の女の慰藉者、敎 導者、眞友たらん。妻と呼ぶ能はざるを必ずしも悔ます。 彼の女若し余を目して眞友とたのみ得るならば、眞に彼の女の幸 輻なる也。されど今日の場合にては彼の女の心ひがみ、昨日の愛 倩すら冷却し、一個高慢なる野心家の卵となりはてしならむ。 余は如何にして彼の女を救ふ可きぞ。余は必す彼の女を救はざる 可からざる也。これ余の義務なり。 余は彼の女に與ふるに靜隱平和の家庭を以てせんと欲しぬ。 五ヶ月の閑居、余に取りては如何に幸輻たりしぞ。されど何ぞ知
364 吾が椦っ可きの敵は何ぞと吾反省せり。 曰く無學、これなり。曰く忍耐の足らざる事是なり。 自ら思ふ。信仰は最初なり。信仰の最初は自然を自然として其の 不思議中に吾を不可思議のものとして見出す事なり 人間社會を見る前に天地を見る事なり。人を見る前にを見る事 なり事業を見る前に信仰を見る事なり。先づ吾が血に消えざる火 を加ふる事なり。 これは頓悟にて來るものに非ず。絶えざる祈疇と沈思と、自然と の交通とに由りて次第に來る者ならざる可らず。時を以て着たる 世界の衣服は時を以ての外、感情一事にて脱す可くもあらざる 也。これ吾が近來の見る所。 五日。 午前六時、床を出でぬ。午前五時が規定なれども、兎角朝は眠た きものなり。されど遂には五時曉起の習慣を養ひ得ずんば止まざ る可し。夜は九時半に業を止め、われは直ちに屋外に出で去りて 或は海濱に或は「あぶずり」の岸上に散歩を試むる、其のひまに 細君室を淸め床を敷き、禮拜の用意して待つ。散歩より歸りて直 ちに禮拜をはじむ。禮拜は、朝は讃美歌一編を高唱し聖書一章を 朗讀して其の中より簡單なる感話をなし而して後祈疇し、以て會 を閉づ。夜は、讃美歌一編を歌ひ祈禧して止む。これ毎朝毎夜の 例なり。 われ思ふ。自然は愛する者に負かずとは眞理なり。其の意味は深 し、自然は之を弄する者に其の靈光を示さず、とは此の語に對す る反語となすを得ん。世人は弄するを以て愛するとなす。弄して 而して自然よりの感化を得たりとなす。われは所謂其の感化なる ものに疑なき能はざるなり。何者を愛するにも愛は多少の忍耐を 要す。愛とは吾が靈の働きなり。然るに人は肉的感情に支配せら れ易し、故に眞に愛せんと思はゴ、此の肉的感情に克たざる可ら ず。これ愛は多少の忍耐を要すと云ふ所以なり。世人所謂自然を 愛するもの、肉的感情を以て自然に對するに非ざるか。これ愛す るに非ずして弄する也。自然に狎るよなり。其の行は一種の道樂 に非ずして何ぞ。自然は道樂者と聖の交通結ぶ事を爲すべきか。 われ之を信ずる能はず。 月を見る、寒夜水邊に立つの苦を忍ばざる可らず。深夜山路をた どる事も辭す可らず。俄然床をぬけ出で 1 よもすがら池をめぐる 事も忍ばざる可らず。月に浮かる者は月を愛する所以に非ざる なり。 かく言へばとて彼の詩人必ずしも忍耐以て自然に接したりとは言 はざるなり。彼等は已に自然の愛を得たり。誰れか愛する者の前 に出づるに忍ぶことをなさん。『自然は彼の女を愛するものに負 かず』とは彼詩人にして始めて道破し得る妙句なるなり。未だ自 然よりの愛を感じたることなきもの決して此の言をなす能はす。 而して自然を弄するもの決して自然よりの愛を得べきに非ず。 自然の限りなき力、其のあふるよ美光。これに對する、先づ嚴肅 にして忍耐なるべし。 然らば、自然は自から共の靈相を示し來りて彼と宗敎的交通をな すに至るべし。所謂自然の感化なるものは何ぞ。宗敎的交通なく して感化なるものありとせば。そは酒精のしばらく人を惑はした るが如きのみ。道樂者もまた此の感化を受けむ。 フランクリンは宗敎的直感を有せず。常識的推理と世間的剛勇と 商估的計算と市民的道德とを有する人なり。宗敎的天才を以て世 を淸め人の血を熱することは其の能に非ず。彼は市人の大模範な 風雨極めて荒し。海鳴ること高し。 久しぶりに一日を怠慢に送りぬ。甚だしきひが事なり。剛勇の足 らざるより致す處なり。に祈りて悔ひ悛むべし。 一生再びなし。一日又一日、生命の眞意如何。永生を信ずるは希
427 わる夫婦愛に切りかえる責任は、女性だけがこれを負うものでは女性などのもっとも難解とするものにちがいない。俗世の人々から 輕侮されかねないこの生そのものに根ざす哀感のなかに、人ならび ない。むしろ、男性の主導權こそ重要だが、そのことを作者は全然 に藝術家としての獨歩の本質がある。それは「鎌倉夫人」と「第三 みていない。特定の男と特定の女との結びつき、組みあわせこそが 者」とを比較して、そこに作者の成長なり圓熟なりを眺めようとす 小説のかわらぬ主題なのに、俗念に足をとられた作者は、その人間 る視點などより、すこしばかり重要な間題だと思う。 關係をみようとしない。しかし、私はここで「鎌倉夫人」をいわば 本卷には收録できなかったが、「の子」という小品がある。高 文藝時評ふうに貶めるために、こんなことを書くのではない。反對 に、「第三者」がそういう特定の男女の組みあわせをできるだけ客名な「邇命論者」と同じく、明治三十五年十二月に發表されたもの で、作柄からいえば、無論、「運命論者」などとは比校にならぬ小 観的にうかびあがらせようとしていることを強調したいために、書 さな作にすぎない。しかし、そこに扱われた生死の間題と、それに いたまでである。この相異に、私は注目したいと思う。 まつわる獨歩獨得の哀感とは、やはりオリジナルなものをふくんで 「第三者」は題名どおり、不幸な夫婦關係を第三者の立場からでき わたくし るたけ冷靜にうかばせようとした作である。そこには「彼等の不幸いる。「又或時です、小子は友の家から途を急いで町を行くと、秋 は彼等二人の愛の如何ではなく、二人とも愛を現はす方法を誤ったの日は西に傾いて斜にその鮓かな光を家並に投げ、町をゆく人々の 影長く地に這うて居ました。子供は群で遊び飴賣の太鼓は虚空に響 のである、そして方法を誤らしめたものは彼等の性質である」とか 「性格の衝突は本人ですら如何とも爲難い、況んや他人の忠告位でき渡り、道普請の男は鶴嘴を振って居ます。私は此間を何心なく歩 納まるのではない」とかの章句がよまれる。そういう男女の「性いて居ましたが、思はず我を顧みて、我も亦た此生を此天地に享 格の衝突」を描いて、「第三者」は一篇の作品としてほぼ成功してけ、消えてゆく此世の一片として此悠久にして不思議なる宇宙に生 きて居る魂そといふ感に打たれたのです」と書かれてある一節など いる。しかし、ここでも作品の出來ばえよりも、こじれ、ねじくれた この一組の男女が、第三者の豫想を裏切って、突如として心中するは、すこしでも獨歩の作品に親しんだものなら、なじみふかい發想 にすぎないともいえるが、やはりそういう「今更我生存の嚴然とし にいたる結末に、私は注目したいと思う。「僕は此哀れなる男女が、 あの斷崖の上に立ち月色茫々たる相模灘を望んで、共薄命なる肉體て動かすべからざる事實に感じ、無窮の天地に介在する此生の孤な るを感じて、思はす岸に伏して聲を放って泣いた」という一種汎溿 を冷酷なる自然に還し、共刹那に燃え上った愛情を永久に保たんこ 論的な哀感なり哀愁なりに、獨歩その人の本質と獨創があるのた。 とを願ひ、相抱いて泣いた光景をあり / 、と想像することが出來 る」という結びは、それまでできるだけ客觀的に描こうとした作者「忘れえぬ人々」のような作品が私どもにふかい印象を與えるのも、 そういう獨歩獨得の發想の根にうごかされるからである。その哀感 設の筆の運びからすれば、たしかに「餘りに小説じみて」いる。ここ が自然照にむかえば、名作「武藏野」となり、秀作「空知川の岸 解には客觀的から主欟的に飛躍した作者の願望が、あまりにあらわで 邊」となるのである。この哀感を、獨歩はワーズワースからまなん 作ある。それはやはり作者のたちがたい未練の變貌でもあるだろう。 だか、ツルゲネ 1 フからまなんだか、あるいは獨歩生得のものなの しかし、私は「鎌倉夫人」の場合とちがって、この種の未練を嘉し か、私は知らぬ。しかし、くりかえしていえば、こういう哀感は、 としたい。この希求こそいわば獨歩の本質であり、一見センチメン タルにみえかねぬこの希求にこめられた哀感こそ、いわば現世的な地上的、現世的な女性などのあずかり知らぬものである。「汽車の