たれ ゃうに何ものかを探し廻って、もう馴っこた。さうして、かくれんぼの息をひそめて、 かといふ恐ろしい疑に罹って、酒桶のかげ がた になって畛らしくもない自分たちの潟くさ 仲のいい女の兒と、あの隅の壁の方に、肩の蒼じろいのうへに素足をつけ、明るい い海の方へは歸らうとも思はなんだ。 を小さくして、探し手を待ってゐる間に、 晝の日を寂しい倉の隅に坐った。その恐ろ あひる かういふ次第で、私は小さい時から、山の しばしば埋もれた驚の卵を見つけ出し、さ しい謎を投げたのは、氣狂のおみかの婆で むなぎ にほひに親しむことが出來た。私はその中うして、棟木のかげからぬるぬると匍ひ下ある。温かい五月の、苺の花が険くころ、 で初めて松脂のにほひを嗅ぎ、ゐもりの赤る靑大將の、あの妻い皮肉な晝の眼つきを樂しく樂しく靑い硝子を碎いて、凧の絲の チャン い腹を知った。さうして玉蟲と斑猫と毒茸恐れた。 鏡い上にも鋧いやうに瀝亠円の製造に餘念も : いろいろの草木、昆蟲、禽獸から 日の中は、かうしてうやむやに過ぎても なかった時、彼女は恐ろしさうに入って來 放散する特殊のかをりを、凡て驚異の觸感ゆくが、夜が來て、酒倉の暗い中から、酖 た。さうして顫へてゐる私に、 Tonka John かい あんた を以て嗅いで廻った。かかる場合に私の五すり歌の櫂の音がしんみりと調子をそろ〈汝のお母んは眞實なお母んかん、返事せん 官はいかに新しい喜悅に顫へたであらう。 て、靜かな空の闇に消えてゆく時分になれ の、證據があるなら出して見んのーー私は きれ をさなご それは恰度薄い紗に冷たいアルコールを浸ば、赤い三日月の差し入る幼兒の寢部屋の 靑くなった。さうして駈けて母のふところ い考、、もとり・ して身體の一部を拭いたあとのやうに、山窓に靑い眼をした生膽取の「時」がくる。 に抱きついたものの、また恐ろしくなって の空氣は常に爽やかな幼年時代の官感を刺 私は「夜」といふものが怖かった。何故逃げるやうに父のふところ〈行った。恰度 とりて 激せずには措かなかった。 こんな明るい晝のあとから「夜」といふ厭何かで不機嫌だった父は金庫の把手をひね ロッキュ 南關の春祭はまた六騎の街に育った羅曼な恐ろしいものが見えるか。私は疑った。 チック りながら鍵の孔に鍵をキリキリと入れて、 あふりた ひし 的な幼兒をして、山に對する好奇心を煽て さうして、乳母の胸に犇と抱きついては、 ジロッとその兒を振りかへった。私はわっ わなな るに十分であった。私は祭物見の前後に、 眼の色も變るまで慄いたものだ。眞夜中の と泣いた。それからといふものは、靑い小 顫へながら、どんぐりの實のお池の水に落時計の音はまた、妄想に痺れた、 Tonka 鳥の歌でさへ、私には恐ろしいある囁きに つる音をきき、それからわかい叔母の乳く John の小さな頭腦に、生瞻取の血のつい きこえたのである。 びを何となくいたいけな手で觸った。 た足音を忍びやかに刻みつけながら、時々 そりばってん、 Tonka John はまた氣ま 深い奈落にでも引っ込むやうに、ポーンと ぐれな兒であった。七月が來て、調音様の 一 5 時を點つ。 晩になれば、町のわかい娘たちはいつも綺 こさ さて、柳河の虚弱なびいどろ壜は、何時 後には、晝の日なかにも蒼白い幽靈を見麗な踊り小屋を作へて、華やかな引幕をひ おとな うきうぐさへ の間にか内氣な柔順しい、さうして疳の蟲るやうになった。黑猫の背なかから、臭の き、その中で投げやりな風俗の浮々と囀づ のひりひりした兒になった。私はよく近所強い大麥の穗を眺めながら、前の世の母を りかはしながら踊った。それにあの情の薄 なにびと ねえ の兒どもを集めて、あかいタ日のさし込ん 思ひ、まだ見ぬなっかしい何人かを探すやくて我儘な、私と三つ違ひの異母姉さんも いつつむつつ 3 だ穀倉のなかで、温かな刈麥や、ほぐれた うなあどけない眼つきをした。ある時はま可哀いい姿で踊った。五歳六歳の私もまた -0 あきたはら 空俵のかげを、二十日鼠のやうに騷ぎ廻っ た、現在のわが父母は果してわが眞實の親引き入れられて、眞っ白に白粉を塗り、汽 思ひ出 のら もと かは かか
とかり 私は、君等の相反した凡てを、驚くほど私自身の中に見出す。それはた。その若葉を渦卷かせながら、栗はまだ枝々の尖が眩しかった 密度に於ては、或は君等の何れもより薄いかも知れない。然しなが り、腋の下が羞痒ゆいやうな新生の歡びから何も彼も涙ぐましく眺 ら、此の三人は根本に於て一つである。私逹は同じく同じ禪の聲をめ入った。さうしてタ霧がかかると感傷し、朝風がそよぐと小躍り、 同じ母胎の中で聽き、同じ血の鼓動を聽きつつ輪廻轉生の絶大苦悶 細い弦月がきらめくと、己から感極って吸り泣いた。 から一時に一切の因縁を忘れて了ったのである。私逹は長い間盲探 それから一年經ち、二年經ち、五年經ち、十年經った。 しに探し廻った。さうして私から室生萩原と順々に目を開いて、ま 栗の木はいっしかがっしりとした姿勢と組々しい木肌とを持った た再び相擁いたのである。私逹はまさしく無垢であった。子供らし立派な一本立の木になった。 く純一で、而かも何ものよりも優れて透明で、心は常に天の藍色を さうして愈よ激しい生長の慾望と愛と力とに燃え上った。のみな 映してゐた。おお、此の單純にして誠實なる三人の愛、この愛は互らず、曠野の風景が愈彼の爲に新らしくされ、野末を通る人馬も に互の動悸を聽きわけるほどに澄徹で、又、互の胸に互の手を直接自ら彼の姿を振り返ってゆく。さうしてゴッホの燬きつくやうな太 に觸れ得るほどに緊密だ。「月に吠える」の序、あれに私はかう書陽が東にあがり西へ赤々とくるめき廻る眞ん中で、この大麻栗の綠 いた事がある。おお、この三人、それは廻り澄む三つの獨樂が今や葉の渦卷に、眞白な花穗がいくつもいくつも垂れ下って、まるで姙 將に相觸れむとする刹那の靜謐である。おお、その微妙なる接吻。 娠になった綿羊のやうに重々しく険き盛った。その淫蕩無比の氣息、 その狂熱、その豐滿、將に此の樹の放っ動物的精液の激臭は下ゆく 室生君。 人をして殆ど昏倒せしめずんばやまなかった。雨の夜などは殊更で 私は曾て萩原君の天稟を指して、地面に直角に立っ華奢な一本のある。その彈ちきれるほどの淫心。而もこの栗の木を前にして、眞 竹であると云った。而も君は喩へば一本の野性の栗の木である。 赤なえんえんたる天鵞絨の坂があり、坂の上には丘があり、麥畑が あり、麥畑には麥が穗をそろへて搖れたり光ったりする淸朗な小景 一本の野生の栗の木。 があった事も、讀者よ記憶せよ。晝はその麥の穗立の中に基督のか 栗は天然の光と雨露の惠みと地壌の慈しみとに依って先づ亠円い一一げが見え隱れ、夜は祈りの鐘の音が、薄靄の間を縫って靜かに栗の 葉を開いた。未生以前よりこの耀かしい地上に生れて來なければな木のふところまで流れて來た。 じめしめ らぬ因縁が、時を得て初めて栗の芽生となって顯現されたのであ それから陰鬱した長雨が幾日も幾日も降り續くと、花は腐れて地 め に落ち、栗は再び目醒めたやうに眞っ靑に濡れしづきながら、日が る。好蓮がその芽を祀ひ、微風がその初毛をそよがした。さうして じ は その芽は莖は生れた儘何らのエみも妨げもなくすくすくと生ひ立っ照りつけると、更に又、一層の鮮かさを以って輝き出したのである。 の 愈よ秋になった。思ひがけない大暴風雨が殆ど意の如く此の一 集た。凡てが祝はれた儘であった。さうして凡てが彼の伸びる儘であ わくらば の った。凡てが自由で朗らかで愛に滿ち亙ってゐた。水はその根を廻本立の栗の枝々を吹き蜷った。弱い葉は既に枯れかかった病葉は一 溜もなく、八方に飛び散り、木は根から大搖れに搖れる、抗すべか って廣い野っ原を流れ、蒼い空の圓天井は常住その上にあった。 お夏が來た。幸輻な栗の若木はこの時銀のぎざぎざをつけた鮮綠のらざる大自然の意力に恐れをののく栗の葉の間に、この時、數知れ 2 ぬ靑栗の靑毬が、密かに密かに生れつつあった不思議さを思ふと誰 若葉を一齊に萠え立たせた。それは細々とした瑞々しい若葉であっ こそば
ノ 32 水上 みなかみ 水上は思ふべきかな。 苔淸水湧きしたたり、 日の光透きしたたり、 かしあしび 橿、馬醉本、枝さし蔽ひ、 かがみはゆづまつばきまら 鏡葉の湯津眞椿の眞洞なす 水上は思ふべきかな。 水上は思ふべきかな。 ここス′ど 山の氣の劔處の澄み、 ことと 岩が根の言間ひ止み、 あらすはだ かいかがむ荒素膚の あらみたまかみむす 荒魂の魂び、つどへる 水上は思ふべきかな。 水上は思ふべきかな。 雲、狹霧、立ちはばかり、 きぎし 丹の雉子立ちはばかり、 あへ 白き猪の横伏し喘ぎ、 海豹と雲抄 毛の荒物のことごとに道塞ぎ寢る 水上は思ふべきかな。 水上は思ふ・ヘきかな。 さわさわ 淸淸に湧きしたたり、 いやさやに透きしたたり、 神ながら神寂び古る うづの、をを、うづの幤帛の緖の鎭もる 水上は思ふべきかな。 水上は思ふべきかな。 あをみなわ 靑水沫とよみたぎち、 うろくづの堰かれたぎち、 たまきはる命の渦の ゅづいはむら 渦卷の湯津石村をとどろき搖る 水上は思ふべきかな。 一「ロ間 ことと 岩が根に言問はむ、 いにしへもかかりしやと。 苔水のしみいづる かそけさ、このしたたり。 草に木に言間はむ、 いにしへもかかりしやと。 おのづから染みいづる わびしさ、このあかるさ。 みてぐら ふたぬ 小さき日に言問はむ、 いにしへもかかりしやと。 かがやきの空わたる わりなさ、このはるけさ。 禪訷に言間はむ、 いにしへもかかりしやと。 はればれとひびき合ふ 松かぜ、このさわさわ。 岩礁 月面に墨噴きて、 飛び羽搏つもの。 あきらかにこの夜こそ 鵜は宿らじ。 波は荒れ、 紫のこごし巖。 凍みるなり。 立ち凝る夜霧なり。 和みなし、この世界 ただ響きて。 耿耿と、目には見え、 罅び裂くるなり。 げつめん かうかう いはほ
寧ろ彼は彼の歌の酷評者たる因習的技巧家の群の上に遙かに抽ん これは一に貧苦と病苦とのお蔭であった。 でたであらう。彼は之を敢て爲なかった。彼は矢張り生來の反抗家 でもあったが、彼をしてここに到らしめたについては涙なき能はぬ。 彼の歌には生きんとする人間としての眞實、熱情、愛、光があっ 彼は云ってゐる。予が歌は悲しい玩具であると。 た。瓧會人としての覺醒、之に纏る生來の反抗心ーーいささか小な るーーー階級意識が切に彼をして、常に亠円天の一方を翹望させた。 尤も極端なる批難者の言にも一理はある。然し啄木の歌を單に技 兎に角、彼の歌に於ける一種の眞率なる精氣はこれらの諸感倩の 巧問題のみで片づけるのは偏見である。もっと大切な精訷精氣につ綜合から凝って發したものに外ならぬ。 いて考へねばならぬ。 これが故に人はうたれるのである。 啄木の詩はその技巧の圓熟に於て、當時の泣菫有明二大家をさへ 啄木くらゐ嘘をつく人もなかった。然し、その嘘も彼の天才兒ら も凌がうとした。その詩人としての天分に於てはその二大家にも優しい誇大的な精氣から多くは生まれて來た。今から思ふと上品でも ると評したのは森外先生であった。年少にして異常の才人であっ っと無邪氣な島田淸欽郞といふ風の面影もあった。彼は嘘は吐いた た事は否まれぬ。その詩に於ては、然しまだ自己の藝術を創造し得が高踏的であった。晶子さんに云はせると「石川さんの嘘をきいて たとは思はれなかった。まだ摸倣時代の惱氣が強過ぎたのであっゐるとまるで春風に吹かれてるやう」であった。 た。その練逹した詩より飜って、蕪雜とも見られる彼の短歌に目を さうした彼がその死ぬ二三年前より嘘をつかなくなった。眞實に 移す時に、そこにはあま山の變貌があることは驚かれる。然し、私なった。歌となった。 たちが彼の詩にうたれる事の少くして却って彼の歌にうたれる事の おそろしい事である。 多きは何が故であらうか。これを深く思はねばならぬ。 彼の歌はそのはじめいかにも氣の利いたハイカラな西洋風のもの 啄木の歌は一見蕪雜なやうで、なかなか隙を見せぬところがあであった。巧妙で詩的な比喩を主にしてゐた。 る。兎に角一氣に貫いた精氣、また氣韻といふものがある。尋常の 曾て新詩社宛に匿名の歌が五六首來た。與謝野氏も夫人も、これ 技巧でない。その多くをただの投げやりと思ふと間違ふ。何れにしは啄木だなと推された。やりをつたなと私は思った。 序 ても本來の蕪雜とか庸劣とかではないのである。矢張り詩人として その後スパルの發刊當時に私たち五六人が一緡に競詠したことが の彼の技巧を經て來た上の一種の自棄的な技巧である。彼の追隨者ある。私のは『桐の花』の初期で、啄木のは『一握の砂』の中のあ 硺が何年經っても彼の歌のかの技巧にすらも及び得ぬことを思ふがい るものがさうである。この時には別に私たちのと彼のと作風に於て 石 は異なって居らぬ。矢張り近代の官能的のものであった。 ( 寧ろ才 情的な。 ) 所謂プロ階級のものではなかった。それをしも知友以外 彼の靈魂は歌を涌じてはじめて彼としての光を放った。ことにその世間はよく見ては居らぬ。啄木の歌とい〈ば凡て階級意燾の強い 2 の晩年に於て。 革命的のものと思ってゐる。
3 プ 0 内からと云はれてゐる間は、飾りもなく粗野で、熱もあるが、や レトリック がて修辭を重んじまいものでもないと思ふ。形式は、いくら新しく なっても、いくら複雜になっても、一點の美をも增すことはない。 ただ共人が、何を考へたかと云ふ理解のみは、得られる。 この理解は、單なる理解としてでなく、直ぐに作品そのものから 感じとなって我我を打たなければならない。さういふ作品でなけれ ば内から表現した作品といふことは出來ない。 今の文壇には、新らしい生活の創造や眞理に就て眞面目に考へて ゐる人がある。私はさういふ人人に同情する。併し私は、さういふ 表はれた結果に就て、考へたり物を言ったりするのは、表はれた 結果以上のものを得ることは出來ない。藝術の制作は、最初、誰で意見發表を生活内容としたり、藝術の内容とする人人を憫れむ。 中には内省力あり、自己に對し謙抑の人を認めないではないが、 も、この表はれた結果から這入って行くのであるが、結果が、正し さういふ人は寧ろ餘り豫想を誇大にしないで自己表現につとめてを いといふことから、多くは、間違った方面へ進んでゆく。詩なら り、ただ意氣込ばかりの改革者が、創造や生活を思ひ揚がって口に ば、言ひ切れない、歌ひ切れないと云ふやうに出來るだけ、複雜に してゐるのではないかと思はれる。私は眞正な藝術や生活をこの種 表はすことの出來る形式に破れてゆく。しかし、この破れて行った 形式も、事物の結果を、比較的多くの言葉で、歌へるといふだけの人人に豫期することが出來ない。 眞理の追求者と眞理の生活者とは逕庭のあるものである。眞理を で、やはり形式であることを免がれない。ところで、本當の意味 追求する者は、一度は「知ること」の悲みを覺えて子供になりたい で、表現し得た詩ならば、それは最早、形式ではなくなってゐる。 と思ふものだ。それが本當で、誇負してえらがってゐるやうな者 本當の意味の表現といふことは、實際、作詩にあたって、そこま で感じて見た人でなければ、文字の儘では、どうも解りにくいと思は、實際に於ては眞の意味の生活者ではない。 藝術は實際にそのものが表現されなければならない。我我が眞理 ふ。よく、内から表現するといふことは言はれてゐる。内から表現 の追求よりも眞理の生活を理想とするやうに、思想を述べる藝術よ するには違ひないけれども、それは、ただ、自由な形式になるとい りも、藝術そのものが思想でなければならない。藝術の生活者とい ふばかりではない。内からといふ言葉が、あまり新しい文壇に、一 ふと妙な言葉だが、享樂主義者の使ふ意味でなく、藝術の上にゆき 般に云はれる合ひ言葉で、そのため、感じが固定して、内容を失っ てはゐまいかと思ふ。思ふ儘に云ひだすとか、言葉を俗語に近づけわたって自分が生活し呼吸されてゐなければならない。函の中へ入 るとかいふやうなやぶれ方は、僅かばかり言葉の約束を破ったに過れた石みたいに、生活の思想がごろっちゃらと作品に鳴ってゐるや ぎないのでつまり一つの形式から或他の形式へ變更して行ったに過うでは仕方がない。 或は又かういふ事を云ふ人がある。自分は詩人ではない、藝術家 ぎないのである。だから、此物は、内に似て非なるもので、又、結 果に似て、結果ならざるものである。形式に對する研究などは、私ではない、ただの人間なのたと云ふ人がある。かういふ輕はずみの 襯方からも善い藝術が生れない、内容と形式とを分ける考は、共様 は、却て、斯ういふところから生れてくるものだと思ふ。 表現の精祁
らふそく せうしゃ 瀟洒なる白い西洋燭をも凝視めてみた ながしめみ きちゃうめん 儿帳面な新しい居間の障子を流眄に督た みな正しいもの堅い物質た 些し頑固な堆積だ おそ 夜の怕れがどこにあらう くわうくわう 煌煌と光りかがやく電燈がある 病に惱む肉體がある 夢を笑ってゐる靑白い嬰兒の安眠がある ああ都てこの合理的人生の住民らよ わが心はこのときやや彈力を感じた 雨戸をゆすぶる風を聽いた 夜警の金棒の鈴の音を聆いた わが心はいまし裸體でぬけて出た かき曇った空の一角の 飆飆と吹きまくる夜の間の風に ら学、やう わが裸形は氣球のやうに昇ってゆく わむ ゐぎたなく睡る民家と 眞白い砂濱の海岸線と 岬と川と洋館の大尖塔と すがすがしく澱んでをる閑寂世界と し 夜のこころは腹のそこから潤み透り 聖わが心性の裸形の内部の 衣 まばらなる星のまたたきの美しさ鮮や、 さ ん振りかへるこの身は我ではない 3 へうへう らぎゃう われ 今邇り雲は日をさへぎった そよかを 微風もかすかに泡立ちつぶやき渦卷いて まち この巷の顏はさみしい れんぐわづくり 突きあたりの古くて赤い煉瓦造の銀行の大 時計に 時あってタ日が射せば こんじき きらきらと金色に照り返し ここばかりが夏のやうだ かんなづき やまなみ ああしかし今無月遠い山脈に雪 が來て 見上げる隣村の權現山に こうえふ 紅葉は火のやうに燃えたって みおろ 峽谷を見下す秋の空は まなざし 1 」めやか 沈靜に賢こげな眼光を高くささげ 域下に流れる川筋が 久遠偶像 まっしろきりいしかはら 羊のやうに眞白な花崩岩の川原を布き詰め うち ひえびえ よる まひる すべて寂寥の重厚の冷冷とした天地の裡に 白日は脆くーー夜を忌み弱い日光は すくさ 喧しき塵勞に心にかれる町筋ばかり暗く赤 街なかの饐え腐った溝のそこで あへぐさけぶ亂舞する わうだん また黄疸いろの氣を疫み 紅くひくい郵便箱の陰影はのびのび う・つく かばれ むかし 小高い止に蠢まり 疇昔の橈松鬼の臥 ~ 辱に掛った屍のやうた くれかた しろじろと呼吸を吐く 薄暮は まらぢゅう 赤赤と街面をつよい酸類で洗ひながして しやかう みあまことそらん 車行する人も徒歩する人も一ゃうに蹌嗟乎眞に疎懶なこの宵 らうまんさん けくづ 天上の一角を蹴崩して 踉と蹣跚と てだて わうごんふる てんにんて 歩みをかためん術はない 黄金に顫へる天人が現たかのやうに かほ ときどよもし わかいむすめ 亠円春孃子の快活な貌いろがただ一瞬に曇る 逢魔が時の騒擾のまっただなかを つつま はくきんかねね こと 2 、 期かな淑しやかな白金の鐘の音は 愁夜戲樂第七番 ばら。さ 薔薇笑きぬ あか その罪紅し矣 小夜ゆく鐘に 夢みだれ こ 若き樹の間を こよひ ああ今宵の月熱をやむ 心の鄕土 し さう となり えや ゅふべ
8 プ思ひ出 乳母の墓 あかあかとタ日てらしぬ。 わらペ そのなかに乳母と童と をかしげに墓をながめぬ。 その墓はなほ新らしく、 畑中の南瓜の花に もの甘くしめりにほひき。 乳母はいふ、『こはわが墓』と、 『われ死なばここに彫りたる したやみ おのが名の下闇にこそ。』 みとせ 三歳のち、乳母はみまかり、 そのごともここに埋もれぬ。 さなり、はや古びし墓に。 あかあかとタ日さす野に、 かぼちやばな 南瓜花をかしき見れば いまもはた涙ながるる。 「お松さんにお竹さん、椎茸さんに干瓢さ んと : てれんてくだ 手練手管」が何ごとか知らぬその日の赤頭 巾、 あくだまをどりへんげ 惡玉踊の變化もの。 雪のふる夜の倉見れば 願人坊を思ひ出す。 おど 雪のふる夜に戲けしは さかやをとこ 酒屋男の尻がろの踊り上手のそれならで、 ・もとみにく あだがたき 最も醜く美しく饑ゑてひそめる仇敵、 おのが身の淫ごころと知るや知らずや。 「ちょぼくれちょんがら、そもそもわっちが のつ。へらにんのすつ。へらぼん、すつ。へらぼ 石竹の思ひ出 んののつ。へらぼんの、 いはくいんねん 坊主になったる所謂因縁きいてもくんねへ、 なにゆゑに人々の笑ひしか。 しかも十四のその春はじめて」・ われは知らず、 あくだま え知る筈なし、 踊り出したる惡玉が いとけな 願人坊の赤頭巾。 そは稚き一二歳のむかしなれば。 さか、もの・ かの雪の夜の酒宴に、 暑き日なりき。 我が顫へしは恐ろしきあるものの面、「色物音もなき夏の日のあかるき眞書なりき、 のいの字」の 息ぐるしく、珍らしく、何事か意味ありげ なる。 白き道化がひと踊り : 乳母の背なかに眼を伏せて 願人坊 雪のふる夜の倉見れば ぐわんにんばう 願人坊を思ひ出す。 あかづきん 願人坊は赤頭巾。 目も鼻もなく、眞っ白な のつ。へらぼんの赤頭巾。 性の芽生 かほ 恐れながらにさし覗き、 みだ みぶり 淫らがましき身振をば幽かにこころ疑ひぬ、 なんとなけれどおもしろく。 たはれ うたが
プ 74 こは なびけば光る柳の葉、光らぬ時が怖やの。 片面光る槐の葉、兩面光る柳の葉。 勿體なや、何を見てもよ、日のしづく、日 の光、日のしづく。日の涙。 源吾兵衞 玉ならば眞珠、一途なるこそ男なれ。 心から血の出るやうな戀をせよとは、敎へ まさねどわが母よ。 とかげ 蜥蜴が尾をふる、血のしみるほどふる。 悲しや、玉蟲が、頭の中に喰ひ入ったわ。 ココリコ 病氣になった、氣が狂れた、一途な雛罌粟 が火になった。 百舌のあたまが火になった、思ひきられぬ、 きりやきりきり。 散らうか、散るまいか、ままよ眞紅に険い てのきよ。 人目忍ぶはいと易し、むしろわが身を血み どろに、突かしてぢっと物思ひたや。 ゑんじゅ いちづ まっか 日はかんかんと照りつくる、血槍かついで ひとをどり、耶蘇を殺してのユダヤの踊を ひとをどり。 ふくら雀は風にもまるる、笑止や正直一途 の源吾兵衞はひょいと世に出て、人にもま るる。 幼帝 めうばっ 冥罰を思ひ知らぬか赤鼻の源左め、なまじ王冠燦爛、日燦爛、涙こぼせばなほ燦爛。 生木を腕で折る。 とんま 王冠にひょいと來てとまる蜻蛉、とんぼ重 息もかるし、氣もかるし、いっそ裸で笛吹いか、眩しいか。 かう。 蜻蛉重きにあらねども、小さな銀の王様が 泣かしやる。 いとしや、晝の日なかを、王冠燦爛、ただ 涙。 王様の冠がゆらいだ、と思ったら死なしゃ った。 月光禮讃 猫のあたまにあつまれば、光は銀のごとく さん なり、われらが心に沁み入れば、月かげ懺 悔のたねとなる。 巡禮 ひとり旅こそ仄かなれ、空ははるばる身は うつつ。 巡禮のふる鈴は、ちんからころりと鳴りわ たる、一心に縋りまつればの。 せうし みだ 物言はぬ金無垢の彌陀の重さよ。 雪の山路 親鸞上人ならねども、雪のふる山みちを、 しみじみと越え申す、雪はこんこん山みち を。 かんむり
2 5 の高い穀倉には秋は日ごとに赤いタ陽を照えず取引してゐたものだった。さうして魚 るか、冷たい指さきに觸られても、直ぐ四 なま ( さいしだたみ りつけ、小流を隔てた十戸ばかりの竝倉に市場の閑な折々は、血のついた腥い甃石の十度近くの高熱を喚び起した程、危險極ま は夏も酒は濕って悲しみ、温い春の日の 上で、旅興行の手品師が囃子おもしろく、 る兒であった。石井家では私を柳河の「び をけなはのどか 。へんべん草の上には桶匠が長閑に槌を鳴ら 咽喉を眞赤に開けては、激しいタ燒の中で、 いどろ壜」と諢名したくらゐ、殆んど壞れ あかはたか さかやをと : きせる し、赤裸々の酒屋男は雪のふる臘月にも酒よく大きな雁首の煙管を管いつばいに呑ん物に觸るやうな心持で恐れて誰もえう抱け の仕込みに走り廻り、さうして町の水路か で見せたものである。私はかういふ雰圍氣なかったさうである。それで彼此往來する ら樋をくぐって來るかの小さい流は、隱居の中で、何時も可なり贅澤な氣分のもと にしても俥からでなしに、わざわざ古めか をんなのりもの 屋の涼み臺の下を流れ、泉水に分れ注ぎ、酒に、所調油屋の Tonka John として安ら しい女駕籠を仕立てたほど和蘭の舶來品扱 桶を洗ひ、眞白な米を流す水となり、同じ屋かに生ひ立ったのである。 ひにされた。それでもある時なぞは著いて たまりみづ 敷内の瀦水に落ち、ガメノシュプクケ ( 藻の すぐ玄關にかき据ゑた駕籠の、扉をあけて -4 一種 ) の毛根を幽かに顫はせ、然るのち、 手から手へ渡されたばかりでもう蒼くなっ めぐり ちゅうまえんたの菜園を一周回して貧しい 私の第二の故鄕は肥後の南關であった。 て痙攣けて了ったさうである。 くりゃうら 六騎の厨裏に濁った澱みをつくるのであっ南關は柳河より東五里、筑後境の物艀かな 三歳の時、私は劇しい窒扶斯に罹った。 ザポン にかめ た。そのちゅうまえんだは、もと古い信院山中の小市街である。その街の近郊外目の さうして朱欒の花の白くちるかげから通っ の跡だといふ深い竹藪であったのを、私の山あひに、恰も小さな城のやうに、何時もタてゆく葬列を見て私は始めて乳母の死を知 てりかへし 七八歳のころ、父が他から買ひ求めて、竹藪日の反照をうけて、たまたま舊道をゆく人った。彼女は私の身熱のあまりに高かった の瞻仰の的となった天守造りの眞白な三ため何時しか病を傅染されて、私の身代り を拓き、野菜をつくり、柑子を植ゑ、西洋 草花を培養した。それでもなほ、晝は赤い 樓があった。それが母の生れた家であって、 に死んだのである。私の彼女に於ける記憶 たま 鬼百合の険く畑に、夜は幽靈の生じろい炎數代、この近鄕の尊敬と素朴な農人の信望は別にこれといふものもない。たた母上の が燃えた。 とをあつめた石井家の邸宅であった。 ふところから伸びあがって白い柩を眺めた 世間ではこの舊家を屋號通りに「油屋」 私もまたこの小さな國の老侯のやうに敬時、その時が初めのまた終りであった。 かしづ ふつどひや と呼び、或は「古間屋」と稱へた。實際、 はれ、侍かれ、慕はれて、餘生を讀書三昧 後に來た乳母はおいそと云った。私はよ なりたか にかめ 私の生家はこの六騎街中の一二の家柄であ に耽った外祖業隆翁の眞白な長髯のなっかく彼女と外目の母の家へ行っては、何時も るばかりでなく、酒造家として最も石數高 しさを忘れる事が出來ぬ。私は土地の習慣長々と滯留した。さうして迎への人力車が しにせ 上、實はこの家で生れてーー明治十八年一 その銀の輪をキラキ一フさして、遙かに山す く、魚類の間屋としては九州地方の老舖と して夙に知られてゐたのである。從って、 月二十五日ーー・然る後古めかしい黒塗の駕その岡の赤い曼珠沙華のかげから寢ころん 濱に出ると、平土、五島、薩摩、天草、長崎籠に乘って、まだ若い母上と柳河に歸った。 で見た小さな視界のひとすぢ道を、懷し ウブラ 等の船が、無鹽、鹽魚、鯨、南瓜、西瓜、たま さうに音を立てて軋って來るまで、私たち 私は生れて極めて虚弱な兒であった。さ には鵞鳥、七面鳥の類まて積んで來て、絶 うして剩癪の強い、ほんの僅かな外氣に當は山にゆき、谷にゆき、さうしてただ夢の っと ひきっ うつ チプス
ぼれ 懷いた三四歳の頃から、私の異國趣味乃至惚を踊ってゐた。取り亂した化粧部屋には、や昆蟲の彩色を痒いほど捺しては貼り、剥 みつつよっつ ただひとり、三歳四歳の私が匍ひ廻りながしてはそっと貼りつけて、水路の小舟に伊 異常な氣分に憧がるる心は蕨の花のやうに ソッ・フ あや 特殊な縮れ方をした。 ら、何ものかを探すやうに、いらいらと氣を蘇普物語の奇しい頁を飜へした。 あを いたづら かういふ最初の記憶は、ウオタア・ヒア焦ってゐた。ある拍子に、ふと薄暗い鏡の中無邪氣な惡戲の末、片意地に芝居見を強 ふつつ シンスの花の仄かに咲いた田川の傍をぶ に、私は私の思ひがけない姿に衝突かった請んた末、弟を泣かした末、私は終日土蔵 いとこ せな らっきながら、從姉とその背に負はれてゐ のである。鏡に映った子供の、面には妻いほの中に押し込められて泣き叫んだ。その窓 まっげ ど眞っ白に白粉を塗ってあった。睫のみ黒の下には露草の仄かな花が咲いてゐた。哀 た私と、つい見惚れて一緒に陷ったーーーそ おそれ いのち ふたっ く。ハッチリと開いた兩の眼の底から、恐怖れな小さい囚人はかうして泣き疲れたあ の生命の瀬戸際に、飄然と現はれて、救ひ すく まぶた と、何時もその潤んだ睚に、幽かな燐のに に竦んだ瞳が生眞面目に震慄いてゐた。さ 上げて呉れた眞っ黒な坊さんが、不思議に うしろ うして見よ、背後から、尾をあげ背を高めほひの沁み入る薄暗い空氣の氣はひを感じ も幼兒にある忘れがたい印象を殘した。 むしく た黑猫が、ただぢっと金の眼を光らしてゐた。そこには、舊い昔難破した商船から拾 日が蝕ひ、黄色い陰鬱な光のもとに、ま ぎよっ たではないか。私は悸然として泣いた。 ひ上げた阿蘭陀附木 ( マッチのこと、柳河語 ) だ見も知らぬ寂しい鳥がほろほろと鳴き、 をさな しめ いたちあわたた 私の異國趣味は穉い時、既にわが手の中の大きな函が濕ったまま技げ出されてあっ 曼珠沙華のかげを鼬が急忙しく横ぎるあと に操られた。菱形の西洋凧を飛ばし、朱色た。私はそのひとつを涙に濡れた手で拾ひ から、あの恐ろしい生膽取は忍んで來る。 薄あかりのなかに凝視むる小さな銀側時計の面 ( 朱色人面の凧。 Tonka J0hn の持ってゐ取り、さうしてその黄色なエチケットの帆 にがよもき の怪しい數字に苦蓬の香が沁みわたり、右たのは直徑一間半ほどあった。 ) を裸の酒屋男船航海の圖に怪しい哀れさを感じながら、 チャン オラング に持った薄手の和蘭Ⅲにはまだ眞赤な幼兒七八人に揚げさせ、瀝靑を作り、幻燈を映その一本を拔いては懷かしさうに擦って見 し、さうして阿蘭陀訛の小歌を歌った。 た。無論點火する氣づかひはない。氣づか の生腑がヒクヒクと息をつく。水門の上に せんだん 蒼白い月がのぼり、栴檀の葉につやつやと 私はまた、いろいろの小さなびいどろ壜ひはないが、ただ何時までも何時までも同 じゃうにただ擦ってゐたかったのである。 露がたまれば、膽のわななきもはたと靜止に、薄荷や肉桂水を入れて吸って歩いた。 か 5 ぢむろ かるた して、足もとにはちんちろりんが鳴きはじ また濃い液は白紙に垂らし、柔かに揉んで麹室のなかによく弄んだ骨牌の女王のなっ しめ おそれ 濕した上、その端々を小さく引き裂いてはかしさはいふまでもない。 める。日が暮れると、この妄想の恐怖は、 Tonka John の部屋にはまた、生れた以 何時も小さな幼兒の胸に鏡利な鋏の尖端を唇にあてた。さうして、私の行くところに 突きつけた。 は、たよりない幼兒の涙をそそるやうに、 前から、舊い油繪の大額が煤けきったまま、 たましひ ある夜はわれとわが靈の姿にも驚かされ強い強い肉桂の香が何時までも附き纏うて土蔵づくりの鍼格子窓から薄い光線を受け て、柔かにものの吐息の中に沈默してゐ たことがある。外には三味線の音じめも投離れなかった。 おもて げやりに、町の娘たちは戳音さまの紅い提 うっし繪の面に濕った仄かな油のにほひた。その繪は、白いホテルや、瀟洒な外輸 燈に結ひたての髪を匂はしながら、華やか はまた、新しい七歳の夏を印象せしめる。 船の駛ってゐる異國の港の風景で、赤い斷 オランダ に肩肌脱ぎの一列になって、あの淫らな活私はよく汗のついた手首に、その繪の女王屠面の陰をゆく阿蘭陀人の一人が、新らし わらび はま かっ おしろい わなな かゆ