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検索対象: 古老たち・熊 他四編
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1. 古老たち・熊 他四編

を飲めよ」と叫んでいた。テントのなかには低い話し声と服を着る音がみち、レギットがくり返し いう声がした。「ここから出て、アイクおじさんを寝かしておくんた。起こすと、おじさんもいっ しょに行くからな。おじさんは今朝、森では用がないんだ」 それで彼は動かなかった。彼は目を閉じて横になっていた。息づかいは静かで安らかたった。そ して皆が一人一人テントを出るのを聞いていた。防水布の下のテしフルから聞こえる朝食の音に耳 を傾け、皆が去るのを聞いたーーー馬や犬や最後に行く者の声も、とうとう消え、朝食を片づける黒 人たちの音だけになった。しばらくすると、おそらくいちばん先の猟犬の、かすかな澄んだ吠え声 が、雄鹿が寝ていたところから湿った森のなかを通って聞こえてくるだろう。そうすれば、また眠 りにつくのだーーテントの下げ布が舞いあがっておりた。何かが寝台の端に鋭くぶつかり、目を開 ひざ ける間もないほど速く毛布のなかへ手が入って彼の膝をつかんだ。エドモンズだった。ライフルの っこ 0 かわりに散弾銃をもっていた。彼は無情な声で早口にいナ 「起こしてすまないが、おそらく誰かーーー」 「目をさましてたよ」とマッキャスリンはいった。「今日その散弾銃を使うのか」 オしか。おそらくーー・・ー」とエドモンズはいっこ。 「あんた昨夜、肉がいるっていったばかりじゃよ、 「いっからお前はお前のライフルで肉がとれなくなったんだい」 「いいよ」と相手は、あの無情な、激しい苛立ちを抑えた声でいった。そのときマッキャスリン は、相手が厚い長方形のものーー封筒ーー・・、を手にしているのを見た。「おそらく今朝いっか、ここ に使いがおれを探しに来るだろうけど、来ないかもしれない。もし来たら、これをその使いにやっ

2. 古老たち・熊 他四編

戦後フォークナーは、アメリカではあまり評価されていなかった。彼の文学を初めて正当に評価 したのはサルトルを初めとするフランスの批評家たちである。わたくしも、サルトルの「サー ス」論を読みながら、小説の方は絶版になっていて手に入らず、最初は仏訳で読んだ記憶がある。 けいじじようがく サルトルは、フォークナーの形而上学は時間の形而上学であることは明らかだと言ったが、フォー クナーは物理的な時間によって配列された十九世紀的な小説の技法を信じていなかった。「響きと 怒り」の中で、針をむしり取られた時計がカチカチと動いている光景が象徴的に示すように、真の 時間は、時計ではなくて意識が構成するものなのだ。 後意識が構成する時間によって小説を書くという方法は、現代文学に多くの影響をあたえた。日本 との現代作家あるいは新しい文学を志す文学青年で、フォークナーの小説の技法を取り人れようとし ナた人を、わたくしはなんにんか知っているが、たしかに彼の文学は興味ある多くの問題点を含んで いる。彼の文章の持っリリシズム。悲劇の中にとり入れられたユーモア。虚無の底にひそむ救済へ の意志、技巧の面でいえば、一つの場面、あるいは一つの仕草を作品の中で、象徴的な価値を持っ たイメージへと高めていく能力である。現代はもはや平板なリアリズムをもってしては、」 引底えが きえない複雑さを持っている。現象の底にある真実を描きだすためには、どうしても象徴的な技法 が払要であろう。現代文学はフォークナーから学ぶべき多くのものをもっているのである。 筆者・ーー文芸評論家。一九三一年栃木県生まれ。東京教育大学英米文学科卒。「自己 救済のイメージーー大江健三郎論」で第十回群像新人文学賞受賞。著書「戦後作家の 世界」。和光大学人文学部教授。 286

3. 古老たち・熊 他四編

・べイカーの小屋に似た、ただそ サムは去った。彼はキャン。フに住もうとはせず、自分でジョ れより頑丈でしつかりしたのを、四分の一マイル離れた人江に面して建て、また頑丈な丸太小屋を 作り、そこに毎年育てる子豚用にとうもろこしを少し貯えていた。その翌朝、皆が目をさますと彼 は待っていた。もうあの子馬を見つけていたのである。皆は朝食を待っことさえしなかった。そこ は遠くなく、馬小屋から五百ャ 1 ドとは離れていなかったー、、、その生後三か月の子馬は横に倒れ、 喉を引き裂かれ内臓と片方のももは一部食われていた。落とされたのではなく、一撃をくらい投げ とばされたかのようであり、豹が喉をさぐってつかんだと思われるような猫の爪あと、前足の爪あ とはなかった。彼らは、狂ったような母馬が輪を描き、昨日の夕方サム・ファーザーズに向かって ぐるっと回ったと同じぎりぎりの絶望的あがきで、最後には突進した足跡と、必死の恐怖のみちた 疾走の長い跡と、母馬が進んでも襲いかからず、ただ三、四歩母馬のほう〈歩いたたけでそれを 逃亡させた獣の足跡を読みとった。で、コン。フソン将軍がいった。「いやはや、なんていうひどい おおかみ まだサムは何もいわなか 0 た。少年は男たちがひざまずき足跡を測っている間サムをしっと見て いた。サムの顔にその時には何かがあらわれていた。大喜びでも歓喜でも希望でもなか「た。後年 大人になってから少年は、それが何であ 0 たか、何があの足跡を残し、何が春に雌鹿の喉を引き裂 き子鹿を殺したかサムがず 0 と知っていたことを悟ったのである。その朝サムの顔にあ「たのは予 一・知の・表情であった。で、サムは喜んでいたのだ、と少年はひとり思 0 た。サムは年と「ていた。子 ーも子 / ・カ学ー 供もなく、家族もなく、地上にはふたたび会えるような彼の血を受けいだ者ぐ

4. 古老たち・熊 他四編

( 1 ) まもなく彼らはもうデルタに入るだろう。その心の高ぶりは、彼には身近なものだった。このよ うにして、毎年十一月の最後の週にもう五十年以上にもわたって、それはくり返され更新されてき がけ ちゅうせきと ほうじよう ふもと 最後の山があり、その麓から豊饒な切れ目のない沖積土の平野が、平野の崖の下で海が たのだ 始まるように広がりだし、しとしと降る十一月の雨の下で、海そのものが溶けて消えゆくように、 かすんで消えていた。 最初、彼らはワゴンで来たものだった。銃、寝具、猟犬ども、食糧、ウイスキー、猟についての 激しく心をゆさぶる予想をのせていた。若者たちは一晩中、また翌日もすっと冷たい雨のなかを馬 秋車に乗っ、雨のなかでテントを張り、ぬれた毛布にくるまって眠り、翌朝は夜明けに起きて猟がで のきた。その頃は熊がいた。雄鹿を撃つようにすばやく雌歴や子鹿を一人で撃っことができたし、午 後にはビストルで七面鳥を撃ち、忍び足の技術と射撃の腕を試し、胸の肉以外はみな犬に与えたも デのだった。しかし、今はそういう時代はすぎてしまった。彼らは車で行き、道路がだんだんよくな り、どんどん遠くまで行かねばならなかったため、毎年ますます速く走ることとなった。獲物がま だ生きている領域が、ちょうど彼の寿命が短くなるように、年ごとに奥へと引っこんで、ついには 彼が今は、かってワゴンで何も気にすることなく狩りの旅をした者たちの最後の生き残りとなり、 また彼に従う者が、雨やみそれのなかを湯気をたてるラ・ ( に馬車をひかせ二十四時間も走らせた人 たちの息子であり、孫でさえあるということになったのだ。今では彼は「アイクおじさん」と呼ば れ、実際はもう八十に近いということを誰にもいわなかった。たとえ車を使っても、そんな遠征を ミシシッ。ヒ河とヤズー河にはさまれた三角州 137

5. 古老たち・熊 他四編

159 じよ 5 す は誰のものでもなかったからである。それはみんなのものなのだ。上手に謙虚に誇りをって使用 しさえすればよかった。そのとき突然、彼は自分がそれまでその土地を少しでも所有し、人々が進 歩と呼んでいるものを少なくともその分だけ阻止し、その究極の運命とその分だけでも闘い自分の 長い寿命を張り合おうとは思わなかった、その理由がわかったのだ。それはまだその土地が、まさ しく十分にあったからだ。彼には二つのものーー自分自身と原野 , ーー・が、を同時代のものとして見 えるようだった。彼が生まれたのと同時ではなかったが、彼に狩りを教えた老ド・スペイン少佐と 老サム・ファーザーズから彼に伝えられ、喜び謙虚に、歓喜と誇りをもって彼が引き受けた猟人とし 秋ての、森の人間としての彼自身の生涯が、原野の生涯といっしょに、忘却や無に向けてではなく、時 ( 1 ) 間と空間の両方から解放された別の次元へと流れこんで行くのだった。そこでは、旧世界の気違い ルどもがお互いに撃ち合うため、弾丸にするよう土地の木を切り、数学的に四角な、茂った綿花の畑に デしようとねじ曲げゆがめてしまったけれど、その土地は彼と原野にとってもう一度十分な余地を見 出してくれるであろうーー彼が長い間知り愛し、ほんの少し前に死んだ老人たちの名前や顔が、斧 とう が使われたことのない高い林の陰や先も見えぬ籐ゃぶの陰のなかにふたたび動き、そこでは野生の 屈強な不死の獲物が、疲れを知らず吠える不死の猟大たちの前を永遠に疾走し、音もない銃の射撃 にたいして、不死鳥のように倒れては起きあがるだろう。 やみ 彼はもう眠っていた。今ではランタンがともされていた。外の暗闇では、最年長の黒人アイシャ なペ たた ムがプリキの鍋の底をスプーンで叩き、「起きて四時のコーヒーを飲めよ。起きて四時のコ 1 ヒー ( 1 ) 「別の次元」以前の世界、すなわち騒々しい現世。

6. 古老たち・熊 他四編

てーーうむ、おれはだめだといってたって伝えてくれよ」 「何がだって」とマッキャスリンはいった。「誰に伝えろだって」 = ドモンズが、封筒を毛布の上 かたひじ に投げ出したとき、彼は片肘で体をなかば起こしていた。すでに = ドモンズは人口の方を向いてお 封筒はかなり中身があり重そうに音もなく、寝台からすべり落ちそうになっていた。マッキャ スリンはそれをとり、手触りで紙を通して、まるでそれを開けて見たかのように、すぐはっきりと、 厚い札東が入っていることを感じと 0 た。「待てよ」と彼はい 0 た。「待て」ーー血縁以上の、年長 であるという以上の存在であ 0 たので、相手は立ちどまり、布をもちあげて、ふり返 0 た。もう外 は夜が明けていることをマッキャスリンは知った。「彼女にだめだっていってくれ , と = ドモンズ はいった。「彼女にいってくれよ」二人は互いに見つめ合ったーー乱れたべッドの上の、青ざめ、 きようぼう 寝づかれの老人の顔と、狂暴ばかりか冷たい、黒すんだ陰気な若い顔が。「ウイル・レギットのい 0 た通りだ 0 た。お前が洗い熊狩りだって呼んだのは、これだな。で、今度はこれだ」彼は封筒を もちあけなかった。封筒を指さす動きも身ぶりもしなかった。「お前は彼女に面と向かう勇気もな く逃げるなんて、何を約東したんたね」 「何もしないよ ! 」と相手はいった。「何もしてないよ。この封筒だけなんだ。おれがだめだとい ったって彼女に伝えてくれよ」彼は行ってしまった。テントの下げ布があげられ、かすかな光が少 しと雨の絶え間ない音が入って来た。そして下げ布がおり、老人はまだ片肘をついたまま体をなか ば起こし、ふるえる手に封筒を握っていた。ほとんどその直後に、 = ドモンズが姿を消す前に、ポ トが近づく音が聞こえ出していたように、あとになって彼には思えた。ま「たく時間などなかっ ざわ

7. 古老たち・熊 他四編

ア ' シおしさんらの仲間に。そして彼らを少年はジ = フ , ソンで別のワゴンとともに待ち、彼と ( 1 ) 「〉キャスリンと「ン。フソン将軍の乗る予定のサリーが用意されていた。 サムはキャン。フで彼らの来るのを待 0 ていた。彼は皆に会うのを喜んでも、表情にあらわさなか 0 た。また二週間後にな 0 て彼は、皆がキャン。フをやめ家に帰るとき、皆が去るのを見て寂しがる としても、同じように表にあらわすことはなかった。い っしょに帰らないからである。少年だけが 一人寂しく慣れた開拓地〈もどり、ふたたび森〈帰るのを待ちながら、十一か月も兎などを追う子 供しみた狩りをし、初めての滞在からさえ大森林について忘れがたい観念をもち帰「ているのだ 0 たーー危険でもなく、とくに敵意があるというわけでなく深遠で感覚がとぎ澄まされ、巨大で物思 いにみちた大森林、このなかで彼は気ままにあちこち行くことを許されていた。どうしてかわか らなか「たが、害も受けずに、だがち 0 ぼけな存在とな「てしまい、流されるに価する血をうやう やしく引き出すまで、そこになじむことはなか「た。 それからまた十一月になり、皆は森〈もど 0 た。毎朝、サムは割り当てられた持ち場に少年を連 れて行 0 た。もちろん、少年はほんの十歳、次には十一歳、十二歳であり、しかもまだ鹿の走るの を見たこともなか「たので、それはもちろん最も分の悪い持ち場の一つだ 0 た。しかし、一一人はそ こに立 0 た。サムは少年の少し後に銃をもたずに、ちょうど少年が八歳のとき走る兎を撃 0 たとき のように立「ていた。二人は十一月の夜明けに、そこに立ち、しばらくすると大どもの声が聞こえ た。時には、追うその大が襲来し、すぐ近くを通りすぎた、うなりながら、見えぬほど速く。一度 ( 1 ) 二座・四輪の遊覧馬車。ワゴンは大きな荷馬車。

8. 古老たち・熊 他四編

ロ旺文社文庫新刊・近刊ロ 「青春は、友情の葛藤であります」と言った太宰は、「走れメロス」で健康 太宰治著桶谷秀昭解説 な友情の姿を牧歌的な古伝説の世界に移して謳い上げた。このほか、「富士 走れメロス・新樹の言葉三七五頁 には月見草がよく似合う」の一節で有名な「富嶽百景」や、「新樹の言葉」 他九編 「女生徒」「乞食学生」など、最も創作欲の充実した時期の短編を収録。 サラリ ーマン二年生の曽根健助と、同僚の北岡みさ子。この若い二人の間 石坂洋次郎著進藤純孝解説 の微妙な恋愛感情は、あたかも若い川の流れのように複雑に屈折して進展 していく。明るく軽妙なタッチで描かれた表題作のほか、短編「忘れ得ぬ の流れ他三編 若い , 人々」「ある詩集」それに「別れの歌」を収録。 我々が日常使う「敬遠」「矛盾」「杞憂」といった言葉のうちには、中国の 渡辺紳一郎著 故事に由来しているものが意外に多い。そういった故事の中から有名なも のを選び著者独特のしゃれた感覚でわかりやすくューモラスに解説。故事 東洋語源物語 の勉強に、また楽しい読み物として最適の書である。 姉妹たちの甘言にまどわされて、末娘コーディリアの誠実さを見抜けなか シェイクスピア著大山俊一訳 : シェイクスピア ったリア王は、彼女に一物も与えす追放してしまう。 四大悲劇の中で、最も雄大な構想と規模を持つ「リア王」は、救い難い悪 と狂気の悲劇の彼方に、人間存在の暗黒と光明の交錯を凝視した傑作・ アンナの陂滅的な恋のドラマを軸に、貴族階級とロンアの農民の姿が対照 して描かれ、そこから多くの社会的矛盾が暴き出される。人間洞察の眼の 深さ、文学的構成と筆致の確かさ、劇的起伏に富む物語展開のみごとさは 比類がない。「戦争と平和』と並ぶトルストイの最高傑作・ トルストイ著工藤精一郎訳 アンナ・カレーニナ 下中上王 近 一一七 0 頁 近刊 一一七九頁