て形成されつつある新文壇こそ、時勢に対立して自由な表現によって生きることを可能にするた だ一つの場となったのである。 はうじよう 八六 ) 一月、はじめて逍遙を訪問した二葉亭は、この、豊饒なみすからの才 明治十九年 ( 一八 こうよん 知に酔ったような人、広な江戸芸術の素養と英文学の新知識の所有者であって、それがために せっちゅうしゃ べリンスキ 1 はじめ、 日本の封建文学と西欧近代小説の巧みな折衷者となった坪内逍遙を前に、 ロシア文学論や小説に深く影響されてきた自己の小説観や翻訳の試みをつぎつぎに提示していっ た。「 : : : 主として十九世紀中葉のイギリス文学、スコットやリットンやヂッケンス程度乃至マ リャットやヂ = ーマ風の大衆物が関の山の私は、彼にぶッつかって、全く別種の文学論を聴き、 いわゆる 別種の人格を見た。怖ろしく内省的 ( 精神分析論者の所謂内向的 ) で、何事に対しても緻密で、 精刻で、批判的なのだが、決して容易に断定はしない、常に疑問的で、じれッたい程に慎重な態 度であって、そうしてその深沈な態度に一種不思議な魅力があった ( 此魅力が所謂デモニックー こぞ とインフルエンスというやつで、二葉亭に会った者は挙ってそれに中てられたものだ ) 。彼のよう 一な性格がわが同胞中にあろうとは予想していなか 0 た私は、彼の議論に驚くよりも、彼の性格の 迷特殊なのに驚かされた」 ( 『柿の蔕』 ) と逍遙はのちに回想しているが、その逍遙が二葉亭に助言し 亭ながらその理論を引き出して理解することに苦慮している間に、二葉亭は「小説神髄」の論理を 二補う「小説総論」の理論を組み上げ、これを小説「浮雲」の創作によって実験していったのであ 5 る 未完に終わったが、「浮雲」によって、二葉亭は近代日本文学の骨格を樹立したといえる。妙な 0 あ
内田魯庵 二葉亭主人と自分との初期の交際は、文学上と云ふよりはもッと親しい、もッと内輪に入った 交際であった。もっとも晩年、自分がトルストイの『復活』を訳して居る頃には、往復端書で質 疑応答を済ますと言ふ風になって以前の親しみは無くなって了った。ロシャへ行ってからも一二 度は手紙を貰った筈だが、近頃調べて見ると一つも残って居ない。 これは自分がよく手紙を破る ので、来たのを破って了ったのかも知れない。 それは兎も角として、故人程紀念を残さない人は少なからう。故人は極めてジミな人であった。 てゐるのだらうとも考へたりして、兎に角他とは截然類の違ったものを読まされたといふ気持が こんにち 切に身に迫った。是れを今日から解釈して見ると、つまり当時現在の我等が活きた血と肉とに触 れたのである。 ( 後略 ) ( 同右 ) なおこの逍遙・魯庵編「二葉亭四迷」には他に「追懐一片 . ( 徳富蘇峰 ) 、「長谷川君の性格 . ( 坪内逍遙 ) 、 「長谷川辰之助氏」 ( 森外 ) 、「長谷川一一葉亭氏を悼む」 ( 島崎藤村 ) 、「長谷川君と余」 ( 夏目漱石 ) 、「二葉 亭氏ー ( 正宗白鳥 ) 、「言語体の文章と浮雲」 ( 幸田露伴 ) 、「二葉亭の一生ーーー回顧一一十年」 ( 内田魯庵 ) 等が 掲載されている。 ( 編集部 ) 二葉亭四迷を論す
主要参考文献 単行本 坪内逍遙・内田魯庵共編一一葉亭四迷 ( 明四一一・八、易風社 ) 内田魯庵思ひ出す人々 ( 大一四・六、春秋社 ) 坪内逍遙柿の蔕 ( 昭八・七、中央公論社 ) 坂本浩一一葉亭四迷 ( 昭一六・三、子文書房 ) 岩波書店全集編集部編一一葉亭案内 ( 『一一葉亭四迷全集』〈全一七冊〉別冊、昭二九、岩波書店 ) 昭和女子大学近代文学研究室編近代文学研究叢書 ( 昭三三・一〇、昭和女子大学光葉会 ) 中村光夫一一葉亭四迷伝 ( 昭三三 ・一二、講談社 ) 早稲田大学図書館編一一葉亭四迷資料ー目録・解説・翻刻 ( 昭四〇・四、早稲田大学図書館 ) 清水茂編一一葉亭四迷 ( 『近代文学鑑賞講座 1 』昭四二・六、角川書店 ) 文 雑誌特集号 考 参 要露国に赴かれたる長谷川二葉亭氏 ( 『趣味』明四一・七 ) 故一一葉亭氏追憶録 ( 『新小説』明四一一・六 ) 一一葉亭資料特輯 ( 『明治文学研究』昭九・一〇 ) 一一葉亭研究 ( 『文学』昭一一一・九 )
言い回しになるが、未完に終わったこと自体をー一応い嚇を《《。 幻も含めて、それは、近代日本人の思想的骨格を 構造的に造型し得ているからである。いったん 統合したものが、ふたたび分裂してゆかざるを、 えないような、近代日本文化の理想と現実との、 伝統と未来との、発展のメドを失ったいたむべ き割れめをのそかせた、奇型的な造型のままで、 かなり強い諷刺性をもった芸術的、思想的構造の ( ・ を示しているからである。 思索と彷徨しかしこのことは、同時に二葉 亭がそれによって支えられていた人生観の分裂、 崩壊を意味するものでもあった。しかも、時代 2 、 ! の水準よりも進み過ぎた二葉亭の理論と実作は、 世間一般から十分な理解を得ることができず、はお、 彼を失望と孤立に追いやった。文壇の情勢は、 国木田独歩がのちに「洋装せる元禄文学」と評 したような安易な風潮へと走りがちであった。このため、日本文明の芸術的、批判的表現から、 一歩退いて、作家以前の自己の根本的検討に向かっていった二葉亭は、その後官報局の一吏僚 外国語学校教授時代 , 同僚たちと ( 左端 , 四迷 )
214 二葉亭の背骨であったのではあるまいか。日本文学の自主的、創造的な近代化という困難な道程 へ二葉亭を押し出していった内部の衝迫もまた、この国際的な視野の広がりを見失わないナショ ナリズムが、日本文明の無自覚で追随的な西欧化の動向や、またそれとうらはらな封建主義や伝 統への固陋な依存とに対して、ともに強烈な懐疑と批判、自主性の確立の課題意識を呼びさまし たことに発しているのではあるまいか。少なくとも、明治二十二年 ( 一八八九 ) 六月、「浮雲」第 三篇執筆中の二葉亭が手記 ( 『落葉のはきよせ』二籠め ) にしるした自省のことばとしての小説観 「イヤイヤさにあらす。是れは文章家の生涯なり。小説家は今少し打ちかかりたる所あるべ し。一枝の筆を執りて国民の気質風俗志向を写し国家の大勢を描きまたは人間の生況を形容して 学者も道徳家も眼のとどかぬ所に於て真理を探り出し以て自ら安心を求めかねて衆人の世渡りの 助けともならば豈可ならずや。されば小説は瑣事にあらす」云々のくだりには、日本の小説を口 シア小説を媒介として伝統的な戯作から脱却させ、なんとか国際間にい立できる民族の芸術意識 にまで高めようとする苦慮が脈打っている。 近代小説実現への道こうして二葉亭は、学び取った十九世紀ロシア文学と対等の芸術的発現 を、・日本にもたらすために、みずから進んで文学革命の道へ入った。母校の外国語学校が廃止と なったことや、官吏に転身していた父の免職などが、彼の時勢の根底に対する懐疑と批判の眼を いっそうきびしくさせた。ところへ、同郷の先輩格である坪内逍遙が、新学士の身でありながら 当時出世の常道とされた官途に進ます、小説「当世書生気質」、論文「小説神髄」をひっさげて文 学改良の道にはなばなしく登場したことも彼を大いに刺激した。彼にとって、逍遙を指導者とし ころう
218 れていたらしい翻訳の仕事、なかんすく名訳とされる、ツルゲ 1 ネフものの「あひびき」「めぐり あひ」「片恋」「浮草」等には、高い理想の実現を阻まれて苦悩する知識人としての二葉亭の鋭く てデリケ 1 トな感受性が、おのずからにじみ出ている。 知識人追究の文学そのような自己自身の半生をも含めて、日本の知識人の姿、とくに文学者 の自己形成や生活における、高い人類的、かっ民族的な理想や、社会意識の欠如、さては人間主 体の弱さをもろに批判的に造型しようとしたところに成 0 たのが、後期の小説「其面影」や「平 凡」であろう。おのすからそこに作者の苦渋に満ちた生涯の反省がにじみ出て、滋味豊かに日本 の近代を形成してきた知識人の存立の意味や限界を描き、その未来を暗示する文学とな 0 ている。 未完成の大きな謎しかもなお、究極において高次元における政治的理想と文学との結合を夢 見てやまなか 0 たがために、自己をも含む日本の文学者の現状にあきたりなか 0 た二葉亭は、ふ たたび作家としての自己に見切りをつけ、朝日特派記者としてロシアの首都ベテルプルグ ( レ = , グラード ) に赴き、病を得ての帰途、明治四十一一年 ( 一九〇九 ) 五月十日インド洋上に近 0 た。 一一葉亭の後半生における文学に対する懐疑、自然主義文学者によ 0 て、「実行と芸術」というふう に定式化されてしまう、その混沌とした懐疑は、「文芸は男子一生の事業とするに足らず」と言 0 たと伝えられるその伝説どおり、額面どおりには、必ずしも受け取ることができないものをも 0 ている。自己の作家的資質に対する弱気もからま 0 てはいるが、それ以上に、文学に賭けた理想 が大きか 0 たのであり、また先駆者として、後続世代による文壇の文芸意識に対する厳刻な批判、 反発がそこに潜められていた。その二葉亭自身は、高い人類的、民族的、かっ社会的な理想を追
もしそれ趣向の妙と情致の周密は、例の春のや二葉亭両氏の手に成りたれば、これを説かざるも あいがん 知る人は知るべし。ただその文の霊妙なるをここに広告して愛翫を希望す。文章の改良を重んず る士並びに東洋将来に於いての必ず行なわるる文章の体は果たして如何ならんと思う人は、この 小説を一読して大いに語る所あるべきなり」。これが全文である。明治時代の批評家や文学史家 たちが、「浮雲」をいう場合に、現実追求のエネルギ 1 の強さや、人間的苦悶の深さをいうよりも 先に、言文一致の文体に力点を置こうとしているのは、この広告文が示す次元においては、ゆえ なきことではないのである。 「浮雲」は、日本文学史の上で、まったき意味における近代リアリズム小説の始祖であること は、あらためていうまでもないが、また、ついに未完成に終わった作品であることも、今では周知 のことに属する。この挫折の必然性を、中村光夫氏は今度の「二葉亭四迷伝」で、小説のメカニ ズムの点からみごとに解明している。がまた、公式的にいえば、二葉亭が理想とする文学の場が、 きびしい自己批判をも含めて、どちらを向いてもふさがれていたという事情もあったに違いない 「浮雲」は中絶したが、手記「くち葉集」には、第三篇大団円までの。フランが数種残されている。 説その中の一つに、お勢が昇と結婚するので、文三は失望落胆し、「食料を払いかねて叔母にいため 解 られ」、あげくに狂気して精神病院に入る、というようなことが見えている。 品 作 一九五八年十一月二十八日
212 ざんげ 一一葉亭は、後年、談話筆記「予が半生の懺悔」 の中で、「何でも露国との間に、かの樺太千島交 換事件という奴が起こって、だいぶ世間がやか こましくなってから後、『内外交際雑誌』なんての てきがいしん 式では、盛んに敵愾心を妓吹する。従って世間の よろんふっとう 輿侖よじノ 河騰するという時代があった。すると、 私がずっと子供の時分からもっていた思想の傾 向ー維新の志士肌ともいうべき傾向が、頭を擡 げ出して来て、即ち、慷慨愛国というような輿 論と、私のそんな思想とがぶつかりあって、その結果、将来日本の深憂大患となるのはロシアに ふせ きまっている。こいっ今の間にどうにか禦いで置かなきゃいかんわいーそれにはロシア語が一番 に必要だ。と、まあ、こんな考えからして外国語学校の露語科に入学することとなった」と言っ ンシアリズム インべリアリズム ている。この自称「帝国主義」が、自然ロシア文学に結びつき、さらに「社会主義」の思想にま で発展したというのだから、一見、二葉亭はまことに皮肉な、奇妙な偶然の連命にもてあそばれ インべリアリズム た人のように見える。しかし、十九世紀後半における先進西欧諸国の、それこそ「帝国主義」の 一環にほかならなかった、帝政ロシアの南下政策に対して、若い二葉亭が後進国民として一種の 激しい民族的な危機意識に駆られ、その危機感を外交官となって国際的に解決しようとしてロシ ア語に結びつき、さらにそれが、帝政ロシアの内側からの批判者であった十九世紀ロシア文学
って違っている。「浮雲」から約十年あとの、二葉亭の談話として伝えられている「作家苦心談」 あえばこうそん によると、第一篇は式亭三馬・饗庭篁村・八文字屋もの、第二篇はドストエフスキーとゴンチャ ロフ、第三篇はもつばらドストエフスキー ( 二十年後の談話『予が半生の懺悔』ではゴンチャロ フとなっているが ) 、というぐあいに、それぞれの筆意を模したと言い、また、稽古をするつもり でいろいろやってみたのだとも言っている。二葉亭は、「文章」という点でこういうことを言って いるのであるが、しかし、ある文体を目標とするということのうちには、単に文体そのものの模 倣だけにとどまり得ないものがあるはずだ。発想や思考や、人間関係のとらえ方、その追求のし かた、その形象化のしかた、などに密接に関係してくる。 けさくぶんちょう したがって、第一篇には、近世江戸時代末期の戯作文調が、かなり顔を出しているけれども、 第二篇、さらに第三篇と進むにつれて、それそれ次第にぬぐわれて素直な口語文調になってゆく 反面において、それに対応して、人間の見方、その造型のしかたが、きわだって違ってきている。 一口に言うと、次第に人間の内部へはいりこんでゆき、ますます心理的になっていっている。第 三篇に至っては、ほとんど終始一貫、文三の腹のうちを書いているといえるくらい、すっと内部 説深くはいっている。つまり、異なる文体を媒介とすることで、文学の方法までが各篇においてズ 解 レを生じているといえる。結果としては、人間のとらえ方が、深まっていっているのではあるが、 作 これには、岡野他家夫氏の「明治文学研究文献総覧」の書影中に見えるものと、数年まえ上野の国会図 書館で発見されたものと一一種類ある。ともにやや特殊なもので、広く流布させるためのものではないよう である。
正宗白鳥我が生涯と文学 ( 昭一一一・二、新生社 ) 片山せつ在りし日の父一一葉亭四迷 ( 『明治大正文学研究 5 』昭一一六・四 ) 窪川鶴次郎近代文学と貧苦 ( 『世界』昭一一六・五 ) 清水三三恩師一一葉亭四迷の思ひ出 ( 『ソ連研究』昭二七・一一 ) 関良一一一葉亭の思想 ( 『山形大学紀要・人文科学』第一一巻三号、昭一一八・三 ) エル・カルリーナ ( 古林尚訳 ) 一一葉亭四迷論ーベリンスキーと日本文学 ( 『文学』昭二八・一〇 ) 猪野謙二日本の近代化と文学 ( 『岩波講座文学 4 』昭二九・一 ) 稲垣達郎文学革命期と一一葉亭四迷 ( 『岩波講座文学 4 』昭一一九・一 ) 柳田泉一一葉亭とその周囲 ( 『文学』昭和三〇・一一ー五 ) 木村彰一二葉亭のツルゲーネフものの翻訳について ( 『文学』昭三一・五 ) 清水茂後期の一一葉亭 ( 『日本文学』昭三三・三ー七 ) 楙原美文逍遙・二葉亭 ( 『岩波講座日本文学史Ⅱ』昭三三・ 松田道雄浮雲について ( 『文学』昭三四・一 l) 平野謙社会的適応と不適応 ( 『近代日本思想史講座 6 』昭三五・一 I) 越智治雄一一葉亭と逍遙 ( 『解釈と鑑賞』昭三五・一〇 ) 文十河信介一一葉亭四迷における正直の成立 ( 『国語国文 8 』昭三九・八 ) 考伊沢元美一一葉亭四迷と内村鱸香 ( 『島根大学論集』昭四〇・三 ) 要山本正秀明治一一十一年前後の言文一致論争 ( 『近代文体発生の史的研究』昭四〇・七 ) 北岡誠司小説総論材源考ー一一葉亭とべリンスキー ( 『国語と国文学』昭四〇・九 ) 安田保雄あひびきとめぐりあひはどちらが先に翻訳されたかー一つの仮説 ( 『鶴見女子大学紀要 3 』昭四