星がよくわかる。 土星光度は〇・五等ぐらい、ほとんど動くようにはみえないので、恆星とまちがえられやす 。美し、 しリングは小望遠鏡でもよくみえる。 天王星 ( 光度六等、現在おとめ座 ) ・海王星 ( 光度七・七等、てんびん座 ) ・冥王星 ( 十五等、 しし座 ) はいずれも肉眼ではむり。火星と木星の間にたくさん発見されている小惑星も肉眼での みものはまったくない。 このほか太陽系に属する天体として、彗星、流星、黄道光、対日照などがある。 彗星は、毎年十個内外が発見されるが、肉眼でみえるものは数年に一個くらいで、最近では一 九五八年のアランド・ロランド彗星、ムルコス彗星、一九六五年の池谷・関彗星がハッキリとみ られた。しかし、なんといっても花形は一九八六年に、七六年ごとに地球へ近づいてくるハレー 彗星である。 流星はその気になれば一晩で十個も一一十個もみることができる。大部分の流星は流星群に属し ていて、ある星座の一点 ( 放射点という ) から四方へとぶようにみえる。特に多くみられるのは 四月のこと座流星群、八月のベルセウス座流星群、十月のりゅう座流星群、十一月のしし座流星 群などであるが、いずれも彗星の軌道と大へん関係がある。つまり彗星のふりまいていったゴミ 手くずが流星群になるわけで、特に十一月のしし座流星群は三十三年目ごとに大出現をしたので有 空名だ。 ( 一九六六年はその年にあたっていて、アメリカでかなりよく出現したという。 ) また流星の中にはひじように光度が明るくスビードもおそい火球というのがあ 0 て、しばしば
数は三〇〇〇個というわけだが、実さいにはとてもそんなにたくさんはみえない。第一に地平線 が完全な水平ではないし、地平近くでは大気層による減光があって、星の光がさえぎられるため かなり割引きされる。よほど空の状態がよくても二〇〇〇個みえれば「降るような星空」といっ てよいだろう。スモッグや町の灯火で妨害されている大都会では一千個もみえないのではないか と思う。東京のまんまん中で、いったい、 しくっ星がみえるものか、実さいに数えてみられたらど うだろうか。 ところで、夜空に光っている恒星の光度は、あくまでもみかけの上のことだけで ( これを実視 冫をいかない。そこですべての星を十パーセク ( 三 光度という ) 、ほんとうの明るさというわけこよ 二・六光年 ) のところへおいたと仮定して、その場合の地球からのみかけの光度を、絶対光度と 呼んでいる。たとえば太陽の絶対光度は、四・五等というごくさえないことになるし、オリオン 座のリゲルは〇・五等星からマイナス六等というすばらしいことになってしまう。 なお、恒星の距離はわりに近いものについては三角測量と同じゃり方で、恒星の視差をはかっ て距離をだすが、一ばん近い恒星がケンタウルス座で四・三光年、大いぬ座シリウスが八・七 光年で十光年以内の恒星というのは、たった七個しかなく、あとはすべてそれ以上、なかには、 数百光年、一千光年以上の恒星もある。 ( 天の川の中心部は私たちから三万光年というから、そ ・手のくらいの距離の恒星もざらにあるわけだ。 ) へ恒星の色は表面の温度をあらわすし、その星のスペクトル型、そして年齢をも意味するという 星重要なものである。恒星のスペクトルは、 o と大別され、色は青白・白・黄・橙・
散開星団がプレアデス・ヒアデス・プレセペ・ベルセウス座の一一重星団・メシェ七ぐらい、球状 星団はメシェ十三、日本からはみえないケンタウルスの・きよしちょう座ミという三つがある。 ガス星雲ではオリオン座の大星雲以外は肉眼ではちょっとむり、以上あげたものでも大部分が肉 眼ではポンヤリした光の塊りにしかみえない。しかし双眼鏡か小望遠鏡でもあれば、このたのし みは倍加する代り視野はうんと狭くなる。メシェ目録の案内書などもできているから天の川に沿 ってじっくりとながめているとほんとうにあきるということはない。 小宇宙は北天ではなんといってもアンドロメダ座メシェ三一ただ一つ、南天には大マゼラン 小マゼラン雲がある。赤道近くの南方にいったらぜひみてこられるとよろしい 。フラネタリウム 天然の星空がよくみえなくなったとなげく都会の人のために、星座の動物園みたいな設備があ る。プラネタリウムというのがそれで、日本には現在大型プラネタリウムが四台あり、東京・名 古屋・大阪・明石とある ( いずれもドイツのツアイス社製 ) 。この装置は一種の立体スライド投 映機で、丸天井に星空の原板を本物そっくりにうっしだし、日周年周運動をスピードアップして 再現しあるいは南北の軸をかたむけて、日本ではみえない北極や南方の空もごらんにいれようと 引 手いう装置である。最近は国産の小型のものも各地の学校や科学センターなどにそなえられている 〈ようだ。プラネタリウムでて 0 とり早く勉強して本ものの星空ととりくむのも一つの方法である
ル 々′・ ( 北星 ) イかんむり おおぐま、 し◆・、 かりようけん ふた しし・ おとめー ( 天の赤道 ) / ケンタウルス、 白鳥 リゆう′ ~ 十お / 一、第 ぎよしゃ 東、 / び ) 工リダメス こいぬリて ・おおいぬ はと ☆ 1 等星 ☆ 2 等星 ◆ 3 等星 ・ 4 等星以下
まを追いかける動作を連想させるのかもしれない。 南西に目を転ずると、冬のころはなやかに空をいろどっていたぎよしや、おうし、オリオン、 いっせいに西にかたむいて総退却の姿勢にある。その中で 、小いぬなどの一群の星座は、 大いぬ ふたご座だけが、西の空にまだかなり高く、カストル、ポルックスの二星を頂点に直立した形で みえている。いかにもふたごが二本の支柱をガッチリとっくって、ほかの星々がそれにすがって いるようにもみえる。私はこれからサンフランシスコの金門湾にかかる大吊橋を連想したことが ある。 南の空にはそれぞれ春めいた特長を持っ星座がみえる。 まず目につくのは、四個の小星にかこまれて中心がポンヤリと鬼火のような燐光につつまれて いるかに座である。かに座自体は、ごく小さな目立たない星座であるが、それでも黄道十二星座 の一つとして重要であるし、もう一つは、そのポンヤリした光の塊りーー・・正しくはプレセべ、ま ハイプ ( 蜂の巣 ) と呼ばれる肉眼にもみえる散開星団の存在で名高い。プレセべは、 小望遠鏡でみると、約五〇〇個の徴光星の大集団である。イタリアのガリレオがはじめて自製の 望遠鏡でこの星団をみて、 「プレセべといわれる星雲は、一つの星ではなくて、何十個もの小さな星の集まりだ″【」と叫 んだのでも有名である。 そのかに座にほえかかっているような姿にみえるのがしし座である。しし座の頭部は、疑問符 のクエッション・マークをうらがえしにした形にみえるが、西洋では「しし座の大がま」と呼んで
不動の北極星 ひと昔前の少し硬派の歌曲、たとえば軍歌とか高校の寮歌、校歌の歌詞に、「不動の座をしむ る北極星」とか「北辰 ( 北極星のこと ) の座ゆるぎなく」などという文句がよくあった。 北極星という星は、天の北極にあ 0 て永遠に動かざる星という考えからうまれた言葉である。 第一、北極星がほかの星のように一晩中東から西へと移動するのでは、北の方角を教えてくれる 目当ての星にはならない。もしそうとすれば、北極星はよほどの特殊の状態にある恒星という一」 とになる。ところが、実はそんなことはないのだ。 地球はご存知のとおり、地軸を中心として、一日二十四時間で自転をおこな 0 ている。地軸を 北の方に延長してい 0 た点が天の北極にあたる。したが 0 て、天の星々は天の北極を中心とし て、東から西へと同心円をえがいて日周運動をおこな 0 ている。もし、ごくふつうの写真機のシ ャッターを開放にして天の北極にむけてしばらくおいておけば、星の方で勝手に動いて北極を中 心とした美しい光の線の同心円がうっせるわけである。こうした写真でみると北極星も、小さな 円弧をつく 0 てちゃあんと円運動をしていることがよくわかる。つまり、たまたま天の北極の一 ばん近くに位置していたわりと明るい恒星が北極星の栄をにな 0 たわけである。北極星が不動と か、北極星自身がうんと特殊な立場にあるわけではないのだ。 北極星は、したが 0 て、現在天の北極から約五十八分ほどはなれている。そして、北極星は天
の北極からこれだけの半径の 極円をえがいて日周運動をする わけだが、 この円弧の中に写 真撮影の結果、なんと二〇 0 し個近い恒星が数えられるとい 開うことだ。この中には、 Z (-5 ラ o 三一七二という星雲も発見 されているし、一八四三年に 発見された十等星で、当時天 の北極からわずか角度にして 一一分しかはなれていない星が ンシマ ( もっと あり、ポ一フリ、 も北極に近い星 ) という名が あたえられている。 ところで、私が「当時北極 にもっとも近い」とか、「現 在は五十八分の距離にある」 などと少しもったいをつけた
3000 ケフエウス 0 % りゅう 20000 デネプ ~ ルクレス 15000 、 い方をしているのは、北極 星がまったく偶然、しばらく のあいだその位置をたもって いるにすぎないからである。 歳差という妙な現象があり、 地球の自転軸が約二万六千年 の周期でたおれかかったコマ みたいな首ふり運動をしてい るために、今でこそ北極星は 人類の案内星としてかがやい ているが、何千年か過去には 他の星が北極星であったし、 変将来はこの星は北極星でもな んでもなくなる運命にある。 胃北 るこの点でも「不動の座ーなど にといううたい文句はおかしい 運こともわかってくる。 歳現在の北極星は、これから
くらい、距離は一千光年くらいのかなたにあり、直径は太陽の数倍くらいであるが、実光力は太 陽の数千倍にもなるという。 北極星のある小ぐま座は、神話によると女神〈ーラのし 0 とのためくまの姿に変えられた母の カリストを射殺そうとした息子のアルカスで、大神ゼウスの手で母子もろとも天につかみあげら れ、大ぐま、小ぐまの星座にな 0 たとったえられている。北斗七星の大きなひしやくに対してや はり七個の星が小さなひしやくを形づく 0 ているので、大びしやく ( ビッグ・ディッ。、 ー ) と昔から呼びならわされている。北極星は、ちょうど して、小びしやく ( スモール・ディッ。、 小ぐまの尻尾の先、すなわち、小びしやくの柄の先にあた 0 ており、小ぐまの姿ないし小びしゃ くは、北極星のところを鋲でとめられた形で、一晩中ぐるぐると回転しているわけである。 一日ご このことは、小びしやくがかなり正確な時刻を教える目安となる。年周運動のために、 とに少しずつ時計の針のスタートの位置がかわ 0 てくるのが、いささか不便であるが、星空によ く精通していればそうめんどうなことはない。中世のヨーロッパでは、小びしやくのことを「角 儔」と呼んで、その位置で時間を知 0 ていたようである。ダンテの「神曲」にも、 「またえがきみよ、夜も昼も、われらの天のふところにありて足れりとし、そのながえをめ ぐらしつつもかくれ去ることのなき北斗の七星を。また第一の天輪に車輪をなせるものの先端 にはさまる、かの角笛のロを。」 とあるのはまさしく小びしやくであるし、セルバンテスの「ドン・キホーテ」には、ドン・キ ホーテが、夜半に水車のまわる音を敵のおそってくる音とまちがえてたちあがろうとするのを、
従者のサンチョ・ ( ンサが夜明けまで待 0 た方がいいととめるくだりにこんな文章がある。 「わしらが昔、羊飼いをしと 0 たころに習 0 た学問では、あの角笛のロが頭の真上にきて、 左の腕の線の中にあるときは真夜中じやから、もう夜明けまでにや、 = 一時間とはござりません からの。」 とあ 0 て、私の読んだ本には、親切に注がつけてあり「角笛のロとは小ぐま星のこと、この星 を目あてにして両腕をのばし、十字形をつくり、星と両腕との位置の関係によ 0 て時を計る」と 述べられてあった。 また、小びしやくのロにあたる小ぐま座とは「極の守衛」ともいわれている。北斗七星が 北極星を一のみにしようとする大口のなまずみたいにみえるが、とはそうはさせないように し 0 かりと北極星を守 0 ている。そんな形にみえるからだ。そういえば、日本にもこの二星をャ 一フィノホシ、 ( ンノホシなどと呼び、北斗七星がヒトッポシ ( 北極星 ) をと 0 て食おうとするの を必死に防いでいるという伝承をつたえている地方もある。