ることはおわかりと思う。春の星座、夏の星座というのは夕方の空にみえる星座のことで、夜明 け近くになれば夕方の空とは正反対の季節の星空がちゃんとみえるのだ。ときどき早おきをして 季節はずれの雪景色の中のさそり座をみるのもたのしいものである。 太 私たちの大親である太陽は平均して私たちからの距離は一億五千万キロ ( この距離は一天文単 位という長さの基準になっている ) 、直径一三八万キロで地球の一〇九倍、質量は三三万三千倍 という巨大な天体であるが、恒星としては中くらい以下の、ごくふつうの進化をとげた星であ る。表面温度は六千度で、スペクトルは ()5 型の黄色星ということになっている。 肉眼でみたときの太陽は直径約三十分、せいぜい穴あき銅貨の穴くらいの大きさである。一般 の人が観察して面白いのは太陽の日の出・日の入りの位置であろう。地球の自転軸のかたむきの ため、太陽は真東からのほって、真西に沈む日というのは春分、秋分の二日だけで、夏は北によ 、冬は南によって出没する。地平線の景色とくらべてどのくらい変化するかスケッチしてみる と面白い。また太陽の高さによって家の影がどのように変化するかも観察の一つの材料である。 日の出、日の入りのときの太陽は、地平線の大気やゴミで赤く染まってみごとだが、ときたま 手グリーン・フラッシュという緑色の閃光をみることもできる。また光の屈折で丸い形が異常な姿 へ になることもある。望遠カメラ ( もちろんこいフィルターをつけて ) で写真にうっしても面白い 空 また大黒点が出現していれば、地平線に近いときには肉眼でもみることができよう。ふつうは小
のはあり得ないことになる。星空は天頂すなわち天の北極から九〇度のはんいしかみえない。っ まり全天の半分がいつもみえているだけで、あと半分は北極からは永久にみることができないの・ 地球上の緯度〇度の土地、つまり赤道上にいる人には、星空は東の地平線から平行にのばり西 の空へと平行に沈んでゆく。理屈の上では天球のぜんたいをいつもみることができるわけであ る。北をむけば北半球の空、南をむけば南半球の空がみえ、一晩中みていれば天球のほとんどす べて ( 太陽の近くだけみえないが ) がみられる。ただしいくらながめても、天の北極と南極が地 平線なのだから、地平線下に沈まない星はせんぜんないわけである。 こ、ぶ天球のみえ方がちがってくる。 ところが、中緯度地方 ( つまり日本のような ) では、オ℃ ( ここでは日本の場合を例にとって北半球の中緯度としておこう。 ) ここでは、天頂と天の北極と 冫オいぶずれてくる。どのくらいずれてくるかといえば、北極で天頂 ( つまり九〇度 ) の高さに 、ヒ靠六五度では天頂から二五度 あった北極星が、しだいに緯度の余角分だけ低くなる。つまり」ノ 、ヒ韋五〇度では四〇度さがり五〇度の高さ、東京の緯 低くなり地平から六五度の高さにみえ」 度、北緯三五度では天頂から五五度低くなって北極星の高さは三五度の高さとなる。ここですぐ ( 前にも述べたが、北 気がづくのは、その土地の緯度と天の北極の高さとは同じであることだ。 極星はたまたま天の北極のすぐ近くにあるわりと明るい星である。 ) そこで天球、つまり星空の動きもここではだいぶちがってくる。天の北極から三十五度の範囲 にある恒星は周極星といって、地平線の下に沈むことのない星々である。このはんいにある星座 ミ」 0
み 天の川 シリウス ケ 大 ケンタウリ 南さんかく 天の南きよく リゆうこっ カノープスはと 大マセ・ラン云 0 うさぎ 0 はごく少なく、たとえば北極星のある小ぐま座、り ゅう座の大半、そして、きりん座、ケフエウス座、 あとカシオペア座のの字、大ぐま座の北斗七星は 地平すれすれになってちょっと地平線にじゃまもの でもあれば事実上はみえないのである。 あとは南の地平線まで、天の北半球の星空すべて ( つまり天の赤道以北の星座 ) と南半球のかなり多 くの星座がいちおうみられる。しかし、どうしても みられないのが天の南極を中心として三十五度のは んいの星座である。つまり東京でみられる天の北極 くヒやく 空をめぐる周極星と対称の位置にある天の南極周辺の さ〔だんれ星座が、東京にがんば 0 ていたのでは永久にみられ みないこととなるのだ。星座の数は八十八座あるが、 このうちの約八割、六十八座が東京 ( 日本ぜんたい 刻 タでもだいたい同じくらい ) でみられる。 星座にくわしい人ならすぐ気がつくことは、東京 度 でみられる星座のほとんどが、いわゆるトレミー星 南座と呼ばれるものであることだ。紀元二世紀、北ア 工リダヌス アケノレナ′レ 小マゼラン雲 きよしちょう 東 南 -4
オ , オンの三つを ・レりウス おおいぬ座 1 ー′ーー サン々′ ニ等分℃た角を さらに二等分す・ スる。これでは、大気差という、大気の 一厚みでおこる光の吸収のための減光現 功象で、せいぜい二等星にみえるのがせ 線い一杯ということになる。 しかし、南の地平線のひらけた場所 下ならどうにかみられないことはない。 カノープスをみつけるには大いぬ座の ク。の三つの星がえがく三角形 ( 和 名でサンカクポシ、クラカケポシなど と呼ばれている ) がめあてとなる。カ ノープスが午後八時に真南にくるの は、二月六日だから、このころがチャ ンスだ。大いぬ座の星々が真南の少し 手前にあるころ、り。 6 のつくる三角 見形を二等分した角をもう一回二等分し スた線を、ななめ右下の方に延長してゆ 一くと、地平すれすれにみつかるはすで・ あるが、これがなかなかむずかしい 9
秋の星座 秋風と共にさそり座ゃいて座の姿が西南の空にかたむき、はなやかな夏の夜空は、冬の大スタ ー登場の幕間の形で、なんとなくうすらさびしい星空となる。 たしかに、夜空をながめまわしても、星座のかなめとなる一等星の姿が一ばん少ないシーズン である。西の空にまだ牛かい座のアルクトウルスや、七夕の織女、牽牛もみえている。さそり座 のアンタレスもかろうじてみえる。東の空からは、冬のさきがけ、ぎよしゃ座のカペラがそれぞ いかにも秋枯れを れのばってくる。しかし、おなじみの、そしてみごとな星座はほとんどなく、 思わせる。 たとえば、北の空をみても北斗七星がみえない。北の地平線のうんとひらけたところにいって、 みると、やっと、ひしやくの柄の星がかろうじて地平すれすれ、息もたえだえの感じでみえてい る。その代りの北極星の位置をさし示してくれるカシオペア座は中天高くかかっているが、トレ ードマークのはさかさまのの字になり、型としてはみごとではあるが、なんとなくスケール が小さいのは否定できない。 このカシオペアのの近くに四〇〇年ほど前、金星より明るい超新 星があらわれ、デンマークの大天文学者ティコ・プラーエをおどろかしたものである。 北極星からまわれ右をして真南の空をみると、ここにただ一つ、ポツンと光るさびしそうな一 等星がみつかる。南魚座のフォマルハウトという星である。光度も一・三等と、一等星の中でも
にぶつかる。つまりこの一辺は、天球上で重要な基準の線である本初子午線 ( 赤経〇時の線 ) と 一致しているわけである。 もう一つべガスス座と Q2- を結んだ線を南に延長してゆくと、この章の主題である「秋の一つ 星」にゆきあたるのである。つまり南魚座のフォマルハウトがみつかるのだ。 フォマルハウトは東京あたりの緯度では地平線から二〇度くらいの高さになるが、光度は一 三等という一等星の中でもずっと下位になるさえない星だ。ほんとうは、スペクトル型はの白 色星なのであるが、地平に近いせいか、ときには赤く黄色く閃光をはなつようにもみえ、いよい よ印象を暗くさびしくさせている。北極星を昔から日本人は「北の一つ星」と呼んでいるのだ が、もし「南の一つ星」というものを選ぶとすれば、フォマルハウトを除いてはないだろう。 やこの章のタイトルである「秋の一つ星」の名がもっともふさわしいかもしれない。 この星の和名は野尻抱影氏の「日本 係 の形 ウ ス方 / の一 のの星 , でみても、これといったものは ス大イ外一 マ ウないようである。しかし、周囲にほと 3. んどめだった星のない秋の南天の一つ マ オ星が、みのがされているはずはないの とだからなにかあってもよさそうだ。私 スは民俗学関係の雑誌の中で、島根県邑 ペ知郡日貫村という山村で、秋ロ、一一間 . 北極星 み分点 1 釼
マリナー四号から送られてきたうすばけたみたいな写真をじーっとにらんでいると、どうも 死滅した月とは少しちがったような点がいくつかあるようだ。たとえば、一ばん最初に送られて きた写真には、火星の地平線らしいものがうつ 0 ているが、う 0 すりと雲か砂塵のようなものが 地平線の上にみえている。また凹孔も月にみられるような周囲のく 0 きりとした孔ではなくて、 砂漠の砂になかば埋もれたような、明らかに侵食のあとを示しているこわれかけたものがみとめ られるし、平地でも月にはみられないようなモヤモヤとした複雑なもようがみえているところも ある。第一、望遠鏡でみとめられる暗緑褐色のもようの季節変化はいったいどう説明されたらい いのか、とにかく火星に人間が一歩をしるし、この目、この手でしつかりみさだめるまではぜっ たいあきらめることはないんだぞとがんばっている人もある。 アメリカはさらに一九七一年にマリナー九号を火星の衛星軌道にのせて写真撮影をおこなうほ か、ポエジャー計画というプランを一九七三年をめどにして進めている。これは火星にガリバ 探測器という探査体を軟着陸させて、火星の生物の証拠をつかもうという大変面白い企てである。 、トンの植木鉢をさかさまにしたような容器で、火星 ー探測器というのは、重さ二・二 ~ / に着陸すると同時に、三方向にのりのついた三本のひもを発射する。ひもが十分のびき 0 たあ と、自動的に探測器の中にくるくるとたぐりこまれる。ひもについたのりには、火星面の泥や砂 とい 0 しょにもし徴生物や有機物があればく 0 ついてくる。ひもは装置の中の培養液の中にたぐ りこまれ、徴生物や有機物が活動増殖などの変化を示せば、培養液に含まれたアイソトープが反 夏応を示して地球へは電波でその結果をしらせてくるというわけだ。
数は三〇〇〇個というわけだが、実さいにはとてもそんなにたくさんはみえない。第一に地平線 が完全な水平ではないし、地平近くでは大気層による減光があって、星の光がさえぎられるため かなり割引きされる。よほど空の状態がよくても二〇〇〇個みえれば「降るような星空」といっ てよいだろう。スモッグや町の灯火で妨害されている大都会では一千個もみえないのではないか と思う。東京のまんまん中で、いったい、 しくっ星がみえるものか、実さいに数えてみられたらど うだろうか。 ところで、夜空に光っている恒星の光度は、あくまでもみかけの上のことだけで ( これを実視 冫をいかない。そこですべての星を十パーセク ( 三 光度という ) 、ほんとうの明るさというわけこよ 二・六光年 ) のところへおいたと仮定して、その場合の地球からのみかけの光度を、絶対光度と 呼んでいる。たとえば太陽の絶対光度は、四・五等というごくさえないことになるし、オリオン 座のリゲルは〇・五等星からマイナス六等というすばらしいことになってしまう。 なお、恒星の距離はわりに近いものについては三角測量と同じゃり方で、恒星の視差をはかっ て距離をだすが、一ばん近い恒星がケンタウルス座で四・三光年、大いぬ座シリウスが八・七 光年で十光年以内の恒星というのは、たった七個しかなく、あとはすべてそれ以上、なかには、 数百光年、一千光年以上の恒星もある。 ( 天の川の中心部は私たちから三万光年というから、そ ・手のくらいの距離の恒星もざらにあるわけだ。 ) へ恒星の色は表面の温度をあらわすし、その星のスペクトル型、そして年齢をも意味するという 星重要なものである。恒星のスペクトルは、 o と大別され、色は青白・白・黄・橙・
サギの橋ぐらいでは間に合うまい この罪は、新暦にある。七夕のほんとうの行事は旧暦の七月七日、つまり新暦の八月上旬から 中旬でなければならないのだ。八月初めなら、日本の場合、一年中でも、もっとも天候の安定し たときで、たまにタ立が降るぐらい、め 0 たなことでは七夕さんは逢いそこなうことはないので ある。 第一、かんじんの星空がずれている。新暦の七月七日のころ、タ空では織女・牽牛はまだ東の 空にかなり低くて、星空の中にひときわめだっ存在とはみえないのだ。旧暦ならば、天の川は東 北の空から南の地平線へと銀色のアーチをえがき、その両岸にかがやく織女と牽牛は、ほとんど 頭の真上近くまで昇ってくる。七夕に関するかぎり、新暦は私ども天文ファンにとってはなんと。 なく。ヒッタリしないのである。 しかし、世の中一般の人びとにとっては、そんなことはどうでもいいらしいのである。 たとえば、年々盛大になってゆく仙台市の七夕祭りがそうである。仙台の七夕祭りは江戸時代 以来、全市をあげて、モウソウ竹を一本ずっ切って、各家々にたてならべるという壮観なもの で、最近では、観光プームにのって、いよいよ隆盛なようだ。ただし、ここは感心なことに旧暦 日付がずれるのがめんどうだというので、新暦の七夕ーーっまり七月七日から一月 でおこない おくれの八月七日を中心として前後を三日間、文字どおりお祭りさわぎをやるのである。 私が仙台を訪れたのは、もう十八年も前になってしまった。古ほけた日記帳をとりだしてペー ジをめくってみると当時の記憶がありありとよみがえってくる。
し、生前の功績をみとめて天にあげて星座の列に加えたといわれている。両手に巨大な大蛇、ヘ び座をつかまえているのは、一説によれば蛇の猛毒をも制するというシンポルであるともいう し、また別な説では、蛇の毒を利用して一種のショック療法をおこなったからだともいわれてい る。そのエスクラビウスがさそりの頭をふんまえているのは、さそりの毒をも制圧し、克服して しまうという意味を持っているのだともいう。同じように、いての弓矢でねらわれているのも、 やはり毒さそりがあばれだすのを防いでいる姿であるのだろう。 そんなにまでしておさえつけられなければならない猛毒のさそり、害虫中の害虫が、これまた なんの理由で美しい星座の列にいれられただろうか。もちろん形のそっくりなことも理由だが、 ギリシャ神話が教えるさそりが星座になっているいわれも大へん面白い 冬空の王者となっている巨人猟師オリオンは、天上天下に敵対するもののない無双の豪傑であ った。あまり強すぎるとやはり反ばっするものもいて、天の神々のそねみのまとであった。特に しっと深い女神ヘーラは、美男子のオリオンが月の女神ダイアナに心をうばわれているのが、か んにさわってしかたがない。ついに一匹の毒さそりをはなってオリオンを刺し殺させたという。 そのさそりがオリオンを倒した手がらで天に昇って星座になっているのだそうである。 このためオリオン座は冬の空でこそ王者のごとくはなやかにかがやいているが、春もすぎて毒 さそりが東の地平線から首をもたげるころ、こそこそと西の空にかくれてゆく。さそり座が君臨 する夏のシーズンには、ぜったいにオリオン座は顔をだすことはないのである。オリオンは、自 分を刺し殺した苦手のさそりとはぜったいに顔をあわせたくないからである。