度 - みる会図書館


検索対象: 星座の楽しみ
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1. 星座の楽しみ

のはあり得ないことになる。星空は天頂すなわち天の北極から九〇度のはんいしかみえない。っ まり全天の半分がいつもみえているだけで、あと半分は北極からは永久にみることができないの・ 地球上の緯度〇度の土地、つまり赤道上にいる人には、星空は東の地平線から平行にのばり西 の空へと平行に沈んでゆく。理屈の上では天球のぜんたいをいつもみることができるわけであ る。北をむけば北半球の空、南をむけば南半球の空がみえ、一晩中みていれば天球のほとんどす べて ( 太陽の近くだけみえないが ) がみられる。ただしいくらながめても、天の北極と南極が地 平線なのだから、地平線下に沈まない星はせんぜんないわけである。 こ、ぶ天球のみえ方がちがってくる。 ところが、中緯度地方 ( つまり日本のような ) では、オ℃ ( ここでは日本の場合を例にとって北半球の中緯度としておこう。 ) ここでは、天頂と天の北極と 冫オいぶずれてくる。どのくらいずれてくるかといえば、北極で天頂 ( つまり九〇度 ) の高さに 、ヒ靠六五度では天頂から二五度 あった北極星が、しだいに緯度の余角分だけ低くなる。つまり」ノ 、ヒ韋五〇度では四〇度さがり五〇度の高さ、東京の緯 低くなり地平から六五度の高さにみえ」 度、北緯三五度では天頂から五五度低くなって北極星の高さは三五度の高さとなる。ここですぐ ( 前にも述べたが、北 気がづくのは、その土地の緯度と天の北極の高さとは同じであることだ。 極星はたまたま天の北極のすぐ近くにあるわりと明るい星である。 ) そこで天球、つまり星空の動きもここではだいぶちがってくる。天の北極から三十五度の範囲 にある恒星は周極星といって、地平線の下に沈むことのない星々である。このはんいにある星座 ミ」 0

2. 星座の楽しみ

置とができるぐらいで、とても赤い星 のなどとみとめるのはおばっかない。 ( ガーネット星 ) 星 しかし小望遠鏡でこの星をさがして 一ゆくと、まだ視野にはいらないうち にホンノリとはじの方が赤味をおび スてくる。さて、望遠鏡の中にとらえ ウ = られたガーネット・スターは血赤色 ケとよ、 をしいがたい。ややくすんだよう な朱色であるが、とにかく恒星の中 ではもっとも赤いのである。ガーネ ットでいえば、オレンジ赤色をしたヘッソナイトという種類の色である。 星の色のことばかりしゃべってなにが色を変える原因であるのか説明するのがおくれてしまっ たが、要するに、恒星の表面温度と関係がある。赤い星は温度が低く、白い星は温度が高いので ある。だいたいアンタレスのような赤色星は三千度くらい、オレンジ色で四千度、黄色い星 ( 太 陽がそうだ ) で六千度、白色星で八千 ~ 一万度ぐらい、さらに一万二千度から二万度近い星にな ると青味を帯び、それ以上となると紫色に近くなってくる。だから、カシオペア座の伴星など はおそろしく高温の星であるのだ。

3. 星座の楽しみ

をうけると考えてよかろう。これなら計算しやすくてとてもらくでよろしい数字だ。 ところでここに太陽定数という数字がある。太陽が垂直に真上から照らしているものとして、 一分間に一平方センチの地表に降りそそいでくる太陽からのエネルギー量を太陽定数といし の値は毎分一・九四カロ リーということになっている。この太陽定数を一平方メートルあたりに 換算してみれよ、、 。—しのだ。一平方メートルは一〇〇〇〇平方センチであるから、一・九四 x 一 0 0 〇〇、答は一九四〇〇カロリー これはかなりな量だぞ、う 0 かり海岸に一分間ねころんでい ただけで、一九四〇〇カロリー の太陽光線がカンカンと照りつけてくるい そもそも一カロリーとは、一 3 の水を摂氏一度上昇させるに足るだけの熱量をいうのである。 ( 栄養学の方でいうカロ リーはべつである。これはいわゆる大カロー 丿ーという単位で、物理学上 の、いまお話しているカロリー の一千倍にあたる。 ) そうするとこれは大変なことになるぞ。一 九四〇〇カロ リーとは一 8 の水を一九四〇〇度上昇させてしまうわけだ。太陽の表面温度は六千 度といわれているから、私たちの体は一分間で太陽の表面よりも高温となり、たちまち黒こけ、 いやそれよりも蒸発してしまうのだ 実はこの一五四〇〇カロリーを額面どおりにうけと 0 てはちと困る。これは太陽光線が地表を 垂直に照らした場合にこうなるのだ。太陽がま 0 すぐ真上から照らすのは、地球上では赤道を中 心とした南北一一十一 = 度の範囲内の、しかもちょうど正午時の一瞬間しかあり得ない。それも一年 中というわけではない。日本ではどんなに太陽が高く昇 0 ても、夏至の日の正午で地平線から七 夏十八度より高くなることはない。太陽の光線は真上から照らすのと、ななめに照らすのとではそ 113

4. 星座の楽しみ

クール惑星 , ー・・・・・木星と土星 ひところ、モダン・ジャズというのがいやに流行して、やれホットだ、クールだ、いやファン キーだ、ソウルだとか、妙にわけのわからない言葉がはやった。結局、わけのわからないうちに エレキやゴーゴーにおされて、沈潜してしまったが、まだなかなか一部の人には根強い人気がの こっているらしい ところで、惑星の世界でも大きくわけると、ホット、クール、そしてミディアム ( 中間型 ) と う分類ができあがる。 ( 別に天文学者がきめたわけじゃない。私個人の分類だ。 ) つまり、太陽に近い水星と金星がホット型、地球と火星がミディアム型、木星以遠の惑星はす べてクール惑星 ( なかにはクールというよりアイス型、つまり凍結型とでもいった方がいいのが あるが ) ということになる。 今のところ、ミディアムの地球と火星 ( これはほとんどのぞみがなくなったが ) だけが、生命 が生存し得る惑星で、表面温度も摂氏三〇度からマイナス五〇度くらい、まあまあという天体で ある。水星と金星はとても暑すぎて生命の存在はまったくみこみはない。水星が表面温度三三 0 度で鉛が溶けてしまうというひどい状態、金星はもっとひどく表面の温度は四三〇度くらいと測 定されている。したがって、水星も金星も表面はカラカラに乾きあがって焼けこげ、生命の一か けもいないホット惑星である。もう一つ、二惑星に共通していることは自転がおそろしくおそい 161

5. 星座の楽しみ

月二十九日にはじめて肉眼にみえるようになったのだ。そのころはまだ尾の長さはせいぜい角度 にして二 ~ 一一一度くらいであったという。 しかし、九月にはいってから彗星は、急げきに明るさと大きさを増し、九月二十九日にもっと も太陽に近づき、十月十日には、地球にもっとも近づいた。尾の長さも九月末には二〇度、十月 十日には六〇度にも達し、夕方の西の空に、まるで半月刀のような美しい曲線をえがいてかがや いたといわれている。 その壮観をえがいた文章の一つには、 「そのすばらしいながめは、私たちの生がいに二度とお目にかかれないほどのものだった。最 初、彗星は火の羽のようにみえ、ついで、極楽鳥の羽の形となり、やがてまもなく壮大な半月刀 のようにかがやき、日没後の空を切っていた。そして、大彗星がアルクトウルスの上をすぎさっ たとき、世界中の天文学者は、恒星がどのようにみえるか、こそって注目したのであった。」 とある。 なぜドナチ彗星が牛かい座の主星アルクトウルスをおおいかくしたことが天文学者から注目さ れたかというと、もし、恒星の光度になんらかの変化があれば、彗星の尾や頭部がどのくらいの 密度を持っているか判明するからだが、残念ながら、アルクトウルスにはなんの変りもなかっ た。つまり、彗星の本体はおそろしく稀薄な物質でできていることが証明されたのである。 しかし、なんといっても、その出現のたびに話題をふりまき、その壮観で人びとを圧倒してき たのはハレー彗星である。彗星といえばハレー ハレーといえば彗星と、すぐ名前を連想するほ

6. 星座の楽しみ

ほどの高さででる星を「豊後星」と呼び、この星がでるようになると秋も夜長になるといってい ることを知った。豊後といえば大分県で、島根県からみれば南の方角にあたるし、秋のはじめに 一一間くらいの高さにのほるということを思いあわせると、少しローカル的にすぎるがフォマルハ ウトにちがいない と田 ) 。 日本の緯度ではまだかなり高くのばるフォマルハウトも、北緯五〇度に近いイギリスあたりで は、やっと地平から七、八度から十度くらいがせいぜいといったところである。したがって、私 たちがカノープスに対していだくような、南へのあこがれをさそう星として親しまれ愛されてい るらしい フォマルハウトという名もかわっているが、これはアラビア語のフム・アル・フート「魚の ロ」がなまったものである。フォマルハウトの北方に位置する水がめ座の少年 ( 神話ではゼウス につかえる美少年ガニメド ) が肩にになっている水がめからすっとでている水の流れを、一匹の 大きな魚がロでうけている。星座の絵図をみると、そんなおかしなデザインになっている。その 魚のロのところに、フォマルハウトは光っているのである。 私たちはフォマルハウトと呼びならわしていて、別におかしいとも思わないが、どうもこの発 音はドイツ読みのようである。 Fomalhaut とつづるのだから、まったく文字どおりの読み方の ようだ。だから英語人種にこの星の名をいわれたら私たちにはさつばり通じない。たしかフォー マロウときこえて、なんの星をさしているのかまごっいてしまったことがある。 中国ではフォマルハウトは北落師門というなかなか風流な名で呼ばれている。古都長安の城門 152

7. 星座の楽しみ

だたりとなる。光度には大して変化はないが、位置は三〇度ほどずれ、となりの星座を越えてお お大座とはまったく関係なくなってしまう。 この調子でいくと、伐ケンタウリの空では、地球からみなれた明るい星、織女、牽牛の星はも とより、五〇光年以内ぐらいの星は、みんな十度から五度内外、位置を変えて、かなりややこし くなっているのである。シリウスの惑星へゆけば、もっと狂ってくる。もっと遠い恒星へゆく と、もっともっと狂ってむちゃくちゃになってしまうのだ。幸いにも、めんどうではあるが、か なり正確に計算はできるから、私たちは将来の恒星間旅行用に、ケンタウリ星図、シリウス星 図、織女星図などをちゃんと用意しておく必要があるだろう。 ところが、恒星間旅行となると狂ってくるのはこれだけではすまないんだから、やっかいであ る。 恒星間旅行の初期の段階では、宇宙船には何組かの若夫婦がのりこんで何世代もの間、うんざ りするほどの長年月をかけて飛んでゆかなければなるまい。一ばん近い恒星へ到達できるのは何 千年先か、いや、何万年先のことか。光速度飛行が実現するまでは、人類はこうした時間の無駄 使いのような一時期を経なければならないと思う。そうなると、星座はみかけの位置ばかりが狂 ってくるだけではすまなくなるのだ。 恒星には、それそれ固有連動というものがあって、いろいろな方向にかなりなスビードで天球 上を移動している。 ( もちろん、これはみかけ上のことで、恒星自体のほんとうの運動というも のは別にある。たとえば、私たちの太陽も、秒速十九キロのスビードでこと座とヘルクレス座の

8. 星座の楽しみ

けはない。 ここでは佖は、昼間の空にギラギラとかがやく太陽なのだから。 ・では、わがなっ かしの太陽はどここ 冫いっただろうか。どんな星として夜空にみえるのだろうか。答はそうややこ しいことではない。 私たちは、太陽の近くから四・三光年の空間を移動してケンタウリにや 0 て来た。つまり、 天球の中心が太陽からケンタウリに移 0 ただけのことだ。太陽は佖ケンタウリからみると、太 陽からみた佖ケンタウリの天球面の位置とは、ま 0 たく対称の位置に光 0 ていることになる。地 球からみたケンタウリは赤緯マイナス六〇度三八分、赤経一四時三六・一一分の位置にある。こ れと対称の点とは、赤緯プラス六〇度三八分、赤経の方は、一八〇度 ( つまり十一一時間 ) を加え て二時間三六・二分というわけだ。 ケンタウリからみたこの点はカシオペア座の一隅にあたる。すなわち、太陽はカシオペア座 の一恒星としてかがやいているのだ。そうするとカシオペア座はどんな形にみえるのだろう。有 名なの字の形は ( 二等星 ) 、 ( 二等星 ) 、 / ( 二等星 ) 、 ( 三等星 ) 、 ( 三等星 ) の五星 でなりたっているのだが、 それにもうひとつ、余計な一等星が加わって、の形をぶちこわして いる。余計な一等星とは、つまり太陽なのだが、太陽は、 0 ケンタウリとほとんど同じ絶対光度 を持つので、住ケンタウリが〇・一等星 ( 地球からみて ) なら、ケンタウリからみた太陽は、 同じく〇・一等星としてかがやいてみえる。 おそらく、夜ケンタウリの惑星人はカシオペア座をジグザク座とでも名づけ、太陽がたぶん、 春ジグザク座 0 ( アルフ・ジグザーグとでもなるか ) ということにな 0 ているだろう。 0 ケンタ

9. 星座の楽しみ

秋。 べレロフォンはキメラがひそんでいる谷間におもむこうとするが、おそろしくけわしいとこる で、人間の足ではとても到達はおほっかない。そこで、ペイレネーの泉というわき水をのみに、 ときどきまいおりてくるベガススをしんばう強く待ちつづけ、やっと乗馬になってもらうことに 成功し、みごとキメラをやつつけるわけである。ただし、その後べレロフォンは得意のあまり、 天馬ベガススをあやつって、そのまま天上界へとまいあがろうとしたのが大失敗だった。天の神 神たちはべレロフォンの不遜を怒り、一匹のアプを送ってベガススをちくりと刺させた。ベガス スは痛みに荒れくるい、べレロフォンを地上にふりおとし、そのまま星空の中に走りこみ、いま だに空の中にみえているのだという。 ベガススがいかに狂奔していたかは、この天馬の姿が星空の中に頭を南にむけ、私たちの常識 ではさかさまにかかっているようにみえることでもよくわかる。 しかし、私たちに親しまれるの は、天馬の姿よりもちょうど天頂近 くに四角く切りぬかれたようにみえ オ る四つの星のえがく四辺形いわゆる フ ロ 「ベガススの大方形」である。この レ と四辺形は、東西にやや長いが、 ス 、スんど正方形に近く、一辺は十五度か 一ら十三度くらいにもなるり 0 ばなも

10. 星座の楽しみ

つの独立した小宇宙なのである。 大マゼラン雲は、みかけの直径七度、私たちからの距離は十七万光年、実直径一万五千光年、 約十億個の恒星がこの中に含まれているという。小マゼラン雲は一まわり小さく、みかけの直径 四・五度、距離十八万光年、実直径約一万光年、恒星の数はほば大マゼラン雲くらいといわれる。 大航海家マゼランの名がついているのは、世界一周の途中この二つの星雲の存在に気がっき、 くわしい観察記録をのこしたためであるが、それ以前の人にもこの天体は知られており、けっし てマゼランの発見というわけではない。たとえばオーストラリア土人なども大昔から「大きい雲」 「小さい雲」の名で呼んでいたということだ。 この大小のマゼラン雲の実体は、まさしく私たちの銀河系の弟分のようなものであり、二つと も銀河系の衛星かお伴のような存在で、遠くからみれば、 ( もちろん銀河系のうーんと外から ) 銀河系と大小マゼラン雲は三重系をつくっているだろうといわれている。 なんとかして一生のうちには、南十字とマゼラン雲はみたいものだ。い つになったらこのねが いははたせることやらと思っていたら、南十字星の方は、一九七〇年三月、フロリダ日食旅行の 帰途、 ( ワイのホノルルでじっくりとながめることができた。ワイキキの浜でやしの葉すれごし にみた南十字星は、長く忘れることはできない。