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検索対象: 若者たちの原点
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1. 若者たちの原点

加藤諦三文庫 若者たちの原点 者・加藤諦一一一 0 一 975 発仔者・大仭心雄 角何所・大和書房 東京都文京区関口一ー一一 = 一丁四 電話東足 ( 二 OI こ四五一一 東↑六四三七 者・渡辺千尋 用紙・十条・平河工業 印刷、製本・凸版印刷 ・発何住片日、定価はカバーに表示してあります ・落丁不、乱丁不はおとりかえします

2. 若者たちの原点

のをつくりたいんだ」 と、リーダーの東君がいった。 埼玉からでてきた女の人が、 「何か今の住まいが仮りの住まいのような気がしてしようがないんですよ」 、ツド・プラザースがヨーロッパから帰ってくるとき、一緒についてきたオランダの若者 東京キ ? と聞いてみたら、「ユ な・せ、日本に来たのか そして彼は前にでてあいさつをした。 「われわれは今求めています。そして一緒にたたかおう」 彼の話は公害になり、軍備になる。 オしか、などということは関係ない。 ュートビアの一坪運動とは話がちがうしゃーよ、 それそれ自分の思っていることをしゃべればいいらしい 彼と一緒に日本にやってきたトニーというやはりオランダの女の子がいる。 アムステルダムで東京キッドに会って一緒に東京にやってきたという。 「行動してれば、何かが見つかるわ、何かきっといいものが」 髪の色も、目の色もそんなことより何か欠けているものをつかみたいのだろう。 日本の男の子が、 「試行錯誤ができなくなったらおしまいだ」 ート。ヒアを信じているから」と答えた。 166

3. 若者たちの原点

て山の手との違いがすべて生活の中で、はっきりと現われているというのだ。 この下町の格差を是正し、下町のよさを知ってもらうために下町の若者は『ダウン・タウン』 を発行したのである。 「生活の差に負けてはならない」という。 そのうえ下町の「よさ」は失われていく。 下町のよさとは、地域の親近感である。人間味である。それがなくなっていく。新しがり屋の 若者がその古いものにあこがれた。新しいャッほど、古いものにあこがれるのだろうか ? ? と聞いたら、保険がかけ 都会の山の手の小学校で、自分の家が火事になったらどうするか てあるから平気だといったという。隣家は関係ないのである。マンションで殺人があっても、自 殺してもしばらくたたないとわからないという都会の孤独。もちろん都会の孤独は東京ばかりで , リのア。 ( ートで老婆が死んだ。郵便受けに新聞がたまってはじめて はよ、。国でも同じだ。。、 死んだことがわかったという。隣がだれであるかを知らないのは、東京以上である。しかし日本「 ツ。、旗 人と違って一人で生きていこうとする姿勢は、小さいころから教育されている。私がヨーロ , の で感じたことのひとつに次のようなことがある。ヨーロツ・ ( の文化は孤独の恐怖を知っているカ下 日本の文化は孤独の恐怖を知らないということである。 れ その訓練のない東京で人々は孤独になりだしたのであるから、これは。 ( リ以上の大問題に違いま ない。それは今や人情味を伝統とする下町にもおよんだ。本の売れ行きは大広告をしないかぎり 下町から売れる。それは口からロへ、つまり口コミというやつで、あの本いいわよ、と伝わるか

4. 若者たちの原点

東京をでる時、湿気を含んだ熱い光線が道路のアスファルトの上にはねかえ 0 ていた。ところ が箱根の山にさしかかるころには夕方もちかく薄曇りとなっていた。 連日の暑さのためか、その緑に ( , と息をのむような新鮮さはなか 0 たが、それでも東京の生 気を失った公園の緑にくらべれば、やはり山にきたなーという感じはする。 芦の湖畔は夏のはなやかさはないが、それだけに落着いていた。 その芦の湖畔に箱根アフロディーテがひらかれている。 若者のための野外フ = スティ。 ( ルはこのところ世界各地でひらかれる。 周囲は山にかこまれ、正面には大きな舞台があり、ふりかえれば芦の湖面にはさざ波が立って そこに一万七、八千人の若者が集まって音楽を楽しんでいる。 「野外のロックっていいねー」 「音楽って聞くふんいきが大切なんだよ」 真の音楽は自然の中にしかないョ 9

5. 若者たちの原点

若者たちの原点 若者たちが現代という時代に どのよ、つにかかわりあい どのように戦し あるいは挫折していくのか 現代社会にあらわれている共通の間題を できるだけ具体的に 世界各地の若者たちとともに 全体のなかで考えてみたかった 加藤諦一一一 原若 点者 加藤諦三 ( かとうたいぞう ) 1938 年東京生まれ。東京大学教養学部 教養学科 , 同大学院社会学研究科国際 関係論専門課程を卒業。 1 % 8 年ミュン ヘン大学留学。 1973 年ハーバード大学 に研究員として留学。現在早稲田大学 助教授 , ハーバード大学講師。 価値喪失の現代にあって , 新しい行動 哲学を打ちたてようと精力的な活動を 展開 , 若者たちの深く幅広い共感と支 持を集めている。 主著に「生きる」「俺には俺の生き方が ある」「人間てあることの原点」 ( ともに カ物諦三文庫 ) の他「わが内なる革命と 青春」 ( 読売新聞社 ) かわいた思想のな がれ ( いんなあとりつぶ社 ) など多数。 若者たちの原点 1975 年 11 月 15 日第 1 刷発行 290 \ 29 0 大和書房 01 12-200140 ー 4406 0112-200140 ー 4406

6. 若者たちの原点

ればいけない。 僕が学生時代、山にいっていた時も何か同じだった。女性にあこがれながら、オレは女なんか という誇りにも似たものをもっていた。 相手にしない、 そして海の男も同じなのだろうか。近藤君は僕に忠告する。 「先生、女で道を誤っちゃーいけませんよ。男は女と関係なく男の道をいかなくっちゃー」 ョットは館山「についた。 近藤君は海水。ハンツを借りて海の中にとび込んだ。 ョッ、。、 カ走っているあいだ前日の睡眠不足で吐いてしまった彼だが、もうたまらないのだ。若 いということは恐ろしい。前日、シーポニア、東京、千葉と二往復して夜中の三時に僕を東京の 放送局にむかえにきて、そのままシーボニアにきてョットである。四〇〇キロの運転の疲れも見 せずョットにのり、気持わるくなって吐いたのに、休まず海の中へド求ーン。 蒸し暑い夜にねむれず、氷水飲んで睡眠不足で会社に行き、頭がポオ 1 ッとしているなどとい うのとわけがちがう。 泳ぎおわって、ヨットのうえで昼飯、こんな健康的な生活をしている若者がいるのか、と思う ほどの健康ぶりである。 大学のヨット部は、はいってきた新入部員の泳げないのを沖につれてゆき、ヨットからっきお として帰ってきてしまう。話に聞いた昔の海軍兵学校の訓練みたいである。 95 男は男の道をいかなくっちゃー

7. 若者たちの原点

きらいな場所は ? 「さあーねー」 どうして、ここに来ているのつ・ 「別に行く場所がないから」 女の子って、よくあこがれの場所ってあるじゃない。お勤めする時、東京だったら丸の内と か、ニューヨークだったら五番街だとか、ジュッセルドルフだったらベルリーナーシュトラーセ とか : 。もう、そういうとこってだんだんなくなりつつあるの ? 「そうねー、そんなとこってあんまりないわ」 吉祥寺に大きな書店ができた。その店主がいっていた。お客さんに感謝されているとーー。都 心に本を買いに行くその電車賃で、文庫本が一冊買えるというのだ。 ーー大学生 ? 「そう」 大学、どう ? 「別に満足はしてないけど、足りないって感じもないわ」 吉祥寺とかけて、大学と解く、そのこころは、別に満足してないけど、足りないって感じでも というとこか 「」は楽しい部屋というそのジャズ喫茶を出た。 214

8. 若者たちの原点

とにかくいろいろなことをやる若者がでてくる時代である。どれが本物でどれがただの思いっ きかは今のところわからない。そのうち歴史が証明してくれる時がくるだろう。いや、そのうち 本物だとか、思いっきだとか、そんなこと自体が問題にならない時代がくるかもしれない。 作品にならない作品をだし、展覧会にならない展覧会をやる若者もいる。場所は東京・渋谷の 某デパート 。出品者は欠田誠、大場一、加野正浩、児玉光義、清水凱子、田岡真、中村寝郎君た ち。 どんなことするの ? 「それがそのよくわからないんだ」 現代は模索の時代である。最初からわかった顔をするほうがおかしいので、わからないほうが 正直なのかもしれない。 美の社会的基準というのがありますね。でもそれはだれがきめたんですか。 「価値観の判断を不当におきかえているとしか思えないことがあるんです」 自分との対決がそこにあった 195

9. 若者たちの原点

九十余力国の旗が富士山ろくの朝霧高原に翩翻とひるがえっている。 以前この朝霧高原をドライプした時、やたらに道路からはずれて高原の草の上に車をとめたく なった。そしてどこまでもどこまでもこの高原を歩いてみたいと思った。 ながい夏休みが続いたあとの九月の新学期の授業。それに出るのがなにかおっくうだった学生 時代。 ちょうど同じように、この朝霧高原を散歩してしまったあとは、何か東京の生活にもどるのが おっくうだった。 そんな朝霧高原に世界の若者が集まっていたのだ。 夏の朝霧をふみ、足もとをぬらしながら、昨夜のことを恥ずかしがる乙女が、恋人と手をとり あって、とめどなく歩くのにふさわしいような、この高原。 夏の太陽のはじめての光が、草の上の露にキラリと光る時、乙女がそっと伏目がちに恋人を見 上ける。そんな姿が。ヒッタリなのがこの朝霧高原。そこに世界各国のテントが張られていた。 ボクたちには生きがいかある へんぽん

10. 若者たちの原点

ら 6 「僕、その会社で給料七万から八万もらっていたんですね。でも同じ仲間がほしかったんです」 ロべタといったほうがよさそうないい方でいった。しかし何かを必死で求めていた。そしてそ れをどう表現していいかわからないで困ってしまうことが、彼には何回かあった。 そのクチベタさが何か誠実さを感じさせた。 マルクスの工場労働についての表現をかりるまでもなく、彼は分割され、ひとつの部分労働の 自動的な運動装置となり、不具となったのである。 そのように不具となった自分を人間として回復させたい、そう彼らは願ってここに集まった。 「まじわりの回復ですね」 大人たちは今の世代に対して「理由なき反乱」という。しかし実は本質的に理由のある反抗で あり反乱なのだ。その理由があまりに本質的であるから、わからないまでのことである。 た し 彼らがここにくる時、やはり親に反対された。、 「私の家、東京なんですね。それだから親は、どうしてそんなことする必要があるんだっていうを んですよ」と、女子大生がなげいた。 の どうしてそんなこと必要があるのかという疑問をもっ側からすれば、家を出て、このような共ア 同生活をはじめることは「理由なき反乱」とうつるにちがいない。 「でも友人は賛成してくれました」「同じ目的をもった共同生活してみたかったんです」