生活 - みる会図書館


検索対象: 若者たちの原点
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1. 若者たちの原点

トープがあって、何かア 居間というのがある。家族がそこにきて一家団欒する。コタッとかス ッタカアーイ感じがする。 しかしそれはアッタカアーイ感じをもつようにわれわれが訓練されているからアッタカアーイ と感しるのかもしれない。家庭の封建的習性は、人間の本来の自由な姿を抑圧するようだ。 家庭生活の陰うっさは、何よりも人間の肉体を無視するところから生まれるのではなかろうか。 かといって、人間はやはり共同生活をも求めるのである。若者も同じくそうした場所をもちた がる。岩岸佑光、重田隆、岩崎文夫、高橋孝雄君ら四人が「 4 + 1 」という空間をつくった。 ″ 4 〃はこの四人のことで、。フラスの″ 1 れはこの空間に出たり入ったりする外来の人間、とい う意味なのだそうだ。共同生活体とも若干異なり、もちろん家庭的生活体ではない。 「共有できる場所がほしいんですね。でも根をおろすのはいやだし、かといって共有もほしいん 「外にでて、何かをつけてまたかえってくるところがほしいんですね」 】トビア 現代のユ 生活空間「 4 + —」の場合 一んらん 2 24

2. 若者たちの原点

「テレビ見るより、自分の書いたもの、自分の見たもののほうがリアルだもの」 これはあたりまえのことだ。 ところが大衆文化状況のなかで、マスコミの異常な発達は、たとえばテレビをとおして見ては じめて人々は現実感をもつようになってしまった。 火事があって翌日の新聞にでて、はじめて、あーすごい火事だと思う。相撲をテレビでみなれ た子供が、本当に相撲を見にいって、遠くでやられている姿にガッカリする。 キッシンジャ 1 の訪中がある。新聞がデカデカと書いて、はじめて、あー大変なことなのだと 思う。新聞が小さくだすと、あまり注目しない。なにか注目するのが、、 ( カらしく、つまらないと 思う。 「逆に・ほくらはテレビが珍しいんだなー」 一体彼らはなにで生活しているのだろうとだれしも疑問に思う。現在料理長は失業しているよ うであるが、他のメイ ( ーはポイラーマンをやったり、写真の現像をやったり、食べ物のパッケ ージをやったり、商品開発のアイデアを提供したりしている。 「ここは情報の製造、交換の場所なんです。まあー生活の場でもあり、事務所でもあるわけで」 テレビをとおさない情報、そしてその情報で生活しているわけである。したがって不労所得が 多い。彼らは商品化される前の情報を交換し、それによって生活する。 この「 4 + 1 」の空間に取材にいっているあいだじゅう、常に人がでたりはいったりしていた。 228

3. 若者たちの原点

には不条理な関係しかありえなかった。カミュの不条理の思想の根源がアルジ , リアの自然のなかにある のに、この国の自然からは、カミュの思想に匹敵する思想が生まれないのか。 オーストラリア人の死についての答えは、″われわれは決してそんなことを考えない。それはムダであ というものであった。 海の波のくだける音にまじって「僕の人生の目的は、カンフォタブルな生活です」という若者の答えが 耳に聞こえていた。 オ 1 ・ストラリアを理解するためには、やはりオーストラリアに長く滞在し、そこで生活をする必要があ るのかもしれない・ 君らの意見を聞かせてほしい。 生きがいは ? 「フレンドリーよ」

4. 若者たちの原点

「満足してるわ。不満なんか全然ない」 でも、その満足している職業も結婚したらやめなければならないんでしよ。矛盾していると 思わない ? 「そんなこと思わないわ」 悩みはフ 「ないわー」 今の社会に矛盾感じない 「感じないわー」 どうしてかなー ? 「だってしあわせだもん」 結婚して、とにかく家をもっこと、そして子供を育てること、それが意義ある生活であるのだ。 意義ある生活とは ? という考え方自体が成立たな、。 結婚とは何か ? ゥーマン・リプはどうやら無縁のようだ。日本では、「何か、とは何か」と までやっているというのに。 あなたたちにとって、大切なことはフ 「しあわせな人間関係ね」 いいかげん質問に窮してきて″何か悩みはあるでしょ 1 、、 しくらなんでもれとなってしまう。 すると、

5. 若者たちの原点

「お宅の息子さんは会社やめちゃって : : : 」 これも説明してもわからないと思うから黙ってとおす。 「金もうけにもならないことをやって」 「普通の会社にはいって、普通の生活をしていれば、普通の生活をしていられるのに」 しかし、その時、大学の仲間はどういったか。 別にどうこう説明しなくてもわかってしまったのである。それが今の若者のかかえている共通 の問題なのだから。 「一流会社ってのは、おまえはこれをやれ、それしかないものね」 ところが、今度は動けばすぐにそれだけの結杲が出る。手ごたえがあるのだ。今の若者は何よ りもナマの実感を求めている。経済よりも自己表現の機会を求めているのだ。 大人はだれもわかってくれないという半間君の話を聞きながら、僕はパリで会ったズーニー ロッシュ君のことを思い出した。 ソル、ポンヌ大学の総長の息子でありながら、ソル、ポンヌ大学をやめてしまった。セーヌのほと りのレストランで彼はこういっこ。 「ほくが大学をどうしてやめたか大人はだれもわかってくれない」 話は今度は北海道に飛ぶのだが、北海道の若者が一人で牧場を始めた。はじめは皆反対だった。 しかしやがて仕方なく認めた。少しうまくいったからた。しかし次にまわりの大人は何といった

6. 若者たちの原点

大きな印刷会社に勤めていたが、プイとやめてこの共同生活にはいった者、病院に勤めていて 毎日試験管を見つめていたが、それをやめてこの共同生活にはいった者、いろいろである。 そして今彼らは牛乳配達をやり、チリ紙交換をやっている。 「大会社にいれば異ロ同音に同じことをいうでしよ、ヤでねー」 「何か毎日が、人間対人間の関係じゃーないんですね。人間対物っていうのかなー」 会社が大きくなり、社会も大きくなり、合理性が徹底すれば徹底するほど、人間労働は個人的 な能力や欲求から分離してこざるをえない。そして人間のひとつの能力は全人格から切りはなさ れて物となり商品とならざるをえない。 彼は自分の周囲に人間と人間との関係がほしかったのだ。彼は人間対物となるという表現をつ かったが、正確には、物対物といったほうがいいだろう。彼は人間対物といった時、自分を人間 として他者を物としたが、他者から見れば彼もまた物にちがいないのだ。 彼の会社での与えられた仕事をやる能力は、会社のなかで客観化して商品となっているのたか アカの他人をなくしたい 126

7. 若者たちの原点

ら 6 「僕、その会社で給料七万から八万もらっていたんですね。でも同じ仲間がほしかったんです」 ロべタといったほうがよさそうないい方でいった。しかし何かを必死で求めていた。そしてそ れをどう表現していいかわからないで困ってしまうことが、彼には何回かあった。 そのクチベタさが何か誠実さを感じさせた。 マルクスの工場労働についての表現をかりるまでもなく、彼は分割され、ひとつの部分労働の 自動的な運動装置となり、不具となったのである。 そのように不具となった自分を人間として回復させたい、そう彼らは願ってここに集まった。 「まじわりの回復ですね」 大人たちは今の世代に対して「理由なき反乱」という。しかし実は本質的に理由のある反抗で あり反乱なのだ。その理由があまりに本質的であるから、わからないまでのことである。 た し 彼らがここにくる時、やはり親に反対された。、 「私の家、東京なんですね。それだから親は、どうしてそんなことする必要があるんだっていうを んですよ」と、女子大生がなげいた。 の どうしてそんなこと必要があるのかという疑問をもっ側からすれば、家を出て、このような共ア 同生活をはじめることは「理由なき反乱」とうつるにちがいない。 「でも友人は賛成してくれました」「同じ目的をもった共同生活してみたかったんです」

8. 若者たちの原点

といっこ。 このユ ートビア運動へオランダから参加した若者と、こうしたところでつながっているのだろ 「アイ・ノー ・ヒムがアイ・トラスト・ヒムであるような共同体がつくりたい」という。 そしてユナイテッ ・ネイションではなくて、ユナイテッド・。ヒープルでなければいけないと 不思議なもので、こうした若者というのは何か世界共通のものをもっている。 リにもス そして、彼らと同じに、まず人間しゃないか、という心やさしい平和主義者は今、パ トックホルムにも、サンフランシスコにも、そしてこの東京にも、何か少し薄ぎたない格好をし て、ウロウロしているのである。 自由を愛し、平和を愛し、そして音楽の好きな若者たち。 た 買 を ア 諦三後記今僕のところに四十六年七月一日の慶応大学の新聞がある。つまり夏休み前の新聞である。 ュ そこには夏休み中におこなわれる各大学のサマー ーティングがのっているのである。このサマー で 円 ーティングは本質的にはゼミの合宿であろうが、これが学生の側にしてみると、そうであるより人間的 接触の場なのである。 寝食をともにすることが第一の目的なのである。人間的接触の希薄化している時、共同生活を送ること によって大学生活をゆたかにしようというのた。

9. 若者たちの原点

ョンもすばらしい。ところが、そこに町の奥さん方はあまりいかないのである。 それはなぜかと考えると、ペチャクチャベチャクチャやりながら買物をするふんいきが、その デパートにはないのである。 現代人の疎外の解消とはそうしたことでも自発性の創造性というのとはおよそ縁遠い 二年ぐらい前、プロの女性の意識を調査した時である。トルコプロにつとめている女性がいっ 「生活のどこかに楽しみを見つけたいから、何かオケイコゴトでもしようと思ってるんです」 彼女はもしかするとまだ完全にすりきれてしまっていたのではないのだろう。 僕は彼の人生観、価値観、あるいは生活態度をきこうとするのだが、彼は何か一言それについ て答えたかと思うと、またすぐ仕事の話をする。 「この仕事をはじめてから、夜型から昼型の人間になりましたね」 といって笑った。 そして、子供みたい、 ね す 「この分野はまだ欧米にくらべて遅れているんですよ」 で 僕は肌着の分野が欧米にくらべて日本が進んでいようが遅れていようが、そんなことより彼のい て 価値観が知りたいのである。しかしこの「遅れているんですよ」という言葉を彼は一体何回っか っ ったことだろう。 人 話は肌着から家具になる。図を見せては「これね、これはトラックにつめば : : : 」と彼は夢中 で話す。

10. 若者たちの原点

じゅばく そのなかで若者は道徳の呪縛に苦しんでいる。しかし苦しんでいるということを意識すること は、自分が不道徳であることになる。自分が不道徳であると意識するのがこわいから、呪縛を自ら 2 の意思によると信じこもうとする。そしてこの不健康さのゆえに生理的に若者たちは不快になる。 結婚はしたくないの ? 「結婚するのと、八百屋をもつのと同じような気がするんですね。資本がなくて商売しようとす れば、どうしても地域に根をおろさなければなりませんしね。それと結婚と同じような気がする んです」 地域に根をおろしたとたん、女房と女とはちがうという全く不合理な倫理に縛られなければな らなくなる。 カッコつぎの道徳の呪縛にかかるのは世間がこわいからである。真実がこわい人間は、道徳の 呪縛の何たるかを意識化して自分を見つけようとする。そしてそこには孤独という地獄がポッカ リと口をあけているのに気づく。そこで若者たち共同生活を求める。 「健全なる家庭」をつくりあげて、それによって青少年の非行化をふせごうというのは、全く人 間を無視した暴論である。青少年が非行化するのは、この「 4 + 1 」のような共同生活の空間が 都会のあちこちにあふれていないからである。 「これをつくってから、スナックなんかで全く飲まなくなったなー」 「食事は週一一回ぐらい一緒にしますね」 料理長というのがいる。えらく料理がうまいらしい