川端康成 - みる会図書館


検索対象: 倫敦塔・幻影の盾
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1. 倫敦塔・幻影の盾

説川端康成 , 川未明童話集小川未明幕末動乱の男たち ( せ海音寺潮五郎掌の 奥の細道ノート荻原井泉水 姫川端康成 バ = , ク・裸の王様開高健舞 暢気眼鏡尾崎一雄日本三文オペラ開高健千羽鶴川端康成 虫のいろいろ尾崎一雄 ロビンソンの末裔開高健虹・浅草の姉妺川端康成 金色夜叉尾崎紅葉 フィッシュ・オン開高健山の音川端康成 人生劇場上 青春篇下 ( ) 尾崎士郎新しい天体開高健川のある下町の話川端康成 人生劇場上 ( ) 尾崎士郎フランドルの冬加賀乙彦女であること川端康成 愛欲篇下 の人生劇場上 くたび川端康成 残快篇 ( し尾崎士郎檸 ( れもん ) 檬梶井基次郎虹い 本 日人生劇場上 風雲篇 ( 下 ) 尾崎士郎愛の生活金井美恵子みすうみ川端康成 人川端康成 文人生劇場離愁篇尾崎士郎夢の時間金井美恵子名 新人生劇場夢現篇尾崎士郎大和古寺風物誌亀井勝一郎眠れる美女川端康成 都川端康成 人生劇場望郷篇尾崎士郎人生論・幸福論亀井勝一郎古 新文章読本川端康成 郷大佛次郎日本のアウトサイダー河上徹太郎 旅 国川端康成愛・自由・幸福河盛好蔵 路大佛次郎雪 夫婦善哉織田作之助伊豆の踊子川端康成人とっき合う法河盛好蔵 月端康成親とっき合う法河盛好蔵 平将門 中海音寺潮五郎花のワ 藤十郎の恋・ 菊池寛 恩讐の彼方に 西郷と大久保海音寺潮五郎愛する人達川端康成

2. 倫敦塔・幻影の盾

シーなのである。 カーライルは居らぬ。演説者も死んだであろう。体しチェルシーは以前の如く存在している。 なおげんぜん 彼の多年住み古した家屋敷さえ今猶儼然と保存せられてある。千七百八年チェイン・ロウが出 こんにち 来てより以来幾多の主人を迎え幾多の主人を送ったかは知らぬがとにかく今日まで昔のままで残 ばつご っている。カーライルの歿後は有志家の発起で彼の生前使用したる器物調度図書典籍を蒐めてこ あんばい こうす れを各室に按排し好事のものには讎時でも縦覧せしむる便宜さえ謀られた。 ( ニ五 ) ( ニ四 ) くだ 館文学者でチェルシーに縁故のあるものを挙げると昔しはトマス・モア、下ってスモレット、猶 もっと ・ハントなどが尤も著名である。ハントの家はカーライルの直 物下ってカーライルと同時代にはリ ル近儚で、現にカーライルがこの家に引き移った晩尋ねて来たという事がカーライルの記録に書い ( ニ六 ) そそう イ てある。又ハントがカーライルの細君にシェレーの塑像を贈ったという事も知れている。この外 ( ニ七 ) やしき にエリオットの居った家とロセッチの住んだ邸がすぐの川端に向いた通りにある。然しこれ等 きゅうろ カ は皆既に代がかわって現に人が入っているから見物は出来ぬ。只カーライルの旧廬のみは六。へ なんびと なんどき ンスを払えば何人でも又何時でも随意に観覧が出来る。 かしつばた チェイン・ローは河岸端の往来を南に折れる小路でカーライルの家はその右側の中頃に在る。 番地は二十四番地だ。 毎日の様に川を隔てて霧の中にチェルシーを眺めた余はある朝遂に橋を渡ってその有名なる庵 たた りを叩いた。 しようしゃ 庵りというと物寂びた感じがある。少なくとも瀟洒とか風流とかいう念と伴う。然しカーライ し あっ

3. 倫敦塔・幻影の盾

この系統と並んで『猫』に見られるような諷刺とユーモアとによる身辺の現象の小説化は、こ の明治三十八年より前から漱石の中にきざしており、この頃がその円熟期に当っていたのであ る。彼はその前の三十七年頃から、『猫』の性格を持った散文の試作を日本文や英文で行なって いる。また『幻影の盾』の系統の先駆に当る傾向の英詩を書いたりしている。であるから、三十 八年九年頃は『猫』の系統と『幻影の盾』の系統は試作期ではなく、完成期に当っていた。そし て、それらのものの中間にある『一夜』の系統もまた三十九年の『草枕』において一先ず完成し たと言ってよい。しかし、三十八、九年でそれが全く絶えてしまったわけではない。彼の中にあ のったロマンチシズムは、三十八年頃には、恋愛感情の美しい発露という形で現われていたが、そ ルれは彼の実生活の暗さや = ガ = ガしさを反映して史に成長し変化するのである。 今まで説いたところでは『幻影の盾』と『一夜』の系統を二つに分けて考えたが、それはもと 敦もと一つのもので、言わば漱石の内部にあった幻想癖 ( それは妻から見れば狂気であると思われ るほど激しいものであった ) と観念癖との作品化である。三十八年頃の彼は美や愛情の一瞬の理 解が人生の退屈で陰気な長い継続よりも価値があるものだ、と説こうとしているように見える。 即ち『幻影の盾』、『一夜』、『趣味の遺伝』等はかなりはっきりとその思想を述べているのであ る。ところが、その継続とも見るべき三十九年の九月の『草忱』では、そのような美と真情の理 解は、生命自体よりも貴重だという風には考えられず、生の苦悩から解脱するための手段とも言 うべきものとなっている。生の実体はこの作家の上に重々しくかかって来る。『虞美人草』にお むす いては、美や愛情の認識は、もはや救いとなることも難かしい場所に置かれる。この解決として 220

4. 倫敦塔・幻影の盾

説 解 219 漱石は、作家としては道徳的とか理想的とかいう一つの特色に限定されない多面的な作家であっ た。そしてその多面性が、この時期の作品の中に、すでに発露している。作品としての文体や形 式の変化に富んでいることがそれを示している。 ぐびじんそう 即ち、『薤露行』と『幻影の盾』に見られる美文駆使の力は、やがて二年の後に『虞美人草』 で大がかりに発揮されるものであり、『一夜』に見るような幻想的な女性の姿と禅的な悟りとの はす 結びつきは翌三十九年九月の『草枕』において具体化される筈のものなのである。そしてこれら ふうし の作品を書きながら本格的に書いていた『猫』はまた、これらのどの作品系列とも違う諷刺とユ ーモアによる文明批評的な作品であった。また『琴のそら音』と『趣味の遺伝』とは、『猫』と は違う、普通の写実小説の試作と言うべきものであって、それは『三四郎』や『それから』が後 で書かれるための準備的な意味を持っているのである。 そういう風にこの時期、即ち彼が小説を書き初めた明治三十八年度において、すでに夏目漱石 は作家としての自分の可能性の諸種のタイプを作り出していることが注目されるのである。これ らの諸種のタイプのうち、『薤露行』と『幻影の盾』に見る叙事的いマンチシズムは、『倫敦塔』 にも共通した味のものであるが、それ自体として完成の域に達していて、後の発展の見込みの少 なかったものである。題材の伝説性、文体の濃厚な修飾等、それは漱石の中に残っていた青春の 発露であったと見られるべきである。であるから『虞美人草』では、この美文調がメレディスの 小説技法と結びついて一応開花したものの、作者自身によっても早くから飽かれ、その傾向はそ の後に全く棄てられてしまったのである。