答 左図のとおり。 〈教訓〉四角形の小屋という固定観念を 捨てられれば、この解答にたどりつくまで、 ~ ~ さほど苦労はない。創造性の開発は、この ~ ような頭の切りかえを通じてなされる。 190
まえがき まんえん 最近、若い人たちの間で、脳動脈硬化症なる病気が蔓延している。脳ミソがコチコチになる病 気だ。大学受験や、就職試験で、記憶力ばかりが発達し、奔放な空想力や、豊かな独創力がなく な「たのが、原因かもしれない。これは、ゆゅしき問題である。歴史を創っていくものは、常識 わく や固定観念ではなく、むしろ、その枠を破っていく独創力なのだ。 そこで、私は、この脳ミソがコチコチになった悲しむべき脳動脈硬化症患者を救う意味で、こ つわもの の本を書くことになった。この本に出ている。ハズルは、いずれ劣らぬ強者ぞろいである。最初の 「頭の準備体操」だけでも、あなたの脳ミソは、「もう、たまらない。」とばかり、を叫び 出すかもしれない。しかし、そこでまいらないで、どうか最後まで読表続けていっていただきた この本を読終わったときには、固定観念でこり固まったあなたの脳ミソは、コンニヤクみた 力いに、クニヤクニヤになっているにちがいない。そのときにこそ、あなたははじめて、生産的、 え創造的人間への第一歩を踏み出したことになるのである。 ま なお、この本では、「問」のページのすぐ裏に「答」のページがある。しかし、答がわからな
「間五十九分。 一個の細菌から始めると、二個になるのに一分かかる。二個から 始めるということは、要するに、この最初の一分間が節約できるだ け。 〈教訓〉Ⅱ】十】と」う固定観念にと一 一らわれていると、一時間の半分だから、三 一十分だというような誤りをおかしてしま ・う。このばあいは、二は一のつぎと考える と話がかんたんになる。四個から始めるば あいなら、四は二のつぎと考えればよい 頭を飛躍させる、つまり、視点をくるつ と変えるための準備体操である。
思考の弱点を補い、強制的に思考を発展させようとするものである。見ようによっては、ここに、 これらの方法の重大な欠点があるのではなかろうか。 というのは、これらの方法には、すでに、思考のための「一定の枠ーができあがっているから だ。これが、ややもすれば、私たちの思考を固定化し、頭の自由な動きを阻害してしまうことが 起こりうるからだ。すくなくとも、これらの方法は、私たちの、頭の堅さや、創造力の不足を補 って、新しいアイデアを生み出すためには、たいへん有効ではあるが、私たちの頭そのものを鍛 え、創造カそのものを強化する意味は、比較的希薄であるといわざるをえないわけである。 さて、こんなふうに考えてくると、私たちが真に自己の創造性を開発しようと志すならば、従 来の方法だけに安住していたのでは、いささか片手落ちではないかという疑問が起こってくる。 この疑問に答えて、私がここに、強く、力説したいのは、いわゆる頭の積極的なトレーニング、 つまり頭の体操の必要性である。 ま私の長年の観察によれば、創造カ豊かな人たちのあいだには、たしかに一つの共通点が認めら れる。それは、彼らが。ハズル、推理小説、奇術、落語、漫才という一連の頭脳的遊戯に対して、 思大いに興味を示すという点である。 造私は、こうした長年の観察事実にもとづいて、これらのなかでも、とくに、頭の訓練に欠くこ とのできない。ハズルの効用を、再認識する必要があることを痛感するにいたったのである。
5 まず自分の帽子が「白」であると仮定する。すると、も 0 も、 7 「白」と「黒」とを一つずつ見ていることになる、 o が黒であ ることは、自身すでに見ることができているから ) 。そうなれば、たとえば 「こりや、自分がもし白 よかならずこんなことに気がつくにちがいない。 だとしたら、 O は、白白を見て出ていくはずだから、なんとも言わぬところを みると、自分は白ではないんだな。」 O も、これとまったく同じことを考える だろう。つまり、彼らのどちらかが、かんたんに自分の帽子が黒であることを 推論して出ていってしまうはずである。ところが、彼らはいっこうに出ていか ということは、最初にたて た自分の帽子が白だという仮定は一〈教訓〉他人の心 0 動き 0 ような不確 ~ 一定の要素は、厳密な論理構成のさいには、 つまり、 まち力しにち力しなし 自分の帽子は黒なのだ、というわふつう除去して考えるが、ときには、こ の問題のように、相手の心理や考えを推一 けである。 ~ 理の素材とすることもありうる。 210
3 十センチ。 ピタゴラスの定理など、まったく不要。対角線は、もう一つ の対角線に等しい。そして、は ? と考えれば、解答はか んたんに得られる。円の半径である。 B 、、 -5 セ冫チ - / C 、、 5 セ冫チ′ 〈教訓〉直角三角形をみれば、ビタゴラ これが、なまじ スの定理を思い出す。 つか学問を身につけた人間の悲哀である。 せつかく習い覚えた学問や教養が、かえ って、私たちの視野をせばめ、私たちの視 点を固定させる。 106
6 観察力をつける体操 ノ > 〈例題〉 つばいにはいった水を、瓶からもっとも早く出すには、つ ぎのどの方法がよいか。 ①瓶をさかさに立てて、じっとしている。 ②瓶をさかさに立てて、上下に激しく揺り動かす。 ③瓶をさかさにして、まるくまわす。 頭の働きを活発に、柔軟にする本格的トレーニングの第六ステップは、周囲のものごとを注意 る深く観察し、そのものごとの意味や本質を見抜く力を養うことから始められる。 っ この〈例題〉は、あるテレビ番組に取りあげられたものだが、その観察力のたいせっさを、ま ざまざと教えてくれる問題である。さて、あなたは、どのようにお答えになるだろうか。やって カ 察みれば、すぐわかることだが、正解は③なのである。 これが、なぜ観察力と関係があるのか この正解をびたりと言い当てた、ある女子中学生 の言葉を聞けば、だれしも、うーんとうならざるをえないのである。彼女は次のように言った。 139
れる。しかし、このばあいには、ポケットから何かを取り出す目的で手を入れるので、種を取り びんしよう 出す可能性についても、観客はあんがい、敏捷に頭をまわすことが多い。つまり、寄術家にとっ ては、かなりの危険を伴っている。 ところが、この同じ動作を・ポケットに物をしまう動作に切りかえて行なえば、意外に種の取 り出しに気づかれないものなのである。つまり、かりにハンカチを使うとすれば、それを取り出 すときには、種をとり出さず、ほんとうにハンカチだけを取り出して、顔をふく。こうすれば、 ハンカチといっしょに何かを取り出すのではないかと真剣に注目していた観客も、「なあんだ。」 という気持ちで安心してしまう。ところが、奇術家の側から見れば、これで、ポケットに手を入 れる、「常識的必然性」ができ上がったことになるわけだから、ゆうゆうとハンカチをしまう動 作で、種を取り出すことができる。観客の常識は、もはや、種の取り出しを見破ることが不可能 な状態になってしまうのである。 何 こんなふうに考えてみると、詐欺や奇術というのは、私たちの「常識」の裏をかき、心理的な AJ 盲点をつくところに成立するのだといえる。 思一流銀行の舞台、ばりつとしたりつばな服装ーーー常識では、そんなところに詐欺はありえない 造と考える。また同様に、あんな小さなスペース、あんな短い時間に、できるはずがないーーーーそこ に、奇術家のつけ込む隙があるのだ。 へ 0
6 観察力をつける体操 9 走っている自転車の車輪を写真にと「たら、車輪の上の 4 ほうの部分が、いちじるしくばけていた。なぜだろうか。 ( 制限時間・川分 ) 上の部分 下の部分 145
目 観察力をつける体操・ 休憩室・ 7 分析力をつける体操 持久力をつける体操・ 住休憩室 : 9 独創力をつける体操・ 頭のウルトラ O 演技 ・参考文献