の母の許へ帰れなくなってしまったのです。 私は打ちのめされ、信しられない気持ちで、「ちきしよう」という言葉しか出て来ません でした。しばらくの間は、放心状態で何もする気になれませんでした。 今にな 0 て思うと、自分の当時の社会生活や自分の置かれている立場をま 0 たく考えす、 っていた、あまりにも幼稚だった自分が恥すかしく すべて思いどおりになるとたかをくく なるほどですか、とにかくショックでした。 「出院したい」という気持ちから、「早く出院しても何の得もない」と考えるようになり、 ますます生活は乱れました。でも、そんな私を見ても、先生は決して見捨てはしませんで した。「頑張れば、いっか母さんに認めてもらえるかもしれない」「今のお前は頑張るしか ないんだぞ」と毎日のように励ましてくれました。 私の中に、「もしかしたら」という気持ちがわいてきて、「今のまましゃいけない」と思 たうようになりました。「頑張って、もう非行はしないということを認めてもらうぞ」と、私 学はいつも心に言い聞かせながら生活するようになりました。 院自然に、これまでの自分や現在の自分の生活にも、目が向けられるようになっていきま 私の置かれている立場、それは、がけ「ぶちです。そこから落ちてしまうのかは、私し 2
出します。しかし、そう言われても乗りかかった船とばかり、その先生についに暴力をふ るってしまいました。 心の中で、「先生悪かった、俺が本当に悪かった」と言いたくても、私はそれと反対の行 動ばかりしていたのです。 一度目の出院の時、「必す頑張って皆に追いっきます」と心に決め、先生とも約束しまし 三年の担任 co 先生は、入学当初から迷惑を掛けてばかりいた先生でした。「先生、俺、一 からやり直すよ」と多少生意気でしたが、 はっきりと言えました。先生も、「絶対頑張るん だぞ」と励ましてくれました。しかし、時が経つにつれ、 マをかけ、ヾ ノイクに乗るよ うになると、学校の生活も乱れて来ました。先生はそんな私に初心に返ってもらうため何 度も話をしてくれました。そんな先生の目には真剣なものがあり、悲しさも多く含んでい ました。 私も先生のまなざしを真正面から見れす、うなだれて返事をすることしか出来ませんで したが、 先生の話の声までも鋭く胸に突きささってきたのです。 あれほどまでに「頑張ります」と言った自分が恥かしく情けなくもなりました。しかし、 「ごめんなさい」の一言が出てこなかったのです。反対に、もうどうでも ) しいとさ、疋田ハいま
いくか、残された院生活でし「くりと考え、具体化して行きたいと思います。自分の将来 はここの少年院にあるとい「ても過言ではありません。厳しい社会生活に耐えられる自信 を創「て出院し、父と共に、ユ = ットバスの取り付け工事の仕事に早く復帰できるように 頑張っていきます。 教官のコメント 新入時の後半は生活全般にわたって良く頑張り丿 ーダー的な役割活動や、 全体の指揮なども立派に果たしていた。そのまま頂調こ、 丿一 = 。しくたろ、フと田 5 って いたところ、集団生活になってから本人の問題点が出てきた。 しかし、謹慎解除後は、自分の問題点を自覚し、意欲的に院生活に取り組 んでいる。今後は集団生活の中で、善悪の判断力の強化と、人に左右されな い落ち着いた生活を重点的に指導していきたい。
7 / 9 少年院で学んだこと んばれ、かんばれ、 頑張れ′ そして、いっかしら 私自身に向かって 叫んている 私だって、負けない 負けない 負けるもんか 丸亀少女の家 . 《女子
76 イ ルの持久走は、な い毎日でした。毎朝の駆け足や体育訓練、作業、そして一〇キロメート まりきった僕の体にはとてもつらく厳しいことでした。そんな生活から何度逃げ出そうと 思ったかわかりません。でも、そんな時、「ここで逃げ出してどうする。最後まで頑張るん だ」と自分に言い聞かせ、この苦しみに耐えてきました。そして、このつらさを一歩一歩 乗り越えたときに、本当の喜びを感することができました。今まで何をしても中途半端だ った僕が、一つのことを最後までやり終えて、喜びを感しられるようになったのです。何 そのつど両親や先生の励ましを受けて乗り越えてきまし 度もくしけそうになりましたが、 つらさを乗り越えることが、だれのためでもなく、自分自身のためだということに気 つくことかできました。 また、交通安全学習や園芸作業を通して、命の尊さを軽く考えていた自分の間違いに気 づき、命の大切さを知ることができました。 さらに、一番の問題点であった意志の弱さは、少年院生活をしていく中で大きく改善す ることかできました。 僕は、社会に出ても、この少年院で学んだことを忘れす、一日一日を大切に、何事にも 最後まで乗り越えられるように一生懸命努力していきます。そして、これから新しい人生 を歩み、今まで迷惑をかけ続けてきた両親に、少しでも親孝行できるように頑張っていき
れたのです。指名された時は、自分でも信しられない気持ちでした。その時、僕は、今ま で以上に練習しようという気持ちになりました。また、母に報告したらとても喜んでくれ ました。その時の母の顔は、今でも忘れる事が出来ません。 それから、地区大会に備えて、今まで以上の厳しい練習が始まりました。何とか大会で 優勝して、全国大会に出場したいと思い、厳しい練習にも耐えて頑張って練習をしました。 そして、その成果も実って、地区大会で優勝し、全国大会への出場権を手に入れたのです。 優勝した瞬間の感動は、言葉では言い表せないほどのものでした。僕が投げたポールが、 キャッチャーミットに入った瞬間、田 5 わす涙が出てきました。今でもその時の事をよく思 い出します。練習のつらさや苦しかった事など、一瞬に吹き飛んでしまいました。それか ら、全国大会で好成績を残そうと思い、厳しい練習にも耐えて頑張りました。しかし、全 国大会では雰囲気にのまれて、緊張して何が何だか分からないうちに試合が終わっていま した。結果は、〇対一二で負けてしまいました。 今もよくその時の事を思い出します。でも、その時の自分と今の自分があまりに違って しまった事を思うと、気持ちが重くなってしまいます。 いつのころからか、遊び仲間との付き合いが始まり、他人の物に手を出すようになり、 悪への道へ入ってしまったのです。目的を失った船のように、その時の気分や周りの状態
55 父・母・家庭 私が悪いことをしても、親は私を子供だと思ってくれているのだと思うと、もう絶対に 悪いことはできません。今、私の大切な宝物は家族のみんなだとはっきり分かりました。 これからは、家族に心配をかけす、楽しく明るく家族のみんなと共に頑張って生きてい きたいと思います。 教官のコメント 少年は、非行歴は浅いが、非行態様 ( 窃盗 ) がすさまじく、常習化したの で、最早、家族の手にはおえないため、施設送りにされているが、自由で勝 手気ままな生活ができないことを経験して、家族のありがたさに目を覚まし たことが、よく表現されていると思う。 特に、父が面会にきたときの情景が、リアルに描かれており、感動する手 = = ロてある
幻 9 明日への決意 を苦しませたかもよく分かりました。これまでの私は、母にと「ては重い荷物にな「てい たと思いますが、もう一一度と母に心配はかけないように、母を大切にしていきたいと思い ます。 私が立ち直ることが、何よりも母 ~ の思いやりだとしたら、これからは精一杯頑張って 生きていきます。 そんなふうに考えると、灰色の心も、少しすっ紅型のようなあざやかな色に染まってい くような感しがしています。 教官のコメント 入園当初は、母の目が不自由になったことについては、ほとんど口にしょ うとせす、自分の思いやりのなさを認めようとしなかった。 でも、最近はやっと自分に目を向けて来たところであり、心から母を悲し ませたことに気づいてきた。 自分の悪い点を素直に「悪い」と認めることはつらいでしようが、大切な ことです。他人の苦しみ、痛みが感し取れるような女性になってはしい。
29 父・母・家庭 きました。 なぜ家庭が必要なのか、また、私が家庭でどういう立場におかれていたのかなど、今回 の事件の中でさまざまな事が分かったと思うし、教えてもくれました。 今回で、こういう施設や鑑別所は三回目なのに、家族は、もう一度一緒に荷車を引こう と言ってくれています。今まで離れていた分、迷惑をかけた分、余計に頑張って楽をさせ てあげたいし、いい家庭を作らなければいけないと思っています。 私自身も、今まで家庭を避け、やりたい事を好き勝手にやっていたのだから、それなり に大きな努力と勇気が必要だと思います。自分のカで早く父や母と荷車を引けるよう更生 の道を歩み、家族の一員になるつもりです。 教官のコメント 家庭の一員として、今まで逃げていた少年が、父、そして継母とのかかわ り方を考え始めた少年の手記である。
95 学校・先生・友人 だれよりも心から心配してくれ、最後まで私を見離さす、私の将来について色々な援助、 助言をしてくれた中学一二年の時の先生がいながらも、その先生を今このような形で裏切っ ていることです。 その先生も、私が一日でも早くましめに立ち直る事を願っていると思います。私にもそ ういった心のささえとなる人がいることを忘れす、院生活を頑張っていきたいと思ってい ます。 教官のコメント 現在、二級の下、導入時教育生として、毎日の規律訓練や体育訓練に汗を 流している。 この少年は、三度目の少年院生活を送ることになった。この作文を書くこ とで、自分と対峙し、今後の自分自身の在り方を模索しながら、更生への糸 口を見出そうとしている。 " 作中の女の先生。にかわる新しい心の師を、きっとこの少年院の中でも探 し出すことだろう。