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検索対象: おはなし名画シリーズ 琳派をめぐる三つの旅(宗達・光琳・抱一)
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1. おはなし名画シリーズ 琳派をめぐる三つの旅(宗達・光琳・抱一)

そうたっ さいごは酒井抱一のおはなしです。宗達や えし こ , つりんきょ , っと 光琳は京都の絵師でしたが、抱一は江戸の絵 師です。かつやくした時期も江戸時代の後期 うきょえ で、歌舞伎や浮世絵などの町人文化がまさに 花ざかりだったころです。 抱一の風流な生涯 抱一は 17 61 年、姫路城主酒井家の次 男として江戸の大名屋敷でうまれました。 酒井家は大名のなかでも幕府のじゅうような やく 役をつとめる名門ですが、抱一はあとつぎで はなかったためにすきな絵や歌の道にはい り趣味やあそびに日々をついやしていたよう です。 そんな抱一に転機がおとずれたのは歳の ころのことです。それが光琳の絵とのであい です〇 さかし なん しゆみ ほ , ついっ かぶき だいみよう ほ , ついっ えど さ力し ( 、ま , ついっ めいもん てんき だいみようやしき ひび ねんひめじじようしゆさかい ふ一つりゅ一つ じき ばくふ こ一つりん ちょうにんぶんか ほ , ついっ ほ , ついっ えどじだい . しょ一つ、力し みち えど こ、つき え

2. おはなし名画シリーズ 琳派をめぐる三つの旅(宗達・光琳・抱一)

いつ 一への旅 酒井抱ー ( 1761 ー 1828 年 ) 重要文化財「夏秋草花図」屏風右隻

3. おはなし名画シリーズ 琳派をめぐる三つの旅(宗達・光琳・抱一)

『光琳百図』の出版という形で表すのです。そして、冬の花々はひっそりとしています。季節の 抱一への旅 て自らも画業に専念するようになり、江戸の地移り変わりは、日本人の心を細やかなものにし てくれるのです。近づいて見ると、抱一が自殀 最後は酒井抱一のおはなしです。宗達や光琳はに琳派の心と形を根づかせていくのです。 京都の絵師でしたが、抱一の活躍の場は江戸で光琳と抱一は、若い頃かなり自由奔放に生き、をとてもやさしく細やかに描いていることに気 した。時期も十九世紀の前半、江戸時代の後期歳頃からは絵の道を真剣に志したところなど、づくでしよう。それこそが宗達とも光琳とも異 です。歌舞伎や浮世絵などの町人文化が、まさよく似ています。そして抱一は光琳画をよく勉なる抱一の持ち味です。 に花盛りだった頃です。 強していますから、画風も似ていて当然です。 「夏秋草花図」 こういう場合、師とあおいだ人を越えるのは大 抱一の風流な生涯 変です。しかし抱一には誰にも負けない得意分抱一は生涯にわたって光琳を慕い続けました。 抱一の経歴はたいへん変わっています。かれ野があったのです。それは四季を描いた絵です。その中でいつも抱一が考えていたことは、光琳 は姫路城主酒井家の次男として、江戸の大名屋抱一は様々な形式で四季を描いています。抱一画と比べても劣らない作品を、いっかは描いて 敷で生まれています。酒井家は譜代大名であり、をよく知るために、まずは四季図から見ていきみたいということだったのではないでしようか そんな抱一の思いが強く感じられるのが、晩 大老職を出したこともある名門です。しかし次ましよう。 男坊であったために自由が許され、抱一は元々 年の代表作「夏秋草花図」 ( 図 ) です。何しろ 四季の恵み この作品は後でくわしく述べるように、光琳の 好きであった絵や歌の道に入りこむようになり ます。やがて兄が亡くなると、甥に跡を継がせ、 四季図の屏風絵は、時間の流れが右から左へ「風神雷神図」の裏に描かれていたのです。 抱一は当時、光琳の「風神雷神図」屏風を所有し 自らは歳の時に武十の身分を捨てて出家すると表されているので、見る場合は屏風に近づい のです。しかし出家してからも趣味や遊びに日々てゆっくり移動しながら見ていくのです。そうていた一橋治済という人から頼まれて描いたの を費やしていたようです。 すると立てられている屏風の死角から、突然鳥ですが、抱一にとっては、光琳に肩を並べるま たとないチャンスでもありました。 転機は歳の頃訪れました。それが光琳の絵や虫が画面に現れてきて、まるで自然の中にい との出会いです。かって光琳が江戸にいた時期るような気がしてきます。一組の屏風で四季の抱一は右隻にタ立に打たれる夏草と、水量を に、酒井家に仕えていたことから、光琳の絵が自然が楽しめるなんて、素敵だと思いませんか増した河を、左隻に野分に吹かれる秋草を、そ 抱一の身近にあったのです。やがて抱一は光琳 ( 図 ) 、では夏の情景と冬の情景を取り出しれぞれに描きました。はたしてそこにはどんな へのあこがれの気持を、光琳百回忌の開催とてみました。元気よく咲き竸う夏の花々に対し意図としかけがあったのでしよう。

4. おはなし名画シリーズ 琳派をめぐる三つの旅(宗達・光琳・抱一)

俵屋宗達 「風神雷神図」 屏風 図 3 1 図 6 に同じ 「風神雷神図」 尾形光琳 屏風 図 17 に同じ 図 32 酒井抱一 「風神雷神図」屏風 19 世紀前半 紙本金地着色 二曲一双 各 170.7 x 170.2cm 出光美術館 ( 東京都 ) 図 33

5. おはなし名画シリーズ 琳派をめぐる三つの旅(宗達・光琳・抱一)

琳派をめぐる三つの、、、ヾ。 方しカカてしたか。最 後に登場した抱一は、宗達や光琳とちがい、時 代の最先端を行く江戸の地で生まれ、育ちまし た。そのため初めから淋派的な世界にあこがれ ていたわけでなく、光琳画との出会いから、雅図酒井抱一「絵手鑑」円世紀 ( 一帖花図 ) のうち「富十図」 果著色 25 ・ 1X19 ・ 9 Ⅷ静嘉堂文庫美 ( 東星都 ) な古き時代への想いをつのらせていきました。 しかし抱一は、伝統的なやまと絵の世界にも、 0 常に新しさを求めました。その結果生まれたの が下図のような大胆な作品です。新年を祝う縁曾 起ものの絵ですら、抱一にかかれば印象的な一 枚になるのです。これこそが琳派が常に新鮮さ を失わない秘密でしよう。

6. おはなし名画シリーズ 琳派をめぐる三つの旅(宗達・光琳・抱一)

たわらやそうたっ 琳派とは江戸時代にかつやくした俵屋宗達や尾 かわ」一」、つ」り・′ル 形光琳、酒井抱一などの絵師にだいひょうされる せいかっ げいじゅっ 生活をいろどる芸術の流派のひとつです。 え かれらの描く絵は、やまと絵というふるくから なが ある日本の絵の流れをくんでいます。 また、日本にったわる物語を題材としてつかいな さくひん から、さらにくふ , つがほどこされ、その作ロ明はと と てもカづよく、みりよくに富んでいます。 このような作品をのこしたかれらを、のちの人 おがたこうりん たちはその中心的な絵師である尾形光琳の名まえ りんば の一文字をとって、琳派と名づけたのです〇琳派 かんしん きんねん への関心は近年とみにたかまっています。 たび こんかい りんば そこで、今回は『琳派をめぐる三つの旅』にみ なさんをおさそいしてみようとおもいます〇 りんば ひともじ ちから 六」、んいほ一ついっ ちゅうしんてき えが え えどじだい さくひん りゅうは ものがたり だ ざ え みつ 亠な りんば ひと お

7. おはなし名画シリーズ 琳派をめぐる三つの旅(宗達・光琳・抱一)

たび 琳派をめぐる三つの代、、、、、。 方しカカてしたか〇 琳派は日本のでんとう的なほかの流派のよう に親から子へとひきつがれたり、ちよくせつ り・ゅ , つは 師からその弟子へと代々うけつがれた流派で はありません。 しかし、江戸時代初期にかつやくした俵屋 そうたっ えどちゅうき おがたこうりん 宗達、江戸中期に人気をあつめた尾形光琳、そ きやっこう して江戸後期に脚光をあびた酒井抱一へと時 ′ , つか′ル 間も空間もとおくはなれた人びとによってそ げいじゅっ の芸術はうけつがれ、そのながれはつくられ かん りんば おや りんば えどこうき 」にほ , ん えどじだいしよき でし みつ にんき キ / し / し てき ひと さかい り・ゅ , つは ほ , ついっ たわらや ( 左隻 ) ました。 すずききいち やがて抱一の時代になると、鈴木其一のよ うなすぐれた弟子もうまれ、さらに琳派はひ こころ ろがり、その心はこんにちまでみやくみやく とつづいているのです。 ほ , ついっ でし じだい りんば ( 右隻 )

8. おはなし名画シリーズ 琳派をめぐる三つの旅(宗達・光琳・抱一)

レ むかし じつは、抱一がうまれる年くらい昔、江戸 こ , つりん にきた光琳は酒井家につかえていたのです。 ですから、光琳の絵が抱一のみじかにあった こ一つりん のはごく自然なことでした。抱一は光琳への あこがれのきもちから、やがてみずからも 絵の道にせんねんするようになり、江戸の地 こころかたち に琳派の心と形を根づかせていきます。 ほ , ついっ 光琳と抱一は次男坊だったこと、わかいこ ろかなりじゅうほんぼうに生き、 4 歳のこ 立 ろから絵の道をしんけんにこころざしたと京 ころなど、よくにています〇そして抱一は光 か ~ 6 , っ りんが 琳画からおおくを学んでいますから、画風も とうぜんにています。しかし季節の移りかわ色 りを描かせたら抱一にかなう画家はいないで しょ , っ 抱一をよくしるために、まずはさまざま春 かたち な形で描かれた四季の絵から見ていきましょ りんば こうりん ほ一ついっ みち えが えが こ , つり・ん ほ , ついっ みち さ力い ほ , ついっ じなんぼう しき まな ほ , ついっ ねん ほ , ついっ きせつ カカ うつ ほ , ついっ えど えど こ、つ

9. おはなし名画シリーズ 琳派をめぐる三つの旅(宗達・光琳・抱一)

・表紙 : 国宝尾形光琳「燕子花図」屏風部分根津美術館 ( 東京都 ) ・裏表紙 : 国宝俵屋宗達「風神雷神図」屏風右隻建仁寺 ( 京都府 ) 図 30 図 28 酒井 図 21 図 18 図 17 図 12 尾形 図 11 図 10 図 9 図 8 図 7 図 6 図 5 図 4 図 3 図 2 図 1 俵屋 The MetropoIitan Museum of Art, Seymour Fund, 1954 ( 54.69.1.-2 ) , Photograph ◎ 1982 The Metrop01itan Museum of Art Morning GIories Six-panel folding screen; ink, color and gold on gilded paper, 70 3 / 16 x 149 レ 2 in. ( 1782 x 379.8 cm). 鈴木其ー「朝顔図」屏風 19 世紀六曲一双 178.2X379.8cm メトロポリタン美術館 ( ニューヨーク ) 図 29 「四季花鳥図巻」秋冬巻 ( 部分 ) 1817 年紙本着色 31.2 x 709.3 cm 東京国立博物館 ( 東京都 ) 重要文化財「夏秋草花図」屏風 1821 年二曲一双紙本銀地着色各 166.9 x 184Cm 東京国立博物館 ( 東京都 ) 図 27 「波図」屏風 19 世紀六曲一双紙本銀地墨画著色各 169.8x 369Cm 静嘉堂文庫美術館 ( 東京都 ) 図 26 「紅白梅図」屏風 18 世紀前半六曲一双紙本銀地着色各 152.5 x 319.6cm 出光美術館 ( 東京都 ) Credit line/owner: Property Of Mary Griggs Burke, Photograph credit: Bruce Schwarz Sakura zu Pair of 6-panel folding screens, ink, color, and gold on gilded paper, Each 96 x 208 cm. 図 25 「桜図」屏風 1808 年頃六曲一双紙本金地着色各 96X208Cm バーク・コレクション蔵 ( アメリカ ) 図 24 「四季花鳥図」屏風部分六曲一双紙本金地着色各 162X342 cm 陽明文庫 ( 京都府 ) 図 23 「四季花鳥図巻」春夏巻 ( 部分 ) 1817 年紙本着色 31.2 x 712.3cm 東京国立博物館 ( 東京都 ) 中扉 : 重要文化財「夏秋草花図」屏風右隻図 28 に同じ 抱一 Freer GalIery of Art, Smithsonian lnstitution, Washington, D. C. , Purchase, F 1956.20 -. 21 Cranes Screen (six-panel). ink, color, gold, and silver on paper, 166 H x 371 cm W ( 65 3 / 8 x 146 1 / 16 in). 図 22 「群鶴図」屏風六曲一双紙本金地着色 116X371Cm フリーア美術館 ( ワシントン ) 国宝「紅白梅図」屏風 18 世紀二曲一双紙本金地彩色各 154X 173Cm MOA 美術館 ( 静岡県 ) 図 20 「柳に水鳥図」屏風 18 世紀前半二曲一双紙本金地着色各 171 x 189Cm 川村記念美術館 ( 千葉県 ) The Metropolitan Museum of Art, FIetcher Fund. 1926 ( 26.117 ) , Photograph ⑥ 1982 The Metrop01itan Museum of Art Rough Waves Two-paneI folding screen; ink, color and gold on gilded paper, 57 1 レ 16 x 65 レ 8 in. ( 146.6 x 165.4 cm). 図 19 「波涛図」屏風二曲一隻紙本金地着色 146.6X165.4cm メトロポリタン美術館 ( ニューヨーク ) 俵屋宗達「雲龍図」屏風右隻図 7 に同じ 重要文化財「風神雷神図」屏風 18 世紀前半二曲一双紙本金地着色各 164.5 x 182.4cm 東京国立博物館 ( 東京都 ) 図 16 「草花図」屏風二曲一双紙本金地着色各 169.7 x 178.2cm 根津美術館 ( 東京都 ) The MetropoIitan Museum of Art, Purchase, Louisa EIdridge McBurney Gift, 1953 ( 53.7.1 -. 2 ) , Photograph ⑥ 1993 The Metropolitan Museum of Art Eight-PIanked Bridge (Yatsuhashi) Pair 0f six-panel folding screens; ink, color and gold leaf on paper, Each 70 レ 2 x 12 ft. 2 1 / 4 in. ( 179.1 x 371.5 cm). 図 15 「八橋図」屏風 18 世紀前半六曲一双紙本金地着色各 179.1 X371.5cm メトロポリタン美術館 ( ニューヨーク ) 図 14 「燕子花図」 18 世紀前半一幅紙本金地着色 35 x 115.5cm 大阪市立美術館 ( 大阪府 ) 図 13 「伊勢物語図」絹本着色 95.7X 43.3cm 東京国立博物館 ( 東京都 ) 国宝「燕子花図」屏風 18 世紀前半六曲一双紙本金地着色各 150.9 x 338.8cm 根津美術館 ( 東京都 ) 中扉 : 国宝「紅白梅図」屏風右隻 ( 部分 ) 図 21 に同じ 光琳 重要文化財「四季草花下絵和歌巻」 ( 部分 ) 本阿弥光悦筆紙本金銀泥 33.7X 917Cm 畠山記念館 ( 東京都 ) 重要文化財「鶴図下絵和歌巻」 ( 部分 ) 本阿弥光悦書 17 世紀前半紙本金銀泥 34X 1460Cm 京都国立博物館 ( 京都府 ) 「扇面散屏風」右隻 ( 部分 ) 東京国立博物館 ( 東京都 ) 重要文化財「舞楽図」屏風 17 世紀前半二曲一双紙本金地着色各 155.5x 170Cm 醍醐寺 ( 京都府 ) Freer GalIery of Art, Smithsonian lnstitution, Washin gton, D. C. , Gift of Charles Lang Freer, F 1905.229 -. 230 l)ragons and Clouds Screen (six-panel), ink and pink tint on paper, 171.5 H x 374.3 cm W ( 67 レ 2 x 147 3 / 8 in). 「雲龍図」屏風 17 世紀前半六曲一双紙本墨画各 171.5X374.3cm フリーア美術館 ( ワシントン ) 国宝「風神雷神図」屏風 17 世紀前半二曲一双紙本金地着色各 154.5x 169.8cm 建仁寺 ( 京都府 ) 「双大図」紙本墨画 82.5 x 43.2cm 細見美術館 ( 京都府 ) 「狗子図」軸装紙本墨画 98.8x 43.6cm 神奈川県立近代美術館 ( 神奈川県 ) 重要文化財「白象図」杉戸 1621 年頃木地着色 182X 125Cm 養源院 ( 京都府 ) 国宝「鹿図」平家納経・願文見返し絵 1602 年頃紙本金銀泥 27.5 x 24.8cm 厳島神社 ( 広島県 ) 写真提供「便利堂」 重要文化財「松図」襖 1621 年頃紙本金地着色 12 面の内の 4 面各 184.5 x 141.5cm 養源院 ( 京都府 ) 中扉 : 国宝「風神雷神図」屏風左隻部分図 6 に同じ 宗達 解説中図版 図 31 図 32 図 33 図 34 図 35 図 36 図 37 図 38 図 39 俵屋宗達「風神雷神図」屏風図 6 に同じ 尾形光琳「風神雷神図」屏風図 17 に同じ 酒井抱ー「風神雷神図」屏風 19 世紀前半二曲一双紙本金地着色各 170.7 x 170.2cm 出光美術館 ( 東京都 ) 俵屋宗達画里村昌程書「芥川図」伊勢物語図色紙六段 17 世紀前半紙本着色大和文華館 ( 奈良県 ) 尾形光琳「インコ図」鳥獣写生図紙本着色京都国立博物館 ( 京都府 ) 尾形光琳「孔雀雄図」鳥獣写生図紙本着色京都国立博物館 ( 京都府 ) 尾形光琳「草花図」図 16 に同じ 尾形光琳「佐野渡図」 18 世紀絹本著色 101.1 x 40. lcm MOA 美術館 ( 静岡県 ) 酒井抱ー「絵手鑑」 19 世紀 ( 一帖 72 図 ) のうち「富士図」絹本著色 25.1 x 19.9cm 静嘉堂文庫美術館 ( 東京都 )

10. おはなし名画シリーズ 琳派をめぐる三つの旅(宗達・光琳・抱一)

ようと思います。 時に、このような絵を受け入れた当時の社会も、 琳派とは何か おおらかであったことが想像されて、何だか楽 宗達への旅 琳派とは江戸時代に活躍した俵屋宗達や尾形 しくなってきます。このように残された絵から 光琳、酒井抱一などの絵師に代表される一群の 最初は俵屋宗達のおはなしです。宗達につい は、作者のことはもちろんのこと、時代や社会 作家たちをまとめた呼び名です。とは言っても、ては生没年はもとより、どのようにして絵師にのことも見えてくるのです。 彼らが生きていた時代にそのように呼ばれてい なったかや家族のことなども、ほとんど不明で 宗達が描いた動物たち たわけでもなく、彼らは生きていた時期が異なす。しかし宗達が描いたとされる作品には、ど るので、お互いを知っていたわけでもありませれも一度見たら忘れられないような強い個性が 宗達のどこかューモラスでおおらかな個性が ん。ではなぜ一派として見られているかという宿っています。みなさんもこの旅を終えるころよく現れているのが、動物たちの絵です。「鹿図」 と、彼らが残した作品とそこに宿る精神が互い にはきっと宗達の魅力に引きつけられていると ( 図 2 ) を見て下さい。このポーズにはかなり無 に通じ合っているからです。 思います。 理があると思いませんか。しかも頭や足を手で たとえば彼らの描く絵は、中国風でも西洋風最初に紹介する作品は、襖絵の「松図」です。隠してしまうと、まるでお月様のようなまある でもなく、やまと絵という純日本的な絵に似てこの襖絵は京都の養源院というお寺の本堂にあ い形になります。 います。また日本に伝わる物語からいろいろなります。松は常緑樹で寿命も長いことから、日実はここに宗達の造形の強さの秘密があるの ヒントを得ながらも、できた作品はとても力強本では古くから縁起の良いものとして喜ばれてです。描く対象を単純化した形に納めることで、 く、工夫もされていて、絵自体の魅力にも富んきました。宗達が活躍した時期よりも少し前の逆に強い印象を生み出しているのです。 でいます。さらには彼らの作品が、生活のさま戦国時代には、織田信長などの武将が、狩野派「白象図」 ( 図 3 ) を見て下さい。こちらは頭と ざまな場面で使われたり、美しく飾っていたこなどの高名な絵師たちに立派な枝ぶりの松を沢足を隠すと、卵形が出てくるでしよう。このよ とを忘れてはなりません。 山描かせています。自分の時代が松の樹のよう うに宗達はありのままを描くよりも造形を楽し このような作品を残した彼らを、後の人たちに長く長く続くことを願ったのでしよう。それんでいるのです。 は中心的絵師である尾形光琳の名の一文字をとらの松に比べると、宗達の松はどこかューモラ 宗達は水墨画も得意としていたので、墨で描い って、琳派と名づけたのです。琳派への関心はスで、おどっているようにも、おどけているよた動物たちも紹介しましよう。「狗子図」 ( 図 4 ) 近年とみに高まっています。そこで今回は『琳うにも見えます。このようなユニークな松の絵は墨の濃淡やにじみをうまく使って、子犬を愛 派をめぐる三つの旅』に皆さんをお誘いしてみを描いた宗達という絵師が個性的であったと同らしく描いています。このにじみは「たらし込み」