立石清重 - みる会図書館


検索対象: 明治の西洋館Ⅱ
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1. 明治の西洋館Ⅱ

3 をⅱ 11 物 42. 出石郡役所明治 25 年兵庫県出石郡出石町 5 7

2. 明治の西洋館Ⅱ

、ンごれす 1 8 、当灰に、気・、 3 を小 ド洋か 3 い第 いゞ第・ = : 当物当を攣 , , 箒を・滝を第感卩 7. 小田学校明治年 、を際 三重県上野市

3. 明治の西洋館Ⅱ

43 . 宇土郡役所 ( 九州海技学院 ) 明治 35 年 / 不詳 / 不詳 / 木造平屋 / 熊本県宇 土郡三角町西港 木造建築でありながら石造建築を思わせる目 地入り白漆喰の壁が特徴的な西洋館である。 屋根の半円形換気ロ、ドーマー窓、吹き寄せ 柱をもっ華麗な玄関ポーチなど、格調高い中 にもエレガントなたたずまいで三角町西港を 見おろしている。 44. 赤穂村役場 ( 駒ケ根郷土館 ) 大正 11 年 / 伊藤文四郎 / 不詳 / 木造 2 階 / 長 野県駒ケ根市駒ケ根高原 設計は地元の伊藤文四郎博士。外観はアメリ カンコロニアルスタイル、内部装飾はルネサ ンス式を採用している。左右対称の清潔なさ っぱりとした西洋館である。昭和 46 年、新市 庁舎新築にともなって現在地に移築、郷土館 として親しまれている。 45. 鶴岡警察署 ( 荘内文化会館 ) 明治 17 年 / 高橋兼吉 / 高橋兼吉 / 県指定重文 / 木造 2 階 / 山形県鶴岡市家中新町 10 ー 18 屋根は 1 階が入母屋、 2 階が方形で各々正面 中央には鬼瓦、懸魚がっく破風をもった伝統 的造形であるが、軒の出は浅く、歯飾りのつ いた軒蛇腹を見せる。下見板張りの壁に付柱、 べデイメント付の上げ下げ窓、ポーチとその 上のバルコ二一にはファンライト付の出入口 と、洋風の装飾が無理なく納まり、完全な折 衷ではあるが、これ自体ひとつのスタイルと 呼びたいほどの密度と風格をもつ。 46. 鶴岡警察署大山分署 明治 18 年 / 高橋兼吉 / 高橋兼吉 / 木造 2 階 山形県鶴岡市大山 2 ー 23 ー 23 鶴岡警察署と同じ棟梁によって作られた。前 者よりスケールダウンして、簡素化している。 ている。擬洋風だが、和・洋どちらの要素も 穏やかだ。現在は民俗資料館となっているが、 展示内容の充実に圧倒される。必見である。 40. 西白河郡役所 明治 16 年 / 不詳 / 不詳 / 木造 2 階 / 福島県白 河市南湖公園内 明治 16 年、白河市道場小路に建てられたもの。 改築にあたり明治初期の貴重な洋風建築をぜ ひ残して欲しいという市民の声を受けて、南 湖のほとりに明治記念館として移築復原した 建物。正面部分と両側の部屋の 150m2 カヾ保存さ れて 0 、るカ : 、雨漏 0 丿や風揺れなどのために取 り去った中央の六角物見塔も復原されている。 北国ではこういった理由で物見を除去した例 は多かったようだ。内部には、福島を代表す る相馬焼のほか、全国各地の徳利類が展示さ れている。 山形県令三島通庸は近代化政策を推進し、県 下の建築の洋風化を積極的に奨励した。入母 屋屋根の 1 階から最上部の時計台まで順次セ ットバックをくり返すが、設計者の大工棟梁 には高層建物の構成の手がかりとして天守閣 をイメージしていたのではないかと思わせる。 37. 伊達郡役所 明治 16 年 / 不詳 / 山内幸之助・銀作 / 国指定 重文 / 木造 2 階 / 福島県伊達郡桑折町字陣屋 県令三島通庸が洋風庁舎の新築推進に、最も 力を入れていた頃のもので、町費だけで建て たという町民の熱意にあふれた擬洋風である。 トラス構造、下見板張りにペンキ、上げ下げ 窓、玄関ポーチとべランダ、正面中央の開口 部上の色ガラスをはめた扇形窓、復原された 塔屋等の洋風に、破風や瓦屋根、幕板等に堂々 たる和風が加味されている。 38. 東村山郡役所 明治 12 年 / 不詳 / 不詳 / 県指定重文 / 木造 2 階 / 山形県天童市大字天童甲 4103 ー 5 山形県の初期擬洋風建築。中央部のアーチ型 開口、バルコニー手摺の擬宝珠、雲形彫刻の 幕板、柱頭、礎盤付の八角柱など、どちらか と言えば東洋風の意匠。だがその堂々とした 立ち姿には、手さぐりながら新しいイメージ を求めた棟梁の努力が結実している。最上階 の塔屋は雪国に不向きで後年破損したが、復 原工事によって再建された。 39. 南会津郡役所 ( 奥会津歴史民俗資料館 ) 明治 18 年 / 牛田万造 / 不詳 / 県指定重文 / 福 島県南会津郡田島町大字田島字丸山甲 4681 中庭式閉鎖型の大きな建築である。正面棟の み 2 階建て。創建当初の記録に「鉄板葺」と あったり、他の郡役所の教訓を生かして塔屋 を設けなかったりと、積雪地らしい試みをし 41 . 神東神西郡役所 ( 神崎郡歴史民俗資料館 ) 明治 14 年 / 中島林平 / 不詳 / 木造 2 階 / 兵庫 県神崎郡福崎町 明治 14 年に郡役所として建てられた典型的な ルネサンス風の西洋館。同じ兵庫県の出石郡 役所ときわめて類似した雰囲気をもっている が、 2 階のべランダを有することで威厳が加 わっている。地元市民や研究者の熱意で歴史 民俗資料館として保存されている。 42 . 出石郡役所 明治 25 年 / 不詳 / 不詳 / 木造 2 階 / 兵庫県出 石郡出石町魚屋 下見張りに上げ下げ窓という洋風らしさの典 型的要素を備えた役所建築。全体はシンプル に抑制されているが、玄関ポーチの 4 本のコ リント風キャヒ。タルとべデイメントが、周囲 に対して堂々と威風を放っている。 108

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豪勢な感じがする。破風 ( ペデイメント ) などはもっとうまくつくる自信がある。屋根の形 は日本のものより数段劣る。学ぶ必要はない。棟梁たちにとって、異人館は見なれた形と 見なれない形の組み合わせであった。 それまでの日本の建物は主にその屋根にデザインのエネルギーが集中した。屋根の下は 庇の翳に包まれた奥深い空問であった。西洋館は、それに対して壁面の建築である。箱の ように空間を囲った壁面に、オーダーや腰高窓の装飾、また屋根そのものよりも軒まわり のデザインが施される。そして見よう見まねの独学で棟梁たちが建てた西洋館は、堂々た る屋根と誇らしげな壁面をもつ新しいスタイルの建築だった 棟梁たちが注目した洋風建築のモチーフはオーダーとペデイメント、コーナーストーン ( 隅石積 ) 、上げ下げ窓にアーチ窓、車寄せのポーチと 2 階のバルコニーなどである。 これらの形は日本の大工たちのもつ優秀な木造技術にとって、充分応用可能であった むしろ、古代ギリシャのオーダーは、もともと木造から端を発したといわれている。石の 柱や梁に施されたディテールか、木造でつくられていた時の仕ロの名残に由来するものか 多い。巨木の不足や不燃化の必要性によって徐々に石造の軸組へと置きかえられ、それに ともなって比例の体系ができあがっていったのである。木造から始まった古代ギリシャの オーダーの化石が、日本の明治の棟梁たちによって再び木の中に甦る。ただし、それはオ ーダーの本来もっている約束事をほとんど無視しながら。 コーナーストーンの場合は本 来的に石造のディテールであり、木造には必要ない。 だが棟梁たちにとってはあくまでも 西洋の「装飾」として重要であった。壁の漆喰に目地を切り、色を変えて表現した 構造は伝統的な工法で行う。とすれば、各部分の形は西洋の材料や工法の結果としてあ らわれるのではなく、洋風を表現する装飾として扱われる。そしてそのことがバルコニ やペランダまわりにもあらわれる。ペランダは、西洋列強の支配した亜熱帯地方の植民地 で、現地の気候風土に合わせた西洋人の住まいに流行したものである。西洋人たちはこの コロニアル・スタイル 植民地風様式を、長崎や神戸の居留地にも応用した。それを見た棟梁たちは冬には雪で埋 まる山問の地にも、このペランダを採用し、その軒裏をやはり亜熱帯地方で用いられる屋 根裏換気用の細木の目透し張りでおおったのである。 棟梁たちが採用したのは西洋館の装飾的モチーフであった。そしてその中で自分たちの ちゅうちょ 伝統との連続性を感じた部分は、躊躇なく優れていると思われる方を採用した。優れてい るところだけを集めたから、最も近代的な建物なのである。技術の習得のために様式を忠 実になぞろうとした中央の建築家たちとちがって、棟梁たちの西洋館は純粋にデサインの 面からのアプローチだった。それは後世の人々から見よう見まねの洋風、和洋折衷、擬洋 102

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7. 小田学校 明治 14 年 / 不詳 / 不詳 / 県指定重文 / 木造 2 階 / 三重県上野市小田町 141 ー 1 全体の構成は明治初期擬洋風小学校に共通す る形式だが、ポーチのダブルコラムが上階の バルコーーに続き、そこでさらにその外側に もコラムを張り出して建て、起りのついた屋 根を支えているのが特徴的。玄関のアーチは 唐風の奇妙な形。内部は伝統的な畳敷きだが 教育はアメリカ式の自由なものであったとい 8 . 岩科学校 明治 13 年 / 菊地丑太郎・高木久五郎 / 高木久 五郎 / 国指定重文 / 木造 2 階 / 静岡県賀茂郡 松崎町岩科北側 442 地元の棟梁高木久五郎と菊地丑太郎によって 建てられた学校。玄関正面の唐破風とべラン ダ、なまこ壁とアーチ窓の組み合わせが特徴。 2 階西端の和室には、郷土松崎の生んだ名工、 入江長八の手になる鏝絵「千羽鶴」が描かれ ている。また長八の直弟子、佐藤甚蔵の作品 も多く、左官仕事に見応えがある。 9. 開明学校 明治 15 年 / 都築熊吉 / 都築熊吉 / 木造 2 階 愛媛県東宇和郡宇和町卯之町坪ヶ谷 幕末に藩塾として出発し、学制改革までは宇 和郷校としてこの地方の人材を育ててきた。 擬洋風による学校建築としては西日本最古で あるとされるが、全体はほとんど伝統的な形 で、それとわかるのはアーチ窓のある 2 階と 1 階吹き放ち廊の壁が多く、軒の出が浅いこ とぐらいだが、それでも当時は十分に新鮮だ ったに違いない。松本の開智学校とは姉妹校 である。 10. 高梁小学校 ( 高梁郷土館 ) 明治 37 年 / 不詳 / 不詳 / 木造 2 階 / 岡山県高 梁市柿木町 簡素ですっきりした好感のもてる外観である。 屋根窓の軒下に付けたようらくなどに、津山 高校と類似したデサインが見られる。校舎の 大部分は撤去されたが、職員室と講堂であっ た部分を保存し、高梁郷土館として活用され ている。江戸期の町人生活資料を中心に民具 が 3000 点あまり展示されている。 11 . 水海道小学校 明治 14 年 / 羽田甚蔵 / 羽田甚蔵 / 木造 2 階 / 水戸市緑町 2 ー 1 ー 15 、茨城県歴史館内 中央部に彫りの深いポーチとバルコ二 部がゆるやかなアーチになった上げ下げ窓の 並ぶ本体の上に松のシルエットの手すりを従 えたきのこのような八角鼓楼が乗る。外壁は 現在は下見板張りだが当初は漆喰塗りであっ たと言われ、細部のテ、サインとも合わせて、 洋風、和風というよりは唐風、禅寺風である。 寺がある意味での学校という役割を担ってい たことを考えると、初期の小学校がこのよう な形をとったことも理解しうる。 12. 登米高等尋常小学校 ( 教育資料館 ) 明治 21 年 / 山添喜三郎 / 三島秀之助・佐藤朝 吉 / 国指定重文 / 木造 2 階 / 宮城県登米郡登 米町寺池桜小路 6 明治 21 年に建てられた本格的な洋風学校で、 コの字型プランの中央部に白いバルコニ ポーチがあり、この校舎のシンボル的なエレ メントとなっている。全体から細部にいたる まで、簡明で質実堅牢、身の引き締まるよう な美しい学校建築である。設計は山添喜三郎、 明治初期に大工棟梁として日本人で初めて洋 行している。 13. 学習院初等科正堂 明治 32 年 / 不詳 / 不詳 / 国指定重文 / 木造平 屋 / 千葉県成田市大竹 1451 、房総風土記の丘 内 当初、学習院初等科の講堂として東京都四谷 尾張町に建てられた。昭和 12 年、印旛郡遠山 村に移築、以後遠山村尋常高等小学校講堂と して使用されたが、昭和 51 年成田市の県立房 総風土記の丘に再移築している。広間の前と 左右にべランダを設けて列柱を配し、のびや かで簡素ではあるが威厳も備えている。 14. 遷喬小学校 明治 40 年 / 江川某 / 中村錠太郎・高橋岩治・ 山根近治郎 / 木造 2 階 / 岡山県真庭郡久世町 久世 シンメトリーで左右に 2 つの切妻屋根をもつ フアサード、中央部はアーチの入口、屋根に は校章の入った円形の明かりとり、下見板と ハーフティンバー風の壁体上部など、実に明 快で立派な姿で建っている。内部の吟味され た材料による手の込んだ仕事も見事で当時の 大工の苦心がうかがえる。体育館の格天井は 迫力。 15. 福島県尋常中学校 ( 安積高校 ) 明治 22 年 / 不詳 / 不詳 / 国指定重文 / 木造 2 階 / 福島県郡山市開成 5 ー 25 ー 63 ルネサンス風の外観。木造 2 階建てで、外壁 は下見板張り。上げ下げ窓で、 2 階窓の上方 は軒蛇腹で飾ってある。隅切り形の玄関ポ - チカヾ特徴的。木部の外装はべンキ塗りである。 昭和 55 年原形復帰のための半解体修理が成さ れ現在に至る。 16. 第三中学校 ( 上野高校 ) 明治 33 年 / 清水義八 / 不詳 / 木造平屋 県上野市丸の内 三重 105

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明治村に移築、保存された三重県庁舎と同じ 県技師の設計による。優美なプロポーション の三本コラムが支えるべテ、イメントには懸魚 が下がり鬼瓦がのる擬洋風だが、その下のフ リルのついたゆるやかなアーチが、威厳より もやさしさをもって迎えてくれる。 17. 津山高校 明治 28 年 / 不詳 / 不詳 / 木造 2 階 / 岡山県津 山市椿高下 寄棟屋根の中央にマンサード屋根を設け、そ の前部の切妻の軒にようらくを付けた時計台 が象徴的。設計者、施工者は不詳であるが、 端正で品格のあるルネサンススタイルに仕上 がっており、相当な力量の手によるものと推 察される。棟には鋳鉄製のシンプルな飾りが 付けられている。 18. 茨城県立商業学校 ( 水戸商業高校 ) 明治 37 年 / 駒杵勤治 / 不詳 / 木造平屋 / 水戸 市新荘 3 ー 7 中央入口に彫刻を施した木製の大きなアーチ、 その両側のファンライトの丸い桟が美しい。 深く目地をとって石造を模した 4 本の柱が垂 直性を強調し、彫りの深いコーニス、 2 つの 扁平なバロック風ドームが全体に重厚な印象 を与えている。現在は学校敷地内の片隅に移 築され、両翼はとりこわされている。 19. 土浦中学校 ( 土浦第一高校 ) 明治 37 年 / 駒杵勤治 / 石井権蔵 / 国指定重文 / 木造平屋 / 茨城県土浦市真鍋 4 ー 4 ー 2 両側の尖塔に挟まれた中央部には急勾配の切 妻破風にはら窓。その下に三連の尖頭アーチ。 それらのゴシックのモチーフを、薄い木の幕 板を張りつけて表現している。そのプロポー ションは、威厳よりも当時のロマンチシズム の方を強く感じさせる。水戸商業と同じ年に 106 同じ建築家によってつくられた。 20. 山形師範学校 ( 県立博物館教育資料館 ) 明治 34 年 / 不詳 / 不詳 / 国指定重文 / 木造 2 階 / 山形市緑町 2 ー 2 山形の教育の中心として生き続けてきた雄大 な建物。木造ながら石造風に漆喰で水平目地 をとり、ポーチはコラムにアーチ幕板、さら にようらくとにぎやかで、その上の密度のあ る 2 階壁面の上にはやや巨大すぎる櫛形ペテ、 イメントかのる。屋根上の時計台は和風の手 すりをもち、天守閣のような雰囲気も漂わせ る。がんばった擬洋風である。 21 . 奈良女子高等師範学校 ( 奈良女子大 ) 明治 42 年 / 山本治兵衛 ( 文部省 ) / 不詳 / 木造 2 階 / 奈良市北魚屋西町 正門の前に立っと正面に立ちはだかるのは、 中央に破風のついた大きな屋根の堂々とした 建物。チューダー風のハーフティンバーによ って装飾された壁やポーチは中世の香りを漂 わせ、名門女子大にふさわしい顔となってい る。 22. 佐倉中学校 ( 佐倉高校 ) 明治 43 年 / 久野節・後藤政ニ郎 / 島崎留次郎 / 木造 2 階 / 千葉県佐倉市弥勒町鍋山 18 明治 4 年の廃藩置県の後、旧藩主堀田家の教 育に対する熱意によって私立佐倉中学は創立 され、明治 32 年に県立に移る。その後もやは り堀田家の多大な寄付によりこの建物は建て られた。中央玄関の両脇には小さなドームを のせ、ペテ、イメントを飾った双塔が建ち、そ の間の屋根には丸い換気窓や軽快なテ、サイン 明治 43 年 / 不詳 / 不詳 / 国指定重文 / 木造 2 23. 米沢高等工業学校 ( 山形大学工学部 ) の小塔が印象的である。 階 / 山形県米沢市城南 4 ー 3 ー 16 東北で 2 番目、全国でも / 番目の高等工業学 校の誇りに満ちた壮麗な建物。正面の全長は 94m に及び、中央のマンサード屋根、両脇の 尖塔などによるフレンチ・ルネサンス様式に スティック・スタイルを併用して豊かな細部 をつくりあげる。シンメトリーでありながら どこかピクチュアレスクなにおいかする。 24. 桐生高等染織学校 ( 群馬大学工学部 ) 大正 4 年 / 新山平四郎 ( 文部省 ) / 不詳 / 木造 2 階 / 群馬県桐生市天神町 1 ー 5 織物の町桐生にある群馬大工学部の前身は、 官立の染織学校であった。下見板張りにべン キ塗り、装飾的な妻壁にフィ二アルをのせた 中世的な香りをもっスティック・スタイルで ある。垂直感があり、教会のイメージももつ ロマンチックな建物。 25. 深谷商業学校 ( 深谷商業高校 ) 大正 11 年 / 不詳 / 不詳 / 木造 2 階 / 埼玉県深 谷市原郷 80 左右対称、間ロの長い建物で連続する軒線を 中央の三角、両端の半円の破風で変化をつけ る。壁面は下見張りの柱型がリズミカルに垂 直性を強調する。引違い窓と上げ下げ窓が混 在しているが異和感はなく、中央ポーチの屋 根などにも大正期らしい既成にとらわれない 自由さを感じさせる。 26. 松山中学校 ( 松山高校 ) 大正 12 年 / 不詳 / 松沢善四郎 / 木造 2 階 / 埼 玉県東松山市松山町 1 ー 6 大正期になると洋風建築が各地に浸透し、形 や工法にも慣れ、当時海外からさらに新しく 入ってきたアール・デコ等のデサイン手法と 合わせて自由な折衷が試みられるようになる。 塔屋にはドームをのせたエテ、イキュラ ( 小神