日本赤十字 - みる会図書館


検索対象: 明治の西洋館Ⅱ
23件見つかりました。

1. 明治の西洋館Ⅱ

63. 日本赤十字社本社大正元年妻木頼黄東京都港区 ( 現存せす ) 79

2. 明治の西洋館Ⅱ

埼玉県比企郡嵐山町 56. 日本赤十字社埼玉支部 ( 鎌形小学校 ) 明治 38 年 72

3. 明治の西洋館Ⅱ

【群馬県】 桐生高等染織学校 ( 群馬大学工学部 ) / 桐生市 群馬県衛生所 ( 桐生明治館 ) / 桐生市 【埼玉県】 深谷商業学校 ( 深谷商業高校 ) / 深谷市 松山中学校 ( 松山高校 ) / 東松山市 本庄警察署 ( 本庄市立歴史民俗資料館 ) / 本庄市 日本赤十字社埼玉支部 ( 鎌形小学校 ) / 比企郡嵐山町 【千葉県】 学習院初等科正堂 / 成田市 佐倉中学校 ( 佐倉高校 ) / 佐倉市 騎兵連隊御馬見所 ( 空挺館 ) / 船橋市 【東京都】 東京医学校 / 文京区 慶応義塾三田演説館 / 港区 明治学院神学部校舎 ( 明治学院歴史記念館 ) / 港区 インプリー館 ( 明治学院同窓会館 ) / 港区 日本女子大学成瀬記念講堂 / 文京区 東京音楽学校 / 台東区 ( 現存せす ) 最高裁判所 / 千代田区 ( 現存せず ) 日本赤十字社本社 / 港区 ( 現存せず ) 豊多摩監獄 / 中野区 【神奈川県】 開港記念横浜会館 ( 横浜市開港記念館 ) / 横浜市 【山梨県】 つきよわ 舂米学校 ( 増穂町民俗資料館 ) / 南巨摩郡増穂町 睦沢学校 ( 甲府市藤村記念館 ) / 甲府市 【長野県】 開智学校 / 松本市 中込学校 / 佐久市 赤穂村役場 ( 駒ケ根郷土館 ) / 駒ケ根市 【新潟県】 新潟税関 ( 新潟市郷土資料館 ) / 新潟市 【福井県】 福井警察署 ( 丈生幼稚園 ) / 武生市 動物検疫所敦賀出張所 / 敦賀市 【静岡県】 見付学校 / 磐田市 岩科学校 / 賀茂郡松崎町 【三重県】 小田学校 / 上野市 第三中学校 ( 上野高校 ) / 上野市 【滋賀県】 長浜駅舎 ( 鉄道資料館 ) / 長浜市 【京都府】 京都郵便電信局 ( 中京郵便局 ) / 京都市 【大阪府】 大阪府立図書館 / 大阪市 大阪市中央公会堂 / 大阪市 【兵庫県】 神東神西郡役所 ( 神崎郡歴史民俗資料館 ) / 神崎郡福崎町 出石郡役所 / 出石郡出石町 和田山機関車庫 / 朝来郡和田山町 【奈良県】 奈良女子高等師範学校 ( 奈良女子大 ) / 奈良市 奈良県監獄署 ( 奈良少年刑務所 ) / 奈良市 【岡山県】 高梁小学校 ( 高梁郷土館 ) 咼梁市 遷喬小学校 / 真庭郡久世町 津山高校 / 津山市 【山口県】 岩国学校 / 岩国市 【香川県】 陸軍第十一師団偕行社 ( 善通寺市郷土資料館 ) / 善通寺市 【愛媛県】 開明学校 / 東宇和郡宇和町 【高知県】 須崎警察署佐川分署 ( 青山文庫 ) / 高岡郡佐川町 【福岡県】 福岡県公会堂貴賓館 / 福岡市 門司駅舎 (J R 門司港駅 ) / 北九州市 【熊本県】 第五高等中学校 ( 熊本大学資料館 ) / 熊本市 宇土郡役所 ( 九州海技学院 ) / 宇土郡三角町 1 9 3 7 41 2 9 00 一 9 一つ」っム 93 つ」っつ 00 82 83 O つ」 4 ・「 / 00 ao 9 一 4 L-n L-n 9 一 34 85 つ」 -6 C つ」っ」っつ 81 1 5 1 4 1 7 8 7 つつれい一 9 一 1 ー《 1 ー L-n 2 0 . 2 1 63 67 77 94 66 9 1 49 5 8

4. 明治の西洋館Ⅱ

典 辞 五ロ 用 ルネサンス renaissance 世紀のイタリアで起った人問中心の価値感 をもつ運動。神を畏れた中世の様式を否定し、 古代ローマの理想化、再生をめざした古典主 義様式。オーダーをベースに諸要素の様々な 統括が試みられ、幾何学的比例、調和の世界 を地上に現出させることが目指され、それを 研究、実践する建築家という職能が誕生した / ヾロック baroque ルネサンスの形態要素を用いながら安定、調 和よりも視覚的に劇的、幻想的世界をつくり あげた。ロ世紀イタリアでマニエリスムの形 態操作の後を受けて起こった。 コロニアルスタイル coloni 引 ロ ~ 絽世紀にイギリス、スペイン、オランダ などの植民地で行われた建築・工芸の様式。 イギリスの古典主義様式を簡略化したもの。 日本において明治初期の洋風建築にみられる、 建物前面あるいは周囲に吹抜の柱廊を設けた 形式はこの様式である。 ヴィクトリアン victorian 円世紀イギリス、アメリカで流行した中世復 古主義をベースにした華やかな折衷様式。シ ンメトリーによる幾何学的なクラシシズム ( 古典主義 ) と比べ、非対称で自然との調和 を主眼としたヒ。クチュアレスク ( 絵画的 ) な スタイルを特徴とする。 擬洋風 ( ぎようふう ) 幕末から明治中期にかけて、洋風の建築を依 頼された大工の棟梁たちは、居留地の異人館 などを参考にした西洋建築のモチーフと、伝 統的工法・造形とを自ら工夫して融合させ、 各地に新しいイメージの建物を建てた。建築 の歴史の上では和洋折衷、見よう見真似の洋 風ということで「擬洋風」と蔑称されるが、 和と洋、すなわち伝統と近代が正面からぶつ かった唯一のスタイルとして見なおしが望ま れる。 / ヾシリカ basilica 長堂。もとは古代ローマで裁判や取引に使わ れていた長方形平面の建物。西ヨーロッパの キリスト教建築は奥行の深い平面だったため、 この形式をバシリカと呼ぶ 集中堂 ビサンチンや東方の建築にみられるような、 円形もしくは正方形平面に、大きなドームを かけた空問の形式。バシリカに対する名称。 十字平面 キリスト教建築で、空間が十字形に交差した 形式。主要な方向を主廊、それに交差する方 向を袖廊と呼ぶ。主廊はさらに両側に平行す る側廊をもつ場合がある。袖廊より主廊が長 い場合をラテン十字と呼び、バシリカ式平面 をもつ。主廊、側廊が同し長さの場合をギリ シャ十字と呼び、集中堂式に多い。 ハリストス ハリストスとはキリストのロシア語的発音。 ローマ帝国の国教として世界性を獲得したキ リスト教は、ローマ帝国の東西分裂後、ロー マ中心の西のカトリックと、コンスタンチノ ープル ( イスタンプール ) を中心とする東の キリシャ正教とに大きく別れた。その後さら にカトリックからフロテスタントか分離し、 ギリシャ正教も、イスラム勢力にコンスタン チノープルを攻め落とされロシアへと逃れて ビザンチン byzantine 4 世紀以後、イスタンプールを中心としたビ ザンチン帝国の様式。方形の平面にドームを 架けたギリシャ十字形の集中堂式建築。古代 ギリシャ・ローマとベルシャなど東方の装飾、 技術を融合させた。ギリシャ正教を採用した ロシアにこの様式が伝わった ロマネスク romanesque Ⅱ ~ 世紀、西欧中世の教会堂、修道院を中 心とした建築様式。細長い十字平面、厚い石 積壁にヴォールトがのり、ラウンド ( 半円 ) アーチによる窓は小さく、薄暗く神秘的な空 問をつくる。「ローマをまねた」という後世の 呼称。 コシック gothic に ~ 巧世紀、ロマネスクで試された石造の工 法をさらに進め、技術的に完成させた様式。 壁というよりも石の骨組で全体をつくりあげ、 そのため壁が開放されて、光る聖書と呼ばれ たステンドグラスが入れられた。垂直性が強 ばら窓やポインテッド ( 尖頭 ) アーチが 特徴的である。「野蛮なゴート族の様式」とい う意味の後世の呼称。

5. 明治の西洋館Ⅱ

セントを与えているが、全体の印象は堅苦し さを感じさせすむしろ軽快である。日赤の社 屋であったが、移築され現在小学校の講堂と して使われている。 57. 函館区公会堂 ( 函館市公会堂 ) 明治 43 年 / 小西朝次郎 / 木村甚三郎 / 国指定 重文 / 木造 2 階 / 北海道函館市元町 11 函館の町の大火 ( 明治 40 年 ) 後に建てられた 公共集会所。中央と左右の大きなペテ、イメン トがシンメトリーを強調し、その下にはそれ ぞれバルコ二一をのせたポーチを設けている。 2 階中央部にはべランダが拡がり、立ち並ぶ コリント式の独立柱が立体感に富んだフアサ ードをつくりあげている。左右の破風面の唐 草のレリーフが擬洋風の香りを漂わせている。 58. 弘前市立図書館 明治 39 年 / 堀江佐吉 / 堀江佐吉 / 木造 2 階ー 部 3 階 / 青森県弘前市富野町 明治 39 年 3 月に完成。斎藤主、堀江佐吉、石 戸谷末九郎、武田秀三郎、久保初太郎の寄付 による図書館。提案者の堀江佐吉は、後進の 人たちの手本となるよう立派な建築をと意気 込み、当初の規模を大幅に変更、建坪 100 坪、 双塔ルネサンス様式木造 3 階建とした。先に 完成した第五十九銀行本店とともに、当時の 弘前市民たちの目をうはい、賞賛をもって迎 えられた建物。昭和 6 年に堀江家に払い下げ られた以後、移築、移譲と転々としていたが、 現在、追手門広場に移築復原し郷土文学館と して再生、一般に公開されている。 59. 大宝館 大正 4 年 / 不詳 / 不詳 / 木造 2 階 / 山形県鶴 岡市馬場町 4 ー 7 、鶴岡公園内 大正天皇即位の記念に、鶴岡城跡の公園内に 建てられた多目的建築。図書館、物産陳列所 集会室等の機能を持っていた。屋根は入母屋 だか、総 2 階の壁に上げ下げ窓が並び、やや 張り出した中央部に密度があり、三つのペデ イメントに唐草風の蟇股、そして木骨式の胴 部の上にはバロック風の扁平ドームがのる。 60. 北海道庁舎 明治 21 年 / 平井晴ニ郎 / 直営 / 国指定重文 煉瓦造 2 階地下 1 階 / 札幌市中央区 北海道開拓のシンポルとして、赤煉瓦庁舎の 名前で市民に親しまれているこの建物は、ア メリカに学んだ日本人技師による設計である。 シンメトリーで堂々とした壁の上には、煙突 や屋根窓がアクセントをつける急勾配の屋根、 上昇感のある八角形ドームなど、アメリカの ヴィクトリアン様式の影響がうかがえる。 61 . 福岡県公会堂貴賓館 明治 43 年 / 三条栄三郎 / 岩崎組 / 国指定重文 / 木造 2 階 / 福岡市中央区西中洲 6 ー 29 明治 43 年、県の貴賓館として那珂川河畔に建 てられた。木造 2 階建てだが外壁に目地をと って石造風に見せ、様々なレリーフで壁面を 飾る。バルコニーの大きなアーチ窓。ペディ メント、ドーム状にふくらんだ屋根が凝縮さ れた中央部をつくり、八角尖塔が主屋の左右 対称性を破るアクセントとなっている。 62. 最高裁判所 明治 29 年 / 工ンデ・べックマン事務所 / 煉瓦 造 2 階 / 現存せす ェンデ・べックマン事務所設計の、壮大な大 審院庁舎が戦災で全焼し、その煉瓦造外壁を 利用して再建したもの。ドイツ古典様式を基 調としている。三宅坂に現最高裁判所ができ たのをきっかけに、昭和 50 年惜しまれて姿を 消した。設計担当はハルトング。 63 . 日本赤十字社本社 大正元年 / 妻木頼黄 / 煉瓦造 2 階 / 現存せず 妻木頼黄晩年の作品。妻木は大蔵省を土台に 活躍した明治建築界の巨匠で、辰野金吾とは ライバル的存在であったといわれている。外 壁のチョコレート色煉瓦と水平に流れる化粧 石 ( 花崗岩のドレッシング ) のリズミカルな 構成の中に、辰野とはまたちがう華麗な意匠 感覚をのぞかせている。 64. 京都郵便電信局 ( 中京郵便局 ) 明治 35 年 / 吉井茂則・三橋四郎 / 安藤組 / 煉 瓦造 2 階 / 京都市中京区三条東洞院 ルネサンスを母体に、各所に渦巻のモチーフ を配してバロック的な彫りの深さを加えてい る。 2 階窓上の櫛形ペテ、イメントの連続が街 路に華やかな景観を与える。外壁を保存した まま内部が新しい構造に生まれ変わっており、 話題を呼んだ。 65. 開港記念横浜会館 ( 横浜市開港記念館 ) 大正 6 年 / 山田七五郎・佐藤四郎 / 清水組 コンクリート・煉瓦・鉄骨煉瓦造 2 階地下 1 階 / 横浜市中区本町 1 ー 6 大正 6 年、横浜開港 50 周年を記念して、コン べによりデザインが決定された。赤煉瓦に石 を組み合わせ変化に富んだ華麗な外観をもつ。 入口の三連アーチの上には大きなアーチがの り、その上のペデイメントの頂部を破って工 ディキュラか立つ。隅部には時計台が高くそ びえ、ジャックの塔として親しまれている。 66. 大阪府立図書館 明治 37 年 / 野口孫市・日高胖 / 久保田小三郎 / 国指定重文 / 煉瓦・石造 3 階 / 大阪市北区 中之島 住友家の寄付により建設され、住友設計部の 建築家か設計にあたった。十字形平面で中央

6. 明治の西洋館Ⅱ

共通するディテール ( 隅柱のデサインは、西 田川郡役所とも同じ ) も多いが、 こちらはほ ば総 2 階の形をとるため、より西洋館のイメ ージカヾ強い。 47. 本庄警察署 ( 本庄市立歴史民俗資料館 ) 明治 16 年 / 不詳 / 角田富蔵 / 県指定重文 / 木 造 2 階 / 埼玉県本庄市中央 1 ー 2 明治初期の擬洋風建築による警察署のひとつ。 木造漆喰塗りでコーナーストーンを模し、上 下階の区切りに胴蛇腹をつけ、 窓にはペディ メントに似せて庇をつける。中央部には下階 入口にアーチと石造風に目地を入れた太い柱、 上階のバルコ二一では華やかなコリント風の オーダーが大きめのペデイメントを支え、擬 洋風だが後期ルネサンスのバラテ、イオ風の構 成を見せる。 48. 須崎警察署佐川分署 ( 青山文庫 ) 明治 19 年 / 不詳 / 不詳 / 木造 2 階 / 高知県高 岡郡佐川町上郷甲 356 ー 2 ポーチ、バルコニーはドリス風の丸柱、起り のついた破風は櫛型ペデイメントを思わせ、 壁面はシンプルだが軒と胴蛇腹は深く突き出 して外観を引き締めている。最近東京で流行 した交番は現代の擬洋風とも言えるデザイン だったが、どちらが永く愛されるだろうか。 49 . 登米警察署 ( 警察資料館 ) 明治 22 年 / 山添喜三郎 / 不詳 / 木造 2 階 / 宮 城県登米郡登米町下町 置場が復原されている。 また建物の一番奥には、当時の図面を元に留 ている。昭和 62 年、警察資料館として開館、 じデサインのイオニア式オーダーが採用され コニーやポーチの柱頭には、小学校とほば同 物。遠見台と呼ばれて親しまれた 2 階のバル 登米小学校の設計者山添喜三郎の手になる建 50. 麻生警察署 明治 36 年 / 駒杵勤治 / 不詳 / 木造平屋 県行方郡麻生町麻生 1135 建物の隅角部に正面入口をおき、そこに 茨城 堂々 とした神殿のモチーフ ( オーダーとペデイメ ント ) とアーチを重ね、その上のバロックド ーム風の屋根は小神殿に縁取られた屋根窓を もつ。シリンダー状の屋根換気窓カヾ両側にア クセントをつけ、重厚な上に華麗な建物とな っている。 に中庭をもっ十四角形の回廊付病室。細部の 角形、八角形と塔屋が重ねられる。その背後 正面は、 1 階に変形の八角形、その上の十六 / 木造平屋一部 4 階 / 山形市霞城町霞城公園 明治 12 年 / 筒井明俊 / 原口裕之 / 国指定重文 53 . 済生館 ( 山形市郷土館 ) てくれる貴重な造形である。 て、西洋館の時代にさしかかったことを示し ク。明治初期のきわめて早い時期の建物とし 建築であるが、入口の庇つきアーチがユ二 まこ壁など、あまりにも伝統的な要素の強い 洋館というには、全体のプロポーションやな 明治 2 年、新潟港開港当初の建物である。西 木造平屋 / 新潟市緑町 明治 2 年 / 不詳 / 礼助・弥七 / 国指定重文 52. 新潟税関 ( 新潟市郷土資料館 ) として利用しているため改装されている。 ていたのではないかと思わせる。現在幼稚園 対する人々のイメージは、ずいぶん今と違っ る愛らしいファンライト窓。当時の警察署に 。連続す 柱に支えられたポーチ、バルコニ いかにも火の見櫓のような望楼。やや鈍重な 生市京町 3 ー 3 、引接寺境内 明治 35 年 / 不詳 / 不詳 / 木造 2 階 / 福井県武 51 . 福井警察署 ( 丈生幼稚園 ) デサインは擬洋風らしさをもつが、その独創 的構成は様式を越えー種のコスモロジーさえ 感じさせる。明治 12 年に建てられた。異形の 病院。回廊に囲まれた静謐な中庭は西欧の修 道院を思わせる。 54. 札幌博物場 ( 北大付属植物園博物館 ) 明治 15 年 / べートマン・開拓使工業課 / 不詳 / 木造 2 階 / 札幌市中央区北 2 条西 8 丁目 明治 15 年、開拓使の札幌博物場として建築さ れる。直後、開拓使は廃され、明治 17 年、周 囲の敷地は札幌農学校付属の植物園となる。 2 階建て中央部の両側に下屋を設け、さらに 奥には袖廊があり、外観は一見三廊式十字平 面である。装飾は少ないが、トラスの見える 破風面を前面に押し出し、ようらくをつける。 頂部とポーチ欄間には開拓使のマーク、五稜 星カヾ見られる。 55. 函館県博物館 ( 市立函館博物館 2 号館 ) 明治 16 年 / 函館県 / 浜谷新助 / 道指定重文 木造平屋 / 北海道函館市青柳町 17 ー 1 、函館 公園内 函館公園の中に 1 号館とともに建つ開拓使関 係の博物館。どちらも小さな洋館だが、より シンプルな 1 号館に比べ、こちらの方は過剰 とも思えるほど積み重ねられた繰形をもつ軒 蛇腹、 4 連のアーチ窓、玄関の柱の奇妙な葉 形の柱頭と扁平な欄間のアーチ、その上の唐 風のレリーフなど、洋風への独特の努力が見 られる。 56. 日本赤十字社埼玉支部 ( 鎌形小学校 ) 明治 38 年 / 不詳 / 不詳 / 木造平屋 / 埼玉県比 企郡嵐山町鎌形 2230 正面玄関を中心に建物が左右対称にのびやか に広がる。中央、両翼、ポーチの破風は、各々 大きさやデザインが異なり、彫りの深いアク 109

7. 明治の西洋館Ⅱ

様式の模索 佐奈芳勇 明治の西洋館、という言葉を聞くと、まずわれわれに思い浮かぶのは、赤煉瓦の壁、ア ーチ、ドーム、あるいは堂々とした石の列柱、ペンキを塗った下見張りの壁、よろい戸の ついた上げ下げ窓、広いべランダ、マントルビースなどのイメージである。日本各地に残 された西洋館は、様々なスタイルで今なおわれわれを魅了する。バリやロンドンにそのま ま建っていてもおかしくないほど本格的なものから、種々の様式が混合して稚拙と思える ものまで、そのどれもが明治という新しい時代のそれぞれの受けとめ方のあらわれである。 そしてそこに共通しているのは、明治の日本が痛切に抱いていた、近代への脱皮の意志の 投影なのである。 幕末から明治にかけての日本にとって、西洋という言葉はまず何よりも近代を憙味して いた。開国によって否応なく世界史に参加した以上は、独立国として生きぬくための国力 をもたねばならない。黒船来航の衝撃の中に日本が見たものは、圧倒的な力の差を見せつ ける西洋文明である。後進的な封建制を打破し、強力な中央集権国家を樹て、富国強兵を 図らねばならない。そのためには、近代の科学・技術を西洋から学ぶ必要がある。 科学はヨーロッパ生まれの錬金術である。それは自然全体が、人問が加工すべき材料の 体系であるという思想に基づいている。そしてその加工の手段が技術である。科学は自然 のもつ潜在力をひき出して西洋の人々に様々な新しい物、新しい力をもたらした。それま で日本では、自然とは人々に実りを分け与えてくれる神々の棲みかであり、人々はまだ神 話の中に生きていた。自然と人問は対立するのではなく共棲していたのである。そのよう な情況が残っている限り、近代化は果たせない。近代を選んだ以上、政治、産業、軍備、 教育などすべてを新しくしなければならない。 物資や兵士を大量に輸送するためには鉄道や大船が必要である。レールや軍艦、兵器を っくるためには新式の製鉄所や工場。そしてそれらの施設を建てるための建築材料も要る。 何から何まで日本になかったものだ。初めは西洋諸国から必要なものを買い入れていたが そのための外貨を稼ぐには産業を機械化し、集約化しなければならない。その他にも、新 体制にともない、様々な施設をあらたにつくらねばならない。それらは、どのような形が ふさわしいか。西洋人が見ても納得する姿は何か。そして堅固で不燃の建物をつくるため の新しい材料はどう使うのか。煉瓦はどうやって、どういう形に積めばよいか。そこに窓 る分野で指導をあおいだ。そして彼らに日本人技術者の養成を依頼した。土木、建築の分 明治初期から、政府は数多くの外国人御雇技術者を招き、政治、経済、産業などあらゆ をどのように開け、屋根のトラスはどう組むか。 9 9

8. 明治の西洋館Ⅱ

風と蔑称されるが、棟梁たちは「開化式」と誇らしげに自らの作品を呼び、民衆は熱狂的 にこれを受け入れたのである。 103 「西洋館』 ( ブック・オプ・ブックス日本の美術 ) 坂本勝比古 / 小学館 「鹿鳴館の系譜』磯田光一 / 文芸春秋社 参考文献「日本近代建築の歴史』村松貞次郎 / NHK ブックス れるべきかもしれない。 ようとした擬洋風の建築は、「野性的な思考」を再びわれわれに取り戻すために見なおさ むしろ保守的であったとしても伝統の確かな技術を用いて、可能な限り新しい形を求め 程で起こる不可避的な出来事であった。 して外部に赤煉瓦を積み、同じ運命をたどるのである。だがそれは、外来文化の受容の過 ート造が西洋から導入された時、その構造にふさわしい新しい形を採り入れることに躊躇 家たちの批判するところであったが、様式建築の方もやがて新しい鉄骨造、鉄筋コンクリ 式を組み合わせ、折衷化していく。また擬洋風の構造 ( 和 ) と表現 ( 洋 ) とのずれも建築 である。古典主義やゴシックは選択可能なスタイルにすぎない。彼ら自身もまた自由に様 れた。地方の擬洋風の存在を横目でにらみながら。だが、建築家たちの様式も結局は模倣 を目ざした。初期の彼らにとっての様式建築は西洋の楽譜に忠実に再現することが求めら 成、様式性。西洋の長い歴史の中で磨きあげられた形式、手法を用い、ハイクラスの音楽 建築は例えていえばクラシック音楽である。華麗な調和、永続的な記念性をかもし出す構 擬洋風が唱歌のような存在であるとすれば、正規の教育を受けた建築家たちによる洋風 メージの架け橋であった の側から出てきたものであるにせよ、それは伝統の世界と新しい開化の世界とをつなぐイ 解しやすくさせる。擬洋風のデザインが、中央の公式見解の指導によるものではなく民衆 言葉や開化のイメージを、日本人の音域に合わせたロすさみやすいメロディーにのせて理 を克服し、共通のコミュニケーションが可能となるように考案された。それは耳慣れない 代に文部省によって生まれた唱歌に近いかもしれない。唱歌は当時各地に色濃く残る方言 世界のイメージをも抱かせることができたのである。そういった意味では、擬洋風は同時 もその骨格のせいかもしれない。 だがそれゆえにまた大衆に受け入れられ、彼らに新しい ての洋風のイメージをちりは、めた。われわれがその形に寺院や城郭との近親性を感じるの をベースにして感じとることができる。擬洋風は伝統と半ば連続した骨格の上に近代とし 見たことのないものを理解するのは容易なことではない。新しさも、理解が可能な範囲

9. 明治の西洋館Ⅱ

をよく受け入れたのである。 古典主義とゴシックは相容れない様式である。古典は厳格な比例体系をもつヒロイック な様式であり、ゴシックは気まぐれでやや怪奇的な、ビクチュアレスク ( 絵画的 ) な様式 である。本来様式はそれぞれの時代精神と深く結びついたものであり、ある国、ある時代 の政治、宗教、経済、技術、美意識が結晶して様式を生み出す。リヴァイヴァリズムにお いても、様式の選択は重大な議論を呼び起こす。だが明治の日本に入ってきた西洋建築の 諸様式は、日本人にとってはすべて等価であった。それはたんに、新しい材料や工法をま とめるためのルール、技術として以上のものではなかった。様式の折衷化は不可避だった。 コンドルの弟子第一号の辰野金吾は、師ゆずりのゴシックの華麗さにルネサンスの量塊 性を兼ね備えたモニュメンタルな手法を開発する。辰野式ルネサンスと呼ばれるこのスタ イルは、赤煉瓦に白い石の縁取り、ドームや屋根窓がにぎやかな屋根をのせ、都市に華や かな景観と記念性を創り出した。日本銀行京都支店、日本生命九屮Ⅱ支社、盛岡銀行、そし て東京駅と、辰野式ルネサンスは赤煉瓦の西洋館のひとつのあり方を生み出し、それらは 様式というよりはもっと一般的な言葉として、洋風建築のそれ以後の日本における方向づ けを行ったのである。 明治初期における様々な方面での制度の改革は、都市部のみならず山深い地方にも文明 開化のプームをひき起こした。明治 4 年の廃藩置県によって各地方が中央と直結し、翌 5 年の学制制定で全国に小学校が建てられることになる。政府によって任命された県令 ( 知 事 ) たちは、互いに競うようにして任地の産業や教育の振興をはかった。県令たちの中で も山梨の藤村紫朗、山形の三島通庸、筑摩の永山盛輝らは、県下の小学校、警察署、県庁 舎等の公共建築を次々と洋風で建てさせたことで有名である。とは言っても、洋風のスタ イルなど誰もはっきりとはわからない。建物の計画にあたっては地元の大工棟梁に相談を もちかけた。木造主流の日本建築では、棟梁が設計から見積り、施工まですべてをこなす オールラウンドの技術者であった。伝統的な技術や造形には誇りをもつほど保守的になり がちである。その中で何人か、自分の腕で新しい形に挑戦してみようという勇気をもった 人々か各地に出てくるのである。依頼を受けた彼らは西洋のスタイルを学ぶために横浜や 神戸などの外国人居留地に行き、異人館や西洋館を見てまわる。これが開化の建物か、ず いぶん軒の出が浅い。雨で壁が傷まないのだろうか。窓が小さい。壁が多くて蔵のようだ 夏に住めるのだろうか。棟梁たちは気候風土と建築の形との関係を熟知している。ーどう やら、開化というのは少々不自由なものらしい。ー西洋の木割 ( オーダー ) は少々こついが 1 01

10. 明治の西洋館Ⅱ

豸一イ 日本女子大学成瀬記念講堂