大日 , います。 きゅう ゆうふつげんやいったい ウトナイ湖をふくめた勇払原野一帯は海だったとい かいたい かいりゅう それが , 海退や海流によって運ばれてくる砂に って , 砂 ゆうふつげんや じんこうかせん だいしっげん ま だいしつげん っくったのだそうです。この大湿原に人工河川をつくり , 水を , ぬきーみ あるいはうめ立てをし , つぎつぎと工場用地がつくられ、ます。 けっか その結果 , ウトナイの水位か 40 センチ以上も低下し , はうは、ナで一 しっげんか第をう しぜんへんか ぬま 沼が干上がっています。自然の変化では 1000 年もかかる湿原の 化が , 人間のカでわすか 20 年にして , 強力に進められてき ひあ か だいしっげん かっての大湿原はまさに砂漠と化しつつあるといっ さばく う。そんな中にあってウトナイ湖は , 文字通り砂漠 なのです。 すべての生きもののために さばく でしょ のオアシス しせんかい 食べるものと , 食べられるものでなり立っている自然界のバラン スについては , すでにお話ししましたが , もういちどここでアオサキ、 を例に考えてみたいと思います。アオサキ、を保護するためには , ピ ラミッドの底辺にあたるありふれた動植物を保護することが必要に しぜんかんきよう せいそく なります。ということは , ありふれた動植物が生息できる自然環境 すがたかたら を守るということです。たしかにアオサギは , ドジョウより姿形は よく , 目立った生きものにはちがいありません。けれども , アオサ てんねんきねんぶつ ギにせよ , あるいは天然記念物のもっとめすらしい動物にせよ , そ 30
( 左 ) 羽をひろげてかわかすアオサギと ( 右 ) ひなにエサを与える親鳥 ( 撮影・斎藤ただし ) 冬しているアオサキ、たちのことを , 手ばなしで喜んではいられない じよじよ 気持ちが徐々に強くなってくるのでした。それは , アオサキ、たちの せいかっかんきよう 生活環境がしだいに悪くなってきているためです。 とう バード・サンクチュアリ 「島の聖域」を守る 昭和 56 年 5 月 10 日 , ウトナイ湖畔に サンクチュアリ」がオープンしました しぜんほ はん 日本で初めての「バー 日本野鳥の会が , 民間の手 で野鳥と自然保護の運動の輪を全国にひろめようと , 昭和 52 年から おく ばきん たっせい ばきんかつどう やちょうは ききん 「野鳥保護基金」の募金活動をはじめ , ついに 1 億円の募金を達成 まし ) こうカれ ) し , 苫小牧郊外にサンクチュアリの第 1 号を完成させたのでした せいいき 「サンクチュアリ」とは , 英語で「聖域」を意味する言葉です。 やちょうせいいき ド・サンクチュアリ」は , 「野鳥の聖域」という意 ですから「ノ 味になります。これは , 野鳥やけもののための , おかすことのでき しんせい いんしよう ない神聖な場所という印象をあたえますが , 日本野鳥の会の運動は , たちいり しせん 「人間と自然とのふれあいの場」全体をさしています。たんに立入 きんしくいき 禁止区域をつくるだけではなく , 人間と野鳥とのふれあいの中で , とま 27
れらをささえているのは , ドジョウのようにふだんあまりかえりみ ことのオ ういち あけの 明野 じ、い出す必ーがあります。 アオサギ。ロニ ことの 現在 , ふれた生きものたちであるということを , も 立たせているのは , たんに巣をつ かせん 湖沼と , そこに生 小さ、よ生きものたちだったのです。 せい 司はもうれつないきおいで , こうした動植物 しぜんかい の住みかをうよ、いとっています。わたしたち人間は自然界のピラミ ちょうてん ほろ ッドの頂点に立っていますが , しだいに土台の動植物が滅び , やが てはピラミッド自体がこわれ , 最後にはわたしたち人間の生活も重 大な危機にさらされることになるかもしれません。わたしたち人間 しせん みどり は自然なしでは生きられません。地球上から緑が消えてしまったら , さんけっ 酸欠になり , 人間ばかりかすべての生きものも息たえてしまいます。 しせん しぜんかい ですが , 自然は人間がいなくても存続します。自然界の仕組みを守 ることは , わたしたち人間自身を守ることにもつながるのです。わ きらよう せつめっ たしたち人間は数かすの貴重な生きものを絶滅においやってきまし はかい たんさいは・う た。ですが , 破壊することはできても , 1 個の単細胞 , ひとつの生 いき そんぞく せい めいたい 命体さえもつくり出せないということを , ありそうです。ただわたしたち人間には , しぜん す。それは自然を , 弱い生きものたちを , もういちど考える必要が のうりよく すばらしい能力がありま ぎのう 守っていく知恵と技能で 3 1
きようどぶんか まいし 手をこまねいて見ていたわけではありません。苫小牧市の郷土文化 けんきゅうかい 研究会の人たちが , うめ立て地の所有者に , なん度もうめ立て中止 とま とま うった ー内を流れていたもとの勇払川にふたたび水を引き , 湿原を復活 ゆうふつがわ ーの本格的な保護にのりだすことになりました。ます , かってコロ 昭和 47 年には , 苫小牧自然保護協会が結成され , アオサギコロニ きよう力、し、 まいしぜんほ ての難をのがれることができたのでした。 なん を訴え , ただ 1 カ所残されていたコロニーだけは , なんとかうめ立 ほうりゅう しっげんふつかっ けっせい 33 とま の生きものたちの財産でもあるのです。 ざいさん ません。きれいな空気や水はわたしたち人間だけではなく , すべて つぎと破壊され , あるいはされようとしていることもわすれてはなり はかい オサギのエサとなる魚やカエルや昆虫が生息する広大な自然がつぎ こんらゆうせいそく しぜん できたのでした。けれども一方では , すでにお話ししたように , ア の勇気ある人びとの努力が , 市民ぐるみの運動にまで高めることが て , 市民ぐるみの保護を進めようとしています。野鳥を愛する数人 やらよう ほ 現在 , 苫小牧市では明野のアオサギコロニーを , 「楼蘭の森」とし まいし あけの てきています。 てすくわれたのでした。 ーこ数年 , アオサギの数も少しすっ回復し こうして野鳥と自然を大切にする人たちの努力によって , かろうし やちょう しせん になりました。一時は , 絶滅の危機にさらされていたアオサギは , ぜっめっ 万びきをこえました。アオサギの保護地ももっとひろげられること ち ほ させることにしました。そして川にドジョウを放流し , その数は 10
日本第一号のウ トナイ湖バード・ サンクチュアリ に建てられたネ イチャー・セン しぜん せつきよくてき 自然というものをもういちど見つめ , 学習しようという積極的な自 ごうんどう せんほ 然保護運動なのです。 アメリカには , 国立のサンクチュアリが 380 カ所もあるといいま すが , 日本ではこれが初めてです。ウトナイ湖がサンクチュアリ第 しゆるい 1 号に選ばれた理由は , いろいろあります。ます , 年間約 200 種類も かんさつ さつばろ の野鳥が観察できること。近くに札幌 , 苫小牧などの都市をひかえ , しせん ちとせくうこう 自然をもとめる市民が利用できること。千歳空港のすぐ近くにあり , 本屮 hl からの交通の便もよいこと。それにもうひとつ重要なことは , しゅうへんいったい しぜん ウトナイ湖をふくめた周辺一帯の自然が , 開発の波におしつぶされ とま なぜ 200 種類にもふくれあがったのでしようか。それは , これほどたくさんの種類の野鳥は見られませんでした。 やちょう しゆるい 地であることは , すでにお話ししました。しかし , かってのウトナ ウトナイ湖がハクチョウをはしめ , 数多くの渡り鳥の大切な中継 ちゅうけい どり わた ようとしており , それに歯どめをかけることなどです。 は イ湖では , それが今 , 28 しゆるい
とまとうかいはっ しっげん 苫東開発によって , 湿原だけでもすでに 600 ヘクタール以上がうめ あけの 立てられてしまいました。しつは明野のアオサキ、コロニーのまわり あけのちく こうしたうめ立て地だったのです。かって明野地区は , 入りく も , げんしかせんでいたんしっげん んだ原始河川と泥炭湿原で , 人の背たけほどもあるヨシが群生して しっげん いたといいます。そうした湿原に生えていたヤチハンノキの林が , かんきよう アオサギの営巣にまたとない環境をつくりだしていたことはいうま みなと みなと でもありません。ところが港のなかった苫小牧に 人工の港をつく ないりくほり みなとぞうせい るための内陸掘込みによる港の造成がはしまりました。それは陸地 ほり しっげん どしや の掘込みによって出る土砂で , 湿原をうめ立てようというものでし あけのちく た。昭和 37 年から明野地区へのうめ立てが開始されました。それま でコロニーは 3 カ所あったのですが , うめ立てにより , 2 カ所がつ ぶされて , 今は 1 カ所になってしまいました かせん うめ立てと平行して , コロニーの近くを流れる河川も人の手が加 かんそうか さい えられ , 水路のきりかえにより , コロニーの乾燥化がはしまり , 採 えいそうすう 餌場 ( エサ場 ) もうしなわれてしまったのです。昭和 40 年の営巣数 げきげん えいそうすう 70 個 240 羽にたいして , 昭和 47 年には , 営巣数 26 個 30 羽にまで激減し せいそくかんきよう てしまいました。このかん , いかにアオサギの生息環境が悪くなっ かせん たか , 上の数字がよく物語っています。河川に人の手が加えられ , しっげん 湿原の水ぬきがおこなわれたことによって , 地下水のバランスもく すれ , ャチハンノキの林が目に見えておとろえていきました しぜん はかい しぜん こうした自然の破壊を , 地元の自然を愛する人たちが けれども , ぐんせい そ え とま 32
しぜん はかい まわりの自然が破壊され , 行き場をうしなった鳥たちがウトナイ湖 みずうみ やらよう に集中してきたためなのです。この湖が「野鳥の宝庫」として全国 げんじっ に知られるようになった裏には , このような悲しむべき現実があっ たのでした。この最後の「とりで」となったウトナイ湖を , いつま しぜん でも守ろうという願いをこめて , 野鳥とかけがえのない自然を愛す ーこにサンクチュアリをつくったのです。 る人たちが , ところで , このウトナイ湖サンクチュアリのシンボル・マークに アオサギが選ばれています。アオサギが四季を通してウトナイ湖で 見られることがそのおもな理由ですが , わたしには , アオサギの絶 めっ 滅をすくうことがウトナイ湖サンクチュアリに課せられた大きな使 めい 命のひとつでもあると思えるのです。 まいし まち 苫小牧市は古くから紙・パルプの街として知られ , 北海道では数 こうぎようとし だいきば こうぎようきちか 少ない工業都市のひとつです。そして現在 , 大規模な工業基地化が とまとうかいはつれきし すいたい れきし 進められています。苫東開発の歴史は , アオサキ、衰退の歴史でもあ まいとうぶだいきばこうぎようきち るとまでいわれています。「苫東」とは , 苫小牧東部大規模工業基地 かいはつけいかく ゆうふつげんや だいきばこうぎようきち 開発計画のことで , 日本最後の大規模工業基地として , 勇払原野約 1 万 1000 ヘクタールを開発しようというものなのです。このため , しぜん はかい てんちそう 現在 , いたるところで自然の破壊がおし進められています。天地創 造の神が , 小さな生きものたちのためにつくってくれた , 本来は人 げんししつげん 間が住むにはてきしていない原始湿原までをも , カづくで人間の土 地にかえようとしているのです。 し か とま とまとう とま ほんらい 29
アオサギはシベリア東部 , 中国 , カラフト , 日本などに分布して はんしよくち いますが , 日本での繁殖地は北海道が有名です。本州では東北 , 北 はんしよく さんいん かんきよう 陸 , 山陰地方でも繁殖していますが , アオサギはとくに環境の変化 はかい せいそく に敏感で , 自然の破壊があまり進んでいない地方に生息しています。 ところでみなさんは , 2000 年の昔 , 中央アジアのシルクロードに あった王国 , 楼蘭のことを聞いたことがありますか。アジア大陸の さいしんぶ みずうみ 最深部のロプ・ノールという湖のほとりに栄えていた楼蘭王国は , さ 4 世紀のころ , ロプ・ノール湖が移動をはしめることによって , 砂 ばく 漠の中の生命線である水をうしない , はろびてしまったのです。と きようどうしゅざいはん ころがつい最近 , 中国・ N H K シルクロード共同取材班によって , いせき はっくっ 楼蘭の遺跡から若い女性のミイラが発掘され , そのミイラの顔をつ びんかん ずきん つんでいた頭巾に されたのでした。 2 本のアオサキ、の羽根が飾られているのが発見 けっこんしき しんろう しんふ かざ かわ かって楼蘭の国では , 結婚式の前夜 , 新郎は新婦に , キツネの皮 むぎ たばおく 2 枚とパンまたは小麦粉 , それにアオサギの羽根 1 束を贈ることに なっていたといいます。きっと , その若い女性のミイラの 2 本のア かみ オサキ、の羽根は , 夫が永遠の愛をちかって , 死んだ若い妻の髪にさ さばく したものだったのでしよう。 2000 年もの昔の砂漠のまっただ中にあ った小さな王国の , アオサギの羽根にまつわるこの話は , わたした ちに時代を越えたロマンを運んでくれます。と同時に , わたしの目 の前を飛んでいったあのアオサキ、が , 2000 年もの昔に楼蘭の国を飛ん つま と 7
ばくおん ちとせくうこう される煙と , すぐ近くの千歳空港から飛び立つジェット機の爆音を みずうみ , 湖で羽根をやすめているのです。あのアオサギたちは , 年 むごん 年 , せばめられていく自分たちの住みかのことを , 無言でわたしに うったえかけていたのでしようか。 コロニーのにぎわい その後 , わたしは少しすっ資料を集め , アオサギについての知識 あけの をふやしていきました。まもなく , 苫小牧とウトナイ湖の間の明野 はんしよくち 地区に , アオサギの繁殖地があることをしりました。わたしが冬の ウトナイ湖で見たアオサギは , きっとそこで育ったアオサギにちが いありません。 わたしの住んでいる町は , ウトナイ湖から 130 キロはど離れた有 とうや すざん 珠山のふもとの洞爺湖畔です。ここまで来るのに , 車で片道 2 時間 半はかかります。通うにはかなり遠いのですが , 1 年間 , 自分の目 かんさつ でアオサギの生活を観察してみようと思いたちました。昭和 56 年 3 明野地区にある アオサギのコロ けむり コ匕 ーレ一二ロ とま はん かよ ー ( 4 月 )
はかい ーはかろうして守られてきましたが , 一度破壊した て , このコロニ しぜん 自然をもとにもどすことがいかにむすかしいことなのかということ を , わたしたちに訴えているような気がしてなりません。 たお 3 分の 1 もの大量の木が根こそぎ倒れてしまいました。はたして 来年の春 , このコロニーから巣立っていった若いアオサギたちがふ さいたま たたびここにもどってきてくれるでしようか。わたしはふと , 埼玉 のだ 県の野田のサギ山の話を思い出しました。それは多い年には 4 万羽 とっぜん もいたシラサギの森に , ある年 , 突然 , 一羽ももどってこなくなっ たという悲しい話です。野田は 250 年以上もつづいてきた有名なサギ むごんうった 山だったのです。これ以上の , わたしたち人間にたいする無言の訴 えが , ほかにあるでしようか。言葉のしゃべれない鳥たちの , 人間 こうぎ への抗議だといってもいいでしよう。 かき こんな言葉があります。「柿の実はぜ 昔からの山国のいい伝えに んぶもぎとるな。旅人と鳥のためにも残しておけ。」山のブドウや実 しぜん てんちしぜん めぐ にしても , 天地自然の恵みによって育ったものです。自然は人間 ひと だけのものではありません。同し地球の住民である鳥たちにも , 等 しくその恵みをわけてあげよう , というのです。人間の心は本来や さしいものだと思います。小さな生きものたちのためにも , きれい な空気と水と緑をいつまでも残しておいてあげたいものです。 うった ほんらい めぐ 36