ばねじかけの長やりのようなものです。やりといっても , えものを つきさすのではなく , ロばしではさんでしまうのですから , そのす ばやさには感心してしまいます。 しっと水の中に立って , アオサギは魚やカエルなどが出てくるの を待ちかまえます。こうしたアオサギはふつう 1 本足で立っていま すが : ときどき左右の足をさせます。片足で立ているわけは , つめ じゅん 冷たい水の中でつかれてきた足を順に休ませるためなのです。 に , アオサギが何時間も水の中に立ちつづけることができるひみつ があるのです。 どうぶっせい ひかしばう 夏のあいだたつぶりと動物性たん白質をとり , 皮下脂肪をたくわ えたアオサギたちは , あたたかい四国や九り、で冬を越すため , 長い わた はんしよく 渡りの旅に出ます。アオサギは北海道で繁殖するただひとつのサギ なかま ぬま のイ中間なのですが , 北海道のきびしい冬は , エサ場である川や沼を こお 凍らせてしまいます。ですから , 北海道のアオサキ、はみんな , 冬に なる前に南下していくと考えられていました。ところがウトナイ湖 はん えっとう 畔に , 越冬しているアオサギがいたのです。冬場のエサはほとんど ぎよるい 川にすむ魚類にかぎられます。今年も 14 羽のアオサギが , 冬の北海 とま まいちほう 道にとどまっているのです。ですから , 苫小牧地方のアオサギは , ほくげん 日本でもっとも北に生息する「北限のアオサキ、」として , とても貴 重なものなのです。 せいたいかんさっ ですが , 1 年間のアオサギの生態観察をとおして , この土地で越 せいそく ちょう 26
つめ が首をすくめて , からだをまるくしながら立っています。冷たい川 の中に 1 本足でじっと立ち , 魚をねらっているアオサギもいます。 しつげん みずうみこお 湖は凍っていますが , 湿原の中のわき水が川となって流れてくるこ のトキサタマップ川は , あたたかいのか , 冬でも凍ることがありま せん。もちろんあたたかいといっても , 北海道の冬の川のことです。 1 分たりとも流れに手をつけていることはできません。 そうがんきよう わたしは双眼鏡でのぞきながら , 水辺にいるアオサギの数を数え てみました。ぜんぶで 14 羽でした。アオサギはふつう秋になると , わた あたたかい土地へ渡っていくといわれています。北海道で冬を越し ているこのめすらしいアオサキ、とわたしとの初めての出会いは , ち せ ようど 4 年前の , 年の瀬もおしせまった 12 月 30 日のことでした。 ひらいち 、クチョウの飛来地として全国的に有名なここウトナイ湖は , 北 海道の代表的な工業都市 , 苫小牧市の東 , 約 10 キロのところにあり ます。毎年 , 秋の終わりになると遠 くシベリア方面から , オオハクチョ ウやコハクチョウの群れが , 日本列 島で冬を越すため南下してきます。 ひらい 日本に飛来するハクチョウの数は 2 万羽前後といわれていますが , コハ えっとう クチョウはほとんどが本州で越冬し , 3 まいし とま む 支笏湖 洞爺 千歳空港つ ウトナイ 苫小牧 室 函館
むざん たお しまいました。巣のあったヤチハンノキの木々が , 無残にも倒れて おそ いたのです。 8 月末に北海道を襲った暴風雨のせいにちがいありま せん。コロニーのまわりはすっかりうめ立てられ , まばらな木しか ないこの林では , 強い風を受けてはひとたまりもなかったのでしょ しっげん りくか う。それに一度 , 水をぬかれた湿原はしだいに陸化し , ャチハンノ キのおとろえも目だっていました。おおぜいの人びとの努力によっ 35 ばうふうう
ぬま キロから 40 キロも離れた川や沼 , 水田にまで飛んでいかなければな らないこともあります。 野鳥の中にはシギやチドリのように , 卵からかえるとすぐに自分 でエサをさがすことができるものも少なくありません。ですが , ア オサギのひなの場合は , 飛べるようになるまでに 2 カ月近くもかか すだ ります。アオサギのひなは , 親鳥のように大きくなるまで巣立ちが できないのです。砂地の巣で生まれるシギやチドリは , いつまでも きけん 巣にいては危険です。それにくらべ , 高い木の上に巣があるアオサ ギは , それだけ安全だからゆっくりしていられるのでしよう。 5 月のなかばになると , あちこちの巣の中から、「ピイ , ピイ , ピ そうがんきよう イ」とひな鳥の鳴き声が聞こえてきました。遠くから双眼鏡でのぞ いてみると , ときどきひな鳥が巣から頭をのぞかせています。首を のばし , 親鳥によく似たするどい目で空をしっと見ているひな鳥の ん。それでも 3 月から , わたしの町から すがたも見えます。 おどろ 週に 1 ~ 2 度の割合で観察に通っているの かんさつかよ こまでは遠いので , 毎日通うわけにはいきませ かよ ですが , 来るたびにひな鳥の成長の早さに驚かされます。きっと , とま 苫小牧は北海道にあっても , 1 年しゅうほとんど雪のないところ んて , ちょっと信しられません。 るのでしよう。それにしても , あんなに大きくなっても飛べないな お父さん鳥が運んで来てくれる大きなフナを , 腹いつばい食べてい
この本を書いた人 あぶた 1949 年 , 北海道虻田町に生まれる 松田忠徳 東京外国語大学大学院卒。現在 , 翻訳家 , ナチュラリスト。 1977 年の有珠山大 爆発をきっかけに自然界の営みに関心を持ち 以来 , 動植物の生態を本格的に研究し始める。 「クマゲラのいる島』「火の山と生きものたち』 ( いすれも大日本図書 ) 「エゾシカの島』 ( 岩崎書店 ) な どを発表。訳書に「新しいアフリカの文学」 ( 白 水社 ) , 『長篇叙事詩・墓場にて』 ( 恒文社 ) など , 多 数ある。日本野鳥の会会員。 く写真協力〉斎藤ただし 明野地区のアオサギを 8 年間 も撮リ続けている。現在 , 苫 小牧市でカメラ店を自営。 く資料画〉松岡達堪 1982 年 3 月 31 日第 1 刷発行 著者松田忠徳 / 発行者佐久間裕三 / 発行所大日本図書株式会社東京都中央区銀座 1 ー 9 ー 10 電話 ( 03 ) 561 ー 8671 / 振替東京 9 一 219 番 / 印刷所株式会社精興社 / 製本所株式会社宮田製本所 ◎ 1982 T. MATSUDA printed in Japan まつだただのり 8854
オオハクチョウは半数ぐらいがこのウ のつけわん トナイ湖をはしめ , 風蓮湖や野付湾な えっとう ど , 北海道の各地で越冬します。 えっとう ウトナイ湖はオオハクチョウの越冬 地であると同時に , 本リ、トに南下するオ オハクチョウ , コハクチョウ , あるい らゆうけいち わた はガン , カモ類の大切な渡りの中継地 でもあるのです。つまり , シベリア方 タぐれのウトナイ湖にいこうハクチョウ面から南下してきたハクチョウをはし めとする水鳥たちが , ここでひと休みしてから , さらに本屮へ南下 ぎやく らゆうじゅん じようじゅん していくのです。逆に 3 月中旬から 4 月上旬になると , 本り、各地で みずうみ 冬を越した水鳥たちがこの湖に寄り , 長い旅にそなえて最後の体力 をやしない , ふたたびシベリアへと北上していきます。 ちとせむろらん さつばろ 札幌 , 苫小牧 , 千歳 , 室蘭などの都市をひ ウトナイ湖は近くに みずうみ かえていて , 文字通り「ハクチョウの湖」として , おおぜいの人び とに親しまれています。わたしもそんなハクチョウファンのひとり でした。 4 年前の冬も , わたしはハクチョウを見に , 湖畔のホテル に泊まりがけできていたのでした。 朝 , 部屋の窓の外を見ると , 冬のおそい太陽の光が , 低くたれこ なまりいろ くもま めた鉛色の雲間からこは、れ落ちていました 1 羽 , 2 羽 , 3 羽・・ 30 羽ほどのオオハクチョウが一列に円をえがいたようにならび , 長 ふうれん とま はん
しぜん はかい まわりの自然が破壊され , 行き場をうしなった鳥たちがウトナイ湖 みずうみ やらよう に集中してきたためなのです。この湖が「野鳥の宝庫」として全国 げんじっ に知られるようになった裏には , このような悲しむべき現実があっ たのでした。この最後の「とりで」となったウトナイ湖を , いつま しぜん でも守ろうという願いをこめて , 野鳥とかけがえのない自然を愛す ーこにサンクチュアリをつくったのです。 る人たちが , ところで , このウトナイ湖サンクチュアリのシンボル・マークに アオサギが選ばれています。アオサギが四季を通してウトナイ湖で 見られることがそのおもな理由ですが , わたしには , アオサギの絶 めっ 滅をすくうことがウトナイ湖サンクチュアリに課せられた大きな使 めい 命のひとつでもあると思えるのです。 まいし まち 苫小牧市は古くから紙・パルプの街として知られ , 北海道では数 こうぎようとし だいきば こうぎようきちか 少ない工業都市のひとつです。そして現在 , 大規模な工業基地化が とまとうかいはつれきし すいたい れきし 進められています。苫東開発の歴史は , アオサキ、衰退の歴史でもあ まいとうぶだいきばこうぎようきち るとまでいわれています。「苫東」とは , 苫小牧東部大規模工業基地 かいはつけいかく ゆうふつげんや だいきばこうぎようきち 開発計画のことで , 日本最後の大規模工業基地として , 勇払原野約 1 万 1000 ヘクタールを開発しようというものなのです。このため , しぜん はかい てんちそう 現在 , いたるところで自然の破壊がおし進められています。天地創 造の神が , 小さな生きものたちのためにつくってくれた , 本来は人 げんししつげん 間が住むにはてきしていない原始湿原までをも , カづくで人間の土 地にかえようとしているのです。 し か とま とまとう とま ほんらい 29
アオサギはシベリア東部 , 中国 , カラフト , 日本などに分布して はんしよくち いますが , 日本での繁殖地は北海道が有名です。本州では東北 , 北 はんしよく さんいん かんきよう 陸 , 山陰地方でも繁殖していますが , アオサギはとくに環境の変化 はかい せいそく に敏感で , 自然の破壊があまり進んでいない地方に生息しています。 ところでみなさんは , 2000 年の昔 , 中央アジアのシルクロードに あった王国 , 楼蘭のことを聞いたことがありますか。アジア大陸の さいしんぶ みずうみ 最深部のロプ・ノールという湖のほとりに栄えていた楼蘭王国は , さ 4 世紀のころ , ロプ・ノール湖が移動をはしめることによって , 砂 ばく 漠の中の生命線である水をうしない , はろびてしまったのです。と きようどうしゅざいはん ころがつい最近 , 中国・ N H K シルクロード共同取材班によって , いせき はっくっ 楼蘭の遺跡から若い女性のミイラが発掘され , そのミイラの顔をつ びんかん ずきん つんでいた頭巾に されたのでした。 2 本のアオサキ、の羽根が飾られているのが発見 けっこんしき しんろう しんふ かざ かわ かって楼蘭の国では , 結婚式の前夜 , 新郎は新婦に , キツネの皮 むぎ たばおく 2 枚とパンまたは小麦粉 , それにアオサギの羽根 1 束を贈ることに なっていたといいます。きっと , その若い女性のミイラの 2 本のア かみ オサキ、の羽根は , 夫が永遠の愛をちかって , 死んだ若い妻の髪にさ さばく したものだったのでしよう。 2000 年もの昔の砂漠のまっただ中にあ った小さな王国の , アオサギの羽根にまつわるこの話は , わたした ちに時代を越えたロマンを運んでくれます。と同時に , わたしの目 の前を飛んでいったあのアオサキ、が , 2000 年もの昔に楼蘭の国を飛ん つま と 7