ります。見つけにくいということは , もともと数が少ないというこ とですから , ピラミッドの下の動植物がいなくなったら , それだけ せつめっ 早く絶滅するということになります。 しぜんかい 自然界の試練にたえて てき アオサギコロニーの敵はカラスだけではありません。木をつたわ ってのは、ってくるヘビもそうです。それに , 夏の初めにふく大風も , アオサギたちにとっておそろしいもののひとつです。 あけの とくに明野の場合は , 林の木もまばらで , それだけもろに強風を あらし 受けることになります。嵐のあくる日にコロニーにいくと , 巣ごと ひなが地上に落ちていたりして , 目もあてられないことがよくあり ます。もう 40 センチほどの大きさに成長したひな鳥が , 林の草むら のあちこちに落ちて死んでいるすがたを見ると , なんともやりきれ ない思いがします。親鳥は巣から落ちたひな鳥には目もくれません。 親鳥のロばしをはさんでえさをもらう ( 撮影・斎藤ただし ) 巣といっしょに落ちて死んだひな鳥
雪に舞うアオサギ った 雪のつめたさが , ゴム長ぐっの底をとおして , からだしゅうに伝 なまりいろ わってきます。おまけに , 鉛色の雲が低くたれこめ , もう夜明けだ というのに ぎやく このまま夜に逆もどりしてしまいそうな空もようです。 とうとう , 心配していた雪が降りだしてしまいました 「運が悪いなあ」思わすわたしはこうつぶやいていました。もう 1 時 はん さつえい 間以上も , ふきさらしの湖畔にしっと立ち , 撮影のできる明るさにな るのを待っていたのです。おまけにここまで , 2 時間半も車を走ら せてきているのですから。 こきざみに足ぶみをして , 少しでもから しつげん かんふう だをあたためようとするのですが , 湿原をふきぬける寒風の中では , こう力、 はとんど効果はありません。それに , あまりからだを動かしては , 前方のアオサギが警戒して飛び立ってしまうおそれもあります。 700 ~ 800 メートル先の川岸の , ヨシの繁みに , 10 数羽のアオサキ、 トキサタマッフ川のヨシの繁み近くにいる越冬中のアオサキの群れ けいかい しげ
後にはできあがります。その後 , まもなくメ スのアオサギは巣の中に , 3 個から 5 個の卵 を産みます。 3 ~ 4 日おきに 1 個すっ産み , 2 個ぐらい産んでから , メスとオスが交替で せいりよくしよく 卵をあたためはしめます。卵は美しい青緑色 あし あし アオサギは , 木に舞いおりるときが特に美しい い脚や首のわりには胴体がひしように短く軽いためです。アオサギ どうたい あし は , ツルよりはるかにかろやかで優雅です。それは , 大きな翼や長 つはさ ゆうが とまちがえられることがよくあります。ですが , その身のこなし方 たをしています。似たからだっきをしているため , アオサキ、はツル るどく長い口ばし , それに細長い脚をもち , スマートで美しいすが ものもいますが , サギの仲間はふつう , S 字にまがる長い首と , す なかま ゴイサギのように首や脚が短くて , ずんぐりした印象をあたえる いんしよう アオサギの美しい卵 ( 撮影・斎藤ただし ) で、す
アオサギ なかま つばさ サギを注意して見ると , 頭に長いひものよう もっとも美しい鳥だといわれています。アオ 飛ぶと , この上面と下面の色の対照があざやかで , サキ、の仲間でも たいしよう なかま です。いつばう , からだの下面は白く , 黒いたてのすしがあります。 合で青みがかって見えることから , アオサギという名がついたよう たっします。オスもメスも , からだの上面は灰色ですが , 光線の具 も大きなサギで , 全長約 93 センチ , 翼をひろげると 160 センチにも サギ , ダイサギ , アオサギなどです。その中で , アオサギはもっと 日本にいるサギの仲間は , ゴイサギ , コサギ , アマサギ , チュウ なかま すがたは新鮮な驚きをもたらしてくれたのでした。 しんせんおどろ っているものと思っていたわたしに , 雪の上を舞うあのアオサギの という鳥でした。サギといえば , この季節にはあたたかい地方に渡 わた て飛んでいったあの鳥は , ツルではなく , サギの仲間で , アオサギ なものがついていることに気づきます。それ が ( 撮影・斎藤ただし ) 雅で気品のあるものにしているようです。 きひん は青黒色の飾り羽で , かざばね この鳥をいちだんと優 ゆう
1 とても長い長い時間に思えまし た。カラスはくわえやすいひな ばかりか , 直径 6 センチもある 卵さえも , そのまま口にくわえ ていってしまうのです。 プラインドの中で , 胸がしめ つけられる思いでこのようすを 見守っていたわたしは , よほど 外に飛び出して , カラスを追い びんかん はらおうかと考えましたが , 思いとどまりました。ひしように敏感な こんらん おどろ アオサギは人間のわたしにも驚き , かえって混乱させてしまうおそ れがあるからです。卵やひなのエサにありついたカラスは , つぎっ ぎと飛びさっていきました。 やれやれと思ったときです。ひなをくわえたカラスがわたしのプ ラインドの上空 , 50 メートルはどのところを飛びさろうとして , ひ なを落としてしまったのです。わたしはとっさにプラインドを飛び 出し , やぶをかきわけながら , ひっしにひなの落ちた方へ走りまし た。草むらから , 鳴き声のようなものが聞こえました。あやまって しんちょう 踏みつけないように , 慎重にあたりをさがしました。また , と鳴きました。いました / あんなに高いところから落ちたのに しつげん 死ななかったのです。湿原の草むらがクッションの役目をはたして 卵をうばうカラス ( 撮影・斎藤ただし ) 1 7
( 左 ) 羽をひろげてかわかすアオサギと ( 右 ) ひなにエサを与える親鳥 ( 撮影・斎藤ただし ) 冬しているアオサキ、たちのことを , 手ばなしで喜んではいられない じよじよ 気持ちが徐々に強くなってくるのでした。それは , アオサキ、たちの せいかっかんきよう 生活環境がしだいに悪くなってきているためです。 とう バード・サンクチュアリ 「島の聖域」を守る 昭和 56 年 5 月 10 日 , ウトナイ湖畔に サンクチュアリ」がオープンしました しぜんほ はん 日本で初めての「バー 日本野鳥の会が , 民間の手 で野鳥と自然保護の運動の輪を全国にひろめようと , 昭和 52 年から おく ばきん たっせい ばきんかつどう やちょうは ききん 「野鳥保護基金」の募金活動をはじめ , ついに 1 億円の募金を達成 まし ) こうカれ ) し , 苫小牧郊外にサンクチュアリの第 1 号を完成させたのでした せいいき 「サンクチュアリ」とは , 英語で「聖域」を意味する言葉です。 やちょうせいいき ド・サンクチュアリ」は , 「野鳥の聖域」という意 ですから「ノ 味になります。これは , 野鳥やけもののための , おかすことのでき しんせい いんしよう ない神聖な場所という印象をあたえますが , 日本野鳥の会の運動は , たちいり しせん 「人間と自然とのふれあいの場」全体をさしています。たんに立入 きんしくいき 禁止区域をつくるだけではなく , 人間と野鳥とのふれあいの中で , とま 27
あけ ャチハンノキは , 5 ~ 25 メートルにもなる高い木ですが , ここ明 野のコロニーでは , 地上 8 ~ 11 メートル前後のところに巣がつくら えだ れています。巣の材料はおもに枯れ枝ですが , ときにはヨモギ , イ なまき タドリ , あるいは生木を折って運んでくることもあります。こうし た巣の材料を運んでくるのはオスの仕事です。メスの役目はオスか えだ ら枯れ枝などを口ばしで受けとり , 巣をつくることです。巣の大き しゅうり さは , 外まわりが 60 ~ 70 センチぐらいですが , 前の年の巣を修理し て使う場合は , もっと大きくなり , 中には 90 センチ以上のものもあ ります。巣は円形で , 中央の 巣材を運ぶオスとそれを受けとるメス ( 撮景彡・斎藤ただし ) らゆう はん てつくる巣は , ほは、 2 週間 メスとオスが力を合わせ 旬には集合を終えます。 じゅん も数はふえ , ふつう 4 月中 てきたようです。このあと 新たに 25 羽が本州から渡っ わた あら 羽が越冬していましたから えっとう 数キロのウトナイ湖畔で 16 年の冬 , このコロニーから ーに集まっていました。去 41 羽のアオサキ、がコロニ 産座は少しくは、んでいます。 さんざ
この本を書いた人 あぶた 1949 年 , 北海道虻田町に生まれる 松田忠徳 東京外国語大学大学院卒。現在 , 翻訳家 , ナチュラリスト。 1977 年の有珠山大 爆発をきっかけに自然界の営みに関心を持ち 以来 , 動植物の生態を本格的に研究し始める。 「クマゲラのいる島』「火の山と生きものたち』 ( いすれも大日本図書 ) 「エゾシカの島』 ( 岩崎書店 ) な どを発表。訳書に「新しいアフリカの文学」 ( 白 水社 ) , 『長篇叙事詩・墓場にて』 ( 恒文社 ) など , 多 数ある。日本野鳥の会会員。 く写真協力〉斎藤ただし 明野地区のアオサギを 8 年間 も撮リ続けている。現在 , 苫 小牧市でカメラ店を自営。 く資料画〉松岡達堪 1982 年 3 月 31 日第 1 刷発行 著者松田忠徳 / 発行者佐久間裕三 / 発行所大日本図書株式会社東京都中央区銀座 1 ー 9 ー 10 電話 ( 03 ) 561 ー 8671 / 振替東京 9 一 219 番 / 印刷所株式会社精興社 / 製本所株式会社宮田製本所 ◎ 1982 T. MATSUDA printed in Japan まつだただのり 8854