とまとうかいはっ しっげん 苫東開発によって , 湿原だけでもすでに 600 ヘクタール以上がうめ あけの 立てられてしまいました。しつは明野のアオサキ、コロニーのまわり あけのちく こうしたうめ立て地だったのです。かって明野地区は , 入りく も , げんしかせんでいたんしっげん んだ原始河川と泥炭湿原で , 人の背たけほどもあるヨシが群生して しっげん いたといいます。そうした湿原に生えていたヤチハンノキの林が , かんきよう アオサギの営巣にまたとない環境をつくりだしていたことはいうま みなと みなと でもありません。ところが港のなかった苫小牧に 人工の港をつく ないりくほり みなとぞうせい るための内陸掘込みによる港の造成がはしまりました。それは陸地 ほり しっげん どしや の掘込みによって出る土砂で , 湿原をうめ立てようというものでし あけのちく た。昭和 37 年から明野地区へのうめ立てが開始されました。それま でコロニーは 3 カ所あったのですが , うめ立てにより , 2 カ所がつ ぶされて , 今は 1 カ所になってしまいました かせん うめ立てと平行して , コロニーの近くを流れる河川も人の手が加 かんそうか さい えられ , 水路のきりかえにより , コロニーの乾燥化がはしまり , 採 えいそうすう 餌場 ( エサ場 ) もうしなわれてしまったのです。昭和 40 年の営巣数 げきげん えいそうすう 70 個 240 羽にたいして , 昭和 47 年には , 営巣数 26 個 30 羽にまで激減し せいそくかんきよう てしまいました。このかん , いかにアオサギの生息環境が悪くなっ かせん たか , 上の数字がよく物語っています。河川に人の手が加えられ , しっげん 湿原の水ぬきがおこなわれたことによって , 地下水のバランスもく すれ , ャチハンノキの林が目に見えておとろえていきました しぜん はかい しぜん こうした自然の破壊を , 地元の自然を愛する人たちが けれども , ぐんせい そ え とま 32
きようどぶんか まいし 手をこまねいて見ていたわけではありません。苫小牧市の郷土文化 けんきゅうかい 研究会の人たちが , うめ立て地の所有者に , なん度もうめ立て中止 とま とま うった ー内を流れていたもとの勇払川にふたたび水を引き , 湿原を復活 ゆうふつがわ ーの本格的な保護にのりだすことになりました。ます , かってコロ 昭和 47 年には , 苫小牧自然保護協会が結成され , アオサギコロニ きよう力、し、 まいしぜんほ ての難をのがれることができたのでした。 なん を訴え , ただ 1 カ所残されていたコロニーだけは , なんとかうめ立 ほうりゅう しっげんふつかっ けっせい 33 とま の生きものたちの財産でもあるのです。 ざいさん ません。きれいな空気や水はわたしたち人間だけではなく , すべて つぎと破壊され , あるいはされようとしていることもわすれてはなり はかい オサギのエサとなる魚やカエルや昆虫が生息する広大な自然がつぎ こんらゆうせいそく しぜん できたのでした。けれども一方では , すでにお話ししたように , ア の勇気ある人びとの努力が , 市民ぐるみの運動にまで高めることが て , 市民ぐるみの保護を進めようとしています。野鳥を愛する数人 やらよう ほ 現在 , 苫小牧市では明野のアオサギコロニーを , 「楼蘭の森」とし まいし あけの てきています。 てすくわれたのでした。 ーこ数年 , アオサギの数も少しすっ回復し こうして野鳥と自然を大切にする人たちの努力によって , かろうし やちょう しせん になりました。一時は , 絶滅の危機にさらされていたアオサギは , ぜっめっ 万びきをこえました。アオサギの保護地ももっとひろげられること ち ほ させることにしました。そして川にドジョウを放流し , その数は 10
大日 , います。 きゅう ゆうふつげんやいったい ウトナイ湖をふくめた勇払原野一帯は海だったとい かいたい かいりゅう それが , 海退や海流によって運ばれてくる砂に って , 砂 ゆうふつげんや じんこうかせん だいしっげん ま だいしつげん っくったのだそうです。この大湿原に人工河川をつくり , 水を , ぬきーみ あるいはうめ立てをし , つぎつぎと工場用地がつくられ、ます。 けっか その結果 , ウトナイの水位か 40 センチ以上も低下し , はうは、ナで一 しっげんか第をう しぜんへんか ぬま 沼が干上がっています。自然の変化では 1000 年もかかる湿原の 化が , 人間のカでわすか 20 年にして , 強力に進められてき ひあ か だいしっげん かっての大湿原はまさに砂漠と化しつつあるといっ さばく う。そんな中にあってウトナイ湖は , 文字通り砂漠 なのです。 すべての生きもののために さばく でしょ のオアシス しせんかい 食べるものと , 食べられるものでなり立っている自然界のバラン スについては , すでにお話ししましたが , もういちどここでアオサキ、 を例に考えてみたいと思います。アオサキ、を保護するためには , ピ ラミッドの底辺にあたるありふれた動植物を保護することが必要に しぜんかんきよう せいそく なります。ということは , ありふれた動植物が生息できる自然環境 すがたかたら を守るということです。たしかにアオサギは , ドジョウより姿形は よく , 目立った生きものにはちがいありません。けれども , アオサ てんねんきねんぶつ ギにせよ , あるいは天然記念物のもっとめすらしい動物にせよ , そ 30
カラスはあっというまに , ひなをくわえて飛びたった す。カラスにたちむかいひな鳥を守るものと , 冷や汗のでる思いで 見守っていたわたしは , 「あっ」と声をあげてしまいました。親鳥 を巣から追いはらったカラスの群れがつぎつぎと巣におり , あっと いうまに巣の中から , 15 センチはどの小さなひな鳥を口は、しにくわ えて , 飛びさっていくのです。カラスの数はふえ , 15 羽はどになり ました。鳥の王様 , オオワシやオジロワシにもちょっかいをだす力 ラスのことです。からだこそ大きいですが , おとなしいアオサギで はな は , たちむかいができないのでしよう。それでもなかには , 巣を離れ すに身をもってひなや卵を守っている親鳥もいます。エサをとりに 出かけていて , 守ってくれる親鳥のいない巣などは , ひとたまりもあ りません。カラスはカラスで , とったひなの奪いあいをしているも のもいます。時間にして , ほんの 5 ~ 6 分の出来事だったのですが , あせ うば
アオサギ なかま つばさ サギを注意して見ると , 頭に長いひものよう もっとも美しい鳥だといわれています。アオ 飛ぶと , この上面と下面の色の対照があざやかで , サキ、の仲間でも たいしよう なかま です。いつばう , からだの下面は白く , 黒いたてのすしがあります。 合で青みがかって見えることから , アオサギという名がついたよう たっします。オスもメスも , からだの上面は灰色ですが , 光線の具 も大きなサギで , 全長約 93 センチ , 翼をひろげると 160 センチにも サギ , ダイサギ , アオサギなどです。その中で , アオサギはもっと 日本にいるサギの仲間は , ゴイサギ , コサギ , アマサギ , チュウ なかま すがたは新鮮な驚きをもたらしてくれたのでした。 しんせんおどろ っているものと思っていたわたしに , 雪の上を舞うあのアオサギの という鳥でした。サギといえば , この季節にはあたたかい地方に渡 わた て飛んでいったあの鳥は , ツルではなく , サギの仲間で , アオサギ なものがついていることに気づきます。それ が ( 撮影・斎藤ただし ) 雅で気品のあるものにしているようです。 きひん は青黒色の飾り羽で , かざばね この鳥をいちだんと優 ゆう