吉田 - みる会図書館


検索対象: 野口英世
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1. 野口英世

情作は、その後、ドイツ語、フランス語、中国語、スペイン語なども自分 のカでこなしていきました。 あたま はげしい努力、苦しいこと これは、清作の頭がいいというばかりでなく、 ねっちゅう にもまけないがんばりのおかげでしよう。しかも、ひとつのことに熱中する ことができました。なに かにむちゅうになると、 ほかのことは、、なに。もか 先もわすれてしまうほどで な口 そのころ、この病院 よしだ しようねんしょ に、吉田という少年が書 ・ ~ 瓩一籌ー ~ 〈を = 気を、、 4 物一生として入ってきまし せいさく ちゅうごく どりト・く くる びよういん

2. 野口英世

しよせい 書生のひとりが、 「おい、ノグ、早くゆすってやれよ。きみの手では、し きよ、つ けんび鏡をうまくあやつることはできまい。」 せいさく 清作はぎくりとしました。なるほど、いわれてみれば、番をゆすろうとし なかった自分もわるかった。だが、こんな時になにも左手のことをもちださ なくともいいのにと、どうもおもしろくありません。 しゅじゅっ しかしまた、手術をしたといっても、ゆびさきのきすついた手が、こまか しはたらきのできないことは、ほんとうの一、とです。 かお 清作はさびしそうな顔をしていいました。 よしだ 「吉田くん、さっきはすまなかった。ついみとれてしまって。」 「いや、そんなことをまだ気にかけているのか。それにしてもふしぎなもの さいきん だなあ。あの細菌のうごきは : じぶん とき っしようかかっても、 ばん

3. 野口英世

せいさく よしだ た。吉田もひやくしようの子どもです。しかも、青作にまけないほど、頭の しようねん しい相手ができました。 よい少年でした。清作にとっては、 ふたり 先生は、この二人のために、二かいのへやをあけてやって、しゅうぶんに 勉強ができるようにしてやりました。 よなか 夜中の十二時、一時になっても、二人のへやのランプがきえないので、近 くの人たちは、 しよせい 「すいぶんねっしんな書生さんがいるなあ。」 と、かんしんしていました。 がくみち こうして二人は、むすかしい医学の道を、一歩一歩進んでいったのでした。 すす あたま ちか

4. 野口英世

きよ、つ けんび鏡のふしぎ ねっ でんせんびよう ちはう 一、の地方で、ふしぎな伝染病のはやったことがあります。熱がおさまった かいきねっぴょう しいます。先生は、この と思うと、また出てくるのです。これを回帰熱病と、 きよ、つ きん びようき 病気のもとになっている菌を、さいきん買いもとめたばかりのけんび鏡で、 しよせい 書生たちに見せてくれました。 書生たちは、つぎつぎにのそきこんでは、そのふしぎなことに、おどろき よいよ清作の番になりました。情作は、けんび鏡にかじりついた ました。い きり、なかなかはなれようとしません。 よしだ つぎの番は吉田でしたが、清作はそこをはなれようとしないのです。ふし ぎな小さな生き物にとりつかれてしまったのでしよう。 もの せいさく

5. 野口英世

戦争がはしまりました。大きな国と、小さい日本が戦争をはしめたのです。 渡部先生も軍医 ( 軍隊の医者 ) として、出かける一、とになりました。 しよせい びよういん そうなると、病院もいちじとしなければなりません。そこで、書生たちは、 よその病院にいくとか、いったん家にもどるとかしなければならなくなりま した。 よしだ 清作もなかのよい吉田とわかれなければなりません。それよりも、これい べんきよう じよう勉強がつづけられなくなるかもしれないのです。 まも そんなとき、清作は、とどまって先生のるすを守るようにと、とくにたの まれたのでした。 しんよう 「先生がこんなに信用していられるのだ。うまくいかなかったりしたら、も うしわけがない。」 清作はるすを守って、いっしんにつとめました。 わたなべ せんそう ぐんい ぐんたい しゃ 一 2 ほをん

6. 野口英世

さいきんけんきゅう 「ぼくはなんとしてでも、細菌の研究をやりたくな 0 たんだが、この手じゃ ためだろうか」 「そんなことはあるもんか。ノグさんらしくもないな。がんばろうぜ。」 よしだ 吉田は、清作をはけましてくれました。 ( そうだ、医者にな 0 てもこの手では、かん者 ( 病人 ) たちも決して気持ち がよくないだろう。それよりも、病気のもとを研究することのほうが自分 せいぶつ にはあ 0 ている。あの目に見えない生物とのたたかいが、自分にふさわし し′」と しいっしようの仕事なのだ。 ) と、つよく心にきめました。 このころになると、清作には、自分のやりたいことがだんだんはっきりし てきたのです。 一八九四年 ( 明治一一十七年 ) には、中国 ( そのころは清とい 0 ていました ) との しゃ ちゅうごく びようき じゃびようにん けんきゅう じぶん

7. 野口英世

なみたむいてわおかんておりまする。ついたちにわ ⑩ しをたちをしております。ゐ小さまに。ついたち にーうン一オ 0 おハ刀ーきむ にわ。おかんてもろておりまする。なにおわすれて も。これわすれません。さしんおみるト。 おろむて物おカをわま↓ 50 ておりまする。はやくきてくたされ。いつくるト みなみ = むてお灯んお力 おせてくたされ。これのへんちちまちてをりまする。 》 0 二、 ~ ーをたちをー ねてもねむれません。 なかたかんのんさま ( 注 ) ①中田の観音様②寝す夜籠り③勉強 きんりんぶらくめい ④烏幗子 ( 近隣の部落名 ) ⑤北海道⑥皆飲 % 」ドおか / て ( ろてホり 3 引 まれて⑦一生⑧西へ⑨東へ⑩塩断ち えいしようさま ううらえいしようしゅげんじゃ る 0 なドお中すて、。こす ⑩栄昌様 ( 隣家の鵜浦栄昌、修験者 ) ⑩写真 庇ません。 5 ) んおるト。】〈り , す ⑩教えて⑩返事 ( ちが重複 ) しみんははおや よこはま きねんかん ーやく、て ( た 3 。お . 、るトお 新たに記念館をとの横浜の市民、母親たちの運動 をくトう 0 らのヘ 4 ち方プおイ、をな じっげん ・まイみ 0 物イ、むらをん が一日も早く実現できますよう、わたしも祈って筆 ( 五七・一・一五 ) を擱く お 0 へんじ しおだ べんきよう の ふで 171