左手 - みる会図書館


検索対象: 野口英世
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1. 野口英世

せいさくみぎて 清作の右手には、かる石がありました。せつけんとまちがえて、かる石で こすったからたまりません。いたいのいたくないのって、とびあがるほどで ひだり こんなに勉強にむちゅうになっていましたが、心にかかるのは、やはり左 て しようがっこう しゅうじ 手のことでした。小、 学校のときのようないしわるはいませんでしたが、習字 たいそう た のとき、体操のとき、えんびつをけするとき、おべんとうを食べるとき、こ とごとにこまりました。 おべんとうは、左手をつかわないですむように、 いつもおむすびでした。 か ある日、作文にこの左手のことを書きました。 おも 『 : : : わたしはこのかたわの手のために、どんなにつらい思いをしたかしれ どりよく ません。こぶのような左手をながめると、こんな手では、 いくら努力して さくぶん こころ

2. 野口英世

のぐちひでよねんびよう 野口英世の年表 せいさく ふくしまけんおきなじまむら 十一月九日、福島県の翁島村に生まれ、はしめは清作とい 一八七六年明治九年 いました。 いろりにころげこんで左手に大やけどをしました。 一八七八年明治一一年二歳 わしようがっこう 一八八三年明治一六年七歳四月、三ッ和小学校に入学。 こばやし いなわしろこうとうしようがっこう 一八八九年明治二二年一三歳小林先生のすすめで、猪苗代高等小学校に入学しました。 わかまっかいよういいん しゅじゅっ 一八九ニ年明治二五年一六歳若松の会陽医院で左手の手術をうけました。 そっぎよう 一八九三年明治二六年一七歳高等小学校を卒業して、会陽医院の書生になりました。 ちわき とうきよう いしゃぜんきしけん 一八九六年明治二九年二〇歳九月、東京で医者の前期試験をうけ合格しました。血脇先生 べんきよう たかやましかいがくいん のおかげで、高山歯科医学院で働きながら勉強しました。 しやこうきしけん′」うかく がくいんこうし 一八九七年明治三〇年二一歳医者の後期試験に合格し、歯科医学院の講師になりました。 じゅんてんどうびよういんじよしゅ 十一月には順天堂病院の助手になりました。 ひでよ きたざとはくしでんせんびようけんきゅうじよじよしゅ 一八九八年明治三一年一三歳北里博士の伝染病研究所の助手となり、英世と名をかえ ひだりて しかい しよせい 172

3. 野口英世

だいきち な左手で、代吉くんのわきの下をくすぐったのでした。 しんげん 「これが信玄のけいりやくさ。」 「ずるいや、そんなのないよ。」 し 「でも、一、の左手では、きみにはまけるからな。それを知っていて、きみが しかけてきたからさ。」 「ごめん、ごめん。ぼくがわるかった。つい話にむちゅうになって、きみの 手のことなんか、わすれてしまっていたよ。」 ふたり いかにもたのしそうに話しあっています。 二人は、 べんきよう 夜になると、ラン。フのあかりで勉強します。清作のうちでは、じゅうぶん あぶらか に油が買えません。情作はかまどやいろりのあかりで勉強しましたが、どう もうまくいかないので、代吉くんの家で勉強させてもらいました。六じよう のへやで、なかよく勉強をはしめます。 ひだりて よる した はなし せいさく

4. 野口英世

ごえ と、きゅうに、赤ちゃんのはげしいなき声がひびいてきました。あわてて もどってみると、どうでしよう。ねむっていたはずの赤ちゃんがはいたして、 いろりにおちているではありませんか。なべのふたにでも、さわろうとした のでしようか。むちゅうになってたきあげたときには、赤ちゃんの左手は、 まっかにやけただれていました。 赤ちゃんはヒーヒーなきさけび、姉のおイヌもびつくりして、ワーワーな きだします。耳のとおいおばあさんは、やっと気がついて、ただおろおろす るばかりです。 お母さんは気ちがいのようになって、赤ちゃんの名まえをよびつづけてい ます。 「清作、清作 : : : 」 せいさく かあ みみ あね ひだりて

5. 野口英世

だが、お母さんのあたたかい心で、たのしいわが家だったのです。 てんばうの子 「てんぼう、てん・ほう。」 「てんぼうの清作やあい。」 てんぼうというのは、手がなかったり、手がきかなかったりするときによ ぶことばです。 がっこう みち 手のふじゅうな清作を、友だちがからかっています。学校のかえり道です。 ひだりて 「おい、左手で石なげしようか。」 「いやだよ。田んぼになんか石をなげるものじゃないよ。」 「へえ、えらそうな一、とをいってらあ。その手を見せろ。てんぼうの清作。」 かあ せいさく とも こころ や

6. 野口英世

いたすらがますますはげしくなってきます。わざと物をもたせようとした いやなすもうのあいてをさせようとするのでした。 ひだりて 清作は、みにくい左手を見られるのがはすかしくて、たもとやかはんのう しろにかくしておりました。だが、あまりからかわれると、がまんできなく なって、とびかかっていくことがありました。 からだ しかし、清作は体が小さいし、力もあまりありませんから、いつもまけて こえ ひとり しまいます。そして、一人ぼっちになって、みんながはやしたてる声を、く き やしそうに聞いているのでした。 「てんぼうの、てん・ほうの、清作やあい。」 ぎりぎりとはぎしりして、しっとがまんしています。しかし、ばくはっし 42 よ一つに、 「ああ、この手さえしゅうになったらなあ : : : 」 せいさく み ちから もの

7. 野口英世

しよせい 書生のひとりが、 「おい、ノグ、早くゆすってやれよ。きみの手では、し きよ、つ けんび鏡をうまくあやつることはできまい。」 せいさく 清作はぎくりとしました。なるほど、いわれてみれば、番をゆすろうとし なかった自分もわるかった。だが、こんな時になにも左手のことをもちださ なくともいいのにと、どうもおもしろくありません。 しゅじゅっ しかしまた、手術をしたといっても、ゆびさきのきすついた手が、こまか しはたらきのできないことは、ほんとうの一、とです。 かお 清作はさびしそうな顔をしていいました。 よしだ 「吉田くん、さっきはすまなかった。ついみとれてしまって。」 「いや、そんなことをまだ気にかけているのか。それにしてもふしぎなもの さいきん だなあ。あの細菌のうごきは : じぶん とき っしようかかっても、 ばん

8. 野口英世

はらいのけるようにして、チョウをおってみようとしますが、その時、また ひだりて おも ふじゅうな左手のことに思いあたって、ギクリとやめてしまいます。 する休みというのは、長くかんじるものです。つらいものです。みんなが かえるころをみはからって、こしをあげます。 いえひと しゅうじ べんきよう 家の人にあやしまれぬように、お習字のすみをや手につけて、勉強して きたようなふりをしなければなりません。 しかし、そのようなかくしごとは、いっかはわかる時がくるものです。と うとう、お母さんが気づいてしまいました。 せいさく 「清作。」 いつになくきびしい、お母さんのよびかたです。 「ちょっとこちらにきなさい。なにか、わたしにかくしていることがありま しようじき すね。正直にいってごらん。」 やす かあ とき

9. 野口英世

あさはやまち 、つ とったものは、朝早く町に売りに出ていたのです。 おも 一、の話をきいて、村の人たちは、 いまさらのように、子を思う母の心にか んしんさせられたということです。 せいさく こんなお母さんのはたらきぶりをみて、清作もじ 0 としてはいられない気 も ひだりて たはた し ) 」と 持ちでした。左手はわるくとも、田畑の仕事の手つだいはできるたろうし、 また小ざかなやどじようでもと 0 て、売ることぐらいはできるだろうと思い たちました。 しかし、清作がその話をすると、お母さんはよろこびませんでした。 「お母さんのことを思 0 てくれて、ほんとうにありがとうよ。でも、それよ べんきよう りも勉強しておくれ。そのひまがあ 0 たら、うんと勉強しておくれ。お母 さんは、それがなによりもうれしいんたからね。」 き とよくいい聞かせるのでした。 はなし かあ むら ははこころ

10. 野口英世

んがえるようになりました。」 「なるほど、まことにけっこうなことだが、それには、 いったいどうしたら いいだろうか。」 ふたりあたま わたなべ そのとき、二人の頭にうかんたのは、あの渡部先生のことです。 「ひとっ渡部先生にそうだんしてみよう。ひょっとしたら、けんかん番にで もっかってもらって、勉強をつづけられるかもしれない。」 みち そう思いついたら、もうじっとしてはいられません。二十キロの道もなん びよういん ともありません。むねをはすませて、なっかしい病院をたすねたのです。 「おお、野口くんか。どうした。また手でもわるくなったかね。」 しゅじゅっ 渡部先生は、手術した左手に目をむけて、やさしくたずねてくれました。 え、おかげさまで手のほうはすっかりなおりました。きようはべつの おねがいがあってうかがったのですが : : : 」 のぐち ばん