て、けむりのなかで泣きだした。そのお。はさんも、ご主人と子どもたちを、 いちどにすっかりなくされて、ひとりきりになっておったのだと。 たくさんのおかあさんが子どもをなくし、たくさんの子どもが親やきよう だいをなくしてしもうた。そのうえ、家もなんにもなくなった人たちは、身 よりをたよって、ちりちりに、あちらこちらへちらばっていった。 ひとりぼっちになったのぶ子も、ひろしまからとおいいなかの、お。はあさ ねっ んのところへひきとられていった。ときどき、すこし熱がでて、すこしかみ がっこ、つ の毛がぬけたけど、またげんきになって、学校へあがれた。 でも、のぶ子の左うでのやけどのあとは、よぶよぶとしたケロイドになっ はん たから、夏がきて、みじかい半そでからうでをだすと、村の子が、 なっ こひだり しゅじん むら ひと おや
わすれたくてもわすれられない、あのおそろしか 0 た、くうしゅうの話た じごくのような火のなかをくぐ「てにげて、や 0 とこさ助か 0 た人もあ 0 たけど、こどもらやおかあさんたちが、たくさんたくさん、にげきれなくて、 ちりちりと火に焼かれ、くるしんで、なにかさけんで死んでいった。 しようわ ねん がっ ねんせい ちょうど、その日ーー昭和二十年の三月九日だったが、六年生の一、どもら きしゃ したまちかえ が、汽車にゆられて、とうきようの下町〈帰 0 てきた。もう卒業がちかづい しゅうだん たので、おとうとやいもうとたちをのこし、集団そかいしていた、いなカカ かえ ら帰ったのだ。 そして、ほんとにし。はらくぶりに、おかあさんのそばでねむれた、うれし い夜のことたったんたよ。 よる たす ひと
あおなみ う青い波がみえないほどたくさんういているのだ。 いりえ うえ ふと、入江をみおろすがけの上で、ジー。フに乗 0 てきた二世のアメリカ が、たれに話しているのか、 「タクサン、タクサン死ンデ「スネ。ドウシテ、「ンナ = タクサン死ナナク テ ( イケナカッタノデショウ。ワカリマセン、ダレノタメデスカ。オクニ テンノウ ノタメ、天皇 ( イカノタメデスカ ? 」 こえ という声がきこえた。 しかし、その二世の兵隊も、ほかのアメリカ兵たちも、やがてじぶんたち ちょうせん せんそう が朝鮮や、ベトナムのいわれない戦争へかりだされ、むざむざと命をおとさ なければならないことを、まだこのときは知らないでいた。 へいたい 128
ウジはまったく、すさまじいいきおいでふえつづける。死にきれなかった おと いのち につばんへい 日本兵の命を、音もなくくいつくそうとする。それは、戦争のもう一つの地 獄、たっこ。 とうさんの目には、もうなにもみえないが、たくさんのウジどもにたから れていることはわかった。けれど、そいつをふり落とそうとするでもなしに、 「おれは : : : おれは : : : 」 かたいき と、肩で息をしながらつぶやいた。 どうして、こなごなにけしとばされてしまわなかったのか。砲弾でくだか れてしまえ。は、くやむこともなかったし、今までくるしむこともなかった、 おも と思った。 「こんなはずじゃなかったぞ。なんて、ぶざまなんだ、おれは : つ、だす一、とができん。」 め お せんそう はうだん ・ : なみた一 109
のなえを一。ほんうえた。水をやるやら、こやしをやるやら、だいじにだいじ に、その木をそだてた。 そして、それから、二十なん年という月日がたった。 いまでは、ふるくなったキリの木は、あらかたきられてしもうたが、クル まいとし 、、の木はりつばにそだって、毎年、まるいあまい実をたくさんつける。する ′」ろう と、五郎の一、どもらが、「おばあちゃんのクルミがなった。とうさん、とろう よね。」というて、とってたべる。 そのとき、五郎はいつも、おかあさんのおもいで話をきかせてやり、こど もらの頭をなでながら、 「おばあちゃんがしてくれたように、わたしは、もう二どと、おまえたちの ためのキリの木を、うえたくはないのたよ。」 いうのだそうな。 あたま ′」ろ、つ みず ねん つきひ
」たいじに、むすこたちのキリの木をそたてた。そして、あるときは、一郎 しやしん の写真をだきしめだきしめして、 「いまたからいうよ。おまえが、おくにのおやくにたてて、うれしいなんて、 ほんとうなものか。せんそうで死なせるために、おまえたちをうんたので おお ないそえ。 いっしようけんめい大きくしたのでないそえ。」 いいなさった。 と、生きている人にはなしかけるように、 そら せんち あるときは、また、とおい戦地の空のほうを、ながめながめして、 「みんなのむすこや、とうさんたちをたくさん死なせ、外国の町たの村だの をとったって、なんの、 しい一、とがあろうかの。はやく、せんそうやめて、 なかなおりすれま、 と、やりきれないおもいでいいなさったそうな。 おかあさんは、 いなかのふつうのおかあさんだから、むすかしいことなど、 ひと 力いこくまち むら しちろう
ち カマで足をきって、血をたらして、しやがみこんでおった。 「どうしたん ? うち、みてあげる。」 おとこ そういうてちかよると、その男の子は、いつものぶ子につらくあたって、 あそんでくれん子だったので、きっと、いじをはりたかったんじやろう。こ かお わい顔で、にらみかえして、 「こっち、きよったらいけん。しんせつにしようても、わし、。ヒカ子はきら いじやけえ、あっちへいけ。一 レ」い、った A 」。 のぶ子はたちどまって、しばらく男の子をみつめてから、 「うち、あそんでもらわんでもええ。うちひとりあそんでもろうたって、う ちのような子が、日本じゅうにたくさんおるんよ。それに、うちは生きて し るからええけど、死なれた人たちは、なにもいうてもらえんのよ。」 あし につばん ひと おとこ
ふゅ ながいおそろしい冬がすぎた。 日本だったら、とっくに、サクラの花もちっておるころ、だれかが、また、 につばん 「おお、みろや。つるが日本から、もどってきたそお。」 と、さけんでまわった。 いっかのようなつるのむれが、コウコウと鳴いて、はるか南のほうからと ゴシゴシもみほぐさんでおくと、とうしようでくさってしまう。 よくりゅうじよ そのうち、抑留所のなかに、わるいか。せがはやりだした。 ろくなくすりもなし、 い医者もおらんしするから、か・せなどひくと、す はいえん ぐ肺炎をおこして死んでいく。「つるま、 。しいなあ」というたへいたいも、「お かしかん じい」たちをビンビンなぐった下士官も、つぎつぎにたくさん死んでいった そうな。 につばん しゃ みなみ
て、つるのむれをみおくりながら、かた一、との日本語もまじえ、一、ういうた。 こっきよ、つ につばんふゅ 「あの、つるには、国境がないんだ。シベリアが夏のふるさと、日本が冬の こっきよ、つ ふるさとなのさ。われわれにんげんは、国境をはさんでにくみあい、せん にっぽんかえ そうで、たくさんのふしあわせをうんた。 : 日本へ帰れるようになって、 おめでとう。 , 、れから、たたしい平和がつづいたら、あなたたちも、わた こっきよ、つ したちも、うしなったしあわせをとりもどし、国境なんかわすれて友たち になれるかもしれないよ。」 みんなは、な。せだか , 、ツとして、その兵士をふりむき、すこしのあいた、 へんじもせすに立っておった。でも、ひとりが、ロごもりながら、 こっきよ、つ 「つるには、国境が、ないんだと。」 とつぶやくと、わかい小がらな兵士は、はにかむようにして手をのべた。 につばんご くち なっ とも
まち みち うて死んでいった。月冫 ーこも、橋にも、道にも、むくろ ( しかばね ) があふれ、 かさなりあった。 その日、そのとき。はかりでない。 せんそうがおわり、ずっとたってからたって、あの光をあびた人たちは、 人でなくなって死に、生きの一、った人のからたと心にも、ふかい、きえない きすあとをつけた。にんげんがにんげんをころしたくて、うんとたくさんこ ろしたくてこしらえた、たった一ばつのばくたんのために : 小さかったのぶ子は、おとうさんおかあさんたちと五人して、ひろしまの 町でくらしておったと。 あつあさ とてもよく晴れた、とくべつに暑い朝だった。 」、つじよ、つ おとうさんは工場へ、おねえちゃんはきんろうほうしへ、おにいちゃんは ひと かわ ひと こころ ひかり ひと