シベリア - みる会図書館


検索対象: おかあさんの木
10件見つかりました。

1. おかあさんの木

んでくる。それをみて、ひとりが、 「つるは、ばかだなあ。なんで、また、シベリアへ、もどってなんかくるん しいよると、トクさんたちみんなして、 につばんかえ 「そうだ、せつかく日本へ帰ったによ。」 「ばかだなあ、ばかだなあ。」 につばんかえ 「おれなら、日本へ帰れば、二どと、こんなとこへきやしないそ。」 つるやーい。」 、。おまえたち、ほんとにばかだなあ。」 「つるやー こ、くやしがっていうた。 と、まるでじぶんの一、とみたいを そのとき、そこへ、ひとりのわかいソビ = ト兵士が、こっこっとちかづい こと。はのつうじるヘいたいへ てきた。ふだんは、ロをき一、うともせんのに、 くち

2. おかあさんの木

マンになったりした。 よっこり、ふつうのサラリー そして、また、いろんなくろうをかさねながら、いっとなくとしをとり、 トクさんには孫たちができて、ほんとに、 「おじいちゃん、おじいちゃん。」 と、よばれるようになってしもうた。 まいねんあき けれど、毎年、秋がくると、シベリアのほうから海をこえて、わたりどり はる がわたってき、春になればもどっていく。 それをみるたびに、トクさんは、「生きていてよか 0 たなあ」とおもう。そ れから、あの、小がらでみどりいろの目をした兵士のことばをおもいだし、 こっきよう いまがいまでも、国境をはさんでにくみあい、せんそうしあっている国ぐに のことや、にんげんのことを、つらくも、せつなくもおもうのだそうな。 ま′」 うみ

3. おかあさんの木

て、つるのむれをみおくりながら、かた一、との日本語もまじえ、一、ういうた。 こっきよ、つ につばんふゅ 「あの、つるには、国境がないんだ。シベリアが夏のふるさと、日本が冬の こっきよ、つ ふるさとなのさ。われわれにんげんは、国境をはさんでにくみあい、せん にっぽんかえ そうで、たくさんのふしあわせをうんた。 : 日本へ帰れるようになって、 おめでとう。 , 、れから、たたしい平和がつづいたら、あなたたちも、わた こっきよ、つ したちも、うしなったしあわせをとりもどし、国境なんかわすれて友たち になれるかもしれないよ。」 みんなは、な。せだか , 、ツとして、その兵士をふりむき、すこしのあいた、 へんじもせすに立っておった。でも、ひとりが、ロごもりながら、 こっきよ、つ 「つるには、国境が、ないんだと。」 とつぶやくと、わかい小がらな兵士は、はにかむようにして手をのべた。 につばんご くち なっ とも

4. おかあさんの木

どころか、ただの鉄砲さえあんまりなくて、「おじい」の二等兵には、手りゆ うだんが一つずつわたされたきりたった。 そんな一、とでたたかえ。は、たちまち、ぜんめっしてしもうにきまっておる。 でも、トクさんたちは、ちっとばかりウンがよかったんだろう。いちども 敵のこうげきをうけんうちに、あの八月十五日、ムジョウケンコウフクの日 をむかえた。 まもなく、ソビエト軍がやってきよって、鉄砲も、手りゅうだんもとりあ げられ、みな、トラックや貨車で、シベリアのおくのほうへおくられていっ よくりゅうせいかっ た。そして、おもいだすのもつらい、なんともつらい抑留生活がはしまった のだそうな。 てき へいしゃ だだ 0 びろい野のまんなかに、さむざむした兵舎がた 0 ていて、まわり げ てっぽう ぐん かしゃ がっ てつばう にち と、つへ

5. おかあさんの木

は、てつじようもうでかこまれておった。 ゆき 九月のすえから、もう、しらしらと雪がふりだした。 かえ 「帰りたいなあ、くにヘ・ ひとりがいうたら、つぎつぎにったわって、みなが、そう、 しいだす。それ から、わかいへいたいも、としをした「おじい」たちも、おふくろさまにあ にようばうこ かえ いたいだの、女房子どもにあいたいだの、なんだのかんだの、ああ、帰りた いというてくらした。 こえ そんなある日、だれかが、きゅうに、ばかでかい声で、 「おお、みろや。つるが、日本へわたってくそお。」 と、さけんでまわった。 そら トクさんたちは、ばたすた外へとびだして空をみた。 あお いろがみ そら つるが十ばばかり、青い色紙をはりつけたみたいなシベリアの空を、南の がっ ひ につばん そと みなみ

6. おかあさんの木

というて、むかえたのだそうな。 よくりゅうせいかっ でも、いつまでた 0 ても、抑留生活をおえて、日本へかえしてもらえると いう、おとさたはないのだった。 せんそうにまけたくにが、どうなっているのやら、人びとがどんなくらし をしておるのやら、はがき一まいだす一、とも、うけとることもできんか 0 た。 こおりした ( このまま、みんな、シベリアの氷の下にうめられてしもうのかな。おれた てつばう ち「おじい」の二等丘 ~ は、鉄砲ひとつう「たわけでなし、人ひとりころし につばん たわけでないのに、日本がまければ、しかたないのかな。 ) そう、ぐちつ。ほくおもうて、なんともこ一、ろ・ほそくなりながら、やつばり、 によ、つば、つラ」 くにのおふくろさまのことだの、女房子どものことだのを、おもうてばかり おった。 と、つへ につほん ひと

7. おかあさんの木

まち すると、ほかのもんも、てんでに、 につばんふゅ 「シベリアが夏のふるさと、日本が冬のふるさとなんだと : : : 」 とつぶやきながら、いっかしらんまに、その兵士とあくしゅをかわしておっ そのとき、その兵士は、はじめてほほえみをうかべ、 「わたしのくにも、あなたたちとおなじくらい、こ一、からとおいんだ。へ かえ はたけ たいのっとめがおわったら、はやく村へ帰って、焼かれた家や、あれた畑 をもとどおりになおしたいよ。」 というと、トクさんたちといっしょに、もういっぺんつるがわたっていった、 あお そら 青い、あおい空をみあげた。 につばんかえ まもなく、みんなは、ぶじ日本へ帰りついた。ちりちりにわかれて、村や さかんや だいく 町へもどると、もとの左官屋になったり、大工になったり、ひやくしように なっ むら むら

8. おかあさんの木

「あなたたちの気もちはわかる。けれど、せんそうは、勝ってもまけても、 ちちはは ふかいきずあとをのこすのた。わたしの村は焼かれ、わたしの父や母も、 きようだいも、みな、ドイツ兵にころされた。」 いうていった。 小がらで、みどりいろの目をした、なまえもなにもしらん兵士だったが、 それをきいたとき、トクさんたちは、とくべつ、どうともおもわんかった。 そして、そのまま、わすれてしもうておった。 シベリアの春・夏・秋は、六月から八月まで、たった三つきしかない。 こけか草のような芽がでて、小さい花らしいものがさいたとおもうと、み ふゅげんや るまにかれはじめ、冬の原野へもどってしもう。ふたたび、つめたい粉のよ ゆき うな雪がふりだした「ろ、トクさんたちは、また、コウコウと鳴いて南へわ くさ はるなつあき がっ がっ むら みなみ こな

9. おかあさんの木

かえ ししいなあ。はねがあって、くにへ帰れていいなあ。」 「つるよ、 と、「す」 , ものよ一つにい、った。 なかには、ほおをぬらしておるもんもあって、つるのむれが米つぶみたい あおそら になり、青い空へすいこまれてしまうまで、みおくったのだそうな。 ふゅ それから、シベリアの冬がきた。 まいばん 毎晩、むこうの森で、オウ 1 、ンとおおかみがほえて、じんじんさむくなっ 、つえ たいよ、つ ちへいせん 太陽は地平線のす一、し上への。ほるたけで、夜。はかりながくなり、 ひょうてんか ちばんひどいときは、氷点下六〇度までさがった。 もう、さむいとか、つめたいなんてものでない おしつこは、たれるそ。はから、コチッとしたつららになるし、まっ毛もこ おって、まばたきひとつできん。鼻の先などたしておれば、じき白くなり、 、 0 より - はかまさ強一 よる こめ しろ

10. おかあさんの木

たちの思いを語りつがねばならないと思います。 これが現代民話なのではないでしようか。封建時代に生きた民衆が、す しよみん ぐれた民話を沢山今日にのこしてくれたように、現代を生きる庶民が、次 の世代に語りつぐ民話を創造しなければ、現代の民衆の姿や思いや悲しみ でんしよう や憤りは、後世に伝承されないばかりでなく、今日と地続きのつぎの世代 にもったわらないことになってしまいます。 現代を考える時、あの十五年戦争をさけてとおることはできません。こ とうきようく、つしゅうひろしまげんばく よくりゅう の文庫のなかには、東京空襲、広島の原爆、シベリアの抑留、玉砕の島 など、戦争が人びとの心をどのようにひきまわしてきたかが語られていま す。そして、激動の時代を現代の人びとがどのように生きようとしてきた か、力をもたない庶民のほんとうの思いはどこにあったのかが語られてい ます。 わたしたちは、現代民話を読む人であると同時に、大川さんとともに現 代民話を語る人でもありたいと思います。 ・け・きど、つ ほうけんじだい 190